ミッキー・カーチス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ミッキー・カーチス(Mickey Curtis、本名:加千須 ブライアン1938年7月23日 - )は、東京都生まれのタレントロック歌手、俳優。所属しているワタナベエンターテインメントでは最古参の部類に入るタレントである。

目次

[編集] 来歴

第二次世界大戦中は満州や上海など日本の占領下の外地を点々とする。終戦後の10代の頃に縁あってティーブ・釜萢が校長を務めた「日本ジャズ学校」に通う。このころの音楽世代では珍しく大学まで進学しており、成城大学出身。

戦後は進駐軍兵士の慰問やキャンプ廻りの後、徐々に音楽活動が認められロカビリー歌手として日劇ウェスタンカーニバルに出演。当時は平尾昌晃山下敬二郎と共に「ロカビリー3人男」として高い人気を誇る。ただし後に語る自虐ネタにもなっているとおり、ヒット曲には恵まれなかった。歌手としての活動以外に、二枚目俳優、タレントとしても活躍しており、その頃は共演者でもあった雪村いづみとのロマンスなども話題になった。1962年に「ザ・ヒットパレード」(フジテレビ)の初代司会者として共演した縁で芳村真理と大恋愛の末に結婚、1児をもうけたものの、1964年にわずか2年弱で離婚している(詳しくは後述参照)。

趣味は多く、射撃、モータースポーツ、宇宙研究から彫金まで手広く、教養の広さも定評がある。1966年にはバンド「バンガーズ」をアジアで結成し、後に「ミッキーカーチス&サムライ」を結成し、ヨーロッパ音楽ツアーへ旅立ち、ライブ活動のほか、現地でレコードを製作する。

1970年に帰国後、音楽プロデューサーとなり、合歓ポピュラ-フェステイバルのイベントで自作の曲『地球最後の日』が作曲賞を受賞。ガロや小坂忠、矢沢永吉のいたキャロル等を担当する。また、1973年には左とん平がリリースした「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」をプロデュースをした。

歌手活動にとどまらず、俳優として、映画『スワロウテイル』や『お墓がない』、『死に花』等、多数出演。また、立川流落語会家元・立川談志との出会いにより、落語家「ミッキー亭カーチス」として、「立川一門会」で得意の落語も披露、幅広いジャンルで活躍中。1980年代には東京都目黒区オートバイショップを開いていたこともある。

第11回NHK紅白歌合戦に出場歴がある。

[編集] 家族

1962年芳村真理と結婚したが後に離婚。その後、1973年に再婚するが、これも長い離婚訴訟の末に離婚した。芳村との間に授かった息子は元歌手の大伴修。2番目の妻との息子(芳村の子ではない)はミュージシャンの加千須ユージン(ユージン・カーチス)。芳村との間に授かった修については、事実上、大伴家に「勘当」され(ミュージシャンになりたいという修の主張に大伴夫妻は猛反対したため「勘当」に近い形で関係が疎遠となってしまったとされている。大伴家からの事実上の勘当後、異性関係などで修は数多くの問題行動を起こしていた)、カーチス家が多くの面倒を見ていた状態であった(ところが問題処理はなぜか大伴家、特に元妻の芳村がすべて行っているというねじれた状態にあったようである)ことから、当時のマスコミの論調は芳村・大伴夫妻ではなく、カーチス家の方に批判が集中していた。また、それがまもなくして、後妻との息子であるユージンまでも薬物所持で逮捕されてしまったことや後妻との泥沼の離婚劇を演じたことなどから、家庭人としてのカーチスのイメージはあまり芳しいものではない。

2008年1月下旬に、ピアノ講師の女性(カーチスより33歳年下)と再々婚した。

[編集] 主な出演作品

[編集] テレビドラマ

[編集] バラエティ番組

[編集] 映画

[編集] 演じた俳優

[編集] 関連項目

[編集] リンク

他の言語