岡田斗司夫

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おかだ としお
岡田 斗司夫
本名 岡田 斗司夫(おかだ としお)
生年月日 1958年7月1日(55歳)
出生地 日本の旗 大阪府大阪市
国籍 日本の旗 日本
民族 大和民族
職業 プロデューサー
評論家文筆家
ジャンル アニメゲーム
公式サイト 岡田斗司夫公式ウェブサイト案内
主な作品
実写映画
愛國戰隊大日本』(脚本
帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(脚本)

アニメーション映画
王立宇宙軍 オネアミスの翼』(企画


OVA
トップをねらえ!』(企画・原作・脚本)
麻雀飛翔伝 哭きの竜』(企画)
炎の転校生』(脚本)
おたくのビデオ』(企画)


オリジナルビデオ
ドラゴンクエスト ファンタジア・ビデオ』(企画)


ゲーム
電脳学園』(企画)


書籍
『ぼくたちの洗脳社会』(著)
『オタク学入門』(著)
『「世界征服」は可能か?』(著)
『いつまでもデブと思うなよ』(著)
『オタクはすでに死んでいる』(著)

岡田 斗司夫(おかだ としお、1958年7月1日 - )は、日本プロデューサー評論家文筆家実業家。自称オタキングおたくの王)。株式会社オタキング代表取締役、株式会社クラウドシティ代表取締役、大阪芸術大学芸術学部客員教授

株式会社ガイナックス代表取締役社長(初代)、東京大学教養学部講師などを歴任した。

人物・経歴[編集]

生い立ち[編集]

1958年、大阪府立病院で出生。父方の祖父は小学校にも行けなかった宮大工である。なお、母方の祖父母は雀荘の経営者[1]

父は大東亜戦争時に少年ながら大日本帝國軍の工兵として徴用、戦後は大阪師範学校(後の大阪教育大学)を出て小学校教員になった。岡田家一男一女の第2子として出生。息子に「斗(闘いを)司(司る)夫(ますらお)」という勇ましい名前を命名する。

1963年、住吉区遠里幼稚園入学。幼稚園2年目で既に漢字も読めるなど早熟であったため、幼稚園は無意味だから辞めたいと主張し、父母らの同意の上で1964年に退園する[1]

この頃、家計は貧窮し、ご飯のオカズはきな粉という食生活で、長屋に三家族で生活していた[2]。幼少時に学校で受けた知能検査で、自身の知能指数が148以上あることを知り、頭が良いのなら宿題などは単なる機会損失に過ぎない、と、以後の勉学を放棄[1]。この頃の夢は科学者になる事であった。大阪市立遠里小野小学校入学。父親はUFOや超能力などオカルト好きで中でも横山光輝の『バビル2世』の大ファンで、父親が買ってきたUFO関連の書籍を拾い読みし、大阪万博の御当地という環境もあって科学、物理方面に明るい子供となり、父親と空想上の乗り物の内燃機関について互いに知恵を絞っていた。

小学三~四年の頃、労を惜しまず働きづめに働く母の内職(縫製)の規模を拡大させて有限会社を設立し、父が教師を辞め社長に就任。事業は順調に伸び、なけなしの小遣いで模型を購入していた頃とは一変し「岡田さんとこのボン[3]」と界隈でも名が通り、模型店でも売掛(ツケ)で購入出来る程、顔が利く子供となる。この頃に培った科学的素養や世相が、後の創作物や「と学会」における講演などで活かされる事になる。知能に秀でた子供であったが理論武装で自己の要求を主張をするも実姉との口喧嘩では毎度コテンパンにやり込められていた。

大阪市立三稜中学校入学、友人から機材を借りて自主短編映画を撮影し、学校の行事などで上映。この頃の岡田はSF作家になることを夢見る少年だったが、知識とアイデアは大量に出てくるが、それを創作物という形にするのは全く別の才能だという事を悟る。映画、特撮、アニメーション、模型、空想科学の流行に没頭。浜村淳のラジオ番組『ヒットでヒット バチョンといこう!』で「地球の自転が停止するとどうなるか」というテーマにリスナー間で侃々諤々の大論争が巻き起こる中、岡田少年は「自転が止まると、その運動量は熱エネルギーに転換される。結果、地表は溶けてマグマが噴出し、人類は滅びる」と投稿し、これが模範解答に選ばれる[4]。母はクリスチャンで、キリスト教青年会にも通っていたが、本人に信仰は無かったという[5]

1974年大阪府立今宮高等学校入学。事業の成功により家が新築され、コップの水が凍る程強力な業務用エアコンが設置された45畳の部屋が岡田の自室としてあてがわれ、20歳までの3年間で蔵書が1万7千冊以上となる[6]。テレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』を見て衝撃を受け、父親を説得して当時30万円するビデオデッキを購入。ビデオテープは1本だけだったために、幾度も再生して暗記しては上書き録画した。

1977年同校卒業、大学受験に失敗し夕陽丘予備校の予備校生となる。

1978年、コンピュータを学ぶために大阪電気通信大学入学[7]するものの、当時発足していた「SF&アニメーション研究会」へ入部。学業以外の場所を得て、没頭する。なお、大阪芸術大学の講義で本人が語った所によれば、1年生の時に履修届を丸々忘れてしまい、以降4年間は大学へ行くフリをしながら両親には仕送りを続けてもらい、籍を置いたままファン活動にのめり込んでいる。同年、映画「スターウォーズ」が日本公開、幼少時から家業の縫製技術を見て育った岡田青年はダースベイダーの衣装を自作し扮装、映画館の梅田OS劇場に出向き初公開を待ちわびる人々の行列に並ぶも、全身黒づくめの巨漢に不安を感じたと思われるイベント会社の社員に入館を拒まれて小競り合いになる。ある日家に立ち寄ってみると3階建だったはずの実家が4階建へと増築、最上階の1フロア丸々「巨大な神殿」と化していて、父親から「今日からお母ちゃん神さんやで」と告げられ驚愕。かねてより会社の収益が税金として徴収される理不尽さに嘆いていた母が、税金対策として新興宗教を立ち上げ、実母自らが教祖となっていた。

1981年、同大学除籍[1]

同人時代[編集]

1978年、大阪電気通信大学も参加して発足していた関西学生SF研究会連盟の会合に顔をだすようになる。ここで武田康廣と出会う。同年、第17回日本SF大会(ASHINOCON)に参加し、武田康廣と共に舞台で話芸を披露。「関西芸人」の異名を取る[8]

1979年、関西学生SF研究会連盟が大阪で主催した第4回SFショーの事務局長を務める[9]。本来は日本SF大会の大阪第3回大会(DAICON3)を開こうとしたものだったが、開催ルールを知らなかったため認められず、野田昌宏が始めたイベントのSFショーの名を借りて開催した[10]。企画・構成・演出を務め、桂枝雀のSF落語やコスチュームショーなどを企画構成した[9]

1981年、第20回日本SF大会(DAICON3)を開催。オープニングでDAICON FILMの自主製作アニメーションを上映。会場でグッズやガレージキットを販売したり、自主制作作品のビデオ販売で大会の赤字を補填できたことなどにより、このジャンルがマニア向けのビジネスになると直感し、両親からの出資を得て実家の会社の一部門として1982年SFグッズ専門店「ゼネラルプロダクツ」を開店[11]。SFグッズやガレージキットを販売。イベント主催の関西SF研究会連盟の許諾を得ずに、オープニングアニメビデオを販売。暴利を稼ぐ。また、ガレージキットでは「伝説巨神イデオン」のゲージなどが制作販売されたが、全て著作権者には無許可であった。無許可のガレージキットは後に発覚し、円谷プロなどの認定シールが張られるようになる。当時はこのような専門的な店が少なく、ガレージキット市場の形成に大きな役割を果たす。同年中学時代の同級生と結婚。

1982年、脚本を執筆したDAICON FILMの自主製作映画『愛國戰隊大日本』がSF界で論争になる[12]。同年、6月27日に放送の劇場アニメ『伝説巨神イデオン』の宣伝番組に武田康廣と共に「双子の悪魔」としてテレビ出演。数々のパフォーマンスを演じる[13]

1983年には、DAICON FILMの自主制作映画『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(総監督・主演:庵野秀明)の脚本を執筆した。

ガイナックス設立[編集]

ゼネラルプロダクツの女性従業員と不倫関係に陥る。女性が岡田との関係に悩み、周囲の人間に相談したことから不倫が発覚。岡田は周囲から「軽蔑する」等と非難され、大阪に居られなくなったと実感。同時期、大阪での活動に限界を感じていた山賀博之は岡田の窮地を契機と考え、岡田を東京進出に誘う。大阪に居場所を失くした岡田は自身の利害と一致していたため、山賀の誘いに乗り東京進出を決めた[14]

1984年、アニメ制作会社「ガイナックス」を設立、代表取締役に就任。アニメ映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』、OVAトップをねらえ!』、NHKテレビアニメシリーズ『ふしぎの海のナディア』や、PC用ゲームソフト『プリンセスメーカー』などのヒット作を生み出す。

1989年、長女誕生。

1992年、岡田自ら企画したPC用ゲームソフト電脳学園シナリオI Ver2.0が有害図書指定され、宮崎県を提訴し最高裁まで争うが棄却される。その後ガイナックスはEOCSに加入する。

1992年、ガイナックスを退社。退社についてネット上では会社内での不仲説などが流れたが、岡田と共に同社を立ち上げた武田は「社長でありながら仕事をしなくなった岡田に会社を辞めるよう迫った結果だ」とし[8]、岡田本人は、著書「フロン」において「子供が生まれてからSFや美少女モノの話が作れなくなってしまったため」と語っている。なお、岡田は現在も同社の大株主の一人である。電通や角川が出資する前には全体の8割を保持していた。

ガイナックス退社後[編集]

1994年10月~翌3月まで東京大学教養学部の講師を非常勤で務め、サブカルチャーを題材とした「マルチメディア概論」の講義を行った。本人曰く「高卒で東大で講義したのは僕だけじゃないかな?」とのことだが、実際には他にも安藤忠雄等がいる。1996年から1997年にかけては、学生の学外の講師を招聘して設置される自由研究ゼミとして「オタク文化論」の講義を行った[15]立教大学でも講義を行う。

1995年唐沢俊一眠田直とともに、オタク芸人ユニット「オタクアミーゴス」を結成。1996年よりレギュラーメンバーとして出演のNHKBS2で不定期放送中の番組『BSマンガ夜話』開始。

1997年、自身の講演・執筆活動のために株式会社オタキングを設立、代表取締役に就任[16]

1999年、編者を務めた『国際おたく大学』で唐沢俊一が行った伊藤剛 への誹謗中傷により提訴される。結果、原告の要求した「全国紙での謝罪・賠償金の支払い」という要求は却下され、「誹謗中傷的」という文言を含む謝罪をサイトに一定期間掲示するという条件で和解する。「フロン」連載執筆中に、子供も成長し婚姻関係を続ける利点が少ない事に気づき、妻と相談の上離婚し別居する。しかし離婚後もそれまでどおり家族での食事などを続けており、後に離婚の事実を知った子供に、事前の相談も事後の報告も無かった事を詰られる。

2003年マサチューセッツ工科大学で講師を務める。ガレージキットの草創期から公私にわたる交友がある海洋堂と組んで食玩「王立科学博物館」シリーズを企画し、タカラから発売。

2004年、岡田が企画立案したBS2『BSアニメ夜話』の放送開始。レギュラーメンバーでもあり、当初は司会も務めた。

2005年大阪芸術大学芸術学部キャラクター造形学科客員教授。

2006年、新宿のロフトプラスワンにおけるトークショー「オタク・イズ・デッド」で「オタクという民族は解体し、『オタク文化』は死んだ」「いまこそすべてのオタクは、『オタクである』という旧来のアイデンティティより解放され、『アニメやマンガなどが好きな個人』として生きるべき」と語り、各メディアで取り上げられ[17]様々な反響を起こし、そこで語られたトークを大幅に加筆修正したものが2008年に「オタクはすでに死んでいる」として発表された。2006年11月21日に、プチ落語家「吉祥亭満月」としてデビュー。2001年頃から2003年頃にかけてダイエットをし、一時は30kgの減量に成功したがリバウンドして元に戻る。[18]2006年頃に、口にする食べ物を逐一記録した結果、一日当たりの食事回数及びカロリー摂取量が徐々に判明、再びダイエットを開始。

2007年、自ら実践したダイエットをテーマに著した『いつまでもデブと思うなよ』が、2008年現在50万部のベストセラーになる[19]本人公式ブログより「あのやせ方は超常現象だ」とのコメントにより、日本トンデモ本大賞2008で複数票を得た。同年、食玩「王立科学博物館」シリーズが三才ブックスより書籍化された。2008年1月、携帯電話ブランド各社の公式サイト「王立科学博物館」[20]が相次いで公開された。同年5月、電子玩具の企画開発、製造販売事業を行うワイ・シー・トイズ・ラボ株式会社顧問就任。

2012年、吉本興業と契約、同事務所所属。

オタキングex設立後[編集]

メソッド[編集]

レコーディング・ダイエット[編集]

岡田斗司夫が著書「いつまでもデブと思うなよ」で紹介したダイエット法である。日々摂取する食物とそのカロリーを記録することで、自分が摂取しているカロリー、食事の内容、間食などを自覚し、食生活の改善につなげるというものである。

オタキングex[編集]

岡田斗司夫2010年に設立した組織。作家、評論家としての岡田斗司夫のコンテンツをフリー化し、無料で世の中に広めることを主な目的としている。

オタキング[編集]

オタキング」(=おたく)を自称。「オタクカリスマ[21]「オタクの教祖」とも称される。

戯画的にオタクを演じることでオタクの顔であった宅八郎に代わり、1996年からオタク関係の著書を立て続けに出版し、並行して各種メディアに頻繁に露出するようになり、その中でオタクをひたすら擁護・称揚して、それまでネガティブなイメージであったオタクの社会的地位向上のための言論活動を1998年まで行なった[22][23]

その他[編集]

  • 30歳前後頃から精神的な不調を煩い、躁と鬱を約3ヶ月周期で繰り返していると告白する。本人曰く、躁の時は「小賢しい物言い」になり、鬱の時は感傷的になる。その他、先天的な心臓弁膜症と日光過敏症を患っており赤緑色盲の障害がある。
  • 「自分はナンバーワンよりオンリーワンになる事を望む」と著作「人生テスト ― 人を動かす4つの力」で語っている。ゼネラルプロダクツも大成功したが、類似するような専門店ができて、その中で競争する事はあまり興味がなく、仲間とガイナックスを設立したとの事。
  • 放送媒体出演時における通常の会話は概ね標準語であるが、自身の関西在住時代のエピソード及び、共演者が関西弁である場合は本人の意思とは関係なく、自動的にネイティブな関西弁での会話となる。

著書[編集]

単著[編集]

  • 『ぼくたちの洗脳社会』朝日新聞社(1995年)のち文庫、9.5万部[24]
  • 『オタク学入門』太田出版(1996年)のち新潮文庫、13万部[24]
  • 『東大オタク学講座』講談社(1997年)のち文庫
  • 『東大オタキングゼミ』自由国民社 1998
  • 『マジメな話 岡田斗司夫世紀末・対談』アスキー・アスペクト 1998
  • 『二十世紀の最後の夜に』講談社 1998
  • 『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵出し』イースト・プレス 1998
  • 『岡田斗司夫の絶滅プラモ大百科』グリーンアロー出版社 1999
  • 『岡田斗司夫の未来玩具』グリーンアロー出版社 1999
  • 『オタクの迷い道』文藝春秋 1999 のち文庫 
  • 『人生テスト 人を動かす4つの力』ダイヤモンド社 2000
  • 『失われた未来』毎日新聞社(2000年
  • 『30独身女、どうよ!?』現代書林 2001
  • 『恋愛の取説 タイプ別究極の恋愛心理テスト』現代書林 2001
  • 『フロン 結婚生活・19の絶対法則』海拓舎(2001年)のち幻冬舎文庫
  • 『Otaking diary me no ikizama wo miyagare 1996-2000』ロケット野郎 2002
  • 日本オタク大賞2003年ISBN 4594039006
  • 『恋愛自由市場主義宣言! 確実に「ラブ」と「セックス」を手に入れる鉄則』ぶんか社(2003年)
  • 『プチクリ 好き=才能』幻冬舎(2005年
  • 『「世界征服」は可能か?』ちくまプリマー新書(2007年)、8.1万部[24]
  • 『いつまでもデブと思うなよ』新潮新書(2007年ISBN 4106102277
  • 『オタクはすでに死んでいる』新潮新書(2008年ISBN 9784106102585
  • 『脱デブ なぜ芸能人はレコーディング・ダイエットにはまるのか,なぜ1年以上たってもリバウンドしないのか』ソニー・マガジンズ新書 2008
  • 『岡田斗司夫の見るだけでダイエット ビジュアルで覚えるマッピング・カロリー&脂質事典』小学館 2009
  • 『レコーディング・ダイエット決定版』文春文庫 2010
  • 『レコーディング・ダイエット「公式」手帖』(2009年ISBN 9784796669757
  • 『遺言』(筑摩書房 2010) ISBN 9784480864055
  • 『人生の法則 「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人』朝日新聞出版 2011年 ISBN 978-4023308831
  • 『あなたを天才にするスマートノート』文藝春秋 2011年 ISBN 978-4163735702
  • 『評価経済社会 ぼくらは世界の変わり目に立ち会っている』ダイアモンド社 2011年 ISBN 978-4478015889
  • 『「いいひと」戦略 超情報化社会におけるサバイバル術』マガジンハウス 2012

共著[編集]

  • 国際おたく大学 1998年 最前線からの研究報告(編)光文社(1998年
  • 封印 史上最強のオタク座談会 田中公平,山本弘 音楽専科社 1999.8
  • 回収 史上最強のオタク座談会2 田中公平,山本弘 音楽専科社 2000.8
  • 絶版 史上最強のオタク座談会3 田中公平,山本弘 音楽専科社 2000.8
  • ヨイコ 空前絶後のオタク座談会1 山本弘 音楽専科社 2001.5
  • ナカヨシ 空前絶後のオタク座談会 2 山本弘 音楽専科社 2002.2
  • メバエ 空前絶後のオタク座談会3 山本弘 音楽専科社 2002.2
  • 結婚ってどうよ!? 渡辺由美子 青春出版社 2003.10
  • オタク論! 唐沢俊一 創出版 2007.4
  • オタク論! 2 唐沢俊一 創出版 2009.5
  • オタクに未来はあるのか!? 「巨大循環経済」の住人たちへ 森永卓郎 PHP研究所 2008.5
  • 未来改造のススメ (アスペクト 2010) ISBN 9784757217959
  • 『オタクの息子に悩んでます 朝日新聞「悩みのるつぼ」より』FREEex共著 幻冬舎新書 2012
  • 『評価と贈与の経済学』内田樹共著 徳間ポケット 2013
  • 『僕らの新しい道徳』FREEex共著 朝日新聞出版 2013
  • 『『風立ちぬ』を語る 宮崎駿スタジオジブリ、その軌跡と未来』FREEex共著 光文社新書 2013 

東京大学「オタク文化論」対談者一覧[編集]

出演番組[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 岡田斗司夫、速水由紀子「現代の肖像 岡田斗司夫」『AERA』2002年11月4日
  2. ^ 当時、多くの貧乏家庭も似たり寄ったりの食生活。
  3. ^ 裕福な子、お坊ちゃんの意
  4. ^ 岡田斗司夫『オタクの迷い道』文藝春秋、1999年、187頁
  5. ^ ニコニコ生放送『ニコ生岡田斗司夫ゼミ 総括!年末だから『これが最後』の話をしよう』2011年12月5日
  6. ^ 岡田斗司夫『オタクの迷い道』文藝春秋、1999年、117頁
  7. ^ 岡田斗司夫『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』イースト・プレス、1998年、141頁
  8. ^ a b 武田康廣 『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』 ワニブックス2002年、152頁。
  9. ^ a b 岡田斗司夫『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』イースト・プレス、1998年、140-141頁
  10. ^ 武田康廣『のーてんき通信 エヴァンゲリオンを創った男たち』ワニブックス、2002年、37-39頁。
  11. ^ 岡田斗司夫『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』イースト・プレス、1998年、140-141頁
  12. ^ 巽孝之『日本SF論争史』勁草書房、2000年、30 - 31頁。
  13. ^ 中島紳介・斉藤良一・永島収『イデオンという伝説』太田出版、1998年、172-174頁。
  14. ^ ニコニコ生放送「ニコ生 岡田斗司夫ゼミ」2012年9月27日放送
  15. ^ 岡田斗司夫『オタクの迷い道』文藝春秋、1999年、44,105,107頁
  16. ^ 岡田斗司夫『オタクの迷い道』文藝春秋、1999年、84頁
  17. ^ AERA2006年9月11日号、朝日新聞社など。
  18. ^ 唐沢俊一、岡田斗司夫『オタク論!』創出版、2007年、44-48頁。初出は2004年の『創』の連載対談の回。
  19. ^ 「いつまでもデブと思うなよ」 大ベストセラーの理由 J-CASTニュース、2007年10月23日
  20. ^ 王立科学博物館1月16日Yahoo!ケータイソフトバンクモバイル)、1月21日iモードNTTドコモ)、1月24日EZwebau)。
  21. ^ 倉田真由美「フリドラ男22」『週刊朝日』2007年10月5日号、朝日新聞社。
  22. ^ 岡田斗司夫『世紀の大怪獣!!オカダ 岡田斗司夫のお蔵だし』イースト・プレス、1998年、126-129頁。
  23. ^ 黒岩静也「流行批評版オタク解剖学」『オタクになれないアニメ好きの本』キルタイムコミュニケーション、1997年
  24. ^ a b c 本人公式ブログ

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

ビジネス
先代:
(新設)
オタキング社長
初代:1997年 -
次代:
(現職)
先代:
(新設)
ガイナックス社長
初代:1984年 - 1992年
次代:
澤村武伺