熊本市

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熊本市
Kumamoto montage.jpg
上から: 熊本城から望む熊本市街、熊本城熊本市電藤崎八幡宮水前寺成趣園
熊本市旗 熊本市章
熊本市旗
1969年8月1日制定
熊本市章
1969年8月1日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 熊本県
団体コード 43100-1[1]
面積 389.54km²
総人口 739,420
推計人口、2014年3月1日)
人口密度 1,900人/km²
隣接自治体 宇土市合志市宇城市玉名市
菊池市山鹿市
上益城郡嘉島町甲佐町益城町御船町
菊池郡菊陽町玉名郡玉東町
(海上を隔て)長崎県島原市
市の木 イチョウ
1974年昭和49年)10月9日制定)
市の花 肥後ツバキ
1974年(昭和49年)10月9日制定)
市の鳥 シジュウカラ
1984年(昭和59年)5月22日制定)
熊本市役所
所在地 860-8601
熊本県熊本市中央区手取本町1番1号
北緯32度48分10.8秒東経130度42分28.3秒
熊本市役所
外部リンク 熊本市

熊本市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

特記事項 市旗・市章、共に1969年昭和44年)8月1日制定
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日本三名城熊本城(2005年)
熊本城(写真右上)からの眺望が保たれるように建物の高さ制限がなされている(2011年)
中心部のアーケード
開発が進む「熊本駅周辺」(2011年)

熊本市(くまもとし)は、日本熊本県にあるの一つ。同県の県庁所在地政令指定都市である。

目次

概要[編集]

県の総面積の5.3%にあたる約390km²の市域に、県内人口の約41.1%にあたる約74万人の市民が住む。日本のとしては17番目、九州では福岡市北九州市に次いで3番目に人口が多い(参照)。2012年(平成24年)4月1日政令指定都市に移行した。

肥後国府肥後国分寺が置かれた地である。現在の市街は、細川氏熊本藩54万城下町を基礎に発展してきた。戦前は陸軍第6師団や国の出先機関が置かれ、九州を代表する軍都・行政都市として栄えた。2011年(平成23年)3月12日九州新幹線鹿児島ルートが全線開通し、熊本駅に新幹線駅が併設された。

中心部は熊本城天守閣地図)から見て南東から東に広がる[2]。ただし、熊本城などからの眺望を確保するための環境基準により、中心部を含む熊本城周辺地域約550haには厳しい高さ制限がある[3]。そのため中心部には高層ビルが存在しないが、当該地域の外にある熊本駅周辺には、くまもと森都心などの高層ビルが立地する[2]。また、中心部を囲むように立地する熊本駅(地図)・上熊本駅地図)・新水前寺駅地図)のJR九州3駅が交通結節とされており、中心部との間が熊本市電によってつながれている[2]

森の都[編集]

熊本市の代名詞となっている「森の都」の称は1930年(昭和5年)制定の熊本市歌の歌詞に取り入れられている[4]。また、高度経済成長期からの急激な都市化で緑地が減少した1972年(昭和47年)10月2日、熊本市議会にて『「森の都」都市宣言に関する決議』が採択され、同市を「森の都」と称することが公式決定された[5]。都市計画にも自然と共存した街づくりが盛り込まれており、「美しく活力ある森の都くまもと」をテーマに都市景観の形成を進めている[6]。一方で熊本市は、中心部を流れる白川坪井川井芹川の3本の川や水前寺成趣園、あるいは豊富な地下水、水前寺江津湖湧水群(平成の名水百選)などを称えて「水の都」とも呼ばれている[7][8]

その他、市民が「水と森の都」、市が「水と緑の都[9]」と呼んでいる例が見られる。

地理[編集]

位置・地形[編集]

福岡市から南へ約110km、鹿児島市から北へ約180km、熊本県の中央部よりやや北側に位置している。

旧城下町を中心に市街地が発展してきた。熊本城の東側に上通下通サンロード新市街と呼ばれるアーケード街が1km以上にわたって連なり、その周辺に中心市街地は形成されている。中心繁華街である通町筋・辛島町界隈には市役所、日本郵政株式会社九州支社、日本最大規模のバスターミナルである熊本交通センター(1日6,012本)、2社の百貨店などがある。なお、熊本駅は中心街から南西に2km程離れて立地しており、その間は市電や路線バスでの移動となる。

阿蘇外輪山へと続く市の北東部や東部は、一部に立田山託麻三山、白川沿いの河岸段丘など起伏のある地形もあるが、全体としては肥後台地(合志台地・託麻原(託麻台地))と呼ばれる阿蘇の火山灰土からなるなだらかで農地や住宅地に適した丘陵地となっているため、国道57号沿線の健軍地区 - 東町(東町・東本町団地)・桜木帯山長嶺託麻地区 -武蔵ヶ丘地区を軸に住宅地や東町、長嶺、大江をはじめとする住宅団地が広がっており、さらに市域を超えて菊陽町光の森)や合志市益城町まで住宅地が拡大しつつある。熊本市の人口は中央部とともに東部・北東部に集中している(ベッドタウン)。

市の南東部 - 南部は熊本平野の一角をなし、平坦な風景が広がる。江津湖の南側から加勢川沿いの田迎・御幸・川尻周辺、さらに緑川を挟んで南側に位置する富合・城南にかけては低湿地であり、以前は大雨が降ると浸水する被害もでていたが、排水設備が整備された現在では宅地化も進んでいる。旧来からの広々とした田園風景も残っており、所々に小川やクリークなども見受けられる。富合南西部・城南南部は雁回山がそびえ、緩やかな丘陵地帯となっている。飽田・天明地区は主に干拓によって拓かれた田園地帯である。

市の西部は有明海島原湾)に面し、白川や坪井川が注ぎ込む。海は遠浅で港湾とするには適しておらず、臨海部はほとんど工業化・都市化していない。わずかに沖合に人工島を造成し熊本港が建設され、対岸の長崎県島原市とのフェリー航路が設定されているが、周辺土地の分譲はほとんど進んでいない。市の北西側には金峰山(665m)・二の岳(685m)などがそびえ、その東麓は中心部から伸びる住宅地と森林が入り交じる。

北部・植木は主に金峰山北東の斜面地と、阿蘇から続く肥後台地の最西端からなり、独立して植木台地とも呼ばれる(この台地と玉名平野との境目が田原坂である)。名産として名高いスイカ生産や野菜生産をはじめとした畑作が中心で、ビニールハウスが一面に広がる。植木町の北部(田底・宮原)は合志川流域であり、菊鹿盆地と一体化した丘陵・田園地帯である。

東方にそびえる阿蘇外輪山一帯に降り注いだ雨は地下に浸透し、約20年かけて平野部に達する。この豊かな地下水によって熊本市の水道水はまかなわれ、水前寺成趣園や江津湖などにも湧出している。なお、世界の50万人以上の都市で、水道水源を100%地下水だけでまかなっているのは熊本市だけといわれており、「日本一の地下水都市」または「世界一の地下水都市」ともいわれる。しかし、近年は田畑の耕作放棄、森林の管理放棄などによる涵養地の減少や工場の取水などのため、地下水位は低下しつつある。現在、熊本市は菊陽町大津町など白川流域の自治体と提携し、県やJA菊池、関係する土地改良区と共に協議会を発足させ、農家に水田から転換した畑などに一定期間水張りしてもらうなど地下水保全事業に取り組んでいる。

気候[編集]

年平均気温は概ね16 ℃前後、年間降水量は概ね約1,500mm - 2,400mmの間で推移している。有明海に面しているものの内陸性の気候で、佐賀と並んで夏冬の寒暖の差が大きい。特に夏場は「肥後の夕なぎ」と呼ばれる夕方の無風状態が続き、暑さが厳しく、最高気温が鹿児島や沖縄をしのぐ日も少なくない。冬場は氷点下まで下がることもあるが、降雪日数は少ない。春は桜の開花が高知などとともに早い。

熊本,Kumamoto (1981–2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 22.5
(72.5)
26.4
(79.5)
27.4
(81.3)
35.5
(95.9)
34.4
(93.9)
36.1
(97)
38.8
(101.8)
37.7
(99.9)
37.0
(98.6)
33.7
(92.7)
28.9
(84)
24.6
(76.3)
38.8
(101.8)
平均最高気温 °C (°F) 10.5
(50.9)
12.1
(53.8)
15.7
(60.3)
21.3
(70.3)
25.6
(78.1)
28.2
(82.8)
31.7
(89.1)
33.2
(91.8)
29.9
(85.8)
24.6
(76.3)
18.5
(65.3)
13.0
(55.4)
22.0
(71.6)
平均最低気温 °C (°F) 1.2
(34.2)
2.3
(36.1)
5.6
(42.1)
10.3
(50.5)
15.2
(59.4)
19.8
(67.6)
24.0
(75.2)
24.4
(75.9)
20.8
(69.4)
14.2
(57.6)
8.3
(46.9)
3.1
(37.6)
12.5
(54.5)
最低気温記録 °C (°F) −9.2
(15.4)
−9.2
(15.4)
−6.9
(19.6)
−2.5
(27.5)
1.3
(34.3)
7.1
(44.8)
14.3
(57.7)
15.3
(59.5)
6.7
(44.1)
0.5
(32.9)
−3.8
(25.2)
−7.9
(17.8)
−9.2
(15.4)
雨量 mm (inch) 60.1
(2.366)
83.3
(3.28)
137.9
(5.429)
145.9
(5.744)
195.5
(7.697)
404.9
(15.941)
400.8
(15.78)
173.5
(6.831)
170.4
(6.709)
79.4
(3.126)
80.6
(3.173)
53.6
(2.11)
1,985.9
(78.186)
平均降雨日数 (≥ 0.5 mm) 8.6 9.0 12.4 10.9 11.1 14.4 13.5 10.7 10.6 6.9 7.9 8.2 124.2
 % 湿度 70 67 67 66 68 75 77 73 72 69 72 71 71
平均月間日照時間 132.6 139.5 158.5 181.4 187.2 141.0 184.5 211.0 175.9 189.7 153.0 147.5 2,001.8
出典 1: Japan Meteorological Agency[10]
出典 2: Japan Meteorological Agency (records)[11]

人口[編集]

Demography43100.svg
熊本市と全国の年齢別人口分布(2005年) 熊本市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 熊本市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
熊本市(に該当する地域)の人口の推移
1970年 534,228人
1975年 574,299人
1980年 619,236人
1985年 654,348人
1990年 680,765人
1995年 708,097人
2000年 720,816人
2005年 727,978人
2010年 734,294人
総務省統計局 国勢調査より

隣接する自治体[編集]

歴史[編集]

古代から加藤清正入国まで[編集]

豊かな土壌や有明海の海の幸にはぐくまれた熊本市地区は古来からの居住形跡があり、旧石器時代から古墳時代にかけての遺跡(貝塚古墳なども含む)が市内各所で多数確認されている。

律令制下では、概ね肥後国飽田郡託麻郡の区域に当たる。8世紀、水前寺成趣園そばの砂取に肥後国の国府(託麻国府)が置かれ、その近くに国分寺国分尼寺も設置されたとされる。その後国府は城南の益城国府を経て、平安時代中期までに二本木(飽田国府)に移転しているが、すべて現在の熊本市域内での移転であることから、少なくとも奈良・平安期の時点で熊本市地区が肥後国の中心として機能していたことがわかる。また、神話時代からの歴史とされている健軍神社をはじめ、8世紀には城南に熊本県内で最古の寺院とされる「陳内廃寺」や味噌の神様として名高い「味噌天神」が、9世紀には池上町に山岳寺院として「池辺寺」が、10世紀には現在の藤崎台県営野球場の位置に藤崎八旛宮がそれぞれ設置され、同じころには北岡神社も創建されている。

古代官道(駅路)も熊本市域を縦断しており、大宰府から南下してきた西海道の延長として立田山の西から蚕養駅(子飼)を通って託麻の国府へ、さらに城南方面へ進んでいた。律令政治の崩壊とともに一時肥後の中心地としての機能は失うが、二本木はその後も大きな集落として継続し、古国府と呼ばれることになる。その後、現在の熊本市北部には寄進型荘園で有名な鹿子木荘が拓かれる。

南北朝の騒乱の一端として1378年(南朝:天授4年、北朝:永和4年)、託麻原の合戦が市内東部で繰り広げられ、京塚など合戦の故事が由来の地名も残っている。その後、応仁年間(1467年 - 1469年)に出田氏が千葉城(現在のNHK熊本放送局所在地)を居城とし、1496年(明応5年)、豊後守護大友氏に属する鹿子木氏が茶臼山西南麓に隈本城を築城した。やがて鹿子木氏が菊池氏についたため、1550年(天文19年)、大友氏配下の城親冬(じょう ちかふゆ)が入った。

戦国時代肥後国は数十の国衆が割拠していたが、安土桃山時代に入り豊臣秀吉九州平定により、1587年(天正15年)に佐々成政が肥後49万石に封ぜられ、隈本城へ入る。しかし、失政により肥後の国衆一揆が起きると、翌年改易され、代わって加藤清正が肥後北半24万石に封ぜられ、隈本城を居城とし統治を開始。治山治水干拓による土地開発などを積極的に行い、荒廃していた土地を改良し生産力を向上させた。

一方、鎌倉時代に河尻実明が河尻城を築いたことから発展した、現在の川尻地区は港町として栄え、早くから海外交易も行われていた。中国、の時代の地理書にも「開懐世利」として記述されている。また、城南町では隈庄城が築かれ、益城地方の中心としての役割を担った。

江戸時代[編集]

加藤清正公像。熊本城の入口の一つである御幸橋のそばにある。

清正は1607年(慶長12年)に新たな隈本城を築き、その後、当地の呼称を隈本から熊本へと改名した。これ以降、熊本は近世城下町として発展していくことになる。加藤氏は清正の子、忠広の代で断絶し、1632年(寛永9年)以降は小倉藩から移封され熊本藩主となった、細川氏の城下町として発展していくことになる。

近世城下町としての整備は、清正が肥後に入国した天正時代に開始された。まず水害対策と内堀としての活用のため坪井川をつけかえ、古国府の商家も一部移す形で、城の南側(現在の市電呉服町電停一帯)に町人・職人町が作られた。その後城の西側にも町人・職人町が拡大するが、従来からの町人・職人町が「古町」と呼ばれたのに対し、城の西側に開かれた新しい町人町は「新町」と呼ばれることになる。熊本城下町の特徴として碁盤の目状に区画された町の中に寺院が1つずつ設置されており、現在でもこの町のつくりが引き継がれている。有事の際の防衛上の観点からも見逃せない形態となっている。なお、古町界隈は明治以降、昭和戦前期まで熊本市の繁華街の一つとして賑わいを見せていた。

一方、武家屋敷は、城の東側の山崎から高田原(現在の熊本市の繁華街一帯)・坪井にかけての一帯や、城の北の台地上にあたる京町に造成された(京町は、関ヶ原の戦いで敗れた小西行長の家臣や柳川藩の家臣を清正が引き取って住まわせた町である)。このうち、上級武士は城内(二の丸)や内坪井・山崎に居を構え、下級武士は手取・千反畑・高田原エリアに住んだとされる。

また、1601年(慶長6年)に初代の長六橋(橋名は架橋された1601年 = 慶長6年より)がかかり、薩摩街道日向往還、南阿蘇へ向かう南郷往還の分岐点として迎町が賑わいを見せ、幕末には安政橋(当時の安巳橋)の対岸に新しい武家屋敷町 = 新屋敷が造成される。これらの区域が近代における熊本区 - 熊本市としてのおおまかな輪郭となる。

郊外では薩摩街道の宿場町、緑川水系の物流集積地(港町)として前代から引き続いて、川尻が栄えた。藩の奉行所や税関、軍港(御船手)がおかれたほか、薩摩藩の参勤交代路として本陣もおかれた。稲荷神社の所在地として発展した高橋は、坪井川の付け替え後に熊本の外港としても繁栄した。川尻と高橋は熊本(城下町)、高瀬、八代とともに肥後の五ケ町の一つに数えられることになる。

また、北へ向かう豊前街道三池街道の分岐点に元禄時代、「味取新町」という宿場町が造られたが、ここが後に植木の中心商店街となる。参勤交代道として整備された豊後街道には里数木として黒髪に一里木が、龍田に二里木が植えられ、現在もバス停名として名残をとどめる(菊陽町にある三里木は駅名にもなった)。二里木のすぐ東側には17世紀半ば、細川藩に招かれた宮本武蔵ゆかりの史跡である武蔵塚がある。東へ向かう木山往還沿いには17世紀後半、桃山式回遊庭園水前寺成趣園(水前寺公園)が造られた。

明治時代 - 第二次大戦前[編集]

幕末から明治にかけて、開明思想家として知られる横井小楠の活躍や熊本洋学校の設置、熊本の自由民権主義を牽引した植木学校の開校、熊本バンド結成など熊本に近代化の波が押し寄せる一方で、旧体制側である士族の反乱も勃発する。1876年(明治9年)には神風連の乱がおこり、そして1877年(明治10年)の西南戦争により植木の田原坂では激しい戦闘が繰り広げられ、さらに主戦場となった熊本の町は熊本城の天守閣を含め灰燼に帰した。また、1889年(明治22年)には大地震(熊本地震)にも見舞われた。

しかし、その後の熊本市地区は、熊本県(一時期は白川県)の県庁所在地としてだけでなく、九州の中央部にある主要都市ということで「九州の中核都市」と位置づけられ、熊本鎮台第五高等学校など、九州域内を管轄する国家機関・教育機関が相次いで設置されていく。1878年(明治11年)設置の熊本区を経て、1889年(明治22年)、市町村制度施行により市制施行。当初の人口は42,725人。1900年(明治33年)に成立した鉄道唱歌第2集山陽・九州編で「九州一の大都会 人口五万四千あり」と歌われるに至った。そのため、新聞発行や電灯設置、放送局の開局などで熊本が九州初の事業地となることも多く、また第五高等学校が設置されたことから、夏目漱石小泉八雲などの著名な作家が教師として熊本に赴き、熊本を舞台とした作品を残している(なお、森鴎外も数日ながらも熊本を訪れ、熊本にも関わりが深い作品(「阿部一族」)を残している)。

市内中心部の山崎には明治以降、武家屋敷を取り壊した跡地に練兵場をはじめとした軍施設が設置されたため、市街地が軍施設で分断されてしまい都市発展の障害となっていた。その後軍用地は、大正時代までに城内を除いてほとんどが大江や渡鹿など郊外に移転し、その跡地には新市街をはじめとした新しい商業・娯楽の中心地が形成された(軍用地であった名残として練兵町という町名が残っている他、軍用地の移転に力を入れた当時の市長・辛島格の名前を取って辛島町という町も誕生している)。

大正に入ると近代都市としての整備に拍車がかかる。熊本軽便鉄道菊池軌道御船鉄道熊本市電・バスといった交通機関の拡充は市街地の拡大にもつながり、1921年(大正10年)には春日黒髪島崎など周辺町村を大合併して人口は13万となり、これまで旧城下町内だけにとどまっていた市域が郊外へ大きく広がることになった。また、1922年(大正11年)当時の市長・高橋守雄は市三大事業(上水道の整備・市内電車の開業・歩兵第23連隊の完全移転)を掲げ、これを実行に移すことに成功した。それまで南千反畑にあった市役所も、1923年(大正12年)に手取本町の現在地に移転している。

昭和になると桜町一帯に勧業館や公会堂といった施設が立ち並び、隣接する新市街には当時の最新の娯楽である映画館が多数オープンし、それまでの古町にかわる新たな都市核として急発展する。市内中心部には「千徳百貨店」や「銀丁百貨店」といった百貨店も開業。

熊本市は九州を代表する都市として発展を続けていった。

第二次大戦後 - 現在[編集]

1945年(昭和20年)7月の大空襲で熊本市の市街地は焼け野原になり、さらに1953年6月の大水害1957年(昭和32年)7月の大水害で市内の低地を中心に大きな被害を出したことから、東部の丘陵地帯に新しい住宅地が造られるようになった。

これまでの水前寺出水といった郊外住宅地に加え、旧軍用地であった大江・渡鹿地区には、住宅団地や専売公社などのほか、熊本商科大学熊本女子大学(のちに月出に移転し、跡地には県立劇場が建っている)、熊本電波工業高等専門学校1973年(昭和48年)に合志市へ移転)、警察学校などが建設され、既存の熊本高校などとあわせ、文教地区として成熟していく。

また、戦時中に飛行場や三菱の飛行機工場が建設され、市電が延伸してきた健軍町一帯は戦後、自衛隊や官公庁、大規模な公営団地、学校などが建てられ人口が急増。市電の終点ターミナルとしての役割も得たことから商店街や歓楽街も形成され、熊本市東部地区の一大拠点に成長する。

さらに県庁が水前寺に移転し、長嶺・月出にあった熊本空港が高遊原に移転した1970年代以降は長嶺や武蔵ヶ丘・楠方面に住宅地が拡大していった。特に1971年(昭和46年) - 1972年(昭和47年)にかけて整備された熊本東バイパス(神水以北区間)はこれらの住宅地の背骨として重要な交通路となり、畑や雑木林が占めていた丘陵地は急速に宅地化されていった。

1960年代には国道3号の清水バイパスや川尻バイパスも開通。1971年(昭和46年)には九州自動車道熊本インターチェンジが開設されるなど、市内周辺の道路交通網が整備されていったが、その一方では熊延鉄道の廃止、市電の路線縮小などもみられた。鉄軌道に代わる新たな輸送機関の要として、1969年(昭和44年)に大規模バスセンターである熊本交通センターが開業している。1980年代以降も浜線バイパス第二空港線など主要道路網の整備が充実していくが、渋滞問題や道路事情の悪化に伴い鉄道や市電への再評価の気運も高まっていった。

商業は千徳百貨店や銀丁百貨店に代わり、戦後世代の鶴屋百貨店大洋デパート(現ダイエー熊本下通店)、岩田屋伊勢丹(現県民百貨店)、スーパーマーケット系では寿屋ニコニコ堂が躍進し、商業地図は大きく塗り変わる。また、鶴屋や大洋の進出以降、通町筋下通が、熊本を代表する繁華街として確立されるに至った。

戦後も人口増加は続き(1977年(昭和52年)には人口50万突破)、行政・商業・観光の都市として順調な発展を続けた。しかし、明治政府の富国強兵殖産興業のスローガンの元に日本の産業構造の変化により、まずは日本初の近代製鉄所である官営八幡製鐵所を中心とした工業力の強い北九州市が、次いで九州帝国大学を誘致し教育や商業や交通の中心地である福岡市が九州の中核都市となったことで、明治時代の後期から地方中枢都市としての熊本市の役割は徐々に薄くなってはいったものの、現在も九州を管轄する国の機関の一部(戦前に設置された機関が中心)は熊本市に置かれており、九州域内の主要な拠点都市としての役割は継続している。

周辺自治体との合併の進展の結果、2012年(平成24年)4月1日に全国20番目の政令指定都市へ移行した。さらに道州制導入後の州都誘致を目指す動きも活発化してきている。

年表(古代 - 近代)[編集]

年表(近現代)[編集]

行政区域の変遷[編集]

熊本市の市域の変遷

住所表記の変遷 (2008年(平成20年)以降)[編集]

-2008年10月5日 2008年10月6日-
2010年3月22日
2010年3月23日-
2012年3月31日
2012年4月1日-
旧熊本市域 熊本市○○ 熊本市北区○○
熊本市西区○○
熊本市中央区○○
熊本市東区○○
熊本市南区○○
旧富合町域 下益城郡富合町○○ 熊本市富合町○○ 熊本市南区富合町○○
旧城南町域 下益城郡城南町○○ 熊本市城南町○○ 熊本市南区城南町○○
旧植木町域 鹿本郡植木町○○ 熊本市植木町○○ 熊本市北区植木町○○

行政[編集]

行政機構[編集]

歴代市長[編集]

氏名 就任年月日 退任年月日
杉村大八 1889年明治22年)5月6日 1893年(明治26年)7月9日
2 松崎為己 1893年(明治26年)9月15日 1897年(明治30年)8月2日
3 辛島格 1897年(明治30年)9月13日 1913年大正2年)1月20日
4 山田珠一 1913年(大正2年)4月2日 1914年(大正3年)10月10日
5 依田昌兮 1915年(大正4年)1月14日 1917年(大正6年)9月3日
6 佐柳藤太 1917年(大正6年)11月20日 1921年(大正10年)11月19日
7 高橋守雄 1922年(大正11年)1月19日 1925年(大正14年)7月13日
8 辛島知己 1925年(大正14年)9月14日 1929年昭和4年)7月4日
9 山田珠一 1930年(昭和5年)2月5日 1934年(昭和9年)4月17日
10 山隈康 1934年(昭和9年)5月14日 1942年(昭和17年)5月13日
11 平野龍起 1942年(昭和17年)6月25日 1945年(昭和20年)8月9日
12 石坂繁 1939年(昭和14年)1月7日 1946年(昭和21年)8月10日
13-14 福田虎亀 1946年(昭和21年)6月14日 1948年(昭和23年)2月9日
15 佐藤真佐男 1948年(昭和23年)4月7日 1952年(昭和27年)3月7日
16 林田正治 1952年(昭和27年)3月20日 1956年(昭和31年)2月23日
17-18 坂口主税 1956年(昭和31年)3月16日 1963年(昭和38年)2月23日
19-20 石坂繁 1963年(昭和38年)2月15日 1970年(昭和45年)11月26日
21-24 星子敏雄 1970年(昭和45年)12月20日 1986年(昭和61年)12月6日
25-26 田尻靖幹 1986年(昭和61年)12月7日 1994年平成6年)12月6日
27-28 三角保之 1994年(平成6年)12月7日 2002年(平成14年)12月2日
29- 幸山政史 2002年(平成14年)12月3日 現職

行政区[編集]

以下の5つの行政区が設置されている。(人口、面積、人口密度は2010年(平成22年)国勢調査速報値[18]

区名 人口
(人)
面積
(km²)
人口密度
(人/km²)
中央区 183,497 25.33 7,244
東区 188,546 50.32 3,747
西区 93,394 88.60 1,059
南区 122,773 110.02 1,116
北区 146,084 115.65 1,263

熊本都市圏と合併に至るまでの動き[編集]

2000年(平成12年)国勢調査を基準にすると、熊本都市圏10%都市圏の人口は102万人、1.5%都市圏の人口は146万人である(熊本都市圏参照)。

平成の大合併」初期において、周辺7町から熊本市との合併を話し合う法定協議会設置の住民発議が起きた。政令指定都市の人口要件緩和措置から、合併は政令市化の道筋となる可能性があったが、当時、熊本県では政令市化に伴う権限委譲に消極的であり、また、熊本市ではくまもと未来国体開催に伴う財政悪化問題があった。3町では合併の是非を問う住民投票において反対派が大差で勝ち、7町議会でも合併案件は相次ぎ否決されて、この時点での熊本市の政令市化はならなかった。

ところが、交付金削減に伴う周辺自治体の財政難、自治体人口・10%都市圏人口ともに下回っていた新潟市静岡市浜松市などが合併・政令市化したこと、近い将来の九州新幹線開業による都市間競争への対策、そして、将来の道州制導入において州都を目指す熊本市の立場から、10%都市圏とほぼ同じ範囲の「101万人熊本都市圏」(3市12町1村 - 設定時)を対象として、「熊本都市圏及び政令指定都市についての研究会」が関係自治体などで結成された。最近の動きを以下に記載する。

  • 下益城郡富合町では、度重なる政争や協議の結果2007年(平成19年)1月に法定合併協議会が設置され、2008年(平成20年)10月6日に熊本市と合併した。
  • 城南町でも2007年(平成19年)3月、合併反対を掲げていた町長が選挙で敗れ、以前熊本市との合併を進めていた前町長が4年の時を経て再当選したことから、再び熊本市など周辺自治体との合併に向けて動き出すことになった。2007年(平成19年)秋の住民説明会を経て、11月に住民アンケートの実施を行った結果、全投票者数の7割が合併に賛成し、さらにそのうちの半数以上が熊本市との合併を求めたため、2008年(平成20年)2月7日に任意合併協議会が設置された。その後、法定協設置を経て、2009年(平成21年)6月28日の住民投票で合併賛成が多数との結果となり、同年7月10日の臨時町議会で廃置分合案が可決された。
  • 上益城郡益城町では町長選で合併絶対反対を表明していた現職を破り、熊本市を含めた合併協議に応じると公約していた候補が当選。その後長らく合併に関する動きは見られなかったが、2007年(平成19年)12月に熊本市との間で合併・政令市に関する研究会を立ち上げ、さらに2008年(平成20年)4月、熊本市との間で任意協議会を設置することが決定した。また、以前は単独町制維持を公言していた益城町商工会が熊本市との合併政令市実現賛成に回ることを表明し、熊本商工会議所と一緒に「熊本都市圏経済研究会」を設置するなど、急速に熊本市に接近しつつあった(しかし、2009年(平成21年)4月の住民投票の結果、反対票が賛成を上回り、益城町は協議会から離脱した)。
  • 鹿本郡植木町でも2007年(平成19年)9月以降、一部議員・住民などから熊本市への合併を求める動きが再浮上し、町長は熊本市と共同で合併政令市勉強会を設置し、調査結果を基に2008年(平成20年)1月から住民説明会が行われた。この結果を受け、2008年(平成20年)3月に熊本市と植木町の間で「熊本市・植木町合併問題調査研究会」の設置が決まり4月に1回目の会合が開かれた。その後法定協設置を経て、2009年(平成21年)6月28日の住民投票で合併賛成が多数との結果になり、同年7月9日の臨時町議会で廃置分合案が可決された。

2009年(平成21年)4月から6月にかけて相次いで行われた合併の賛否を問う住民投票の結果、前述のように益城町との合併の道は断たれたが、植木町、城南町との合併は濃厚となった。同年7月13日に熊本市議会での廃置分合案が可決。同年9月14日には熊本県議会でも廃置分合案が可決し、2町との合併により政令指定都市昇格条件となる人口要件70万人程度を満たし(3市町合わせた人口は約73万人)、2010年(平成22年)3月23日に合併。これにより、北九州市福岡市に次ぐ、九州で3番目の政令市誕生へ前進した[19]

そして2011年(平成23年)10月18日、2012年(平成24年)4月1日より政令指定都市へ移行することが閣議決定された[20]

政令市移行に至るまでの動き[編集]

  • 2009年(平成21年)12月22日 熊本市行政区画等審議会において、市内の行政区を5区または6区とする2つの案を提示した。区役所は市役所や植木町役場など既存のものを出来るだけ活用するが、一部の行政区では区役所を新設する必要もあると示した。
    • 5区制案
      • 編入された旧植木町と旧城南町を熊本市に組み込み、中央・東・西・南・北に人口10 - 18万人程度の5区割とする。
      • 5区の場合、区役所建設にかかる費用は、約38億円と見込まれている。
    • 6区制案
      • 旧植木町の単独区と、旧富合町と旧城南町を一緒とした区と、旧熊本市内を4区割とした計6区割とするが、人口3 - 18万人とばらつきがあり審議会からは批判の意見が相次いだ。
      • 6区の場合、区役所建設にかかる費用は、約48億円と見込まれている。
  • 2010年(平成22年)2月22日 熊本市行政区画等審議会において、住民アンケートの結果を踏まえた案として、当初の5区案または6区案のほかに、ほぼ同規模の人口で近年政令市に移行した岡山市相模原市のように少ない区割りで「3区案」や「4区案」の検討も必要ではないかという意見を示した。
  • 2010年(平成22年)3月29日 熊本市行政区画等審議会において、市内の行政区を5区とし、3種類の案を提示した。5区案以外を推す委員もいたが少数となったため今回から除外した。
    • 5区制1案 - 審議会が初めから提示した案で、旧植木町と旧城南町を熊本市に組み込み、中央・東・西・南・北に分割する。
    • 5区制2案 - 旧植木町の単独区と、旧熊本市西部と旧富合町と旧城南町を一緒とした区と、旧熊本市内を北部・中央・東部に分割する。
    • 5区制3案 - 5区制1案に類似しているが、各区の境界線を変更したもの。
  • 2010年(平成22年)4月6日 熊本市行政区画等審議会において、市内の行政区を人口バランスが約10 - 18万人とほぼ均等にとれていることを理由に、審議会が最初に示した原案(前回の5区制1案)どおりとし、4月13日に幸山政史市長にこの区割り案を答申した。
    • A区 - 区域は旧植木町と旧熊本市北部とし、区役所は植木総合支所とする。
    • B区 - 区域は旧熊本市西部とし、区役所は西部市民センターとする。
    • C区 - 区域は旧熊本市中心部とし、区役所は熊本市役所内とする。
    • D区 - 区域は旧熊本市東部とし、区役所は税務大学校熊本研修所の隣接地とする。
    • E区 - 区域は旧富合町と旧城南町と旧熊本市南部とし、区役所は富合総合支所とする。
  • 2010年(平成22年)5月21日の臨時議会で、区役所の整備費などを盛り込んだ2010年(平成22年)度一般会計補正予算案を賛成多数で可決した。これにより、政令市移行後の区割りは5区案で正式決定した。
    • 区役所から離れた地域になる清水花園託麻、幸田の各市民センターの機能を総合支所並に格上げし、また、城南の総合支所機能を今後も継続することを求める案が議題に上った。
  • 2010年(平成22年)9月6日から27日まで、区名の一般公募が行なわれた[21]
  • 2010年(平成22年)10月19日、熊本市行政区画等審議会において、区名候補の一般公募で特に多かった各区上位2案と、その他の応募案の中から委員の投票で選ばれた各区3案、合わせて各区5案ずつが選定された[21]
  • 2011年(平成23年)1月17日、熊本市行政区画等審議会はそれぞれの区名を北区・西区・中央区・東区・南区に決定し幸山市長に答申した[22]
  • 2011年(平成23年)2月4日、熊本市政令指定都市推進本部会議は審議会答申の通り、区名を決定した[23]。(ただしこれは「市の方針」であり、この時点では政令指定都市への移行も、区の名称・区域も正式決定されたものではない)
  • 2011年(平成23年)8月29日、熊本県知事、熊本県議会議長、熊本市長、熊本市議会議長、熊本市政令指定都市推進協議会会長らが片山善博総務大臣(当時)に政令の改正を要望した。
  • 2011年(平成23年)10月18日、熊本市を2012年(平成24年)4月1日に指定都市とする政令の改正が閣議決定され、21日に政令が公布された。全国では相模原市に続いて20番目、九州では北九州市福岡市に次いで3番目となる。
  • 2011年(平成23年)12月16日、熊本市議会において区の名称(北区西区中央区東区南区)とその区域が正式に決定された[24]

九州行政・民間における準中枢都市機能[編集]

従来より九州域内における行政上の中心都市として整備されてきた名残で、現在も熊本市には九州全域、もしくは九州南部地区を統括する国の出先機関がいくつか存在し、九州の他都市と比較しても行政都市としての位置づけは高いといえる。さらに民間でも中九州エリアや南九州エリアの中枢機能をここに置いている企業があり、熊本市は九州域内の主要な拠点都市としての役割を担い続けている。

財務局、国税局、農政局などの各種出先機関のほか、戦前、郵政・放送・通信を所管した逓信省の出先機関・熊本逓信局が九州一円を管轄していたため、この系統の機関が長らく熊本市に置かれている。現在、国の合同庁舎は熊本城内にあるが、九州新幹線全線開業に合わせ熊本駅南側に合同庁舎が建設され、2010年(平成22年)末に農政局など一部部署の移転入居作業が開始された。

郵政省の出先機関・九州郵政局の後身である日本郵政公社九州支社に関しては、郵政公社民営化後も九州の銀行、窓口、郵便、簡保など郵政4事業の全ての業務は熊本で統括することになり、ゆうちょ銀行の九州統括店は熊本城東郵便局に、かんぽ生命の統括店、郵便事業会社と郵便局会社の九州支社は従来通り、熊本市城東町の郵政公社九州支社ビルに残置された。また、全国の郵政職員の人事や経理を集中管理する300人体制の管理センターも熊本市に設置され、明治以来の「郵政城下町」としての機能は民営化後も継続することになった。なお、メルパルクも熊本市水道町にある。

かつての電電公社の九州統括拠点も熊本に置かれていた。民営化後も引き続きNTT九州支社が置かれたが、改正NTT法に基づくNTTグループの再編・NTT西日本の発足により九州支社そのものが廃止された。その後、中九州(熊本県・大分県)の地域統括会社・NTT西日本-中九州グループのエリア拠点として再出発したが、2008年(平成20年)7月1日にNTT西日本-九州に吸収合併されている。また、日本電信電話公社熊本サッカー部NTT九州サッカー部やNTT西日本熊本フットボールクラブに改称した時期を経て後身のロアッソ熊本へ改編されるまで熊本で活動を続けた。

NHK熊本放送局も当初は九州地区の基幹放送局として、1928年(昭和3年)に九州初のラジオ局として開局。福岡のNHK放送センターが完成する1992年(平成4年)までは基幹局の機能を持ち続けた。

その他、九州全域や中・南九州エリアの中枢拠点を熊本市に配置している民間企業や各種法人もみられる。

など

財政[編集]

  • 一般会計(2008年(平成20年)度決算)
    • 歳入:2152億円
      • 市税:911億円
      • 地方交付税:294億円
      • 国庫支出金:293億円
      • 市債:234億円 など
    • 歳出:2119億円
  • 特別会計(2008年(平成20年)度決算)
    • 歳入:1485億円
      • 国民健康保険会計:665億円
      • 介護保険会計:392億円
      • 競輪事業会計:175億円 など
    • 歳出:1504億円
      • 国民健康保険会計:745億円
      • 介護保険会計:355億円
      • 競輪事業会計:164億円 など
  • 一般会計・特別会計市債現在高:2770億円(2008年(平成20年)度末)

国・県の機関[編集]

国の機関[編集]

裁判所[編集]

県の機関[編集]

議会[編集]

  • 市議会定数:49(次回選挙から定数48)
    • 自由民主党熊本市議団:19
    • くまもと未来:10
    • 社民・民主・人(ヒューマン)市民連合:8
    • 公明党熊本市議団:7
    • 日本共産党熊本市議団:3
    • 日本の教育を考える会:1
    • 自由クラブ:1

産業[編集]

2007年(平成19年)度の市内総生産は2兆1507億円である[25]。熊本県全体の約37%を占めており、パラグアイ国内総生産を凌ぐ経済規模を有する[26]

農業・水産業[編集]

熊本市は日本でも有数の農業王国。農家総数、専業農家数、農業就業人口、経営耕地面積は九州1位、農業産出額は日本の市町村中6位である。江津湖以南の市南西部 - 西部の田園地帯ではをはじめ、ナスメロンを含む園芸作物各種が作られる。中でも、米とメロンは九州で1位、ナスは日本で2位の産出額を誇る。金峰山山麓の河内地区小島地区北部地区温州みかんの一大生産地となっており、周辺地区には選果場や加工工場も多い。市北部 - 植木町すいかの名産地として名高い。また東部地区(戸島地区など)では、メロンなどの畑作のほか、近年かなり数は減ったものの酪農も行われている。

水産業としては、有明海干潟ではノリアサリなどが水揚げされるほか、白川河口や江津湖では河川漁業、錦鯉などの養殖も一部で行われている。

工業[編集]

従来より、熊本市内には(熊本駅南側のムーンスターの工場(現合同庁舎の地)は除き)大規模工場の立地は進まず、現在もルネサス セミコンダクタ マニュファクチュアリング半導体工場やフードパルでの食品工業を除けば、大規模な企業・工場は少ない。

熊本市に本社を置く、主要製造企業

情報通信業[編集]

熊本市に本社を置く、主要情報通信企業

  • RKKコンピューターサービス
  • 電盛社
  • アルファ・システム
  • ディー・アンド・エルリサーチ
  • ネクストライン
  • ベアールートシステム

マスコミ関連[編集]

建設業[編集]

商業[編集]

熊本市に本社を置く、主要卸売・小売・サービス関連企業

金融機関[編集]

熊本市に支店がある都市銀行・信託銀行・他県の地方銀行

※中央銀行である日本銀行の熊本支店もある。

熊本市に支店がある証券会社

熊本市に支店がある保険会社

生活協同組合[編集]

その他[編集]

熊本市に本社を置く、その他の主要企業

繁華街・商業施設[編集]

熊本市の中心部には、上通商店街下通商店街サンロード新市街の3つの繁華街がある。特に下通は、県内最大かつ九州でも上位の賑わいを見せており[27]、平日50,000人、日曜日65,000人の来街者を有し[28]、(一地点での通行量は(2010年(平成22年)8月調査で休日に約3万人)、核的中心専門街としての商業集積は県内でも群を抜いている。これらの繁華街は、上通北側に熊本電気鉄道藤崎宮前駅が、上通と下通の間に熊本市電通町筋停留場鶴屋パルコをはじめとする百貨店が、サンロード新市街の周辺には熊本市電辛島町停留場バスターミナル熊本交通センター県民百貨店がそれぞれ立地し、それらの間を行き来させる回廊の役割を果たしている[29]。ただし近年は郊外に大型商業施設が進出し、これらの中心部繁華街の人通りは減りつつある。歩行者数は2003年度から2011年度の間に3割減り、空き店舗の割合も1割を超える状況となっていた[30]が、2011年以降は九州新幹線開業などによる観光客増加の要因もあり通行量は再び反転している。上通・下通・新市街の空き店舗率も3.9%にまで改善しているが、以前と比べ飲食店やカラオケ店の割合が増え、1990年からの約20年で半数の店舗が入れ替わり、全国チェーンの店の割合が増加するなど商店街の新陳代謝が進んでいる[31][32]。 2013年に入り、後述の桜町・熊本交通センター地区の再開発に加え、ダイエー熊本下通店周辺の再開発計画やJR九州による熊本駅の大規模再開発(駅ビル建設)が発表されるなど、熊本市中心部地区は2010年代後半~20年を目処とした新たな局面を迎えている。

郊外型の大型商業施設としては、地元スーパーのニコニコ堂サンピアンシティーモール(1996年)、クリスタルモールはません(1998年)をオープンしたが、ニコニコ堂の破綻後はイズミがこれを引き継ぎ、現在ではゆめタウンとなっている。このほか、熊本市外だが菊池郡菊陽町ゆめタウン光の森(2004年)が、上益城郡嘉島町にダイヤモンドシティ・クレア(現 イオンモール熊本、2005年)がある(双方とも熊本市との境から数百mほどの位置)。

市東部の益城熊本空港インターチェンジそばに、イズミが、益城町広崎の土地区画整理事業地に、食品スーパーにドラッグストアを併設する新業態「youme(ゆめ)マート」を核店舗とする複合商業施設を計画している。2015年3月の開業を目指す。核店舗となるyoumeマートは、売り場面積約2千平方メートルの食品スーパーと約500平方メートルのドラッグストアを組み合わせた商業施設。ほかに家電量販店や飲食店、ホームセンター、衣料品専門店などを誘致する見通し。イズミは大型商業施設「ゆめタウン」に代わる出店業態の柱としている。イズミは2012年2月、熊本市中央区大江の日本たばこ産業(JT)熊本工場跡地約7万3千平方メートルも取得しており、熊本県内での出店攻勢を強めている[33]

合志市には双日主導のショッピングモールを出店の計画が持ち上がってはいるが、現在のところ動きは止まっている。

郊外店の一大集積地帯は国道57号熊本東バイパス)沿線であり、熊本都市圏北東端の菊池郡大津町から国道3号と交わる熊本市近見までの約25キロの区間は、イオン系(ジャスコ)が2軒、イズミ系(ゆめタウン)が3軒、他にもコジマデオデオミスターマックスなどの郊外型大型電器店やロードサイドショップなどが乱立する激戦区となっている。

このような大型店とは別に、郊外商店街もみられる。市電終点の健軍町停留場前に立地するアーケード商店街・ピアクレス(健軍商店街)や、市内中心部に程近い老舗商店街・子飼商店街などである。ただし近年は大型店の集客力に押され、往時の活気はみられない。

また先述の通り、熊本駅前はホテルや受験予備校が複数立地しているものの、駅ビル内の商業施設「フレスタ」を除けばショッピングを満喫できるような場所がなかったが、2013年12月25日、JR九州の唐池社長は熊本駅の0番線ホーム敷地と駅南側に隣接してた駐車場の3ヘクタールの敷地を再開発し、商業・オフィス・娯楽の機能を集積した駅ビルを2020年を目処に建設する予定であると発表した[34]

上通・下通[編集]

市電通町筋電停をはさんで南北に広がる全蓋型のアーケード商店街で、熊本市の繁華街の中心。熊本の流行・情報発信基地ともなっている。

北側の上通アーケード街は全長は約360m、幅は11m。古くは学生の町として栄え、今も書店、喫茶店、ブティック、ブランドショップ、スポーツショップ、ラーメン店などが立ち並ぶ街となっている。電車通り側入口にはかつて熊本日日新聞社のビルがあったが、再開発により郊外移転し、その跡地に複合施設のびぷれす熊日会館がオープン。ニューズ(New-S)と呼ばれる鶴屋百貨店系の商業スペースのほか、熊本市現代美術館ホテル日航熊本などが入居している。アーケードの北の端から先は、「並木坂」という小洒落た通りとなっており、若者向けの衣料品店や美容院、飲食店が多い。最近は、上通・並木坂より一本東側の「上乃裏通り」が隠れた人気スポットして注目を浴びている。アーケードはパリのオルセー美術館をモチーフにデザインされており、歩道中央には木材が敷かれるなど、下通と比べると幾分落ち着いた印象を漂わせている。

一方、上通から通町筋を隔てた南側には下通アーケードがある(全長510m、幅15m。通町筋側から新天街、2 - 4番街と続く)。電車通り(通町筋)側入口のパルコをはじめ、ダイエー下通店、カリーノ下通ファインビルなどの大型商業施設、雑貨屋、ブティック(2010年(平成22年)秋にはZARAの路面店が出店)、各種レストラン、カフェ(プロントスターバックスコーヒーサンマルクカフェなど)、各種専門店が陸続と立ち並ぶ。商店街として西日本有数の規模を誇り、終日賑わいを見せる。通りの南側はカラオケ館コロッケ倶楽部といったカラオケ店やパチンコ店が立地し、やや歓楽街的要素が強くなる。近年アーケードの架け替えが行われ、太陽光発電パネル、ミスト噴射器設置、近紫外線LED照明設置など設備の近代化が進められている。また、下通を挟みこむような形で歓楽街が形成されており、駕町通り、銀座通り、栄通りなどを中心として1000店を超える飲食店等が集積、昼とは一味違う、夜の繁華街としてもにぎわいを見せている。

新市街・桜町[編集]

下通と市電辛島町電停を結ぶ幅広のアーケード街が、サンロード新市街である。映画館の街として戦前から栄えたが、近年は郊外に乱立するシネマコンプレックスの攻勢に押され、現在ではDenkikan1館しか残っていない。また、ここはパチンコ店やゲームセンターなどが多数出店しており、下通よりも歓楽街的要素が強い。ベスト電器熊本本店はこの通りにある。

辛島町電停の北西側、「桜町」の一帯には熊本の交通の要、熊本交通センターがあり、隣接して県民百貨店センタープラザ地下街産業文化会館がある。新市街入口と産業文化会館、県民百貨店、センタープラザとは、地下道で結ばれている。現在、九州新幹線全線開通後を見据え桜町・花畑地区の大規模な再開発事業が動き出している。同地区では、地域・再開発事業者・行政が連携協力し、桜町・花畑周辺地区再開発検討協議会を2008年(平成20年)11月に設置。周辺地区を含めたまちづくりの整備イメージや、その検討課題について協議を重ねている。

2006年(平成18年)12月、桜町地区周辺では相次いで再開発事業構想が発表された。九州産業交通ホールディングスは、熊本交通センターを中心としたエリアに高層複合ビルに建てる開発構想を明らかにした。従来の建物を取り壊したうえで、商業施設やバスターミナル、マンション、ホテルを組み合わせた高層の複合ビル等を建てる予定で、再開発ビルは総床面積約10万2000m²以上の規模になる模様。また2011年(平成23年)1月には、熊本市より同じ敷地内にコンベンションセンターの設置を要請された。さらに、交通センター東側の産業文化会館のあるエリアには、求人情報誌を発行する雇用促進事業会が中心となって劇場、シアター、商業施設などが入る複合ビルを建設するとの発表もあった。雇用促進事業会の再開発(花畑町)は2013年(平成25年)、九州産交ホールディングスの再開発(交通センター)はやや遅れて、2014年(平成26年)以降の完成を目指していたが、景気情勢などにより計画が遅れている。なお、花畑町の再開発用地にはNHK熊本放送局の移転が決定した[35]

その他[編集]

市電花畑町電停から下通とも交差し、国道3号線まで続く通りが「銀座通り」である。福岡銀行鹿児島銀行など近県の地方銀行の支店や、JTB日本旅行などの旅行会社、ビジネスホテル、ファーストフード店、ゲームセンター、立体駐車場、雑居ビル、飲み屋店の集合ビルなどが混在する通りで、一部片屋根式のアーケードが設置されている。

下通南側には1990年(平成2年)前後のバブル期に、熊本のファッションストリートして有名になったシャワー通がある。

各通りの詳細については、下通#その他の通り上通#その他の通りを参照されたい。

百貨店・大規模小売店[編集]

  • 鶴屋百貨店
    1952年(昭和27年)開業、以来50年以上にわたり地元民から愛される「郷土のデパート」。従来からの本館、ウイング館に続き、2002年(平成14年)にテトリア熊本(東館)・ニューズ館がオープンし、売場面積は日本最大級となった。福岡市に流出する女性購買層を繋ぎ止めるためにエルメスルイ・ヴィトンティファニーグッチプラダなど積極的にブランドショップを導入した。別館のウイング館も全館コムサストアとして改装したが、2006年(平成18年)3月よりGAPABCクッキングスタジオなどが入居し、売り場を一新した。上通入口に位置するニューズにはシップスユナイテッドアローズ(グリーンレーベルリラクシング)などのほかプラザエフエム熊本の公開スタジオやスターバックスコーヒーなども入居している。また、下通アーケード沿いには高級食材を扱う「ラン・マルシェ」を2011年(平成23年)3月にオープンさせた。2012年秋以降、売り場の大幅見直しを進めており、2013年3月20日には九州では2店舗目となる東急ハンズの熊本店を東館6Fに開業、さらに2014年(平成25年)3月19日には九州で二店目となるユザワヤをウィング館4Fに開業させる。市電通町筋 - 水道町停留場下車。
  • 県民百貨店ハイランドグループ
    熊本交通センターに隣接するターミナルデパート。1973年(昭和48年)に岩田屋百貨店と伊勢丹の合弁で設立された岩田屋伊勢丹がルーツ。1993年(平成5年)に伊勢丹が資本撤退した後は熊本岩田屋として営業を続けていたが、岩田屋本体の経営悪化により閉鎖の運びになった。しかし、地元資本を中心に株式会社県民百貨店が設立され、阪急阪神百貨店の全面協力の下、2003年(平成15年)にくまもと阪神として再スタートを切った。阪急阪神百貨店から店名使用を含む、8年間の営業支援契約(2003年(平成15年)当初は5年間契約、2008年(平成20年)に3年間契約を延長)を結んでいたが、2011年(平成23年)に営業支援契約が終了するのに伴い、2011年(平成23年)2月23日より店名が法人名と同じく『県民百貨店』となった。中高年層をターゲットした品揃えを目指している一方で、1階に和洋菓子売場と化粧品売場を同居させるといった大胆な売場構成となっている。オンワード樫山が、自社ブランドの五大陸や、ライセンスブランドのジョセフ・アブードck カルバンクラインなどの各テナントを、各階に配置している。6階フロアには書店のリブロがあり、7階フロアには、九州で唯一、阪神タイガースショップがある。熊本限定商品「阪神タイガース味付のり トラのり」が販売(地下1階フロア)されるなど、くまもと阪神時代の良さも残している。8階フロアでは、国内外の旅行商品を扱うサロンがオープンし、熊本のギフトなどが揃うオンラインショッピングも開始された。1階フロアには、肥後銀行熊本ファミリー銀行ゆうちょ銀行日専連ATM・キャッシュディスペンサーがある。地下1階フロアで、辛島公園地下駐車場、熊本交通センターと地下通路で直結しており、駐車場は熊本交通センター駐車場、辛島公園地下駐車場、パスート24(辛島公園駐車場)(熊本中央駐車場)、APパークオレンジと提携している。2010年(平成22年)7月 - 10月と2012年(平成24年)に、「東急ハンズトラックマーケット」が期間限定で出店した。
  • パルコ熊本店
    1971年(昭和46年)以来、長崎屋熊本店が営業していたが一旦閉鎖された後、跡地にパルコが入る(1986年(昭和61年))。2002年(平成14年)、熊本初のスターバックスコーヒーがオープンした(上通のニューズ館と同時オープン→現在は閉店)。主要なテナントとしてジーユーHISが地下1階に、8階にWEGO島村楽器が、9階にはヴィレッジ・ヴァンガードが入居している。
    また、上通にもパルコパーキングという立体駐車場を所有しており、こちらの1階には無印良品が入居している。
  • ダイエー熊本下通店
    かつての大洋デパート。大洋倒産後、熊本城屋百貨店→城屋ダイエーを経て、1995年(平成7年)、現在のダイエー下通店に。
    その影響からか、今でもスーパーと百貨店との中間的な業務形態になっている。6階には喜久屋書店ジュンク堂書店系列)が入っている。
    2013年、隣接する櫻井總本店の敷地とあわせ現在の建物を取り壊し、新たに再開発ビルを建設することが表明された[36]
  • カリーノ下通
    かつての壽屋下通店。寿屋破綻の後カリーノに転換されたが、再オープン直後は雑貨や衣料、食品などを扱う庶民的な店舗構成だった。しかし売上が伸びず2004年(平成16年)に全館を刷新。熊本市内最大の売り場面積を誇る蔦屋書店(TSUTAYA)を核テナントとした複合商業施設に生まれ変わった。また、下通アーケード沿いには新たに渋谷系ファッションのテナントを中心に構成したテナントビル「カリーノセカンド」を建設した。
  • aune熊本
    ジョイント・コーポレーションが通町筋駅前に建設したファッションビル。2008年(平成20年)10月25日オープン。主なテナントとしてはユナイテッドアローズコントワー・デ・コトニエ、ノース・フェイスストアなど。
  • ドン・キホーテ熊本中央店
    2006年(平成18年)8月にオープン。下通アーケード沿いではなく、飲み屋が集中する西銀座通りと栄通りの交差点角に立地。九州では珍しい、市内中心繁華街での出店である。
  • ダイエー熊本店
    地元企業の東亜シルク所有の敷地に1980年(昭和55年)にオープン。出店においては地元商店街の熾烈な反対運動に遭い、表明から数えて5年目にやっとオープンにこぎつけた。「熊本戦争」ともいわれた、いわく付きの店である。ダイエーの経営難・グループ再編問題で、当初閉鎖対象に入っていたが辛うじて生き残る。隣接してグランパレッタ熊本という複合商業施設を建設し、核テナントとしてシネマコンプレックスのシネプレックス熊本が入っている。熊本市電九品寺交差点停留場下車(市電通町筋停留場から健軍町停留場行きの電車に乗って2つ目の停留所)。
  • ゆめタウン
    熊本市内には国道57号東バイパス沿い)にゆめタウンが2店舗あるが、双方ともかつては地元企業のニコニコ堂が経営していた。ニコニコ堂の破綻後、イズミが経営を肩代わりした。その関係で他のゆめタウンとは別会社の、株式会社ゆめタウン熊本(同社は2007年(平成19年)2月にニコニコ堂を吸収合併)が運営している。なおJR光の森駅前、熊本市と菊池郡菊陽町との境界に、ゆめタウン光の森(こちらはイズミ本体の運営)があるが、厳密には菊陽町に立地しているため、ここでは述べない。
  • サンリブシティくまなん
    平成2丁目・3丁目に位置するショッピングモール。現在、サンリブシティを名乗っているのは、サンリブシティくまなんと、福岡県北九州市にあるサンリブシティ小倉の2ヶ所のみ。くまざわ書店が入居している他、隣接してデオデオがある。最寄り駅は、平成駅
  • ドン・キホーテパウ上熊本
    元ニコニコドー上熊本店跡地。上熊本駅北側に立地。

姉妹都市・友好都市・友好協力都市[編集]

教育機関[編集]

大学・短期大学[編集]

国立大学法人

県立

私立

専修学校[編集]

公立

私立

公立高等学校[編集]

県立

市立

私立中学校・高等学校[編集]

幼稚園・小学校・中学校[編集]

幼稚園・小学校・中学校については各区の記事を参照されたい。

特別支援学校[編集]

国立

県立

自動車教習所[編集]

交通[編集]

中心市街地を九州の大動脈たる国道3号が南北に貫く。中心市街地の西側を鹿児島本線が縦貫し、その鹿児島本線の熊本駅から、市街地の南端を迂回して北東方向へ進み、阿蘇・大分方面へ向かう豊肥本線が伸びている。中心市街地は、熊本駅および北隣の上熊本駅間の線路から東側の一帯と、豊肥本線の沿線周辺に発達している。熊本駅は、中心市街地の西南端部に立地しているが、地域的に自動車への依存度が高く、熊本市が(駅とは反対方向の)東部・北東部方面を中心に市街地化が進んできたため、乗降客数は決して多くはない。

また熊本市内には、熊本駅および上熊本駅から市中心部と、水前寺成趣園を経て健軍に至る熊本市電が走っている。全車冷房、VVVFインバータ車両、超低床電車など日本で最初に導入されたものも多い。さらに、上通の北側の藤崎宮前駅および上熊本駅から合志市御代志にいたる熊本電気鉄道も走っている。

TO熊カード」(ツーユーカード)という各社のバスと熊本市電で共通に使える磁気式のプリペイドカードが発行されているほか、2012年12月1日にJR九州が熊本地区(熊本市内は全駅)に「SUGOCA」を導入した。2014年3月28日より熊本市電に「でんでんnimoca」が導入され運用開始した。2015年春にはバス各社に「熊本ICカード」(仮称)が導入される予定である。

空港[編集]

最寄り空港は熊本空港(阿蘇くまもと空港)。熊本市内や肥後大津駅から連絡バスが運行されている。

東京国際空港中部国際空港名古屋飛行場(県営小牧空港)、大阪国際空港(伊丹空港)、那覇空港天草飛行場仁川国際空港大韓民国)とを結ぶ。

日本航空(JAL)、JALエクスプレス(JEX)、ジェイエア(JLJ)、全日本空輸(ANA)、スカイネットアジア航空(SNA)、フジドリームエアラインズ(FDA)、天草エアライン(AMX)、スカイマーク(SKY)、アシアナ航空(OZ)が就航している。

鉄道[編集]

九州旅客鉄道(JR九州)

  • 九州新幹線:- 熊本駅 - 熊本総合車両基地 -
  • 鹿児島本線:- 田原坂駅 - 植木駅 - 西里駅 - 崇城大学前駅 - 上熊本駅 - 熊本駅 - 川尻駅 - 富合駅 -
    • 長らく博多駅小倉駅方面へは、特急リレーつばめ」・「有明」が1時間あたり3本、鹿児島中央駅方面へは「リレーつばめ」が1時間2本走るなど、博多 - 熊本間は全国的に見ても特急の本数が多い区間(特急街道)であったが、2011年(平成23年)3月12日の九州新幹線の全通により、人吉方面へ走るディーゼル特急「くまがわ」・「九州横断特急」と、早朝深夜に運行される「有明」の1往復を残して特急は廃止(2014年には熊本発着の「有明」も廃止になった。)現在は熊本都市圏近郊や八代・人吉など県内の各都市を結ぶローカル輸送がメインとなった。鹿児島本線沿線は宅地化が進んでいないため(特に熊本以北)、駅間距離も比較的長く、これまでは通勤通学路線というよりも、県内外の各都市を結ぶ都市間連絡路線という認識が根強かった。
    • 普通列車は、熊本都市圏内(玉名駅 - 熊本駅 - 八代駅間)では1時間あたり概ね2本の運転であるが、熊本以北は日中の一部の列車が快速「くまもとライナー」として運行されるため、快速の通過駅となる田原坂駅は1時間に1本しか停車しない時間帯がある。なお、日中を中心に、鳥栖駅福間駅など福北大都市圏へ直通する便もある。
    • 全ての三角線の列車が熊本駅まで乗り入れている。
    • 肥薩線の特急「九州横断特急」と「くまがわ」が、さらには「SL人吉」や、土曜休日限定で肥薩おれんじ鉄道線からの直通快速「スーパーおれんじ号」も熊本駅へ乗り入れる。
  • 豊肥本線:熊本駅 - 平成駅 - 南熊本駅 - 新水前寺駅 - 水前寺駅 - 東海学園前駅 - 竜田口駅 - 武蔵塚駅 - 光の森駅 -
    • 人吉駅から熊本駅を経由して別府駅を結ぶ「九州横断特急」が1日4往復走っているほか、土曜休日を中心に観光特急「あそぼーい」(2011年(平成23年)5月29日までは「阿蘇ゆるっと博号」として運転)が宮地駅まで2往復の運行。なお、1999年(平成11年)より九州新幹線開業前までは1時間に1本、博多方面からの特急「有明」が水前寺駅、武蔵塚駅と光の森駅、もしくは菊池郡大津町肥後大津駅まで乗り入れていた。
    • 普通列車は鹿児島本線同様、肥後大津駅まで2両ワンマン電車が1時間あたり2本から3本、の運行であるが、特急が1日あたり4~5本運行されている。また、平日の朝については上り、下り共に1時間5本程度が運行されていたり、4両編成で運行されたりしている。また、朝夕を中心に宮地駅豊後竹田駅発着でディーゼルカーも熊本駅まで乗り入れる。
    • 上記、特急「有明」の代替として、日中を中心に快速「豊肥ライナー」が熊本- 光の森・肥後大津間が2013年のダイヤ改正時まで運行されていた。停車駅は新水前寺・水前寺・武蔵塚・光の森のみと、特急「有明」と同じであった。
    • 熊本市中心部の南端を取り囲むようなルートをたどって、県内随一の人口急増地帯である武蔵ヶ丘(武蔵塚)・光の森・大津方面を結ぶ。沿線には高校や大学も多く、熊本地区では最も利用されている路線(区間)である。新駅設置や電化(1999年に電化)などの投資・改良も積極的に進められてきた。
    • なお、豊肥本線沿線(水前寺 - 肥後大津 - 阿蘇方面)から鉄道で熊本市中心部へ行く場合、新水前寺駅で下車し、市電に乗り換えて通町筋停留場方面へ向かうことが一般的である。そこでJRと市電の乗り継ぎをスムーズに行えるよう、JR新水前寺駅と市電新水前寺駅前駅との結節工事も施された。

熊本電気鉄道

熊本市交通局(熊本市電)(全線市内)

バス網[編集]

熊本交通センター

熊本市の中心部にある日本最大規模のバスターミナル、熊本交通センターを中心に路線網が展開されている。九州では唯一のオムニバスタウン指定を受けており、ノンステップバス導入を中心としたバス交通環境の整備を進めているが、他事業者からの中古車の購入、また熊本県内の最有力バス事業者である九州産業交通が経営悪化により産業再生機構の支援を受け、また熊本電鉄も経営難に陥るなど、厳しい状況も見られる。

一般路線バス[編集]

下記5社により運行されている。

また1996年(平成8年)以降、熊本都市圏内共通で系統番号を振ったり、2010年(平成22年)以降熊本バスを除く各社で一日乗車券を共通化するなど、会社間の垣根を越えた取り組みも行われている。

高速バス・特急バス・快速バス[編集]

九州産交バスなどを主体に、福岡市北九州市長崎市大分市宮崎市鹿児島市など多数の都市を結んでいる。

道路[編集]

高速道路[編集]

一般国道[編集]

市東部郊外の東バイパス

県道[編集]

主要地方道

一般県道

港湾[編集]

航路

名所・旧跡・観光スポット[編集]

  • 熊本城
  • 北岡自然公園
    花岡山の麓、細川家の菩提寺・妙解寺跡にある公園。熊本県の重要文化財に指定されている細川家の霊廟があり、文豪・森鴎外の小説のモデルとなった阿部一族の墓もある。園内には、枯山水庭園やバラ園があり市民の憩いの場として親しまれている。
  • 島田美術館
    熊本の武人文化に関する歴史資料や古美術品を収蔵している美術館。特に細川家の客将で剣豪の宮本武蔵ゆかりの武具、遺品、書画などを展示する常設展示が充実している。
  • 釣耕園・叢桂園
    釣耕園は、細川綱利が作った「お茶屋」と呼ばれる別荘の1つ。庭園は飛石を配した広い池に山渓を取り入れたもので、4月下旬から5月上旬ごろには、しゃくなげが花をつける。庭園の奥には熊本出身の政治家・安達謙蔵が建てた三賢堂がある。釣耕園の下手にある叢桂園は、釣耕園の水を引き曲水をつくり、その下手に中国の洞庭湖に模した池を設けた。その北には簡素な茶室がある。頼山陽などの文人が訪れた。
  • 本妙寺
    加藤家の菩提寺で日蓮宗の名刹。加藤清正の命日である7月23日に、頓写会(とんしゃえ)が行われ、その日は明け方近くまで多くの参詣者で賑わう。山門は小林徳一郎の寄進。
  • 金峰山
    本妙寺の背後にそびえる山。山頂からは熊本平野、阿蘇山、有明海、島原半島、天草諸島などを一望に見渡せる。
  • 小萩園
    金峰山県立公園内にあり、春には63種類、約300本の桜が咲き誇る桜の名所。開花時期の3月下旬から4月上旬頃は、全国から取り寄せられた、八重の黄桜、薄紅の天の川、淡紅色の二度桜など、珍しい品種の桜を鑑賞できる。
  • 雲巌禅寺
    金峰山の西麓にある曹洞宗の寺。宮本武蔵は裏山にある霊巌洞にこもって兵法書「五輪書」を著した。雲巌禅寺から霊巌洞に至る岩山を削った細道には、五百羅漢が安置されている。
  • 熊本市現代美術館
    熊本の中心市街地の複合ビル「びぷれす熊日会館」内にある都市型美術館。企画展示を行うメインの展示ギャラリーのほか、井手宣通ギャラリー、美術図書室でもあるホームギャラリー、メディアギャラリー、キッズファクトリーなどの施設がある。また、展示室だけが美術を鑑賞する場所ではないという観点から、国際的に活躍するジェイムズ・タレル、マリーナ・アブラモヴィッチ、草間彌生宮島達男による作品が様々な場所に配置され、訪れる人々にアート体験を提供している。
  • 夏目漱石内坪井旧居
  • 藤崎八旛宮(藤崎宮)
    市内最大の伝統行事藤崎八旛宮秋季例大祭が催される。敬老の日(9月第3月曜日)の最終日に行われる「随兵」行列と「飾り馬」の奉納で有名。
  • 立田自然公園
    立田山の麓の森に囲まれた自然公園。細川家の菩提寺・泰勝寺の跡地で、細川家の私邸が隣接する。園内には近世細川家初代幽斎(藤孝)夫妻と二代細川忠興ガラシャ夫妻の四つ御廟をはじめ、藩主や歴代住職の墓がある。
  • 五高記念館
    旧制第五高等学校の本館だった洋風2階建赤レンガ造りの建物。熊本大学の構内にある。当時の風景や教授陣の写真、歴代校長の肖像画・肖像写真、開校10周年記念式の夏目漱石の祝辞などが展示されている。旧制第一高等学校に見立てて、NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』のロケが行われた。
  • 桜山神社
    1876年(明治9年)に熊本で起こった神風連の変で敗れた太田黒伴雄ら志士たちを祀る神社。境内に神風連資料館がある。
  • 新開大神宮
  • 熊本国際民藝館
  • 武蔵塚公園
    宮本武蔵が眠る武蔵塚につくられた公園。
  • 水前寺成趣園
    細川綱利が造営した桃山式回遊庭園。東海道五十三次を模したといわれる。細川幽斎八条宮智仁親王古今伝授を行った、古今伝授の間が移築されている。
  • 江津湖
    貴重な植物のスイゼンジノリが上江津湖にみられる。
  • 熊本市動植物園
  • 水前寺江津湖公園
    江津湖湖畔に整備された公園で湧水地が見られる。
  • 四時軒
    勝海舟西郷隆盛と並び賞した幕末の偉人、横井小楠が営んだ私塾。現在は横井小楠記念館付属の建築物という形で保存され、小楠に関する資料のほか、勝や西郷、吉田松陰など小楠にゆかりのある人物たちの書も展示されている。坂本龍馬は小楠をここに訪ねて教えを受けている。
  • 大慈禅寺
    曹洞宗の開祖である道元の高弟で順徳天皇の皇子である、寒巌義尹禅師によって開山された曹洞宗の名刹。寒巌義尹文書四幅や梵鐘といった、国の重要文化財に指定されている貴重な寺宝が保管されている。境内には種田山頭火の句碑も建てられている。
  • フードパル熊本
  • 熊本競輪場
  • 健軍神社 …阿蘇四社の1つで、熊本市最古の神社。
  • 雁回山(木原山)
    南区富合町源為朝(鎮西八郎)が城を設けた。

文化・スポーツ[編集]

発祥[編集]

音楽[編集]

郷土料理・食品[編集]

  • 太平燕
    読みは「タイピーエン」。中華料理の一種。戦前、華僑によって伝えられたとされる。小学校の給食にもよく出される。熊本都市圏以外ではあまり知られていなかったが、近年、全国的に知名度が高まりつつある。
  • 熊本ラーメン
    濃厚白濁でニンニクのきいた香ばしい豚骨スープである。一般的には煮卵、キクラゲ、海苔などを乗せる。博多ラーメンのように紅ショウガや白胡麻は乗せず、替え玉の習慣もない。
  • 馬刺し
  • 辛子蓮根
    レンコンの穴に辛子味噌を詰め、ウコンで色づけした衣をつけて揚げたもの。江戸時代、藩主細川忠利の滋養のために考案された。
  • 一文字グルグル
    一般的には「一文字のぐるぐる」と呼ばれる。ワケギをくるくる巻いたものを酢味噌で食べる。
  • 納豆
    西日本では東日本に比べて納豆の1人当たり消費量は少ない傾向にあるが、熊本市では東日本並みの消費量がある。
  • 御飯の友(株式会社フタバ・ふりかけ
    熊本市の株式会社フタバが製造販売している。全国ふりかけ協会が公認するふりかけのルーツ[37]
  • 山うに豆腐
    豆腐の味噌漬け、珍味。
  • しゃこ(しゃく)
  • 米焼酎
  • 赤酒
  • いきなり団子
    小麦粉の皮にさつまいもと餡をくるんで蒸したおやつ。近年、全国的にも知られるようになってきた。
  • 朝鮮飴
    老舗「園田屋」が有名。加藤清正が朝鮮の役の際、陣中食とした。
  • 誉れの陣太鼓(お菓子の香梅・和菓子)
    熊本地区で長く親しまれている菓子。全国菓子大博覧会「名誉総裁賞」受賞。
  • 本丸 (お菓子の香梅・和菓子)
    餡入り求肥(ぎゅうひ)をゴマ入りせんべいで挟んだお菓子。
  • 武者がえし(お菓子の香梅・和菓子)
    さらし餅をパイ生地に包んで焼き上げたお菓子。全国菓子大博覧会「世界洋菓子連盟会長賞」受賞。
  • 加勢以多(お菓子の香梅・和菓子)
    マルメロのジャムをウエハースで挟んだ菓子。読みは「かせいた」。細川忠興が茶道の菓子として作らせたという。
  • せんば小狸(熊本菓房・和菓子)
    あんたがたどこさ」で始まる手鞠歌で有名な船場山(現 熊本県立第一高等学校内)の狸に因んでいる。
  • 黒糖ドーナツ棒(フジバンビ・駄菓子)
  • 河内みかん
    河内地区の主に金峰山西麓で栽培されている。河内地区は全国有数のみかんの産地。
  • ひご野菜
    熊本市が2006年(平成18年)に指定した15品目の野菜(水前寺のり・水前寺もやし・水前寺菜・水前寺せり・熊本京菜・熊本長にんじん・ひともじ・ずいき・れんこん・春日ぼうぶら・芋の芽・熊本赤なす・熊本ねぎ・熊本いんげん・熊本黒皮かぼちゃ)。
太平燕 
熊本ラーメン 
辛子蓮根 
いきなり団子 

ファッション[編集]

熊本市は、国内外の有名ブランドが全国に先駆けて出店するなどファッション感度の高い街としても知られ、繁華街に軒を連ねる大型商業施設、西日本有数の規模を誇る市内中心部の大型商店街である上通下通などは、多くの若者たちで終日賑わっている[38]。特に1980年代以降、熊本パルコ開店、ブレイズやベイブルックなど熊本発セレクトショップシャワー通の成功、ポール・スミスビームスジョルジオ・アルマーニジャンフランコ・フェレ等のショップが全国に先駆けて出店したことなどにより、ファッションタウンとしての側面が認知され、県内だけでなく広く九州各地から集客するようになった。九州新幹線開業に向けさらに出店が活発化しており、2008年(平成20年)10月にはauneが、2010年(平成22年)11月にはスペインのファッションブランドZARA熊本店がオープンしている。

主なファッションストリート

マクドナルド[編集]

熊本地区店舗では、しばしば新商品の試験販売を行っており、マック・フルーリークォーターパウンダー等は全国に先駆けて販売されている[39][40]。また、マクドナルドの九州初出店は熊本市である(1975年〈昭和50年〉、下通の熊本大洋店)[41]

百選[編集]

こうのとりのゆりかご[編集]

  • 2007年(平成19年)、熊本市が日本で初めて設置を許可。望まない妊娠や経済的に困窮する親が、育てられない赤ちゃんを匿名で病院に預ける施設として設置、現在も運用されている。2008年(平成20年)、熊本市が初公表した預けられた赤ちゃんは、17人に及んだ。いずれも、預けられた時期などの詳細は公表されていないが、13人までは親が手紙等の着衣以外のものを添付していたため、身元が分かった赤ちゃんもいる。身元が分からなかった赤ちゃんは、熊本市が戸籍を新たに作成した。再び養子として、養親に引き取られた赤ちゃんもいるが、詳細は個人が特定されるとして非公表とした。「こうのとりのゆりかご」に預けられた赤ちゃんは、2009年(平成21年)9月末時点で、51人。2011年(平成23年)現在、こうのとりのゆりかごの利用に至る前に、母子を救おうと慈恵病院が実施している電話相談の件数は、2007年(平成19年)から2010年(平成22年)までの3年間で約1,500件に上り、うち8%がやむを得ない自宅出産破水など緊急時関連だった。その為、同院では無料電話相談を24時間態勢で行うこととした。同院は「一つの病院がボランティアで応じるには限界がある」として、国による補助制度を実現し、全国的に相談・医療拠点が整備される必要性を訴えている。なお、全国の児童相談所、熊本市福祉総合相談室でも電話相談窓口を設置している。

熊本市を舞台とした作品[編集]

唱歌[編集]

前述した、1900年(明治33年)に大和田建樹によって作詞された『鉄道唱歌』第2集山陽・九州編では、熊本は当時九州一の都会ということもあって、4番を割いて歌っている。

  • 51. 眠る間もなく熊本の 町に着きたり我汽車は 九州一の大都会 人口五万四千あり
  • 52. 熊本城は西南の 役に名を得し無類の地 細川氏のかたみとて 今はおかるる六師団
  • 53. 町の名所は水前寺 公園きよく池ひろし 宮は紅葉の錦山 寺は法華の本妙寺
  • 54. ほまれの花もさきにおう 花岡山の招魂社 雲か霞か夕ぞらに みゆるは阿蘇の遠煙

スポーツ[編集]

野球

サッカー

バレーボール

バスケットボール

ボクシング

  • S&Kボクシングジム(日本プロボクシング協会
  • 熊本ボクシングジム(日本プロボクシング協会)
  • 本田フィットネスボクシングジム(日本プロボクシング協会)

熊本市に関係する有名人・著名人[編集]

その他[編集]

市内郵便番号[編集]

市外局番[編集]

  • 南区城南町は0964(20 - 59)(松橋MA)。そのほかの区および地域は096(200 - 399)(熊本MA)。

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 全国地方公共団体コードの改正表(平成23年12月19日条例公布分) (PDF) - 財団法人 地方自治情報センター
  2. ^ a b c 都市の全体構成(熊本市「熊本市都市マスタープラン」)
  3. ^ 第3章 良好な景観の形成のための行為の制限に関する事項 (PDF) (熊本市「くまもと市の景観について」)
  4. ^ 熊本市の音楽「熊本市歌」(熊本市)
  5. ^ 都市宣言 熊本市
  6. ^ 都市景観形成の方針 基本方針 熊本市
  7. ^ 熊本水物語(熊本市)
  8. ^ 平成の名水百選(環境省選定)(熊本県)
  9. ^ 水と緑の都 熊本市(熊本市)
  10. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. Japan Meteorological Agency. 2011年12月2日閲覧。
  11. ^ 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. Japan Meteorological Agency. 2011年12月2日閲覧。
  12. ^ くまもとの電気100年の歩み九州電力
  13. ^ a b 2003年熊本大学ハーン展示会・講演会のこと (PDF) (熊本大学附属図書館報 第38号 2004年1月)
  14. ^ 2011年(平成23年)6月4日 日本初のフェアトレードタウン熊本に誕生 フェアトレードタウン・ジャパン
  15. ^ 国連「生命の水」の水管理部門で最優秀賞を受賞
  16. ^ 浜田村・白石村・畠口村は並建列村として扱われていた。新熊本市史通史編第八巻現代1、p256、熊本市、1997年
  17. ^ 内田村は銭塘列村、海路口村は奥古閑列村として扱われていた。新熊本市史通史編第八巻現代1、p256、熊本市、1997年
  18. ^ 熊本市「政令指定都市移行に伴うお知らせ(ガイドブック)」、2頁 (PDF)
  19. ^ 熊本市、来春政令市に 全国20番目 東京新聞 2011年(平成23年)10月5日
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  22. ^ 熊本市の「行政区の名称」の答申がありました!! 熊本市
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  25. ^ 平成19年度市町村民所得推計報告書
  26. ^ World Economic Outlook Database
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  38. ^ 自然豊かな街に、話題のファッション、ビューティーサロンなどの商業施設『aune KUMAMOTO』(あうね熊本)-2008年10月25日(土) グランドオープン- (PDF) 株式会社ジョイ ント・コーポレーション 2008年(平成20年)9月16日
  39. ^ 熊本と東京(5店舗)限定発売でレアです!マックフルーリー D@EXコラム DINING EXPRESS
  40. ^ 話題騒然のハンバーガーが全国発売に先駆け、関東圏で発売 - マクドナルド 2008/11/27 マイコミジャーナル
  41. ^ 日本マクドナルドホールディングス(2005年) (PDF) J-marketing.net

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

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