浜村淳
| はまむら じゅん 浜村 淳 |
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2009年に赤穂市で開催された、赤穂義士祭にて司会を務める浜村淳。 |
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| 本名 | 塩濱 眞 (しおはま まこと) |
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| 生年月日 | 1935年1月10日(77歳) | ||||
| 出生地 | 京都府京都市 |
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| 血液型 | A型 | ||||
| 職業 | ラジオパーソナリティ 映画評論家 司会者 |
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| 主な作品 | |||||
| テレビ 全日本有線放送大賞 2時のワイドショー ラジオ ありがとう浜村淳です 他 |
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浜村 淳(はまむら じゅん・JUN HAMAMURA、1935年1月10日 - )は、日本のタレント、パーソナリティ、映画評論家。本名は塩濱 眞(しおはま まこと)。
目次 |
[編集] 来歴
京都府京都市出身。京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部卒業。大学在学中からアルバイトでクラブで司会をする。その時に渡辺晋(渡辺プロダクションの社長)に声をかけられこの世界に入る。いったん上京したが親に反対され、大阪に戻り卒業後本格的にタレント活動を始める。俳優の田村高廣、小説家で弁護士の和久峻三、阪神タイガース元監督の吉田義男は高校の先輩、俳優の山城新伍、元サッカー選手(日本代表)の釜本邦茂、毎日放送(MBS)チーフパーソナリティの野村啓司、シンガーソングライターの尾崎亜美は、高校の後輩である。また、オリコン創業者で前社長の小池聰行とは大学の同じゼミナールに所属していた。
所属事務所は渡辺プロダクション→吉本興業→昭和プロダクション。東京の渡辺プロ所属時代は、事務所の後輩であるザ・ピーナッツたちと同様、渡辺晋社長宅に下宿しながら司会業をこなしていた。また吉本興業所属の時期にはポケットミュージカルスにも出演した。
1974年からMBSラジオの『ありがとう浜村淳です』のパーソナリティを担当している。近畿以外の他地域では、フジテレビの『夕やけニャンニャン』を最後に、特番や番組のゲスト出演など滅多なことがない限り仕事をしていない。
芸能人としては初めて、国立大学(和歌山大学経済学部)の講師となったことで話題になり、1994年、追手門学院大学文学部講師として再び教壇に立った。
2006年には徳川夢声市民賞を受賞。授賞式と記念講演は同年12月10日に島根県益田市で行われた。
2009年、第4回おおさかシネマフェスティバル特別賞を受賞。長年の映画への貢献が受賞理由。
[編集] 芸風
新聞からの記事を紹介するときには、芝居の節回しを使い(「さてみなさん(聞いて下さい)」(みにアクセント)、「スゴいんです、スゴいんです。何がスゴイかと言いますと…」など)、捲くし立てるような連呼の後に「…と、いうような」と、巧みな緩急をつけるのが特徴。同時にその話題のキーワードにちなんだ雑学(映画に関するものが多い)を織り込むなど、豊富な教養と大仰な煽りを駆使した「遠回りしながら」の解説である。また、「○○でしょうか?いえ、そんな事はありません!」などという反語的言い回しも多用する。映画に極めて詳しくまた落語などの古典芸能にも精通する。(1959年の3代目桂春団治の襲名披露を客席から観覧していた)一方で、芸能関係では若手芸能人についての知識不足を露呈することがある。
[編集] 映画評論家として
浜村の映画解説の仕方は独特で、映画の内容を詳細にわたって熱演し、ラストシーンはおろかエンドロールに至るまで言及してしまうため、これから映画を観ようとしている人も必然的にストーリーを知ってしまうことになる。また、アクション映画の解説の際には、邦画洋画を問わず必ず「必殺飛燕一文字五段蹴り!」という掛け声を入れる。これらの解説はあらかじめ用意された台本などを読んでいるのではなく、完全なアドリブである。こういった特徴ある映画解説はファンの熱烈な支持を受け、また一つの芸と見なされてCD化もなされている。
映画のパンフレットを1枚見ただけでも長時間話すことが出来る。毎日放送の映画劇場にて『マイク・ザ・ウィザード』の解説を行った際に「それではアメリカの、お金のかかった凄い凄いSFXをたっぷりとご覧いただきましょう」と語ったが、この映画は監督のマイク・ジトロフによるホームメイドテイスト溢れる自主映画に近い存在の作品で、SFXは古典的なコマ撮りをメインにした内容である。このことから分かるように、実際は解説している作品全てを見ている訳ではなく、ラジオなどで解説した内容と、実際の映画の内容が違うということはよくある。
浜村の映画解説は、どんなつまらない映画でも決して悪いようには言わないと思われている傾向があるが、これは誤りで、浜村が面白くないと感じた映画のことについては、一切語らないというスタンスを取っている。なお、嫌いな映画としては『バットマン』を挙げている。理由は“背景も暗ければ、ストーリーも暗いから”とのこと。
浜村の講談調で語られる映画解説には一定の支持層が存在し、落語家の笑福亭鶴瓶は浜村が語る映画紹介は本編より面白く、魅力ある語りである事を賞賛している。そのため、浜村の映画紹介で煽るだけ煽って期待に胸をふくらませながら映画館に行き本編を見たら左程でも無かった、結末はどうなるのかと待っていたらスタッフロールが流れて結末のどんでんがえしまで既にラジオで解説されていた。と、「浜村淳が語る映画紹介で既に充分観た気になる」という者も存在する。
[編集] 人物
学生時代からジャズ喫茶やキャバレーで司会を始める。今でも関西の古いバンドマン・シンガーからは、本名をもじった「まこチャン」と呼ばれることがある。和田アキ子とはバンド下積み時代からの親交があり、「和田アキ子」と呼び捨て、「いしだあゆみ」を「ヨシコちゃん」と呼称できる数少ない芸能人である(和田も「まこチャン」と呼んでいる)。オレンジ・ヒルの森高茂一(森高千里の父)とはジャズ喫茶時代からの友人。
「妻は元モデルで美人」と言うのが、少なくとも過去のある時期には自慢であり、よくネタにしていた。
「芸能人に年齢を尋ねるのは無粋」とのポリシーから、インタビュー等では年齢を聞かないと同時に自らの年齢についても進んでは語らない。ラジオで年齢を言うときは決まって38歳(嘘の三八から)である。人から年齢を聞かれると「アラン・ドロンと同じです」とだけ答え、相手がなおドロンの年齢を聞き返してくる場合は、「私と同じです」と答える。
ディベートに関しても高度な技術を持っている。かつて深夜番組『最後の晩餐』(よみうりテレビ)で、出演者の日頃の言動に対する視聴者からのお叱りのはがきを読むコーナーにおいて「浜村の映画解説の内容に嘘がある」という内容のクレームが届いた際「なぜ私の映画解説に『嘘』があるという噂が立ったのか。それはおすぎがラジオで『浜村さんは映画の内容を脚色している』という噂を流したのです!!」と言い切って、出演者の中でただ一人クレームを言い負かした。
宝塚歌劇団ファンとしても知られており、自身のラジオ番組に現役のタカラジェンヌをゲストに招くこともある。また、第1回宝塚歌劇検定を受験し、そのときのレポートがTAKARAZUKA SKY STAGEのニュースで紹介された。
以前NHKの振り込みがカタカナ表記のため、間違って俳優の浜村純に振り込まれた事があるが、浜村純より毛筆で誤りの手紙と振り込み用紙をいただいたとラジオ番組『ありがとう浜村淳です土曜日です』で告白した。
[編集] 作品
[編集] アルバム
- 浜村淳の実話怪談「大幽霊屋敷」(1998年)
- 甦る心の名画座(2004年)
[編集] 出演
[編集] テレビ番組
- 青春歌謡ショー(1965年、YTV)
- ゲーム ホントにホント!?(1975年~1981年、NHK レギュラーパネリスト)
- 浜村淳の人・街・夢(KTV)
- おはようさん(連続テレビ小説、NHK)
- ママの番組デス!!(MBS)
- かんさい珍版・瓦版(MBS)
- 上方漫才まつり(MBS)
- シェフにおまかせ!(1981年~1983年、MBS)
- イカにもスミにも(1987年~1990年、MBS)
- 全日本歌謡選手権(YTV、末期の司会者)
- 最後の晩餐(2000年~2002年、YTV)
- 2時のワイドショー(1979年~1992年、YTV)
- 浜村淳の大阪夢散歩(KTV)
- 全日本有線放送大賞(1968年~1991年、YTV)
- クイズおもしろ駅サイティング(1986年~1988年、サンテレビ)
- 夕やけニャンニャン(1985年~1987年、CX)
- また又・三匹が斬る!(1991年4月 - 9月放送)~新・三匹が斬る!(1992年7月 - 1993年2月放送)ナレーター、また又・三匹が斬る!の中の1話に出演。仁兵衛役 (ANB)
- 映画へようこそ・解説(MBS)
- 健康手帖(TVO)
- ワイドABCDE〜す(ABC)
- ちちんぷいぷい(MBS)角淳一のリリーフ
[編集] ラジオ
- オーサカ・オールナイト 夜明けまでご一緒に (1966年12月~1968年頃、ラジオ大阪)
- なぐりこみ歌謡七人衆(「ひちにんしゅう」と発音、ラジオ大阪)
- ヒットでヒット バチョンといこう!〔木曜日担当〕 → サタディ・バチョン(1970年~1991年、ラジオ大阪)
- ハイ浜村淳です ABC(1973年~1977年? ABC)
- ありがとう浜村淳です(1974年~、MBS)
- ありがとう浜村淳です土曜日です(1974年~、MBS)
- 浜村淳の日曜夢語り(~2006年3月、MBS)
- 浜村淳の茶屋町チャ・チャ・チャ(2006年4~9月、MBS)
- 浜村淳のなんばでルンバ!(2006年10月~2008年9月、MBS)
- かんさい土曜ほっとタイム(1995年~、NHK、当初は第4土曜日のみ出演していたが、2009年からは原則第3土曜日(10月は会館公開当日)のBKプラザからの公開放送があるときに出演している)
- お待たせしました 浜村淳です! (TBS)
- 古今東西!浜村淳 (TBS)
- ストリーム(TBS)
- 金曜日のリスナーズ・チョイス「小西克哉のブラボーシネマ」の映画紹介で不定期出演。
- ヤンタンスペシャルサンデー 浜村淳の茶屋町クスクス(1991年~1992年、MBS)
- 毎日カルチャースペシャル ラジオウォーク
- 浜村淳おすすめ!京阪源氏物語紀行(2007年、MBS)
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(2009年4月21日、TBSラジオ) - 大沢悠里と対談
[編集] ドラマ
- 想い出づくり(1981年、TBS)柴田恭兵演じる詐欺師・根本と共に、主演の森昌子・古手川祐子らから旅行代金を騙し取る旅行会社社長役を演じた。
- 私立探偵 濱マイク(2002年、YTV)第1話のみ出演。役柄については不明。恐らくカメオ出演かと思われる。
[編集] 映画
- 続・新悪名(1962年)のど自慢の司会役 渡辺プロ所属時代の唯一の表舞台であった。
- GREEN BOY グリーンボーイ(1989年)
- 風、スローダウン(1991年)踏切の男
- ビリケン(1996年シネカノン)
- PiPi とべないホタル(1996年)※声のみの出演
- 大阪物語(1999年)
- かぞくのひけつ(2006年シマフィルム)性病科の医師役
- 大奥 (2010年10月1日、松竹 / アスミックエース) - 吉原のやり手爺役
[編集] CD
- 大阪でもまれた男/THE BOOM(1999年)
- ハッピー ラッシュ!/BLACK BOTTOM BRASS BAND(2003年)
- ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.1(2004年)
- ハロー!プロジェクトラジオドラマ大阪編 Vol.2(2004年)
[編集] CM
- 恩地食品 「あ~おんちかった(あ~おいしかった)」のフレーズで有名。
- リクルート 週刊就職情報
- イズミヤ
- 広東料理ハマムラ
- ゴールデンアイ 007(NINTENDO64用テレビゲームソフト。水野晴郎との共演)
- 原子力発電推進PR
- メナード青山リゾート
- NEXCO西日本 中国道集中工事(2008年)
- 毎日放送(2001年) - ユニバーサルスタジオジャパンのオープンと同時に竣工したMBSスタジオ in USJの広報CMに出演。「浜村淳は連れて行かない」というキャッチコピーでシリーズCMが放映された(机に大金を積まれて行くことを断念させられそうになるが「何でですねん?」と問い返す、スタントシーンを演じさせられる、等)。CMでは連れて行かないとなっていたが、毎日放送がUSJからオープン前に生中継した特番で浜村がゲストとして出演。USJに足を踏み入れる事になる。
- 日本盛(2009年)
[編集] その他
[編集] 書籍
- 淳のしゃべりしにものぐるい (ラジオ大阪編・ブック社発行、1975年5月26日第一刷発行 860円)
- 浜村淳の話し上手を心でつかめ(1984年、ひかりのくに)
- 星影の飛鳥(1989年、羊書房素人社)
- 淳ちゃんの名作映画をありがとう(1992年、イグザミナ)
- 源氏物語 花はむらさき(1994年、プラザ青心社)
- 浜村淳のお話大好き(1999年、毎日新聞社)
- さてみなさん聞いてください 浜村淳ラジオ話芸(2003年、西日本出版社)
[編集] ゲーム
- 大幽霊屋敷 〜浜村淳の実話怪談〜(プレイステーション、1998年、ヴィジット)
[編集] 備考
- 本名は「眞」(まこと)であるが、芸名の「淳」の読み方の一つに「まこと」と言う読み方がある。
[編集] 関連項目
- 大平サブロー - 浜村のものまねをすることで有名。『オレたちひょうきん族』などでよくものまねをしていた。サブローのものまねは、浜村本人公認である。『ありがとう、浜村淳です』の浜村の代役をすることもある。
- 女子プロテニス選手のクルム伊達公子 が小さい頃、家が隣同士だったとテレビで話したことがある。
[編集] 外部リンク
- 昭和プロダクション|浜村淳(所属事務所のプロフィールページ)
- MBSラジオ「ありがとう浜村淳です」
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