明石家さんま
| 明石家さんま (杉本 高文) |
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|---|---|
| 本名 | 杉本 高文(すぎもと たかふみ) |
| ニックネーム | さんまさん、さんまちゃん、チャッピー、お笑い怪獣、Mr.27時間テレビ、眠らない九官鳥 |
| 生年月日 | 1955年7月1日(57歳) |
| 出身地 | (和歌山県東牟婁郡古座町(現:串本町)出生) |
| 身長 | 172.5cm |
| 方言 | 関西弁 |
| 最終学歴 | 奈良県立奈良商業高等学校 |
| 師匠 | 2代目笑福亭松之助 |
| 事務所 | 吉本興業東京本社 |
| 活動時期 | 1974年 - |
| 同期 | 関根勤 島田紳助 オール阪神・巨人 桂小枝 |
| 現在の代表番組 | さんまのまんま 踊る!さんま御殿!! さんまのSUPERからくりTV 痛快!明石家電視台 ホンマでっか!?TV 他多数 |
| 過去の代表番組 | オレたちひょうきん族 明石家さんちゃんねる あっぱれさんま大先生 明石家マンション物語 恋のから騒ぎ 他多数 |
| 配偶者 | 大竹しのぶ(1988年-1992年) |
| 親族 | IMALU(実娘) 大竹しのぶの長男(二千翔)は血縁関係が無いので現在の関係は不明 |
| 弟子 | 内山信二[出典 1] |
| 受賞歴 | |
| ・1982年 花王名人大賞 新人賞 ・1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞 ・1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞 ・1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞 ・1985年 花王名人大賞 大衆賞 ・1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞 ・1986年 日本放送演芸大賞 特別賞 ・1987年 日本放送演芸大賞 大賞 |
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明石家 さんま(あかしや さんま、1955年〈昭和30年〉7月1日 - )は、日本のお笑いタレント、司会者、俳優、歌手、ラジオパーソナリティー。落語家を志して2代目笑福亭松之助門下となったが、師匠命令でお笑いタレントに転向した。 本名、杉本 高文(すぎもと たかふみ)。
和歌山県東牟婁郡古座町(現・串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 吉本興業所属。奈良県立奈良商業高等学校卒業。
1980年代後半以降から国民的お笑いスターとして活躍を続けている。タモリ、ビートたけしとともに、日本のお笑い芸人BIG3の1人として称される。
目次 |
人物[編集]
事務所は吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)所属。節税と自身のマネージメントを目的とした個人事務所「オフィス事務所」も設けており、仕事やギャランティー管理はこちらで行っている。オフィス事務所には、ラサール石井や村上ショージ、松尾伴内らも所属している(さんまと同じく、皆それぞれに所属事務所は他に存在する)。吉本とは所属はしても契約はしていない。
師匠は落語家の2代目笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名から貰い受けている(後述)。
若手のころ、兄弟子の五所の家小禄と漫才、コントのコンビを組んだり、花月の舞台ではB&B(島田洋七・洋八)、西川のりお・上方よしお、ザ・ぼんち(ぼんちおさむ・里見まさと)らと、「ビールス7」というコントユニットを組んでいた時期もあった。「アトムスリム」と言う漫才コンビを組んでいた時期もある。
芸風[編集]
1980年代頃からは司会業が中心で、20年以上続く番組もある。聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、テンポを崩されるとすかさずツッコミやボケを入れる。例えば、番組中に質問した際に相手が考え込んでしまうと、たいていは「早よ言え」などとツッコんだり自らボケを挟んで笑いを取りにかかる(本人曰く、嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいという)。それ故に、付き合いの長い島田紳助や中居正広(SMAP)、元妻の大竹しのぶからは「話を盛る」「話していることの九割は嘘」「どうしてそんなに嘘がつけるの?」などと辛辣な言葉を掛けられることがある。さらに、多少親交のある人物と会話すると、相手の話をほとんど聞かずに自分でひたすらしゃべり倒してしまう。時たま相手に話を聞くときもあるが、途中で「そんな話はええねん!」などと言って強引に止めさせたり、相手の話に細かくツッコミを入れて笑いに変えてしまうので会話は弾まない傾向にある。また、暇があると自分が出演した番組を自分で視聴し、自分の演技を見て自分で笑っているらしい。元妻の大竹しのぶによるとさんまのこの行動がきっかけとなって離婚話が決まったという。普段、自分の番組は絶対見ないというタモリや島田紳助は「人が出ている所は早送りにして、自分が出てくると引き笑いをする」「自分ファンだから」と呆れていた。張り芸(声を張って笑いをとる芸)を得意とする。
デビュー当初は菅原文太、桜田淳子のものまねや、当時人気だったプロ野球・阪神タイガースの小林繁の形態模写や漫談が主であった。ただし、同期の紳助によると菅原文太と桜田淳子の物真似は「死ぬぐらい似ていなかった」ようで、「あれではお金は取れない」と断言されている。そうした経緯もあってか名前が売れるようになってからはこの2人の物真似を人前ですることはほとんど無い。ピンで演じることもあったが、兄弟子の明石家小禄(後に五所の家小禄と改名)とのコンビで、コントスタイルで演じることもあった。ただし、最初は巨人の小林として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際にこの芸を封印したが、トレード直後の阪神での小林の活躍に伴い、関西地区で小林の形態模写を熱望されるようになり、渋々再開したところ、小林と相乗効果で人気を集めるようになった。
芸名(愛称)[編集]
笑福亭松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。なお、「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた(「明石屋さんま」は誤字)。亭号を「明石家」に改めた理由としては、落語を演じない者に一門の「笑福亭」を与えることは許されないとした、一門の方針によるというのが通説になっている。しかし師である松之助自身一時落語を離れ、喜劇役者に専念していた時期があったことや、吉本に所属していた月亭可朝、笑福亭仁鶴、6代目桂文枝らのタレントとしての活躍、兄弟子の明石家つる松(後の橘家圓三)は古典落語しか演じなかったこと、それに「明石家」自体が落語家的な亭号からして、落語をしないことが「明石家」を名乗る直接の理由ではないといえる。松之助の兄弟子にあたる6代目笑福亭松鶴は、直弟子の鶴瓶にはほとんど落語の稽古をつけていないし、当時鶴瓶も落語をほとんど演じなかった。対して松之助はさんまには落語を少ないながらも教えている。さんまもデビュー間もない頃は岩田寄席など地域寄席で古典落語を演じ、毎日放送の大喜利番組では着物を着て落語家として出演していた。松之助は長男には明石家のんき、次男にはパーポ明石と芸名を付けている。
笑福亭松之助(さんまの師匠)と6代目笑福亭 松鶴(鶴瓶の師匠)の師匠(5代目笑福亭 松鶴)が同じ縁で、笑福亭鶴瓶を「兄さん」と呼んでいる。
弟子時代から鶴瓶と面識があり、大判焼きを半分おごってくれたこともある。
松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時、さんまは「その名前やったら絶対売れへん」とからかい、紳助は落ち込んだが、そのすぐあとに「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に大笑いされたというものがある。ただし、さんま自身は正式な弟子はとらず、さんまが26歳の頃に吹田市千里丘のMBSで生放送していた「ヤングタウン」の放送中に「尾形久」という当時18歳の少年が、弟子入り志願で入口付近に来ていると警備員から報告が入り、「今、弟子入り志願の少年が来ているらしい」と生放送で話をしていた。それが弟子入り志願者第1号であったらしい。その後数回その「尾形」という少年と会ったらしいが、弟子になりたい人間と弟子を取らない人間との話のすれ違いもあり、連絡も途絶えたらしい。
愛称は「さんちゃん」(所ジョージ、高見沢俊彦など同年代の親しい人物が使用)紳助は愛称だけでなく「杉本」と本名で呼ぶことがある。BIG3であるタモリ、ビートたけしからは「さんま」「さんちゃん」「さんまちゃん」「明石家さんま師匠」「出っ歯」「お前」「あんた」と呼ばれる。たけしは「明石家」と呼ぶこともある。またタモリは第三者とさんまのことについて話す際は、「あの男」と表現する。さんまは年上のタモリとたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、たけしを「ビート」、「たけ」、「たけし」、「おっさん」と呼び捨て、タモリを「タモリ」、「タモさん」、「森田」と呼び捨てにしたり、芸能界の後輩でもあることから「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。
また、村上ショージやジミー大西など付き合いの古い後輩芸人からは親しみを込めて「若」と呼ばれている。
身体的特徴[編集]
いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。
甲高い笑い声と「ファーーッ!」という引き笑いが特徴。自分や相手のネタがツボにはまると机や膝などを叩いたり、床に這いつくばって床を叩いたりする。ちなみに、甲高い笑い声をゴルフ場でたまたま隣のコースで聞いたとんねるずの木梨憲武は、「アホウドリが飛んでいる」と、思ったらしい。ただ、甲高い声のせいで、喉の年齢は80歳だという。
睡眠時間が極度に少ない。本人曰く、「今までの人生で10時間以上寝たことは一度もない」とのこと。寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝ていたこと)絶対言うなや」と言った。また、東野幸治によると吉本興業の若手芸人の中では「さんまさんの寝顔を三回見たら願いが叶う」という言い伝えがある。TBS『明石家さんちゃんねる』では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」という企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真やフジテレビ『さんタク』にて、キムタクが勝手に撮影した写真ぐらいである。娘のIMALUでさえも、「父の寝顔は見たことがない」と語る。なお寝ない理由については、自分が録画した番組を観るという理由と、「自分に「寝る」というキャラクターが無いと考えているので寝ない」という理由だという。
スポーツ[編集]
スポーツ観戦も趣味としており、仕事で家を空ける時以外は、例え深夜であろうとBSやCSのスポーツ中継をリアルタイムで観戦している。サッカーのヨーロッパの各リーグおよびUEFAチャンピオンズリーグ、UEFAヨーロッパリーグ・野球のMLB・アメリカンフットボールのNFL・バスケットボールのNBA・アイスホッケーのNHL・テニスの四大大会・ゴルフのメジャートーナメントなどジャンルは幅広い。オリンピックやサッカーFIFAワールドカップが開催される際にはテレビ中継は当然のこと、キャスターを務め現地で観戦することも多く、トヨタカップ(現在はFIFAクラブワールドカップ)では、中継のゲストとして毎年現地で観戦している。
プロ野球・巨人ファンである。また高校野球も好きで、テレビ朝日アナウンサーの島本真衣とロケに行った際は、その時受けていたエステそっちのけで父の島本講平の話題に食いついていた。小学生の頃は軟式野球をしていたことがある。
サッカー[編集]
奈良商業高校ではサッカー部に所属しスター選手だと称していた[出典 2]。芸能人として人気が出た1980年代には日本サッカーリーグのキャンペーンポスターのモデルに選ばれたほか、ビートたけしや望月三起也と芸能人サッカーチーム「ザ・ミイラ」の発起人となる[出典 3]。2002 FIFAワールドカップが開催される前にはフジテレビで『さんまの天国と地獄』というサッカー番組のメインパーソナリティを務めた。
ワールドカップやクラブワールドカップなどの関連番組ではサッカー通タレントの筆頭格としてキャスターやコメンテーターを務めることも多く[出典 2]監督や選手に下世話なツッコミを入れて番組を盛り上げようとすることに定評がある[出典 2]。
2011年12月18日に日本で開催されたサッカーのクラブ世界一を決めるFIFAクラブワールドカップ2011決勝では優勝しMVPに選ばれたFCバルセロナ(スペイン)のリオネル・メッシを特設スタジオに呼び出してインタビューを行い「サッカーの質問はみんな聞いてるやろうから、老後はどうしはるんですか」という質問をした。メッシは「引退はまだ先のことだから分からないよ」と冷静に回答したが特設スタジオに残らず早々に立ち去りチームメイトの輪に戻ってしまったため、インターネットでは「サッカーにくだらないお笑いは必要ない」「真剣に戦う選手に失礼」などの批判が殺到した[出典 4][出典 5][出典 6]。この模様は動画投稿サイトにアップされたほか、スペインやメッシの母国アルゼンチンのメディアでも報じられ[出典 7][出典 8][出典 9]、「バルサの10番は日本テレビの奇妙なインタビューの犠牲者になった[出典 7]」「シビアなインタビューに驚きをかくせない[出典 8]」「これまで経験したことのない奇妙なインタビュー[出典 9]」と述べた[出典 10]。さらにイギリスのサッカー専門メディアは「日本のコメディアン明石家さんまによるバルセロナのスターへの悲惨なインタビューはこの国のサッカー放送の下劣さを示した」と報じた[出典 11]。スウェーデンでは「排他的なインタビューに失敗」と報じた[出典 12]。
こうした世界中のメディアからの批判について、さんまは2011年12月24日放送のMBSラジオ『ヤングタウン土曜日』の中で話題にし「出演予定のなかったメッシを日本テレビのスタッフが無理に頼んで連れてきた」「これまでクラブワールドカップでインタビューした選手は愛想が良かったのにメッシは機嫌が悪かった」「メッシにサッカーのことを聞いても一緒やないか」「これでメッシの前でインタビューはできなくなった」などと弁明した[出典 13]。メッシは2011年12月31日付のスポルト紙のインタビューで老後について「家族や友人のいるロサリオで生活するだろう」と語っている[出典 14]。またアルゼンチンのジャーナリスト、レオナルド・ファチオはメッシの評伝の結びに「無性にメッシの引退後を心配するときがある」と書いたうえで、さんまの質問とそれに対するメッシの返答に言及している[1]。
サッカーを始めたきっかけはマンチェスター・ユナイテッドだと述べている。2012年にマンチェスター・ユナイテッドに加入した香川真司に関して、「私は、本当は入団してほしくないんですよ。日本人の方にはね」と発言をしたため、インターネットでは再び批判が殺到した[出典 15]。
競馬[編集]
2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組『うまッチ!』内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が、妻の岡田美佐子名義で所有する競走馬に名前を付けて欲しいとの依頼を受け、「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作『社長漫遊記』にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。
2004年の日本ダービーに岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対して、トロフィー授与のプレゼンターを務めた。その際、馬券が外れた腹いせか片手でトロフィーを渡そうとしたり、レッドカーペットの上で土下座をしたりした。
同郷の杉本清(大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞、天皇賞(春・秋)、日本ダービー、宝塚記念、菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の前日には『サタうま!』で予想トークをする。また年末に『夢競馬』として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。姓が同じ「杉本」なので、杉本清をお父さんと呼ぶこともある(杉本清が馬券を獲ったときに「お父さんからお小遣いをもらった」など)。
初めて競馬予想を始めた時期は、1984年春で、明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送(ニッポン放送)、の中で競馬予想のコーナーが設けられ、素人なりの予想を始めている。
クラシック路線ではスズマッハ(日本ダービーで人気薄も2着)を、古馬中距離路線ではダスゲニーを追いかけている。基本的には、ウケるために穴予想であった。以降、このラジオ番組で翌日日曜日の大レース(シーズンなら毎週日曜日の関東重賞)の予想を展開していくことになる。
その1984年暮れの有馬記念は三強(シンボリルドルフ/カツラギエース/ミスターシービー)が実力通り上位を占めたところから、各マスメディアが絶賛したレースであったが、さんま氏は翌週のブンブン大放送で、ミスターシービーに対し「シンボリルドルフ見事、カツラギエース頑張った、しかし情けなかったのはミスターシービー」とその競走内容から正論を吐いている(マスメディアは一般ファンに人気が高いミスターシービーに対し遠慮があったと思われる)。
翌年(1985年)も競馬予想熱は続いていき、早速正月の金杯の翌週に「金杯で惨敗」と名言を吐いている。またオークス(優駿牝馬)の前日では「ノアノハコブネは信者が多いから来る」と慧眼力を発揮している。
日本ダービーの日、東京競馬場で日曜競馬ニッポン(ニッポン放送)に生出演するも、本命グリーンカップは最後方から多少追い込んだだけ(8着)で惨敗。
1986年に入ると予想熱は増していき、毎週末に翌日の重賞の予想を展開していく。
目黒記念では「さんまは目黒に限る」の言葉通り、代用ながらも的中させる。
オークス(優駿牝馬)では、人気薄ユウミロク(2着)を見事本命に予想している。
そして、日本ダービーでは、日曜競馬ニッポン→フジTV競馬中継→日曜競馬ニッポン、と東京競馬場内で堂々とハシゴし、穴馬グランパスドリーム(2着)を本命とする予想を展開するも、勝ち馬(ダイナガリバー=2番人気)を無視して馬券は敗退。
また、その直前のNHK杯では、前年にNHK連続テレビ小説『澪つくし』に出演した関係もあり、「NHKのディレクターは歪んでいる」と発言し、4番人気ラグビーボールを本命として的中している。
日曜競馬ニッポンには時々登場し、メインレースではパドックから各馬の馬体の感想を述べることもあった。
1987年頃には、大衆にはウケても儲からない現実から「もう馬券は買わん」と発言し、予想熱も冷めていった。
親交関係[編集]
同期の島田紳助とは、若手時代には営業に一緒に出演する機会が多く、私生活でもお互いの家に出入りする仲であった。
他にもガダルカナル・タカ、桂雀々、笑福亭笑瓶、松尾伴内、中村勘三郎らと交友関係がある。
同学年でもある上沼恵美子とは、若手同士の時代に関西で何度か共演もしてきたが、2004年に関西テレビ『さんまのまんま』に上沼がゲスト出演した際にさんまが上沼を不愉快にさせるような発言したことで、以後上沼はさんまと共演NGの意向であるという[2]。
仕事[編集]
一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」としている。年末から翌年の正月にかけてブリスベンの別荘に滞在するため、クリスマス明けから正月にかけて放送される番組は全て収録で行い、出国前は多忙となる。仕事納めは『さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル』である。
執筆活動やドキュメンタリー番組への出演オファーの打診は「自分の裏側を見せない」との意向で全て断っている(後述の『NHK×日テレ 60番勝負』出演時に、共演した中居正広がさんまがこの旨を語っていたということを紹介した)。
NHKについては、1980年代に『クイズ面白ゼミナール』や連続テレビ小説『澪つくし』などに出演したこともあるが、1990年代以降、NHKの番組への出演はほとんどない。ただし、1999年の大河ドラマ『元禄繚乱』への出演や2012年の『桂三枝のすべて~六代桂文枝襲名~』(同年7月29日、NHK-BSプレミアム)、2013年の『TV60 NHK×日テレ 60番勝負』(同年2月1日、総合テレビ。NHK・日本テレビ共同制作番組)など数番組に出演歴はある。
- 「『クイズ面白ゼミナール』に出演した際、「鉛筆」をテーマにした講義を聞いてあくびをして、その様子が放送されてしまい、苦情が寄せられたことでNHK出演が少なくなった」と度々ネタにしている。2013年2月1日放送の『NHK×日テレ 60番勝負』に出演した際、共演した中居や爆笑問題から同年の『紅白歌合戦』の司会就任を求められる場面があった。
自身もパーソナリティーを務めたオールナイトニッポンの40周年特番『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』に参加しないのかという『ヤングタウン土曜日』での投稿には、「ニッポン放送と揉めて辞めているから」とコメントしている。
『さんまのナンでもダービー』内で発生した自身とテレビ朝日の確執が原因による1995年9月の番組打ち切り後、テレビ朝日ではレギュラー番組を持っていない。テレビ朝日制作番組ではゲストで、自身の冠番組は朝日放送が制作する体制をしばらく取ってきた。
日本テレビが「チャリティー番組」として放送している『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』へは番組の顔的存在である徳光和夫と共演NGのため基本的に出演していない。番組側から出演依頼が来た際、さんまのノーギャラ出演の意向を制作者が拒否し出演辞退となった経緯がある[出典 16]が、その一方で2010年のフジテレビ『FNS26時間テレビ』内「さんま・中居の今夜も眠れない」内で「『24時間テレビ』の司会をやりながら、100キロ走って募金を集めたい」と語ったこともある。
- 先述の『TV60 NHK×日テレ 60番勝負』出演時に、中居や爆笑問題、桝太一(日本テレビアナウンサー)から紅白の司会と並んで、同年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナー就任を求められる場面があった。しかし、これは実現しなかった(同年の『24時間テレビ』のチャリティーマラソンランナーは森三中の大島美幸が起用された。なお大島は同グループの一員として『60番勝負』に出演していた)。
テレビ東京については、かつて自身が司会をした『サタデーナイトショー』が、さんまと淡路恵子とのトークが好評を博し深夜0時台の放送にも関わらず最高視聴率は13%を超え、当時のテレビ東京全番組中で最高視聴率を獲得したが、「局の最高視聴率番組がお色気番組とは体裁が悪い」という上層部の判断で、人気番組であったが終了となった。これが未だにさんまにとって遺恨を残し、本人もたびたび「人気番組だったのにテレ東の上層部に潰された」と語っており、現在もテレビ東京に出演を控える傾向がある[出典 17]。
ルーズな印象と異なり、仕事についてはかなり厳しい態度をとっており、このため番組のスタッフと対立することが珍しくない。その結果、番組を降板するどころか、その局自体の仕事をすべてキャンセルすることもある(ニッポン放送、テレビ朝日、読売テレビなど)。一方、『笑っていいとも!』も同じ理由で降板し当時は「一生出ない」と言っていたが、こちらはその後ゲストで出演している。そのほか、自身の知らない間につんくプロデュースでレコーディングが企画されていることを知った際は中止を命じている。
私生活[編集]
趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬、麻雀)・テニス。漫画もよく読み、『タッチ』の浅倉南や『うる星やつら』のラムを理想の女性像に挙げている。『ドラゴンボール』ファンであり、多数のグッズをコレクションしている。ファンからグッズが送られて来ることもあると言う。2010年4月18日放送の「おしゃれイズム」においてコレクションの一部が公開された。2010年には麻雀仲間であるアンジャッシュの児嶋一哉に薦められてハマった『ONE PIECE』を読破し、2011年の『さんタク』では同じく『ONE PIECE』ファンである木村拓哉と会話を盛り上げていた。
好きな食べ物はカレーライス、ぶり大根、魚の煮付けなど。自身も認める少食家である。
現役の超ヘビースモーカーである[出典 18]。普段は眼鏡をかけており、後輩などから眼鏡をプレゼントされている。現在は中居のイメージダウン発言によって極力メガネを避けている。
芸能界随一のおしゃべりとして知られるが、私生活については極端に口が堅いことで有名である。実際には身内に不幸がかなり多いが、これについて自身が口外したことは一切ない。大竹との関係についても、一般に知られるようになったのはすべて大竹側が公表したことによる。
家族[編集]
実母とは死別している。実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になることを反対していたようであるが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店した(現在「カラオケさんま」)。また、電話で本名の高文でなくさんまと呼ぶようになり、さんま本人はショックを受けたと述べた。さんまは実家を出た後全く実家に帰っていなかった時期があり、父親はさんまに会うため吉本興業に電話してさんまの余興を依頼した。また、同期の紳助は駆け出し中に相方の松本竜介とともによくさんまの実家を訪れていたが、初めて訪れた時に父親が窓の横に張ってあった番宣用に作成されたさんまのポスターを見て「高文、何を窓の外で待っとんねん。紳助さんが来てはるやないか。入ってこい、高文!」と語りかけていたという。実兄は競馬好きで菊花賞の関西テレビの映像に映りこんだことがあり、番組を見ていたさんまは一目見てすぐにそれが兄だとわかった。
1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚。長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせることが夢だったと語っている。ただし、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない長男・二千翔(大竹の連れ子)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。そんな二千翔は、さんまと母しのぶとの結婚当初から彼に大変なついており、離婚の際も、「ボスの方に行く!!」と訴えたという。さんまによると、長女・いまるの名前も座右の銘「生きているだけで丸もうけ(いきているだけでまるもうけ)」と「1=いまる・2=にちか・3=さんま・4=しのぶと並ぶようにした」から名付けたという。それに対して、大竹は「今を生きる(いまをいきる)から名付けた」と言っている。テレビなどでは名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切なかったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男とともに電話出演が一度ある。その長女・いまるは芸名「IMALU」として2009年に芸能界にデビューしたが、父のさんまは今でも娘が芸能界にいることを嫌がっていて、「すぐにでも辞めてほしい。共演なんて絶対にあり得へん!」と語っている。
IMALUが20歳を過ぎるまで再婚はできないなどと言っていたが、2010年7月24日放送の『FNS26時間テレビ2010』内「さんま・中居の今夜も眠れない」において紳助から「いい加減、結婚しろ!孤独死は切ないで」と再婚を促されると「もう結婚はあきらめた!俺は結婚不適合者なんやとわかった」と再婚を断念する発言をしている[出典 19]。
人気番組でのエピソード[編集]
ひょうきん族[編集]
1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系バラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され、それ以後レギュラーになる。代表的なキャラクターとしては以下のものがある。
- 怪人アミダ婆 - コシノジュンコデザインの服、桑田佳祐作詞作曲のアミダ婆の曲で登場。
- 怪人ビックリ箱。ビックリ箱で人を驚かせる。感傷的なテーマソング曲の作詞作曲は松山千春。
- 怪人ナンデスカマン - 大阪万博に似せたテーマソングで登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。
- 青森県出身の妖怪人間「知っとるケ - 「ヒャーホホ」と叫び、民謡を歌う少年少女合唱団と共に登場。
数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったものは、「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢がない」と苦情がきてわずが3週で消えてしまう。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。「パーデンネン」に扮装したさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」というあいさつであるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少ない。
1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では事故機に搭乗する予定だったが、当時レギュラー出演していた『オレたちひょうきん族』の収録が中止となり、搭乗を1便早めたため難を逃れた。当時、東京 - 大阪間の移動にいつも使っていた便が日本航空123便だった。その日は月曜日でラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組はほとんどが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。事故後しばらくはショックで仕事が手につかず、これ以降さんまは、海外や沖縄、北海道といった場所以外へは新幹線を利用するようになる。
1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の下で再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。
「ひょうきんニュース」のコーナーに出演するときは、本名の「杉本高文」を名乗っていた。「ひょうきんベストテン」の初代司会者。
笑っていいとも![編集]
- 初出演は1984年2月13日の『テレフォンショッキング』のテレフォンゲスト。この時に翌日のテレフォンゲストとして、司会のタモリがかねてから「嫌い」と公言していた小田和正を紹介した。
- 初出演からわずか2カ月後の4月6日、金曜日レギュラーとして初登板。タモリと雑談をするトークコーナーは、「テレフォンショッキング」及び「曜日対抗!いいとも選手権」に次ぐいいとも!の名物コーナーとして親しまれ、『笑っていいとも!』の歴代コーナーの中でも1位、2位の人気を誇る。タモリは日本で初めて「雑談」というものをテレビでやったものがこのコーナーだったと語っている。またタモリ不在の場合は代理司会も務め、1991年10月3日には10周年記念週間の「最多代理司会者」として表彰され、同日のテレフォンショッキングの特別ゲストとなった。1987年4月から1990年3月まで関根勤、片岡鶴太郎、所ジョージ、笑福亭鶴瓶らと共にタモリを支える曜日リーダー(通称:いいとも!ビッグ5)として親しまれる。やがてベテランの域となり自分の番組を持つようになったさんまは年末の『特大号』には出演しなくなり、1995年4月からは遅刻が多くなった。
タモリとさんまのトークコーナーのタイトルは以下の通り(1、2、15、16のオープニングのジングルは同じで、最もなじみのある曲)。
- タモリ・さんまの雑談コーナー(1984年4月 - 1984年12月7日)
- タモリ・さんまの日本一の最低男⇒タモリ・さんまの日本一のサイテー男(1984年12月14日 - 1987年頃まで、2012年11月30日) [出典 20]
- さんま・タモリの喋っちゃいまホー
- さんま・タモリの笑いごっちゃおまへんで
- 続・笑いごっちゃおまへんで
- さんま・タモリのおいしいんだかだぁ〜!!
- タモリ・さんまのんなアホな!
- タモリ・さんまのなんちゅうこというの!(1990年夏頃、初期は『タモリ・さんま・山瀬の-』というタイトル)
- タモリ・さんまの2000回〜3000回にむかって
- タモリ・さんまのどっちもどっち
- タモリ・さんまの狼がきたぞ〜!(1991年夏頃)
- タモリ・さんまの日本一のホラ吹き野郎!(1992年春から秋)
- タモリ・さんまの何はともあれ(1992年秋から1993年春)
- タモリ・さんまの何でもしゃべれる!!(1993年春から秋)
- タモリ・さんまのもう大人なんだから(1993年秋から1994年春)
- タモリ・さんまのもう大人なんだからネ(1994年春から秋)
- タモリ・さんまのもっとしゃべらせてよ!!(1994年秋から1995年春)
- タモリ・さんまのもっともっとしゃべらせてよ!!(1995年春から1995年9月)
「タモリンピック」が終了した1993年10月からその時間にミニコーナーがあったが、これはさんまが先輩から「(ウケ狙いで)コケろ!」「(イロモノが)真剣にやってどうする」と伝統的に言われてきたさんまと「真剣勝負でやって欲しい」とのスタッフとの対立から生まれた暫定処置であった。その後、降板した翌週に「曜日対抗いいとも!選手権」が始まり、本人は「人気あったのねタモリンピック…」と自虐的に語っている。
レギュラー降板後はもっぱら「テレフォンショッキング」に出演する。中でも2008年7月に放送されたFNS27時間テレビでの「増刊号生スペシャル」にて行われたテレフォンショッキングではビビる大木の紹介で登場し、11年ぶりの共演となるタモリと47分間しゃべり続けた。当日の新聞のラテ欄には「タモリとテレフォンショッキングで最長記録樹立か」と書かれていたがその言葉通り「増刊号生スペシャル」も含めた全てのテレフォンショッキングの中で最長記録を樹立した[3]。翌2009年7月24日には明後日から行われる『FNSの日26時間テレビ2009 超笑顔パレード 爆笑!お台場合宿!!』の宣伝も兼ねて出演したがそこで小学校六年生の時、学校に行く途中で捕まえたムササビについて話し続け、オープニングコーナーを除くおよそ53分の放送時間の内およそ36分間喋り倒した。これは30年以上の歴史を誇る「テレフォンショッキング」史上3番目の長さ。その後のコーナーはもちろん大幅短縮と放送中止を余儀なくされ、当時レギュラーだったオリエンタルラジオは放送前にさんまと会話した際に「安心しとけ、俺がトークでお前らのコーナーの前、温めといたるから!」と言われたことを明かした上で「師匠、温めすぎて焼け野原になりました!」と放送中に語った。また、さんまの友達として次回のテレフォンゲストには「FNSの日26時間テレビ2009」の総合司会である島田紳助を紹介。電話でさんまと会話した紳助は「お前しゃべりすぎ‥・お前ホンマうざい‥・モモンガ捕まえた話、18(歳)の時に聞いたけど話変わってる…」と呆れていた。そして「増刊号生スペシャル」のテレフォンショッキングで22年ぶりに登場した紳助はタモリに対し、「あいつ(さんま)は自分のことしか考えていない。一生結婚できないタイプですよ。自分より愛したい人間はいませんから」と語っている。そして、コーナー終了・さんま本人のいいとも卒業から17年後の2012年11月30日のいいともで日付のごろ・いい(11月)さんま(30日)の日にちなんでさんまがゲストとして3年ぶりにスタジオアルタに登場し、「復活!タモリ・さんまの日本一の最低男」が行われた。久しぶりの二人のトークは25分間続き、途中には金曜日レギュラー陣も登場した。なお事前に「最低エピソード」を視聴者から番組ホームページで募集(1984年当時ははがきだった)ものの、それらは本番で一切紹介されなかった。さんまは珍しくオープニング明けすぐに登場し、テレフォンショッキング佐々木希の15分間を除く43分間全てに出演した。
来歴[編集]
若年時代[編集]
出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時捕まえたムササビが展示されている。また当時「ムササビを捕まえた少年」として話題になった。奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。
1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったからだという。初めて顔を合わせた際、松之助に入門の理由を問われたさんまは「センスがある」と、さんまとしては素直な気持ちを伝えただけだったが、非常に失礼な発言に対し松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。[出典 21]
関西ローカル時代[編集]
初舞台は、京都花月。古典落語で10日間ほど出演した。当時若手タレントのマネジャー的存在だった佐敷愼次は、さんまに「ミラーボール」というあだ名をつけ、その才能に注目。松之助に「さんまを落語ではなくタレントとして立たせたい」と直訴した。[出典 22]
1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現:上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇーす」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「さんまかいわしか知らんけどな、テレビで言うてええことと悪いことがあんねや。それぐらい覚えて出て来い!」とCM中に叱責される。しかし、横山やすしには「気に入った!飲みに行こ!」と気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。
1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。形態模写の芸が司会の桂三枝(現・六代桂文枝)の目に留まり、レギュラー出演を果たす。「チャッピー」と名付けられ、三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9か月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』で初の司会役に抜擢。フジテレビ系の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。
1980年代[編集]
1985年、第1回東京国際映画祭において、タモリとともに司会を務める。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。
1985年8月12日、大阪でMBSラジオ『ヤングタウン』レギュラー出演のため伊丹行きの日航機に搭乗予定だったが、直前の仕事である「ひょうきん族」の収録が早めに終わり、一便早い全日空の便に振り替えたため、日本航空123便墜落事故を逃れた。
1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。
1990年代[編集]
1990年代前半には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇、5年連続して1位だったNHKの『好きなタレント調査』でトップ陥落するなど一時的に人気に陰りが見えたこともあった[出典 23]が、95年には6年ぶりに1位を記録、1998年以降は再び5年連続して1位になるなど返り咲いている。
1995年、MBSヤングタウン土曜日1月14日放送分のエンディングにて、放送区域である関西地区の聴取者に向けて、地震の際の心構えと対処の方法を講義した。これは当時さんまが関東で頻繁に地震に遭遇していたことを受けてのものだったが、この3日後には阪神・淡路大震災が発生しており、先んじて注意を促す結果となった。
1995年9月29日、11年半レギュラーだったフジテレビ『笑っていいとも!』を突然降板。突然の人気レギュラー出演者の降板について、出演末期の1993年、1994年の同番組のスペシャルに出演していなかったため、当時週刊誌ではスタッフとの確執説が囁かれた。村上ショージが1997年に前述するさんまの紹介で出演して、いまいち手応えのなかったことを、後日さんまと共演しているヤングタウンのラジオでつつかれていたが、放送を見ていたさんまが最終的には「ショージ、悲観することない」と言った後「今の『いいとも!』(1997年当時)全曜日おもろない」と、『いいとも!』全般を批判した。『いいとも!』降板の真相はヤングタウンや、エフエム東京(TOKYO FM)で当時担当していたG1グルーパー等のラジオ番組で語られている。
1996年、フジテレビの人気刑事ドラマ『古畑任三郎』シーズン2の初回スペシャルに犯人役でゲスト出演。古畑の部下である今泉巡査の知り合いでやり手の弁護士・小清水潔を演じる。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷モノが好きな三谷は快諾し脚本を書くが、あまりにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。しかし、その直後に田村自身が「古畑任三郎」の中では初めてとなるNGを出してしまい、さんまが「あんた、これ貸しな。これでおあいこや。」と田村に発言した。スタッフ一同は凍りついたが無事に撮影は終了、さんまは今泉役の西村雅彦に別室に呼び出され、「さんまちゃん。あれはダメなの」と叱られたという。そういったこともあり、さんまは撮影後、「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたと言われているが、後にゲスト出演したイチローがさんまが出演した回が好きだと語っているように古畑ファンからの人気は高い作品となっている。
1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。
2000年代前半[編集]
2000年7月7日、TBSのスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。
- 2001年
『FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー『クイズ$ミリオネア』に出演し、9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をかけた[4]。『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。
- 2002年
阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。巨人ファンであるさんまであったが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した[5]。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送・テレビ朝日系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した。この特番の関西地区での視聴率は33.4%と高かった。
ドラマ『空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたことがきっかけで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAPの中居正広『さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉『さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。
2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国対ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。これについて韓国サイドからは批判の声があがった。さんまは後に「ドイツ代表が好きだから、ユニホームを着てただけなのに」と語っている。
- 2004年
『さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあった。
韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日 - 25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAPの中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。
この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応えるかたちで出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)。
- 2005年
50歳の誕生日記念番組として、「明石家さんまつり」を生放送。フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。
2000年代後半[編集]
- 2006年
石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露される。
- 2007年
6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説もあり話題となった。6月13日放送の明石家さんちゃんねるで次長課長の河本がビリーズブートキャンプを紹介するが、さんまは一蹴するも、後日「明石家さんちゃんねる」2007年6月27日放送でビリー・ブランクス本人がスタジオ外のロビーで共演、さんまはさとうきび畑の唄の旧日本軍の軍服姿でビリーに最後まで抵抗、ビリーもさんまを挑発していた[出典 24]。
12月16日TBSにて放映していた自身の主演ドラマ「ハタチの恋人」の最終回が終わる頃を見計らい、FIFAクラブワールドカップの総集編に出演。ゲストとして出演したACミランの選手を指差し、ウェアを脱がそうと大はしゃぎし、非難を浴びた。
- 2008年
7月26日から27日にかけて、FNS27時間テレビ『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』の総合司会を担当。さんまによると、総合演出を務める三宅恵介から「さんまさん、僕来年定年なんですよ」と言う一言で口説かれたという(しかし番組の最後で、定年が2年延びたと言われた)。
- 11月16日 NGKにて『笑福亭松之助芸能生活60周年記念 よしもとの天然記念物保護の会』の会にゲスト出演。久しぶりに高座着姿を披露。松之助とトーク対談。
- 2009年
- 愛娘のIMALUが芸能界デビュー。当初は猛反対しており、反対を押し切ってのデビューであった。「芸人の嫁には、絶対させん」と言い切っており、芸人側も「明石家さんまがついてくる」と交際は厳禁するように言われている。
- 8月6日放送分のテレビ朝日系『アメトーーク!』に、雨上がり決死隊の結成20周年企画のサプライズゲストとして出演。当初、さんまのテレビ朝日系の番組出演は14年ぶりと報道されたが[出典 25]、実際には1999年4月16日放送の『ミュージックステーション』の生放送にゲスト出演している[出典 26]。この回の『アメトーーク!』はさんまが司会、雨上がりの2人がゲストとして雨上がり決死隊が歩んできた20年の歴史を振り返る企画が放送されたが、さんまが何度もトークを本題から脱線させるため、全てを振り返ることができなかった。
- 11月17日放送分の『踊る!さんま御殿!!』に東京03が出演。この時、同番組司会のさんまは、10月3日に放送されたTBS『オールスター感謝祭』で総合司会の島田紳助が「本番前に挨拶に来なかったから」と解答者の東京03に暴行した話題に触れ、東京03は「(出演者の人数が多いのであいさつに行くのは逆に失礼だと思い)本番前に挨拶に行かなかったため」と弁明。さんまは東京03の気遣いを紳助が誤解していた部分もあったとして、「互いに誤解して起きたことだから、仕方ない」とフォローした。
2010年代前半[編集]
- 2010年
- 正月番組として、痛快!明石家電視台が東京でも約10年ぶりに放送された。
- 10月9日、約15年ぶりとなるテレビ朝日制作の冠番組の特番「もしもさんまさんだったら…?」が放送。
- 10月9日、『めちゃ×2イケてるッ!』の「新メンバーオーディション」に参加。この出演は審査員であるオリジナルメンバーや他のオーディション参加者には極秘で行われ、他の若手芸人たちに混じりパーデンネンに扮して登場した(結果は当然不合格)。
- 2011年
- 7月2日、千原ジュニアをゲストに迎えた『さんまのまんま』にて、「いつ(お笑い芸人を)辞めるって決めてるんですか?」と質問されたさんまは「60歳くらいでと思てるよ、テレビはね」と答え、明石家さんまが60歳でテレビ引退を表明したとして話題となった。同番組ではゲスト出演や舞台は続けていきたいとも語っている。
- 8月27日、同期で親友の島田紳助が暴力団関係者との不適切交際を理由に8月23日付けで芸能界を引退したことについて、『MBSヤングタウン』にて「帰ってきたっていい」「僕も何度も辞めようと思った」とコメントした。
- 2012年
- 7月21日、フジテレビ系列で生放送された『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』の深夜のコーナー「さんま・中居の今夜も眠れない2012」で、さんまとタモリ、ビートたけしの共演が実現し、“お笑いBIG3”が揃い踏みとなった。BIG3のテレビ上での共演は1999年の『タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ』以来13年ぶり、『27時間テレビ(FNSの日)』での共演は1996年以来16年ぶりとなった。この時、恒例企画である「さんまのラブメイト10 2012」の発表途中であったがBIG3の共演に話が盛り上がり過ぎたため、ランキングは7位までしか発表されなかったが、ランキングの続きは、11月5日放送の『SMAP×SMAP』の「ビストロSMAP」にさんまがゲスト出演した際に発表された。
- 11月30日、「いい(11月)さんま(30日)」の語呂合わせで、『笑っていいとも!』の生放送にゲスト出演。出演は2009年7月24日の「テレフォンショッキング」のテレフォンゲスト以来3年ぶり、テレフォンゲスト以外での出演は1995年9月29日のレギュラー卒業以来17年ぶりとなった。この日は、レギュラー時代の人気コーナー「タモリ・さんまの日本一の最低男」を1日限りで復活させ、「テレフォンショッキング」の15分を除く全ての時間と生放送終了後のトークにも出演した。
- 2013年
- 2月1日、NHKと日本テレビがテレビ放送開始60周年を記念して共同制作した大型特別番組『60番勝負』の第1夜に、日本テレビの土屋敏男からのオファーを受け出演。さんまのNHK出演自体は、1985年の連続テレビ小説『澪つくし』以来28年ぶりという触れ込みだが、実際には1999年に友人の中村勘三郎(当時は中村勘九郎)が主演した大河ドラマ『元禄撩乱』に笑福亭鶴瓶とともにゲスト出演しているため、14年ぶりが正しい。NHK制作のバラエティ番組への出演は『クイズ面白ゼミナール』の1983年2月27日放送分以来、実に30年ぶりであったと本人は自覚しているがその後も同番組に数回出演している。[出典 27]。深夜の生放送にも関わらずサプライズゲストとして登場したさんまは、『面白ゼミナール』で欠伸をしたために批判の投書が殺到したエピソードと、「NHK紅白歌合戦の司会をする」という夢を語った。
- 4月20日、桂雀々の芸能生活35周年記念の独演会にゲスト出演。高座着姿を披露。
評価[編集]
NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回(1985年 - 1989年、1995年、1998年 - 2003年)で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている[出典 28]。1999年に「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。
JNNデータバンク調べによる好感度タレントの支持率調査では、1987年10月に支持率41.3%、1999年5月に支持率43.1%を記録。これは同調査において1980年代・1990年代共に第1位の記録。また、1999年5月の支持率43.1%は、1971年〜1999年においても第1位の記録である[出典 29]。
『日経エンタテインメント!』の「好きな芸人」ランキングでは、初回の2002年から10年連続で1位を獲得している。
ビートたけしが著書『コマネチ!』ISBN 9784101225500(頁未確認)の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。
お笑い評論家・西条昇を始め、戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在のさんまの共通点を指摘する論者は少なくない[出典 30]。
- どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍である。
- どちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ・花菱アチャコ・柳家三亀松・川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。
- どちらもお笑い界ビッグ3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一・古川ロッパと共にビッグ3と言われた。さんまもタモリ・ビートたけしと共にビッグ3と称される。
- どちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一・古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、近年の若手お笑いブームもものともせず、長期にわたってお笑い界トップの座に君臨し続けている。
受賞歴[編集]
- 1982年 第2回花王名人大賞 新人賞
- 1982年 第10回日本放送演芸大賞 ホープ賞
- 1983年 第11回日本放送演芸大賞 奨励賞
- 1985年 第13回日本放送演芸大賞 優秀賞
- 1985年 第5回花王名人大賞 大衆賞
- 1985年 第23回ゴールデンアロー賞 芸能賞
- 1986年 第14回日本放送演芸大賞 特別賞
- 1987年 第15回日本放送演芸大賞 大賞
演じた俳優[編集]
現在の出演番組[編集]
レギュラー番組[編集]
- さんまのSUPERからくりTV(TBS系列 / 日曜日 19:00 - 19:57)
- 痛快!明石家電視台(毎日放送 / 月曜日 23:55 - 24:55)
- 踊る!さんま御殿!!(日本テレビ系列 / 火曜日 19:56 - 20:54)
- ホンマでっか!?TV(フジテレビ系列 / 水曜日 21:00 - 21:54)
- さんまのまんま(関西テレビ制作・フジテレビ系列 / 土曜日 13:56 - 14:25(関西テレビ)、土曜日 12:00 - 12:30(フジテレビ))
- サタデー・ナイト・ライブ JPN(フジテレビNEXT(CS) / 月1回・土曜日 21:00 - 22:30)
- MBSヤングタウン土曜日「さんまのヤンタン」(MBSラジオ / 土曜日 22:00 - 23:30)
単発・不定期番組[編集]
- FNS27時間テレビ(「さんま・中居の今夜も眠れない」、「ホンマでっか!? TV」などのコーナーに出演。1987年の第1回から全てに出演している唯一の人物であり、1987年・1989年・2008年は総合司会を担当 / フジテレビ系列)
- 明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー(1990年 - 、毎年末クリスマスの時期に放送 / フジテレビ系列)
- ライオンのごきげんよう(1992年12月からゲスト出演 - 、12月24日放送時だけ「明石家サンタ」と名前が変わる / フジテレビ系列/最短トーク記録保持者)
- さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル(1995年 - 、年始放送 / TBS系列)
- さんま&SMAP!美女と野獣のクリスマススペシャル(1995年 - 、年末放送 / 日本テレビ系列)
- さんタク(2003年 - 、年末年始放送 / フジテレビ系列)
- すぽると!(プロ野球オフシーズンのみ / フジテレビ系列)
- 1億人の大質問!?笑ってコラえて!(2004年 - 、年末年始特番 / 出演者は所ジョージとさんまのみ / 日本テレビ系列)
- さんま&所の大河バラエティ!超近現代史!人間は相変わらずアホか!?(2007年 - 、不定期特番 / 日本テレビ系列)
- さんま&くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ(2008年 - 、不定期特番 / フジテレビ系列)
- 所&さんまの世の中を動かしているのは誰だ会議(2011年 - 、不定期特番 / 日本テレビ系列)
- さんまの芸能界ワイドショー家族NO.1決定戦(2011年 - 、不定期特番 / 朝日放送制作・テレビ朝日系列)
- 史上最大の大忘年会!さんまの全日本宴会芸コンテスト(2011年 - 、 年末年始特番 / フジテレビ系列)
- さんまのホントの恋のかま騒ぎ(2011年 - 、不定期特番 / TBS系列)
- 明石家さんまのずっとあなたが好きだった!(2011年 - 、不定期特番 / TBS系列)
- さんま&岡村のプレミアムトークショー 笑う!大宇宙スペシャル!! → さんま岡村の日本人なら選びたくなる二択ベスト50!SP!(2011年・2012年 - 、不定期特番 / 日本テレビ系列)
- 行列のできる法律相談所 2時間スペシャル(2時間SPで司会を務める(1回目は1時間延長) / 日本テレビ系列)
過去の出演番組[編集]
特記のないものは日本テレビ製作
- 新婚さん!目方でドン
- やすきよの腕だめし運だめし(よみうりテレビ)
- さんま・一機のイッチョカミでやんす
- ん?!さんま
- 明石家出版
- タモリ&さんまの爆笑タッグマッチ(1987年 - 1992年放送)
- Merry X'mas Show(1986年・1987年)
- 世界まる見え!テレビ特捜部(スペシャルのみ。初期に出演)
- クイズ春満開(秋本番・年末は)SHOW by ショーバイ!!(1990年末 - 1994年春)
- 1990年末の『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』のスペシャルから1994年春までスペシャルのみに参加1993年秋・年末のスペシャルは渡辺正行が店長代理を務めたため、大番頭代理を務めている。1992年春は都合上出演できなかったため、スペシャル恒例クイズの「世界の先生早押しクイズ(一般には世界のアナウンサー早押しクイズ)」の中でサンマ帝国、アカシヤ共和国、デッパー共和国の教師に扮装して登場。「さんまさんはどこに出演したでしょうか?」という視聴者クイズにもなった。
- たけし&さんまの世紀末特別番組・世界超偉人伝説!!
- さんま・所のオシャベリの殿堂
- 20年大河バラエティ!目からウロコ…1986年バブル経済から2007年超近現代史さんま&所が解明!?人間は相変わらずアホか?(2007年4月30日放送)
- HAPPY Xmas SHOW (2003年、2004年)
- 明石家さんまに聞きたかったのはそういうコトだったのねスペシャル(2008年11月28日)
- 恋のから騒ぎ(1994年 - 2011年)
- Going!Sports&News(2011年12月4日、ゲスト出演)
- 行列のできる法律相談所(2012年1月15日・1月22日放送分の代理司会を担当)
- 大阪ほんわかテレビ(2013年3月17日)(よみうりテレビ)
特記のないものはTBS製作
- 男女7人夏物語 評判編 生放送だよ!さんちゃん・しーちゃんのなんでもトーク
- 明石家さんまつり(2005年7月1日放送)
- 明石家さんま特番〜白洲次郎に会いに行く(2006年7月19日放送)
- 熱戦!歌謡ダービー
- 遊びすぎじゃないの!?
- おかしや?さんま!
- 明石家さんちゃんねる
- ヤングおー!おー!(毎日放送)
- 明石家多国籍軍(毎日放送)
- ジャングルTV〜タモリの法則〜(毎日放送)
- さんまのからくりTV
- さんま&EXILE!史上最大の忘年会(2009年 、不定期特番)
特記のないものはフジテレビ製作
- 笑ってる場合ですよ!
- クイズ漫才グランプリ
- 森田一義アワー 笑っていいとも!(1984年4月 - 1995年9月、金曜日レギュラー)
- 笑っていいとも!増刊号
- 笑っていいとも!特大号(当時レギュラー出演していた「森田一義アワー 笑っていいとも!」の年末特番・1984年 - 1992年の12月末。翌年1993年・1994年にも『いいとも!』に出演していたが、『特大号』は、1992年をもって降板)
- オレたちひょうきん族
- なるほど!ザ・ワールド(高田みづえや工藤夕貴と解答者をつとめる)
- テレビくん、どうも!(本名の杉本高文名義で出演)
- 明石家マンション物語
- 明石家ウケんねん物語
- さんまnoひろバァー
- 「あっぱれさんま」シリーズ(1988年 - 2009年)
- 生さんま みんなでイイ気持ち!
- 旅館ゴルフでウァオウァオ!
- お台場明石城
- タモリ・たけし・さんまBIG3 世紀のゴルフマッチ(1988年 - 1999年の正月)
- さんまのテレビの裏側全部見せます
- さんま・一機のその地方でしか見られない面白そうな番組を全国のみんなで楽しく見ちゃおうとする番組(1985 - 1989年放送)
- FNS番組対抗!なるほど!ザ・春秋の祭典スペシャル
- おれたちひょうきん族チームとして出場
- あっぱれさんま大先生チームとして出場(1992年春・1994年秋)
- 明石家マンション物語のクイズ出題と番宣をかねて出演
- FNS大感謝祭(1991年 - 1994年放送)
- 明石家さんまのスポーツするぞ!大放送(1993年 - 1997年放送)
- たけし・さんまの有名人の集まる店
- ものまね王座決定戦(一時研ナオコと司会をつとめた。出場者としての経験あり)
- さんま・鶴瓶のめざまし調査隊スペシャル
- 初詣!爆笑ヒットパレード(番組は現在も継続、一時期ビートたけし、笑福亭鶴瓶らと共に司会を担当)
- FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島(1987年 - 1990年)→1億2000万人のテレビ夢列島91’→FNSの日(1992年 - 1996年)→FNS27時間テレビ(1997年 - ):全ての回に芸能人で唯一出演、'87、'89、'95、'96、'08は総合司会として参加
- フジテレビの日888まつり〜祭りだワッショイ〜(FNSの特番で平成8年8月8日に放送された。)
- さんまの天国と地獄(2002年5月19日放送終了)
- うまッチ!(フジテレビ 「さんま馬主プロジェクト」時に不定期で)
- さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中(年1回のみ放送)
- 明石家さんまのフジテレビ大反省会
- 誰がカバやねんロックンロールショー(関西テレビ)
- 紳竜・さんまのスクープ一直線(関西テレビ)
- さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース(2005年 - 2009年)
- SMAP×SMAP(「BISTRO SMAP」ゲスト出演ほか、2011年11月7日)
- サタデー・ナイト・ライブ JPN(2011年6月4日 - 2011年12月24日、月1回・土曜 23:10 - 23:55)
- さんま・清の夢競馬(年1回のみ、現在は「サタうま!」の延長上特番 / 関西テレビ)
- さんまの笑顔映像グランプリ(2008年 - 2009年、不定期特番)
- さんま・ジュニアのまさかのさんマネ〜!(2011年 - 、不定期特番 / 関西テレビ)
- 広告大賞(1991年 - 2011年)
特記のないものはテレビ朝日製作
- 笑って祝って5時間半(朝日放送、1979年1月15日) - 番組内で月亭八方と漫才を披露した。
- 新婚さんいらっしゃい!(朝日放送) - 桂三枝の代理の司会(片平なぎさと共演)
- Do-Up歌謡テレビ(1984年 - 1985年)
- 生だ!さんまのヒットマッチ(1985年)
- 花の駐在さん(1985年 - 1986年。後にさんまの駐在さんに改題。ABCテレビ)
- さんまのゴメンねわがままで(1986年4月 - 9月)
- さんまのナンでもダービー(1993年 - 1995年)
- 史上最強TVショップ(株)明石家ジャパン(朝日放送、2005年10月21日放送)
- 明石家くりぃむランド(朝日放送、2006年7月)
- さんま&マッキーの世界で一つだけの歌(朝日放送、2008年3月16日)
- もしもさんまさんだったら…? (2010年10月9日)
- さんまの世界に一つだけの歌(2008年 - 、不定期特番 / 朝日放送制作・テレビ朝日系列)
特記のないものはテレビ東京製作
- サタデーナイトショー
- おもしろプレヌーン
- たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜(テレビ大阪、2013年4月) - VTR出演、たかじんとの思い出を語った。
- 母の償い「第1話」(1978年、TBS)※ドラマ初出演
- 大喜劇!忠臣蔵(1980年1月1日、MBS)
- 恋のかけら-大阪物語-(1980年3月9日、KTV)
- ゆるしません!「第1・2話」(1980年10月2・7日、KTV)- 吉田(刑事) 役
- 天皇の料理番(1980年10月19日 - 1982年3月22日、TBS)- 平野(山本)辰吉 役
- おやじの台所「第5・6・8話」(1981年9月3・10・24日、NTV)- 鬼丸(民話作家) 役
- ひまわりの歌「第15話」(1981年、TBS)
- 五辮の椿(1981年4月2日、YTV、木曜ゴールデンドラマ)
- 裸の大将放浪記・第5作(1981年5月3日、KTV、花王名人劇場)
- シャネルズ・さんまの笑タイム(1982年9月5日、日曜お楽しみ劇場)
- どきどき婦警さん1(1983年9月26日、フジテレビ、月曜ドラマランド)
- 新・女捜査官 「第7話 刑事の初恋は夫殺しの美女! 」(1983年、ABC)
- のんき君1(1983年12月12日、フジテレビ、月曜ドラマランド)主演
- のんき君2(1984年4月9日)
- のんき君3(1984年10月4日)
- やすきよの御用だ!まかせなさい(1984年1月4日、ABC)
- 風の中のあいつ(1984年5月12日 - 9月29日、NTV、【共演:渡辺徹・榊原郁恵】)
- 離婚テキレイ期(1984年10月9日 - 12月25日、TBS)
- 心はロンリー気持ちは「…」シリーズ(1984年 - 2003年、フジテレビ系、【演出:三宅恵介、脚本:君塚良一で1984年から続く2時間ドラマ仕立てのコントシリーズ】)主演
- 心はロンリー気持ちは「…」1(1984年12月17日、月曜ドラマランド)主演
- 心はロンリー気持ちは「…」2(1985年7月15日、月曜ドラマランド) - 主演・順平 役
- 心はロンリー気持ちは「…」3(1986年2月21日、金曜おもしろバラエティ)
- 心はロンリー気持ちは「…」4(1986年9月26日、木曜ドラマストリート)
- 心はロンリー気持ちは「…」5(1987年3月20日、木曜ドラマストリート)
- 心はロンリー気持ちは「…」6(1987年10月2日、ザ・ドラマチックナイト)
- 心はロンリー気持ちは「…」7(1988年5月13日、男と女のミステリー)
- 心はロンリー気持ちは「…」8(1989年3月3日、男と女のミステリー)
- 心はロンリー気持ちは「…」9(1989年11月24日、男と女のミステリー)
- 心はロンリー気持ちは「…」10 南の国から'97 (1997年8月29日、金曜エンタテイメント)
- 心はロンリー気持ちは「…」11 京都湯けむり旅情 OLグルメ三人旅 謎の密室殺人事件!(2003年、金曜エンタテイメント) - 証券会社をリストラされた功二 役
- 澪つくし(1985年4月1日 - 10月5日、NHK、NHK朝の連続テレビ小説、【主演:沢口靖子】)- ラッパの弥太郎 役
- 花の女子校 聖カトレア学園(1985年4月10日 - 10月2日、TX)
- 気になるあいつ (1985年8月3日 - 12月28日、NTV、【共演:渡辺徹・榊原郁恵】)
- 好色一代男 世之介の愛して愛して物語(1986年1月1日、TBS) - 世之介 役
- 春風一番!(1986年1月11日 - 3月29日、NTV)
- 男女7人夏物語(1986年7月25日 - 9月26日、TBS、【共演:大竹しのぶ(後に妻となり離婚する)】)- 主演・今井良介 役
- 男女7人夏物語 評判編 生放送だよ!さんちゃん・しーちゃんのなんでもトーク(1987年4月3日)
- 男女7人秋物語(1987年10月9日 - 12月18日)
- 男女7人秋物語 評判編 さんちゃんしーちゃんなんでもトーク!7人再会!!(1988年4月4日)
- アナウンサーぷっつん物語(1987年、CX)
- アナウンサーぷっつん物語スペシャル(1987年10月1日、CX)
- さんまの花ムコ見習い試験(1987年4月1日、TBS、水曜ドラマスペシャル)
- オバの魔法使い(1987年8月10日、CX、ライオンスペシャル、夏休み妖怪バラエティ) - オバの魔法使い
- 善化者〜さんまのホンじゃたのンます〜(1988年1月1日、CX、新春スペシャル、※3話オムニバス形式)
- 子連れ家政婦アッコさん(1988年3月25日、CX)
- 明石第三小隊物語・男の約束(1988年4月2日、CX、春のひょうきんスペシャル)
- 明石家さんま殺人事件(1989年9月29日、CX、男と女のミステリー)- 明石家さんま(本人)役
- 特別企画 さんまの「おれは裸だ」(1988年10月10日、YTV、木曜ゴールデンドラマ) - 大和菊夫(画廊の営業マン)役
- 風よ、鈴鹿へ(1988年11月5日、TBS、【原作:島田紳助】)※友情出演
- さんまのほんじゃたのんます(1988年11月25日、CX)
- ナオコ、さんまの結婚式ララバイ(1989年5月23日、ABC、火曜スーパーワイド)
- 世にも奇妙な物語(1991年 - 、CX)
- 91'春の特別編 「偶然やろ?」(1991年、【原案も担当】)
- 「スローモーション」(1992年)
- ずっとあなたが好きだった「第5話」(1992年、TBS)
- ふんだりけったり(1992年4月16日、YTV、ドラマシティ'92)主演
- ユーミン・ドラマブックス「ノーサイド」(1992年10月11日、TBS、秋のドラマスペシャル)
- 天下を獲った男・豊臣秀吉(1993年1月1日、TBS、新春大型時代劇スペシャル)
- 極道落ちこぼれシリーズ(1993年 - 1994年、TBS、春のドラマスペシャル、【W主演:柳葉敏郎】)- 主演・高柳喜八 役
- 極道落ちこぼれ1 カタギになりたい!(1993年4月3日)
- 極道落ちこぼれ2 駆けおちしました!?(1994年4月8日)
- 恋も2度目なら(1995年1月11日 - 3月15日、NTV、【共演:葉月里緒奈、佐藤浩市】)- 主演・三上耕介 役
- 恋も2度目ならスペシャル あのバツイチコンビ復活!(1995年10月11日)
- 古畑任三郎 第2シーズン「第1話 しゃべりすぎた男」(1996年1月10日、CX、【主演:田村正和】) - 犯人・小清水潔 役
- その気になるまで(1996年4月7日 - 6月30日、TBS、東芝日曜劇場、【共演:赤井英和】)- 主演・田口 賢一 役
- 恋のバカンス(1997年1月8日 - 3月12日、NTV、【共演:鈴木杏樹】)- 主演・黛勘九郎 役
- 恋のバカンススペシャル(1997年10月1日)
- ガラスの靴(1997年、NTV)
- 星に願いを(1998年4月1日、NTV、明石家さんまドラマSP) - ゼネコン会社の営業副部長・龍太 役
- 元禄繚乱「第13話 誘拐」(1999年、NHK、NHK大河ドラマ) - 笹屋の主人・清右衛門 役
- 世界で一番パパが好き(1998年7月8日 - 9月23日、CX、【共演:広末涼子】)- 主演・岡田善三 役
- 甘い生活。(1999年7月7日 - 9月22日、NTV、【共演:内田有紀】)- 主演・鵜飼力丸 役
- 七人ぐらいの兵士 全4回(2000年、NTV) - 主演・水嶋兵吉
- 真夏のクリスマス「限りある命の恋人に、さんまが贈る最後のクリスマスプレゼント」(2000年10月9日、TBS、ドラマ特別企画、【共演:浅野ゆう子】) - 長谷川大吉(姫路出身) 役
- 空から降る一億の星(2002年4月15日 - 6月24日、CX、【W主演:木村拓哉】)- 主演・堂島完三 役
- いつもふたりで 「第11話(最終話) ファースト・キス」(2003年3月17日、CX)※友情出演
- さとうきび畑の唄(2003年9月28日、TBS系、太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にした反戦ドラマ、※2003年度芸術祭大賞受賞作品)- 主演・平山幸一 役
- THE WAVE!(2005年7月23日・24日、CX、フジテレビFNS25時間テレビドラマ、【W主演:内村光良】)主演
- 和田アキ子殺人事件(2007年2月12日、TBS系、月曜ゴールデン)- 明石家さんま(本人)役
- ハタチの恋人(2007年10月14日 - 12月16日、TBS、日曜劇場、【W主演:長澤まさみ】)- 主演・井上圭祐 役
- サントリー出前寄席(ラジオ大阪)
- 明石家さんまのオールナイトニッポン(ニッポン放送)
- ポップ対歌謡曲(朝日放送・共演は上岡龍太郎、島田紳助)
- 明石家さんまのラジオが来たゾ!東京めぐりブンブン大放送(ニッポン放送)
- SUPER ME HER さんまのアイドルまるかじり(NRN基幹局ネット)
- ロッテヤンスタNo1
- 明石家さんまのおしゃべりツバメ返し(TBSラジオ、JRN系)
- G1 Grouper月曜(TOKYO FM、JFN系)
- MBSヤングタウン(毎日放送)
- 1979.4 - 1979.12 土曜日(この時期は桂三枝がメインで、さんまは一レギュラーとして出演)
- 1979.12 - 1982.3 土曜日(ここからメインパーソナリティ)
- 1982.4 - 1989.9 月曜日
- 1991.10 - 1992.9 日曜日(「ヤンタンスペシャルサンデー 明石家さんまのなんでもこい!」)
- 1992.10 - 土曜日(現行)
映画[編集]
- マンザイ太閤記(1981年)
- 次郎長青春篇 つっぱり清水港(1982年)
- 唐獅子株式会社(1983年、東映)
- パンツの穴 花柄畑でインプット(1985年、東映)
- 必殺! ブラウン館の怪物たち(1985年、松竹) ‐ 沖田総司 役
- 19 ナインティーン(1987年8月1日公開、東宝) - 明石家さんま(本人)役
- ゴルフ夜明け前(1987年12月5日公開、東宝) - 写真師 役
- いこかもどろか(1988年、東宝、【W主演:大竹しのぶ】)
- 夢の祭り(1989年)
- 丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年、松竹)
- どっちもどっち(1990年11月1日公開、東宝、【W主演:松田聖子】) - 主演・村田正道 役
- ファンキー・モンキー・ティーチャー(1991年)
- とられてたまるか!?(1994年6月4日公開、東宝、【W主演:武田鉄矢】) - 主演・泥棒 役
- まむしの兄弟(1997年)
- みんなのいえ(2001年6月9日公開、東宝) - 堀ノ内のアシスタントスタッフ 役
CM[編集]
- ぼんち 「ぼんち揚げ」「かるやき」
- アキレス「フラッシュパル ネピカ」
- ムトウ 「ムトウのランドセル」
- チロルチョコ
- 大阪ガス
- コーミ
- カルピス
- ライオン ルック(淡谷のり子と共演)
- 大日本除虫菊
- 日立製作所EXCITING29(テレビ)(小堺一機と共演)
- アキレス
- スズキ 「Hi PERSON 'S」(1985年)「Hi Walter Wolf」(1986年)
- 東洋水産 「焼そばバゴォーン」「ワンタン麺」「わかめラーメン」
- サントリー 生ビール
- ミスタードーナツ
- ビクター音楽産業
- 興和 新コルゲンコーワ
- キッコーマン ぽん酢しょうゆ(1986年 - 1987年)、丸大豆しょうゆ(2009年 -)※2010年3月から広末涼子とフジテレビ系ドラマ『世界で一番パパが好き』以来約12年ぶりに共演。
- 日本航空
- カルビー かっぱえびせん(1991年)※ジミー大西と共演。
- 資生堂 スーパーマイルドシャンプー ※吹石一恵と共演。
- ネスレ日本 「ブラック」「サンタマルタ」「モンテアルバン」(1993年 - 1999年)※この他マライア・キャリーと共演したCMもある。北島三郎、さとう珠緒とも共演。
- 日本テレコム
- 日本中央競馬会 (2003年 - 2004年)
- WOWOW※福山雅治と漫才コンビを組んで出演。
- 日本コカ・コーラ
- トヨタ自動車「カローラアクシオ」(2006年10月 - 2007年3月)※浅田美代子と共演。
- 任天堂 Wii ※松岡修造と共演。(2007年)
- 任天堂 Wii Sports
- コカ・コーラ ジョージア (2009年)
- レナウン「CHARGE」
- 塩野義製薬「セデスファースト」(2010年-)
- GREE「釣り☆スタ!」(2012年-)※武井咲と競演。
- 麒麟麦酒「キリン濃い味デラックス」「キリン濃い味<糖質0>」(2013年-)※「 - <糖質0>」は内山信二と共演。
舞台[編集]
- 秘密の二人(1991年)
- 明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ
- 七人ぐらいの兵士(2000年 - 2001年)- 生瀬勝久と共主演
- JOKER
- 小鹿物語
- メルシィ!僕ぅ?(2007年 脚本:白川ヒロ 演出:渡邉光男)
- ワルシャワの鼻(2009年)
- PRESS 〜プレス〜(2012年)
ゲームソフト[編集]
- さんまの名探偵(1987年、ナムコ / ファミリーコンピュータ用)
著書[編集]
- ビッグな気分―いくつもの夜を超えて(1980年8月、集英社)
- スターのお部屋拝見―人気者のプライバシーを侵害(角川文庫)(1981年6月、角川書店)ISBN 978-4044218010
- こんな男でよかったら(1984年10月、ニッポン放送出版)ISBN 978-4893530219
- リリが見たやさしい虹(1991年4月、角川書店)ISBN 978-4048726405
- 編集
- さんまのまんま(1986年2月、CBS・ソニー出版)ISBN 978-4789702256
- 続・さんまのまんま(1986年6月、CBS・ソニー出版)ISBN 978-4789702386
- さんまのまんま(続々)(1986年10月、CBS・ソニー出版、写真:渡辺克巳)ISBN 978-4789702508
- さんまのまんま〈スペシャル 4〉(1987年2月、CBS・ソニー出版)ISBN 978-4789702591
- 共著
- 本人vol.11(2009年9月11日、太田出版)ISBN 978-4778311926
代表曲[編集]
豪華な作家陣を揃えた楽曲が数多い。また、1986 - 1988年に発売した曲が多いが、これらの多くはさんまが主演の単発ギャグドラマ『心はロンリー気持ちは「…」』の主題歌として作られた曲。
- 1979年 Mr.アンダースロー(「魅せられて」「大都会」はこのころのアルバム収録曲)
- 1981年 いくつもの夜を超えて
- 1982年 いけないお化粧マジック(島田紳助と)
- 1983年 アミダばばあの唄(作詞・作曲・コーラス:桑田佳祐)
- 1984年 ビックリ箱のうた(作詞・作曲:松山千春)
- 1986年 シングル・ベッド(カップリングは飛鳥涼作詞作曲の「TEKU TEKU」、作詞:澤地隆、作曲:CHAGE、シャ乱Qの曲とは同名異曲)
- 1986年 しあわせって何だっけ(キッコーマンCM曲、作詞:関口菊日出、補作詞:伊藤アキラ、作曲:高橋千佳子)
- 1986年 世渡り上手(作詞・作曲:関口和之)
- 1987年 真赤なウソ(作詞・作曲:高見沢俊彦、コーラス:高井麻巳子、高見沢俊彦による信号機3部作の第1作)
- 1987年 サンキュー(作詞・作曲:甲斐よしひろ)
- 1988年 蒼いタメイキ(作詞・作曲:高見沢俊彦、高見沢俊彦による信号機3部作の第2作)
- 1988年 Yellow Sunshine(作詞・作曲:高見沢俊彦、高見沢俊彦による信号機3部作の最終作)
- 1988年 あっぱれさんま大先生(カップリングは大竹しのぶ(4chan)が歌う「ボク知ってるヨ」、作詞:3chanとみんな、作曲:小六禮次郎)
- 1999年 明石家さんまさんに聞いてみないとネ(「明石家さんま&所ジョージ・ゲスト工藤静香」名義、作詞・作曲:所ジョージ)
- 2009年 笑顔のまんま(『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』で制作、作詞・作曲:BEGIN)
- 2013年 ありがとう(FUNKY MONKEY BABYSの楽曲、ジャケット・PVの出演)
関連人物[編集]
- 笑福亭松之助 - 師匠
- 明石家のんき - 同門(師匠の息子)
- 五所の家小禄 - 元同門
- 島田紳助 - 同期
- オール巨人 - 同期
- 桂小枝 - 同期
- 大竹しのぶ - 元夫人
- IMALU - 長女
- 山本梓 - 遠戚関係
- ビッグ3
関連項目[編集]
脚注・出典[編集]
- ^ 弟子を取らない方針で知られているさんまが、かつて「内山が唯一の弟子かもな」とテレビで発言したこともある。
- ^ a b c W杯、タレントコメンテーターの実力(ZAKZAK、2002年6月18日)
- ^ 望月三起也のミイラ・群談(ハマスポどっとコム、2007年4月7日)
- ^ “明石家さんまがメッシに「間抜け」な質問 日テレのインタビューが海外でも「酷評」”. J-CASTニュース. (2011年12月19日) 2011年12月21日閲覧。
- ^ バルサ・メッシ、明石家さんまにキレた!場違い質問の波紋(ZAKZAK、2011年12月19日)
- ^ メッシあわやぶち切れ!? テレビの失礼な質問に(J-CASTニュース、2011年12月19日)
- ^ a b La entrevista más extraña jamás vista a Leo Messi(SPORT.es、2011年12月19日)
- ^ a b La entrevista más surrealista a la que se ha enfrentado Messi(MARCA.com、2011年12月19日)
- ^ a b Una insólita entrevista a Messi en Japón(Clarin.com、2011年12月19日)
- ^ 世界の“笑い者”になった明石家さんま(ZAKZAK、2011年12月23日)
- ^ Japanese broadcaster wastes golden opportunity in Lionel Messi interview farce(Goal.com、2011年12月20日)
- ^ Vad är det som händer, Messi?(Sportbladet、2011年12月18日)
- ^ 【エンタがビタミン♪】「もうメッシには会えない」。明石家さんまが心境を語った。(Techinsight、2011年12月26日)
- ^ さんまさん!メッシが「老後」語った!(海外サッカーニュース : nikkansports.com、2011年12月31日)
- ^ 明石家さんま 「マンUに香川は不要」だけじゃないKY発言グセ 「秋田豊に『アゴの話ばかり』で共演NGになっていた」(アサ芸プラス、2012年9月12日 )
- ^ 『女性自身』2007/09/11 34P
- ^ 1996年10月14日、『明石家さんまのG1 Grouper』(エフエム東京)で本人談。
- ^ ブランド名は赤のマールボロ。
- ^ さんま、"泣き上戸"紳助に苦言「24時間TVの司会も狙ってるやろ!」2010年7月25日配信
- ^ 2012年7月21日放送の「FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の団結超特大号!徹夜してもいいかな?」のさんまが出演したスーパーテレフォンショッキング内での超ビンテージVTRより。
- ^ 明石家さんま『こんな男でよかったら』ニッポン放送出版 1984年
- ^ 1998年3月12日大阪読売新聞「[上方放送お笑い史](111)しゃべりの天才 さんま時代」
- ^ 1990年10月13日毎日新聞夕刊「「テレビタレントイメージ」さんまが15位と低迷 ダブル浅野は1、2位」
- ^ ビリー隊長が激怒! さんまギャグ連発 2007年6月27日 スポーツニッポン
- ^ さんま、『アメトーーク!』乱入でテレ朝に14年ぶり出演 オリコンスタイル 2009年7月28日閲覧
- ^ ミュージックステーション 1999年4月16日 テレビ朝日
- ^ 参照[[1]]
- ^ 文研世論調査ファイル 2009年5月8日
- ^ 『オリコン・ウィーク The Ichiban』2001年1月1・8日号(第23巻第1号、通巻1079号)オリコン(現:オリコン・エンタテインメント)、45頁。
- ^ 西条昇・著『ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々』白泉社、2003年の「柳家金語楼」の項参照