十和田湖

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十和田湖

十和田湖
御鼻部展望台から見た十和田湖

十和田湖の位置(青森県内)
十和田湖
十和田湖
十和田湖の位置(青森県)
所在地 日本の旗 日本
青森県十和田市
秋田県鹿角郡小坂町
位置 北緯40度27分53秒 東経140度52分38秒 / 北緯40.46472度 東経140.87722度 / 40.46472; 140.87722座標: 北緯40度27分53秒 東経140度52分38秒 / 北緯40.46472度 東経140.87722度 / 40.46472; 140.87722
面積 61.02 km2
周囲長 46.0 km
最大水深 326.8 m
平均水深 71.0 m
貯水量 4.19 km3
水面の標高 400 m
成因 カルデラ湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 貧栄養湖
透明度 9.0 m
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十和田湖(とわだこ)は、青森県十和田市秋田県鹿角郡小坂町にまたがる十和田八幡平国立公園内にある。日本の湖沼では12番目の面積規模を有する。内水ながら、国の地方港湾である子ノ口港、休屋港の二港がある。

地理[編集]

十和田火山の噴火で形成された二重カルデラ湖。現在も活火山として指定されている。最大深度326.8mは日本で3番目の深さである。流出河川は奥入瀬川。胡桃を半分にした形。

湖の中央、御倉山と中山半島の間にある中湖(なかのうみ)とよばれる水域が最深部であり、御倉山の東側の東湖(ひがしのうみ)や中山半島の西側の西湖(にしのうみ)と呼ばれている水域の水深は50 - 100mほどである。

なお、江戸時代よりの境界が不明確で、十和田湖の帰属が決まらないため、青森県と秋田県との境界は決まっていなかったが、2008年8月29日に青森市で開かれた北海道・北東北知事サミットにおいて、青森、秋田両県と、関係する自治体が、湖面の境界線を青森県6:秋田県4という割合で県境を画定することで最終合意し、同年11月14日に確定し、12月25日官報告示した。これにより、1871年廃藩置県以来、137年目にして県境が決定した。

具体的には、湖の北側にある御鼻部山の頂上から、西側の尾根に当たる桃ノ沢河口と87林班東端の中間点を直線で結び、南側は神田川河口を県境とする。これにより61.02km²の十和田湖は、青森県十和田市に36.61km²、秋田県小坂町に24.41km²が割り振られ、その分の地方交付税交付金(年間総額約6700万円)も増額分配される。なお増額分の交付金は、十和田湖の環境対策や観光振興に使われる。

湖と環境[編集]

生物[編集]

十和田湖周辺は、冷温帯林(ブナ林)や亜寒帯林(ダケカンバ林)が広がり、クマタカイヌワシツキノワグマなどの野生動物が生息している。これらの生息が重要であることから、国指定十和田鳥獣保護区(大規模生息地)に指定されている(面積37,674ha、うち特別保護地区19,366ha)。

2008年4月、同湖で死んだハクチョウ3羽と衰弱したハクチョウ1羽が見つかった。同月23日簡易検査で鳥インフルエンザと推定されたため、同月27日動物衛生研究所茨城県つくば市)で再検査したところ鳥インフルエンザウイルス強毒性のH5N1亜型が検出されたと秋田県環境省が同月28日に発表した。

生息魚介類[編集]

人間が魚の放流を開始する以前に生息していた魚介類は、サワガニのみと考えられている。従って、現在生息している魚類の全てが人為放流された物である[1]。記録に残る最初の放流は、1855年イワナとされている[1]。1960年代に行われた調査では、下記が確認されている。

ワカサギウグイアユは定着に失敗した。

  • スジエビは、1905年に八郎潟から移植され定着した[2]
  • サクラマスは奥入瀬川の銚子大滝に作られた魚道を介し天然魚の遡上によって行われ定着したが、ヒメマスが捕食され繁殖を阻害するとの理由で魚道は破壊された。現在生息している物はその時に湖中に残された個体の子孫と考えられる[3]
  • ニジマスは、1900年と1919年に日光中禅寺湖から移入された[1]

水質[編集]

現在は閉山しているが、かつて同湖西岸には17世紀中頃に発見された鉛山鉱山と十輪田鉱山があり亜鉛を産出していた。この廃鉱山からの流入水は現在も湖水の亜鉛含有量に影響を与えていると考えられる[4]

歴史[編集]

噴火[編集]

衛星写真
子の口桟橋(昭和10年頃) Nenokuchi pier.

大きな噴火は、5万5000年前、2万5000年前、1万3000年前に起こったと考えられている。十和田湖の原型(外縁)は、約3万~2万5000年前の十和田火山の大噴火と陥没(第一カルデラ)によってできたと考えられている。東湖や西湖はこの第一カルデラの一部である。1万3000年前の噴火の火砕流は青森市付近まで到達している[5]

さらに約1万年前に十和田カルデラの東南部で噴火によってカルデラ内部に五色岩(または五色台)火山が形成された。五色岩火山は初期に玄武岩を噴出し山体を成長させた。その後、安山岩・デイサイトを経て流紋岩を噴出するようになった。それに伴い爆発的噴火が多発し火口を拡大していった。そして、5400年前の噴火で火口壁が崩壊し第一カルデラの湖水が火口に流入した。これにより中湖ができたと考えられている。

915年(延喜15年)、十和田火山は大噴火を起こした。このとき毛馬内火砕流が周囲20kmを焼払った。この噴火は過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られる[6]。この噴火の火山灰は東北地方一帯を広く覆い、甚大な被害をもたらしたと推定される。十和田火山の噴出物は通常偏西風に乗り十和田湖の東側に流れるが、この年の噴火では十和田湖の西側に流れている。これは夏のこの地方の気象現象であるやませが原因であると考えられている。東の三本木原は昔の十和田火山の噴出物でできているが、やませのため西に流れた噴出物は米代川流域を覆い尽くし、大災害をもたらした。そのことを人々は三湖伝説として残したと考えられている。一方で、噴出物により広大な砂地が形成された結果、人々の居住に適した環境が整い居住者の増加に影響を与えた[7]と考える研究者もいる。

「十和田湖および奥入瀬渓流」として文化財特別名勝及び天然記念物に指定されており、1936年、周辺の奥入瀬渓流、八甲田火山群と共に十和田八幡平国立公園に指定された。

紀行文作家大町桂月はこの湖の美しさについて、「山は富士、湖は十和田湖、広い世界に一つずつ」と評している。

ヒメマス養殖[編集]

1903年に和井内貞行らによりヒメマスの最初の放流が行われた。十和田湖へのヒメマスの定着以降は、本州各地の湖への移植用卵及び稚魚の供給源として中禅寺湖とともに重要な位置を占めている。 1960年或いは1967年の調査で、流入河川ではなく湖底に産卵床を形成し産卵していることが確認されている。また、1975年と1976年に行われた調査では「漁獲魚のほとんどが放流魚の可能性が高い」との結果が得られたが、1945年前後は放流が全くなかったにも拘わらず、相当量の産卵が行われていた時期もある[8]。 湖畔の秋田県側の小坂町の生出(通称:和井内)地区には、ヒメマスの孵化場がある。

観光[編集]

十和田湖遊覧船(2004年10月9日)
ブロンズ像 乙女の像

湖畔には高村光太郎作のブロンズ像「乙女の像」の他、十和田ビジターセンター、十和田科学博物館などがあり、観光用の湖上遊覧船が運航している。

湖に突き出した中山半島には十和田神社がある。

また十和田湖畔温泉があり、国民宿舎十和田湖温泉が設置されている。

毎年1月下旬(2月上旬) - 2月下旬には休屋で「十和田湖冬物語」が開催され、雪像やかまくらなどを見ることができる。また、20時頃から冬花火も打ち上げられる。ただし、この時期は近隣の国道102103394454号青森県道40号の一部区間が冬季閉鎖や夜間交通規制の対象となるため、来場する際は注意が必要である。特に18時以降は八甲田山周辺の通行ができないため、冬花火を見るなどしてこの時間帯に青森方面や黒石方面へ帰る場合は小坂インターチェンジ方面か十和田市方面へ大きく迂回する必要がある。

毎年7月の第三金・土・日曜日には「湖水まつり」が開催され、また7月下旬の日曜日には十和田湖一周道路(約50km)を約12時間かけて歩く「十和田湖ウォーク」が行われる。

毎年9月第1土・日曜日には「十和田湖国境祭」が開催され、青森ねぶた竿燈盛岡さんさ踊りなどの青森県・秋田県・岩手県の代表的な祭りや伝統芸能が披露される。

青森県と秋田県の県境にあるため土産物屋では青森の特産物(りんごなど)と秋田の特産物(きりたんぽ樺細工)とが両方販売されている。

交通手段[編集]

鉄道下車駅 乗車路線 所要時間 下車停留所
東北新幹線盛岡駅 岩手県交通盛岡・十和田湖号 約2時間15分 十和田湖下車
東北新幹線八戸駅 JRバス東北おいらせ号 約2時間20分 十和田湖下車
東日本旅客鉄道(JR東日本)/青い森鉄道青森駅 JRバス東北みずうみ号 約3時間 十和田湖下車
十和田観光電鉄線十和田市駅2012年3月31日路線廃止) 十鉄バス十和田湖観光線(2012年4月1日以降運休中) 約1時間40分 十和田湖バスターミナル下車
花輪線十和田南駅 秋北バス急行十和田湖 - 八幡平線 約1時間 十和田湖下車

脚注[編集]

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参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]