宇都宮二荒山神社

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宇都宮二荒山神社

拝殿
所在地 栃木県宇都宮市馬場通り1-1-1
位置 北緯36度33分45秒
東経139度53分9秒
主祭神 豊城入彦命
社格 式内社(名神大)・下野国一宮・国幣中社・別表神社
創建 仁徳天皇の御代
本殿の様式 神明造
例祭 10月21日
  

宇都宮二荒山神社(うつのみやふたあらやまじんじゃ)は、栃木県宇都宮市の中心部(旧下野国河内郡池辺郷)にある神社。宇都宮市民からは「二荒さん」の愛称で親しまれている。

目次

[編集] 概要

古くは宇都宮大明神と呼ばれ尊ばれた。正式名称は二荒山神社であるが、日光二荒山神社(ふたらさんじんじゃ)との区別のために鎮座地名を冠して呼ばれる。両社は祭神が異なり名称の由来も異とされるため、全く別の神社と謂われるが、日光社は下毛野氏の氏寺であり東大寺大和国)や観世音寺筑紫国)と並ぶ戒壇であった下野薬師寺の修行僧であった勝道上人を開祖とする傍ら、当社は宇都宮氏が座主となるまで、座主は下毛野氏の姻戚者であったと謂われており、両社とも古代関東地方の文化の中心地であった下野国の豪族であり国造である下毛野氏にゆかりの深い神社である。

崇神天皇の第一皇子で毛野国の開祖である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を主祭神とし、崇神天皇が都とした磯城瑞籬宮(現在の奈良県桜井市金屋)の北に鎮座する三輪山大神神社)の御神体である大物主命とその子事代主命を相殿に祀る。主祭神については時代によって彦狭嶋王、御諸別王(彦狭嶋王の子)、事代主命、健御名方命、日光三所神など諸説ある。

宇都宮は当社の門前町として発展してきた。宇都宮という地名は当社に由来するものだが、一宮(いちのみや)の訛りという説、遷座したことから「移しの宮」の転という説、「二荒山の神の現宮(うつつのみや)」という説など諸説ある。うち現宮説とは、御諸別宮と奈良別宮の二人の「うつつのみや」から「うつのみや」が、またこの二人の「あらぶる神」から「ふたあら」が起こったとする説である。このほか、江戸時代森幸安の「下野州河内郡宇都宮地図」には「宇」とは「宇宙」つまり「太廣」の意味でまた「」と同じく「東」の意味、「都」は「京」と同訓、「宮」は「宮殿」の意味で、すなわち(当時こそ関東の中心は江戸であったが)古くより「宇都宮は関東の都」とある。

当社の社家である宇都宮氏は、摂関家藤原北家道兼流藤原宗円が、この地の豪族で当時の当社の座主であった下毛野氏ないし中原氏と姻戚関係となり土着したのが始まりであり、当時の毛野川(当時の鬼怒川)流域一帯を支配し、平安時代末期から約500年間に亘り関東地方の治安維持に寄与した名家である。庶流に常陸国守護小田氏武茂氏がおり、また毛野川東岸および小貝川流域一帯を支配した両党とも姻戚関係にあった。

神紋は三つ巴(菊に三つ巴)。

[編集] 歴史

社伝によれば、文徳天皇の時代、毛野国が下野国・上野国に分けられた際に、下野国国造に任じられた奈良別王(ならわけのきみ)が、曽祖父である豊城入彦命をこの地域の氏神として祀ったのに始まると伝える。その時既に豊城入彦命によって大物主命が祀られていたとも伝えられている。

延喜式神名帳に「下野国河内郡 二荒山神社」として記載され名神大社に列し、神階正一位まで進み、下野国一宮ともなったとされるが、これらは日光の二荒山神社のことであるとする説もある。現在は両社ともが式内名神大社・下野国一宮を称している。当社は宇都宮戦争戊辰戦争)の際に新政府軍の砲弾攻撃により破壊され焼失したが、その後、明治政府によって再建され、明治16年に国幣中社に昇格した。

当初の鎮座地は現在地から大通りを隔てた南側にある「二荒山神社摂社下之宮」付近(荒尾崎)であったが、承和5年(838年)に現在地の臼ヶ峰(明神山)に遷座した。その遷座の儀式を伝えているのが「渡り夜」の神事で、12月15日(冬渡祭)と1月15日(春渡祭)の2日に分けて渡ったと考えられ、どちらも「おたりや」と呼ばれている。現在の下之宮は、地区の再開発(相生ビル「宇都宮パルコ」建設)のため1995年に移転・創建されたもので、前の広場はイベントスペースなどに利用され市民の憩いの場となっている。また、神社の南方に位置した宇都宮城が、東または南に設けるのが通例の“正門”を北側(神社のある方向)に設けていたことからも同神社の存在の大きさが窺える。社殿は度々の戦火で焼かれたが、その都度再建された。現在の建物は宇都宮戦争で新政府軍の砲弾等によって破壊・焼失した後、明治年間に再建されたものである。正面の石垣は江戸末期のもので弘化3年丙午正月吉日とある。

豊城入彦命は武徳にも優れ、藤原秀郷源頼義源義家源頼朝徳川家康など著名な武将らも戦勝祈願し、種々の寄進や社殿の改築をしたと伝えられている。平将門の乱にあっては、藤原秀郷がこの神社で授かった霊剣をもって将門を討った言われる。また平家物語によると、屋島の合戦にあって那須与一平家船上の扇の的を射る際に「日光権現、宇都宮、那須の温泉大明神」と祈ったという。

2007年現在、神社前の再開発では24階建てマンションが建設予定となっており、景観を損なうとして論争の的となっている。

[編集] 祭事・神事

  • 月次祭(毎月1日と19日)
  • 末社初辰稲荷神社月次祭(毎月初午日)
  • 歳旦祭・初詣祈祷祭(1月1日
  • 末社市神社初市祭(1月11日)上河原にて開催される
  • 春渡祭神輿御渡、末社松尾神社例祭(1月15日
  • 永代太々御神楽(1月28日
  • 末社市神社花市祭(2月1日)境内石段下にて開催される
  • 厄難消除祈祷講祭(2月3日
  • 紀元祭(2月11日
  • 祈年祭(2月17日
  • 末社初辰稲荷神社祭初午祭(陰暦2月初午日)
  • 末社十社例祭(3月15日
  • 花合祭(4月11日
  • 東國御治定記念祭(4月19日
  • 田舞祭(5月15日
  • 太々神楽祈祷護祭(5月28日
  • 末社須賀神社例祭、末社荒神社、末社剣宮例祭、末社市神社例祭(6月15日
  • 大祓式茅の輪くぐり(6月30日
  • 末社須賀神社夏祭天王祭(7月15日から7月20日)このうち日曜日に神輿御渡
  • 末社菅原神社例祭(8月4日
  • 末社十二社例祭(9月15日
  • 太々御神楽祈祷護祭(9月28日
  • 神嘗祭当日祭(10月17日
  • 例祭秋山祭(10月21日
  • 末社女体宮例祭(10月22日
  • 例祭附祭菊水祭:鳳輦渡御・流鏑馬神事(10月最終土曜、日曜)
  • 明治祭(11月3日
  • 七五三詣祈祷祭(11月15日
  • 新嘗祭(11月23日
  • 冬渡祭(12月15日
  • 大祓式除夜祭(12月31日

[編集] 施設

正面鳥居から続く参道から石段を途中まで登った中段両脇に境内社末社が鎮座する。階段最上段の門を潜った正面には本殿およびその奥に拝殿があり、本殿左奥に初辰稲荷神社が、また右奥には須賀神社が祀られている。さらに本殿西脇には女体宮が祀られている。境内東側には神楽殿があり、祭事の神楽はこの舞台で行われる。境内西側には二荒会館がある。

[編集] 摂社

  • 境外摂社 下之宮 -- 当社の旧鎮座地である荒尾崎にあり、本社と同じ神を祀る。

[編集] 末社

[編集] その他施設

  • 二荒山会館
  • 明神の井
    • 宇都宮は各所に湧水があり、明神の井の湧き水は江戸時代には宇都宮名水「七水」のひとつとして数えられた。明治天皇の御行幸の折にはこの水を茶の湯としたと伝えられる。

[編集] 文化財

  • 鉄製狛犬
  • 三十八間星兜

以上2件は国の重要美術品に認定されている。

[編集] 交通

[編集] 外部リンク