明石家さんま

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明石家さんま
(杉本 高文)
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笑福亭一門定紋である「五枚笹」
本名 杉本 高文(すぎもと たかふみ)
ニックネーム さんまさん、さんまちゃん、お笑い怪獣、Mr.27時間テレビ
生年月日 1955年7月1日(56歳)
出身地 日本の旗 日本奈良県奈良市
和歌山県東牟婁郡古座町出生)
血液型 B型
身長 172.5cm
方言 関西弁(奈良弁)
最終学歴 奈良県立奈良商業高等学校
師匠 2代目笑福亭松之助
事務所 吉本興業東京本社
活動時期 1974年 -
同期 関根勤
島田紳助
オール阪神・巨人
桂小枝
現在の代表番組 さんまのまんま
踊る!さんま御殿!!
さんまのSUPERからくりTV
ホンマでっか!?TV
痛快!明石家電視台 他多数
過去の代表番組 オレたちひょうきん族
明石家さんちゃんねる
あっぱれさんま大先生
明石家マンション物語
恋のから騒ぎ 他多数
配偶者 独身離婚歴あり)
大竹しのぶ(前妻)
親族 IMALU(実娘)
大竹しのぶの長男(二千翔)は血縁関係が無いので現在の関係は不明
受賞歴
1982年 花王名人大賞 新人賞
・1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞
1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞
・1985年 花王名人大賞 大衆賞
1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
・1986年 日本放送演芸大賞 特別賞
1987年 日本放送演芸大賞 大賞

明石家 さんま(あかしや さんま、1955年〈昭和30年〉7月1日 - )は、日本お笑いタレント司会者俳優歌手ラジオパーソナリティー、元落語家漫談家で師匠命令でタレントに転向。今でいうピン芸人の元祖。本名、杉本 高文(すぎもと たかふみ)。

和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 吉本興業所属。奈良県立奈良商業高等学校卒業。

1980年代後半以降から国民的お笑いスターとして活躍を続けている。タモリビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。

目次

[編集] 人物

事務所吉本興業よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。オフィス事務所という節税とマネージメントを行なう個人事務所も設けており、仕事やギャラの管理はこちらで行っている。オフィス事務所には、ラサール石井村上ショージ松尾伴内らも所属している(さんまと同じく、皆それぞれに所属事務所は他に存在する)。吉本とは所属はしても契約はしていない。

師匠は落語家の2代目笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名から貰い受けている(後述)。

若手のころ、兄弟子の五所の家小禄と漫才、コントのコンビを組んだり、花月の舞台ではB&B島田洋七・洋八)、西川のりお・上方よしおザ・ぼんちぼんちおさむ里見まさと)らと、「ビールス7」というコントユニットを組んでいた時期もあった。「アトムスリム」と言う漫才コンビを組んでいた時期もある。

[編集] 芸風

近年では司会業が中心で、20年以上続く番組もある。聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、テンポを崩されるとすかさずツッコミやボケを入れる。例えば、番組中に質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は「早く言え」等とツッコんだり自らボケを挟んで笑いを取りにかかる(本人曰く、嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいという)。張り芸(声を張って笑いをとる芸)を得意とする。テレビ番組では感極まった表情や涙を見せないことをポリシーとしている。

デビュー当初は菅原文太ものまねや、当時人気だったプロ野球阪神タイガース小林繁形態模写漫談が主であった。ピンで演じることもあったが、兄弟子の明石家小禄(後に五所の家小禄と改名)とのコンビで、コントスタイルで演じることもあった。ただし、最初は巨人の小林繁として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際にこの芸を封印したが、トレード直後の阪神での小林繁の活躍に伴い、関西地区で小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。

[編集] 芸名(愛称)

松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。そのためさんまは笑福亭鶴瓶を「兄さん」と呼んでいる。なお、「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた(「明石さんま」は誤字。)。亭号を「明石家」に改めた理由としては、落語を演じない者に一門の「笑福亭」を与えることは許されないとした、一門の方針によるというのが通説になっている。しかし師である松之助自身一時落語を離れ、喜劇役者に専念していた時期があったことや、吉本に所属していた月亭可朝笑福亭仁鶴桂三枝らのタレントとしての活躍、兄弟子の明石家つる松(後の橘家圓三)は古典落語しか演じなかったこと、それに「明石家」自体が落語家的な亭号からして、落語をしないことが「明石家」を名乗る直接の理由ではないといえる。松之助の兄弟子にあたる6代目笑福亭松鶴は、直弟子の鶴瓶にはほとんど落語の稽古をつけていないし、当時鶴瓶も落語をほとんど演じなかった。対して松之助はさんまには落語を少ないながらも教えている。さんまもデビュー間もない頃は岩田寄席など地域寄席で古典落語を演じ、毎日放送大喜利番組では着物を着て落語家として出演していた。松之助は長男には明石家のんきと、次男にはパーポ明石と芸名を付けている。

松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時、さんまは「その名前やったら絶対売れへん」とからかい、紳助は落ち込んだが、そのすぐあとに「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に大笑いされたというものがある。

愛称は「さんちゃん」(所ジョージ高見沢俊彦など同年代の親しい人物が使用。)紳助は愛称だけでなく杉本と本名で呼ぶことがある。BIG3であるタモリビートたけしからは「さんま」「さんちゃん」「さんまちゃん」「明石家さんま師匠」「出っ歯」「お前」「あんた」と呼ばれる。たけしは「明石家」と呼ぶこともある。またタモリは第三者とさんまのことについて話す際は、「あの男」と表現する。さんまは年上のタモリとたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、たけしを「ビート」、「たけ」、「たけし」、「おっさん」と呼び捨て、タモリにも「タモリ」、「タモさん」、「森田」と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。

[編集] 身体的特徴

いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。

かん高い笑い声とドナルドダックの様な、「クワーッ(もしくは「フニャー!」、「ファーーッ!」)」という引き笑いが特徴。

睡眠時間が極度に少ない。本人曰く、「今までの人生で10時間以上寝たことは一度もない」とのこと。寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝ていたこと)絶対言うなや」と言った。自身の番組『明石家さんちゃんねる』(TBS系列)では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」という企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真のみであった。娘のIMALUでさえも、「父の寝顔は見たことが無い。」と語る。

[編集] スポーツ

スポーツ観戦も趣味としており、仕事で家を空けるとき以外は、たとえ深夜であろうとBSやCSのスポーツ中継をリアルタイムで観戦している。サッカーヨーロッパの各リーグ及びUEFAチャンピオンズリーグUEFAヨーロッパリーグ・野球のMLBアメリカンフットボールNFLバスケットボールNBAアイスホッケーNHLテニスの四大大会・ゴルフのメジャートーナメントなどジャンルは幅広い。オリンピックやサッカーFIFAワールドカップが開催される際にはテレビ中継はもちろんのこと、キャスターを務め現地で観戦することも多く、トヨタカップ(現在はFIFAクラブワールドカップ)では、中継のゲストとして毎年現地で観戦している。

読売ジャイアンツファンである。また高校野球も好きで、テレビ朝日の島本真衣アナとロケに行った際は、その時受けていたエステそっちのけで父の島本講平の話題に食いついていた。小学生の頃は軟式野球をしていたことがある。

[編集] サッカー

奈良商業高校ではサッカー部に所属しスター選手だと称していた[出典 1]。芸能人として人気が出た1980年代には日本サッカーリーグのキャンペーンポスターのモデルに選ばれたほか、ビートたけし望月三起也と芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」の発起人となり[出典 2]ジャッキー・チェンがいる香港明星チームとの試合でプレーした[出典 3]2002 FIFAワールドカップが開催される前にはフジテレビで『さんまの天国と地獄』というサッカー番組のメインパーソナリティを務めた。

ワールドカップやクラブワールドカップなどの関連番組ではサッカー通タレントの筆頭格としてキャスターやコメンテーターを務めることも多く[出典 1]監督や選手に下世話なツッコミを入れて番組を盛り上げようとすることに定評がある[出典 1]

2011年12月18日に日本で開催されたサッカーのクラブ世界一を決めるFIFAクラブワールドカップ2011決勝では優勝しMVPに選ばれたFCバルセロナスペイン)のリオネル・メッシを特設スタジオに呼び出してインタビューを行い「サッカーの質問はみんな聞いてるやろうから、老後はどうしはるんですか」という質問をした。メッシは「引退はまだ先のことだから分からないよ」と冷静に回答したが特設スタジオに残らず早々に立ち去りチームメイトの輪に戻ってしまったため、「サッカーにくだらないお笑いは必要ない」「真剣に戦う選手に失礼」などの批判が殺到した[出典 4][出典 5][出典 6]。この模様は動画投稿サイトにアップされたほか、スペインやメッシの母国アルゼンチンのメディアでも報じられ[出典 7][出典 8][出典 9]、「サッカーについて何も知らない哀れな男」「異常なインタビュー」「これまで経験したことのない奇妙なインタビュー」と酷評した[出典 10]。さらにイギリスのサッカー専門メディアは「日本のコメディアン明石家さんまによるバルセロナのスターへの悲惨なインタビューはこの国のサッカー放送の下劣さを示した」と報じた[出典 11]

こうした世界中のメディアからの批判について、さんまは12月24日放送のラジオ番組『ヤングタウン土曜日』の中で話題にし「これまでクラブワールドカップでインタビューした選手は愛想の良い奴ばかりだったのにメッシは機嫌が悪かった」「メッシにサッカーのことを聞いても一緒やないか」「これでメッシの前でインタビューは出来なくなった」などと自己弁護に終始した[出典 12]。なおメッシは12月31日付のスポルト紙のインタビューで老後について「家族や友人のいるロサリオで生活するだろう」と語っている[出典 13]

[編集] 競馬

2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組「うまッチ!」内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が、妻岡田美佐子名義で所有する競走馬馬名を付けて欲しいとの依頼を受け、「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作『社長漫遊記』にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。後日、他の牝馬も「シアワセナンダッケ」と命名した。

2004年の日本ダービーに岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対して、トロフィー授与のプレゼンターを務めた。その際、馬券が外れた腹いせか片手でトロフィーを渡そうとしたり、レッドカーペットの上で土下座をしたりした。

同郷の杉本清大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞天皇賞(春・秋)、日本ダービー宝塚記念菊花賞エリザベス女王杯ジャパンカップ有馬記念の前日には「サタうま!」で予想トークをする。また年末に「夢競馬」として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。姓が同じ『杉本』なので、杉本清をお父さんと呼ぶ事もある(杉本清が馬券を取ったときに『お父さんからお小遣いをもらった』など)。

[編集] 親交関係

同期の島田紳助とは、若手時代には営業に一緒に出演する機会が多く、私生活でもお互いの家に出入りする仲であった。

[編集] 仕事

一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」としている。年末から翌年のお正月にかけてブリスベンの別荘に滞在するため、クリスマス明けからお正月にかけて放送される番組は全て収録で行い、出国前は多忙となる。仕事納めは『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』である。

NHK制作番組については1980年代に『クイズ面白ゼミナール』などにゲスト出演したこともあるが、NHKの番組への出演はほとんど無く、近年では1999年の大河ドラマ『元禄繚乱』への出演があるのみである。なお、自身もパーソナリティーを務めたオールナイトニッポンの40周年特番『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』に参加しないのかという『ヤングタウン土曜日』での投稿には、「ニッポン放送と揉めて辞めているから」とコメントしている。その後テレビ朝日制作番組ではゲストで、本人自身の冠番組は朝日放送が制作する体制をとっていた。 日本テレビが「チャリティー番組」として放送している『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』へは基本的に出演していない。同番組から出演依頼が来た際、さんまのノーギャラ出演の意向を制作者が拒否し出演辞退となった経緯がある[出典 14]。だがその一方で「24時間テレビの司会をやりたい」と語ったこともある。

[編集] 私生活

趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコ競馬麻雀)・テニス。漫画もよく読み、『タッチ』の浅倉南や『うる星やつら』のラムを理想の女性像に挙げている。『ドラゴンボール』ファンであり、多数のグッズをコレクションしている。ファンからグッズが送られて来る事もあると言う。2010年4月18日放送の「おしゃれイズム」においてコレクションの一部が公開された。2010年には麻雀仲間であるアンジャッシュ児嶋一哉に薦められてハマった『ONE PIECE』を読破し、2011年の『さんタク』では同じく『ONE PIECE』ファンである木村拓哉と会話を盛り上げていた。

好きな食べ物はカレーライスぶり大根、魚の煮付けなど。

現役超ヘビースモーカーである[出典 15]。普段は眼鏡をかけており、後輩などから眼鏡をプレゼントされている。現在は中居のイメージダウン発言によって極力眼鏡を避けている。

[編集] 家族

実母とは死別している。また、1983年4月に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になるのを反対していたようだが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店した(2010年現在も奈良市内で「カラオケさんま」として兄が営業を続けている)。また、電話で本名の高文でなくさんまと呼ぶようになり、さんま本人はショックを受けたと述べた。さんまは実家を出たあとまったく実家に帰っていなかった時期があり、父親はさんまに会うため吉本興業に電話してさんまの余興を依頼した。

1988年9月、女優大竹しのぶと結婚。長女・いまる(後のIMALU)が誕生するが、1992年9月に離婚。子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。但し、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない長男・二千翔(大竹しのぶの連れ子)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。そんな二千翔は、さんまと母しのぶとの結婚当初から彼に大変懐いており、離婚の際も、「ボスの方に行く!!」と訴えたという。さんまによると、長女・いまるの名前も座右の銘「生きているだけで丸もうけ(きているだけでまるもうけ)」と「1=まる・2=ちか・3=さんま・4=のぶと並ぶようにした」から名付けたという。それに対して、大竹は「今を生きる(いまをいき)から名付けた」と言っている。TV等では名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切無かったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男とともに電話出演が一度ある。その長女・いまるは芸名「IMALU」として2009年に芸能界デビュー。

2010年7月24日放送の『FNS26時間テレビ2010』内「さんま・中居の今夜も眠れない」において島田紳助から「いい加減、結婚しろ!孤独死は切ないで」と再婚を促されると「もう結婚はあきらめた!結婚不適合者だとわかった」と再婚を断念する発言をしている[出典 16]

[編集] 人気番組でのエピソード

[編集] ひょうきん族

1981年ビートたけし島田紳助などとともにフジテレビバラエティ番組オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され、それ以後レギュラーになる。怪人アミダ婆。コシノジュンコデザインの服、桑田佳祐作詞作曲のアミダ婆の曲で登場。怪人ビックリ箱。ビックリ箱で人を驚かせる。感傷的なテーマソング曲の作詞作曲は松山千春。怪人ナンデスカマン。万博に似せたテーマソングで登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。青森県出身の妖怪人間「しっとるけ」。「ヒャーホホ」と叫び、民謡を歌う少年少女合唱団と共に登場。数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢が無い」と苦情がきてわずが3週で消えてしまう。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。「パーデンネン」に扮装したさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」という挨拶であるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少ない。

1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗する予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京 - 大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組はほとんどが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。事故後しばらくはショックで仕事が手につかず、これ以降さんまは、海外や沖縄、北海道といった空路以外の代替の交通の便に難がある場所以外へは新幹線を利用するようになる。

1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の下 再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。

「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。「ひょうきんベストテン」の初代司会者。

[編集] 笑っていいとも!

1984年4月6日に『森田一義アワー 笑っていいとも!』の金曜日レギュラーとして登板。タモリと共に談話するタモリとさんまのトークコーナーは「テレフォンショッキング」及び「曜日対抗!いいとも選手権」に次ぐいいとも!の名物コーナーとして親しまれ、『笑っていいとも!』の歴代コーナーの中でも1位、2位の人気を誇る。またタモリ不在の場合は代理司会も務め、最多代理司会者として表彰された。1987年4月から1990年3月まで関根勤片岡鶴太郎所ジョージ笑福亭鶴瓶らと共にタモリを支える曜日リーダー(通称:いいとも!ビッグ5)として親しまれる。やがてベテランの域となり自分の番組を持つようになったさんまは『特大号』に出なくなり、 1995年の4月からは遅刻する事が多くなった。

タモリとさんまのトークコーナーのタイトルは以下の通り。(1、2、15、16のOPのジングルは同じで、最も馴染みのある曲である。)

  1. タモリ・さんまの雑談コーナー(1984年4月~)
  2. タモリ・さんまの日本一の最低男⇒タモリ・さんまの日本一のサイテー男(85~87年頃まで)
  3. さんま・タモリの喋っちゃいまホー
  4. さんま・タモリの笑いごっちゃおまへんで
  5. 続・笑いごっちゃおまへんで
  6. さんま・タモリのおいしいんだかだぁ~!!
  7. タモリ・さんまのんなアホな!
  8. タモリ・さんまのなんちゅうこというの!(90年夏頃は確実にこのタイトル 初期は『タモリ・さんま・山瀬の-』というタイトル)
  9. タモリ・さんまの2000回~3000回にむかって
  10. タモリ・さんまのどっちもどっち
  11. タモリ・さんまの狼がきたぞ~!(91年夏頃は確実にこのタイトル)
  12. タモリ・さんまの日本一のホラ吹き野郎!(92年春~秋)
  13. タモリ・さんまの何はともあれ(92年秋~93年春)
  14. タモリ・さんまの何でもしゃべれる!!(93年春~秋)
  15. タモリ・さんまのもう大人なんだから(93年秋~94年春)
  16. タモリ・さんまのもう大人なんだからネ(94年春~秋)
  17. タモリ・さんまのもっとしゃべらせてよ!!(94年秋~95年春)
  18. タモリ・さんまのもっともっとしゃべらせてよ!!(95年春~1995年9月)

「タモリンピック」が終了した1993年10月からその時間にミニコーナーがあったが、これはさんまが先輩から「(ウケ狙いで)コケろ!」「(色物が)真剣にやってどうする」と伝統的に言われてきたさんまと「真剣勝負でやって欲しい」とのスタッフとの対立から生まれた暫定処置であった。その後、降板した翌週に「曜日対抗いいとも!選手権」が始まり、本人は「人気あったのねタモリンピック…」と自虐的に語っている。

レギュラー降板後は専ら「テレフォンショッキング」に出演する。2008年には当時の「27時間テレビ」の宣伝も兼ねて出演したがそこで話し続け、オープニングコーナーを除くおよそ53分の放送時間の内およそ47分間続いた。その後のコーナーは勿論大幅短縮と放送中止を余儀なくされ、当時レギュラーだったオリエンタルラジオは放送前にさんまと会話した際に「安心しとけ、俺がトークでお前らのコーナーの前、温めといたるから!」と言われたことを明かした上で「師匠、温めすぎて焼け野原になりました!」と放送中に語った。

[編集] 来歴

[編集] 若年時代

出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時捕まえたムササビが展示されている。また当時(どこで?)「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。奈良県中学生相撲大会で(何年生のとき?)2位になったことがある。

1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、松之助に入門の理由を問われたさんまは「センスがある」と、さんまとしては素直な気持ちを伝えただけだったが、非常に失礼な発言に対し松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。[出典 17]

[編集] 関西ローカル時代

初舞台は、京都花月。古典落語で10日間ほど出演した。当時若手タレントのマネジャー的存在だった佐敷愼次は、さんまに「ミラーボール」というあだ名をつけ、その才能に注目。松之助に「さんまを落語ではなくタレントとして立たせたい」と直訴した。[出典 18]

1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇーす」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「さんまかいわしか知らんけどな、テレビで言うてええことと悪いことがあんねや。それぐらい覚えて出て来い!」とCM中に叱責される。しかし、横山やすしには「気に入った!飲みに行こ!」と気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。

1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。形態模写の芸が司会の桂三枝の目に留まり、レギュラー出演を果たす。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染月亭八方桂きん枝桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガース小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。

1979年関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』で初の司会役に抜擢される。フジテレビ系の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。

[編集] 1980年代

1985年、第1回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソー知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。

1985年8月12日、大阪でMBSラジオ『ヤングタウン』レギュラー出演のため東京から日本航空123便に搭乗予定だったが、直前の仕事である「ひょうきん族」の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空123便墜落事故を逃れた。

1987年ナムコファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。

[編集] 1990年代

この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた[出典 19]

1995年MBSヤングタウン土曜日1月14日放送分のエンディングにて、放送区域である関西地区の聴取者に向けて、地震の際の心構えと対処の方法を講義した。これは当時さんまが関東で頻繁に地震に遭遇していた事を受けてのものだったが、この3日後には阪神・淡路大震災が発生しており、先んじて注意を促す結果となった。

1995年9月29日、11年半レギュラーだったフジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラーを突然卒業。突然の人気レギュラー出演者の降板について、出演末期の1993年、1994年の同番組のスペシャルに出演していなかったため、当時週刊誌ではスタッフとの確執説がささかやれた。村上ショージが1997年に前述するさんまの紹介で出演して、いまいち手ごたえのなかったことを、後日さんまと共演しているヤングタウンのラジオでつつかれていたが、放送を見ていたさんまが最終的には「ショージ、悲観することない」と言った後「今のいいとも(1997年当時)全曜日おもろない」と、いいとも全般を批判した。いいとも降板の真相はヤングタウンや、FM-TOKYOでやっていたG1グルーパー等のラジオで語られている。

1996年、フジテレビの人気刑事ドラマ『古畑任三郎』に犯人役でゲスト出演。やり手の弁護士・小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。さんまは撮影後、「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたと言われているが、後にゲスト出演したイチローもさんまが出演した回が好きだと語っている。

1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。

[編集] 2000年代前半

2000年7月7日、TBSスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。

2001年

FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー『クイズ$ミリオネア』に出演し、9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をかけた(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹に生電話。子供である長男や長女の声も電波に乗った)。『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。

2002年

阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。巨人ファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した(春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した。この特番の関西地区での視聴率は33.4%と高かった。

ドラマ空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAP中居正広さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。

2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。これについて韓国サイドからは批判の声があがった。さんまは後に「ドイツ代表が好きだから、ユニホームを着てただけなのに」と語っている。

2004年

さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。

韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日 - 25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAP中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。

この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)。

2005年

50歳の誕生日記念番組として、「明石家さんまつり」を生放送する。フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。

[編集] 2000年代後半

2006年

石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露される。

2007年

6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説もあり話題となった。6月13日放送の明石家さんちゃんねるで次長課長の河本がビリーズブートキャンプを紹介するが、さんまは一蹴するも、後日「明石家さんちゃんねる」2007年6月27日放送でビリー・ブランクス本人がスタジオ外のロビーで共演、さんまはさとうきび畑の唄の旧日本軍の軍服姿でビリーに最後まで抵抗、ビリーもさんまを挑発していた[出典 20]

12月16日TBSにて放映していた自身の主演ドラマ「ハタチの恋人」の最終回が終わる頃を見計らい、FIFAクラブワールドカップの総集編に出演。ゲストとして出演したACミランの選手を指差し、ウェアを脱がそうと大はしゃぎし、非難を浴びた。

2008年

7月26日から27日にかけて、FNS27時間テレビFNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』の総合司会を担当することになった。さんまによると、総合演出を務める三宅恵介から「さんまさん、僕来年定年なんですよ」と言う一言で口説かれたという(しかし番組の最後で、定年が2年延びたと言われてしまった)。

2009年

娘のIMALUがデビュー。当初は猛反対しており、反対を押し切ってのデビューであった。「芸人の嫁には、絶対させん」と言い切っており、芸人側も「明石家さんまがついてくる」と交際は厳禁するように言われている。

テレビ朝日『アメトーーク!』にて雨上がり決死隊の結成20周年企画に出演。これは1995年以来、實に14年ぶりにテレビ朝日の番組出演となると報道された[出典 21](実際には1999年に『ミュージックステーション』などに出演している[出典 22])。

TBS系で10月3日に放送された『オールスター感謝祭』で司会の島田紳助が「本番前に挨拶に来なかったから」と解答者の東京03に暴行したと話題になった。後日さんまが司会を務める『踊る!さんま御殿!!』に東京03が出演した際、彼らが「(出演者の人数が多いので挨拶に行くのは逆に失礼だと思い)本番前に挨拶に行かなかったため」と弁明し、さんまは、東京03の気遣いを紳助が誤解していた部分もあったとして、「互いに誤解して起きたことだから、仕方ない」とフォローした。

[編集] 2010年代前半

2010年

正月番組として、痛快!明石家電視台が東京でも約10年ぶりに放送された。

1月17日、デビュー当時に形態模写をした小林繁が死去。さんまは通夜告別式には参列しなかったが、『明石家さんま』名義で供花をした。

10月9日、約15年ぶりとなるテレビ朝日制作の冠番組の特番「もしもさんまさんだったら…?」が放送。

10月9日、『めちゃ×2イケてるッ!』新メンバーオーディションに参加。この出演は審査員や他のオーディション参加者にも極秘で行われ、他の若手芸人たちに混じりパーデンネンに扮してサプライズ登場。


[編集] 評価

NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回(1985年~1989年、1995年、1998年~2003年)で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている[出典 23]。1999年に「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。

JNNデータバンク調べによる好感度タレントの支持率調査では、1987年10月に支持率41.3%、1999年5月に支持率43.1%を記録。これは同調査において1980年代・1990年代共に第1位の記録である。また、1999年5月の支持率43.1%は、1971年〜1999年においても第1位の記録である[出典 24]

日経エンタテインメント!』の「好きな芸人」ランキングでは、初回の2002年から10年連続で1位を獲得している。

ビートたけしが著書『コマネチ!』ISBN 9784101225500(頁未確認)の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。

お笑い評論家・西条昇を始め、戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在のさんまの共通点を指摘する論者は少なくない[出典 25]

  1. どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍である。
  2. どちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ花菱アチャコ柳家三亀松川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。
  3. どちらもお笑い界ビッグ3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一古川ロッパと共にビッグ3と言われた。さんまもタモリビートたけしと共にビッグ3と称される。
  4. どちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、近年の若手お笑いブームもものともせず、長期に亘ってお笑い界トップの座に君臨し続けている。

[編集] 受賞歴

[編集] 現在の出演番組

[編集] レギュラー番組

[編集] 単発・不定期番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 日本テレビ系列

特記のないものは日本テレビ製作

[編集] TBS系列

特記のないものはTBS製作

[編集] フジテレビ系列

特記のないものはフジテレビ製作

[編集] テレビ朝日系列

特記のないものはテレビ朝日製作

[編集] テレビ東京系列

[編集] 衛星放送系列

[編集] テレビドラマ

  • 母の償い「第1話」(1978年、TBS)※ドラマ初出演
  • 大喜劇!忠臣蔵(1980年1月1日、MBS)
  • 恋のかけら-大阪物語-(1980年3月9日、KTV)
  • ゆるしません!「第1・2話」(1980年10月2・7日、KTV)- 吉田(刑事) 役
  • 天皇の料理番(1980年10月19日~1982年3月22日、TBS)- 平野(山本)辰吉 役
  • ひまわりの歌「第15話」(1981年、TBS)
  • 五辮の椿(1981年4月2日、YTV木曜ゴールデンドラマ
  • 裸の大将放浪記・第5作(1981年5月3日、KTV、花王名人劇場
  • シャネルズ・さんまの笑タイム(1982年9月5日、日曜お楽しみ劇場)
  • どきどき婦警さん1(1983年9月26日、フジテレビ、月曜ドラマランド
  • 新・女捜査官 「第7話 刑事の初恋は夫殺しの美女! 」(1983年、ABC)
  • のんき君1(1983年12月12日、フジテレビ、月曜ドラマランド)主演
    • のんき君2(1984年4月9日)
    • のんき君3(1984年10月4日)
  • やすきよの御用だ!まかせなさい(1984年1月4日、ABC)
  • 風の中のあいつ(1984年5月12日~9月29日、NTV、【共演:渡辺徹榊原郁恵】) 
  • 離婚テキレイ期(1984年10月9日~12月25日、TBS)
  • 心はロンリー気持ちは「…」シリーズ(1984年 - 2003年、フジテレビ系、【演出:三宅恵介、脚本:君塚良一で1984年から続く2時間ドラマ仕立てのコントシリーズ】)主演
    • 心はロンリー気持ちは「…」1(1984年12月17日、月曜ドラマランド)主演
    • 心はロンリー気持ちは「…」2(1985年7月15日、月曜ドラマランド) - 主演・順平 役
    • 心はロンリー気持ちは「…」3(1986年2月21日、金曜おもしろバラエティ)
    • 心はロンリー気持ちは「…」4(1986年9月26日、木曜ドラマストリート
    • 心はロンリー気持ちは「…」5(1987年3月20日、木曜ドラマストリート)
    • 心はロンリー気持ちは「…」6(1987年10月2日、ザ・ドラマチックナイト
    • 心はロンリー気持ちは「…」7(1988年5月13日、男と女のミステリー
    • 心はロンリー気持ちは「…」8(1989年3月3日、男と女のミステリー)
    • 心はロンリー気持ちは「…」9(1989年11月24日、男と女のミステリー)
    • 心はロンリー気持ちは「…」10 南の国から'97 (1997年8月29日、金曜エンタテイメント
    • 心はロンリー気持ちは「…」11 京都湯けむり旅情 OLグルメ三人旅 謎の密室殺人事件!(2003年、金曜エンタテイメント) - 証券会社をリストラされた功二 役
  • 澪つくし(1985年4月1日~10月5日、NHK、NHK朝の連続テレビ小説、【主演:沢口靖子】)- ラッパの弥太郎 役
  • 花の女子校 聖カトレア学園(1985年4月10日~10月2日、TX)
  • 気になるあいつ (1985年8月3日~12月28日、NTV、【共演:渡辺徹・榊原郁恵】)
  • 好色一代男 世之介の愛して愛して物語(1986年1月1日、TBS) - 世之介 役
  • 春風一番!(1986年1月11日~3月29日、NTV)
  • 男女7人夏物語(1986年7月25日~9月26日、TBS、【共演:大竹しのぶ(後に妻となり離婚する)】)- 主演・今井良介 役
    • 男女7人夏物語 評判編 生放送だよ!さんちゃん・しーちゃんのなんでもトーク(1987年4月3日)
  • 男女7人秋物語(1987年10月9日~12月18日)
    • 男女7人秋物語 評判編 さんちゃんしーちゃんなんでもトーク!7人再会!!(1988年4月4日)
  • アナウンサーぷっつん物語(1987年、CX)
    • アナウンサーぷっつん物語スペシャル(1987年10月1日、CX)
  • さんまの花ムコ見習い試験(1987年4月1日、TBS、水曜ドラマスペシャル)
  • オバの魔法使い(1987年8月10日、CX、ライオンスペシャル、夏休み妖怪バラエティ) - オバの魔法使い
  • 善化者~さんまのホンじゃたのンます~(1988年1月1日、CX、新春スペシャル、※3話オムニバス形式)
  • 子連れ家政婦アッコさん(1988年3月25日、CX)
  • 明石第三小隊物語・男の約束(1988年4月2日、CX、春のひょうきんスペシャル)
  • 明石家さんま殺人事件(1989年9月29日、CX、男と女のミステリー)- 明石家さんま(本人)役
  • 特別企画 さんまの「おれは裸だ」(1988年10月10日、YTV、木曜ゴールデンドラマ) - 大和菊夫(画廊の営業マン)役
  • 風よ、鈴鹿へ(1988年11月5日、TBS、【原作:島田紳助】)※友情出演
  • さんまのほんじゃたのんます(1988年11月25日、CX)
  • ナオコ、さんまの結婚式ララバイ(1989年5月23日、ABC、火曜スーパーワイド
  • 世にも奇妙な物語(1991年 - 、CX)
    • 91'春の特別編 「偶然やろ?」(1991年、【原案も担当】)
    • 「スローモーション」(1992年)
  • ずっとあなたが好きだった「第5話」(1992年、TBS)
  • ふんだりけったり(1992年4月16日、YTV、ドラマシティ'92)主演
  • ユーミン・ドラマブックス「ノーサイド」(1992年10月11日、TBS、秋のドラマスペシャル)
  • 天下を獲った男・豊臣秀吉(1993年1月1日、TBS、新春大型時代劇スペシャル)
  • 極道落ちこぼれシリーズ(1993年 - 1994年、TBS、春のドラマスペシャル、【W主演:柳葉敏郎】)- 主演・高柳喜八 役
    • 極道落ちこぼれ1 カタギになりたい!(1993年4月3日)
    • 極道落ちこぼれ2 駆けおちしました!?(1994年4月8日)
  • 恋も2度目なら(1995年1月11日~3月15日、NTV、【共演:葉月里緒奈佐藤浩市】)- 主演・三上耕介 役
    • 恋も2度目ならスペシャル  あのバツイチコンビ復活!(1995年10月11日)
  • 古畑任三郎 第2シーズン「第1話 しゃべりすぎた男」(1996年1月10日、CX、【主演:田村正和】) - 犯人・小清水潔 役
  • その気になるまで(1996年4月7日~6月30日、TBS、東芝日曜劇場、【共演:赤井英和】)- 主演・田口 賢一 役
  • 恋のバカンス(1997年1月8日~3月12日、NTV、【共演:鈴木杏樹】)- 主演・黛勘九郎 役
    • 恋のバカンススペシャル(1997年10月1日)
  • ガラスの靴(1997年、NTV)
  • 星に願いを(1998年4月1日、NTV、明石家さんまドラマSP) - ゼネコン会社の営業副部長・龍太 役
  • 元禄繚乱「第13話 誘拐」(1999年、NHK、NHK大河ドラマ) - 笹屋の主人・清右衛門 役
  • 世界で一番パパが好き(1998年7月8日~9月23日、CX、【共演:広末涼子】)- 主演・岡田善三 役
  • 甘い生活。(1999年7月7日~9月22日、NTV、【共演:内田有紀】)- 主演・鵜飼力丸 役
  • 七人ぐらいの兵士 全4回(2000年、NTV) - 主演・水嶋兵吉
  • 真夏のクリスマス「限りある命の恋人に、さんまが贈る最後のクリスマスプレゼント」(2000年10月9日、TBS、ドラマ特別企画、【共演:浅野ゆう子】) - 長谷川大吉(姫路出身) 役
  • 空から降る一億の星(2002年4月15日~6月24日、CX、【W主演:木村拓哉】)- 主演・堂島完三 役
  • いつもふたりで 「第11話(最終話) ファースト・キス」(2003年3月17日、CX)※友情出演
  • さとうきび畑の唄(2003年9月28日、TBS系、太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にした反戦ドラマ、※2003年度芸術祭大賞受賞作品)- 主演・平山幸一 役
  • THE WAVE!(2005年7月23日・24日、CX、フジテレビFNS25時間テレビドラマ、【W主演:内村光良】)主演
  • 和田アキ子殺人事件(2007年2月12日、TBS系、月曜ゴールデン)- 明石家さんま(本人)役
  • ハタチの恋人(2007年10月14日~12月16日、TBS、日曜劇場、【W主演:長澤まさみ】)- 主演・井上圭祐 役

[編集] ラジオ

[編集] 映画

[編集] CM

[編集] 舞台

[編集] ゲームソフト

[編集] 著書

  • こんな男でよかったら(1984年10月、ニッポン放送出版)

・編集

  • さんまのまんま(1986年2月、CBS・ソニー出版)
  • 続・さんまのまんま(1986年6月、CBS・ソニー出版)
  • さんまのまんま (続々)(1986年10月、CBS・ソニー出版)
  • さんまのまんま〈スペシャル 4〉(1987年2月、CBS・ソニー出版)

・共著

[編集] 代表曲

豪華な作家陣を揃えた楽曲が数多い。また、1986 - 1988年に発売した曲が多いが、これらの多くはさんまが主演の単発ギャグドラマ『心はロンリー気持ちは「…」』の主題歌として作られた曲である。

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ a b c W杯、タレントコメンテーターの実力(ZAKZAK、2002年6月18日)
  2. ^ 望月三起也のミイラ・群談(ハマスポどっとコム、2007年4月7日)
  3. ^ 激突!さんまVSジャッキーチェン サッカー夢の対決(1987)(KungFuTube、2010年8月3日)
  4. ^ “明石家さんまがメッシに「間抜け」な質問 日テレのインタビューが海外でも「酷評」”. J-CASTニュース. (2011年12月19日). http://www.j-cast.com/2011/12/19116832.html?p=all 2011年12月21日閲覧。 
  5. ^ バルサ・メッシ、明石家さんまにキレた!場違い質問の波紋(ZAKZAK、2011年12月19日)
  6. ^ メッシあわやぶち切れ!? テレビの失礼な質問に(J-CASTニュース、2011年12月19日)
  7. ^ La entrevista más extraña jamás vista a Leo Messi(SPORT.es、2011年12月19日)
  8. ^ La entrevista más surrealista a la que se ha enfrentado Messi(MARCA.com、2011年12月19日)
  9. ^ Una insólita entrevista a Messi en Japón(Clarin.com、2011年12月19日)
  10. ^ 世界の“笑い者”になった明石家さんま(ZAKZAK、2011年12月23日)
  11. ^ Japanese broadcaster wastes golden opportunity in Lionel Messi interview farce(Goal.com、2011年12月20日)
  12. ^ 11,12,24YouTube、2011年12月24日)
  13. ^ さんまさん!メッシが「老後」語った!(海外サッカーニュース : nikkansports.com、2011年12月31日)
  14. ^ 『女性自身』2007/09/11 34P
  15. ^ ブランド名マールボロ
  16. ^ さんま、"泣き上戸"紳助に苦言「24時間TVの司会も狙ってるやろ!」2010年7月25日配信
  17. ^ 明石家さんま『こんな男でよかったら』ニッポン放送出版 1984年
  18. ^ 1998年3月12日大阪読売新聞「[上方放送お笑い史](111)しゃべりの天才 さんま時代」
  19. ^ 1990年10月13日毎日新聞夕刊「「テレビタレントイメージ」さんまが15位と低迷 ダブル浅野は1、2位」
  20. ^ ビリー隊長が激怒! さんまギャグ連発 2007年6月27日 スポーツニッポン
  21. ^ さんま、『アメトーーク!』乱入でテレ朝に14年ぶり出演 オリコンスタイル 2009年7月28日閲覧
  22. ^ ミュージックステーション 1999年4月16日 テレビ朝日
  23. ^ 文研世論調査ファイル”. 2009年5月8日閲覧。
  24. ^ 『オリコン・ウィーク The Ichiban』2001年1月1・8日号(第23巻第1号、通巻1079号)オリコン(現:オリコン・エンタテインメント)、45頁。
  25. ^ 西条昇・著『ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々』白泉社、2003年の「柳家金語楼」の項参照
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