佐藤信淵

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佐藤 信淵(さとう のぶひろ、明和6年6月15日1769年7月18日) - 嘉永3年1月6日1850年2月17日))は、江戸時代後期の絶対主義的思想家であり、経世家経済学者)、農学者兵学者農政家でもある。出羽国雄勝郡郡山村(現秋田県雄勝郡羽後町)出身。通称は百祐、字は元海、号は松庵・万松斎・融斎・椿園。

目次

[編集] 経歴

佐藤信淵の経歴については、とくにその家学伝承において謎の部分が多い。身分制社会の中で学者として身を立てるための方便であったと思われるが、彼自身が述べている経歴の所伝に矛盾がある。

[編集] 思想と主要著書

[編集] 思想

信淵の著述は300部8,000巻に及ぶとされているが、必ずしも全ては伝わっておらず、主なものは滝本誠一編『佐藤信淵家学全集』にまとめられている。その著作は極めて多様で、農学から国家経営におよび、極めて実際的なものから理論的、観念的なものまで含んでいる。特に注目に値するのは、封建制度を基盤とする幕藩体制のもとで、来たるべき統一国家としての日本の姿を考え、それを方法としては科学的に、そして、社会的および経済的な内容を持つものとして打ち出したということである。

平田派の影響を受けたことで形而上学的な要素も多く混じるものの、彼の描いた国家像は明治維新を望見しており、時代を先取りした思想家として評価される。

その一方で、混同秘策の冒頭に「皇大御国は大地の最初に成れる国にして世界万国の根本なり。故に能く根本を経緯するときは、則ち全世界悉く郡県と為すべく、万国の君長皆臣僕と為すべし」と書いて満州朝鮮台湾フィリピン南洋諸島の領有等を提唱したため、大東亜共栄圏という思想の「父」として知られているという見解も存在する[1]

生存中は彼の著作は広くは知られてはいなかったが、明治以後は注目を受け、その多くが出版された。

[編集] 主要著書

  • 『天柱記』
  • 『種樹園法』
  • 『物価余論簽書』
  • 『経済要録』
  • 『経済要録』
  • 『内洋経緯記』
  • 『天地鎔造化育論』
  • 『致富小記』
  • 『経済提要』
  • 『薩藩経緯記』
  • 『農政教戒六箇条』
  • 『養蚕要記』
  • 『農政本論』
  • 『混同秘策』
  • 『垂統秘録』
  • 『草木六部耕種法』
  • 『復古法概言』(1845年)

[編集] 電子書籍

  • 1876 『種樹園法』全3巻
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[1][2] [3]
  • 1876 『物価余論簽書』全2巻
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[4][5]
  • 1880 『内洋経緯記』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[13]
  • 1881 『天地鎔造化育論』全3巻
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[14][15][16]
  • 1881 『致富小記』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[17]
  • 1882 『経済提要』全2巻
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[18][19]
  • 1883 『薩藩経緯記』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[20]
  • 1885 『農政教戒六箇条』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[21]
  • 1888 『養蚕要記』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[22]
  • 1888 『混同秘策』
    • 国会図書館近代デジタルライブラリー[23]

[編集] 関連項目

思想家一覧

[編集] 脚注

  1. ^ 硫黄島と小笠原をめぐる日米関係 ロバート・D・エルドリッヂ 図書出版 南方新社 31ページ

[編集] 参考文献

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