古賀茂明

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こが しげあき
古賀 茂明
生誕 1955年8月26日(59歳)
長崎県
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学法学部
職業 国家公務員経済産業省

古賀 茂明(こが しげあき、1955年(昭和30年)8月26日生 )は、日本の元通産経産官僚である。古賀茂明政策ラボ代表、大阪府市統合本部特別顧問

来歴[編集]

長崎県佐世保市生まれ。その後東京に移り、麻布中学校・高等学校卒業[1]。高校の同期生に湯浅卓大西洋がいる。高校時代は理系志望であったが、3年生で文系志望に転じ、東京大学教養学部文科1類を経て東京大学法学部に進学[2]する。しかし、麻布の校風と異なり東大法学部にはつまらない秀才が多いと感じ、次第に授業から足が遠のき、2年留年。もともと公務員になるつもりはなかったが、2年留年すると民間企業に入るのは難しいと考え、公務員試験を受験し合格。1980年(昭和55年)、東大法学部を卒業し通商産業省(現経済産業省)に入省。なお大蔵省からも内定を受けていたが、東大法学部と同じく秀才が集まる雰囲気を感じたため避け通産省を選んだ[3]。同期入省に西山英彦石黒憲彦経済産業審議官)、立岡恒良経済産業事務次官)が、1期上にみんなの党江田憲司などがいる。

外務省プレトリア日本国総領事館領事などを経て、通産省や後継の経産省では大臣官房会計課法令審査委員、経済産業政策局経済産業政策課長を歴任するなど本流エリートコースを歩んでいた。しかし、経済産業政策課長時代に杉山秀二事務次官と産業構造審議会の部会新設をめぐり対立。若手官僚とともに事務次官室に乗り込み、財務省管轄の税制改革を経産省が扱うことは危険だと主張し部会新設に反対する杉山事務次官と数時間にわたり議論し、部会新設の同意を無理矢理得たことを契機に傍流に外される。次官室乗り込み事件1年後の2005年(平成17年)に外局中小企業庁部長、その後中小企業基盤整備機構出向となった。

2006年(平成18年)には大腸癌の手術を受け抗がん剤の投与を受けるようになる。この年、公務員改革に力を入れていた渡辺喜美行政改革担当内閣府特命担当大臣から、大臣補佐官の就任の要請を受けたが、癌による体調悪化から辞退し、代わりに9年後輩の同僚である原英史を紹介し、原が大臣補佐官に就任した。

2007年(平成19年)には茨城県つくば市にある独立行政法人産業技術総合研究所に異動。元経産官僚の岸博幸によると、この人事はがん治療で体調不良中の古賀をつくばに飛ばすという懲罰的な意味合いをもっているという[4]

しかし、渡辺大臣が福田康夫首相の反対を押しきる形で2008年(平成20年)に霞ヶ関に復帰させ、内閣官房に設置された国家公務員制度改革推進本部事務局審議官に就任。当時の渡辺喜美行政改革担当相の下で、「年功序列人事の廃止」「天下り規制の強化」「事務次官廃止」など急進的な公務員制度改革に取り組んだ。

その後、就任した仙谷由人行政刷新大臣は、当初は公務員改革への意欲をみせ古賀を補佐官に就かせ行政改革を続けさせるつもりでいたものの、そのような人事は財務省が認めないとの古川元久内閣府副大臣や松井孝治内閣官房副長官ら官僚出身議員からの進言を受け断念。2009年(平成21年)12月、唐突に国家公務員制度改革推進本部の幹部全員が解任され、古賀も内閣事務官の任を解かれ、経済産業省に戻ったが、それ以降は仮置きの部署である「経済産業省大臣官房付」に長期間留め置かれる異例の人事措置が取られる。この間、数度にわたりマスコミを通じて政府の公務員制度改革案を批判し、広く名を知られるようになった。官僚批判の著書も出版し、ベストセラーになっている。

2011年(平成23年)6月、7月15日までに辞職届を提出するよう海江田万里経済産業大臣及び松永和夫経済産業事務次官から通達されるが、これに応じなかった。同年7月には事実上の退職勧奨である民間出向の打診も受けたがこれも拒否した。しかし、枝野幸男経産相の就任後に同省の立岡恒良官房長から「枝野大臣は辞める手続きを進めてくれと言っている」と連絡があったため、9月26日付で辞職することを明らかにした。ところが枝野経産相は「私が直接対応すべき事務次官級幹部官僚人事ではない。事務次官以下に任せる」との発言があったため、古賀は「これは民主党が提言した党主導で行う官僚人事のひとつであり、官僚である事務次官以下で決めるのはおかしい。辞表を撤回して再度(枝野に)大臣としての判断を求める」としていたが[5]、経産省の官房長から退職を促されたために[6]9月22日、同月26日付で辞職する内容の辞表を提出した。一方、同じ経済産業省出身で京都大学大学院准教授(当時)の中野剛志2012年5月に収録された超人大陸の中で触れ、古賀について「肩たたき(退職)の年次だっただけ。」として、慣例に従った人事であると指摘した。[7]

各種報道媒体で公務員改革の主張や、東京電力批判などをするようになってからは、川崎市の自宅玄関前に血を流したハクビシンの死体が置いてあったり、近所の家や街灯には電気が通っているのに古賀の自宅のみが停電するなどの事態が生じているが、人為的ではなく偶然の可能性もあり、被害届等は出していない[8]

人物[編集]

発言[編集]

「停電テロ」発言[編集]

2012年5月17日、古賀はテレビ朝日モーニングバード』において大飯原発の再稼働を批判し、その中で「火力発電所でわざと事故を起こす、あるいは事故が起きたときにしばらく動かさないようにして、電力が大幅に足りないという状況を作り出してパニックをおこすことにより、原子力を再稼動させるしかないという、いわば停電テロという状態にもっていこうとしているとしか思えない」と発言した[10]関西電力は「停電テロ」を否定[10]し、視聴者からも批判が出るなど波紋を広げた[11]。2012年5月29日、古賀は停電テロ発言に関して「真意が十分に伝わらなかった」と釈明した[12]

経歴[編集]

テレビ番組[編集]

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 古賀茂明「原発震災を防げなかった本当の理由とは」ビデオニュース・ドットコム2011年6月18日
  2. ^ 古賀茂明『官僚の責任』PHP新書。
  3. ^ 古賀茂明『官僚の責任』PHP新書。
  4. ^ 「経産省解体論」古賀茂明氏を次官に——緊急対談 高橋洋一×岸博幸
  5. ^ 宙に浮く「改革派官僚」古賀茂明氏の処遇、民主党はなぜ異能の人材を登用しないのか| nikkei BPnet 〈日経BPネット〉
  6. ^ “インチキ民主の犠牲者”古賀茂明氏が辞表提出! - 政治・社会 - ZAKZAK
  7. ^ 超人大陸2012年6月4日配信
  8. ^ “クビ官僚”に闇の圧力!玄関に血まみれ死体の恐怖 - 政治・社会 - ZAKZAK 5月上旬の朝、古賀氏が川崎市内にある自宅の玄関を開けると、ハクビシンが頭と口から血を流して死んでいた。近所には林もあり、野生のハクビシンはいるが、その状況は尋常ではなかった。死体の硬さなど、そこで死んだとは思えなかった。
  9. ^ 大阪維新の会:府知事選出馬、官房付の古賀茂明氏に要請”. 毎日新聞 (2011年9月8日). 2011年9月9日閲覧。
  10. ^ a b 本日のテレビ朝日「モーニングバード」での、今夏の電力需給に関する報道内容についての当社からのお知らせ”. 関西電力 (2012年5月17日). 2012年9月9日閲覧。
  11. ^ “「関電が停電テロ狙うかも」 大阪市顧問・古賀氏発言”. 朝日新聞. (2012年5月19日). http://www.asahi.com/kansai/news/OSK201205190013.html 
  12. ^ “「停電テロ」発言で釈明=大阪府・市特別顧問の古賀氏”. 時事通信. (2012年5月29日). http://jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2012052900516 

外部リンク[編集]