記者クラブ
記者クラブ(きしゃクラブ)は、公的機関や業界団体などの各組織を継続取材を目的とするために大手メディアが中心となって構成されている任意組織である。英語では「kisha club」ないしは「kisha kurabu」と表記される。大手メディア以外の記者・ジャーナリストも加盟できる「プレスクラブ」(日本では、社団法人である日本記者クラブや、日本外国特派員協会などが該当)とは全く性格を異にするほぼ日本独特のシステムである。フリーランスの記者などに対し排他的であるとして近年、批判を浴びている。
目次 |
[編集] 概要
日本新聞協会は、記者クラブの目的を「国民の『知る権利』と密接にかかわる」ものと定義している。しかし加盟社以外に記者会見を開放しないなど独占的活動によって、記者クラブ以外のジャーナリストによる取材活動が差別されている。
公的機関はクラブに対し記者室を提供、光熱費なども負担しており、「便宜供与に当たるのでは」といった批判も出ている。また、官房機密費を使っての供与疑惑も持ち上がっている。
取材対象側から情報提供を安定して受ける結果、横並び意識になり、また記者の能力低下も懸念されている。
批判や問題が多いと判断した一部の政治家が1990年代から制度に切り込み、今日では首相官邸・中央省庁も記者会見をクラブ以外にも開放する試みが始まっている。
[編集] 組織
記者クラブは、法人としての登記が為されていない私的な組織で、主に大手メディアが構成する。日本には約800の記者クラブがあり[1]、中央省庁・国会・政党を初め、企業・業界団体、地方自治体の役場などに置かれている(詳細は記者クラブ一覧を参照)。ほとんどの記者クラブは専用の記者室を取材対象側から無償もしくは低額で割り当てられ、情報提供などを独占的に受けている。光熱費などの運営費も負担しないケースも多い。月額会費は加盟社の記者1人につき500円-2000円で[要出典]、年間110億円、全国紙1社あたり数億円の負担を免れている[2]という(詳細は記者室を参照)。
記者はほとんどがクラブに常駐する。 加盟報道機関が複数当番制で「幹事」社となってクラブの運営にあたる事が多い。情報は情報源の広報担当から幹事社に伝えられ調整され、幹事が件名や発表日時などその報道に関する約束事を記者室の「ボード(黒板)」に書く。黒板に書かれた約束事は「黒板協定」「クラブ協定」「しばり」などと呼ばれ、加盟社が順守するべき約束事とみなされる(報道協定参照)[3][4]。 記者会見は、ほとんどがクラブ主催となっており、参加者も加盟社に限られ、仮に加盟社でない記者が参加できても質問は出来ない(詳細は記者会見を参照)。ただし例外として、外務省などは広報対象が広範(海外メディアも含む)なため、もともと省が主催している。また記者懇談会やぶら下がり取材、国会記者証の交付などもほぼ独占的に享受できる。
[編集] 機能
日本新聞協会は記者クラブの機能を「公的情報の迅速・的確な報道」、「公権力の監視と情報公開の促進」、「誘拐報道協定など人命・人権にかかわる取材・報道上の調整」、「市民からの情報提供の共同の窓口」と定義している[5]。
[編集] 構成員
記者クラブの構成員は主として大手メディアの記者である。日本新聞協会は「日本新聞協会加盟社とこれに準ずる報道機関から派遣された記者などで構成」されていると説明する[5]。しかし地方の月刊誌やコミュニティFM、ケーブルテレビ局などの加入は、地元の市政記者会(市役所記者クラブ)などで認められているだけである。また外国報道機関が加盟するクラブは少数にとどまる(新聞協会は「増えつつある」としている[5])。
加盟社の記者は新聞社やテレビ局であっても、ストレートニュース(主観や分析を交えず事実のみを記す記事)を中心とする通信社的仕事を行う[6]。そのため、担当する対象に常駐して取材を行っており、日本新聞協会も構成員の「継続的に取材」にこだわっている[5]。これは「ストレートは通信社、批評・解説はジャーナリスト」という世界の潮流とは、ずれており[6]、効率性の面からも賢くないほか、記者の分析眼が養いにくくなるなどの弊害もある。
[編集] 閉鎖性
記者クラブは前述の通り、大手メディアが組織している。従って会員制と言えるが、大手以外のジャーナリストなどの入会は難しい。日本新聞協会は入会資格を「公権力の行使を監視するとともに、公的機関に真の情報公開を求めていく社会的責務」「報道という公共的な目的を共有」「記者クラブの運営に、一定の責任」「最も重要なのは、報道倫理の厳守」[5]と説明している。
実際に入会審査するのは各記者クラブだが、審査過程は不透明で、加盟社が1社でも反対すれば入会は認められず、新規参入が事実上阻害されている。外国メディアへの対応もこれと同じで、入会を巡って激しい交渉が行われた(詳細は外国人記者を参照)。クラブのその排他性から「情報カルテル」「談合」「護送船団方式」と表現されることもある[7]。取材源側が親睦団体の建前を利用し、「官報接待」などを行うことも多々ある[2]。
入会を希望するジャーナリストの中には、クラブの一員になりたいのではなく、記者会見で取材がしたいだけという者もおり[8]、記者クラブに代わる認定制度・会見制度を求める意見がある。
また、これまでOECDやEU議会などから記者クラブの改善勧告を受けているが、一貫して大手メディアは記者クラブに関する事柄を報道しないため、日本国民が記者クラブの持つ閉鎖性を知る機会が限られてしまっている[9]。
[編集] 海外の「プレスクラブ」
通常、プレスクラブとは記者同士の親睦を深めるための私的な団体である。よく知られたものにアメリカのナショナル・プレスクラブや日本の日本記者クラブ、日本外国特派員協会などがあり[10]、そのほかの多くの国にも存在する。プレスクラブは自前の建物に娯楽設備などを用意し、勉強会や、ピクニックなどのイベントで国籍などにかかわらず記者としての交友を深める[11]のが目的である。
[編集] 取材活動
記者クラブに詰めている記者が普段、出勤するのは取材機関の記者室である[1]。日中は常駐し、プレスリリースを待ったり記者会見や記者懇談会で話を聞き、必要があれば現場に取材に行く。夜になると「夜討・朝駆」(ようち・あさがけ)と呼ばれる、関係者への取材(対象者の自宅や訪問先が多い)を行う。
政治報道の場合、番記者が取材対象に一日中張り付く。移動中に取り囲んで、「ぶら下がり」という非公式な会見を行うという手法も取られる。
事件などのその性質によっては記者クラブの内部でも報道協定で取材を制限することもある[12]。
公的機関から情報が常に供給されるので安定性があり、それに安住するため特ダネは発生しにくいが、自社だけ報じていない「特オチ」を恐れる文化が形成されていると言われる。それが顕著に表れているのが「メモ合わせ」であり、クラブに加盟している記者は別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合っているという[13]。横並び意識は報道機関にとっても都合がよい。特に新聞は戸別配達制度で部数が安定しており、取材コストを掛けて良い記事を書いても部数が伸びる見込みはない。よって取材は程々で良く[14]、特オチを避けて無難に過ごせば、エリートサラリーマンとして一生安泰である[14]。
公的機関では、記者クラブ以外に広報など便宜を積極的に図らないケースが多く、加盟社でないと十分に取材が行えない場合がある[11]。日本新聞協会は「記者クラブは公権力に情報公開を迫る組織として誕生した歴史がある」[5]とするが、十分な根拠を基にした対応ではないと言える。
[編集] 歴史
[編集] 取材互助組織として発足
日本の記者クラブの歴史は明治時代にはじまった。1890年(明治23年)、第1回帝国議会が開催されたが、議会側が示した新聞記者取材禁止の方針に対して、『時事新報』の記者が在京各社の議会担当に呼びかけ「議会出入記者団」を結成し、取材用傍聴席の確保や議事筆記の作成で協力を図った[15]。10月にはこれに全国の新聞社が合流し、名称を「共同新聞記者倶楽部」と改めた。しかし、実態は数人の記者のたまり場にすぎず、中級官僚に面会できる程度であった[10]。大正時代に入ると本格的な記者クラブがつくられた。昭和初期までに、取材の自由を勝ち取っていった[16]。この時期の記者クラブのほとんどは記者が個人個人で直接加入するものだった[17]。
[編集] 翼賛クラブ化
しかし、太平洋戦争が始まると記者クラブは変質する。まず、日米開戦前の 1941年5月、新聞統制機関「日本新聞連盟」が発足。11月28日、「新聞の戦時体制化」が決定され、日米開戦後に新聞連盟の設けた「記者会規約」により加盟は記者個人から会社単位となり、役所の発表を取材して右から左へ発表報道をおこなう翼賛クラブが1官公庁1クラブだけ認められた。取材組織として公認され、国家体制に組み込まれた記者クラブ制度が始まった[10]。記者クラブはだんだんと政府発表を政府の意向通りに報じる「御用クラブ」と化していき、東條内閣が倒れ、朝日新聞出身の緒方竹虎が国務大臣兼情報局総裁として小磯内閣に入閣し、新聞への検閲を緩めようとしたころには、検閲と自己規制で委縮した新聞には統制緩和を生かす力はもはや残っていなかった[17]。
[編集] GHQの圧力
戦後、GHQは記者クラブの解体を執拗にせまった。報道の自由や取材の自由を踏みにじる組織であるとして取材組織から世界一般の親睦団体への転換をせまった。これを受けて、1949年10月26日、 日本新聞協会は『記者クラブに関する方針』を作成した。記者クラブを「親睦社交を目的として組織するものとし取材上の問題にはいっさい関与せぬこと」と規定した。GHQは公共機関に対しては記者室などの便宜供与をおこなうべきとする方針を取り、超法規的な措置として受け入れられた[16]。1958年(昭和33年)には、記者室の使用を許可する大蔵省管財局長の通達が出た。
[編集] 建前と実態の乖離
記者クラブは親睦団体の建前のもと、戦争中と同じように取材組織としての活動を続けていたが、報道協定を巡って建前と実態の乖離が表面化した。役所は報道協定などによって報道制限や取材制限をもとめた。対して親睦団体は報道の自由や取材の自由を旨とした。1960年代までは報道協定が発覚すると除名処分をおこなっていたが、こういった対立の末1970年以降、記者クラブの指揮権を公然と認めるようになった[10]。このころからテレビやラジオも記者クラブ制度に加わっていった。 1978年、日本新聞協会は記者クラブの目的について「親睦」に加えて「相互の啓発」を挙げた(78年見解)[18][19]。
[編集] 外国人記者からの批判
詳細は「外国人記者#外国人記者の排除と外圧」を参照
しかし、平成時代に入ると記者クラブ体制は見直しをせまられた。1990年代、バブル景気により日本経済の国際的影響力が増大し、外国人記者の活動が活発化してくると日本国内でも記者クラブに対する疑問の声が強まった[10][20]。 1992年、外務省の「霞クラブ」が外国人記者を正式会員として受け入れ[21]、1993年に日本新聞協会は、外国報道機関の記者について「原則として正会員の資格でクラブへの加入を認めるべきである」との見解を発表した[22]。 1995年には江藤隆美総務庁長官のオフレコ発言のリークが問題となり、翌1996年、新聞協会はオフレコ取材は重要な手段だが乱用すべきではなく「安易なオフレコ取材は厳に慎むべき」との見解を発表した[23]。
[編集] 特権廃止と開放の動き
1996年、鎌倉市は記者クラブに属さない報道機関にも記者室と記者会見を開放した(ただし企業の広報誌、宗教団体の機関誌、政党機関誌は対象外) [24][25]。
こういった流れのなかで、記者クラブの既得権益は、親睦団体という建前では維持しにくくなった。1997年、日本新聞協会は記者クラブを「公的機関が保有する情報へのアクセスを容易にする『取材のための拠点』」と改めた(97年見解)[26][27]。
2001年、長野県が脱・記者クラブ宣言を行い特権廃止の動きは県レベルまで拡大した。
2002年、新聞協会は、記者クラブは「取材・報道のための自主的な組織」であるとの見解を出した[28]。2004年にはEUからの外圧によって、外国人記者の「記者証」制度が実質的に認められた。[要出典]しかし末端組織である、各記者クラブは抵抗を続けていた。記者クラブの閉鎖性・排他性・便宜供与は揺るがなかった。2009年、政権交代が起きて以降、記者会見オープン化が徐々に行われた。
2005年3月24日 - ライブドアがインターネットメディアとして初めて気象庁記者クラブに加盟を申請。しかし、2006年3月15日、前社長・堀江貴文が証券取引法違反で起訴されたことを理由に申請を出席者の全会一致で却下[29]。
2005年7月9日 - フリージャーナリスト(ルポライター)寺澤有と船川輝樹週刊現代副編集長が、警察庁とその記者クラブ加盟社15社を相手どり、警察庁庁舎内で行われる記者会見などに出席し質問することを妨害してはならないとの仮処分申請を東京地方裁判所、東京高等裁判所に申し立てるが棄却。最高裁判所に特別抗告している。
2010年3月4日 - 日本新聞労働組合連合(新聞労連)が記者クラブの全面開放をもとめる声明を発表[30][31]。
[編集] 性格規定の変遷
- 大正から昭和10年代、「取材の自由を獲得する戦いの前線基地」[16]
- 1949年9月、GHQの警告
- 1949年10月28日、親睦機関 - 「記者クラブに関する編集委員会の方針」(49年方針)
- 1978年、親睦機関かつ若干の調整的役割 - 「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」(78年見解)
[編集] 記者クラブの利点と弊害
ここでは日本における記者クラブに対して挙げられている利点と弊害を記述し、あるものについては事例を示す。
[編集] 利点
記者クラブの弊害が指摘されて久しいが、それでも記者クラブが廃止されないのは、記者クラブにはメディア側およびニュースソース側にとって一定の利点があるからである。以下にあげる「利点」はそれぞれの立場にとっての利点であり、それがすなわち情報の受け手である国民にとっての利点となりうるかについては、別途考慮を要する。
[編集] 加盟ニュース・メディアにとって
- 情報発表に消極的な公的機関に記者クラブが記者会見を求めて実現させてきたという歴史がある[16]。
- 「言論・報道の自由」と、国民の知る権利のために培われてきたシステムである[32]
- 公権力や政治家の取材拒否や差別に、個人ではなく団体として当たれる[10]。
- 情報公開の推進拠点[20]
- 公的機関がもつ第一次情報に密着取材して報道できる[33]
- 組織として取材機能を備え、情報源からのレクチャーや資料配布の窓口となり、ニュース・メディアにとって効率的な情報システムである。公的情報を迅速に報道できる[3]。
- 記者クラブ主催の記者会見は、クラブのペースで取材できる[10]。
- 無駄な競争が省ける。取材活動がスムーズにできる[10]。
- 研究会、見学会、勉強会など、単独ではむずかしい活動が可能になる[10]。
[編集] ニュース・ソースにとって
- 国民への積極的な情報開示と説明責任を果たす上で役立つ[34]
- 効率的な広報推進システムである。広報すべき情報を迅速に発表できる[3]。
- 効率的な発表ができ、手間が省ける。記者会見もスムーズに運営できる[10]。
- 公的組織と国民をつなぐ「コミュニケーションの回路」「情報ネットワーク」「国家の情報をプールするダム」としての役割を担っており、膨大な情報を蓄積、整理、報道する。記者クラブを廃止すれば、日本の情報システムが麻痺するだろう[35]。
- 記者クラブが廃止されれば、記者会見が開放されなかった場合、情報を出し渋る権力側を牽制する存在が失われ、国民の知る権利が損なわれる恐れがある(例えば、記者クラブがない労働基準監督署では、情報発信が殆どない[36])。
[編集] 弊害
- 情報カルテルして、加盟報道機関が非加盟の組織やジャーナリストを排除する[37]。
- 閉鎖性と排他性。加盟報道機関にとっての利点は、そのまま、加盟したくてもできないメディアやジャーナリストにとっては不当な差別と受け止められる[3]。排他性はニュース・ソースの独占取材を助長する可能性がある[10]。
- 常駐、常時取材が前提となっており、これが可能な報道機関は限られる[16]。
- 首相や外相の外遊の際でも、記者クラブ主催の記者会見が開かれ、現地や海外のメディア、ジャーナリストは参加が制限される。結果、外遊での情報発信は、国内向けに制限される[9]。
- 報道協定が国民の「知る権利」を結果的に規制する可能性がある[3]。
- 記者クラブに頼るうちに、独自取材する力が低下する可能性がある[3]。
- 独自の取材活動が阻害される可能性がある[10]。
- 取材対象と癒着、一体化して、場合によっては「番記者」「ご注進」などの現象も起きている[37]。
- 情報源に近すぎるために、公的機関の動向監視というニュース・メディアの機能が失われる可能性がある[3]。
- クラブの配置が固定化してしまい、時代のニーズにあわせた報道がしにくくなる。たとえば、労働事件がふえているのに労働基準監督署に記者クラブをおくうごきがみられない[38]。
[編集] 発表報道と情報操作
- 情報操作を目的とした金銭授受
- 発表報道の横行
- メディアが政府の政策を代弁し、政府の広報となっている。
- 警察及び検察が自らの捜査に有利な方向に情報操作を行い、メディアも調査報道に消極的なため、冤罪を生み易い(例:松本サリン事件、志布志事件、香川・坂出3人殺害事件、足利事件)。
- NHKの報道部に在籍していたこともある池田信夫によると、警察記者クラブに多数の記者を常駐させることが日本の報道を犯罪報道中心にしているのではないかという[39]。
- フリージャーナリストの魚住昭は「官庁の集めた二次、三次情報をいかに早く取るかが仕事の7、8割を占めてしまうと、実際に世の中で起きていることを察知する感覚が鈍る。役人の論理が知らず知らず自分の中に入り込み『統治される側からの発想』がしにくくなる。自分はそうではないと思っていたが、フリーとなって5年、徐々に実感するようになった[40]」と述べている。
- 衆議院議員の河野太郎は(日本では)記者が政治家から食事をご馳走になるのは当たり前、政治家が外遊する際には同じホテルに泊まり「政治家と記者はよいお友達」になることがメディアでは「良い記者」とされている現状を指摘している[37]。
- ニューヨーク・タイムズ東京支局長のファクラーは、「記者クラブは官僚機構と一体となり、その意向を無批判に伝え、国民をコントロールする役割を担ってきた。記者クラブと権力との馴れ合いが生まれており、その最大の被害者は日本の民主主義と日本国民である。」と述べている[9]。
- 主要メディアが報じる捜査情報について、「検察が記者クラブを通じておこなう『リーク』に依存している」と指摘されることがある[41][42][43]。また、検察側は自己に不都合と考えられる報道をおこなった加盟報道機関に対しては検察関連施設への「出入り禁止」措置を取ることがある[42]。西松建設事件に際しては、一部の加盟報道機関が西松建設から献金を受け取った政治家の1人である二階俊博の件についての記事を掲載したことに対し、取材拒否および東京地方検察庁への3週間の出入り禁止措置を取った[44][42]。この一件以後、加盟報道機関は検察および自民党に有利な報道をおこなうようになったといわれる[42]。また、検察は記者クラブに加盟していない報道機関による取材を拒否している[44]。
[編集] 自主規制
- 記者自身による自主規制
- 1974年に「文藝春秋」が報じた「田中金脈問題」の場合、当時、この疑惑は以前から記者クラブ内では知られていた話にもかかわらず、ほとんどのマスコミが文藝春秋が記事化するまでこれを黙殺していた。
- 1999年、東京高検検事長の女性問題を調査していた最高検次長検事が法務省内で複数の記者に対し「確かに浮気はあったかもしれないが、みんなそういうことを活力にしているんだ。この建物(法務省)の中の半分以上の検事はそう思っている」と発言。しかしこの発言は記者クラブに所属していなかった『西日本新聞』が記事にするまで、記者クラブ内ではさほど問題にされなかった。
- 記者クラブに加盟している記者は、別会社の記者同士であるにもかかわらず、取材メモを見せ合う「メモ合わせ」を行っているといわれる[45]。
[編集] 情報源への肩入れ
- 積極的加担
- 2000年6月25日、首相官邸敷地内にある記者クラブ「内閣記者会」で『明日の記者会見についての私見』と題するメモが落ちているのが見つかった。このメモは2000年5月26日に行われた当時の首相・森喜朗の神の国発言の釈明会見で、記者側の追及をかわす方策を記した首相宛ての「指南書」とみられた。またこの問題をめぐっては主要週刊誌がその指南書を書いたメディア(NHK)を実名で取り上げたにも関わらず内閣記者会側はこの問題の真相究明には消極的だった。この指南書はNHKが記事出稿に使用する「5300」と呼ばれる端末内にある「連絡メール」の印刷様式と同じであった。また、NHKでしか使わない「民放」という表記があった。
- 2005年11月8日、放火事件で逮捕されたNHK大津放送局の記者が所属していた滋賀県警記者クラブを滋賀県警が家宅捜索した。しかし、情報源の秘匿が脅かされるとして危惧する意見も出た[46]。
[編集] 憲法との関連
記者クラブ制度は憲法で保障されているとされる「国民の知る権利」を確保するために必用だとする意見がある。 一方、政府や公共機関が記者クラブという特定の組織のみに情報を提供する事こそが「国民の知る権利」を侵害するもの(憲法に違反した行為)だとする意見がある。
国民の「知る権利」は憲法が保障しているとする憲法解釈にはほぼ異論はない。そのためこの問題は単に記者クラブ制度の良し悪しにとどまらない憲法に関わる問題でもある。記者クラブに加盟していないために取材が出来ない個人や組織が、権利侵害だとして国や公共機関を憲法違反で訴える可能性もある。
[編集] 記者クラブ制度見直しの動き
多くの批判を受け1990年代から記者クラブの見直しが始まった。
[編集] 首相官邸
「記者会見オープン化」も参照
2010年3月26日、内閣総理大臣の鳩山由紀夫は、記者クラブに属さない記者を記者会見に参加させた[47]。
[編集] 政党
1994年、新生党代表幹事の小沢一郎が記者クラブ以外の雑誌社記者も会見に参加できるという当時では画期的な試みを行ったが、小沢とメディアとの対立などもあって途中で挫折に追い込まれた。
2002年、民主党幹事長の岡田克也がスポーツ紙や週刊誌や日本国外報道機関などのあらゆるメディアが会見に参加できる方式を導入した[48]。それまでは野党クラブ以外のメディアが会見に参加することができなかった。
2009年10月14日、自由民主党総裁・谷垣禎一は定例記者会見を、自民党の記者クラブである平河クラブ以外の日本国内外のあらゆるメディアやフリーランスの記者・カメラマンにも開放した。ただし、最初の質問権は平河クラブのみで、平河クラブの質問が一通りした後に、平河クラブ加盟社以外のフリーランスの記者も含めて質問出来る様になっている。会見所開放当初は熟慮したものではなかった[49]。
[編集] 中央官庁
「記者会見オープン化」も参照
2004年3月30日、外務省は中央官庁・都道府県庁・警察などに対し、日本国外メディアの記者を会見に参加させるよう依頼する文書を発送した。
2009年9月16日、鳩山由紀夫内閣が成立した。外務省を皮切りに記者会見のオープン化が行われた。ネットメディアやフリーランス記者などが記者会見に出席し、質問できるようになった。2010年(平成22年)4月現在、外務省や金融庁、法務省、総務省、内閣府の一部(行政刷新会議など)、環境省、首相官邸など14府省で行われている。ただし、依然記者クラブが主催権を持ち、大臣がオープン化を記者クラブに申し出る、記者クラブ主催の記者会見とは別にオープンな記者会見を始めるなど、オープン化の方法や程度はさまざまで、大臣が主催権を持つフルオープン化はまだ少ない。
[編集] 地方公共団体
1996年4月、神奈川県鎌倉市は全国紙や地元紙の神奈川新聞など6社でつくる「鎌倉記者会」に市役所内の記者室を使わせるのを止め、その場所を市に登録した全ての報道機関が利用できる「広報メディアセンター」として開放した。当時の市長・竹内謙(元朝日新聞編集委員、現・インターネット新聞JANJAN代表)の「一部の報道機関でつくる記者クラブが、税金で賄う市の施設を独占するのはおかしい」という考えによるものであった。
2001年5月15日、長野県知事の田中康夫は「脱・記者クラブ宣言」を発表し、記者クラブから記者室と記者会見の主催権を返上させた。
2001年6月8日、東京都は、都庁内の鍛冶橋・有楽記者クラブに対し、同年10月からクラブ及びスペースの使用料を支払うよう申し入れたが、後にこれを撤回し、光熱・水費と内線電話代に限って徴収することになった。また、石原慎太郎東京都知事は週刊誌や外国報道機関が会見に参加できないことについて疑問を呈している。
2006年3月14日、北海道は厳しい財政状況等を踏まえ新年度から「道政記者クラブ」に対し、光熱費・水道料金等約250万円の支払いを求めることを決めた。
2007年5月11日、東国原英夫宮崎県知事は定例記者会見で、「記者クラブという存在は、先進国では日本だけ」であると述べた上で、現行の県政記者クラブの在り方を見直すべきとの問題提起を行った。この直後、読売新聞など一部メディアでは否定的見解を表明した。
[編集] 業界・経済団体
1993年6月、東京証券取引所記者クラブである「兜倶楽部」はこれまで加盟資格は日本の報道機関に限られていた規約を改正して、新たに「日本新聞協会加盟社に準ずる報道業務を営む外国報道機関」と付記し、事実上、日本国外報道機関にも門戸を開放した。
1999年3月、経団連機械クラブが廃止。この記者クラブは電機、造船、半導体、自動車など取材拠点として運営されていたが、家主の経団連側が退去を要求。報道側と発表主体企業側とでクラブ存続の方策が議論されたが、打開策が見つからないままクラブは消滅した。
この背景には、電機メーカー側はオープンな記者会見を行い、ニュースリリースもメールを利用していたので、クラブを使うメリットが少なかったからと言われている。一方、自動車業界はクラブを存続させるため、日本自動車工業会の中に「自動車産業記者会」を設置したが、朝日、読売、毎日、日経が参加を拒否し、事実上、記者クラブとして機能していない。
1999年7月、日本電信電話(NTT)の記者クラブ「葵クラブ」がNTTの再編に伴って廃止。葵クラブについてはかねてから一民間企業に記者クラブがあったことについての問題が指摘されていたが、NTT再編を機に報道各社で作る経済部長会が葵クラブを記者クラブとして認めないことで一致。一方、NTT側もクラブ加盟社以外の雑誌や日本国外メディアに記者室を開放する狙いからクラブの廃止を受け入れた。
[編集] 記者証制度
日本以外の国でもジャーナリストを名乗れば誰もが自由に取材できる訳ではない。これは特に保安上の理由である。例えば、事前審査を行い、記者証を発行するなどの手続きが必要である。ただし、審査によって報道機関に所属していることが確認され、保安上の問題なしとされた場合は記者証が自動的に発行されるのが原則である。記者証を持っていれば、少なくとも公的機関の記者会見には出席できる。上杉隆は政府自らが記者の身分を確認しない現状の方が危険だと指摘している[50]。
日本以外の国では審査や登録の制度は窓口が1つで、いったん、記者と認められれば自由に取材することができる。日本のように、全国津々浦々に私的なクラブが乱立し、1つの記者クラブで記者と認められても、他の記者クラブでは認められないということはない。また、審査や登録には公的機関が関わっていることが多く、法律の枠内で運用されている。
アメリカ合衆国では、最近ではインターネットのブログでニュース報道を配信しているブロガーに記者証を発行し、話題になった。ウェブ上でニュース報道を配信しホワイトハウスから記者証を発行されていた保守系ニュースサイトの記者が違法ポルノサイトを運営、違法取引を行っていたことが発覚しセキュリティーチェックの不十分さが指摘された。
フランスでは、ジャーナリストであれば「プレスカード」が発行されるが、この発行を受ける場合はメディアの関係者とジャーナリストで作られている「プレスカード委員会」の審査を受けなければならない。また、この「プレスカード」によって大統領府(エリゼ宮)や各省庁の記者会見に参加することができる。
政府首脳の取材は保安上の理由で身元や身辺の調査などがある。ホワイトハウスでは「記者証」を発行してもらうためには厳重なセキュリティーチェックを受けなければならず[9]、また発行されるまでに数ヶ月程度時間がかかることもある。政府首脳とメディアの距離が非常に近いといわれていた北欧諸国でも、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件以降は制限されるようになった[51]。
日本新聞協会は2004年から、外国人記者に限って「記者証」制度を認めつつある。しかし、末端の記者クラブがそれを認めるかどうか保証はない。
[編集] 日本以外の例
[編集] 記者団
韓国政府の調査(2007年)によると[52]、世界には議会の取材に関わる団体が存在する国がある。イギリス、ニュージーランド、オーストラリア、カナダやデンマーク、イタリアである。ローリー・アン・フリーマンによれば、イギリスの「ウィエストミンスター・ロビー」記者会は議員に取材する特権を有し、特別ブリーフィングを受けることができるが、海外特派員やタブロイド紙記者だけでなく「エコノミスト」のような著名週刊誌も締め出されているという[53]
中央省庁の取材に関わる団体はOECD27国中、日本だけである。その他には唯一、アメリカ合衆国に中央省庁に関係した親睦団体がある。しかし日本のように全ての中央省庁にある訳ではなく、ホワイトハウスや国防総省、国務省だけであり、あくまでプレスクラブである。韓国には、日本の併合時代の影響で、日本とそっくりな記者クラブ制度があった。しかし2003年に盧武鉉大統領が廃止した[54]。 橋場義之は、2008年の李明博第17代大統領の就任により韓国の記者クラブは復権したとしている[55]。
上杉隆はその著書『記者クラブ崩壊』で、現在、記者クラブは日本とガボン、ジンバブエ[56]にしか存在しないとしている。実際、ジンバブエでは政府の情報メディア委員会への登録が義務化されているという報道がある。[57]。
[編集] 記者会見
韓国政府の調査によると[52]、定例会見を行っている国は、OECD27国中の約半分。毎日行っているのは、アメリカ合衆国と日本だけである。週1回や月1回という国も多い。元首や主要な役所だけが行う。全ての中央省庁に記者会見場がある国は、日本と韓国だけである[58]。
記者会見は、公的機関が主催し、その参加資格は政府ないし第三者機関が公的なルールに則って統一的に認定する。アメリカ合衆国やイギリス、フランスでは記者証制度を採用している[2]。韓国では記者クラブ廃止に伴い、2003年から「開放型記者会見」を導入している[54]。青瓦台に登録すれば、市民記者や外国報道機関も会見に参加できる。
日本以外では、記者会見は必要がある時のみ開催され、出来るだけ多くのメディアが参加出来るようにしている。
[編集] ブリーフィング
日本には記者会見の他に記者懇談会やブリーフィング(背景事情説明)があり、記者クラブが独占している。アメリカ合衆国やイギリスでも同様のブリーフィングがあると言われている。しかしごく一部であり、オープン化されている。
イギリスの首相官邸(ホワイトホール)では、以前は議会記者証を持った記者しか参加できないオフレコのブリーフィングが行われていた。チャーチルが第2次世界大戦中に始めたもので、非公式なリークによって報道を操る目的があったと言われる[要出典]。しかしトニー・ブレア政権以降は、フリー記者の参加が認められるようになり、オフレコも廃止された。
アメリカ合衆国のホワイトハウスでは、重大な発表が行われる場合のみ発表後の混乱を避けるため、特定の大手メディア(特にテレビ)記者を秘密裏に招集して、事前説明(ブリーフ)を行うと言われる[要出典]。
[編集] 記者室
詳細は「記者室#日本以外」を参照
韓国政府の調査によると[52]、中央省庁に記者が常駐できるような記者室を設けている国はほとんど無い。イタリアの首相室に数人が常駐している例があるぐらいで、全ての中央省庁に記者室を設置している国は、日本と韓国だけである。常駐して原稿を送る設備を用意しているような例はほとんどなく、そういったオフィスが必要な場合は記者が自費で用意する。
[編集] 脚注
- ^ a b 『新現場から見た新聞学』第1部 第1節
- ^ a b c 『新聞が面白くない理由』
- ^ a b c d e f g 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』
- ^ 天野勝文、橋場義之『新版 現場から見た新聞学』 2002年 p.96
- ^ a b c d e f “記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解”. 日本新聞協会. 2010年4月24日閲覧。
- ^ a b 『ジャーナリズム崩壊』第1章 第1節
- ^ 『ジャーナリズム崩壊』第4章 第4節
- ^ 土肥義則 (2009年11月27日). “記者クラブを批判したら……最大の抵抗勢力が出てきた(4)”. Business Media 誠. 2010年4月26日閲覧。
- ^ a b c d 「記者クラブ崩壊」上杉隆
- ^ a b c d e f g h i j k l 『新聞学』 pp. 108-118
- ^ a b 『ジャーナリズム崩壊』第2章 第1節
- ^ 『ジャーナリズム崩壊』第1章 第5節
- ^ 『ジャーナリズム崩壊』 37-38頁。
- ^ a b 『新現場から見た新聞学』序章 第2節
- ^ 今西光男『新聞 資本と経営の昭和史』(朝日選書824)p.287
- ^ a b c d e 『岐路に立つ日本のジャーナリズム』P130-144
- ^ a b 今西光男『新聞 資本と経営の昭和史』(朝日選書824)287-291 朝日新聞社 2007年
- ^ 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.96
- ^ 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解 - 1.目的と役割
- ^ a b 青木彰『新聞力』東京新聞出版局 2003年 pp.78-80
- ^ 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.111
- ^ 外国報道機関記者の記者クラブ加入に関する日本新聞協会編集委員会の見解
- ^ オフレコ問題に関する日本新聞協会編集委員会の見解
- ^ 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.99
- ^ 鎌倉市・広報メディアセンター
- ^ 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』p.102
- ^ 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解 - 1.目的と役割
- ^ 記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解(第656回編集委員会)
- ^ 徳永裕介 (2006年3月15日). “LDニュースのクラブ加盟却下”. ライブドア・ニュース (ライブドア) 2008年11月21日閲覧。
- ^ 日本新聞労働組合連合 (2010-03-04), “記者会見の全面開放宣言〜記者クラブ改革へ踏み出そう〜”, プレスリリース 2010年3月4日閲覧。
- ^ “「記者会見は全面開放すべき」 新聞労連が大手マスコミに提言”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2010年3月4日) 2010年3月4日閲覧。
- ^ 97年見解
- ^ 花岡信昭「記者クラブ制度批判は完全な誤りだ」日経BPネット2009年09月24日
- ^ 97年見解
- ^ 『日本型メディアシステムの興亡』
- ^ なぜ記者クラブが問題なのか
- ^ a b c 小林雅一 『隠すマスコミ、騙されるマスコミ』 文藝春秋〈文春新書〉(原著2003年5月)。ISBN 9784166603183。
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- ^ フリーマン『記者クラブ』「補遺D イギリスのロビーとの比較」
- ^ a b 趙 章恩(チョウ・チャンウン) (2007年6月12日). “韓国政府の「記者室統廃合」で市民記者はよみがえるか”. IT PLUS. 2010年4月11日閲覧。
- ^ フリーマン『記者クラブ』橋場義之による解題 353ページ
- ^ 『記者クラブ崩壊』P148
- ^ 横山仁美 (2008年9月8日). “抑圧下の記者クラブ シリーズ・ジンバブエ(1)”. asahi.com. 2010年5月6日閲覧。
- ^ 이영태(イヨウンテ) (2007年3月22日). “정부 기자실, 선진국에는 없다(政府の広報部、先進国ではない)”. 大韓民国政策ポータル. 2010年4月11日閲覧。
[編集] 参考文献
- 稲葉三千男ほか『新聞学 第三版』1995年 ISBN 978-4535581883
- 天野勝文ほか『岐路に立つ日本のジャーナリズム』1996年 ISBN 978-4535582156
- 岩瀬達哉 『新聞が面白くない理由』 講談社〈講談社文庫〉(原著2001年9月)。ISBN 9784062732857。
- 田村紀雄、林利隆(編) 『新版 ジャーナリズムを学ぶ人のために』世界思想社 新版版 1999年 ISBN:4790707881
- 村上玄一 『記者クラブって何だ!?』 同朋舎(原著2001年11月)。ISBN 9784810427271。
- 筑紫哲也 『ニュースキャスター』 集英社〈集英社新書〉(原著2002年6月)。ISBN 9784087201451。
- 筑紫哲也他 『職業としてのジャーナリスト―ジャーナリズムの条件〈1〉』 岩波書店、2005年2月。ISBN 978-4000263979
- 田中良紹 『メディア裏支配--語られざる巨大マスコミの暗闘史』 講談社(原著2005年3月)。ISBN 9784062128346。
- 柴山哲也 『日本型メディアシステムの興亡--瓦版からブログまで』 ミネルヴァ書房〈叢書・現代社会のフロンティア〉(原著2006年6月)。ISBN 9784623046089。
- 山田直樹他 『追跡!平成日本タブー大全 2』 宝島社、2006年10月。ISBN 978-4796650250
- 青木理 『国策捜査―暴走する特捜検察と餌食にされた人たち』 金曜日(原著2008年5月)。ISBN 9784906605408。
- 天野勝文、橋場義之『新現場から見た新聞学』2008年 ISBN 978-4762018770
- 上杉隆 『ジャーナリズム崩壊』 幻冬舎〈幻冬舎新書〉(原著2008年7月30日)。ISBN 9784344980884。
- ローリー・アン フリーマン(著), 橋場 義之(訳)『記者クラブ―情報カルテル』緑風出版 2011年