日光二荒山神社

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日光二荒山神社
Nikko-hutarasan-jinja01.jpg
所在地 栃木県日光市山内2307
位置 北緯36度45分30.4秒
東経139度35分46.9秒
座標: 北緯36度45分30.4秒 東経139度35分46.9秒
主祭神 二荒山大神(大己貴命・田心姫命・味耜高彦根命)
社格 式内社(名神大)・下野国一宮・国幣中社・別表神社
創建 神護景雲元年(767年)
本殿の様式 権現造
例祭 4月17日
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日光二荒山神社中宮祠
Nikko Futarasan Chugushi Shrine.jpg
所在地 栃木県日光市中宮祠2484
位置 北緯36度44分30.2秒
東経139度29分12.5秒
座標: 北緯36度44分30.2秒 東経139度29分12.5秒
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日光二荒山神社(にっこうふたらさんじんじゃ)は栃木県日光市にある神社。式内社(名神大社)、下野国一宮社格は国幣中社。正式名称は二荒山神社であるが、宇都宮市二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ)との区別のために鎮座地を冠して日光二荒山神社と呼ばれる。

目次

[編集] 祭神

日光の3つの山の神大己貴命田心姫命味耜高彦根命)を総称して二荒山大神と称し、主祭神としている。

3つの山とは、男体山(二荒山)、女峯山太郎山の三山である。この山々は神体山、いわゆる神奈備であり、神が鎮まる霊峰として古くから信仰されてきた。この日光の神々は「日光三山」「日光三所大権現」などと呼ばれ、山の名前からもわかる通り、これらの神々は親子と考えられてきた。

二荒山大神に現在の神が当てられたのは12世紀頃だと言われる。さらには本地垂迹説により、それぞれの神に仏が当てられ、現在でも輪王寺地図)ではこれらの仏を祀っている。

神奈備 垂迹神 本地仏 高さ 位置
男体山 大己貴命 千手観音 2,486 m 地図
女峯山 田心姫命 阿弥陀如来 2,464 m 地図
太郎山 味耜高彦根命 馬頭観音 2,368 m 地図

[編集] 歴史

下野国の僧勝道上人(735年 - 817年)が北部山岳地に修行場を求め、大谷川北岸に766年(天平神護2年)に現在の四本龍寺の前身の紫雲立寺を建て、それに続いて767年(神護景雲元年)、二荒山(男体山)の神を祭る祠を建てたのが当社の始まりと伝える。この祠は現在の別宮となっている本宮神社である。登頂を志して多くの失敗を重ねたあと、782年(延暦元年)には二荒山の到頂に成功し、そこに奥宮を建て、二荒修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場として栄えることとなった。社伝などでは勝道が開祖と説明されるが、実際には太郎山神社周辺で古代の祭祀の痕跡を示す遺跡が見つかっており、相当古くから聖地として信仰の対象になってきたことが分かる。しかし、なぜ祭神が出雲神である一方、下野国の開祖で下毛野氏の祖とされる豊城入彦命でないのか、不自然だとする見解がある。出雲神は尾張国三河国の民が祀る神であり、徳川家康の威光をもって出雲神を祭神としたということであれば明快であるが、なぜ、下毛野氏の氏寺の修行僧であった開祖・勝道が下毛野氏ゆかりの神々を祀らなかったかについては謎とされる。

二荒山(ふたらさん)の名は、諸説あるが観音菩薩が住むとされる補陀洛山(ふだらくさん)が訛ったものといわれ、後に弘法大師空海がこの地を訪れた際に「二荒」を「にこう」と読み、「日光」の字を当てこの地の名前にしたといわれる。空海はその訪れた際に女峯山の神を祀る滝尾神社を建てたという。また、円仁も日光を訪れたとされ、その際に現在輪王寺の本堂となっている三仏堂を建てたといい、この時に日光は天台宗となったという。その後、二荒山の神を本宮神社から少し離れた地に移して社殿を建て、本宮神社には新たに御子神である太郎山の神を祀った。「日光三所」はこのとき新たに建てた現在の本社と本宮神社、そして滝尾神社を指す。

なお、『延喜式神名帳』に名神大社とある「下野国河内郡 二荒山神社」とは旧河内郡池辺郷(現在の宇都宮市)に鎮座する宇都宮二荒山神社である。明治新政府が著わした古事類苑によると、下野国各郡各郷の地名に関する説明において、河内郡池辺郷の地名は『今は宇都宮であるが、宇都宮とは鏡ヶ池畔に建つ二荒神社のことであり、もともとは鏡ヶ池付近の地名である池辺郷で、今も池上町の名前に池辺郷の名残がある』旨が記されており、現在の日光二荒山神社については記載が無い。日光二荒山神社をこの名神大社とする説もあるが、旧日光市は旧都賀郡である。

戦国時代には、後北条氏に加担したため、豊臣秀吉に領地を没収され、衰退した。江戸時代初め、徳川家康の側近で日光山貫主となっていた天台宗の僧天海(慈眼大師)の影響により、徳川家康を祀る東照社江戸幕府によって日光山に創建され、朝廷より宮号を賜わると日光山は日光東照宮と呼ばれるようになり、江戸幕府のみならず朝廷や諸大名、さらに民衆からも厚い崇敬を受けた。1873年(明治6年)に宇都宮の二荒山神社に加えて国幣中社に追加列格し、第二次世界大戦後は、神社本庁別表神社となった。

江戸時代までは、神領約70郷という広大な社地を有していた。今日でも日光三山を含む日光連山8峰(男体山・女峰山・太郎山・奥白根山・前白根山・大真名子山・小真名子山・赤薙山)や華厳滝いろは坂などを境内に含み、その広さは3,400ヘクタールという、伊勢神宮に次ぐ面積となっている。

[編集] 祭事

[編集] 施設

[編集] 境内外社

別宮 本宮神社 本殿
本宮神社 本殿裏面に扉があるのが特徴。
  • 朋友(みとも)神社(少名彦名命
  • 大国殿(招き大国様)
  • 日枝神社(大山咋命
  • 中宮祠
    • 稲荷社
  • 小真名子山神社
  • 大真名子山神社
  • 北野神社
  • 奥宮 - 男体山山頂に鎮座
  • 太郎山神社(味耜高彦根命)

[編集] 別宮

[編集] 付属施設

  • 宝物館
  • 神苑

[編集] 文化財

[編集] 史跡(日本国指定)

  • 「日光山内」

[編集] 建造物

大谷川に架かる神橋
男体山の登山口にある中宮祠鳥居。鳥居の先にある朱塗りの登拝門を潜った先は、登山道となっている。
  • 重要文化財「本殿」
  • 重要文化財「唐門」
  • 重要文化財「掖門及び透塀」2棟
  • 重要文化財「拝殿」
  • 重要文化財「鳥居」
  • 重要文化財「神輿舎」
  • 重要文化財「大国殿」
  • 重要文化財「末社朋友神社本殿」
  • 重要文化財「末社日枝神社本殿」
  • 重要文化財「神橋
  • 重要文化財「別宮滝尾神社本殿」
  • 重要文化財「別宮滝尾神社唐門」(附 石玉垣)
  • 重要文化財「別宮滝尾神社拝殿」
  • 重要文化財「別宮滝尾神社楼門」
  • 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(社殿正面)
  • 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(神木三本杉前)
  • 重要文化財「別宮滝尾神社鳥居」(霊石子種石前)
  • (以下は別宮滝尾神社の附指定)
    • 「参道」(楼門より三本杉に至る)
    • 「石橋及び石柵」
    • 「石燈籠」5基
  • 重要文化財「別宮本宮神社本殿」
  • 重要文化財「別宮本宮神社唐門及び透塀」2棟
  • 重要文化財「別宮本宮神社拝殿」
  • 重要文化財「別宮本宮神社鳥居」
  • 重要文化財「中宮祠本殿」
  • 重要文化財「中宮祠拝殿」
  • 重要文化財「中宮祠中門」
  • 重要文化財「中宮祠掖門及び透塀」2棟
  • 重要文化財「中宮祠鳥居」
  • 重要文化財「中宮祠鳥居」
  • (以下は中宮祠の附指定)
    • 「銅燈籠」2基

[編集] 美術工芸品

銅燈籠(俗称、化灯籠)。火を灯すと怪しげな姿に化けたといわれ、武士が刀で斬りつけた傷が無数に残されている[1]
  • 国宝「小太刀 銘来国俊 黒漆蛭巻太刀拵」
  • 国宝「大太刀 銘備州長船倫光 貞治五年二月日」
  • 重要文化財「金銅装神輿 3基、金銅装唐鞍 3具」
  • 重要文化財「金銅蛭巻兵庫鎖太刀拵」
  • 重要文化財「金銅沃懸地太刀 中身無銘」
  • 重要文化財「三鈷柄剣」
  • 重要文化財「山金造黒漆蛭巻大太刀 中身無銘(号柏太刀)」
  • 重要文化財「山金造波文蛭巻大太刀 中身無銘(号祢々切丸太刀)」
  • 重要文化財「太刀 銘遠近 附黒漆太刀鞘」
  • 重要文化財「太刀 銘吉平」
  • 重要文化財「太刀 銘備州住兼重作」
  • 重要文化財「太刀 銘備州長船康光応永廿二二年二月日」
  • 重要文化財「太刀 銘豊後国行平作 附黒漆太刀拵」
  • 重要文化財「太刀 銘来国光」
  • 重要文化財「大太刀 無銘(号瀬登太刀)」
  • 重要文化財「銅燈籠
  • 重要文化財「後撰和歌集」
  • 重要文化財「下野国男体山頂出土品」一括

[編集] 年表

〈〉内は関連事項

  • 766年(天平神護2年):勝道、紫雲立寺(四本龍寺)を建てる。
  • 767年(神護景雲元年):勝道、二荒神の祠(本宮神社)を建てる。
  • 782年(延暦元年):勝道、奥宮を建立。
  • 784年(延暦3年):勝道、中宮祠とその神宮寺の中禅寺を建立。
  • 808年(大同3年):橘利遠、本宮神社の社殿造営。
  • 810年(弘仁元年):朝廷より「満願寺」の号を賜る
  • 820年(弘仁11年):空海、日光を訪れ、滝尾神社、若子神社を建立。
  • 836年(承和3年):二荒神、正五位下の神階を賜る(869年(貞観11年)には正二位となっている)。
  • 848年(嘉祥元年):円仁、日光を訪れ、本堂、薬師堂を建立。
  • 927年(延長5年)12月26日:〈延喜式完成〉
  • 967年(康保4年)7月9日:〈延喜式施行〉
  • 1141年(永治元年):藤原敦光、「中禅寺私記」を書く。
  • 1315年(正和4年):仁澄、中禅寺の大造営を行なう。
  • 1616年(元和2年):〈徳川家康、薨去〉
  • 1617年(元和3年):天海、日光東照社を建立し、元和の造営を行なう。
  • 1636年(寛永13年):天海、寛永の大造替を行なう。
  • 1645年(正保2年):朝廷より、宮号勅許を賜り、日光東照宮と改める。
  • 1649年(慶安2年):日光連山の一つの白根山が噴火し、社殿焼失。
  • 1651年(慶安4年):〈徳川家光、死去〉
  • 1653年(承応2年):大猷院廟、建立。
  • 1868年慶応4年3月):〈神仏分離令
  • 1868年(慶応4年):戊辰戦争。旧幕府軍が立てこもるが、新政府軍の板垣退助の説得により戦場を移す。
  • 1868年(明治元年):神体動座。
  • 1871年 (明治4年5月14日):〈社格制度制定〉
  • 1872年(明治5年):山内の女人牛馬禁制解禁。
  • 1872年(明治5年):日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社に分かれる。
  • 1873年(明治6年):国幣中社に列格。
  • 1945年(昭和20年)12月15日:〈神道指令
  • 1998年(平成10年):「日光山内」が国の史跡に指定される[2]
  • 1999年(平成11年):「日光の社寺」が世界遺産文化遺産)に登録される。

[編集] 交通

[編集] 脚註

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  1. ^ 銅灯籠-どうとうろう-」『日光パーフェクトガイド』 日光観光協会編、下野新聞社、1998年3月30日、初版、98頁。ISBN 4-88286-085-6。2008年9月10日閲覧。
  2. ^ 国指定文化財等データベース

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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