二荒山神社

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二荒山神社(ふたあらやまじんじゃ、ふたらさん-)または二荒神社(ふたあらじんじゃ、ふたら-、にっこう-)は、「二荒」を社名とする神社

概要[編集]

かつての下野国(現在の栃木県)のである二荒神に関係する神社である。

二荒山神社・二荒神社は、二荒神を祀って建立された神社、または二荒山神社を勧請して建立された神社である。延喜式によると、下野国河内郡には名神大社二荒山神社が鎮座していた。また六国史によると836年承和3年)に当時従五位上であった二荒神が正五位下を奉授(『続日本後紀』)しており、その後進階を重ね 869年(貞観11年)には正二位に達している(『日本三代実録』)。

名神大社「二荒山神社」[編集]

延喜式神名帳』には、名神大社として「下野国河内郡 二荒山神社」と記載があり、以下の2社が論社とされている。

両社とも祭神が異なり名称の由来も異とされるため、全く別の神社とされる。しかしながら、日光社は下毛野氏の氏寺である下野薬師寺の修行僧・勝道上人を開祖とする一方、宇都宮社は宇都宮氏が座主となるまで座主は下毛野氏の姻戚者であったといわれており、両社とも下毛野氏にゆかりの深い神社である。

鎮座地に関して、明治政府が著わした『古事類苑』では、日光社のある日光市は旧下野国都賀郡であり、河内郡鎮座の名神大社は河内郡池辺郷の二荒山神社(宇都宮明神)であるとしている[1]

社名に関しては、日光社は「二荒山」が男体山の古名であるとし、二荒の読みから「日光」の二文字が当てられるようになったとされている。しかしながら、平野に建つ宇都宮社には「二荒山」の観念が結びつかない[2]

この論争を巡っては、明治4年に「二荒山神社 下野国」として国幣中社に列していた宇都宮社が、日光社が式内社とみなされたことで明治6年に県社に降格したという経緯がある。その後、明治16年(1883年)に宇都宮社も式内社論社として位置付けられ、あらためて国幣中社の社格に復帰した。

現在は両社とも式内名神大社・下野国一宮を称している。

神階[編集]

六国史における二荒神の記述。

一覧[編集]

総本社
栃木県
福島県
茨城県
群馬県
新潟県
香川県

脚注[編集]

  1. ^ 下野国各郡各郷の地名に関する説明において、河内郡池辺郷の地名は「今は宇都宮であるが、宇都宮とは鏡ヶ池畔に建つ二荒神社のことであり、もともとは鏡ヶ池付近の地名である池辺郷で、今も池上町の名前に池辺郷の名残がある」旨が記されており、現在の日光二荒山神社については記載が無い。
  2. ^ 『日本の神々』。

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 栃木県の地名』(平凡社)宇都宮市 二荒山神社項、日光市 日光二荒山神社項・二荒山神社中宮祠項
  • 前沢輝政「二荒山神社」(谷川健一 編『日本の神々 -神社と聖地- 11 関東』(白水社))

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • 二荒山神社(國學院大學21世紀COEプログラム「神道・神社史料集成」)