堺屋太一
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| 池口 小太郎
いけぐち こたろう
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| 生年月日 | 1935年7月13日(73歳) |
| 出生地 | |
| 出身校 | 東京大学経済学部卒業 |
| 前職 | 工業技術院業務部研究開発官 |
| 現職 | 早稲田大学日本橋キャンパス インテンダント 関西学院大学大学院 経営戦略研究科客員教授 |
| 称号 | 経済学士(東京大学・1960年) |
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| 内閣 | 第2次森内閣 |
| 任期 | 2000年7月4日 - 2000年12月5日 |
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| 内閣 | 第1次森内閣 |
| 任期 | 2000年4月5日 - 2000年7月4日 |
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| 内閣 | 小渕内閣 小渕第1次改造内閣 小渕第2次改造内閣 |
| 任期 | 1998年7月30日 - 2000年4月5日 |
| 堺屋 太一 (さかいや たいち) |
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|---|---|
| 誕生 | 池口 小太郎 (いけぐち こたろう) 1935年7月13日(73歳) |
| 職業 | 作家、評論家 |
| 国籍 | |
| 活動期間 | 1975年〜 |
| ジャンル | 近未来小説、歴史小説 |
| 主題 | 評論 |
| 代表作 | 『油断!』(1975年) 『団塊の世代』(1976年) 『峠の群像』(1981年) 『知価革命』(1985年) 『平成三十年』(1997年) |
| 主な受賞歴 | 正論大賞(1991年) 日本文化デザイン賞(2000年) |
| 処女作 | 『油断!』(1975年) |
| 配偶者 | 池口史子 |
| 親族 | 池口金太郎(兄) |
堺屋 太一(さかいや たいち、1935年7月13日 - )は、日本の通産官僚、作家、経済評論家。また、様々な博覧会のプロデューサーとしても著名である。経済企画庁長官(第55〜57代)、内閣特別顧問を歴任した。
本名は池口 小太郎(いけぐち こたろう)で、ペンネームの由来は、先祖の両替商が大阪府堺市から谷町筋に移住した際の屋号「堺屋」からであり、「太一」は本名の小太郎の「太」から採ったものである。
目次 |
[編集] 人物
[編集] 生い立ち
大阪市生まれ。本籍地は奈良県。大阪府立住吉高等学校を経て東京大学工学部入学後、経済学部へ転入し卒業。
[編集] 官僚時代
1960年に通商産業省入省。入省同期に、熊野英昭(元事務次官)、松田岩夫、初代経済産業研究所所長の岡松壮三郎らがいる。通産省時代は部下が家まで起こしに行くなど個性派であった。
1962年の通商白書では世界に先駆けて「水平分業論」を展開した。また、日本での万博開催を提案、1970年の大阪万博の企画・実施に携わり、成功を収めた。その後、沖縄開発庁に出向、沖縄海洋博も担当することとなった。工業技術院研究開発官としてサンシャイン計画に携わった後、通産省を退官する。
[編集] 作家としての活動
1975年(通商産業省在職中)に近未来の社会を描いた小説『油断!』で作家としてデビュー。
他に有名な著作として小説『団塊の世代』がある。この作品より、1940年代後半に日本で生まれた第一次ベビーブーム世代が「団塊の世代」と呼ばれるようになった。また、歴史小説『峠の群像』、『秀吉』は大河ドラマの原作となった。小説のみならず、工業社会の終焉と知価社会の到来を予言した経済理論『知価革命』等の社会評論に関する著作や、『「新都」建設-これしかない日本の未来』を始めとした公共政策分野における政策提言に関する著作も多数執筆している。
[編集] 博覧会のプロデューサーとしての活動
1978年に通商産業省を退官した後も、イベント・プロデューサーとして数々の博覧会を手掛る。
花の万博では『ダイコク電機「名画の庭」』パビリオン総合プロデューサーを務め、世界の名画を転写して焼成した陶版画を展示紹介した。後にこれらの陶版画は、「京都府立陶板名画の庭」に移築されている。セビリア万博では日本館総合プロデューサーを務め、日本館内で安土城天守閣の最上部(5-6階)の原寸復元をメイン展示として紹介した。こちらは「安土城天主信長の館」内に移築されている。
愛知万博では最高顧問であったが、お祭り色の強い博覧会を考えた堺屋と長期的計画を望んだ地域の意図が合わず、2001年6月28日に辞任した。ただし、最高顧問辞職後も、顧問として愛知万博協会に関係した。2010年に行われる上海国際博覧会の準備室高級顧問にも就任。さらに上海万国博日本産業館出展合同会社代表でもある。
[編集] メディアでの活動
1978年から日本テレビのドキュメンタリー番組『あすの世界と日本』でナビゲーターを務めたり、BSフジのビジネス対談番組『堺屋太一のビジネスリーダー』で司会を担当したり、テレビ朝日のドラマ『聖徳太子の超改革』の原案を手がるなど、テレビメディアにも幅広く携わっている。
[編集] 閣僚としての活動
1998年小渕内閣に民間人閣僚として経済企画庁長官に就任。第2次森内閣まで務めた。
長官在任中には、従来してきた政府の景気判断よりも景況感の変化を迅速かつ的確に把握しやすくする為、タクシードライバーや居酒屋の店主など「街角の人」に直接話を聞く「景気ウォッチャー調査」をスタートさせた 。また、インターネット博覧会(通称インパク)の発案者でもある。
また、総合交通対策担当大臣、新千年紀記念行事担当大臣、情報通信技術担当大臣なども兼任した。
[編集] 学者としての活動
2002年東京大学先端科学技術研究センター客員教授に就任。2004年早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授、同大学日本橋キャンパスインテンダント(学督)に就任。関西学院大学大学院経営戦略研究科客員教授にも就任した。
[編集] プライベート
元大蔵官僚の池口金太郎は兄。損保ジャパン東郷青児美術館大賞の受賞歴を持つ池口史子(ちかこ)は妻。「もう一人の愛する家族」はシーズーの“悟空”。趣味は女子プロレス観戦で、草創期からの熱心なファン、特に尾崎魔弓のファンとして有名である。またプロレス会場にも使われたライブハウス「新宿リキッドルーム」閉鎖後のイベントホール「新宿FACE」開設に尽力した。
[編集] 略歴
- 1959年 国家公務員採用上級試験(経済)合格
- 1960年 東京大学経済学部経済学科卒業
- 1960年 通商産業省入省(通商局通商調査課)
- 1965年 〃 企業局企業第一課国際博覧会調査室
- 1972年 沖縄開発庁沖縄総合事務局通商産業部企画調整課長
- 1974年 通産省工業技術院研究開発官
- 1978年 退官、執筆評論活動に入る
- 1998年 経済企画庁長官(小渕内閣)
- 2000年 経済企画庁長官(森内閣)
- 2000年 内閣特別顧問(~2004年9月)
- 2002年 東京大学先端科学技術研究センター客員教授(~2004年3月)
- 2004年 早稲田大学大学院ファイナンス研究科教授(~2006年3月)
- 2006年 早稲田大学特命教授
- ????年 関西学院大学大学院経営戦略研究科客員教授
[編集] 役職
- 政府税制調査会委員(1985年 - 1998年)
- 国会等移転調査会委員(1993年 - 1995年)
- 阪神・淡路復興委員会委員(1995年 - 1996年)
- 国会等移転審議会委員(1996年 - 1998年)
- 国家公務員制度改革推進本部顧問
- 財団法人イオン環境財団評議員
- 財団法人国際文化交換協会評議員
- 財団法人アジア刑政財団会長
- 財団法人稲盛財団評議員
- 財団法人岡崎嘉平太国際奨学財団評議員
- 財団法人社会経済生産性本部理事
- イベント学会会長
- 歴史街道推進協議会理事
- 特定非営利活動法人寝屋川市駅周辺まちづくりネットワーク顧問
[編集] 主な著書
[編集] 予測小説
- 『油断!』(1975年)
- 『団塊の世代』(1976年)
- 『破断界』(1976年)
- 『ひび割れた虹』(1978年)
- 『世紀末の風景』(1985年)
- 『向かい風の朝』(1994年)
- 『平成三十年』(2002年)
[編集] 歴史小説
- 『巨いなる企て』(1980年)
- 主人公は石田三成。関ヶ原が起こっていく様をあらたな視点から掘り起こしている。
- 『峠の群像』(1981年 - 1982年)
- 『豊臣秀長 ある補佐役の生涯 』(1985年)
- 秀吉の弟からみた戦国時代。1996年のNHK大河ドラマ「秀吉」の原作。
- 『鬼と人と~信長と光秀~』(1989年)
- 『俯き加減の男の肖像』(1995年)
- 『秀吉 夢を超えた男』(1996年)
- 1996年のNHK大河ドラマ「秀吉」の原作。
- 『世界を創った男 チンギス・ハン』(2007年)
[編集] 小説以外の社会評論等
- 『知価革命』(1985年)
- 『「新都」建設-これしかない日本の未来』(1990年)
- 『組織の盛衰』(1993年)
- 『危機を活かす』(1993年)
- 『時代末』(1998年)
- 『日本の盛衰』(2002年)
- 『日本 米国 中国 団塊の世代』(2009年)
[編集] 受賞歴
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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