西川きよし

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西川きよし
本名 西川 潔(にしかわ きよし)
ニックネーム キー坊、きよっちゃん、こつこつ兄さん[1]
生年月日 1946年7月2日(65歳)
出身地 日本の旗 日本高知県高知市
血液型 O型
身長 165cm
方言 大阪弁
最終学歴 大阪市立三稜中学校
師匠 石井均
秋山たか志(付き人)
白木みのる(付き人)
出身 吉本新喜劇
コンビ名 横山やすし・西川きよし(解散)
相方 横山やすし
芸風 漫才(ツッコミ)
事務所 吉本興業
活動時期 1963年 -
同期 萩本欽一立川談志
現在の代表番組 西川きよしのご縁です!
過去の代表番組 パンチDEデート
反応ゲーム2つに1つ
料理天国
他の活動 参議院議員
配偶者 西川ヘレン
親族 西川忠志(実子)
西川弘志(実子)
西川かの子(実娘)
弟子 西川のりお ほか
日本の旗 日本の政治家
西川きよし
西川 潔
にしかわ きよし
生年月日 1946年7月2日(65歳)
出生地 高知県高知市
出身校 大阪市立三稜中学校卒業
前職 漫才師
現職 お笑い芸人
所属政党 第二院クラブ
称号 伯爵シーランド公国
配偶者 西川ヘレン

選挙区 大阪府選挙区
当選回数 3回
任期 1986年7月8日 - 2004年7月25日
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西川 きよし(にしかわ きよし、1946年7月2日 - )は、日本タレントお笑い芸人・元参議院議員シーランド公国伯爵。本名、西川 潔(にしかわ きよし)。

高知県高知市生まれ。大阪市港区住吉区育ち。吉本興業所属。

同じ年齢の妻はタレント・西川ヘレン。愛妻家で知られており、子供は俳優西川忠志(長男)、タレント西川かの子(長女)であり、西川弘志(次男)は、元俳優である。

目次

[編集] 人物

血液型はO型。三稜中学校卒業(14期生)。姉は桂三枝と同級生であった。

横山やすしとの漫才コンビ「やすしきよし」(略称・やすきよ)で活躍し、漫才ブームの火付け役になり、日本武道館での公演も果たした。

座右の銘は「小さなことからこつこつと」(当たりギャグにもなった)である。坂田利夫レツゴーじゅんとは前座時代からの親友である。

弟子にはエッセイストとしても活躍する漫才師西川のりおタレント西川まさとらがいる。

吉本興業では、桂三枝笑福亭仁鶴と共にトップに君臨する。かつて発売された「よしもとタレント名鑑」では三枝と共にトップページに掲載された。

2006年11月22日放送のフジテレビザ・ベストハウス123」の番組にてシーランド公国の正式な伯爵の位を有することになった(ただし、この爵位は、数千円相当で購入可能なものである)。

[編集] 来歴

高知県で5人姉弟(姉が3人)の末っ子として生まれたが、父親が事業に手を出し失敗したことから大阪府に転居した。家計は苦しく、10歳のときから八百屋、牛乳配達、新聞配達(毎日新聞)などのアルバイトをするなどして家計を支えた。中学時代はサッカーに傾倒。高校でもサッカー部に所属することを希望していた。しかし、タクシー運転手だった父親が十二指腸肝炎で倒れたことから高校進学を断念しやむなく就職する[2]

自動車修理工に就職も手のやけどで退社、会社の先輩から「陽気で頓智がきくから」と芸の道を勧められる。17歳の時にミヤコ蝶々藤田まこと白木みのる佐々十郎に弟子入り志願も尽く断られ、ようやく喜劇俳優石井均に入門。1年後に白木から、人手が足りないからと吉本新喜劇に誘われ、研究生として入団。最初秋山たか志の付き人をしていたが、白木の付き人が辞めたために人手が足りなくなり白木の付き人となる、のちになんば花月で熊役で初舞台を踏み、以降端役ながら舞台に出演。

しかし、マドンナ役であったヘレン杉本との交際が知れ渡る。1967年9月に結婚し、ヘレン杉本は引退。きよしは会社・劇団から冷遇されてしまう[3]。低迷時代、きよし、坂田利夫はヘレンに食べさせてもらっており、3人で暮らしていた。また、同時期に共に苦労したレツゴー三匹のじゅんとも親友として知られており、きよしは「坂田くんとじゅんちゃんは、いつも自分のことを心配してくれる大事な人」とコメントしている。

1966年中山礼子が間に入り横山やすし(きよしと同じ高知県生まれの大阪府育ち)と漫才コンビを結成し6月に京都花月で初舞台。次第に頭角を現す。第一次演芸ブーム(1965年 - 1970年)の折、東京ぼん太の後釜として起用されたフジテレビお茶の間寄席」司会や、朝日放送系列の全国ネット番組「てなもんや三度笠」のレギュラー出演等で東京にも進出。1970年の暴行事件をはじめとした相方のやすしの不祥事でコンビ活動自粛の際も、「素人名人会」(MBSテレビ)「爆笑寄席」、「ナイトパンチ」、「パンチDEデート」(以上、関西テレビ)、「仁鶴・きよしのただいま恋愛中」、「プロポーズ大作戦」(以上、ABCテレビ)、「料理天国」(TBSテレビ)、「スター誕生!」(日本テレビ)などテレビ司会者として活路を見いだす[4]。さらに漫才ブーム1980年1982年ごろ)では人気が頂点に達する。

1986年参議院議員選挙に大阪選挙区から無所属で立候補し当選。義母の介護経験から福祉関連に力を入れ、3期18年間に渡る議員生活を展開してきた。参議院会派第二院クラブに所属し、政治姿勢は全体的に保守系与党寄りであった。1994年6月の参議院首班指名投票では村山富市海部俊樹に票が分散するなか、当時、衆議院議長であった土井たか子に唯一の票を投じている。議員生活を通して政党に所属することはなく会派としての第二院クラブ消滅後は無所属の会、国会改革連絡会に所属。2003年には国会等移転特別委員長に就任した。

2004年1月、同年7月参議院選挙に立候補をせず、政界から身を引きタレントとしての活動に専念しつつ、福祉関係の仕事に従事すると発表した。

最近は大平サブローとの「新やすし・きよし」での活動も行っている。

また、1979年に「子供が三人おりますねん」というタイトルのシングル・レコードを出している(B面はヘレンの「約束」)。

2006年8月29日日本テレビ系で自身の半生を描いた「ヘレンときよしの物語」が『ドラマコンプレックス』にて放送された。きよし役は実息の忠志。

近年は漫談でひとりでNGK等の舞台に立つ。またオール阪神・巨人の漫才中に上手から下手(また下手から上手)をパンツ、シャツ姿で走って横切るのが恒例になっている。舞台に上がる時は眼の下にペンでくまを書くのが恒例。

[編集] エピソード

[編集] 伝説

  • 京都の仕事の帰りに稽古の事でやすしと揉め、背広がボロボロになるほどの掴みあいの喧嘩になった末、やすしは「解散や!」と怒鳴り散らしその場を後にした。後日事務所に向かい解散の旨を伝えると、事務所の偉いさんから「解散するのはかまへんが、台本も出来上がってるし残った仕事してもらわんと困る。」と諭され、思いとどまる。その時に発した「今後も小さなことからこつこつとやらさせてもらいます」というセリフが後に芸人仲間等で語られるようになり、いつしか「小さなことからこつこつと」というギャグになったとされる。
  • ジャンケンに負けた事がない(番組でウッチャンナンチャンと対決して実証した事がある)。
  • 「ゴルフ中、午前中は雪が降っていたが、『雪よ止め』と念じたら昼から晴天となった。」(本人談)
  • かつては財布を持った事がなかったが、近年不景気で小遣い制になり、妻ヘレンから財布を持たされている。但し、財布ではなくショルダーバッグにお金を入れているとのこと。
  • 秘密のケンミンSHOWにてスタッフに「大阪最高!」と言う様に言われたが、千鳥のノブに「緊張するわ」と相談しながらスタンバイしており、いざセリフを振られた際に「緊張するわー!」と言ってしまった。
  • 芸人になっての目標として「22歳までにマイホームを持つ」と計画を立て、実際に満22歳で堺にマイホームを建てた。しかし、すぐに験が悪いと言い出し引っ越した。
  • 松本人志が後輩と食事をしていた時、その店に偶然きよしがホロ酔いの状態で入ってきた。「おお、松本君!」と声をかけられた松本は軽く挨拶を交わした。数十分後、先に店を出ることになったきよしは再び松本に声をかけ、「じゃあ、松本君、頑張って!それと、松っちゃんによろしく!」と言って去っていった(本当は「浜ちゃんによろしく」と言いたかったらしい)。
  • 政界引退を間近に控えた2004年6月3日、参院厚生労働委員会で小泉純一郎首相らに対し、議員として最後の質問を行う予定で、質問前に「ふんどしを締め直そう」とトイレに立った。しかしその間に突然、自民公明の与党により審議中の年金改革関連法案を強行可決されてしまい、質問を行うことができず、採決にも加われなかった。これについてきよしは「期末試験もないまま卒業式に出て行けと締め出されたようです」とコメントした。なお、政界引退後に「笑っていいとも!」のテレホンショッキングのゲストに出演した際、その小泉氏(当時は前首相)から電報が届けられている。
  • 吉本興業主催のお笑いイベントで出演者紹介を行い、池乃めだか島木譲二と言った面々が各々の持ちギャグを披露しながら次々に入場した。その会場の歓声と共にテンションが上がり、ぼんちおさむの紹介の際に「おさむちゃんでーす!」と先におさむの持ちギャグを言ってしまった。
  • 吉本陸上競技会では、競歩なのに走ったり、チームの勝敗で弁当の種類が変わるのに勝敗に関係なくきよし一家のみ豪華な弁当である事をネタにされた。(アメトーーク!「大阪だより」より)
  • 今でもうめだ花月の劇場に足を運び、供えてある神棚に「今日も、吉本の芸人が誰も怪我しませんように!」と祈っている。ミサイルマンの西代がそれを見て感動していた矢先、西代ら若手芸人が集まっているところに入って行き、「で、どうや? 最近何か面白いことあった?」と「鬼ブリ」(西代談)されてその場の若手全員が(違う意味で)大ケガを負った。
  • 誠実な人柄で普段は穏やかだが、実は物凄い頑固者である。木村政雄は自著「やすきよと過ごした日々」の中にて、「やすしさんは我が儘を言うが、説得する余地があることも多かった。きよしさんは一度こうだ、と決めると、説得をしても絶対に動かず、我を貫き通す人だった」と回想している。

[編集] 家族愛

結婚した当時ほとんど祝福されず、売れるまでに様々な苦労を重ねたことから家族に対する深い愛情を持っている。芸能界でもそれは有名で、西川家は「吉本のロイヤルファミリー」または「関西のロイヤルファミリー」と称されている。以下は、ナンバ壱番館で語られたエピソード。

忠志の友達買い食い事件
長男忠志が高校生のころ、友達が禁止されていた買い食いをしようとしていた。しかし、忠志は「買い食いはいけない」と切り出すことが出来ず、家に電話。忠志は「お父さん! 僕はダメな奴や! 友達の買い食いを止めさせる事ができなかった!」と泣きながら話した。そんな息子の言葉を、きよしも涙ながらに聞いた。そして電話を切ったあと、同じく泣いているヘレンに、「ヘレーン! 忠志はええ子やー!」と絶叫し、二人で号泣したという。
シアワセやなァ事件
きよしが一家団欒しながら「いろいろ苦労したが、大好きな家族とこうして豊かな食卓を囲めるようになった」ことをしみじみ感じ、「シアワセやなァ」と涙を流した。それを見た息子が台所で料理をするヘレンのもとへ行き、「お母さん、お父さんが『シアワセや』言うて泣いてんで」と報告したところ、ヘレンもまな板で野菜を切りながら「私もシアワセやー」と号泣していたという。

[編集] 国民年金未納

参議院議員として年金を論議する厚生労働委員会に所属していたが、9年4ヶ月の国民年金未納期間があることが明らかになっている。

[編集] 弟子

[編集] 直弟子

[編集] 孫弟子

いずれものりおの弟子
  • 西川小のり
  • のりはじめ(廃業)
  • のりのり(後にボソボソ、廃業)
  • 小ざる (元々は桂きん枝の弟子で落語家時代の芸名は桂きん八。現在は「なにわ突撃隊」のメンバーとして活躍)

いずれものりおの付き人

[編集] 演じた俳優

[編集] 出演

[編集] 現在のレギュラー番組

[編集] 過去のレギュラー番組

[編集] ゲスト出演

[編集] 映画

[編集] ドラマ

[編集] CM

[編集] レコード

  • 子供が三人おりますねん(1979年、B面は西川ヘレン「約束」)

[編集] 脚注

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  1. ^ 藤山直美がそう呼ぶ。
  2. ^ この頃きよしの実の姉が朝日放送の「おやじバンザイ」(西条凡児司会)への出演を応募し、一家揃って出演している。この時の放送テープが残っており、16歳当時のきよしの声も聴く事が出来る。
  3. ^ 当時部長だった中邨秀雄は、人気女優だったヘレン杉本と無名のきよしとの結婚に反対し、ヘレンときよし、どちらか一方の引退を迫ったという。
  4. ^ きよし本人は解散を申し出た、との話もある。どちらにしても、司会業が彼に合ったことで、やすきよ伝説は生まれている。また、この間芽生えた桂三枝との友情は、彼のキャリアに大きく影響している。

[編集] 関連人物

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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