熊本市

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熊本市
くまもとし
日章旗 日本
地方 九州地方
都道府県 熊本県 
団体コード 43201-6
面積 267.23km²
総人口 668,021
推計人口、2008年4月1日)
人口密度 2,500人/km²
隣接自治体 宇土市合志市富合町嘉島町益城町
菊陽町植木町
玉名市玉東町
市の木 イチョウ
(1974年10月9日制定)
市の花 肥後ツバキ
(1974年10月9日制定)
市の鳥 シジュウカラ
(1984年5月22日制定)
熊本市役所
所在地 〒860-8601 熊本県
熊本市手取本町1番1号
電話番号 096-328-2111
外部リンク 熊本市

熊本市位置図(熊本県)

:市 / :町・村
Template (ノート 解説) 日本の市町村pj
熊本城大天守・小天守
熊本城大天守・小天守
熊本城天守閣より東方を望む
熊本城天守閣より東方を望む
熊本市役所
熊本市役所

熊本市(くまもとし)は熊本県で、同県の県庁所在地中核市である。旧飽託郡上益城郡

目次

[編集] 概要

人口は約67万人(九州全体としては福岡市北九州市に次いで3番目)、面積は266km²で、中九州地区、もしくは広義の南九州地区最大の都市である。日本三名城の一つである熊本城を有し、熊本藩細川氏54万石の城下町として発展した。九州の地理的中心に近い位置にあることから、戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、九州を代表する軍都・行政都市として栄えた。戦後中心的機能の多くは福岡市に移ったが、現在でも財務局国税局など九州内を広域管轄する一部の国の出先機関や陸上自衛隊西部方面総監部などが置かれている。相次ぐ周辺町村との合併で市域を拡大し、1977年には人口が50万人を突破。1991年には北部町・河内町・飽田町・天明町と合併し、現在の市域となり、人口は60万人を超えた。1996年には、改正地方自治法に基づく最初の中核市の一つとなる。

緑に恵まれており、「森の都」[1][2]と呼ばれる。また、豊富な地下水や中心部を流れる3本の川、白川坪井川井芹川から「水と森の都」とも呼ばれ、都市計画にも自然と共存した街づくりが盛り込まれており、日本有数の田園都市として発展を続けている。

2010年度末に九州新幹線熊本駅)の開業が予定されている。

[編集] 地理

[編集] 位置・地形

福岡市から南へ約110km、鹿児島市から北へ約180km、熊本県の中央部よりやや北側に位置している。

旧城下町を中心に市街地が発展してきた。熊本城の東側には上通下通サンロード新市街と呼ばれる中核市最大規模のアーケード街が1km以上にわたって連なり、その周囲に中心市街地が形成されている。他の九州各県は駅周辺にアーケード街があるのに対し、熊本駅の周りにはない。従って、徒歩、もしくは市電等を利用して中心街へ出る必要がある。市役所、日本郵政株式会社九州支社、日本最大規模のバスターミナルである熊本交通センター(1日6,012本)、2つの百貨店などがある。

阿蘇外輪山へと続く市の北東部や東部は、一部に立田山や託麻三山、白川沿いの河岸段丘など起伏のある地形もあるが、全体としては阿蘇の火山灰土からなるなだらかで農地や住宅地に適した丘陵地となっているため、国道57号沿線の健軍地区 - 帯山・長嶺地区 - 武蔵ヶ丘地区を軸に住宅地が広がっている。熊本市の人口は中央部とともに東部に集まっている。

市の南東部 - 南部は熊本平野の一角をなし、平坦な風景が広がる。江津湖の南側から加勢川沿いの田迎・御幸・川尻周辺にかけては低湿地であり、以前は大雨が降ると浸水する被害もでていたが、排水設備が整備された現在では宅地化も進んでいる。旧来からの広々とした田園風景も残っており、所々に小川やクリークなども見受けられる。飽田・天明地区は主に干拓によって拓かれた田園地帯である。

市の西側は有明海島原湾)に面し、白川や坪井川が注ぎ込む。海は遠浅で港湾とするのに適しておらず、臨海部はほとんど工業化・都市化していない。わずかに沖合に人工島を造成し熊本港が建設され、長崎県島原市天草市との航路が設定されているが、周辺土地の分譲はほとんど進んでいない。市の北西側には金峰山 (665m) ・二の岳 (685m) などがそびえ、その東麓は中心部から伸びる住宅地と森林が入り交じり、夏目漱石に「森の都」と呼ばれた風情を今も見せている。

東方にそびえる阿蘇外輪山一帯に降り注いだ雨は地下に浸透し、約20年かけて平野部に達する。この豊かな地下水によって熊本市の水道水はまかなわれ、水前寺成趣園や江津湖などにも湧出している。なお、世界の50万人以上の都市で、水道水源を100%地下水だけでまかなっているのは熊本市だけと言われており、「日本一の地下水都市」または「世界一の地下水都市」ともいわれる。しかし、近年は田畑の耕作放棄、森林の管理放棄などによる涵養地の減少や工場の取水などのため、地下水位は低下しつつある。

[編集] 気候

年平均気温は概ね16℃前後、年間降水量は概ね約1,500mm - 2,000mmの間で推移している。有明海に面しているものの内陸性の気候で、佐賀と並んで夏冬の寒暖の差が大きい。特に夏場は「肥後の夕なぎ」と呼ばれる夕方の無風状態が続き、暑さが厳しく、最高気温が鹿児島や沖縄をしのぐ日も少なくない。冬場は氷点下まで下がることもあるが、降雪日数は少ない。春は桜の開花が高知などとともに早い。

[編集] 熊本都市圏と合併・政令市問題

2000年国勢調査を基準にすると、熊本都市圏10%都市圏の人口は102万人、1.5%都市圏の人口は146万人である(→熊本都市圏参照)。

平成の大合併」初期において、周辺7町から熊本市との合併を話し合う法定協議会設置の住民発議が起きた。政令指定都市の人口要件緩和措置から、合併は政令市化の道筋となる可能性があったが、当時、熊本県では政令市化に伴う権限委譲に消極的であり、また、熊本市ではくまもと未来国体開催に伴う財政悪化問題があった。3町では合併の是非を問う住民投票において反対派が大差で勝ち、7町議会でも合併案件は相次ぎ否決されて、この時点での熊本市の政令市化はならなかった。

ところが、自治体人口、10%都市圏人口ともに下回っていた新潟市静岡市浜松市などが合併・政令市化したこと、近い将来の九州新幹線開業による都市間競争への対策、そして、将来の道州制導入において州都を目指す熊本市の立場から、10%都市圏とほぼ同じ範囲の「101万人熊本都市圏」(3市12町1村 - 設定時)を対象として、「熊本都市圏及び政令指定都市についての研究会」が関係自治体などで結成された。最近の動きを以下に記載する。

  • 下益城郡富合町では、度重なる政争や協議の結果2007年1月に法定合併協議会が設置され、2008年10月6日に熊本市と合併することで決着した。
  • 城南町でも2007年3月、合併反対を掲げていた町長が選挙で敗れ、以前熊本市との合併を進めていた前町長が4年の時を経て再当選したことから、再び熊本市など周辺自治体との合併に向けて動き出すことになった。2007年秋の住民説明会を経て、11月に住民アンケートの実施を行った結果、全投票者数の7割が合併に賛成し、さらにそのうちの半数以上が熊本市との合併を求めたため、2008年2月7日に任意合併協議会が設置された。
  • 上益城郡益城町では町長選で合併絶対反対を表明していた現職を破り、熊本市を含めた合併協議に応じると公約していた候補が当選。その後長らく合併に関する動きは見られなかったが、2007年12月に熊本市との間で合併・政令市に関する研究会を立ち上げ、さらに2008年4月、熊本市との間で任意協議会を設置することが決定した。また、以前は単独町制維持を公言していた益城町商工会が熊本市との合併政令市実現賛成に回ることを表明し、熊本市商工会と一緒に「熊本都市圏経済研究会」を設置するなど、急速に熊本市に接近しつつある。
  • 鹿本郡植木町でも2007年9月以降、一部議員・住民などから熊本市への合併を求める動きが再浮上し、町長は熊本市と共同で合併政令市勉強会を設置し、調査結果を基に2008年1月から住民説明会が行われた。この結果を受け、2008年3月に熊本市と植木町の間で「合併研究会」の設置が決まり4月に1回目の会合が開かれた。

[編集] 九州行政・民間の準中枢都市機能

以前は九州の行政の中心都市として整備された名残で、現在でも熊本市には九州全域、または南九州地区を統括する国の出先機関がいくつか存在する。民間の中にも南九州エリアの中枢機能を置いている企業もあり、福岡市に続く九州内の中枢都市としての役割も併せ持っている。

財務局、国税局、農政局などの各種出先機関のほか、戦前、郵政・放送・通信を所管した逓信省の出先機関・熊本逓信局が九州一円を管轄していたため、この系統の機関が長らく熊本市に置かれている。現在、国の合同庁舎は熊本城内にあるが、九州新幹線全線開業に合わせて熊本駅南側に移転することが決定している。

郵政省の出先機関・九州郵政局の後身である日本郵政公社九州支社に関しては、郵政公社民営化後も九州の銀行、窓口、郵便、簡保など郵政4事業の全ての業務は熊本で統括することになり、ゆうちょ銀行の九州統括店は熊本城東郵便局に、かんぽ生命の統括店は熊本中央郵便局に、郵便事業会社と郵便局会社の九州支社も従来通り、熊本市城東町の郵政公社九州支社ビルに残置された。また、全国の郵政職員の人事や経理を集中管理する300人体制の管理センターも熊本市に設置され、明治以来の郵政城下町は民営化後も継続することになった。なお、メルパルクも熊本市水道町にある。

かつての電電公社の九州統括拠点も熊本に置かれていた。民営化後も引き続きNTT九州支社が置かれたが、改正NTT法に基づくNTTグループの再編・NTT西日本の発足により九州支社そのものが廃止された。しかし、現在では中九州(熊本県・大分県)の地域統括会社・「NTT西日本-中九州グループ」のエリア拠点として再出発している。ちなみにNTT西日本九州病院は熊本市にある。NHK熊本放送局も、当初九州地区の基幹放送局として1928年に九州で一番最初にラジオ局を開局した。福岡のNHK放送センターが完成する1992年までは基幹局の機能を持ち続けた。

一方、九州全域や南九州エリアの中枢拠点を熊本市に配置している民間企業や各種法人も幾つか存在する。

など

[編集] 隣接する自治体

[編集] 名所・旧跡・観光スポット

  • 熊本城
  • 北岡自然公園……花岡山の麓、細川家の菩提寺・妙解寺跡にある公園。熊本県の重要文化財に指定されている細川家の霊廟があり、文豪・森鴎外の小説のモデルとなった阿部一族の墓もある。園内には、枯山水庭園やバラ園があり市民の憩いの場として親しまれている。
  • 島田美術館……熊本の武人文化に関する歴史資料や古美術品を収蔵している美術館。特に細川家の客将で剣豪の宮本武蔵ゆかりの武具・遺品、書画などを展示する常設展示が充実している。
  • 釣耕園叢桂園……釣耕園は細川綱利が作った「お茶屋」と呼ばれる別荘の1つ。庭園は飛石を配した広い池に山渓を取り入れたもので、4月下旬から5月上旬ごろには、しゃくなげが花をつける。庭園の奥には熊本出身の政治家・安達謙蔵が建てた三賢堂がある。釣耕園の下手にある叢桂園は、釣耕園の水を引き曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖に模した池を設けた。その北には簡素な茶室がある。頼山陽などの文人が訪れた。
  • 本妙寺……加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹。加藤清正の命日である7月23日、頓写会(とんしゃえ)が行われ、この日は明け方近くまで多くの参詣者で賑わう。山門は「天下の寄付魔」小林徳一郎の寄進。
  • 金峰山……本妙寺の背後にそびえる山。山頂からは熊本平野、阿蘇山、有明海、島原半島、天草諸島などを一望に見渡せる。
  • 小萩園……金峰山県立公園内にあり、春には63種類、約300本の桜が咲き誇る桜の名所。開花時期の3月下旬から4月上旬頃は、全国から取り寄せられた、八重の黄桜、薄紅の天の川、淡紅色の二度桜など、珍しい品種の桜を鑑賞できる。
  • 雲巌禅寺……金峰山の西麓にある曹洞宗の寺。宮本武蔵は裏山にある霊巌洞にこもって兵法書「五輪書」を著した。雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されている。
  • 熊本市現代美術館……熊本の中心市街地の複合ビル「びぷれす熊日会館」内にある都市型美術館。企画展示を行うメインの展示ギャラリーのほか、井手宣通ギャラリー、美術図書室でもあるホームギャラリー、メディアギャラリー、キッズファクトリーなどの施設がある。また、展示室だけが美術を鑑賞する場所ではないという観点から、国際的に活躍するジェイムズ・タレル、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生宮島達男による作品が様々な場所に設置され、人々にアート体験を提供している。
  • 夏目漱石内坪井旧居
  • 藤崎八旛宮(藤崎宮)……市内最大の伝統行事藤崎八旛宮秋季例大祭が催される。敬老の日(9月第3月曜日)の最終日に行われる「随兵」行列と「飾り馬」の奉納で有名。
  • 立田自然公園……立田山の麓の森に囲まれた自然公園。細川家の菩提寺・泰勝寺の跡地で、細川家の私邸が隣接する。園内には近世細川家初代幽斎(藤孝)夫妻と二代細川忠興細川ガラシャ夫妻の四つ御廟をはじめ、藩主や歴代住職の墓がある。
  • 五高記念館……旧制第五高等学校の本館だった洋風2階建赤レンガ造りの建物。熊本大学の構内にある。当時の風景や教授陣の写真、歴代校長の肖像画・肖像写真、開校10周年記念式の夏目漱石の祝辞などが展示されている。旧制第一高等学校に見立ててNHKスペシャル大河ドラマ「坂の上の雲」のロケが行われる予定。
  • 桜山神社……1876年(明治9年)に熊本で起こった神風連の乱で敗れた太田黒伴雄ら志士たちを祀る神社。境内に神風連資料館がある。
  • 熊本国際民藝館
  • 武蔵塚公園……宮本武蔵が眠る武蔵塚につくられた公園。
  • 水前寺成趣園……細川綱利が造営した桃山式回遊庭園。東海道五十三次を模したといわれる。細川幽斎八条宮智仁親王古今伝授を行った古今伝授の間が移築されている。
  • 江津湖……貴重な植物のスイゼンジノリが上江津湖にある。
  • 熊本市動植物園
  • 四時軒……勝海舟西郷隆盛と並び賞した幕末の偉人横井小楠が営んだ私塾。現在は横井小楠記念館付属の建築物という形で保存され、小楠に関する資料のほか、勝や西郷、吉田松陰などの小楠にゆかりのある人々の書も展示されている。坂本龍馬は小楠をここに訪ねて教えを受けている。
  • 大慈禅寺……曹洞宗の開祖である道元の高弟で順徳天皇の皇子である寒巌義尹禅師によって開山された曹洞宗の名刹。寒巌義尹文書四幅や梵鐘といった、国の重要文化財に指定されている貴重な寺宝が保管されている。境内には種田山頭火の句碑も建てられている。
  • フードパル熊本
  • 熊本競輪場
  • 健軍神社……阿蘇四社の1つ。

[編集] 歴史

律令制下では概ね肥後国飽田郡託麻郡の区域に当たる。応仁年間(1467年-1469年)に出田氏が千葉城(現在のNHK熊本放送局所在地)を居城とし、1496年(明応5年)豊後守護大友氏に属する鹿子木氏が茶臼山西南麓に隈本城を築城した。やがて鹿子木氏が菊池氏についたため、1550年(天文19年)大友氏配下の城親冬が入った。

戦国時代肥後国は数十の国衆が割拠していたが、安土桃山時代に入り豊臣秀吉の九州平定により、1587年(天正15年)に佐々成政が肥後49万石に封ぜられ、隈本城へ入った。しかし、失政により肥後の国衆一揆が起きると、翌年改易され、代わって加藤清正が肥後北半24万石に封ぜられ、隈本城を居城とし統治を開始。治山治水や干拓による土地開発などを積極的に行い、荒廃していた土地を改良し生産力を向上させた。清正は1607年慶長12年)に新たな隈本城を築き、その後、当地の呼称を隈本から熊本へと改名した。これ以降、熊本は城下町として発展していくことになる。加藤氏は清正の子、忠広の代で断絶し、1632年(寛永9年)以降は小倉藩から移封され熊本藩主となった細川氏の城下町として栄え、明治時代に至った。

1877年(明治10年)の西南戦争により城下町は灰燼に帰したが、九州の中央部にある主要都市ということで九州の中核と位置づけられ、熊本鎮台・第五高等学校など、九州を管轄する各種の国家機関が設置された。1889年(明治22年)市町村制度施行により市制施行、当初の人口は42,725人。1900年に成立した鉄道唱歌第2集山陽・九州編で「九州一の大都会 人口五万四千あり」と歌われるに至った。

戦後は日本の産業構造の変化により、まずは工業力の強い北九州市が、次いで商業や交通の結節点である福岡市が九州の中心となり、国の出先機関や大企業の支社は福岡に立地を求めた。1970年代の山陽新幹線博多駅開業や福岡市の政令指定都市移行はその流れに拍車をかけた。しかし現在でも九州を管轄する国の機関の一部は熊本市に置かれており、政令指定都市や州都を目指し発展を続けている。

熊本県の歴史も参照。

[編集] 年表(古代-近代)

  • 646年 - 砂取(現・熊本県立商業高校付近)に肥後の国府及び兵力4軍団が設置される。
  • 1469年 - 千葉城が茶臼山(現・熊本城)の東端に菊池一族の出田秀信により築城。
  • 1496年 - 隈本城が茶臼山の西南麓に菊池一族の鹿子木親員により築城。
  • 1588年 - 加藤清正が肥後半国の領主として熊本に本拠を置く。
  • 1607年 - 熊本城が加藤清正により築城。

[編集] 年表(近現代)


[編集] 行政区域の変遷

  • 1889年4月1日 市町村制施行により、熊本市が発足。
    • 同時に、現在の市域にあたる以下の町村が発足。
      • 託麻郡本庄村・本山村・春竹村・大江村・供合村・広畑村・小山戸島村・健軍村・出水村・画図村・日吉村・田迎村・部田村・元三村
      • 飽田郡高橋町・川尻町・小島町・池田村・花園村・横手村・春日村・古町村・龍田村・黒髪村・清水村・松尾村・城山村・池上村・島崎村・白坪村・力合村・中島村・中原村・沖新村・河内村・船津村・白浜村・芳野村・川口村・中緑村・内田村・銭塘村・奥古閑村・海路口村・川上村・硯川村・寺迫村・五町村・八分字村・藤富村・浜田村・並建村・白石村・畠口村
      • 上益城郡秋津村
    • 1896年4月1日 郡制施行により託麻郡と飽田郡が合併し飽託郡が発足。
    • 1898年8月26日 硯川村・寺迫村・五町村が対等合併し、西里村が発足。
    • 1902年4月1日 河内村・船津村・白浜村が対等合併し、新村制による河内村が発足。
    • 1903年3月12日 部田村を御幸村に改称。
    • 1906年4月1日 春日村が町制施行。春日町となる。
  • 1921年6月1日 黒髪村・池田村・花園村・島崎村・横手村・古町村・本庄村・大江村・本山村・春竹村・春日町を編入。
  • 1925年4月1日 出水村を編入。
  • 1931年6月1日 白坪村を編入。
  • 1932年12月15日 画津村を編入(編入と同日に画図村を画津村に改称)。
  • 1936年10月1日 健軍村を編入。
  • 1939年8月1日 清水村を編入。
  • 1940年12月1日 川尻町・力合村・日吉村を編入。
    • 1941年1月1日 中島村・中原村・沖新村が対等合併し、新村制による中島村が発足。
  • 1952年 秋津村の一部を編入。
  • 1953年4月1日 田迎村・御幸村を編入。
  • 1953年7月1日 高橋村・城山村・池上村を編入。
  • 1954年10月1日 秋津村を編入。
    • 1955年1月30日 広畑村・供合村・小山戸島村が対等合併し、託麻村が発足。
  • 1955年4月1日 松尾村を編入。
    • 1955年4月1日 八分字村・藤富村・浜田村・並建村・白石村・畠口村がが対等合併し、飽田村が発足。
  • 1956年4月1日 託麻村の一部を編入。
    • 1955年7月1日 西里村・川上村が対等合併し、北部村が発足。
    • 1956年9月30日
      • 河内村・芳野村が対等合併し、河内芳野村が発足。
      • 川口村・中緑村・内田村・銭塘村・奥古閑村・海路口村が対等合併し、天明村が発足。
  • 1957年1月1日 龍田村・小島町を編入。
  • 1958年4月1日 中島村を編入。
  • 1970年11月1日 託麻村を編入。
    • 1971年4月1日
      • 河内芳野村が町制施行し、河内町に改称。
      • 天明村が町制施行し、天明町となる。
    • 1971年11月1日 飽田村が町制施行し、飽田町となる。
  • 1991年2月1日 北部町・河内町・飽田町・天明町を編入。
  • 2008年10月6日 下益城郡富合町を編入(予定)。

[編集] 文化

[編集] スポーツ

野球

サッカー

バレーボール

[編集] 音楽

[編集] 料理・食品

  • 太平燕 - タイピーエン、熊本都市圏だけで食べられる中華料理の一種。しかし、近年は全国的に知名度が高まりつつある。小学校の給食にもよく出る。
  • 熊本ラーメン - 濃厚白濁でニンニクのきいた香ばしい豚骨スープである。一般的には煮卵、キクラゲ、海苔などを乗せる。博多ラーメンのように紅ショウガや白胡麻は乗せず、替え玉の習慣もない。
  • 馬刺し
  • 辛子蓮根 - レンコンの穴に辛子味噌を詰め、ウコンで色づけした衣をつけて揚げたもの。江戸時代、藩主細川忠利の滋養のために考案された。
  • 一文字グルグル - 一般的には「一文字のぐるぐる」と呼ばれる。ワケギをくるくる巻いたものを酢味噌で食べる。
  • いきなり団子 - 小麦粉の皮にさつまいもと餡をくるんで蒸したおやつ。最近全国的にも知られるようになってきた。
  • 朝鮮飴 - 老舗 園田屋が有名。加藤清正が朝鮮の役の際、陣中食とした。
  • 御飯の友 - ふりかけ、全国ふりかけ協会が公認するふりかけのルーツ。
  • 納豆 - 西日本では東日本に比べて納豆の1人当たり消費量は少ない傾向にあるが、熊本市では東日本並みの消費量がある。
  • 山うに豆腐 - 豆腐の味噌漬け、珍味。
  • しゃこ(しゃく)
  • 米焼酎
  • 赤酒
  • 誉れの陣太鼓(お菓子の香梅) - 熊本で長く親しまれている菓子。全国菓子大博覧会「名誉総裁賞」受賞。
  • 本丸 (お菓子の香梅) - 餡入り求肥(ぎゅうひ)をゴマ入りせんべいで挟んだお菓子。
  • 武者がえし(お菓子の香梅) - さらし餅をパイ生地に包んで焼き上げたお菓子。全国菓子大博覧会「世界洋菓子連盟会長賞」受賞。
  • 河内みかん - 金峰山西麓の熊本市、河内地区で栽培されている。熊本は全国有数のみかんの産地。
  • 加勢以多(かせいた) - マルメロのジャムをウエハースで挟んだ菓子。細川忠興が茶道の菓子として作らせたという。

[編集] 熊本のファッション

男性ファッション雑誌smartなどにも、東京仙台大阪神戸松山福岡と共にたびたび紹介されている。

かつて女子高生の間で流行したルーズソックスも、いち早く流行し、いち早く廃れ、いち早く紺色ハイソックスへ移行したというエピソードもある。

熊本の主なファッションストリート
並木坂、オークス通、上之裏通、上通下通シャワー通

[編集] マクドナルド

マクドナルド九州初出店は熊本である[3]。(1975年、下通の熊本大洋店) また、マック・フルーリーの試験販売は、熊本と東京のみで行われた。

[編集] 産業

  • 市内総生産 21,238億円(2004年度)

[編集] 農業・水産業

熊本市は日本でも有数の農業王国でもある。農家総数、専業農家数、農業就業人口、経営耕地面積は九州1位、農業産出額は全国の市町村中6位である。江津湖以南の市南西部 - 西部の田園地帯では米をはじめ、なす、メロンを含む園芸作物各種が作られる。中でも米とメロンは九州で1位、なすは全国で2位の産出額を誇る。金峰山山麓の河内地区、小島地区、北部地区はみかんの一大生産地となっていて、周辺部には選果場や加工工場も多い。市北部 - 鹿本郡植木町はすいかの名産地として地元では名高い。また東部地区(戸島地区など)ではメロンなどの畑作のほか、近年かなり数は減ったものの酪農も行われている。水産業としては、有明海の干潟ではノリやアサリなどが水揚げされるほか、白川河口や江津湖では河川漁業、錦鯉などの養殖も一部で行われている。

[編集] 工業

熊本市は過去において大規模工場の立地は行われず(熊本駅南側のムーンスターの工場は除く)、NECの半導体工場やフードパルでの食品工業を除くと大規模な企業や工場は少ない。

熊本市に本社を置く主要製造企業

[編集] 情報通信業

熊本市に本社を置く主要情報通信企業

[編集] 建設業

[編集] 商業

熊本市に本社を置く主要卸売・小売・サービス企業

熊本市の中心部には上通商店街下通商店街サンロード新市街の3つの繁華街がある。特に下通が熊本市で最も賑わう繁華街で、休日には5万人ほどの通行量がある。これら3大繁華街が賑わっている理由としては上通北側に熊本電気鉄道藤崎宮前駅が、上通と下通の間に熊本市電通町筋駅鶴屋パルコをはじめとする百貨店が、サンロード新市街の周辺には熊本市電辛島町駅バスターミナル熊本交通センター(開業当時は東洋最大規模)、くまもと阪神百貨店がそれぞれ立地し、それらの間を行き来する回廊の役割を果たしていることが大きい。

また、他の都市ではJR私鉄の駅前に商店街が形成されることが一般的であるが、熊本の場合、JR熊本駅前には現在のところめぼしい商業施設がないため、上通・下通周辺に商業地区が一極集中していることも見逃せない要因となっている。1980年代以降はファッションタウンとしての側面も大きくなり県内だけでなく広く九州内から集客するようになった。

ただ、都市圏人口や中核市有数の通行量の割には関東関西地区大手資本の百貨店やファッションビルなどの大型商業施設の数は明らかに少ない。また、熊本市中心部のビル自体が全般的に小さめで広いフロアがとれないことからCDショップなどのテナントも進出しにくいようで、現在HMVWAVEは熊本に未進出である。

一方で郊外の大型商業施設との競合も激しさを増している。2002年寿屋ニコニコ堂といった地元資本スーパーが破綻した後、ニコニコドーの大型店を引き継いだイズミ2004年6月、熊本市北東部に隣接する菊池郡菊陽町ゆめタウン光の森店をオープンさせたのを皮切りに2005年10月には市南東部に隣接する上益城郡嘉島町にダイヤモンドシティ・クレア(現・イオンモール熊本クレア)がオープン。さらに市東部の益城熊本空港インターチェンジそばにイオンが九州最大規模となる大型店の出店を計画している。郊外店の一大集積地帯は国道57号熊本東バイパス)沿線で、熊本都市圏外れの菊池郡大津町から国道3号と交わる熊本市近見までの約25キロの間にイオン系(ジャスコ)が2軒、イズミ系(ゆめタウン)が3軒、他にもコジマデオデオミスターマックスなどの郊外型大型電器店やロードサイドショップなどが乱立する激戦区となっている。

このような大型店とは別に、郊外商店街も有する。市電の終点健軍町駅前に立地するアーケード商店街・ピアクレス(健軍商店街)や市内中心部に程近い古くからの商店街・子飼商店街などである。ただし近年では大型店の集客力に押され、以前ほどの活気はみられない。

[編集] 上通下通

市電通町筋電停をはさんで南北に広がる全蓋型のアーケード商店街である。

北側の上通アーケード街は全長は約360m、幅は11m。古くは学生の町として栄え、今も書店、喫茶店、ブティック、ブランドショップ、スポーツショップ、ラーメン店などが立ち並ぶ街となっている。電車通り側入口にはかつて熊本日日新聞のビルがあったが、再開発により郊外移転し、その跡地に複合施設のびぷれす熊日会館がオープンした。ニューズ(New-S)と呼ばれる鶴屋百貨店系の商業スペースの他、熊本市現代美術館やホテル日航熊本などが入居している。アーケードの北の端からは先は、並木坂という小洒落た通りとなっており、若者向け衣料品店や美容院、飲食店が多い。最近は上通・並木坂より一本東側の「上乃裏通り」が隠れた人気スポットして注目を浴びている。

一方、上通から通町筋を隔てた南側には下通アーケードがある(全長510m、幅15