鬼怒川

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鬼怒川
鬼怒川 2009年4月26日撮影
常総市・つくばみらい市境
水系 一級水系 利根川
種別 一級河川
延長 176.7 km
水源の標高 -- m
平均流量 -- /s
流域面積 1,760 km²
水源 鬼怒沼(栃木県日光市
河口(合流先) 利根川(茨城県守谷市
流域 栃木県茨城県

鬼怒川(きぬがわ)は、関東平野からへと流れ利根川に合流する一級河川である。全長176.7kmは利根川の支流の中で最も長い。古くから洪水をおこす「あばれ川」として知られている。

目次

[編集] 地理

日光国立公園内にある栃木県日光市鬼怒沼奥鬼怒)に源を発し、大谷川など多数の川を合わせ、宇都宮市の東部、茨城県筑西市下妻市つくばみらい市の西端を流れ、守谷市千葉県野田市柏市の境で利根川へ合流する。

鬼怒川は、同じく栃木県から茨城県に流れる那珂川と同様に多数のやなが設置され、多くの観光客で賑わい、流域には多くの親水公園運動公園も整備されている。

近世になって鬼怒川の文字が当てられるようになったが、それまでは毛野国栃木・群馬の旧国名)を流れる「毛野川」であった。字義は「鬼が怒ったように流れる暴れ川」といわれる。

[編集] 歴史

鬼怒川。奥に羽黒山男体山を望む
羽黒山(写真中央)近くを流れる鬼怒川

江戸期の古地図には「衣川」と見え、これで「きぬがわ」と読んでいた。名称に関しては暴れ川である「鬼が怒る川」から「鬼怒川」となったという説がある一方、好天時の穏やかで絹・衣の様な流れを表す「絹川」あるいは「衣川」と書いたとの説や、ほかにも紀伊国の国造家を起源とすると云われる豊城入彦命やこの地方の豪族紀清両党紀氏に因む「紀の川」の転訛説などがある。

現在の渡良瀬川鬼怒川は利根川に合流して銚子太平洋に注ぐが、現在の利根川下流部は江戸時代初期までは毛野川(あるいは衣川)と呼ばれる利根川とは別の川であり、古来利根川・渡良瀬川はそれぞれ個別に南へ流れ江戸湾(現在の東京湾)に注ぐ川であった。江戸の街を利根川等の水害から守り、関東平野における新田開発の推進や、江戸北関東以北を舟運で結び流通を促進させるため、江戸時代初期に徳川家康の号令で利根川を渡良瀬川水系や・鬼怒川水系とつなぐ瀬替え利根川東遷(とうせん=東に移す)事業)が始まり、さまざまな工事を経て、利根川の本流は銚子の方へ流れるようになった。それまでの利根川水系や渡良瀬川水系は洪水によって流路がしばしば変化していたうえ、さらに東遷事業などに伴う水路の開削・閉鎖が複雑に行われたため、東遷以前の河川を現在の河川と比較対照させるのは難しい。

鬼怒川はかつて毛野川と呼ばれ、古代・毛野川流域には毛野国が成立していた。下毛野氏ヤマト王権の中でも一定の発言権を有していたと言われ、下毛野古麻呂は藤原不比等らとともに、大宝律令701年)の編纂や下野薬師寺の建立に関わった。下野薬師寺は東大寺(ヤマト)、観世音寺(筑紫)とともに国立三戒壇の一つに指定され、奈良法隆寺と同等の伽藍を有したと言われる。当寺の修行僧であった勝道上人は毛野川上流に日光山を開山したと言われる。鎌倉時代以降は下毛野氏の流れを汲む藤原北家道兼流宇都宮氏が鬼怒川流域一帯を治め、安土桃山時代後期以降は主に清和源氏流を称する諸氏が支配し現在に至る。

[編集] 治水

1683年天和3年)の日光大地震により鬼怒川支流の男鹿川が現在の海尻橋付近で土砂に堰き止められ自然湖五十里湖が出現したという記録が日光東照宮の輪番記録に残されている。この堰き止め湖は高さ70mで湛水面積は現在の五十里湖より大きく、40年間存在していた。この間会津藩により洪水吐き工事が行われたが失敗。その間男鹿川沿いの会津西街道は通行不能になり会津藩3代藩主松平正容によって1695年(元禄8年)に代替街道として会津中街道が整備された。会津西街道を通行止めにしていた自然湖である五十里湖はその後1723年享保8年)の大雨で決壊し、死者1万2千人を出す土石流となり、宇都宮、真岡近辺まで被害が及んだ。

東北本線開通当初の路線は現在の東北新幹線のルートに近い宇都宮駅より真北に進路をとる路線だったが、当時未治水であった鬼怒川の度重なる氾濫による橋梁被害、運休が続いたことにより、1897年明治30年)現在のように宇都宮を出て直ぐに東に大きく迂回する路線変更を余儀なくされた。

[編集] 産業

北関東自動車道と交差し日産自動車栃木工場近くを流れる鬼怒川。2008年3月29日撮影
玉台橋。常総ニュータウンきぬの里地区と絹の台地区を結ぶ。2009年4月26日撮影

鬼怒川の支流のひとつ大谷川の上流にある日光市清滝地区では、足尾銅山鉱石と周辺の豊富な水力発電電力を利用した古河電工日光電気精銅所が1906年(明治39年)に開設され、旺盛な送電など電線需要に対応した。 続いて1913年(大正2年)1月には当時日本最大級の最大3万1,200キロワットの電力を発生する鬼怒川水力電気下滝発電所(現・東京電力鬼怒川発電所)が現在の鬼怒川温泉の辺りで運転を開始し、東京市電気局に電力を供給した。この時建設に利用された軌道が後の下野軌道となり、現在の東武鬼怒川線に受け継がれている。

[編集] 支流

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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