ラウル・カストロ

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ラウル・カストロ
Raúl Castro
Presidente de Cuba, Raúl Castro, visita Salvador.jpg

任期 2008年2月24日

キューバの旗 キューバ共和国
国家評議会第一副議長
任期 1976年12月3日 – 2008年2月24日
元首 フィデル・カストロ国家評議会議長

キューバの旗 キューバ共和国
初代革命軍事省大臣(国防大臣)
任期 1959年 – 2008年2月24日

任期 2011年4月19日

任期 2008年2月24日2009年7月16日

出生 1931年6月3日(83歳)
キューバの旗 キューバビラン
政党 キューバ共産党
配偶者 ヴィルマ・エスピン1959年 - 2007年
署名 Raul Castro Signature.svg

ラウル・カストロ・ルスRaúl Castro Ruz, 1931年6月3日 - )は、キューバ政治家軍人革命家。兄のフィデル・カストロとともにキューバ革命を指導し、革命後は、同国の最高指導者となったフィデルの後継者として、革命軍事相(国防相)、キューバ共和国国家評議会第一副議長、閣僚評議会第一副議長、キューバ共産党中央委員会第二書記などを歴任したのち、2008年2月24日、フィデルの退任に伴い、国家評議会議長国家元首)兼閣僚評議会議長首相)に就任した[1]。現在の肩書は、キューバ共和国国家評議会議長、閣僚評議会議長、キューバ革命軍最高司令官、キューバ共産党中央委員会委員、同中央委員会第一書記、政治局員、人民権力全国会議(国会)代議員。

来歴[編集]

ビランにて、ガリシア人移民の父アンヘル(es:Ángel Castro y Argiz)と、ガリシア人を祖先に持つキューバ人の母との間にて、男兄弟3人の末っ子として生まれる。フィデルとラウルには、兄弟のほかに4人の女姉妹(その内の1人にフアニータ・カストロがいる)、そして片方の親が違う兄弟が2人いる。

革命以前から社会主義政党であるキューバ人民党に入党するなど、兄のフィデルよりも当初から共産主義に傾倒していたとされる。独裁体制を敷くフルヘンシオ・バティスタとの闘争には当初から参加し、1959年の革命でフィデルを首班とする政権が発足すると、国防大臣に就任している。革命以来、軍内での基盤が堅く、アメリカ合衆国との闘争などでは兄よりも強硬派とされている。1962年キューバ危機では最後まで強硬論を兄に進言し続けていた。

チェ・ゲバラ1965年にキューバを去った遠因に、ラウルとの確執があったとの見方もある(ゲバラをフィデルに引き合わせたのはラウルである)。

フィデルの後継者として[編集]

1965年のキューバ共産党結成以来、ナンバー2にあたる第二書記を務める。1976年の現憲法制定で国家評議会第一副議長に就任し、1986年に兄が初めて「後継者はラウル」と明言した。

1994年7月26日の革命記念日では、兄に代わって初めて演説を行った。その後、1997年の党大会で正式に後継者に指名された。近年は、かつては激しく対立した中華人民共和国との関係改善を進め、自らも代表団を率い訪中。2008年には国家主席である胡錦濤の訪問に敬意を払った。

2006年7月31日、フィデルが腸の手術を受けたために、その権限が数週間ラウルに委譲されると発表されたが、その後フィデルの回復が高齢のためか思わしくなく、暫定期間は1年半ほど続いた。2008年2月19日にフィデルが引退を発表、5日後の2月24日に国家元首にあたる国家評議会議長に選出された。

国家評議会議長に就任するまでは、国家評議会第一副議長、閣僚評議会第一副議長(第一副首相)、キューバ共産党中央委員会第二書記を務めていた。近年はスーツを着用することも多かった兄とは違い、人民権力全国会議(国会)などの公の場では一貫して軍服姿を通していたが、2006年に兄から暫定的に権限を移譲されて以降、非同盟諸国首脳会議等の場でスーツ姿で登場するようになった。

2011年4月19日、党大会において、兄フィデルの正式辞任により、2006年より代行を務めていたキューバ共産党中央委員会第一書記に就任した[2]

国家評議会議長就任にあたり、「国防などの重要な事項については兄の助言を求める」と述べ、議会もこれを認めた。しかしラウル自身も高齢であることから、ラウルの後継が早くも取沙汰されている(もっともラウル自身も議長就任演説で世代交代の必然性については言及している)。

2013年2月24日、国家評議会議長に再任された。同時に「これが私の最後の任期となる」として、この任期満了となる2018年での引退を明言した[3]

2014年12月16日にバラク・オバマ米大統領と電話会談し、翌17日に会見で米国と国交正常化交渉に入ることを明らかにした[4]

私生活[編集]

家族は一男三女。妻のビルマ・エスピンとは2007年6月18日に死別している。長女のマリエラ・カストロ(en)は人民権力全国会議議員。長男のアレハンドロ・カストロ(en)は内務省(es大佐

脚注[編集]

外部リンク[編集]

公職
先代:
フィデル・カストロ
キューバの旗 キューバ共和国国家評議会議長
2006年 - 2008年は代行
第2代:2008年 -
次代:
現職
先代:
フィデル・カストロ
キューバの旗 キューバ共和国閣僚評議会議長
2006年 - 2008年は代行
2008年 -
次代:
現職
先代:
設置
キューバの旗 キューバ共和国閣僚評議会第一副議長
1976年 – 2008年
次代:
ホセ・ラモン・マチャド・ベントゥーラ
先代:
設置
キューバの旗 キューバ共和国国防大臣
1959年 - 2008年
次代:
フリオ・カサス・レゲイロ
党職
先代:
フィデル・カストロ
キューバ共産党第一書記
2006年 - 2011年は代行
2011年 -
次代:
現職
先代:
設置
キューバ共産党第二書記
1965年 - 2011年
次代:
ホセ・ラモン・マチャド・ベントゥーラ
軍職
先代:
フィデル・カストロ
キューバ革命軍最高司令官
2006年 - 2008年は代行
2008年 -
次代:
現職
外交職
先代:
フィデル・カストロ
非同盟諸国首脳会議事務総長
2008年 - 2009年
次代:
ホスニー・ムバーラク