上杉隆

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上杉 隆
Takashi Uesugi cropped 1 Tomoyasu Hotei and Takashi Uesugi 20110219.jpg
出生 1968年5月3日(45歳)
日本の旗 日本 福岡県
出身校 都留文科大学文学部英文科
職業 不詳
肩書き

株式会社NO BORDER代表取締役

公益社団法人自由報道協会代表理事
配偶者 なし
公式サイト

上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年昭和43年)5月3日 - )は、株式会社NO BORDER代表取締役。元自由報道協会代表(現理事)。

来歴[編集]

福岡県生まれ、東京都新宿区育ち。

東京都立広尾高等学校、1年浪人し、2年留年して都留文科大学文学部英文科卒業としている[1]。大学在学中富士屋ホテル(山中湖ホテル)で5年間住み込みでアルバイトとして働く 。

上杉の著書『結果を求めない生き方』(P29~P31)によれば、大学卒業予定の1991年にNHKの就職試験に落ちたため、わざと留年して翌1992年に内々定を得た。同年、「10月1日の正式内定を待って、研修扱いとして一足早く渋谷のNHK放送センターで働くことになった」が、「大学のミス」で取得済みの単位が未登録となり、「文部省から天下り役人」である大学の事務局長が「自分達のミスを隠すために」再び留年になってしまったという。そのため内定保留のまま勤務し、1994年に大学を卒業したとするが、その後も正式採用されず、2年1ヶ月間NHKで勤務したとしている。なお、平沢勝栄からの名誉毀損訴訟(後述)で、NHK「記者見習い」という勤務実態が東京地裁に認定されたとしている[2]

テレビ東京の『やりすぎコージー』や、東京MXテレビ5時に夢中!』では「黒い池上彰」と名乗り、NHKに入社し、研修講師が報道局の池上彰だったと話している[3]。しかし、上杉は後に町山智浩とのネット討論の場でNHKには正式採用されていなかった事を認めている。

学歴[編集]

職歴[編集]

  • 1992年1994年「NHK報道局勤務」を自称していたがNHK広報から抗議を受け、のちに「内定」のみで卒業できず、アルバイトであったと自著で認める。さらにそのアルバイトも「ほとんど行ってない」と語った。しかしインタビュー記事などでは『モーニングワイド』で校閲をしていた、内勤記者だったと語っている。
  • 1994年7月~1999年 3月 衆議院議員鳩山邦夫の雑用係、運転手などを経て99年に数ヶ月公設第二秘書(鳩山の都知事選出馬に伴う議員辞職で失職)
  • 1999年7月~2001年7月 ニューヨーク・タイムズ東京支局インターンリサーチアシスタントをするかたわら「ニューヨーク・タイムズ記者」、「ニューヨーク・タイムズ取材記者」という肩書きで週刊誌などで執筆
  • 2002年 フリージャーナリストを名乗る
  • 2011年 自由報道協会代表
  • 2011年 年内でジャーナリストを無期限活動休止を宣言し、翌年以降「元ジャーナリスト」を自称するようになる[4]
  • 2012年 株式会社NO BORDER代表取締役
  • 2013年 NO BORDERの運営に専念するため、自由報道協会代表を辞任[5]

人物[編集]

ゴルフが趣味であり、『ゴルフダイジェスト』などのゴルフ専門誌にも寄稿している。『ゴルフが本業、政治はときどき、を目指してます』と、ゴルフジャーナリストを自称することもある。大学時代には学内でゴルフサークルを設立、代表を務めた。

記者クラブに属する日本の大手マスメディアによる談合や横並び・画一報道に対して問題を提起している。記者クラブ問題と並び、官房機密費問題に対しても切り込む。著書「ジャーナリズム崩壊」の中では「情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が日本のジャーナリズムを貶めている」「他人のものを盗まないのは当然」などと指摘をしている。また、日本のメディアは画一的な情報しか流さないと主張し、記者クラブの存在を糾弾しており、「多様な価値観」を座右の銘としている。[6]

日本ではマスコミ自体、 またジャーナリスト自身が自己検証・自己批判を行わないことも問題視している(欧米では訂正欄が確立していて自己検証を行う)。また、日本では客観的報道と謳いながら特定政党を支持するような報道が行われることも批判しており、客観的報道など不可能だから米国の新聞のようにどの政党を支持するか表明して報道すべきだとしている。一方では、「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと特定政党を支持するような記者を批判しており、記者も国民の一人なので特定の政治家や政党を支持するのは自由であるが、それを報道に持ち込んではならないともしている[7]

小学生時代は、新宿区内で軟式少年野球チームでサードを守り、キャプテンを務めていた。小学校6年生当時の夢は「野球選手」だったが、卒業アルバムに記すのに皆と同じでは面白くないと思い、兼高かおる世界の旅を観て世界を旅する職業に憧れ、「ジャーナリスト」と書いたという。しかし、中学校入学後はサッカー選手や講談社ブルーバックスに手が伸びすばる望遠鏡ゴルファーになりたいと考えていた。また小学校時代には書道で2回の入賞歴がある[8]

活動や発言について[編集]

石原慎太郎は東電株主[編集]

2011年4月の東京都知事選における期日前投票期間中には、東京電力の第5位株主が石原慎太郎都知事であるとの誤報を発信した(これに対し、「【記者クラブ的お詫び】先程のリツイートに誤解をまねくものがありました。お詫びして訂正します。 」とのツイートは行われている)。

菅政権、震災のドサクサの中で「ネット規制強化法案」を閣議決定」[編集]

「火事場泥棒。言論の自由への挑戦。情報暗黒内閣の正体露に。 ⇒菅政権、震災のドサクサの中で「ネット規制強化法案」を閣議決定」との不確かな情報を発信(閣議決定したのは震災発生の数時間前)し、佐々木俊尚にデマだと指摘された。これに対しては自身ではなく週刊ポストの誤報であるとツイートしたり、誤報ではあるが日付を間違えただけでデマではないとしている。また、佐々木に対して政府公認安全デマアカウントに認定されましたと批判している。

小沢一郎会見後に読売新聞記者を恫喝[編集]

2011年10月20日、上杉が暫定代表を務める「自由報道協会」が主催した小沢一郎元民主党代表の記者会見が行われた[9]際に多くの質問者が出ることが見込まれたため出来るだけ多くの人に質問させる意図から「原則一人一問」というルールを設けていたが、読売新聞の恒次徹記者が、司会者の再三の注意にも関わらず複数の質問をしたところ、ルール違反したとして会見終了後、上杉は自由報道協会代表として岩上安身とともに「記者会見について司会者に従うこと」について恒次記者に暴言を交えながら詰問し、恒次記者が「回答が曖昧な場合、記者が続けて行う関連質問」として反論をしてやり取りの模様がネット上に動画で公開された[10][9][11]。恒次記者は最終的に別の協会メンバーの「次回からルール厳守をお願いします」という言葉にうなづいて会場を後にし、自由報道協会ルールを守ることに同意した模様[12]。読売新聞は「恒次記者の質疑応答時間は約4分30秒、その後に質問した4人の平均質疑応答時間は約5分」としている[10]

翌10月21日付けで、自由報道協会は代表の上杉隆名義で、読売新聞の恒次記者宛に、司会者の指示に従わなかったことを挙げて、「記者会見上のルールを無視し、進行を妨げたことは誠に遺憾」旨の抗議文を送付[13][10]

一方22日には上杉が恒次記者に対して複数回の暴言を吐いたことが同協会の健全性と信頼性を傷つけたとし、同協会幹事長及び会員に対して、代表辞任届を提出(不受理)[14]

読売新聞によると、読売新聞読者センターに寄せられた意見は10月26日時点で141件寄せられ、恒次記者を支持する意見があったが殆どは恒次記者に対する批判であり、批判意見には「読売バカ記者」「恥を知れ」と同じ文言のメールが多数あったとしている[10]

なお、上杉は2010年1月9日に「日本文化チャンネル桜」で放送された「新春討論・平成22年この国の行方」においては、「(日本の記者クラブでは)2問目の質問が出来ない。これは日本だけですけど、こんなことをやっているのは。世界中で普通ジャーナリストは権力を追及する時に、相手がごまかした場合は次の質問者もその次の質問者も、ちゃんと答えるまで追求できる訳ですよね。これは。ただ、日本だけは記者クラブの訳の分からんルールで、一人一問とかですね、助け舟を出すと。」と述べたことがある[15]

町山智浩との対決[編集]

2012年1月27日、映画評論家の町山智浩がツィッター上で、上杉がレギュラー出演していたTBSラジオの番組「キラキラ降板の理由は、(海外で報道されていたメルトダウンの可能性を公表しなかった)東電批判をしたためでなく、震災前に上杉さんが放送で官房長官が機密費を「ネコババ」したと発言、長官の抗議に対してTBS(ラジオ)が上杉さんの意思に反して謝罪して揉めた件ですよね?」と質問した[16]。 町山は、上杉が鳩山元首相主催勉強会にて、東京電力電事連批判のあとに降板されられたと発言している記録、上杉が東電批判のせいで降板させられたと発言しているドイツのシュピーゲル誌のインタビューなどを挙げた。 ただ、上杉は、2011年4月、鳥賀陽弘道との対談(『報道災害 【原発編】』幻冬舎新書、2011年7月に掲載)において、「降板は、東電批判以外なら、官房機密費くらいしか考えられない」と、どちらの可能性もあることを示唆していた。 直接是正したいという上杉隆本人の希望により、2012年3月14日、『ニコ生×BLOGOS番外編』にて直接対談が実現[17]。この放送は延べ19万人が視聴した。これで、上杉隆が認めた事実は三つ。

①上杉のNHK時代という経歴は正社員ではなく、あくまで見習い(アルバイト)だったこと。 ②NYタイムズには署名記事はひとつも書いていないこと。 ③キラキラ降板については、震災前に既に話を聞いていた、ということ。

しかし、4月19日のドイツ国際放送のインタビューでは、TBSラジオの番組で福島第一原発の3号機から放射能が出ていると話したら降板になった、と再び語っている。

このままのペースで行くと2011年の自殺者が5万人を超える[編集]

2011年8月11日に行われた自由すぎる報道座談会6内で、ある政治家が調べたんですけど4月5月6月7月、このペースで行くと自殺者が5万人を超える。放射能事故を起こすと自殺者が増えるのに政府やマスコミは無視していると発言した。この発言に対して、ジャーナリストの江川紹子により、警視庁が公表している自殺者情報を元に6月、7月の自殺者は減っているためこのペースで行っても5万人を超えないと批判された。

2012年3月11日に行われた号外!ニコニコニュース「3.11特集号」~あの日から1年~内で、この件について4月、5月のペースで行くと5万人を超えると6月か7月に話した。6月、7月と自殺者が減った。自殺者5万人を超えるというのは4月、5月ペースでの話だと釈明した。

福島・郡山に人は住めない[編集]

2012年3月14日付の夕刊フジに=「福島・郡山に人は住めない」という見だしの記事を書いた。しかしそのコメントをしたとうウォールストリート・ジャーナルの記者2名は存在しなかった。また福島市役所前の空間線量が「福島民報」や「福島民友」では0.6マイクロシーベルトになっているが同じ日の同じ場所で上杉隆が自分で計測したところ、郡山市役所前の空間線量が1.8マイクロシーベルトを超え、不正測定が行われていると報じた。しかしこれも虚偽である可能性が濃厚であることが判明した
2月14日のメルマガでは郡山市役所の空間線量が1.0~1.3マイクロシーベルトだと書いているが、3月14日の夕刊フジではそれが1.8マイクロシーベルトを超えたと書いている。[18]
また計測方法も側溝のすぐ上を計測していたのではと批判されている。

福島第1原発3号機の爆発隠蔽[編集]

日本の新聞やテレビは3号機が爆発した時の映像を公開せずに隠蔽していると批判しているが、実際には各社報道をしていた。 またこの時、枝野官房長官が「3号機でポンという爆発的事象がありました。」と爆発がなかったかのような発言をしたと言っているが、この発言は3号機についてではなく2号機についての発言を3号機だと言い換えている。[19]

東日本大震災以降の発言を一括修正[編集]

2012年10月14日、東日本大震災以降に使用してきた表現について、

  • 震災後の3月、4月、日本の大手メディアは●●については報じていない
  • 震災後の春、●●について、記者クラブはほとんど報じていない
  • ●●について、政府の発表を受けたマスコミは、事故発生当初、まったくと言っていいほど報じていなかった

のように述べてきたものを

  • ●●について、日本の大手メディア(記者クラブ/マスコミ)の一部は報じてはいたものの、読者・視聴者に伝わるほどそれは十分なものではなかった

と訂正することを発表した。[20]

平沢勝栄との裁判[編集]

2003年11月、『週刊新潮』(2003年11月27日号)の中で上杉が執筆を担当した「パチンコ業者から平沢勝栄代議士に渡った4000万円」で、元警察官僚の平沢が朝鮮系パチンコ業者数社からあわせて4000万円のウラ献金を受け取っていたと書いた。これに対し、平沢は新潮社に対し名誉毀損による損害賠償を求めて提訴した。2005年7月10日、最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定した。

「麻生クーデター」説[編集]

2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[21]を書いた。麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[22]。また、安倍も公式の記者会見で否定している[23]

麻生内閣に関する報道[編集]

2008年10月2日、自身のブログの中で、マスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[24]。その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[25]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[26]。その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[27]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[28][29]が、新聞報道などで11月になって明らかにされた。

外務省による抗議[編集]

2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、匿名の外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[30]。これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[31]、匿名の外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[32]を記述し、反論している。その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[33][34]

民主党主催ゴルフコンペ[編集]

2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と釈明(領収書などの物的証拠は一般公開されていないが上杉は「山岡に見せた」としている。後述)し[35][36]、逆にゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと弁解した。山岡は、取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[35]

上杉は2010年2月11-13日のtwitterにおいて、これに関する一連の書き込みを行った。たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」[37]との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。

その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で

  1. 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
  2. コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡に提示した
  3. ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた

と主張している。[38][39][40]

朝日新聞記者批判記事[編集]

2008年12月、著書『ジャーナリズム崩壊』にて、朝日新聞の記者本多勝一疋田桂一郎がフリージャーナリストの岩瀬達哉を名誉毀損で訴えたとして、名誉毀損で訴えたことは「言論の場での論争を放棄して、司法という権力に判定を委ねることは、反権力を標榜してきた「ジャーナリスト」にとって自殺行為」などと本多と疋田を批判した。しかし、本多が週刊金曜日12月19日号にて「『ジャーナリズム崩壊』に見るジャーナリスト崩壊」と題して、疋田が岩瀬に対する反論書を自費出版して、岩瀬がその反論書を名誉毀損として訴えたというのが事実であり、本多と疋田が訴えたとする上杉の記事は事実と違うと反論した。またこの件に対して疋田夫人から上杉隆への質問状を送ったが未だに返信がないとして質問状の内容を全文公開した。 その後、上杉隆はブログ上で謝罪を行ったことと、書籍の訂正内容を公表したが、書籍にはまったく反映されていない。[41]

青山繁晴批判記事[編集]

著書『ジャーナリズム崩壊』にて、元共同通信社青山繁晴が安倍政権崩壊時に涙を流したとして「政治権力との距離感を忘れた派閥記者」などと批判した。しかし、青山は涙を流していない、間違っていると上杉に指摘した。上杉は調べて返事すると約束しているが、青山は自身のブログなどでその後、ただの一度も、ただのひと言も連絡はないとしており、『ジャーナリズム崩壊』を書く前に自身へ確認の取材がなかったことも含めて批判している。一方で上杉はツイッター上で青山には説明済みと発言している。

安倍晋三事務所からの抗議[編集]

2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」」と題する記事で、安倍元総理を批判した。これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[42]。 「週刊文春」名義で回答したが、『当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。』と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[43]、3月22日に回答した。さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」[44]から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体が誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した[45]。また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[46]。これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[47]。ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[48]

安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉から何の回答もなく嘘つきだと批判した[49]。これに対し、上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています」と発言。この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させて問題をすり替え、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。また、『たかじんのそこまでやって委員会』の動画でも、上杉は「安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに”一回も反論をせずに逃げ回っている”と嘘を書いている」(ただし上杉自身も反論を公表していない。)、「この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。これについては私の記述ミスです。それ以外の内容には間違いがない」と話している[50]

検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題[編集]

上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から『週刊朝日』編集部に出頭要請が来たことを記載した[51]。『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[52]。その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[53]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[54]。上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[55]

これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[56]などを元に、『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』、『こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が「検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[57]。しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。

『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとしそれが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[58]。 岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[59]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[60]

福田元首相批判記事[編集]

週刊朝日2010年4月16日号にて「『赤いファイル』(公文書)廃棄疑惑・・・外務省の゛暴挙゛を認めたのは福田元首相だった。」という記事を書き、福田元首相が公文書廃棄の共犯であると批判した。しかし、福田元首相の事務所より「『公文書廃棄疑惑』についてはまったく知りません」「文書廃棄について了承を与えた事実はない」と抗議を受け、確認を怠り虚偽の記載をしたことを認め、週刊朝日5月26日号の巻末の編集後記の隣に小さく謝罪文を掲載した。

フジテレビ新報道2001の降板[編集]

報道2001』から『新報道2001』にリニューアルされ、竹村健一の代わりに毎週出演していた。しかし2009年3月15日の放送で検事の実名を挙げて検察を批判した際、笹川堯自由民主党総務会長、弁護士宗像紀夫から猛抗議を受け、同番組を降板した。

ただし、過去にブログで『新報道2001』レギュラー出演と矛盾する発言を書いている。2008年12月30更新のブログでは、『新報道2001』から何度も出演依頼があったが断ったのでVTR出演した、と書かれており、毎週出演していたとの話と矛盾している[61]

2009年1月1日更新のブログでは、レギュラー出演をしているテレビ番組を今年度末までに降板すると書いていた[62]

「記者クラブ制度」糾弾[編集]

多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、日本の大手メディアに属す記者クラブメンバーのみの参加者・質問者、という日本の制度を批判している。ニューヨークタイムス、ワシントンポストなど海外大手メディアも記者クラブには入れないため、上杉は、直接会見に参加できないことがアジア支社の日本完全撤退・縮小の原因となったと主張している。[63]上杉は記者クラブ制度について、世界の中で日本とアフリカ・ガボン共和国の2カ国のみに存在する制度であるとの誤った説(※ニューヨークの国連本部や米中央省庁にも日本同様の記者クラブが存在する)を唱え、記者会見でも政治家、大臣に対し会見の開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。

その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党小沢一郎代表の記者会見がある。同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答した。[64]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、オープンな会見への方針に変化が無いとの言葉を引き出した。民主政権になり一部の記者会見ではオープンになった。

2011年1月26日に自由な記者会見の場を提供すべく「自由報道協会」を結成した[65]

2014年東京都知事選[編集]

細川護煕候補の政策や運動方針に深く関与していながら、細川陣営の選挙に関わっていることを隠した上でジャーナリストとして自身の出演している番組、TIME LINEなどで、東京都知事選を取材したと言って、脱原発は東京都知事選で一番の争点になるなどと細川陣営にとって都合の良いことを話していた。

受賞歴[編集]

著書[編集]

  • 石原慎太郎「五人の参謀」(小学館文庫、2000)
  • 田中真紀子の恩讐(小学館文庫、2001)
  • 田中真紀子の正体(草思社、2002)
  • 議員秘書という仮面 - 彼らは何でも知っている(小学館文庫、2002)
  • 小泉の勝利 メディアの敗北(草思社、2006)
  • 官邸崩壊 安倍政権迷走の一年(新潮社、2007) - 韓国語版も発売された。
  • ジャーナリズム崩壊(幻冬舎新書、2008)
  • 宰相不在 崩壊する政治とメディアを読み解く(ダイヤモンド社、2009)
  • 政権交代の内幕 民主党は日本をどう変えるのか (PHP研究所 2009.10)
  • 民主党政権は日本をどう変えるのか (飛鳥新社 2009.6)
  • 世襲議員のからくり (文春新書、2009)
  • 記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争(小学館101新書、2010)
  • 暴走検察 週刊朝日取材班共著 (朝日新聞出版 2010.4)
  • 結果を求めない生き方 上杉流脱力仕事術 (アスコム、2010.9)
  • 上杉隆の40字で答えなさい (大和書房、2010.10)
  • 小鳥と柴犬と小沢イチローと 日本を面白くしてしまった政治家47人の罪と罰(ビジネス社、2010)
  • なぜツイッターでつぶやくと日本が変わるのか マイクロジャーナリズムが政治とメディアを揺らす8つの話 (晋遊舎新書、2010.6)
  • 永田町奇譚 もしニッポンの総理が東スポを愛読してたら… (藤本順一共著 扶桑社 2010.12)
  • ウィキリークス以後の日本 自由報道協会(仮)とメディア革命 (光文社、2011.3)
  • わたしの3・11 あの日から始まる今日(茂木健一郎他共著毎日新聞社 、2011.5)
  • この国の「問題点」 ~続・上杉隆の40字で答えなさい~(大和書房、2011.6)
  • 放課後ゴルフ倶楽部(ゴルフダイジェスト社、2011.8)
  • 報道災害【原発編】事実を伝えないメディアの大罪 (烏賀陽弘道共著幻冬舎、2011.7)
  • だからテレビに嫌われる(堀江貴文共著大和書房、2011.9)
  • リアルタイムメディアが動かす社会: 市民運動・世論形成・ジャーナリズムの新たな地平(八木啓代他共著東京書籍、2011.9)
  • 有事対応コミュニケーション力 生きる技術!叢書(鷲田清一 他共著技術評論社 、2011.11)
  • 国家の恥 一億総洗脳化の真実(ビジネス社、2011.11)
  • 私たちは、原発を止めるには日本を変えなければならないと思っています(飯田哲也 他共著ロッキングオン社、2011.12)
  • 新聞・テレビはなぜ平気で「ウソ」をつくのか(PHP研究所、2012.2)
  • 大手メディアが隠す ニュースにならなかったあぶない真実(PHP研究所、2012.3)
  • メディアと原発の不都合な真実 (技術評論社、2012.9)
  • 誰がこの国を壊すのか(森達也共著ビジネス社、2012.11)

執筆・対談掲載雑誌[編集]

主な出演番組[編集]

テレビ[編集]

ラジオ[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『結果を求めない生き方』
  2. ^ 3.14頂上決戦 上杉隆VS町山智浩 徹底討論 - YouTube
  3. ^ 池上彰はNHK時代に左遷されていた!?... - 東京MXテレビ『5時に夢中』2010年12月3日[リンク切れ]
  4. ^ 無期限活動休止のおしらせ - 上杉隆公式サイト・2011年4月2日
  5. ^ 代表理事辞任のご挨拶”. 自由報道協会 (2013年5月17日). 2013年5月19日閲覧。
  6. ^ 上杉隆をうならせた ジャーナリズムの先輩たちの言葉
  7. ^ 『ジャーナリズム崩壊』[要ページ番号]
  8. ^ 自由報道協会インターン主催「上杉隆模擬記者会見」 - ニコニコ動画
  9. ^ a b 小沢一郎民主党元代表・全国民参加型記者会見 主催:自由報道協会
  10. ^ a b c d “小沢元代表記者会見で読売記者へ激しい抗議”. 読売新聞. (2011年10月27日). オリジナル2011年10月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20111027230056/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20111027-OYT1T00036.htm 2013年11月10日閲覧。 
  11. ^ 「ルール違反だろ!」小沢一郎会見で″場外乱闘″ 上杉隆氏らと読売記者が口論に”. BLOGOS (2011年10月20日). 2011年10月22日閲覧。
  12. ^ 「おんだらぁ。なめてんのか、この野郎」 上杉隆氏暴言で自由報道協会代表「辞任」”. J-CASTニュース (2011年10月24日). 2011年10月27日閲覧。
  13. ^ 自由報道協会主催記者会見でのルール違反について
  14. ^ 辞任届
  15. ^ 上杉隆氏ほか、「記者クラブ問題ほか、日本の偏向報道について」
  16. ^ [1]
  17. ^ ニコ生×BLOGOS番外編「3.14頂上決戦 上杉隆VS町山智浩 徹底討論」BLOGOS(ブロゴス)
  18. ^ 郡山市役所前水洗い問題
  19. ^ 上杉隆 氏についての検証
  20. ^ 【上杉隆事務所よりおしらせ】
  21. ^ 「筆者〔上杉〕は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ」(『週刊文春』2007年9月27日)。
  22. ^ “麻生氏らの「クーデター説」、首相が明確に否定”. 読売新聞. (2007年9月24日). オリジナル2008年6月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080611102214/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5600/news/20070924ia22.htm 2013年11月10日閲覧。 
  23. ^ “「改めて深くおわび」安倍首相、都内の病院で陳謝の会見”. 読売新聞. (2007年9月24日). オリジナル2008年6月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20080611102209/http://www.yomiuri.co.jp/feature/fe5600/news/20070924i111.htm 2013年11月10日閲覧。 
  24. ^ “麻生首相に解散の気配なし 解散日程を勝手に捏造したマスコミの困惑”. ダイヤモンド・オンライン. (2008年10月2日). オリジナル2008年10月2日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081002164815/http://diamond.jp/series/uesugi/10047/ 2013年11月10日閲覧。 
  25. ^ 「『文藝春秋』2008年10月10日、「10月上旬解散」念頭にあった?=麻生首相が月刊誌に手記」『時事通信』2008年10月28日。[リンク切れ]
  26. ^ “誠に遺憾に存じます/文春「麻生論文」の筆者は朝日編集委員の噂”. 週刊新潮 2008年10月30日号. (2008年10月23日). オリジナル2008年10月26日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081026200327/http://www.excite.co.jp/News/magazine/MAG5/20081023/5/ 2013年11月10日閲覧。 
  27. ^ 『東京脱力新聞2.0』2008年10月17日。「やっと正式な解散風が吹いてきた」
  28. ^ “麻生首相:先月13日解散明言 心変わりで公明と亀裂”. 毎日新聞. (2008年11月2日). オリジナル2008年11月13日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081113140953/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20081102k0000m010078000c.html 2013年11月10日閲覧。 
  29. ^ 解散「やろうやろう」=先月10日、首相が細田氏に」『時事通信』2008年11月1日。[リンク切れ]
  30. ^ “外務省が週刊朝日に異例の抗議、訂正求める”. MSN産経ニュース. (2008年10月22日). オリジナル2008年10月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081027235211/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081022/plc0810222005007-n1.htm 2013年11月10日閲覧。 
  31. ^ 『「情報公開もしないくせに、われわれの紙面を批判する。到底容認できない-」 毎日新聞の記者がこう詰問した直後、斎木局長は顔を紅潮させて反論した。「だから、私は自分の非を認めたじゃないか。ミスリードしたって認めたじゃないか」』「“「外務省が本誌に抗議」に反論する!”. 週刊朝日 2008年11月7日号. オリジナル2008年12月24日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081224072126/http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9870 2013年11月10日閲覧。 
  32. ^ 上杉は反論記事で、その匿名の外務省幹部に再び確認、「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」と、中曽根大臣を批判したことは認めたと主張した。“「外務省が本誌に抗議」に反論する!”. 週刊朝日 2008年11月7日号. オリジナル2008年12月24日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081224072126/http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=9870 2013年11月10日閲覧。 
  33. ^ “政府答弁書で「週刊朝日」上杉記事を否定”. MSN産経ニュース. (2008年11月11日). オリジナル2008年12月4日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20081204103551/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/081111/plc0811111036012-n1.htm 2013年11月10日閲覧。 
  34. ^ 外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」衆議院 質問答弁経過情報
  35. ^ a b 軽井沢1泊ゴルフコンペ付き 民主党のマスコミ接待リスト出回る」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年10月28日。
  36. ^ 民主党のマスコミ接待リスト 上杉隆氏の釈明」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年11月3日
  37. ^ http://twitter.com/uesugitakashi/status/8941927573
  38. ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100211
  39. ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100212
  40. ^ http://twilog.org/uesugitakashi/date-100213
  41. ^ http://blog.livedoor.jp/uesugitakashi/archives/51627578.html
  42. ^ “<相次ぐ週刊誌の事実無根の中傷・捏造記事><週刊文春>上杉隆氏に抗議・通知書送付”. 安倍晋三. (2009年2月26日). オリジナル2009年2月28日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090228175029/http://newtop.s-abe.or.jp/ 2013年11月10日閲覧。 
  43. ^ 上杉隆氏 公開質問状に対する回答期限守らず(安倍晋三のホームページ)[リンク切れ]
  44. ^ 読売新聞1993年7月11日号「二千人以上を庭に集めることができる巨大事務所を設営、名簿の再チェック、ローラー作戦を展開」
  45. ^ 『上杉隆さん!答えて下さい』<追記>[リンク切れ]
  46. ^ 《上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠》 (安倍晋三のホームページ)[リンク切れ]
  47. ^ 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ~ゴルフとスパと、時々、永田町2009.3.27【謝罪要求】 自称「保守政治家」を嗤う 万国の「自称ジャーナリスト」(JJ)よ、分裂せよ! 【反撃開始】
  48. ^ 上杉隆氏の低次元なレッテル貼り癖について
  49. ^ 変わらぬ上杉 隆氏の本性
  50. ^ “【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論(2010.07.18)”. たかじんのそこまでやって委員会. (2010年7月18日). オリジナル2010年7月21日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100721024455/http://ex-iinkai.com/free/detail18.html 2013年11月10日閲覧。 
  51. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “旧き友を暢気にランチに誘っていたら、東京地検特捜部から編集部に出頭要請がきた昼下がり。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。
  52. ^ 『週刊朝日 談』10/02/03[リンク切れ]「2月3日午前、山口一臣編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がインターネット上、ツイッター上で飛び交っておりますが、出頭要請はありません」とした。
  53. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!(中略)以下が真相。今日の午前中、検察から週刊朝日に対して、文書が届き、すぐに来てくれ、捜査妨害だ、話を聞きたいと。明白な出頭要請が。”
  54. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “重要!2 この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。なんと朝日新聞本社は、この圧力に屈して、週刊朝日編集部トップに対し、抗議文が来たことだけにして、出頭要請は伏せろと指示。”
  55. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。 “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。同時刻、電話にて同編集長との面会を要請。地方出張のため「明日以降」と地検側に回答。”
  56. ^ 朝日新聞東京本社編集局 (2010年2月3日). “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、”. asahi_tokyo. 2010年2月6日閲覧。 “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。”
  57. ^ 池田信夫 (2010年2月3日). “マスコミの「立件バイアス」”. 池田信夫blog part2. 2010年2月6日閲覧。
  58. ^ “お騒がせして申し訳ありません”. 朝日新聞出版. (2010年2月6日). オリジナル2010年2月7日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100207120707/http://www.wa-dan.com/yamaguchi/ 2013年11月10日閲覧. "『2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。』
    『指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。』"
     
  59. ^ 岩上安身 (2010年2月5日). “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。おそらく、検察と朝日本社に「逃げ道」を用意してあげたのでしょう。山口さんとは面識がありませんが、大人ですね。”
  60. ^ 上杉隆 (2010年2月5日). “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。”. uesugitakashi. 2010年2月7日閲覧。 “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。 cf: しゅっ‐とう【出頭】 本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。(広辞苑)”
  61. ^ 荒れる自民党、第二次補正予算は? 新報道2001(フジテレビ) 【先々週】
  62. ^ 【年頭所感】 2009年を迎えて 「反省」と「決意」と「宣言」 【テレビ撤退宣言】
  63. ^ 「[記者クラブ崩壊]」
  64. ^ “小沢代表から記者クラブ開放の言質をとった記者会見での質問”. ダイヤモンド・オンライン. (2009年3月26日). オリジナル2009年3月27日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20090327014219/http://diamond.jp/series/uesugi/10071/ 2013年11月10日閲覧。 
  65. ^ ついに「日本自由報道記者クラブ協会」を旗揚げ!週刊上杉隆・第159回

参考文献[編集]

  • 「上杉隆インタビュー」『ダカーポ』No618、マガジンハウス社

外部リンク[編集]

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