日光杉並木
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日光杉並木(にっこうすぎなみき)とは、日光東照宮への参道である日光街道(別名 日光御成街道)(宇都宮・水戸・江戸方面)、日光例幣使街道(中山道・京都・大阪方面)、会津西街道(会津・奥州方面)の3街道の両側に合計37キロメートルにわたってつづく、約13,000本のスギによる並木。
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[編集] 概要
徳川家康の家臣松平正綱が20年をかけて植林したと言われており、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている。
日光杉並木街道附並木寄進碑(にっこうすぎなみき・つけたり・なみききしんひ)として、日本で唯一、国の特別史跡および特別天然記念物の二重指定を受けている。
近年は排気ガスや周辺の開発により傷みが激しく、台風や大雨の時を中心に毎年約100本が倒れており、存続に向け早急な対策が進められている。その対策の一つが、杉並木オーナー制度である。これは、杉の保護事業を行っていくためには多額の費用が必要になるため、保護に賛同した人に、杉を一本一千万円で購入してもらい、その運用益で、日光杉並木保護財団が保護事業を行うというものである。
[編集] 杉並木と鈴木丙馬
杉研究の第一人者であり「杉博士」と呼ばれた鈴木丙馬宇都宮大学名誉教授は、杉並木の保存対策の緊急性を訴え続け、生涯を杉並木の保護に捧げたことで知られる。
宇都宮高等農林学校(現:宇都宮大学)を卒業後、同校助教授として造林学や測林学を担当していた鈴木は、日本で最大規模の杉の人口植栽林という観点から、その造林試験の成果を見極めるため、1937年7月から杉並木の実態調査を行った。
当時、植栽者や目的など、杉並木の歴史に関する研究は行われていたが、造林学的には手付かずの状態であった。このため調査は杉にアルミ板で通し番号を打ち付ける、言わば「杉並木の戸籍作り」を行い、総本数17128本を確認した。また、三街道の左右別に杉の太さ、高さ、体積を3年がかりで調査し、東照宮から見て左側の日陰にある列の杉のほうが、日なたにある右側より大きく成長していることを発見した。これを疑問に思った鈴木は、林業指導者として中国で働いた後、帰郷した1947年から10年をかけ第2回調査を行った。並木幅や土壌、地下水位、根張りの状態を調べ、杉は乾いた土地よりも、日陰のような湿った土地を好むことを突き止めた。杉の成長量と立地条件との関係などに検討を加えた測樹学的な手法を用い、杉並木の実態を正確に捉えるとともに、老杉が極めて悪い状態に放置されている点も明らかにした。並木に隣接した宅地造成などによって根が切断されているのを目の当たりにした鈴木は、根の保護を主眼とした杉並木街道の保存対策を訴え続けた。
当時は杉並木を含め自然保護思想が薄く、一般的にはただの人工林に過ぎないと見られていた中で、第2回調査が後半に入った1954年には保存対策(試案)発表。バイパス新設による杉並木街道の歩道化や並木敷きの拡幅などを強く主張した。鈴木はその後、急増する自動車の公害と宅地造成の進展に伴う根の被害状況を調査し、1974年に「緊急保存対策」として改めて提案した。保存対策はその都度、国や栃木県、東照宮に提出されたが、具体的な対応は思うように進まなかった。ようやく県が対策に乗り出し、「日光杉並木街道保存管理計画」を策定したのは1977年、鈴木が試案を示してから実に23年後のことであった。この間の鈴木の苛立ちは相当なもので、県の担当者と顔を合わせる度に「車の震動でも毛細根を傷め、杉の寿命を縮めてしまう。車優先の道路行政はダメだ」などと不満をぶつけたという。
現在、栃木県は鈴木の遺志を継ぎ、前述の「日光杉並木オーナー制度」の導入や、杉並木保護用地の公有化、バイパスの建設、樹勢回復事業などの杉並木街道保護対策が行っている。
[編集] 歴史
- 松平正綱、植樹に着手。
- 大鳥圭介(旧幕府)軍が野口十文字に陣をはり新政府軍の砲撃にあう。
- 今市地震で十石坂より鹿沼寄りの並木が地すべりを起こす。
- 1952年(昭和27年)
- 国の特別史跡に指定。
- 1954年(昭和29年)
- 国の特別天然記念物に指定。
[編集] 維持管理
日光杉並木保護財団および栃木県文化財課により樹勢回復事業が行われている。
平成8年秋より事業費を捻出するため「日光杉並木オーナー制度」が開始された。
[編集] 当該国道
- 日光街道/国道119号
- 例幣使街道/国道121号
- 日光街道より枝分かれし日光市今市(追分地蔵尊前)から同市と鹿沼市の境界付近まで
- 会津西街道/国道121号
- 日光市豊田付近から同市大桑付近まで
[編集] 名所・見所
日光街道部分(日光から宇都宮方面へ)
- 並木太郎
- 日光市七里(しちり)。杉並木で一番大きいと言われている。日光東中学校の校歌にも出てくる。
- 銀杏杉
- 日光市七里。根元が銀杏の葉のような形をしている。
- 砲弾打込杉
- 日光市瀬川。戊辰戦争の際に大鳥圭介軍がこの付近に陣を張ったため、新政府軍の砲撃を受けた際の砲弾が当たってしまった杉。
- 七本杉伐跡
- 日光市瀬川。七本の杉が密着したため根が一つに見えるようになっていた。現在は切り株が残るのみである。
- 桜杉
- 日光市森友。杉の割れ目に山桜が芽吹いたため、合体してしまった。並木の中でもとても珍しい杉で、春になるとすばらしく見事な花を咲かせる。
- 並木ホテル
- 日光市森友。根元にある洞が大きく、人が四人泊まれるほどになっている杉。
- 杉並木寄進碑
- 日光市山口。
例幣使街道部分(今市(いまいち)から鹿沼方面へ)
- 追分地蔵
- 日光市匠町の含満ヶ淵(がんまんがふち)にあった地蔵が大谷川の洪水で流れたものと伝えられており、日光街道と例幣使街道の分岐点に安置された。
- 室瀬一里塚
- 日光市室瀬。
- 十石坂
- 日光市室瀬。東照宮に使う石材を運搬した人夫がこの坂を越えるのに飯を十石も食べたといわれている。
- 地震坂
- 日光市明神。1949年12月26日の今市地震で街道ごと杉並木が地すべりを起こした坂。別名地すべり坂。
- 杉並木寄進碑
- 日光市小倉。
会津西街道部分(今市から会津方面へ)
- 二重並木
- 日光市倉ヶ崎。
- 杉並木寄進碑
- 日光市大桑。
沿線以外
- 杉並木寄進碑
- 日光市山内。

