琉球新報

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株式会社琉球新報社
The Ryukyu Shimpo
Ryukyu Shimpo Newspaper Building.jpg
琉球新報社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
900-8525
沖縄県那覇市天久905
設立 1893年(明治26年)9月15日
業種 新聞業
事業内容 日刊新聞の発行、広告業、出版業、各種イベント
代表者 富田詢一(代表取締役社長)
資本金 1億9,232万2,000円(2005年3月31日現在)
売上高 126億1,761万6,000円(2005年3月期)
総資産 120億482万3,000円(2005年3月31日現在)
従業員数 337人(2010年7月1日現在)
決算期 3月
主要株主 従業員持株互助会7%、親泊一郎7%、沖縄テレビ放送4.6%、宮里昭也3.9%、大同火災海上保険3%(2005年3月31日現在)
外部リンク 株式会社琉球新報
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2005年まで入居していた琉球新報泉崎ビル
1960年代の琉球新報社屋

琉球新報(りゅうきゅうしんぽう、英語Ryukyu Shimpo)は、沖縄県を中心に発行されている日刊新聞である。株式会社琉球新報社(りゅうきゅうしんぽうしゃ、英語:The Ryukyu Shimpo)が発行している。

概要[編集]

沖縄県で最も古い新聞会社(1951年に「うるま新報」を復元改題した「琉球新報」は法人としては別組織)[1][2][3]

旧「琉球新報」は、首里出身の尚順高嶺朝教太田朝敷ら旧支配層によって創設。創刊目的[4]に明言するように、日本に国民的に「同化」することを目指した。当時の寄留商人に牛耳られた沖縄社会を取り戻すためには、日本に「同化」する必要があると判断し、それが成功した結果、「支配階級の機関紙」といわれた[5]。第4代知事奈良原繁とともに沖縄の自由民権運動を率いた謝花昇を弾圧した[6] 。社内の分裂も経ながら、3紙統合がなされた沖縄戦直前まで生き延びたのも、経営者が資産家であったこと、また県当局に妥協し、民権運動を弾圧するなど事大主義的な編集方針が幸いしたといわれる[7]。1940年の新聞統制により「沖縄朝日新聞」「沖縄日報」とともに「沖縄新報」に統合され、沖縄戦とともに姿を消した。

戦後「うるま新報」として創刊され、旧琉球新報の題字を改題復活させた新「琉球新報」は、現在も県内では、ライバル紙「沖縄タイムス」とシェアを二分する。

1969年には労働組合ストライキ(春闘)の影響で約2週間新聞休刊したこともあった。1979年には九州・沖縄地区初のカラー印刷を開始。更に1981年には1面など主要ページを全国主要地方紙として初めて連日カラー化に踏み切った。

2005年3月期の売上構成は新聞購読料が38%、広告料収入37%、その他25%となっている。

マスコットキャラクターはりゅうちゃん

2009年3月より夕刊を廃止し、朝刊のみの発行となる(それ以前からも1993年10月から第2土曜日が休刊となっていた。これは週休2日制が定着したことを受けてのものである)。社告ではその理由を「広告需要の長期低迷と、用紙代やインキ代など資材高騰による新聞製作コスト上昇」と説明し、夕刊時間帯のニュース報道はインターネットを活用して速報態勢を強化するとしている。なお夕刊廃止は大手紙・地方紙の別を問わず全国的な流れとなっており、沖縄タイムスも同時期に夕刊廃止を行った。

論調[編集]

  • 沖縄タイムスと同様に、沖縄が恒久的に軍事基地化することを危惧し、日米安全保障条約在日米軍、在沖自衛隊の軍備増強について批判的である[8]
  • 「沖縄はゆすり・ごまかしの名人」発言で米国務省により更迭されたケヴィン・メアについて、在日米軍が行った東日本大震災の際のトモダチ作戦と称した救援活動に、更迭されたばかりのメアを日米間の調整担当に充てたことなどから「売名目的」と厳しく批判し、県各地の議会によるメアへの抗議などを詳細に報じている[9][10][11][12][13][14][15][16]
  • 沖縄戦を詳細に調査してきたドキュメンタリー作家上原正稔により2007年5月25日から開始された「パンドラの箱を開く時」の連載について、「慶良間諸島での集団自決の真相は米軍旧日本軍による命令ではなく防衛隊員による指示または教唆であった」とする内容[17]が、琉球新報の「社の方針」に反する事を理由に掲載拒否された[18]ことにより、上原を原告とする訴訟に発展した。(琉球新報は当時の高校歴史教科書問題において「(集団自決は)軍の命令」という記述の削除を求めた文部科学省に対し「集団自決は旧日本軍によるもの」との主張を展開している[19])。一審では「当該記事は、当時日本軍の慶良間諸島の隊長であった梅澤裕氏の集団自決命令が無かった事を証明するもので、これの掲載拒否は言論封殺だ」とする上原に対し、琉球新報は「慶良間編の原稿が従前書いた物の二重掲載である、最終回の原稿は新味のない焼き直しである」と主張し、2012年11月20日、那覇地裁は琉球新報の主張を認め、上原の敗訴となった[20]。しかし上原は、被告の掲載拒否は編集方針に反する事を理由としたものであるとして控訴し[21]、二審の福岡高裁では2013年7月29日に逆転勝訴となった[22]。「判決:被控訴人は、控訴人に対し、105万4000円及びこれに対する平成23年2月5日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え」[23]。上告期限の2013年8月13日、琉球新報の上告は無く、上原の勝訴が確定した[24]。なお、勝訴した上原は琉球新報が読者に対して行った情報隠蔽(歪曲)を謝罪するよう、また琉球新報の事実歪曲がもたらした長年にわたる2名への名誉毀損について、本人らへ謝罪するよう助言している[25]が、琉球新報はこの判決の後も依然として「日本軍から集団自決を強いられ命を落とした」とする主張を続けている。[26]
  • 東日本大震災後は、原発事故に絡めて普天間問題を始めとする基地問題への反対を主張する論調が見られるようになった[27]。また、東京都が瓦礫を受け入れる事に反対の意見が殺到したことに対し「黙れと言えばいい」と発言した東京都知事石原慎太郎を批判した[28]
  • 4コママンガ「がじゅまるファミリー」では、沖縄県民大会について描かれる事がある。(2007年の大会前日と2010年の大会前日)[29][30]また、2010年6月には作者の実母の体験とされる沖縄戦体験談をモデルにし、集団自決を連想させる内容が4コママンガに描かれたこともある。[31]
    また、2012年6月には「平和の音」と題し、過去に嘉手納基地の司令官が発言し[32]、メアも発言したとされる[33]、米軍機の騒音を表す「自由の音」発言を批判するような内容を描いている[34][35]

沿革[編集]

  • 1893年9月15日 - 沖縄県初の新聞として、隔日刊新聞「琉球新報」が発行される。尚順が社長、太田朝敷が編集担当。社屋は那覇西村123番地。紙面は縦35.6cm、横28.5cmで4ページ建て、隔日刊。(現在の同紙とは題字が同一だが、企業体は別である)[36][37]
  • 1906年 - 日刊紙となる。
  • 1914年4月25日 - 紙齢(号数)5000号を数える[38]
  • 1915年6月16日 - 記事「飛行機の話」に言文一致の新聞文章が沖縄県内で初めて使われた。
  • 1940年12月20日 - 全国的に行われた「一県一紙化」を目的とする政府指導により「琉球新報」、「沖縄朝日新聞」、「沖縄日報」の三紙が統合し、新たな新聞「沖縄新報」を発行した[39]
  • 1945年
    • 3月23日から始まった沖縄戦の最中も、首里城地下の32軍司令部壕の近くにあった新聞社壕で発行が続けられた。壕内の新聞発行は元「沖縄朝日新聞」記者らが中心となって発行を続けており、元「琉球新報」記者はすでにこの時点で制作に携わっていなかった[40][41][42]。同年5月27日第32軍が沖縄本島南部へ撤退したため、新聞発行を続けることが困難になり事実上終刊[43]。全国で唯一、戦争によって廃刊された新聞となった。
    • 7月26日 - 沖縄戦終戦によって戦後初めての新聞「ウルマ新報」(のち「うるま新報」と変更される)が米軍の準機関紙[44]として発行された。タブロイド版週刊2ページ建てで、発行2万部を無料配布[45]。米軍が戦前の新聞関係者による新聞発行を嫌ったため、新聞発行に経験がない素人によって発行されることとなった[46][47][48]そのため、戦時中に発行されていた「沖縄新報」や、戦前の「琉球新報」との人的つながりは島清を除くと編集部門ではなく、新聞壕の活字を掘り起こした技術部門の人々[49][50]が、実質的に戦前の琉球新報とのつながりを示している。
  • 1946年
    • 4月 - 池宮城秀意が編集長に就任。新聞記者としての職歴をもつ唯一の職員[51]
    • 5月22日 - 米軍政府と沖縄民政府の機関紙に正式に指定[52]
  • 1949年2月 - 「琉球新報」復刊を目指し株式会社琉球新報社を設立。
  • 1951年9月10日 - サンフランシスコ平和条約締結を機に「琉球新報」に復元改題。再び、琉球新報の名で発行され始める」[53]。沖縄民政府副知事を退任し、戦前の「琉球新報」社長を務めた又吉康和が題字へのこだわりと郷愁が背景にあった。高良一が「琉球日報」という新聞を買い取り、「琉球新報」と改題しようとするのを、やめさせて、自らの新聞の題字に採用した」[54]
  • 1955年3月1日 - 夕刊が発行され始める。
  • 1961年2月16日 - 日本新聞協会に入会。
  • 1963年9月15日 - 戦前の琉球新報との一体感を打ち出すために、親泊政博社長が「復刊17年、紙齢5000号を迎えた」と表現。9月15日に「創刊70周年」(ウルマ新報創刊18年)を打ち出した。
  • 1965年1月 - 那覇市下泉町2の8に地上4階、地下1階の新社屋が落成、移転。
  • 1966年
  • 1968年2月1日 - 前日1月31日付けの朝刊の発行号数6815号を、2月1日付けで発行号数21058号に変更[55]。この年の9月15日創刊75周年(ウルマ新報創刊23年)を祝う。
  • 1969年5月20日 - 労働組合のストライキが勃発。6月3日まで新聞発行が事実上停止。
  • 1979年8月 - 九州・沖縄地区では初の超高速多色カラー・オフセット新聞印刷輪転機を設置。
  • 1979年10月7日 - 朝刊から連日多色カラーの報道写真を掲載。
  • 1981年7月18日 - 全国に先駆けて紙面の文字を大型化、従来の1段93行、1行15字詰めの文字配列体裁を1段90行、1行14字詰めに改める。
  • 1981年12月7日 - 全国初の朝夕刊連日カラー印刷となり、天気図を朝夕刊カラー化。
  • 1983年9月1日 - 株式会社琉球新報開発を設立。
  • 1984年3月1日 - 名護市に北部本社を開設。これにより今まで不可能だった伊江島宮古諸島八重山久米島など離島での夕刊の即日配達を可能にした。
  • 1985年4月1日 - 週刊「レキオ」を発行。
  • 1990年7月1日 - 同社のスポーツ新聞「新報スポニチ」を発行。(スポーツニッポン新聞社と提携=事実上の地域フランチャイズ契約)。
  • 1993年
    • 9月15日 - 創刊100年(ウルマ新報創刊48年)。
    • 10月9日 - 第2土曜日付夕刊廃止。
  • 1994年9月15日 - 縦題字から横題字に変更。
  • 1996年5月24日 - ウェブサイト開設。
  • 1997年2月19日 - 台湾最大の発行部数を誇る中国時報社と記事交換協定を結ぶ。
  • 1999年11月15日 - 那覇市天久に制作センター完成。
  • 2001年1月3日 - 正月休みとして1975年以来、同日付け新聞は休刊していたが、当年に25年ぶりに1月3日号発行(沖縄タイムスも同様)。
  • 2005年
    • 3月15日 - 本社を現在の那覇市天久に移転。
    • 4月20日 - 県内初の琉球新報新聞博物館を本社に併設。
    • 9月15日 - 琉球新報キャラクター「りゅうちゃん」が誕生。
  • 2008年11月1日 - 「日本経済新聞」の委託印刷を開始。全国紙では初めての沖縄現地印刷。
  • 2009年
    • 3月1日 - 夕刊を廃止。朝刊単独紙に移行。
    • 10月5日 - 沖縄タイムスとの間で、災害時やシステム障害の際の「緊急時における新聞発行の援助に関する協定」を締結。
  • 2011年1月9日 - 小中学生新聞「りゅうPON」創刊。

注目を集めた報道[編集]

受賞した報道・連載[編集]

  • 1968年 - 「黒い政治」で日本ジャーナリスト会議(JCJ)奨励賞
  • 1978年10月15日 - 中国漁船団の尖閣諸島領海侵犯の写真報道で日本新聞協会賞を受賞
  • 1985年 - 前泊博盛記者が連載「子供たちの赤信号〜学校保健室はいま」でアップジヨン医学記事賞特別賞
  • 1987年 - 編集局が「国家機密法と沖縄」でJCJ奨励賞
  • 1988年4月23日 - 連載企画「沖縄農業の最先端」で国吉克俊記者が農業ジャーナリスト賞を受賞
  • 1996年 - 「異議申し立て基地沖縄」でJCJ奨励賞
  • 1998年10月15日 - キャンペーン「検証 老人デイケア」報道で日本新聞協会賞受賞
  • 2000年 - 「平和資料館展示変更問題」でJCJ賞
  • 2003年 - 琉球新報社編「ルポ 軍事基地と闘う住民たち」で平和協同ジャーナリスト基金奨励賞
  • 2004年
    • 8月14日 - 外務省機密文書の暴露と地位協定の改定を目指すキャンペーン報道でJCJ大賞を受賞
    • 地位協定取材班の連載「検証地位協定〜不平等の源流」がJCJ大賞
    • 同企画で第4回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞
    • 同企画で新聞労連ジャーナリズム大賞特別賞受賞
  • 2005年
    • 9月7日 - 沖縄戦60年企画「沖縄戦新聞」が日本新聞協会賞を受賞
    • 10月5日 - 同企画で第5回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞を受賞
  • 2010年
    • 連載「呪縛(じゅばく)の行方」を中心とする「普天間基地問題」のキャンペーン報道でJCJ賞受賞
    • 与那嶺路代ワシントン特派員の「普天間問題を巡るワシントン発の一連の報道」で平和協同ジャーナリスト基金奨励賞
  • 2011年
    • 1月 - 「普天間飛行場問題の本質に迫る報道」で第15回新聞労連ジャーナリスト大賞を高知新聞と共同受賞
    • 連載「それぞれの歩幅で〜発達支援を考える〜」で第30回ファイザー医学記事賞優秀賞を受賞
    • 「ひずみの構造――基地と沖縄経済」で平和協同ジャーナリスト基金奨励賞
  • 2012年
    • 1月 - 「米軍普天間飛行場返還・移設問題をめぐる沖縄防衛局長による不適切発言の報道」で第15回新聞労連ジャーナリスト大賞を受賞
    • 7月 - 「沖縄防衛局長の『オフレコ』暴言スクープをはじめとする米軍普天間飛行場移設問題をめぐる一連の報道」で第55回JCJ賞を受賞
    • 9月 - 玉城江梨子記者の連載「住民と共に生きて―復帰39年 医療保健の足跡」が第31回「ファイザー医学記事賞」優秀賞[56]
    • 12月 - 連載「米海兵隊のオスプレイ配備に抗(あらが)う一連の報道」が、平和・協同ジャーナリスト基金(PCJF)賞奨励賞を受賞[57]
  • 2013年
    • 山陰中央新報との共同企画「環りの海」が日本新聞協会賞受賞[58]

沖縄方言論争[編集]

  • 1940年、沖縄県庁と日本民芸協会の柳宗悦との間で起こった。沖縄県庁の「標準語励行」推進に対し、柳は沖縄語の重要性を指摘し、批判した。琉球新報は沖縄県庁とともに「標準語推進」の論陣をはった。

誤報[編集]

  • 2010年11月28日付、宜野湾市長選挙投票日の紙面で選挙を報道する際、候補者・安次富修の写真に「市民税の引き上げや中学校3年生までの医療費無料化などを掲げ、市政の変革を訴える安次富修氏」とのキャプションをつけてしまう。安次富は公約に「市民税の引き下げ」を掲げており、キャプションは全く逆である。安次富を支援する宜野湾市議会議員などの指摘を受けた琉球新報は、直ちに投票所に訂正とお詫びを掲示する手配をし、ホームページでは即日、紙面では翌29日に訂正記事を掲載した[59]。選挙で安次富は21742票を獲得したが、対立候補の安里猛に1856票差で敗れている。
  • 11月26日の朝刊5面に、「磁石の力で発電 エコエンジン研究へ」と題する記事が発表され、磁石による回転運動によって発電する装置を沖縄工業高等専門学校が開発しているとした。しかし、沖縄高専は、取材を受けた事は事実だが「発電を実現する」というコメントはしていないとこの記事を否定した[60]。なお、この記事は琉球新報のサイトでは削除されている。
  • 2013年1月31日、読者の投稿欄に小学1年生の女児が、祖父のためにタバコを購入したという投書が載った。しかし、この女児が所属しているとされた小学校に、この名前の児童は在籍しておらず、学校側が琉球新報に連絡を入れた。2月6日、琉球新報は「第三者による学校名・氏名を偽った投稿であり、内容も不適切だった」として「おわび」を掲載した。医療関係者が、不適切な内容とは何のことかを尋ねると、「おわび記事に書いている以上のことはお話できません」と断られた。この投稿には、「祖父のため」といえば小学生にでもタバコを売ってくれるという宣伝ではないかという疑いがある。また、小学生が習っていない漢字が使われていた[61]
  • 2014年2月23日、沖縄県における新しい陸上自衛隊の配備地として石垣市の新港地区とサッカーパークの2箇所で最終調整に入っていると報じた[62]。しかし、防衛省は「候補地を特定し最終調整に入った事実はない」と否定しており、琉球新報に対して内容証明付きの申し入れ文書を琉球新報社に送付し、訂正を求めるとともに、日本新聞協会にも「正確・公正さに欠け、適正な報道を求める」との申し入れ文書を送付した[63]。石垣市では、自衛隊の誘致が最大争点となっている市長選が2月23日に告示されており[64]小野寺五典防衛大臣は「間違った報道が地方選に影響を及ぼすことは適当ではない。(メディアには)報道の自由があるが、事実と違うということでの抗議だ」としている[65]防衛大臣政務官木原稔は「悪意ある誤報」と批判している[66]。琉球新報側は、2月28日に「十分な取材に基づいた報道であり、訂正の求めには応じられない」との見解を表明。記事の内容は「石垣市長選に関連づけておらず、特定の候補を利するものではない」と反論している[67]。なお、同様の内容は沖縄タイムスも報じており、防衛省は沖縄タイムスの報道も事実と異なると批判している。しかし、沖縄タイムスが報じたのは2月24日と琉球新報より1日遅れであるため、抗議の対象は最初に報じた琉球新報社のみとしている[68]。2014年3月19日、日本新聞協会は「加盟各社の個々の報道について指導・監督する団体ではなく、(抗議を)受け入れる立場にはない」と回答した[69]。なお、件の石垣市長選は、自衛隊配備に理解を示すとされる中山義隆が当選した[70]

著名な記者[編集]

  • 池宮城秀意
  • 近田洋一
  • 三木健
  • 松元剛

連載漫画[編集]

放送番組表[編集]

※県外放送局とラジオNIKKEIは掲載されていない(ケーブルテレビでは県外局の再配信をしている所が無いが、鹿児島県の一部テレビ局を沖縄本島北部で直接受信出来る地域がある。ラジオも一部受信出来る局あり)。
2011年10月1日より、最終面の地上波テレビはリモコンキーIDの若い順に再編された(沖縄タイムスと同じ順番)。以前は、Eテレ・総合、沖縄テレビ放送、琉球放送、琉球朝日放送と、民放は沖縄テレビが最初になっていた。

備考[編集]

  • テレビ欄日刊編集センターから配信されている(沖縄タイムスもここからの配信)。
  • 2011年1月17日から、共同通信社方正と組んで構築した電子新聞プラットフォーム「NewsOasis(ニュースオアシス)」を用い、インターネットに接続したパソコン、iPhone又はiPadにより紙面を有料で閲覧できるサービス「琉球新報電子版」を開始した。それ以前から紙面よりも早く最新ニュースをWebサイトに掲載する際、記事末尾に【琉球新報電子版】とクレジットしてきたが、インターネットによる紙面配信とは直接関係ない。2012年6月15日に県内向けサービスを開始したのを機に、紙面配信サービスを「琉球新報電子新聞」と改称している。
  • 泉崎ビルに読売新聞那覇支局、産経新聞那覇支局、毎日新聞那覇支局、日本テレビ那覇支局八重山毎日新聞那覇支局、宮古毎日新聞那覇支社、宮古新報那覇支局がある(ちなみに朝日新聞那覇総局と共同通信那覇支局は沖縄タイムス本社内)。
  • 東日本大震災発生後の2011年3月11日、12日、14日に号外発行、15日から18日までの4日間、夕刊発行時間帯に4ページ建ての特別版を発行した。
    ただし、号外・特別号いずれの内容も、3月11日の号外と3月12日の特別号以外はほぼ原発事故に偏りの見られるものだった[71][72]

所在地[編集]

株式会社琉球新報社 

  • 〒900-8525 沖縄県那覇市天久905

琉球新報泉崎ビル

  • 〒900-0021 沖縄県那覇市泉崎1-10-3

株式会社琉球新報開発

  • 〒900-0001 沖縄県那覇市港町2-16-1(琉球新報開発ビル7階)

株式会社新報発送

  • 〒900-0005 沖縄県那覇市天久905

株式会社オキナワグラフ社

  • 〒900-0001 沖縄県那覇市港町2-16-1(琉球新報開発ビル4階)

支社・支局[編集]

関連放送事業者・有線テレビジョン放送事業者[編集]

出典[編集]

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  1. ^ 琉文21 沖縄の新聞『琉球新報』略史 http://ryubun21.net/index.php?itemid=3930
  2. ^ 琉球新報『琉球新報八十年史』『琉球新報百年史』
  3. ^ 『沖縄大百科事典』の大田昌秀執筆による「琉球新報」(1893年創刊)と宮城悦二郎による「琉球新報」(1945年創刊「うるま新報の改題紙)、2つの「琉球新報」項目の存在
  4. ^ 琉球新報創刊目的「偏狭の陋習を打破して地方的島国根性を去りて国民的同化をはかること」
  5. ^ 琉球新報同人による同志会が県会の半数、主筆太田が琉球製糖社長、高嶺は沖縄銀行頭取、大田昌秀『沖縄の民衆意識』参照
  6. ^ 新川明「<狂気>もて撃たしめよ」http://www7b.biglobe.ne.jp/~whoyou/gendainome7108.htm
  7. ^ 大田昌秀『沖縄の民衆意識』
  8. ^ PAC3配備 軍事拠点化は許されない - 琉球新報<社説>、2013年4月20日閲覧。
  9. ^ 存在意義アピールに「不謹慎」 在沖海兵隊が震災支援で - 琉球新報ホームページ、2011年3月17日閲覧。
  10. ^ 普天間固定「問題なし」 メア氏、国務長官に進言 - 琉球新報ホームページ、2011年3月12日閲覧。
  11. ^ 普天間、固定化「あり得ない」 知事、米側に確認要求へ - 琉球新報ホームページ、2011年3月12日閲覧。
  12. ^ メア氏発言 政府、評価避ける 「抗議」有無も答えず - 琉球新報ホームページ、2011年3月16日閲覧。
  13. ^ メア氏が米側調整担当に 県内「復権」を警戒 - 琉球新報ホームページ、2011年3月17日閲覧。
  14. ^ 【編集ノート】 民主主義の国はどこに - 琉球新報ホームページ、2011年3月18日閲覧。
  15. ^ 米軍の災害支援 それでも普天間はいらない - 琉球新報ホームページ、2011年3月18日閲覧。
  16. ^ 爆音+防音で自由の音!? - まーちゃんのお笑いニュース道場(紙上連載)公式ブログ、2011年4月14日閲覧。
  17. ^ その時、慶良間で何が起きたのか-上原正稔日記
  18. ^ その時、慶良間で何が起きたのか-上原正稔日記
  19. ^ 県議会・検定意見書 世論は撤回求める方向だが-<社説>琉球新報
  20. ^ 琉球新報 2012年11月21日紙面参照。
  21. ^ 控訴理由書を公開します-上原正稔日記
  22. ^ 「封じられた集団自決の真実」-産経新聞
  23. ^ 控訴審の判決文を公開しました-上原正稔日記
  24. ^ 琉球新報、上告せず!-上原正稔日記
  25. ^ 上原正稔から琉球新報へ-上原正稔日記
  26. ^ 琉球新報2014年4月6日岩手県の児童ら 渡嘉敷で「集団自決」学ぶ
  27. ^ 汚染「チェルノブイリ級」 矢ヶ崎琉大名誉教授、現地調査 - 琉球新報ホームページ、2011年4月15日閲覧。
  28. ^ 金口木舌 2012年2月23日 - 琉球新報ホームページ、2012年2月23日閲覧。
  29. ^ 琉球新報 2007年9月29日、『がじゅまるファミリー』単行本第4巻参照。
  30. ^ 琉球新報 2010年4月24日参照。
  31. ^ 母から子へ「礎」の家族胸に ももココロさん「伝えていく」 - 琉球新報ホームページ、2011年6月24日閲覧。
  32. ^ 金口木舌 2006年5月27日 - 琉球新報ホームページ、2006年5月27日閲覧
  33. ^ 爆音+防音で自由の音!? - まーちゃんのお笑いニュース道場(紙上連載)公式ブログ、2011年4月14日閲覧。
  34. ^ 琉球新報 2012年6月22日参照。
  35. ^ 琉球新報 2012年6月23日参照。
  36. ^ 琉文21 沖縄の新聞『琉球新報』略史①図より http://ryubun21.net/index.php?itemid=3814
  37. ^ 琉球新報刊『琉球新報百年史』より「今回、わが『うるま新報』を『琉球新報』と改題することになりましたが、これは過去数年いろいろ検討されてきたのであります。琉球新報は戦前における沖縄最古の新聞であり、うるま新報が戦後最も古い歴史を持つとういことに奇しきめぐり合わせであります」
  38. ^ 琉球新報の沿革http://ryukyushimpo.jp/info/page-191.html
  39. ^ 『沖縄県史 各論編第五巻 近代』「コラム3近代沖縄における新聞の変遷」
  40. ^ 琉球新報1968年9月15日号、創刊75年特集における沖縄戦時中記述の不在」
  41. ^ 沖縄戦が始まった後に「沖縄新報」発行に関わったのは、戦前の「沖縄朝日新聞」の高嶺朝光、豊平良顕、具志堅政冶、前田宗信、牧港篤三、大山一雄、稲嶺盛国、仲本政基、島袋俊一。参照門奈直樹『沖縄言論統制史』、沖縄タイムス社『鉄の暴風』
  42. ^ 『琉球新報八十年史』通史編の記述参照。沖縄新報最後の模様について当時壕内で新聞発行に携わり、戦後生き延びた記者たちが「琉球新報」創刊に関わっていないため、昭和20年5月12日付け朝日新聞(沖縄戦線にて宗貞特派員11日初)の打電ニュースを引用。
  43. ^ 『沖縄県史 各論編第五巻 近代』「コラム3近代沖縄における新聞の変遷」
  44. ^ 「沖縄県民の多くは、今でも日本軍逆上陸を信じ、必勝を疑っていない。これほど盲信している県民に、何時か誰かが真実を知らせる役割を果たさなければなるまい」(参照、島清『わが言動の書』)
  45. ^ 辻村明・大田昌秀『沖縄の言論』の「琉球新報」の項参照
  46. ^ 琉大タイムス1962年5月22日号」
  47. ^ 琉球新報刊『琉球新報八十年史』『アメリカ占領時代 沖縄言論統制史』参照。主幹は島清、糸洲安剛、城間盛善、金城直吉(以上教員)、仲村致良、大村修一、高良一は新聞編集が未経験だった。工務は元琉球新報社員を中心に、元沖縄朝日、元沖縄新報の社員が参加した
  48. ^ 『思想の科学研究会 対談・ 軍政下の沖縄『日本占領軍その光と影 下巻』
  49. ^ 琉球新報百年史刊行委員会『琉球新報百年史』』
  50. ^ 戦後の沖縄を支えてきた有名企業7社ロゴTシャツ販売、琉球新報の象徴は『古い印刷機』http://www.habubox.com/products/detail.php?product_id=957
  51. ^ 『琉球新報八十年史』通史編参照
  52. ^ うるま新報社告1946年5月23日付
  53. ^ 琉文21 沖縄の新聞『琉球新報』略史 http://ryubun21.net/index.php?itemid=3930
  54. ^ 高嶺朝光『新聞五十年』』
  55. ^ 琉球新報1968年1月31日、同2月1日
  56. ^ 琉球新報9月28日付http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-197419-storytopic-1.html
  57. ^ http://www.pcjf.net/index2.html
  58. ^ http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212080-storytopic-1.html
  59. ^ おわび - 琉球新報ホームページ、2010年11月29日閲覧[リンク切れ]
  60. ^ 平成23年11月26日付琉球新報掲載記事「磁石の力で発電 エコエンジン研究へ」に関する本校コメント 沖縄工業高等専門学校
  61. ^ 錦光山雅子 (2013年2月7日). “こんな形でタバコは忍び寄る - ただいまボストン留学中”. アピタル. http://apital.asahi.com/article/msk/2013020700001.html 2013年2月7日閲覧。 
  62. ^ “陸自警備部隊、石垣に2候補地 防衛省が来月決定”. 琉球新報. (2014年2月23日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-220042-storytopic-3.html 2014年3月1日閲覧。 
  63. ^ “「琉球新報は公正さに欠ける」 防衛省、新聞協会に異例の申し入れ”. 産経新聞. (2014年2月28日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140228/plc14022810020004-n1.htm 2014年3月1日閲覧。 
  64. ^ “【今週の焦点】陸自配備の行方左右 石垣市長選告示、保革一騎打ち”. 産経新聞. (2014年2月24日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140224/plc14022407480004-n1.htm 2014年3月1日閲覧。 
  65. ^ “琉球新報の石垣陸自配備報道「事実と違う」「選挙戦に影響」 小野寺防衛相”. 産経新聞. (2014年2月28日). http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140228/plc14022811260008-n1.htm 2014年3月1日閲覧。 
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  67. ^ “防衛省、報道に圧力/沖縄・石垣島陸自配備問題 市長選の対策”. しんぶん赤旗. (2014年3月1日). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2014-03-01/2014030115_02_0.html 2014年3月1日閲覧。 
  68. ^ “防衛省、琉球新報に抗議 陸自石垣配備記事”. 沖縄タイムス. (2014年3月1日). http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=63881 2014年3月1日閲覧。 
  69. ^ “抗議「受け入れる立場にない」=琉球新報記事で、防衛省に回答—新聞協会”. ウォール・ストリート・ジャーナル. (2014年3月19日). http://jp.wsj.com/article/JJ10580217227755664146616870141072911309211.html 2014年3月19日閲覧。 
  70. ^ “石垣市長選、自衛隊配備に理解の現職が再選”. 読売新聞. (2014年3月2日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local/news/20140302-OYT1T00754.htm 2014年3月21日閲覧。 
  71. ^ 【速報】福島第1原発 3号機も水素爆発 - 琉球新報ホームページ、2011年3月14日閲覧。
  72. ^ 《東日本大震災》琉球・沖タイ、夕刊帯に特別紙面発行 震災ニュースを速報 - 日本新聞協会ホームページ(キャッシュ)閲覧。

関連項目[編集]

  • 新報スポニチ - スポーツニッポン新聞社から沖縄県における印刷・発行業務を受託。
  • ROKニュース - 一部の沖縄県内のニュースの項目で「琉球新報ニュース」として当社の新聞記事の提供を受けている。
  • FM沖縄 - 平日15:55からのニュース枠は「琉球新報ニュース」として当社の新聞記事の提供を受けている。
  • なは (列車) - 愛称は本紙で公募されたものから選ばれた。

外部リンク[編集]