霊感ヤマカン第六感
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| 霊感ヤマカン第六感 | |
|---|---|
| ジャンル | クイズ番組 |
| 放送国 | |
| 制作局 | 朝日放送(ABC) |
| プロデューサー | 吉田多満子 |
| 出演者 | 司会者 野末陳平(初代) フランキー堺(2代目) |
| オープニング | 作曲:山下毅雄 |
| 放送開始から1975年3月まで | |
| 放送時間 | 金曜日 19:30 - 20:00(30分) |
| 放送期間 | 1974年10月4日 - 1975年3月 |
| 1975年4月から放送終了まで | |
| 放送時間 | 水曜日 19:00 - 19:30(30分) |
| 放送期間 | 1975年4月 - 1984年10月3日 |
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特記事項 : |
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霊感ヤマカン第六感(れいかんやまかんだいろっかん)は、ABCテレビ制作により、テレビ朝日系列局で全国放送されたクイズ番組である。
放映期間は1974年10月4日から1984年10月3日まで。ABC以外の地区では1975年3月まで金曜19:30 - 20:00にTBS系(ただしスポンサーの関係で日本テレビ系『コント55号のなんでそうなるの?』を同時ネットした一部系列局を除く)で放送されていたが、MBSとのネット交換(いわゆる腸捻転解消)に伴い、同年4月から9月の間は関西ローカル番組に降格。同年10月からテレビ朝日系列の番組になり、全国ネット(ただしローカルセールス)を再開。
テレビ朝日(当時・NETテレビ)では、1975年10月5日より日曜17:00 - 17:30、1976年4月より水曜19:00 - 19:30、1976年10月より日曜17:00 - 17:30となり、1978年4月5日より水曜19:00 - 19:30に再移行している。
目次 |
[編集] 概要
フランキー堺が語る名調子「世界で一番面白い番組でございます!今週の目玉商品ですよ!!」(のちに「世界中はこの番組を待っていた!今週の目玉商品!!」、さらには今週の目玉商品が外れて「世界中はこの番組を待っていた!」)はオープニングの代名詞となった。また、オープニングミュージック開始前の「はじめましょう!」と、番組終了の際の「終わりましょう!」も有名である。
なお、フランキー堺司会で長らく親しまれたこともあって、野末陳平時代を知る視聴者は少ない。オープニングのタイトルロゴは字幕に出るテロップではなく、テーマ音楽が流れるとともにリアプロジェクション式マルチスクリーン中央部分にズームアップで表示されて番組がスタートしていた。
芸能人解答者が「男性軍」・「女性軍」チームに分かれクイズで対戦。全部で4ゲーム(途中5ゲームに増えたが再び4ゲームに)行われる。正解するとチームに1ポイントずつ加算される(※過去にはABCの局アナも解答者として参加した人もいる。放送当初は「東軍」・「西軍」に分かれて男性・女性混成チームだった)。なお、フランキーは解答者チームのことを「男性陣」、「女性陣」と呼んでいた。また、賞品が一切出ないことも特徴であった。
番組収録は、大阪市北区(当時は大淀区)の旧ABCホールでの公開形式で行われた。
[編集] 司会者
[編集] 解答者
本項では、司会者席に近いほうから、キャプテン、中堅、次鋒、先鋒と記す(ここに挙げるのは、代表例である)。
| ポジション | 男性軍 | 女性軍 |
|---|---|---|
| キャプテン | ロイ・ジェームス(番組初期東軍キャプテン)、高島忠夫(番組初期西軍キャプテン)、 キダ・タロー、浜村淳、横山ノック、宍戸錠、川津祐介、押阪忍、根上淳、佐野浅夫、谷幹一、山田康雄、岡田真澄、三遊亭小円遊、藤村俊二ほか |
松岡きっこ、真理アンヌ、イーデス・ハンソン、左幸子、うつみ宮土理、ペギー葉山、ロミ山田、由紀さおりほか |
| 中堅 | 高岡健二、草川祐馬、小野進也、加納竜、太川陽介、野口五郎ほか | 安西マリア、児島美ゆき、森田日記、ケイ・アンナ、三谷晃代、岩城徳栄、桜田淳子、相本久美子、讃岐裕子ほか |
| 次鋒 | 横山やすし、桂三枝、牧伸二、伊東四朗、龍虎、板東英二、佐藤仁哉、ピーター、前田五郎ほか | 木原光知子、エバ、立木リサ、風吹ジュン、秋本圭子、マッハ文朱、一谷伸江、久保菜穂子、坂本スミ子、汀夏子、海原お浜、安藤たか子、岡田奈々ほか |
| 先鋒 | サンダー杉山、高松しげお、坂田利夫、西川きよし、桂朝丸(現:桂ざこば)、笑福亭鶴瓶、笑福亭鶴光、桂春蝶、桂文珍、間寛平、林家小染、桂きん枝、ラビット関根、明石家さんまほか | 海原小浜、吾妻ひな子、安藤孝子ほか |
- 司会のフランキー堺は、番組初期に度々解答者に出場したこともあった。
- ピーターは、松岡きっこに「ピーターはこっち(女性軍の席)に座るべきよ」などと言われたことがあった。
- 大阪製作の番組で、しかも大阪(ABCホール)での公開収録であるが、どちらかというと、東京からの出演者が多かったのも特徴。
- 当時(1974-1984年)の人気アイドル歌手もデビュー当時、同番組に出場したこともある(中堅の枠に座るケースが多い)。
- フランキーは、先鋒席の紹介になると「はい!関西代表!」と言う(まれに例外もあり)。
- 他には、夫婦対決、親子対決、兄弟姉妹対決があった。
- 特集として、ABCテレビ製作の人気番組(男性軍)・女優(女性軍)対抗戦もあり、「東リ・パネルクイズアタック25」の児玉清(「霊感ゲーム」の問題は児玉に対して「オセロゲーム」だった)、「プロポーズ大作戦」の西川きよし(「霊感ゲーム」の問題は西川に対して「プロポーズ」だった)、「世界一周双六ゲーム」の乾浩明(当時ABCアナウンサー。「霊感ゲーム」の問題は乾アナに対して「双六」だった)らが出演していた。
[編集] ゲーム(クイズ内容)
- 霊感ゲーム
- 1対1の対戦(全8回戦制)。女性軍「お好み焼き」「スクリーン」男性軍「ピザ」「ブラウン管」というように、自分の背後のモニターに、相手の言葉と関連性のある言葉が映し出されているので、自分の言葉は何かを推理する。基本的に、交互に口頭で答えて、どちらかが正解した時点で次の問題に移るのだが、1巡目で先攻が正解した場合(一発正解)に限り、後攻に1回だけ解答するチャンスが与えられる。中々正解が出ない場合は、フランキー堺からヒントが出される(チェリッシュ・松崎悦子は、後ろの画面を思わずカンニングしてしまいながらも、正解したためポイントを稼いだ。勿論、旦那の松崎好孝は「カンニングしちゃ駄目だよ!」と注意するも、司会のフランキー堺を初め他解答者らはその光景に失笑していた)。
- ヤマカンゲーム
| A | B | C |
| D | E | F |
| G | H | I |
- 中央の9枚(A~I)のパネルに映された体のパーツや子供の頃の写真などを見せて、指定された人物の写真はどれかを当てる(写真はそれぞれ、今日出演している解答者の誰かのものだが、1枚だけフランキー堺等の写真であるジョーカーとなっている)。なお、パネルを開ける時、Aなら「Aで、エーか?」、Eなら「Eで、イーか?」、Gなら「Gを、ジーっと見てみよう」、Hなら「エイチ2の3!」などとフランキー堺が駄洒落を交えたりしていた。例としてAで失敗してGで成功したとしよう。Gをめくってズバリ当たれば、その時点で指定された別の人物の問題へと移行する。つまり、めくって失敗した場合は、成功するまで指定された人物の問題を出し続ける。
- 漢感(カンカン)ゲーム
- 途中に新設された。9分割のパネルが無造作にめくられていき、わかったところで早押しボタンを押して、隠されたある一文字の漢字を当てる。口頭で答えるのとフリップに書いて答える2つの解答パターンがあった。前者では不正解の場合、その問題の解答権を失った上、罰ゲームとして起立させられる。
- 第六感ゲーム
- 4枚のパネルを、順番に1人1枚ずつ選んで、現れたヒントから連想される人物を当てる。ただし1枚だけジョーカーが入っており、それを引くと前述の不正解ジングルが流れ、ノーヒントになる。第1ヒント正解は5点、以下パネルが開けられることに点数が減り、4枚全て引いても分からなかった場合、最後に全員で相談の上、チーム一同で一斉に「せーの、○○!!」と答える。そこで正解できれば1点獲得。一回目でいきなりジョーカーが出たものの、あてずっぽうでタレントの名を言って偶然正解になった例もある。常連解答者の海原小浜はほとんど毎回お約束のようにジョーカーを引いていた。なお、この第六感ゲームの冒頭、司会者が「第六感ゲーム」と言うと曲とともにスタジオセット全体の遠景が急激にズームアウト(カメラを引いた状態)で映され、セットの外側までテレビ画面に映った。しかし後年、漢感ゲームが新設されてからは、このズームアウトは漢感ゲームの冒頭に行われるようになり、第六感ゲームでは行われなくなった。なお一時期そのズームアウトの最中に、ABCテレビでの視聴者に対して、観覧希望者募集の告知テロップを出していたことがあった(前もってABCテレビ宛に観覧したい旨のハガキを送る形式だった)。
- 七感ゲーム
- 最末期に新設された、「ヤマカン第六感総動員」と銘打って、ヤマカンゲームと第六感ゲームを統合させた様な内容。1対1の対戦(全4回戦)。9枚のパネルを交互に1枚ずつ引いていって、現れたヒント(その人の顔の一部の写真、輪郭のみを表した繰り抜きの写真、レコードプレーヤーの写真→音楽のヒント、その人の名前を表現したイラスト等)から、人物を当てる。9枚中2枚にはジョーカーが含まれており、それを引くとノーヒントとなる。また、1巡目に先攻がジョーカーを引いた場合、その問題は「ダブルゲーム」となり、その問題で正解すると、通常の倍となる2点を獲得できる。
- 8(エイト)ヒントゲーム
| 8 | 7 | 6 |
| 1 | ? | 5 |
| 2 | 3 | 4 |
- フランキー堺が、「ハチ、シチ、ロク、ゴー、シー、サン、ニー、イチ、そして、真ん中にクェスチョンマーク」と冒頭で発言していた、ラストのゲームコーナー。解答は男女交互リレー方式で、8つのヒントから連想される答えを当てる。このゲームはただ1問だけである。負けているチームが先攻を取る。キャプテンから始まり、解答の制限時間は約5秒。第1ヒントで正解したときには、一挙に8点ポイントが加算される。以下ヤマカンゲーム同様、1枚ずつパネルが開けられることに、1点ずつ順次点数が減る。 (解答中の画面) なお、このゲームの解答中は、パネル中央部分「?」マークのところに、解答者の顔の様子がワイプで映し出されていた。第1ヒント不正解(誤答)の時はその場でブザーが鳴ったが、ブザーともに、その後第2ヒントが出される次の人に解答権が移った。また、その放送回によっては、男女両軍とも正解出来なかったケースもしばしばあったが、この場合、中央の「?」マークパネルが開けられているシーンが放映された。そしてカラーも黄→黄緑→橙→青と4代にリニューアルした。下記に、解答の一例を記す。
| 「運命」 | 子供の日 | しょうきさま のイラスト |
| 七?三 | 五 | 三塁手 の略図 |
| 五円硬貨 | オリンピック マーク |
五線譜 |
また、解答者が途中で、正解した際には、あと残りのヒントのパネルが全て開けられ、フランキー堺がグラフ棒を持って第1ヒントから順次正解について説明していた。ゲーム終了後、解答者に正解の拍手を送っていた(フランキー堺が、「○○さんに、盛大な拍手をどうぞ!!」と言う)。
[編集] ルールなど
- 司会席後方のリアプロジェクション式9画面マルチスクリーンが最大の特徴。「ヤマカンゲーム」などの一度に多くの画面を使用するコーナーで使用されたほか、オープニングではテーマ曲にあわせて各スクリーンパネルがスイッチングされ出演者紹介などを行った。コーナー終了時には、左右のスクリーンに両チームの得点が表示され、放送終了時には中央のパネルに「おわり」の表示が映る。
- 解答者席後方上部にもリアプロジェクション式の(魔法のランプのイラストなどが映し出されていた)スクリーンが1人1台ずつ(全部で8基)あり、霊感ゲームや第六感ゲームなどで使われる。
- 解答者が正解したときには、後方にある電飾が浮かぶ形で(風車型→セットチェンジ後は、弓道の的型になった)光る。勝利したチームにはそのチームの解答者のところに電飾が光り、引き分けの場合は、ファンファーレとともに両方のチームに電飾が光る。
- 色分けは男性軍は赤(後に黄色)で女性軍は青(後に緑)だった。
- 全てのゲームで正解したときには、ファンファーレBGMが流れ、誤答のときには、ブザーが鳴る。
[編集] テーマ曲
- 効果音も含め山下毅雄の作曲によるもの(クイズタイムショックなど)。この番組のテーマ曲は、発売されたCDに収録されている。テーマ曲で、女性のコーラス(伊集加代子)が番組タイトルを歌うのは有名だった(ちなみにこのコーラスは当時若手の桜田淳子に似ているという噂があるらしい)。また、テーマ曲中盤に流れる口笛は、作曲した山下毅雄本人のものである。
- 番組テーマ曲に合わせてマルチスクリーンに出演者名やスタッフなど様々な映像が出るが、制作・著作の朝日放送(テレビ朝日系にネットチェンジ後)では最後に「制作著作 朝日放送」のロゴや、「提供 大阪ガス」という文字もマルチスクリーンに映し出された(その際、ABC女性アナがクレジットアナウンスをしながら徐々にその表示にズームイン)。そのため、各地のネット局ではブルーバックなどの独自の画面に差替えて提供スポンサー名を表示する必要があり、それへの配慮からテーマ音楽は提供スポンサーの部分まで続かずに終わっていた。
- TBS系時代はネットワークセールス枠だったため、ネットスポンサーの名前がマルチスクリーンに映し出されて全国に送り出されていた。(最初の3ヶ月間は笹岡薬品の一社提供、残りの3ヶ月間は複数社提供)
[編集] 番組の終焉
番組の終焉は、1981年4月8日からフジテレビにてアニメ『Dr.スランプアラレちゃん』が裏番組として放送開始された事に始まった。番組を見ていた子ども・若者層が次第にDr.スランプを見る様になって行く。番組も内容をリニューアルするものの好転せず1984年10月に終了し、10年の歴史に幕を閉じた。
[編集] スタッフ
- 構成:足立克己、池田幾三、堀江誠二、秋田千吉、角田直美、山路洋平、新野新、本田順一、杉尾幸正、武枝幸子
- イラスト:河村立司
- 美術:邑上謹弥
- ディレクター:松本修、森茂、沖中進
- プロデューサー:吉田多満子
- 制作:馬場淑郎
- 制作協力:大阪東通
- 制作著作:朝日放送
いずれも字幕テロップではなく、9画面リアプロジェクション式マルチスクリーンに映し出されて紹介していた。
[編集] 放映ネット局
- 朝日放送(製作局)
- 北海道放送☆→北海道テレビ放送
- 青森テレビ☆→青森放送
- 岩手放送☆→テレビ岩手(1980年3月打ち切り)
- 東北放送☆→東日本放送
- 秋田放送(週遅れ放送)→秋田テレビ
- 山形放送→山形テレビ(週遅れ放送)
- 福島テレビ☆→福島中央テレビ→福島放送
- 東京放送☆→日本教育テレビ~全国朝日放送(現・テレビ朝日)
- テレビ山梨☆→山梨放送
- 新潟放送☆→新潟総合テレビ→新潟テレビ21
- 信越放送→テレビ信州
- 静岡放送☆→静岡県民放送(現・静岡朝日テレビ)
- 富山テレビ放送
- 北陸放送(週遅れ放送)→石川テレビ放送
- 福井テレビジョン放送
- 中部日本放送☆→名古屋放送(現・名古屋テレビ放送)(1976年4月から・当初は本来「秘密戦隊ゴレンジャー」→「ジャッカー電撃隊」の枠だった土曜19:30 - の放送。翌年9月28日から朝日放送と同時ネットへ移行し、「ジャッカー電撃隊」も同時ネットとなった。)
- 山陰放送☆→山陰中央テレビジョン放送
- 山陽放送☆→岡山放送&瀬戸内海放送→瀬戸内海放送(放送終了時の画面は差し替えられている)
- 中国放送☆→広島ホームテレビ(移行後は短期間日曜昼に遅れネットで放送したのみ。放送時期不詳)
- テレビ山口☆→山口放送
- 四国放送
- 南海放送→愛媛放送(現・テレビ愛媛)
- テレビ高知☆→高知放送
- RKB毎日放送☆→九州朝日放送
- 長崎放送(週遅れ放送)
- 熊本放送(週遅れ放送)
- 大分放送☆(腸捻転解消後も当時ANN加盟のテレビ大分へ移行しなかった)
- 宮崎放送☆
- 南日本放送(週遅れ放送)→鹿児島放送
- 琉球放送☆(1981年3月打ち切り)
☆=1974年10月から1975年3月の間(腸捻転解消直前)の同時ネット局。腸捻転解消後のネット局の放送は、ABC以外は1975年10月から開始した局が多い。
[編集] 関連グッズ
- 番組オリジナルトランプ:1976年後半には、視聴者プレゼントがあった。これは問題(番組内の問題の答え)を解答したハガキの中から、抽選でオリジナルデザインのトランプ(黒地に白・赤・青で模様が印刷されたもの)をプレゼントするものであった。
- スクールパンチ『霊感ヤマカン第六感ゲーム』(タカラ(現在のタカラトミー))1980年〜1981年頃発売。ボードゲーム。ジョーカー坊やこそ描かれているが、解答者枠が合計4枠までしかなく、ゲーム内容も番組オリジナルと違う。
[編集] 前後番組の変遷
| ABCテレビ 金曜19時台後半(1974.10 - 1975.03) | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
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星の子チョビン
(TBS制作) |
霊感ヤマカン第六感
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| ABCテレビ 水曜19時台前半 (本番組途中から、及びそれ以降はNETテレビ→テレビ朝日系列。1975.04 - 1984.10) |
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霊感ヤマカン第六感
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| TBS系 金曜19時台後半(1974.10 - 1975.03。一部地域を除く) | ||
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星の子チョビン
(ここまでTBS制作枠) |
霊感ヤマカン第六感
(ABC制作) |
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| NET→テレビ朝日系 水曜19時台前半 (1976.04 - 1976.09、本番組よりABC制作のローカルセールス枠。一時期のテレ朝と一部地域を除く) |
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どうぶつ天国
(ここまでNET制作枠。系列局によりローカル編成) |
霊感ヤマカン第六感
(初代 野末陳平) |
?
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| NET→テレビ朝日系 水曜19時台前半 (1978.04.05 - 1984.10.03、本番組よりABC制作のローカルセールス枠。一時期のテレ朝と一部地域を除く) |
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霊感ヤマカン第六感
(2代目 フランキー堺) |
ABOBAゲーム
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