田沢湖線

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JR logo (east).svg 田沢湖線
盛岡駅に停車中の田沢湖線専用701系
盛岡駅に停車中の田沢湖線専用701系
田沢湖線の路線図
路線総延長 75.6 km
軌間 1435 mm
電圧 20,000 V・50 Hz(交流
STR
東北新幹線
STR STR
東北本線
BHF KBHFa BHF KBHFa
0.0 秋田新幹線 盛岡
STR KRWg+l KRWgr STR
KRZo
KRWg+r STR
山田線
ABZlf STRq KRZu ABZlg
STRrf STR STR
東北新幹線
STRq STRq
STR3
いわて銀河鉄道線
STR+1 STRc4
BHF
6.0 大釜
BHF
10.5 小岩井
BHF
16.0
0.0*
秋田新幹線 雫石
BHF
18.7 春木場
BHF
22.0 赤渕
exKBHFl eABZrf
7.7* 橋場 1944年休止
DST
28.6 大地沢信号場
tSTRa
仙岩トンネル 3915m
tSTR+GRZq
岩手県秋田県
tSTRe
DST
34.4 志度内信号場
BHF
40.1 秋田新幹線 田沢湖
BHF
44.4 刺巻
BHF
52.8 神代
BHF
55.3 生田
STRlg STR
秋田内陸線
KBHFe BHF
58.8 秋田新幹線 角館
BHF
61.6 鶯野
BHF
64.6 羽後長野
BHF
67.9 鑓見内
BHF
70.2 羽後四ツ屋
BHF
72.0 北大曲
ABZql KBHFr
75.6 秋田新幹線 大曲
STRq BHFq
奥羽本線

田沢湖線(たざわこせん)は、秋田県大仙市大曲駅から岩手県盛岡市盛岡駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線地方交通線)。

地方交通線とはいえ、東北本線沿線から秋田方面へは重要なリレー的路線の需要もあるため、1996年から1年間運休して軌間新幹線と同じ1435mmの標準軌に拡幅する工事を行い、翌年にミニ新幹線である秋田新幹線のルートとして東京駅からの直通を可能にした。全線が単線であり、上下の秋田新幹線「こまち」が途中の駅や信号場で行き違いを行う光景が見られる。

路線データ[編集]

  • 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者
  • 路線距離:大曲駅 - 盛岡駅 75.6km(基本計画による。現実には盛岡起点で盛岡駅に0キロポストがある)
  • 駅数:17(起終点駅を含む)
    • 田沢湖線所属駅に限定した場合、起終点駅(大曲駅は奥羽本線、盛岡駅は東北本線の所属[1])が除外され、15駅となる。
  • 信号場数:2
  • 軌間:1435mm
  • 複線区間:なし(全線単線
  • 電化区間:全線(交流50Hz・20,000V)
    • ただし盛岡駅新幹線ホーム付近は交流50Hz・25,000V、デッドセクションは盛岡駅構内の東北新幹線・田沢湖線分岐ポイント付近にある。
  • 保安装置:ATS-P
  • 運転指令所:秋田総合指令室 (CTC)
  • 最高速度:優等列車130km/h、普通列車110km/h
  • 最急勾配:25.0(赤渕 - 田沢湖間)

盛岡駅 - 大地沢信号場間が盛岡支社志度内信号場 - 大曲駅間が秋田支社の管轄である。

運行形態[編集]

国鉄分割民営化時に当時の運輸省に提出された基本計画や鉄道要覧記載上の起点は大曲駅だが、列車運行上は盛岡駅が起点で、盛岡から大曲・秋田方面に向かう列車が下り、逆が上りである。

広域輸送[編集]

秋田新幹線ルートの一部として東北新幹線直通特急「こまち」が東京 - 秋田間で運行されている。詳細は、秋田新幹線を参照されたい。秋田新幹線開業以前は、盛岡 - 秋田・青森間の特急「たざわ」が運行されていたが、改軌工事の開始に伴って廃止された。

新在直通開始後、輸送指令は秋田支社の管轄になった。

地域輸送[編集]

普通列車などは、岩手県側の盛岡 - 雫石・赤渕間(1 - 2時間に1本程度)と秋田県側の田沢湖 - 大曲間(2 - 3時間に1本程度)の運転がほとんどであり、全線に渡って運転する普通列車は上り下りともに3本、合計3往復6本と非常に少ない。県をまたいでの利用客が少ないためか、県境の赤渕 - 田沢湖間を運転する普通列車は上記6本に加えて盛岡 - 田沢湖間の区間運転の列車が2本(下り1本、上り1本)の合計4往復8本が設定されているのみで、8時間以上運行がない時間帯がある。そのため、短距離区間の乗車であっても秋田新幹線「こまち」を利用する客も少なくない。岩手県側では各駅で宅地開発の進む盛岡都市圏の通勤通学輸送が主という路線になっている。

土曜日には昼間の大曲 - 角館間の列車1往復が田沢湖まで延長運行される。

全線電化区間でありながら、秋田県が特急列車の運転に必要な最小限の変電所のみでよいとしたため、特急列車以外は電車化されず、長年に渡ってローカル列車はすべて気動車を使用していたが、改軌工事の完成(秋田新幹線開業)時に電車化され同時に一部列車でワンマン運転を実施している。

なお、秋田新幹線が開業した際には大曲駅でスイッチバックを行って奥羽本線秋田駅へ至る方式が採られたことや、従前より普通列車については奥羽本線との直通列車を運行していなかった関係で、山形線のような愛称路線名で呼ばれず田沢湖線のままで定着している。

秋田県大仙市の全国花火競技大会開催時は、秋田新幹線「こまち」を大曲駅発着に、また盛岡駅・田沢湖駅 - 大曲駅間の普通列車「ナイアガラ」号として、秋田駅→大曲駅間の直通の快速列車「花火」号としてそれぞれ運転される。後者の場合、大曲駅、神宮寺駅、刈和野駅、秋田駅以外の駅ではホームが無いのですべて通過するか、止まったとしても、神宮寺駅と刈和野駅を含めて運転停車扱いとなる。花火大会の臨時輸送の際は、盛岡駅の田沢湖線ホームに新幹線車両が停車する光景が見られることもある。

秋田新幹線の臨時列車運行の関係で、たびたび時刻(季節運行による変更)や発着駅(大曲の花火関連)が変更される列車がある。

使用車両[編集]

現在の使用車両[編集]

専用の701系電車(標準軌仕様の5000番台。秋田車両センター所属)が普通列車に使用されている。

過去の使用車両[編集]

歴史[編集]

盛岡と大曲を結ぶ横断線として軽便鉄道法により計画された路線である。盛岡側は橋場軽便線(はしばけいべんせん)として1922年に盛岡 - 橋場(現在休止(実質廃止))間が、大曲側は生保内軽便線(おぼないけいべんせん)として1923年に大曲 - 生保内(現在の田沢湖)間が開業した。なお、1922年の軽便鉄道法廃止により、それぞれ橋場線(はしばせん)、生保内線(おぼないせん)と改称されている。

大正末期には全通計画が企画され、調査までされていたものの、緊縮財政のため見送られた。昭和に入り、ようやく同区間の計画が認められ、橋場 - 生保内間が工事線生橋線として着工された。着工時にはすでに全区間の工事計画は鉄道大臣による認可をされており、あとは施工するだけであった。この時の計画は、国見温泉方面を経由した国道46号線仙岩峠旧道(現在は秋田側が廃道)に近似したルートであった。

ところが、生保内 - 志度内の手前数十mまでのレールまで敷いた路盤ができた時点で日中戦争の激化により中止された上、1944年には橋場線の雫石 - 橋場間が不要不急線として休止(実質廃止)となってしまった。レールは取り外されて、貨物輸送で磨り減った山田線のレール交換に使われた。

戦後、両線を結ぶ鉄道の建設運動が再び起こったが、この時は、あくまで生橋線全線開通を目的としたものであり、休止中の橋場線雫石 - 橋場のことは、関係者共々、日本国有鉄道に承継されていなかったと誤解していたため、廃止・経路・駅名改称等の手続や告示はしなくても、生橋線工事名義で建設しても問題ないだろうと考えていた。

また、建設調査では戦前の工事計画は放棄されて、橋場手前の赤渕附近で分岐させる計画となった点を利用し、生橋線全線開通が目的である以上は、そのような些細なことを問題にするのは不適切であると考えられたため、雫石 - 赤渕間を橋場線復活扱いではなく、『日本鉄道建設公団工事線生橋線』の一部として着工させてしまった。同区間は建設後、休止中の橋場線盛岡 - 雫石間への編入がされた。これにより休止中の橋場線雫石 - 橋場間と、新線として建設後編入された橋場線雫石 - 赤渕間が併存する形となった。中断中の生橋線のルートは橋場 - 生保内間から雫石 - 生保内間に変更され(休止した雫石 - 橋場間の途中の赤渕と志度内を結ぶ短絡ルートとなった)赤渕 - 橋場間は放棄されたが、正式に廃止はされなかった。1966年に全通し、生保内線・生橋線を橋場線に編入し、その橋場線が田沢湖線と改称された。全通後も比較的地味な地方交通線であったが、1982年の東北新幹線盛岡開業に伴って、盛岡 - 秋田間の連絡ルートとして電化工事が行なわれ、新幹線接続特急「たざわ」が運行を開始した(このとき電化工事のため、赤渕 - 田沢湖間でバス代行運転が約1年間行われた)。

国鉄分割民営化時には、JRの基本計画上、休止中の橋場線雫石 - 橋場間は東日本旅客鉄道へは承継されず、日本国有鉄道清算事業団へ承継され、起終点が逆になったが、実際上は起点も盛岡からのままで現在に至っている。

その後、東京 - 秋田間のミニ新幹線構想が浮上し、そのルートの一部として約1年間の列車の運行停止を行い、新幹線と同じ軌間1435mmに改軌が行なわれ、1997年に秋田新幹線が開業。新在直通特急「こまち」が運行を開始した。

橋場線[編集]

  • 1921年(大正10年)6月25日:盛岡 - 雫石間 (16.0km) が橋場軽便線として新規開業、大釜・小岩井・雫石の各駅を新設。
  • 1922年(大正11年)
    • 7月15日:雫石 - 橋場間 (7.7km) が延伸開業、橋場駅を新設。
    • 9月2日橋場線と改称。
  • 1944年(昭和19年)10月1日:雫石 - 橋場間 (-7.7km) が休止、橋場駅を休止。
  • 1964年(昭和39年)9月10日:雫石 - 赤渕間 (6.0km) の生橋線が完成し橋場線に編入して開業(雫石 - 赤渕間は旅客営業のみ)、春木場・赤渕の両駅を新設。

生保内線[編集]

  • 1921年(大正10年)
    • 7月30日:大曲 - 角館間 (16.8km) が生保内軽便線として新規開業、羽後四ツ屋・羽後長野・角館の各駅を新設。
    • 12月11日:角館 - 神代間 (6.0km) が延伸開業、神代駅を新設。
  • 1922年(大正11年)9月2日:生保内線と改称。
  • 1923年(大正12年)8月31日:神代 - 生保内間 (12.7km) が延伸開業、刺巻・生保内の両駅を新設。
  • 1955年(昭和30年)7月10日:生田駅を新設。
  • 1960年(昭和35年)4月1日:鑓見内駅を新設。
  • 1965年(昭和40年)11月21日:北大曲・鶯野の両駅を新設。
  • 1966年(昭和41年)

田沢湖線[編集]

  • 1966年(昭和41年)10月20日:生橋線赤渕 - 田沢湖間 (18.1km) が完成し開業、橋場線に生保内線とともに編入し田沢湖線と改称。大地沢・志度内の両信号場を新設。
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月1日:全線の貨物営業を廃止。
    • 11月15日:全線を電化(交流50Hz・20kV)。
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い東日本旅客鉄道が第一種鉄道事業者として大曲 - 盛岡を承継(基本計画による。ただし実際には起終点変わらず)。
    • 橋場線雫石 - 橋場間は国鉄清算事業団へ承継。
  • 1996年(平成8年)3月30日:改軌工事のため全線休止、バス代行を実施。
  • 1997年(平成9年)3月22日:全線を1067mmから1435mmに改軌し営業再開、秋田新幹線「こまち」運行開始。

駅一覧[編集]

  • 普通列車はすべての駅に停車する。「こまち」停車駅は「こまち (列車)」または「秋田新幹線」を参照。
  • 線路(全線単線) … ◇・∨・∧:列車交換可、|:列車交換不可
駅名 駅間営業キロ 累計営業キロ 接続路線 線路 所在地
盛岡駅 - 0.0 東日本旅客鉄道東北新幹線秋田新幹線東北本線山田線
IGRいわて銀河鉄道いわて銀河鉄道線(東日本旅客鉄道花輪線直通列車を含む)
岩手県 盛岡市
大釜駅 6.0 6.0   滝沢市
小岩井駅 4.5 10.5  
雫石駅 5.5 16.0   岩手郡
雫石町
春木場駅 2.7 18.7  
赤渕駅 3.3 22.0  
大地沢信号場 - 28.6  
志度内信号場 - 34.4   秋田県 仙北市
田沢湖駅 18.1 40.1  
刺巻駅 4.3 44.4  
神代駅 8.4 52.8  
生田駅 2.5 55.3  
角館駅 3.5 58.8 秋田内陸縦貫鉄道秋田内陸線
鶯野駅 2.8 61.6   大仙市
羽後長野駅 3.0 64.6  
鑓見内駅 3.3 67.9  
羽後四ツ屋駅 2.3 70.2  
北大曲駅 1.8 72.0  
大曲駅 3.6 75.6 東日本旅客鉄道:秋田新幹線・奥羽本線
  • 盛岡 - 大釜間に新駅設置構想がある[2]

脚注[編集]

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  1. ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
  2. ^ 新駅設置へ高まる声、JR田沢湖線の前潟地区で 盛岡市は今後、可能性を検討へ」盛岡タイムス 2008年11月25日

参考文献[編集]

  • 生橋線建設促進期成者同盟会(編) 『田沢湖線全通誌』、1966年
  • 『東北の新線建設:鉄道公団盛岡支社10年の歩み』、1966年
  • 石野哲・青木玲二 『停車場変遷大事典』。ISBN 4-533-02980-9
  • 今尾恵介(監修) 『日本鉄道旅行地図帳 - 全線・全駅・全廃線』2 東北、新潮社2008年ISBN 978-4-10-790020-3

関連項目[編集]