テレビ熊本

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株式会社テレビ熊本
TV-Kumamoto Co., Ltd.
本社(熊本市北区徳王1丁目)
種類 株式会社
略称 TKU
本社所在地 日本の旗 日本
861-5592
熊本県熊本市北区徳王1丁目8番1号
北緯32度50分22.32秒 東経130度42分28.36秒 / 北緯32.8395333度 東経130.7078778度 / 32.8395333; 130.7078778座標: 北緯32度50分22.32秒 東経130度42分28.36秒 / 北緯32.8395333度 東経130.7078778度 / 32.8395333; 130.7078778
設立 1968年昭和43年)3月
業種 情報・通信業
法人番号 5330001003121 ウィキデータを編集
事業内容 テレビジョン放送事業(フジテレビジョン系列)
放送番組の制作・放送時間の販売・スポーツ・文化事業
代表者 代表取締役会長 本松 賢
代表取締役社長 河津 延雄
資本金 3億円
売上高 58億9988万3000円(2023年03月31日時点)[1]
営業利益 3億1417万4000円(2023年03月31日時点)[1]
経常利益 5億6353万8000円(2023年03月31日時点)[1]
純利益 3億9280万7000円(2023年03月31日時点)[2]
純資産 144億2913万4000円(2023年03月31日時点)[1]
総資産 166億2969万2000円(20223年03月31日時点)[1]
従業員数 65名(2023年3月現在)
決算期 3月31日
主要株主 フジ・メディア・ホールディングス(19.2%)
主要子会社 株式会社TKUヒューマン
株式会社熊本リビング新聞社
関係する人物 河津寅雄
外部リンク https://www.tku.co.jp/
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テレビ熊本
英名 TV-Kumamoto Co., Ltd.
放送対象地域 熊本県
ニュース系列 FNN
番組供給系列 FNS
略称 TKU
愛称 TKU、テレビくまもと
呼出符号 JOZH-DTV
呼出名称 テレビくまもとデジタルテレビジョン
開局日 1969年4月1日
本社 861-5592
熊本県熊本市北区徳王1丁目8番1号
演奏所 本社と同じ
リモコンキーID 8
デジタル親局 熊本(金峰山) 42ch
アナログ親局 熊本(金峰山) 34ch
ガイドチャンネル 34ch
主なデジタル中継局 人吉 19ch 10W
水俣 27ch 100W
阿蘇 42ch 1W
主なアナログ中継局 水俣 38ch 500W
人吉 42ch 100W
阿蘇 60ch 10W ほか
公式サイト https://www.tku.co.jp/
特記事項:
2006年12月1日に地上デジタル放送を開始。
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株式会社テレビ熊本(テレビくまもと、: TV-Kumamoto Co., Ltd.) は、熊本県放送対象地域としたテレビジョン放送事業を行っている、特定地上基幹放送事業者である。

通称ならびに愛称ひらがなテレビくまもととしている。コールサインはJOZH-DTV1968年昭和43年)に設立し、翌1969年(昭和44年)4月1日に開局した。フジテレビ系列局。

放送局概要[編集]

テレビネットワークはフジテレビFNNFNS系列であるが、くまもと県民テレビ(KKT)開局までは日本テレビ(NNN)系列、熊本朝日放送(KAB)開局まではテレビ朝日(ANN)系列とのクロスネット局でもあった。

略称TKUは、「TV Kumamoto UHF」の頭文字からきている。略称にUHFの"U"がつく例はアナログ放送の親局がUHFだったテレビ局でよく見られるが、大抵は「U○○(UHB等)」「○U○(SUT等)」のパターンのため、「○○U」は唯一のケースである。

局キャラクターとして、局名(社名)にちなみ、1998年平成10年)より「てれくまくん」を採用していたが、2019年(平成31年)4月1日より、チャンネルIDと社名にちなんだ「くまはち」に交代した。

西日本新聞産経新聞などと親密で、また朝日新聞読売新聞毎日新聞も出資している。

ラジオ局ではTKU以外にも熊本シティエフエム(FM791)のみである。

なお、設立発起人の一人で同局のオーナーでもある河津龍介も発行済み株式を1割強保有する大株主として名を連ねている。

2019年(平成31年)1月からのキャッチコピーは、「リズム!TKU」

本社・支社[編集]

沿革[編集]

旧ロゴ(1989年~2018年)
  • 1967年昭和42年)
    • 10月13日 - 熊本にUHF民放局への電波割り当てが決定される[3]
      • 1962年(昭和37年)から1967年(昭和42年)10月の電波割り当てまでに、11社が放送局の設置申請を行っていた。TKUの母体となる「熊本中央テレビ」(小国町長・自由民主党熊本県連会長・全国町村会長など、河津寅雄系)は最後発(1967年(昭和42年)7月29日)の申請であった[4]
    • 10月21日 - 免許申請の一本化調整を開始。「新熊本放送」(日本社会党森中守義系)以外の10社が受け入れる[5]
    • 11月14日 - 前日(11月13日)に新熊本放送が免許申請を取り下げたことを受け、熊本中央テレビに対し予備免許が交付される[6]。当時のキャッチフレーズは「新しき光と音の誕生」で武者小路実篤の作であった[7]
  • 1968年(昭和43年)
    • 1月5日 - 創立事務所を熊本市桜町2-9(当時の熊本県町村自治会館隣・現在の熊本市中央区桜町2-9)に設置[8]
    • 3月12日 - 創立総会を開催[8]
    • 5月18日 - 第1回株主総会を開催。社名を熊本中央テレビ株式会社から、現在の株式会社テレビ熊本へ変更することを決定する(NHK熊本中央放送局との混同が理由)。同時に略称もTKUと決定された[9]
    • 12月3日 - ネット系列をフジテレビ系中心とすることを決定。
      • フジテレビはTKUへの全面支援と、熊本放送(RKK)で放送されている番組の全面切り替えを約束した。一方で、日本テレビは当時の看板番組である巨人戦中継(プロ野球・読売ジャイアンツ主催試合の中継番組)をRKKに残す意向があった上に、NETテレビ(現在のテレビ朝日)は「好きな番組をネットしても良い」とのスタンスであった[10]
  • 1969年(昭和44年)
    • 3月1日 - 正午からテストパターンを発射[11]
    • 3月17日 - サービス放送を開始[11]
    • 4月1日 - 8時10分に熊本県内2番目の民放テレビ局として開局。12時45分にTKU初のローカルニュース番組を放送する[12]
      • アナログVHF局の先発局(NHK・RKK)は県域放送局の指定がなかったため金峰山送信所は無指向性で送信されていたが、アナログUHF局のTKUは熊本県域局として開局した関係で、北から310度(おおむね北西、佐賀県方面)には送信アンテナが設置されなかった。このため、熊本県北の有明海沿岸ではゴースト障害が発生していた[13]
    • 4月6日 - TKU初の自主制作番組『TKU週間展望』放送開始。1週間のニュースを取り上げ社説風に解説する15分番組[14]
    • 9月18日 - 矢部中継局(TKU初の中継局)が開局[15]
    • 9月20日 - 高森中継局(後の南阿蘇中継局)がVHF局として開局[15]
    • 10月8日 - 人吉中継局が開局[15]
    • 10月24日 - 小国中継局が開局[16]
      • 高森局(南阿蘇局)と小国局がVHF局として開局したのは、チャンネル割り当てに空きがあったためである。1969年(昭和44年)当時はUHF局の受信に別途UHFコンバーターが必要であることが一般的であり、VHFでの開局は視聴者側の対策(コンバーターの設置)が不要という点で優位であった[15]
    • 11月18日 - 蘇陽中継局が開局[16]
    • 11月22日 - 水俣中継局が開局[16]
    • 12月27日 - 阿蘇中継局が開局[16]
  • 1974年(昭和49年)10月 - テレビ中継局数がRKKと同数になる[17]
  • 1976年(昭和51年)10月 - 熊本県北地域の受信対策として玉名中継局が開局[18]
    • 金峰山送信所へのアンテナ増設はサガテレビが同意しなかったため断念し、中継局設置により受信対策を実施した。玉東中継局も同様の目的で1978年3月に設置。これにより玉名・玉東局でカバーされない荒尾市を除き、受信障害はおおむね解消された[18]
  • 1981年(昭和56年)12月14日 - 新キャッチフレーズ「くまもとが好き だからTKU」を公表。放送上では翌1982年から使用される[19]
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月1日 - 熊本県民テレビ(KKT)の開局に伴い、フジテレビ系列・テレビ朝日系列のクロスネット局となる。
    • 12月 - 本社の増築棟竣工(運用は翌年4月から[20])。
  • 1983年(昭和58年)
    • 3月18日 - 新しい主調整室(マスター)が稼動開始し、同時に音声多重放送も開始される[20]
    • 6月 - 開局以来初の視聴率三冠を獲得する[21]
    • 8月 - 「くまもとが好き だからTKU」が楽曲として使用開始される。メロディーは公募によるもので、約800点から当時18歳の男性の作品が選定された[19]
    • 10月 - 旧マスター室を報道センターに改修[22]
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月 - ワイドニュース番組『TKUニュースアイ』放送開始[22]
    • 12月 - 金峰山送信所に北面アンテナ(北から315度)が設置される(出力は1/10の1kW)。なお、1982年に開局した熊本県民テレビ(KKT)は当初から北面にもアンテナが設けられていた[23]
  • 1986年(昭和61年)7月 - TKUとKKTの金峰山送信所が全方向フルパワー化される[23]
    • サガテレビや九州朝日放送(KBCテレビ。TKUと同じ34chを使用する中継局があった[注釈 1])からの了解も得られた上で実施。北面アンテナはスピルオーバー防止対策として、主ビームを足元に向けるように調節された[23]
    • 金峰山送信所のフルパワー化に伴い、玉名中継局の位置付けが「熊本県北地域の主要中継局」から「二岳、三岳の山陰になる地域(当時の玉名市域および天水町河内町)のための中継局」に変更、出力は7月19日[24]に30Wから10Wに減力された[23]
  • 1987年(昭和62年)4月3日 - 『若っ人ランド』が金曜深夜の番組として放送開始(同年10月より土曜17時に番組枠を移動)[25]
  • 1989年(昭和64年/平成元年)
    • 1月1日 - Visual Identity(VI)導入に伴い、開局20周年マークとして「TKU」ロゴを2代目に変更(ただしロゴ変更から1998年までは、2018年までの物より細かった)、呼称「テレビくまもと」の使用開始[26]スターダストレビュー作詞・作曲のイメージソング『NEW DAY BEGIN ~愛は風にのって』も使用開始[27]
    • 4月1日 - 開局20周年を迎える。第1回TKUの日を開催[28]
    • 10月1日 - 熊本朝日放送 (KAB)の開局に伴い、フジテレビ系列のフルネット局となる[29]
  • 1998年(平成10年)
    • 10月1日 - 開局30周年記念キャッチコピー「ドラマちっくTKU」およびイメージソング『ドラマちっくTKU~輝いて~』を使用開始。オープニング(1日の放送開始映像)も同日から変更される。イメージソングはサーカス(TKU主催「音楽畑コンサート」の常連アーティストであった)によるもの[30]
    • 12月 - 開局20周年マーク(2代目ロゴ)を太字にマイナーチェンジ、これを3代目ロゴマークとする[31]
    • 12月14日 - イメージキャラクター「てれくまくん」を公表[30](2019年(平成31年)3月まで使用)。
  • 2006年(平成18年)
  • 2009年(平成21年)
    • 1月1日 - 地上デジタル放送でウォーターマークの表示を開始(ただし、ワンセグでは非表示)。
    • 4月1日 - 開局40周年を迎える。この年、開局40年記念として、地球環境をテーマにしたキャッチコピー「明日(アース)のために、できること。」が1年間使用された。
  • 2011年(平成23年)7月24日 - 正午(午後0時)地上アナログ放送終了。その後、23時59分までにアナログ放送は停波。地デジに完全移行する。
  • 2018年(平成30年)12月14日 - 開局50周年を機に、新ロゴマーク(4代目)およびキャッチコピーを発表(2019年(平成31年)1月1日より使用開始)。新キャッチコピーは「リズム!TKU」[32]

ネットワークの移り変わり[編集]

  • 1969年昭和44年)4月1日 - 日本テレビ放送網フジテレビジョン・日本教育テレビ(以下NET、後のテレビ朝日)のトリプルネット局として開局。ニュースネットワークNNNFNNに加盟。ただし、NNNについては一部ニュース番組を受け、素材送り出しも実施し、ネット分担金も負担していたものの、オブザーバー加盟だった[33]
  • 1969年(昭和44年)10月1日 - この日発足のFNSにも加盟[注釈 2]
    • 番組の編成は、平日については一部除きほぼ1日中フジテレビ系の番組を中心に、日本テレビ系は「NNNきょうの出来事」と「11PM」、NET系は昼のニュースをそれぞれ編成した。土・日曜日はフジテレビ系をメインに、日本テレビ・NETの同時・遅れネットの番組を編成していた。トリプルクロスネット局だったが、当時からフジ色が濃い編成であった。
  • 1970年(昭和45年)1月1日 - ANNにも加盟。この時点でのニュースローテーションは、朝がFNN→昼がANN→夕方がFNN→最終版がNNNだった。
  • 1975年(昭和50年)3月31日 - ANN系列の準キー局腸捻転解消により毎日放送から朝日放送に変更され、同時に毎日放送・朝日放送制作分の関西発全国ネット番組を熊本放送と交換。
  • 1982年(昭和57年)4月1日 - 熊本県民テレビの開局によりNNNを脱退し、日本テレビ系列の番組がKKTへ移行。
  • 1989年平成元年)10月1日 - 熊本朝日放送の開局によりANNを脱退し、テレビ朝日系列の番組がKABへ移行と同時に「ANNニュースライナー」のネットを打ち切って「FNNスピーク」(月曜 - 金曜)「TKUニュース」(土曜・日曜)の放送を開始し、フジテレビ系列のフルネット局となる。

主な送信所[編集]

フジテレビ系列のリモコンキーID地図
旧・金峰山送信所(アナログ、2015年撮影)
蘇陽中継局(アナログ)

リモコンキーID - 8

親局
名称 識別信号 チャンネル 空中線電力
熊本 JOZH-DTV 42ch 1kW
送信機はNEC製。アナログ時代とは異なり、熊本放送の施設を間借りし県内全民放テレビ局とエフエム熊本(FMラジオ)と共に施設を共同使用している。
中継局
名称 チャンネル 空中線電力
人吉 19ch 10W
水俣 27ch 100W
天草牛深 27ch 0.3W
阿蘇 42ch 1W
阿蘇北 19ch 0.3W
南阿蘇 23ch 3W
肥後小国 18ch 1W
清和 35ch 1W
蘇陽 43ch 1W
矢部 20ch 1W
三加和 42ch 0.3W
砥用 38ch 1W
菊水 35ch 0.1W
三角 33ch 0.3W
湯浦 42ch 0.3W
芦北 42ch 0.3W
立田山 27ch 0.3W
波野 42ch 1W
熊本託麻 18ch 0.3W
玉名 42ch 1W
玉東 42ch 0.3W
牛深魚貫 32ch 0.1W
新和 27ch 0.3W
崎津 28ch 0.1W
河浦 14ch 0.3W
水上 30ch 0.1W
鹿北 31ch 0.3W
本渡北 37ch 0.3W
本渡 48ch 0.3W
倉岳 42ch 1W
栖本 18ch 0.1W
有明上津浦 43ch 0.1W
御所浦 14ch 0.1W
19ch 0.1W
小川海東 39ch 0.1W
松島教良木 43ch 0.1W

アナログ放送[編集]

2011年7月24日停波時点 アナログ中継局の内小国中継局南阿蘇中継局のみVHF波で送信していた。

  • 熊本(親局):34ch 10kW JOZH-TV 金峰山 送信機は東芝
  • 水俣:38ch 500W
  • 小国[注釈 3]:8ch
  • 南阿蘇:4ch
  • 人吉:42ch
  • 阿蘇:60ch

ケーブルテレビ再送信局[編集]

長崎県ケーブルテレビジョン島原(カボチャテレビ)及びひまわりてれび(西九州電設)では、テレビ熊本のアナログテレビの再送信を行ってきたが、2011年平成23年)7月24日のアナログ放送終了をもってこの2社での再送信も終了した。そのためテレビ熊本は、2013年(平成25年)春に同2社での熊本放送(RKK)の再送信が終了するまでの間、熊本県の民放4局の中で唯一、県外のケーブルテレビ局による再送信が実施されていない状態にあった[注釈 4]

資本構成[編集]

企業・団体の名称、個人の肩書は当時のもの。出典:[34][35][36][37][38]

概要[編集]

フジテレビ日本テレビテレビ朝日のトリプルクロスネット時代には、西日本新聞社と同比率で読売新聞社務臺光雄)と朝日新聞社広岡知男)の社長が個人大株主となっていた。

2021年3月31日[編集]

資本金 発行済株式総数 株主数
3億円 600,000株 58
株主 株式数 比率
フジ・メディア・ホールディングス 143,000株 25.83%
関西テレビ放送 62,000株 10.33%
河津悦子 43,000株 07.17%
西日本新聞社 30,000株 05.00%

過去の資本構成[編集]

主な番組[編集]

アナウンサー[編集]

男性[編集]

女性[編集]

過去に在籍していたアナウンサー[編集]

男性[編集]

女性[編集]

  • 矢部絹子
  • 古沢久美子
  • 浅田麻梨乃(MBA留学、三井物産を経て、現・テレビ朝日社員。USCPA米国公認会計士、CIA公認内部監査人の資格を持つ)
  • 岩永暁子(1997年[39] - )
  • 瀬山英子(1996年[39] - 、退社後、フリーでパインズ所属[40]
  • 中島道子
  • 若松美雪
  • 橋本絵理子(1980年 - 1985年。退職後、フリーアナウンサーへ転向)
  • 小門容子(退社後、タレントに転身)
  • 野田亜紅(1989年[39] - 、その後はフリーでFM熊本等で活動)
  • 横田浩子
  • 白浜美津子
  • 勝田麻吏江
  • 荒尾千春(退社後、サガテレビ契約職員を経て、現在はフリーアナウンサーになる)
  • 風戸直子(1992年[39] - )
  • 田中(現・仲野)朝子(2006年 - 2009年12月。退社後、ホリプロ所属のフリーアナウンサーになる)
  • 西村佳良子(1992年[39] - 、報道制作局に異動)
  • 木村佳那子(2010年 - 2011年、元静岡放送契約社員。退社後、千葉テレビ放送へ移籍)
  • 藤本愛英(2001年 - 2011年。一旦家庭に入った後、フリー情報誌出版の仕事を始める)
  • 長安智子(2010年 - 2012年。四国放送から移籍。退社後、NHK山口放送局の契約キャスターになる)
  • 井後真奈美(2001年 - 2014年3月)

自社主催イベント[編集]

情報カメラ設置ポイント[編集]

関連施設[編集]

特色[編集]

  • ローカル制作番組強化の一つとして、1993年平成5年)から熊本県出身の偉人を発掘・顕彰して後世に伝えようと大型ドキュメンタリードラマ「郷土の偉人シリーズ」を制作、毎年11月3日文化の日)前後に合わせてFNS九州各局で放送している。また、2013年(平成25年)4月から月~金曜日に朝の情報番組「英太郎のかたらんね」をスタートさせるなど、自社制作番組の強化やニュース番組の充実に取り組んでおり「英太郎のかたらんね」が7年連続同時間帯視聴率トップ独走中、また「TKU Live News」も同時間帯で平均視聴率トップをとるなど自社番組の視聴率も好調である。
  • 2004年(平成16年)に熊本の放送局で初めて国際標準規格ISO 14001を取得している。
  • 本社所在地は1991年(平成3年)に編入によって熊本市(現在の熊本市北区)になるまで飽託郡北部町であり、全国的にも珍しい郡部(町または村)に社屋を持つ放送局で、民間放送局(ケーブルテレビ局とコミュニティFMラジオ局を除く)としては唯一郡部(町または村)に本社を置く放送局であった[注釈 11]。また、在熊テレビ局では唯一、本社を開局時から移転していない。

補足[編集]

関連人物[編集]

脚注[編集]

注釈
  1. ^ 太宰府中継局松ヶ江中継局頴田中継局が該当。ただし、後にアナアナ変換で使わなくなった。
  2. ^ 但し、日本テレビ系はニュース番組供給部門(NNN)のみにオブザーバー加盟し、一般番組供給部門(NNS)はニュース系列脱退まで未加盟だった。
  3. ^ アナログ放送ではNHKを除いて旧国名の「肥後」を中継局名に加えていなかった。
  4. ^ 残りの2局は、宮崎県ケーブルメディアワイワイ及び同社と業務提携の関係にある高千穂町光ケーブルネットワークひのかげケーブルネットワーク美郷町ケーブルテレビジョンで再送信が行われている。
  5. ^ a b テレビ熊本 代表取締役社長
  6. ^ a b c テレビ熊本 取締役
  7. ^ テレビ熊本 非常勤取締役
  8. ^ フジテレビジョン 代表取締役会長
  9. ^ テレビ熊本 代表取締役会長
  10. ^ 関西テレビ放送 代表取締役社長
  11. ^ 同様の事例は青森放送(開局時は青森県東津軽郡浜舘村(出典:『青森放送二十五年史』(青森放送1980年発行))やNHK沖縄放送局(沖縄県島尻郡豊見城村)でもある。青森放送は市町村合併により青森市となり、NHK沖縄放送局は合併ではなく移転(那覇市おもろまち)による。なお、NHK沖縄放送局があった豊見城村は後に市に昇格した。
  12. ^ 国政選挙運動期間中の公明党に関しては、公職選挙法の規定により、放送局の都合で断ることができないため、有償扱いで出稿を認めている。
  13. ^ なお、同じ創価学会系の学校教育機関である学校法人創価学園については、熊本県内に当該法人が管理運営する学校教育機関が存在しないため、当局では放送されない。
  14. ^ 2004年のFNS27時間テレビ出演時岡村先生にいじられクローズアップされる。
出典
  1. ^ a b c d e 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、473頁。 
  2. ^ 株式会社テレビ熊本 第54期決算公告
  3. ^ 『テレビ熊本30年史』p.20
  4. ^ 『テレビ熊本30年史』p.21
  5. ^ 『テレビ熊本30年史』p.22
  6. ^ 『テレビ熊本30年史』p.23
  7. ^ 『テレビ熊本30年史』p.24
  8. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.25
  9. ^ 『テレビ熊本30年史』p.28
  10. ^ 『テレビ熊本30年史』pp.33-35
  11. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.38
  12. ^ 『テレビ熊本30年史』p.43
  13. ^ 『テレビ熊本30年史』p.74
  14. ^ 『テレビ熊本30年史』pp.48-49
  15. ^ a b c d e 『テレビ熊本30年史』p.53
  16. ^ a b c d 『テレビ熊本30年史』pp.276-277
  17. ^ 『テレビ熊本30年史』p.73
  18. ^ a b 『テレビ熊本30年史』pp.75-76
  19. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.109
  20. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.112
  21. ^ 『テレビ熊本30年史』p.124
  22. ^ a b 『テレビ熊本30年史』p.118
  23. ^ a b c d 『テレビ熊本30年史』pp.147-148
  24. ^ 『テレビ熊本30年史』p.320
  25. ^ 『テレビ熊本30年史』p.167
  26. ^ 『テレビ熊本30年史』p.158
  27. ^ 『テレビ熊本30年史』p.159
  28. ^ 『テレビ熊本30年史』p.160
  29. ^ 『テレビ熊本30年史』p.144
  30. ^ a b 『テレビ熊本30年史』pp.212-213
  31. ^ 『テレビ熊本30年史』p.16
  32. ^ TKUのロゴが変わります!キャッチコピーは「リズム!TKU」”. テレビ熊本. 2018年12月28日閲覧。
  33. ^ 『大衆とともに25年 沿革史』(日本テレビ放送網株式会社社史編纂室・編、1978年)のNNN紹介欄と、よみうりテレビ開局20周年記念事業企画委員会・編「ネットワーク現勢」『よみうりテレビの20年 : 写真と証言』(読売テレビ放送、1979年)による。
  34. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、466頁。 
  35. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2015』コーケン出版、2015年11月20日、444頁。 
  36. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、471頁。 
  37. ^ 日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、439頁。 
  38. ^ 日本民間放送連盟『日本放送年鑑'78』洋文社、1978年12月、301頁。 
  39. ^ a b c d e f NHKウィークリーステラ全国アナウンサー名鑑
  40. ^ 瀬山英子プロフィール
  41. ^ “人気イベントの始まりは くまもとマーチングフェスティバル 貴重な映像で振り返る【熊本】”. TKU (テレビ熊本). (2023年8月9日). オリジナルの2023年8月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230811085155/https://www.tku.co.jp/news/?news_id=20230809-00000003 2023年8月11日閲覧. "このイベントの「生みの親」は森 義臣さん、81歳。熊本県マーチングバンド協会の名誉会長です。…「『くまもとマーチングフェスティバル』は1974年、昭和49年9月25日にその歴史が始まりました。」" 
  42. ^ 森義臣 (2023年8月9日). 人気イベントの始まりは くまもとマーチングフェスティバル 貴重な映像で振り返る【熊本】. YouTube. TKUofficial. 2023年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年9月8日閲覧

参考文献[編集]

  • 30年史編纂委員会『テレビ熊本30年史』テレビ熊本、2001年。

外部リンク[編集]