ヨハネスブルグ

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ヨハネスブルグ市都市圏
City of Johannesburg Metropolitan Municipality
Joburg top.jpg
ヨハネスブルグの市街中心地
Flag of Johannesburg.svg Coat of Arms of Johannesburg.svg
都市圏 都市圏
愛称 : joburg(ジョーバーグ)
位置
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)の位置図
ヨハネスブルグの位置(南アフリカ共和国)
ヨハネスブルグの位置(ハウテン州)の位置図
ヨハネスブルグの位置(ハウテン州)
座標 : 南緯26度12分16秒 東経28度02分44秒 / 南緯26.20444度 東経28.04556度 / -26.20444; 28.04556
歴史
建設 1886年
都市圏 2000年
行政
南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
  ハウテン州
 都市圏 ヨハネスブルグ市都市圏
市長 アモス・マソンド
アフリカ民族会議
地理
面積  
  都市圏 1,644.96km2(635.1mi2
標高 1,753m(5,751ft
人口
人口 2007年現在)
  市域 3,888,180[1]
    人口密度   2,364人/km2(6,122.7人/mi2
その他
等時帯 南アフリカ標準時UTC+2
市外局番 011
公式ウェブサイト : city of johannesburg

ヨハネスブルグJohannesburg, アフリカーンス語: [juˈɦɑnəsbœrx, juɦɑnəsˈbœrx], 英語: [dʒoʊˈhænɪsbɜrɡ]; 南アフリカ英語: [ʤəˈhænəsbøːg])[1]は、南アフリカ共和国ハウテン州にある都市都市圏)、同州の州都である。同国最大の都市であり、人口は約388万人[2]。近郊を含む都市的地域の人口では748万人であり、同国第1位、アフリカでは第4位である[3]

アフリカを代表する世界都市の1つであり[4]都市のGDPは1100億ドルで、南部アフリカ第1位である[5] 。アフリカ最大の証券取引所であるJSEの所在地でもあり、アフリカ最高の金融センターと評価されている[6]

目次

[編集] 名称

名称の由来は確証が得られないが、1886年の金鉱発見の際に測量のため派遣されたヨハネス・マイヤーヨハネス・リシックの名にちなんでいるという説が知られている。「Burg」は、アフリカーンス語の古語で「要塞都市」を意味する。[7]

[編集] 歴史

金鉱が発見された農場

19世紀半ばまでは、先住民族であるサン人による小さな集落のひとつであった。1853年にトランスヴァール共和国の成立移行も開拓のためボーア人が定住したものの大きく変わるものではなかった。

1886年ウィットウォーターズランド(『白水の峰』を意味するアフリカーンス語)の鉱脈が発見され、アフリカ各地からの移住者が増加した。

19世紀末から20世紀初頭にかけてのボーア戦争で、イギリスが現地のオランダ系移民ボーア人に勝利して金鉱をおさえた。その後、イギリス人とボーア人は和解、黒人の権利を踏みにじり鉱山労働などで酷使するアパルトヘイト政策を行った。

アパルトヘイト統治時代、市内はアフリカーナー(ボーア人)とイギリス系が住む白人居住区と、アフリカ系やカラードなど有色人種が住む黒人居住区に分断され、黒人の白人居住区への立ち入りを厳しく制限した。白人居住区にはさまざまな優遇政策が実施されていた。

1990年代、アパルトヘイトが廃止されたことで居住区の移動制限が撤廃されたため、職を求めてアフリカーナー居住区に多くのアフリカ系とカラードが移住したもののほとんど職を得ることができなかったため、一部の失業者による犯罪が多発し、市内の治安が極端に悪化している。

2000年、周辺の自治体と合併しヨハネスブルグ市都市圏が発足。

2002年、「持続可能な開発に関する世界首脳会議」が開催された。これは、1992年リオデジャネイロで開催された地球サミットを受けたものである。この国際会議において、「持続可能な開発に関するヨハネスブルグ宣言」が出された。

近年は経済治安の悪化、貧困エイズ問題などの不安材料も多い。

[編集] 地理

ウィットウォーターズランド

南アフリカ東部にある標高が1,753 m(5,751 ft)の高地に位置する。周辺地域は、ウィットウォーターズランドと呼ばれる小さな峰で、北部や西部の郊外は起伏のある丘がある一方、東部の都心地域は平野である。

[編集] 人口動勢

2001年の国勢調査によると、人口の73%が黒人、16%が白人、4%がアジア系(主にインド人と中国人)となっている。言語については全人口の32%が南ンデベレ語ズールー語コサ語などのングニ諸語、24%がソト語北ソト語ツワナ語などのンデベレ諸語、18%が英語、7%がアフリカーンス語、6%がヴェンダ語などのヴェンダ諸語を家庭で話しているなど、非常に多言語な都市となっている。

[編集] 気候

10月から4月の夏の期間は乾燥した陽光に恵まれて、午後遅い時間に時折激しい雨が降る。ヨハネスブルグの気温は通常穏やかで、夏の1月でも最高気温は26℃で冬の6月でも最高気温は平均して16℃である。冬の間は時々気温は深夜に凍えるほど下がり霜が降りる場合もある。雪は滅多に降らず、1956年5月、1981年9月、2006年8月に経験したくらいである。2007年6月27日も降雪があり、その時は約10cmの積雪があった。年間平均降水量は713mmでそのほとんどが、夏の期間に降る。

ヨハネスブルグは乾燥した気候にも関わらず、600万本もの樹木がある世界最大の人工林(非商業的で)の都市と言われている。ほとんどの樹木は都市の北側に鉱業のため19世紀に植えられたものである。この地域の開発はダイヤモンド鉱山などを牛耳るドイツ系移民の企業家Hermann Ecksteinが開発していた。彼はこの辺りを"forest estates Sachsenwald"と呼んでいた。その名前も、" Saxonwold"に変わり現在は郊外の地名になっている。第一次世界大戦中、白人居住区はこの地域に移り森林も保持され新しい木も植えられたが、現在は北側の開発が進み、多く樹木が伐採されている。20、30年のうちに多くの森林が失われることが危惧されている。

ヨハネスブルグの気温
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 年間
月間最高気温( 35 34 32 29 26 23 24 26 31 32 33 32 35
平均最高気温(℃) 26 25 24 21 19 16 17 19 23 24 24 25 22
平均最低気温(℃) 15 14 13 10 7 4 4 6 9 11 13 14 10
月間最低気温(℃) 7 6 2 1 -3 -8 -5 -5 -3 0 2 4 -8
降水量(mm 125 90 91 54 13 9 4 6 27 72 117 105 713
South African Weather Service(2007年7月26日)

[編集] 政治

ヨハネスブルグの行政区分

アパルトヘイト廃止以前は、市内は人種居住区別に11の行政区(アフリカーナー行政区7・アフリカ系、カラード行政区4)が設置されていた。行政区域はきわめて非効率的で、市政府は税支出の90%をアフリカーナー居住区に、アフリカ系やカラード居住区への税支出は10%に過ぎなかった。

1995年、アパルトヘイト廃止に伴い成立した市政府は、税支出の民族別不均衡の是正に取り組むと同時に、民族別居住区の撤廃を実施した。

1999年、市域の拡大を行いヨハネスブルグ市都市圏が発足、市内を民族構成や地域構成を基に約300,000人を目安とした新たな11行政区・109地区[8]に再編した。

2006年2月、市政府は行政サービスの効率化を図るため、市議会の議決を経て7行政区[9]への再編した。

[編集] 行政

[編集] 行政区分

  • A区
    • ディープスロート、ミッドランド、ランセリア、など
  • B区
    • ノースクリフ、など
  • C区
    • ローデポールト、など
  • D区
  • E区
  • F区
  • G区
    • エンナーデール、オレンジファーム、など

[編集] 治安

[編集] 概要

有刺鉄線を張り巡らす商店

南アフリカは世界でも有数の犯罪発生率の高さで、性犯罪の発生率も世界最悪水準であると同時にHIV感染者も非常に多い。特にヨハネスブルグの危険性は突出しており、「世界最悪の犯罪都市」「世界の犯罪首都」と称されるほどである。地元警察にて公式発表される殺人事件による犠牲者数は、国全体で1日当たりで50名である。しかし、これらの数字は主に黒人居住区のバーや酒場でのトラブルによる事件によるもので、一般旅行者が立ち入る場所での事件は非常にまれである。在南アフリカ大使によると、日本から過去4年間で12万人のツアー客のうち、犯罪に巻き込まれたケースはゼロであり、またバックパッカーを含めた日本からの観光客が身体的な被害にあったケースは過去数年間はゼロ、とのことである(しかし置き引きやスリなどの被害は非常に多い)。特に2010FIFAワールドカップ大会開催に合わせて進められた治安改善策は、非常に大きな効果をもたらした。

ヨハネスブルグでは昼間であっても犯罪多発地区への立ち入りは非常に危険であり避けるべきであるが、特に危険な地区でなければ、一般的な発展途上国においての警戒(夜に出歩かない・人通りのない場所に立ち入らないなど)を怠らなければ必要以上に恐れる必要はなくなりつつある。

[編集] 背景

ヨハネスブルグにはアパルトヘイト廃止後、職を求めて国外からの不法入国者を含む多くのアフリカ系とカラードが一挙に流れ込んだ。しかし、アパルトヘイト時代の黒人に対する教育環境は非常に貧しく、非識字者はもちろん算数の初歩程度の知識すら有さない者も多い。南アフリカに隣接する国家から流入する者も同様である。こうした黒人達が高層ビルの林立する近代都市で職を得る機会はかなり乏しい。その結果、一部の者を犯罪へ駆り立て、多くの犯罪組織が作られることとなり治安は急速に悪化した。これを嫌った白人富裕層は、ヨハネスブルグからサントンなどの近郊へと職場(企業)も住居も移した。こうした悪循環でますます仕事の機会がなくなり、ついには街の一部(ヨハネスブルグ中心部等)は完全なゴーストタウンと化した。写真にある近代的な高層ビル群や高級マンションには逃げ出した白人達に代わって、市街地に流れ込んできた職のない黒人たち(周辺諸国からの不法移民含む)が、不法入居者として住みつき、麻薬取引をはじめとする犯罪の温床と化した。上記展望写真からも明らかなように、近代的なビル群が林立するわりには車道の交通量が不自然に少ない。南アフリカの都市では、経済的な貧困に加えて、既に死因の一位となっているエイズ蔓延による深い絶望感、さらにアパルトヘイト時代に鬱積した不満の反動とが複雑に絡み合い、銃器が簡単に入手できる環境から、実に簡単に殺害行為が引き起こされるようになってしまった。犯罪に手を染めるマフィアの縄張り争いや金銭のトラブル、または酒場での諍いなどが主な原因となっている。

とりわけヨハネスブルグ中央部界隈の治安の悪さは、戦時下にない地域としては世界でもワーストクラスとなってしまった。どの店でもショーウィンドーには鉄格子が据え付けられ、治安の悪い地区には有刺鉄線が張り巡らされた商店もある。

治安の悪化と共に、富裕層から中産階級層のオフィスや居住地は北部のサントン地区などの郊外へ移転しはじめた。こうした地区の中心部には、ホテルが併設された大型ショッピングセンターが存在している。これらの高級施設は高圧電線、窓の鉄格子、電子防犯装置、銃火器で武装した警備員と警備犬の常駐により治安が良好に保たれている。南アフリカの観光ツアーで、単なるショッピングセンターへの立ち寄りが強調される理由はここにある。

しかし、2010FIFAワールドカップ開催にあわせて行われた治安対策とその経済効果により、現在は都心部にも活気が戻りつつある。

[編集] 危険情報

ヨハネスブルグの中でも危険度が高いとされるヒルブロウ地区

日本の外務省からは、南アフリカに対しては危険情報が出されている[10]が、ヨハネスブルグはその中で1項目として挙げられている状態で、ダウンタウンやヒルブロウ地区については「可能な限り公共輸送機関の利用は避け、同地区には立ち入らないように」という勧告も出されている。しかし、ヨハネスブルグでは、自動車での移動においても、交差点の赤信号にて停車した日本人ドライバーがガラスを割られて助手席の荷物を盗られるという事件も発生していた。乗用車の故障のため高速道路の脇に車を停めて車外に出たドライバーがギャングに殺されたりする事件が発生している。ただしワールドカップ終了後、夜間のダウンタウン地区を除いてそのようなことは見られなくなった。

非黒人が夜間に駅やバスターミナル周辺を歩くことは、自殺行為であるとされる。鉄道やバスといった公共交通機関は黒人の低所得層が利用する手段であり、空港・商店・ホテルなどの建物内から移動するときは、安全のため車を使用すべきである(ほとんどのホテルは送迎を行っている)。夜間は車であっても極力外出しないことである。危険な地区では停車しないように警告されている。

このように、極端に治安が悪い地域があったため、2010年FIFAワールドカップでの治安問題から開催時の犯罪が不安視されていたが、大会が終わってみれば、金品の強奪や置き引きなどの被害が約20件報告されたが、身体被害を受けた観光客はゼロであった。このことから、ヨハネスブルグの治安の悪さに尾ひれがついて世界各国でアナウンスされていた事実が表面化した(ただしこれはワールドカップに合わせて大々的に行われた治安対策の効果を割り引いて考える必要がある)。

[編集] 改善への取り組み

ヨハネスブルグ警察は治安の悪化を改善すべく防犯カメラを中心部に多数設け、24時間監視を開始した。中心部は改善が見られたものの、犯罪グループの活動拠点が中心部から移動し、治安の悪化がカメラの設置されていない郊外部に拡大した[11]

2010FIFAワールドカップ開催のため警察が治安対策を行い、治安の改善があった。

[編集] 産業

金鉱山の開発によって成立した町で、現在でも市の境界線近くで多くの金鉱山が操業しており、鉱山会社のほとんどもヨハネスブルグに本社を置いている。しかし、1世紀以上にわたって年間生産量第1位をほこってきた南アフリカの金鉱山は、採掘坑道の長大化、深部化によるコスト増により、生産量は2009年時点で米国に次ぐ世界第4位となっている。現在のヨハネスブルグの主産業は商業及び金融である。JSEはアフリカ最大の証券取引所であり、銀行や製造業の企業の多くもヨハネスブルグに本社を置き、外国企業の支店も多く立地している。鉄鋼やセメントを中心とした工業も盛んである。また、南アフリカの経済の中心地であるため、テレビ局や新聞社、出版社も多く、文化の中心ともなっている。

[編集] 交通

O・R・タンボ国際空港(ヨハネスブルグ国際空港から改名された)があり、これが南アフリカ共和国の空の玄関である。鉄道高速道路も各都市を結び、よく整備されている。

[編集] 鉄道

メトロレール路線図
(ヨハネスブルグ都市圏)

中央駅であるヨハネスブルグパーク駅に各路線が連絡している。

寝台列車
通勤列車
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[編集] バス

都市内の路線はメトロバス社によって運行されており、年間約2000万人の旅客を輸送している。また、サントン地区に本社を置くPUTCO社は都市圏郊外においてもバス路線を展開している。

[編集] 空路

国内最大のO・R・タンボ国際空港のほか、国内線専用のランセリア空港、小規模空港であるランド空港グランドセントラル空港がある。

[編集] 高速道路

[編集] 観光

テーマパーク
動物園
博物館
美術館
商業施設

[編集] 教育

ウィットウォータズランド大学

ヨハネスブルグには公立・私立共に質の高い大学がある。2005年1月、ランド・アフリカーンス大学、ウィットウォータズランド工科大学、ビスタ大学の3つが合併し、ヨハネスブルグ大学が設立された。この大学では英語だけでなくアフリカーンス語でも教育が行われる。

市内には日本人学校であるヨハネスブルグ日本人学校がある。

[編集] 大学

[編集] スポーツ

FNBスタジアムが、2010年に開催される第19回FIFAワールドカップ決勝戦を行うファイナルスタジアムとして決定されているが、命名権を持つファースト・ナショナル・バンクのFIFAスポンサー権利範囲が国内に限定されるため、大会中はスタジアム名を「サッカーシティ・スタジアム」に変更する。

またジェフリーズベイと呼ばれる世界屈指のサーフポイント。世界大会(WCT)も毎年行われている。またSAテニスオープン‎も開催されている。

スポーツ リーグ クラブ 競技場
サッカー プレミアサッカーリーグ オーランド・パイレーツFC FNBスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ カイザー・チーフスFC ヨハネスブルグスタジアム
サッカー プレミアサッカーリーグ モロカ・スワローズFC ランドスタジアム
ラグビー スーパーラグビー ライオンズ コカ・コーラ・パーク
ラグビー カリーカップ ゴールデン・ライオンズ コカ・コーラ・パーク
競馬 サウスアフリカンダービー ターフフォンテン競馬場

[編集] 友好都市

[編集] 脚注

[編集] 外部リンク

公式
観光
外務省

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