雫石町

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しずくいしちょう
雫石町
Koiwai-farm.jpg
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
岩手郡
団体コード 03301-4
面積 609.01 km²
総人口 17,208
推計人口、2014年8月1日)
人口密度 28.3人/km²
隣接自治体 盛岡市花巻市八幡平市滝沢市
紫波郡矢巾町紫波町
和賀郡西和賀町
秋田県仙北市
町の木
町の花
町の鳥 ウグイス
雫石町役場
所在地 020-0595
岩手県岩手郡雫石町千刈田5番地1
北緯39度41分46.7秒東経140度58分32.8秒
外部リンク 雫石町ホームページ

雫石町位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

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雫石町(しずくいしちょう)は、岩手県の中部に位置する岩手郡に属する。西側は秋田県仙北市)と接している。温泉スキー場小岩井農場を擁するなど、観光に力を注いでいる町である。1993年には、雫石スキー場にてアルペンスキー世界選手権雫石大会が行われた。

地理[編集]

気候[編集]

  • 最高気温極値(1976年11月-)35.8℃(1978年8月2日)
  • 最低気温極値(1976年11月-)-20.6℃(2001年1月14日)

気象[編集]

雫石地方気象台(1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 0.8
(33.4)
1.7
(35.1)
5.6
(42.1)
13.5
(56.3)
19.1
(66.4)
23.0
(73.4)
25.9
(78.6)
27.7
(81.9)
23.2
(73.8)
17.1
(62.8)
10.0
(50)
3.7
(38.7)
14.3
(57.7)
日平均気温 °C (°F) −2.9
(26.8)
−2.3
(27.9)
1.1
(34)
7.7
(45.9)
13.3
(55.9)
17.8
(64)
21.3
(70.3)
22.6
(72.7)
17.9
(64.2)
11.2
(52.2)
5.0
(41)
0.1
(32.2)
9.4
(48.9)
平均最低気温 °C (°F) −7.3
(18.9)
−6.9
(19.6)
−3.4
(25.9)
1.9
(35.4)
7.5
(45.5)
13.2
(55.8)
17.4
(63.3)
18.5
(65.3)
13.4
(56.1)
5.9
(42.6)
0.4
(32.7)
−3.6
(25.5)
4.8
(40.6)
最低気温記録 °C (°F) −20.6
(−5.1)
−20.3
(−4.5)
−15.7
(3.7)
−9.6
(14.7)
−1.5
(29.3)
3.6
(38.5)
7.6
(45.7)
8.7
(47.7)
1.4
(34.5)
−4.4
(24.1)
−10.4
(13.3)
−18.2
(−0.8)
−20.6
(−5.1)
出典: 気象庁[1]

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歴史[編集]

沿革[編集]

氷河期石器が発見されるなど、その歴史は古い。町内各地の遺跡から先史時代にはすでに人々が定着していた形跡がある。大和朝廷の勢力が雫石地域に至り開拓の手が伸びたのは、延暦20年(801年)の坂上田村麻呂の頃であった。

滴石地域一帯に住む鬼の長(先住民の酋長)、大武丸(おおたけまる)を雫石の西根地域の中野村に兵を集めて田村麻呂がこれを攻め滅ぼした、と「巌鷲山縁記」に記載がある。中央が藤原氏の専制で地方政治の統制がゆるみ、安倍氏などの辺境在住勢力が台頭するにいたる。

安倍頼良の六男安倍重任が滴石に在住したが、康平5年(1062年)に安倍氏が衣川柵、厨川柵で破れると9月17日には戦死した。前九年の役後、清原武則鎮守府将軍として安倍氏の旧領をほぼ制圧するが、清原一族の内乱から国司源義家の参加した後三年の役寛治元年(1087年)に起こり清原氏は滅亡、藤原秀衡が清原氏の支配地を継承した。

1189年源頼朝平泉奥州藤原氏を滅亡させると、岩手西部を1189年に常陸相馬の平衡盛(戸澤氏)に与えた雫石地域もそのとき支配下となる。

南北朝争乱の時代に南部氏、河村氏、和賀氏、葛西氏とともに南朝の北畠顕信に属し、激しく足利方と対立する。南北朝時代には雫石地域は斯波氏戸澤氏が覇権を争う。その際、1341年北畠顕信が雫石に御所を置いたことが語源で「御所地区」がある。三迫の戦いで破れ、石巻の葛西氏を経て、滴石城の河村六郎を訪ねて来る。1345年戸澤氏南部政長北畠顕信とともに斯波氏を攻める。南朝側は足利方の吉良氏畠山氏の不和や足利尊氏足利直義の不和(観応の擾乱)の間隙をつき滴石城を拠点として団結し、多賀城を陥れているが、その後雫石地域の記録はない。

室町時代には地方分権的な大名が各地に形成されたが、雫石地方は戸澤氏の勢力圏として比較的安定していた。戦国時代手塚氏(一説には戸澤氏)、長山村の長山氏、戸澤館の戸澤十郎などの勢力が台頭、境界をめぐり争乱をくりかえしていた。

天文9年(1540年)、三戸南部の南部高信が沼宮内氏、渋民氏、玉山氏、田頭氏、平舘氏を率いて侵入。戸澤氏のみが服従を拒否したために滴石城が焼失し、戸澤氏は仙北郡に逃亡する。 1545年、日詰の斯波氏の斯波(雫石)詮貞が滴石郷に侵入。一時雫石を支配し、斯波御所(雫石御所)を置く。このとき初めて「雫石」の文字が使われる。

その後、天正12年(1584年)に南部信直の代に雫石地域攻略が始まり、天正14年(1586年)に斯波氏は破れ雫石城は南部よしゃれの伝説を生み落城、再び南部氏の所領になる。南部氏は小田原で豊臣秀吉に謁見、服従、所領安堵を許される。天正16年(1588年)、雫石城は豊臣秀吉の命令で破却される。

その後、徳川政権のもと南部藩の藩政下で280年間、幕末まで続く。雫石地域は秋田藩との藩境を接していたため争いが絶えず、また秋田街道の交易の利便性から橋場御番所が置かれる。雫石通は元禄8年(1695年)、宝暦5年-6年(1755年-1756年)、天明3年-天明4年(1783年-1784年)、天保年間には飢饉が起こり四大飢饉と呼ばれている。

慶応3年(1867年)、大政奉還を幕府が行うも鳥羽・伏見の戦いが起こり戊辰戦争へと戦火が広がる。盛岡藩は奥羽越列藩同盟に参加し、鹿角口と生保内口に向軍勢を差し向ける。雫石郷からは400名もの農兵が徴発された。野々村真澄を総大将に生保内口に攻め入り秋田藩と抗戦するも、地の利を得ず撤退した。盛岡藩は時勢虚しく、降伏恭順を官軍側に申しでるが、盛岡藩の帰服が正確を欠くとの理由から国見峠に攻め込まれる。橋場口が戦場となる。この戦いで一村焼け落ちるも、マタギの与吉(よぎ)が、長崎振遠隊斥候隊長福田栄之助を鉄砲で狙撃死させている。春木場から侵入され雫石郷は占領された。盛岡藩の降伏が受理されて戦争は終わったが現在に至るまで、官軍に占領された時の恐怖は雫石町で語り継がれている。

行政[編集]

町の施設[編集]

  • 町公民館「野菊ホール」
    • 町立図書館(野菊ホールに併設)
  • 町総合運動公園

県の施設[編集]

  • 岩手県営屋内温水プール

警察[編集]

  • 岩手県警察
    • 盛岡西警察署
    • 雫石交番(町中心部を管轄)
    • 西山駐在所(町北部・網張温泉・小岩井地区を管轄)
    • 御所駐在所(町南部・御所湖畔・盛岡市繋地区を管轄)

消防[編集]

雫石町消防団[編集]

平成21年度

  • 組織概要
    • 条例定数 367人
      • 実員数 306人
    • 消防
      • 水槽付ポンプ車 1台
      • ポンプ車 17台
      • 小型動力ポンプ 8台
    • 本部(25人)
      • 第1分団(63人)
      • 第2分団(62人)
      • 第3分団(80人)
      • 第5分団(83人)

姉妹都市[編集]

  • 富士市―(全日空機雫石衝突事故でその全日空機の乗客犠牲者155名のうち125名が静岡県富士市の吉原遺族会の北海道旅行団一行と添乗員だった事から慰霊の森での毎年の慰霊祭に最終の2003年(平成15年)の三十三回忌まで参加、2013年(平成25年)7月30日に災害時相互応援協定を結び同年11月1日、友好都市提携を締結した)

近年、雫石中学校・雫石高校の生徒を中心とした、ドイツとの友好都市派遣団のやりとりを行っている。「友好都市青少年留学の翼派遣団員」が正式名称。

産業[編集]

郵便局[編集]

  • 雫石郵便局(集配局、〒020-0599)
  • 御所郵便局
  • 鴬宿温泉郵便局
  • 御明神郵便局
  • 岩手西山郵便局
  • 西根簡易郵便局

地域[編集]

人口[編集]

Demography03301.svg
雫石町と全国の年齢別人口分布(2005年) 雫石町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 雫石町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
雫石町(に該当する地域)の人口の推移
1970年 17,954人
1975年 18,293人
1980年 18,696人
1985年 19,127人
1990年 19,013人
1995年 19,373人
2000年 19,750人
2005年 19,055人
2010年 18,038人
総務省統計局 国勢調査より

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

  • 雫石町立雫石小学校
  • 雫石町立七ツ森小学校
  • 雫石町立上長山小学校
  • 雫石町立下長山小学校
  • 雫石町立西根小学校
  • 雫石町立御明神小学校
  • 雫石町立橋場小学校
  • 雫石町立大村小学校
  • 雫石町立南畑小学校
  • 雫石町立安庭小学校

TVチャンネル・ラジオ周波数[編集]

雫石町内テレビ中継局
  • 雫石テレビ中継局(生森山)
    • 滝沢市大釜地区、盛岡市猪去・繋・黒石野地区でも当局を受信している世帯あり。また当町北部では滝沢谷地山局も受信可能。なお橋場地区は山陰になって生森山からの電波が届きにくいため紫波新山(盛岡親局)を受信している。
  • 在盛ラジオ放送はAMが盛岡親局(IBC岩手放送矢巾ラジオ送信所NHK矢巾ラジオ放送所)を良好に受信可能。なお当町内にFM中継局は未設置なので盛岡親局(紫波新山)を受信する(ただし山陰のため場所により雑音混じりとなる場合があり、紫波新山に向けてFM屋外アンテナを立てている世帯もある)。
  • 橋場地区の一部では隣県のABSラジオ秋田親局936kHz経由で受信可能(高感度ラジオを用いた場合は盛岡市内の一部でもABSラジオ936kHzを受信可能。なお仙岩トンネル内では、地元IBCラジオ684kHz・隣県ABSラジオ936kHz両局を再送信)。

交通[編集]

鉄道路線[編集]

路線バス[編集]

道路[編集]

一般国道[編集]

県道[編集]

主要地方道[編集]
一般県道[編集]

自動車教習所[編集]

主要施設・観光地[編集]

祭り・芸能[編集]

マスコットキャラクター[編集]

文学に登場した雫石[編集]

宮沢賢治が雫石町の七ツ森、小岩井農場など町内にたびたび立ち寄ったという記録がある。小岩井農場の牧歌的な情景は「雨ニモ負ケズ」の詩にも影響を与えている。雫石町の狼森や笊森などが賢治童話「狼森と笊森、盗森」のモチーフとなった。   浅田次郎の時代小説「壬生義士伝」の主人公、新撰組隊士吉村貫一郎の妻しずの実家が雫石にある、という設定で物語の舞台となった。

津村秀介の推理小説「北の旅殺意の雫石」弁護士高林鮎子シリーズでも雫石川などが舞台となった。西村京太郎の推理小説「秋田新幹線こまち殺人事件」十津川警部シリーズでも雫石が描かれた。生田直親 の推理小説「雫石みちのく呪殺行」でも雫石の小岩井農場SL館が舞台になり、修験道、義経伝説などが絡み合った物語が描かれた。

出身人物[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 雫石 19801-2010年”. 気象庁. 2011年10月18日閲覧。

外部リンク[編集]