山賀博之

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やまが ひろゆき
山賀 博之
山賀 博之
2010年5月29日カリフォルニア州サンノゼ市
開催された「FanimeCon 2010」にて
本名 山賀 博之(やまが ひろゆき)
生年月日 1962年3月23日(52歳)
出生地 日本の旗 新潟県新潟市
職業 映画監督脚本家
ジャンル 映画テレビアニメ
主な作品
アニメーション映画
王立宇宙軍 オネアミスの翼』(原案脚本監督
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(製作
新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(製作)
ワンダフルデイズ』(日本語脚本・演出)

実写映画
ラブ&ポップ』(出演・小道具協力)
キューティーハニー』(出演・企画協力)


テレビアニメ
超時空要塞マクロス』(演出助手/第9話:絵コンテ演出
小松左京アニメ劇場』(脚本)
まほろまてぃっく』(監督・シリーズ構成/第1〜3、5、7、8、10〜12話:脚本)
アベノ橋魔法☆商店街』(監督・脚本)
まほろまてぃっく〜もっと美しいもの〜』(監督・シリーズ構成/第1、12、13話:脚本/第14話:脚本・絵コンテ・演出)
天元突破グレンラガン』(企画/第16話:演出)


OVA
機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(脚本)

山賀 博之(やまが ひろゆき、1962年3月23日 - )は、日本映画監督脚本家株式会社ガイナックス代表取締役社長

監督作品として映画『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』などが知られる。

略歴[編集]

2008年9月14日、「Connichi 2008」にて

新潟県新潟市生まれ。新潟県立新潟南高等学校卒業、大阪芸術大学芸術学部映像計画学科(現・映像学科)中退。大学では真面目に授業を受けなかったと話す。当時は格安の寮に住んでいたが、あまりのひどさに母親に引っ越しさせられたという。

映画監督の庵野秀明とは同じ寮で知り合い、この時に初めてアニメーションに興味を持つ。当時はまだ大人がアニメを見ること自体考えられず、驚いたと話している。イラストレーターの赤井孝美とは庵野の紹介で知り合う。同級生に劇団☆新感線の主要メンバーらがいたが、全く気づいていなかった。

大学在学中から、DAICON FILMのメンバーとして自主制作アニメや映画に携わる。やがてゼネラルプロダクツを経て、大阪での活動に限界を感じていた山賀博之は、同時期に不倫問題から大阪に居場所を無くしたと悩んでいた岡田斗司夫の窮地を契機と考え、岡田を東京進出に誘う。岡田は自身の利害と一致していたため、山賀の誘いに乗り、不退転の覚悟で東京進出を決めた。 誰もが上手くいくとは考えていない中、バンダイへのプレゼンに成功し資金を引き出すことで、岡田斗司夫らと共に、後述の映画『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』制作のための企業という名目で株式会社ガイナックスを設立する。[1]

1987年、映画『王立宇宙軍〜オネアミスの翼』で24歳(製作開始時)にして監督デビュー。脚本を書くトレーニングをしたことがまったくないのに、初めて書いてみたらそのまま完成したという。

監督にはどうすればなれるかと思い、淀川長治の本を読むと「同じ映画を十回観れば映画監督になれる」と書いてあったので、『がんばれ!ベアーズ 特訓中』を10回観て本当になってしまった、と語っている。

その顔立ちと写真映りの良さで、周囲から「アラブの皇太子」と呼ばれていた時期がある。島本和彦の自伝的漫画『アオイホノオ』でもそのように描かれている。また、『サンダーバード』の人形にも似ていると言われ、DAICON FILMで実写版『サンダーバード』が企画されたこともあった。

関わったアニメ作品[編集]

自主制作フィルム[編集]

  • DAICON III OPENING ANIMATION(背景・演出)1981年
  • DAICON IV OPENING ANIMATION(総監督)1983年

テレビアニメ[編集]

劇場映画[編集]

OVA[編集]

その他[編集]

関わったその他の作品[編集]

自主制作フィルム[編集]

劇場映画[編集]

その他[編集]

  • 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争より クリスが見る夢(ノベライズ執筆)1988年
  • ガイナックス CD-ROM画集シリーズ(プロデュース)1994年〜

脚注[編集]

  1. ^ ニコニコ生放送「ニコ生 岡田斗司夫ゼミ」2012年9月27日放送

関連項目[編集]