明石家さんま

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明石家さんま
笑福亭一門定紋である「五枚笹」
本名: 杉本 高文(すぎもと たかふみ)
ニックネーム: さんちゃん
生年月日: 1955年7月1日(54歳)
出身地: 奈良県奈良市
和歌山県東牟婁郡古座町出生)
血液型: B型(BO型)
身長: 172.5cm
方言: 大阪弁
最終学歴: 奈良県立奈良商業高等学校
師匠: 2代目笑福亭松之助
事務所: 吉本興業東京本社
活動時期: 1974年 - 現在
同期: 島田紳助 オール巨人
現在の代表番組: 踊る!さんま御殿!!
恋のから騒ぎ
さんまのSUPERからくりTV
過去の代表番組: 明石家さんちゃんねる
あっぱれさんま大先生
オレたちひょうきん族
配偶者: 未婚・大竹しのぶ(前妻)
親族: IMALU(実娘)
弟子: 不明
受賞歴
1982年 花王名人大賞 新人賞
・1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞
1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞
1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞
・1985年 花王名人大賞 大衆賞
1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞
・1986年 日本放送演芸大賞 特別賞
1987年 日本放送演芸大賞 大賞

明石家 さんま(あかしや さんま、本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)1955年7月1日 - )は、日本お笑いタレント俳優歌手司会者ラジオパーソナリティー

タモリビートたけしと共に、日本のお笑い芸人BIG3と称される。

和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)生まれ、奈良県奈良市育ち。 奈良県立奈良商業高等学校卒業。

目次

[編集] プロフィール

[編集] 人物

[編集] 芸風

 デビュー当初は菅原文太ものまねや、当時人気だったプロ野球阪神タイガース小林繁投手の形態模写漫談が主であった。ピンで演じることもあったが、兄弟子の明石家小禄(後に五所の家小禄と改名)とのコンビで、コントスタイルで演じることもあった。 但し、本人は自他共に認める読売ジャイアンツファンであり、最初は巨人の小林繁として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印したが、トレード直後の阪神タイガースで小林繁の活躍に伴い、関西地区で小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。 現在では司会業が中心で、中には二十年以上続く番組がある。

聞き手に回りながらも、相手の何気ない一言を即席の持ちネタにし、話の節目やオチで効果的に連呼し使用する特徴がある。 トークのテンポに関してはこだわりを持っており、テンポを崩されるとすかさずツッコミやボケを入れる。 例えば、番組中で質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は「早く言え」等とツッコんだり自らボケを挟んで笑いを取りにかかる。 本人としては、たとえ嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている。 また、定番ギャグを持つ若手芸人に対しては「フリからギャグ」という流れを重要視して接する。 しかし、自らのフリに反応が無いと途端に不機嫌になる。

かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、気付かれなかったため大ツッコミしたことがある。

師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも執拗に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。※仕事の項目も参照

関西弁を使用するきっかけは若手の頃に友人である佐藤浩市とバーで飲んでいるところに佐藤の友人が来店。その時佐藤はさんまに合わせて関西弁を使用していたがその友人が「なに芋臭い方言でしゃべってんの?」 と言い放ち、それを目の前で言われたさんまは「絶対に関西弁で勝負してやる!」と心に誓ったエピソードがある。

[編集] 芸名(愛称)

 松之助に弟子入りした当初の芸名は「笑福亭さんま」であった。「さんま」という芸名は、さんまの実家が水産加工業を営んでいたことから命名。その後、「明石家さんま」に改名。「明石家」は師匠・笑福亭松之助の本名「明石徳三」から貰い受けたもので、当時は松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。(「明石さんま」は誤字。)亭号を「明石家」に改めた理由としては、落語を演じない者に一門の「笑福亭」を与えることは許されないとした、一門の方針によるというのが通説になっている、しかし師である松之助自身一時落語を離れ、喜劇役者に専念していた時期があったことや、吉本に所属していた月亭可朝笑福亭仁鶴桂三枝らのタレントとしての活躍、兄弟子の明石家つる松(後の橘家円三)は古典落語しか演じなかったことを考えると、落語をしないことが「明石家」を名乗る直接の理由ではないと考えられる。松之助の兄弟子にあたる六代目笑福亭松鶴は、直弟子の鶴瓶にはほとんど落語の稽古をつけていないし、当時鶴瓶も落語をほとんど演じなかった。対して松之助はさんまには落語を少ないながらも教えている。 さんまの落語家よりタレント志向であったことも理由であろうが、「明石家」という語呂の良さや、本家筋にあたる直系六代目一門との差別化が大きな要因と考えられる。 (さんまの兄弟子にあたる小禄(廃業)は松之助から「こいつさんまやからお前ひらめにせぇ」と言われたが、土下座して断った。) さんまもデビュー間もない頃は岩田寄席など地域寄席古典落語を演じ、毎日放送大喜利番組では着物を着て落語家として出演していた。


松之助は、家業から名前を付けることが多く、さんまの兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。命名時のエピソードとして、同期の島田紳助が師匠の島田洋之介・今喜多代(現・今日喜多代)に芸名を決められた時、さんまは「その名前やったら絶対売れへん」とからかい、紳助は落ち込んだが、そのすぐあとに「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に大笑いされたというものがある。

愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「チャッピー」(ヤングおー!おー!内で桂三枝と共に「サニー&チャッピー」で出演)、「さんちゃま」また、中堅 - 若手芸人からは「さんまさん」「お笑い怪獣」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に相当するもので「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡ってお笑い界で活躍したことから、若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えており、タモリや桑田佳祐や松尾伴内は(明石家さんま)師匠と呼ぶ事もある。ただし、正式な弟子はとらず、さんまが26歳の頃に吹田市千里丘のMBSで生放送していた「ヤングタウン」の放送中に「尾形久」という当時18歳の少年が、弟子入り志願で入口付近に来ていると警備員から報告が入り、「今、弟子入り志願の少年が来ているらしい」と生放送で話をしていた。それが弟子入り志願者第1号である。その後数回その「尾形」という少年と会う事になるが、弟子になりたい人間と弟子を取らない人間との話のすれ違いもあり、連絡も途絶えたらしい。その少年は現在、大阪の不動産業界で働いているという。その後も数十名の弟子入り志願者が来たらしいが、全て断っている。村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生(センセ!)」と呼び、なだめる場合がある。島田紳助は、突っ込みなどでは「杉本」と敢えて本名を呼ぶことがある。

同じくBIG3であるタモリビートたけしからは「さんま」「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」「明石家さんま師匠」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまは年上のタモリとビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、たけしを「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」、「おっさん」)と呼び捨て、タモリにも「タモリ」、「森田」と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。

[編集] 身体的特徴

いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。前歯を差し歯にするときに「少し引っ込めますか?」と言われたが、断ったという。また、差し歯のメーカが(冬のソナタの)ヨン様と同じだと言い張って物マネをしていた。一時期その顔つきを自ら新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)と表現したことがある。

かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地から言えば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。とんねるずの木梨憲武はゴルフ場での鳴き声を聞いて「あー、さんまさんも(このゴルフ場に)来てるんだ」と言い、雉とさんまの声を真剣に聞き間違えた。

睡眠時間が極度に少ない。本人曰く、「今までの人生で10時間以上寝たことは一度もない」とのこと。雨上がり決死隊宮迫博之によると「仕事で3日間一緒になった際、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。宮迫が機内で寝ようとしたら、起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまさんが生放送番組に出演していた」との事。また、寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなや」と言った。自身の番組『明石家さんちゃんねる』(TBS系列)では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」という企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真のみであった。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていたらしい。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。本人曰く、「寝ないのではなく寝られない」という一種の病気であることを医者から診断されており、睡眠導入剤を使って無理やり寝ることもある。寝ないというイメージがついてしまったために新幹線で寝てるとがっかりされるとも語ることもある。

2008年に「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」の総合司会を務めたが、番組が終わった後深夜1時まで打ち上げをし、さらに朝6時まで起きていたという。その時さんまは「次は35時間テレビができる」と思ったらしい。この番組で太平サブローに「こんな元気な53(歳)、(他の)アジア(の国)にはおらん。」と言われた。

ちなみに、手相は百にぎり(ますかけ線)である。

[編集] 趣味・嗜好

  • 座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」。愛娘・IMALUの本名「いまる」もここからが由来。
  • デビュー当時は勉強家で、古典的なコメディ映画などのビデオを自分の笑いの糧にしたという。
  • 自分が出演した番組のビデオを見るのが大好きで、出演した番組をビデオ録画し自宅に帰ってそれを見ては笑い、または反省する(ただし自己否定的な評価は余りしない)。後輩をわざわざ家に呼んで自分の番組のビデオを見せ、「おい見たか今のオレの間!」といちいち巻き戻し勉強させる事もあり、芸に対して真摯な一面がある。
  • 自身の出演した番組だけではなく、他の芸人の活躍する番組も多くチェックしている。睡眠時間が極度に少ないため、ゴールデンから深夜番組まで何でも観ており、家にいる時間はほとんどテレビ観賞に時間を割いている。そのため、他の大御所芸人に比べ他の芸人のネタに詳しい。雨上がり決死隊の宮迫曰く「前『アメトーーク』のスタジオに恋のから騒ぎに出てた女の子がおった(観覧していた)」とさんまが発言していたらしい。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分でマネる、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたとも言われる。また、NHK爆笑オンエアバトル』の熱心な視聴者であり、同時に本番組を高く評価している。後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」とも発言したことがある。『明石家さんちゃんねる』では「1人で酒を飲むとき」という話題で、「夜中に『爆笑オンエアバトル』を見ながら酒を飲む。そして、(つまらなかった芸人を見て)『オレもまだまだ大丈夫』と安心する」と発言した。
  • 若手芸人に対する「ダメ出し」も多く行っており、上記の多数のテレビチェックも相俟って、中堅芸人(雨上がり決死隊くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。岡村隆史がラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、さんまから電話がかかり、「見たで、あそこしくじったな」と番組中に岡村本人がしくじったと思っていたところをさんざんなじられた上、自分(さんま本人)はいかに自分の番組で、うまい返しをして笑いをとったかという自慢を延々と語り、「岡村、18点、さんちゃん120点」と高笑いして切られることがあって、毎回こたえる、と発言している。くりぃむしちゅー雨上がり決死隊も、収録前によくダメ出しされているのか、『痛快!明石家電視台』の番組中で「テンションが下がるからやめて欲しいです」と発言した。
  • 番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南であり、かわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想だということである。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だとも言っている。歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きと言っている。例:加藤貴子-G1グルーパー木村拓哉-さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。
  • 薬師丸ひろ子石原真理絵内田有紀広末涼子米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性が変わる。最近のアイドルでは上戸彩長澤まさみ大塚愛相沢紗世の4人が好みとも発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に大塚が出演したときも発言している)。
  • 萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。
  • 納豆が苦手で、本人曰く「腐ったものを食べてまで健康になりたくない」。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言い、冷蔵庫に置くのも見えない位置に隠してもらっていたと本人が語っている(離婚間際は隠してもらえなくなり、目の前でも食べられた)。
  • 愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており(エミネムが特にお気に入り)、時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)。
  • チェーンスモーカーであり、マルボロのソフト(通称:赤マル)、酒・煙草・ギャンブル・女の男性の欲望で唯一煙草のみは断てない、と断言するほどの愛煙家。さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られ、同番組内では幾度か「一日に吸う本数は80本(4箱)」(結婚中は減煙した)と答えている。観客から悲鳴が上がるも、さんま曰く「みんなより起きている時間が長いから吸ってしまう」。ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。しかし、目上(年上)でもやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。また、東京から大阪に移動する際に新幹線を使用するのは移動中に喫煙したいためであり、JR東日本が全面禁煙になる事を嘆いていた。後輩の村上ショージが禁煙した際には「そこまでして長生きしてどうする?」と述べている。
  • 犬の話題が好きでトーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。娘にウェルシュ・コーギー犬(名前はルル)をプレゼントする。その子供の内1匹はガダルカナル・タカがもらった。
  • 麻雀好きで若手芸人達を相手に打つことが多く、その際若手芸人からの悩みを聞くとのこと。
  • 漫画では『NANA』と『DRAGON BALL』を読んでいる。『NANA』からは登場人物の小松奈々を「ええ子」として「さんま・中居の今夜も眠れない」でラブメイトに選んでいる。『DRAGON BALL』は当初は読んでおらず、自身の出っ歯と「かめはめ波」を掛けて「かめはめ歯ー!」というギャグを行っていただけであった。しかし後輩芸人にDRAGON BALL好きが増えたため、さすがに読まないとまずいと感じ、次長課長井上聡に全巻揃えてもらい、アニメ版のDVDを視聴するほどにはまった。好きなキャラクターはスケベな亀仙人であるとのこと。なお27時間テレビで次長課長の井上にベジータの扮装を推したのはさんまである。
  • 旅行先で海外の人気バラエティ番組を見て、「下ネタ出してばっかりやないか!」と憤慨し、それ以降、日本のバラエティ番組の質について、「世界でも1番」だと考えている。

[編集] スポーツ

[編集] 競馬

[編集] 親交関係

  • 中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼で、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)も、オンエアではカットされていた。
  • 以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤渡辺正行ガダルカナル・タカ笑福亭笑瓶松尾伴内らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦奥田瑛二とも合コン仲間である。
  • オーストラリアゴールドコーストに結婚していた時に購入した別荘を所有しており、かつてはこのローン支払いをトークの話題に上げていた。年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例で、村上ショージラサール石井も毎年同行する。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一和田アキ子板東英二らと合流してゴルフをするのが恒例行事。この滞在中にも昼夜問わずしゃべりまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦が、さんまのしゃべり過ぎ・夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には空港で個人輸入業者と間違われ、面倒くささから反抗してしまい現地警察で数時間拘留されたという。
  • 自分の出た番組のビデオを後輩芸人に延々と見せる。ラサール石井が「なんとかなりませんかね?」と窮状を訴えていることをビートたけしに明かされ、さんまは苦笑していた。
  • 東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はオレや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調するものである。なおこのコンペには、さんまを筆頭に、所ジョージ笑福亭鶴瓶関根勤などの面々が顔を揃えている。かつてはタモリビートたけしも参加していた。
  • オール巨人とコースを回った際、一打毎に一喜一憂し大騒ぎするさんまに憤慨し「おまえとは二度と一緒にゴルフはしない」と言われる。他にも萩本欽一がプライベートでもしゃべりまくるさんまを不憫に思い、「今後、一切さんまとはゴルフをやらない」と宣言している。
  • 養育費支払いがもうすぐ終了することに対して、「プツンと送るのをやめたらなんか冷たいから嫌や。だから1ヶ月くらいはオーバーして送り、“オーバーしてるよ”と言ってもらいたいけど、向こうが“あっ、終わったん気付いとらへん。もうとこ。”のなるのも嫌や。」と語っている。
  • 大竹しのぶと結婚していたころ、親交の深い人物(芸能人一般人問わず)を集めて自宅で餅つき大会を開催していた。

[編集] 仕事

  • 一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」としている。
  • 年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアの別荘に滞在するため、クリスマス明けからお正月にかけて放送される番組は全て収録で行い、仕事納めは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』である。
  • 近年のバラエティー番組に見られるテロップ演出について否定的な意見を述べており、自身の出演する番組では一部を除きテロップ演出を使用していない。
  • 関西ローカルで『痛快!明石家電視台』(大阪収録)、『ヤングタウン土曜日』(東京収録)の2本の番組にも出演しているが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。また本人は「女性問題で一時期干された時にラジオの若手スタッフだけがかばってくれ、そのスタッフがそのままテレビに異動したので(義理で)出ないとしゃあない」と発言した。
  • サタデーナイトショー』が打ち切られた1985年以降テレビ東京制作番組に、『さんまのナンでもダービー』が終了した1995年以降テレビ朝日制作番組に、またデビュー時からNHK制作番組には一部の例外を除きそれぞれ出演していない。また、自身もパーソナリティを務めたオールナイトニッポンの40周年特番『俺たちのオールナイトニッポン40時間スペシャル』に参加しないのかという『ヤングタウン土曜日』での投稿には、「ニッポン放送と揉めて辞めているから」とコメントしている。
  • 日本テレビが毎年8月に「チャリティー番組」として開催している『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』への出演をビートたけし笑福亭鶴瓶同様、断固拒否しているとされる。但し、1995年に間寛平の24時間マラソンの応援として『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に、スタジオではなく休憩所でわずかな時間、チアガールの扮装をしてという条件下で、わずかではあるが出演した。24時間テレビから出演依頼が来た際、「これって一般人から募金募るの?」「はい。」「ということは出演者はノーギャラ?」「いいえ。」「じゃあノーギャラでなら出ますけど」「それは他の出演者とのバランスが…ギャラは受け取ってください。」「分かりました。それじゃあそのギャラを全額募金します。」というやりとりの末、さんまの意向を制作者が拒否し出演拒否となった経緯がある。(女性週刊誌掲載)
  • ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、放送で発言しやすくした。
  • 年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げることもある。
  • さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かせてしまうことが多い。酒井法子山瀬まみ羽野晶紀西田ひかる星野真里などが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子を泣かせた。
  • 数々の女性タレントを泣かせてきたが、さんまは「バラエティは戦場。出演したら素人玄人関係ない」というポリシーをもっており、泣かした人物の関係者が抗議しても「泣くんだったら(オレの番組に)出るな!」と反論している。[1]
  • CM撮影に時間をかけないとして知られており、撮影現場に到着するやほぼ一発録りに近い撮影で短時間で現場を去る。
  • 遅刻魔として有名で、仕事の時は尚更寝坊する。目に余る遅刻のため電話をしても、返答するだけで電話ごと破壊して眠り続ける事もあったという(電話を壊したという記憶は欠落している)。「笑っていいとも」においても、寝坊の為に移動中の自動車内からの電話出演などが多々見られた。
  • オフィス事務所主宰で定期的にコントライブを行っている。チケット代はさんまの「多くの人が来れる価格にする」という方針により安く設定されている。このため収支が赤字であるが、関係者からの「売れるから値上げしよう」との声を却下しており、村上ショージや松尾伴内の貴重な収入源であるため辞められないとしている。

[編集] 私生活

  • よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあり、宮迫博之からは『痛快!明石家電視台』収録のための移動(新幹線)では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上ずっとしゃべり続けており、「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝られなくて困っている」と言われている。常時しゃべっているため喉への負担が大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。
  • 滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。「風邪を引いたときはみかんを食べて太陽に向かって走れば治る」を持論としているが、東野幸治が実行し逆に悪化させてしまった際には、気持ちの問題で本当やったらダメとコメントしている。
  • 「日本のいいところは四季を味わえることや!」として、家では冷暖房を一切使わずに、夏は窓を開け冬はこたつを使用する生活をしている。[2]
  • 若手時代からジミー大西に運転手をさせていたため、運転免許は娘が産まれた後に取得した。当時の妻・大竹しのぶは女性誌の取材で「子供を生んでからしばらくの間、腰痛で運転したくなかった。代わりに運転するためにさんまさんが免許を取った」と言っているが、自身は番組で「運転を名目に、娘のおむつ交換から逃げられるから免許を取った」と度々言っている。
  • 2006年に千代田区内にビルを購入している。
  • 愛車はメルセデス・ベンツG55AMG long。(新車価格1703万円)しかし2008年27時間テレビにてビートたけしに外装をペンキだらけにされてしまった。過去にはレンジローバーにも乗っていたがこれもビートたけしに傷だらけにされてしまった。
  • ポリシーとして、愛車のガラスにスモークフィルムは一切貼らず、透明のままである。

[編集] 家族

  • 実母とは死別している。また、1983年4月に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。
  • 実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になるのを反対していたようだが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店した。また、電話で本名の高文でなくさんまと呼ぶようになり、さんま本人はショックを受けたそうだ。
  • 1988年9月、女優大竹しのぶと結婚、長女 いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。
  • 子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。但し、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない長男(大竹しのぶの連れ子)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。
  • さんま曰く、長女・いまるの名前も座右の銘「生きてるだけで丸もうけ(きているだけでまるもうけ)」と「1=まる・2=長男・3=さんま・4=のぶと並ぶようにした」から名付けたとしている。それに対して、大竹は「今を生きる(いまをいき)から名付けた」と言っている。TV等では名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切無かったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男とともに電話出演が一度ある。その長女・いまるは芸名「IMALU」として2009年に芸能界デビュー。
  • 2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、「老後に一人でいるのは嫌」という理由から再婚する気は満々らしい。また、番組中に長女が3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを紹介している。

[編集] ひょうきん族エピソード

  • 1981年ビートたけし島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
    • 人気の火種となったコーナー「THE タケちゃんマン」の敵役・ブラックデビルは、当初は高田純次が務めていたが、第2回収録前に高田がおたふく風邪で入院し、代役として急遽さんまが抜擢され好評を得、それ以後レギュラーになる。
    • 出演当初は、春風亭小朝と即席漫才コンビを組んで出演したこともある。
  • 1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗する予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。なお、元・宝塚歌劇団雪組トップスターの女優麻実れいにも同様のエピソードがある。当時東京 - 大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した(沖縄や海外ではやむなく飛行機を使う)。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。
  • 『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」に化けていたさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』あるいは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」という挨拶であるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少なく、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していた。
  • 1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の下 再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。
  • 「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。
  • 怪人アミダ婆。コシノジュンコデザインの服、桑田佳祐作詞作曲のアミダ婆の曲で登場。
  • 怪人ビックリ箱。ビックリ箱で人を驚かせる。感傷的なテーマソング曲の作詞作曲は松山千春
  • 怪人ナンデスカ。万博に似せたテーマソングで登場。甲高い声で「ナンデスカー」と聞き返し相手に不快感を与える。
  • 数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、「サラリーマン」である。このサラリーマンはスーツにネクタイ、メガネといったありきたりの風貌で「高卒、手取り18万」という境遇でタケちゃんマンに難癖をつけて絡むというキャラクターだったが、視聴者から「夢が無い」と苦情がきてわずが3週で消えてしまう。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。
  • 青森県出身の妖怪人間「しっとるけ」。「ヒャーホホ」と叫び、登場の時には民謡が流れ、民謡を歌う少年少女合唱団と登場。
  • 番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られている。
  • 「ひょうきんベストテン」の初代司会者。

[編集] 笑っていいとも!エピソード

  • 1984年4月6日に『森田一義アワー 笑っていいとも!』の金曜日レギュラーとして登板。タモリと共に談話するタモリとさんまのトークコーナー(題名は何度か変化しており開始当初の85年頃は「タモリ・さんまの日本一の最低男」、その後「タモリ・さんまの日本一のサイテー男」(87年頃)、「-しゃべっちゃいマホー」(88年頃)、「-なんちゅうこというの!」(90年頃)、「-狼が来たぞー!」(91年頃)「-日本一のホラ吹き野郎!」(92年頃)、「-もう大人なんだから」(93年頃)、「-もう大人なんだからネ」(1994-卒業まで)と変化していった)は「テレフォンショッキング」及び「曜日対抗!いいとも選手権」に次ぐいいとも!の名物コーナーとして親しまれ、『笑っていいとも!』の歴代コーナーの中でも1位、2位の人気を誇る。またタモリ不在の場合は代理司会も勤め、最多代理司会者として表彰された。1987年4月から1990年3月まで関根勤片岡鶴太郎所ジョージ笑福亭鶴瓶らと共にタモリを支える曜日リーダー(通称:いいとも!ビッグ5)として親しまれる。やがてベテランの域となり自分の番組を持つようになったさんまは特大号に出なくなり、 1995年の4月からは遅刻する事が多くなった。「スタッフに『真面目にやってください』と言われ激怒した」とささやき、1995年9月末同番組を卒業した(同時期には片岡鶴太郎も卒業している)。さんま出演最終日の増刊号のコーナー・「放送終了後」ではさんま特集が組まれ、さんまのタモリ代理司会時のVTRを見たりなどして振り返った。週刊誌では「面白おかしく不真面目にやっていたとも言い、いいとも!のコーナーであった「タモリンピック」についてふれられ、「タモリンピックふざけてやったら降ろされた」とさんま本人もみとめている。なお、「タモリンピック」はさんま降板2年前となる1993年10月1日をもって終了したが、さんま降板後に「曜日対抗いいとも選手権」と改題し復活した。
  • 1984年2月13日斉藤慶子の紹介でテレフォンショッキングに出演。1991年10月3日には10周年記念週間として最多代理司会として出演。1997年12月11日には大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演はなかったが、しかし2008年7月27日FNSの日の「FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!」において実に11年ぶりにテレフォンショッキングに出演した。

[編集] 来歴・エピソード

[編集] 若年時代

  • さんまの出身小学校である奈良市立鼓阪小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。
  • 中学校時代、家庭教師から英単語を覚えるように言われて「そんなもの覚えたって何の役にも立たへんわ。僕はアメリカ人になるつもりはない」と反論した(「クイズダービー」第604回、1987年8月29日放送分の第1問目より。1枠の篠沢秀夫はそのまま書いて、3枠のはらたいら、4枠の竹下景子は「外人」と書いて正解させた)。
  • 奈良県中学生相撲大会で2位になったことがある。さんま曰く、「ほとんど経験ゼロで出場し、突進してくる対戦相手が怖くて土俵上で逃げ回っていたら、相手が勝手に自滅し、気づいた時には決勝戦だった。」
  • 高校時代に運動会の徒競走で「よーいドン」と共に後ろへ逆走した。その結果、運動会は一時中断しさんま含む8人の悪ふざけグループは正座させられ、教師に竹の旗で頭を叩かれる。ある一人に対しての音が「バシッ」ではなく「ポコン」だった為さんまは笑いをこらえ下を向いていた。その時教師が全校生徒に「見てみろ!杉本が泣いてるぞ!こんな男でも反省するんだ、杉本泣いてるな?」の言葉にさんまは「プッ」と吹き出してしまった。それを見た教師はさんまを追いかけ腕を掴んで怒られている時に、たまたま新聞部の生徒が写真を撮った。後に番組でその写真が見つかり長嶋一茂が「Tシャツにしてください」ということで、2007年の『さんま・中居の今夜も眠れない』でそのTシャツを着て出演した。ちなみにそのTシャツには写真と「Please!! give me a break?」の文字が描かれていた。
  • さんまは中学、高校の頃はアメリカの女子水泳選手:シャーリー・ババショフのファンであったことを、1997年頃の自分の番組『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBS)の中で語っていた。その縁でババショフがさんまの番組にVTRで出演してくれたことがある。
  • 小学生時代は肥満であった。
  • 少年期の頃はプロレスラー志望で体を大きくしたいために「毎日肉が食べたい」と懇願する。

[編集] 内弟子時代

  • 1974年2月、高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、松之助に入門の理由を問われたさんまは「センスがある」と、さんまとしては素直な気持ちを伝えただけだったが、それに対し松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。この時に春風亭小朝と出会っている。

[編集] 関西ローカル時代

  • 1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇーす」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「さんまかいわしか知らんけどな、テレビで言うてええことと悪いことがあんねや。それぐらい覚えて出て来い!」とCM中に叱責される。しかし、横山やすしには「気に入った!飲みに行こ!」と気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。
  • 1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染月亭八方桂きん枝桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガース小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
  • 兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビお笑いネットワーク)に残されている)。
  • 駆け出しの頃は、よく同期の島田紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人桂小枝らがいる。また中川一美と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。
  • 1979年関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。
  • 1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。
  • また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。
  • 営業の余興で島田紳助の手足を縛り上げプールに落とし脱出するという脱出劇をするが、水没する紳助が見たのは両手を叩いて大笑いしているさんまの顔だった。

[編集] 1980年代前半

  • 20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。
  • 笑っていいとも!ではタモリと共に佐賀県をこき下ろした発言を繰り返した。また、別番組ではサガテレビ内田信子アナウンサー(当時)を必要以上にからかうなど、佐賀と言うだけで必要以上に侮蔑したりする態度を見せていた。

[編集] 1980年代後半

  • 1985年サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。
  • 1985年、第1回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソー知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。
  • 1985年8月12日、日本航空123便墜落事故が発生。さんまもこの便に乗る予定だったが急遽予定を変えて1本早い便に搭乗。そのために事故に遭わずに済んだ。しかし、スタジオに到着後、事故の事を聞くと本人はものすごいショックを受けた。
  • 1989年10月6日放送のさんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんま目掛けて2度もかけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。
  • 1987年ナムコファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。

[編集] 1990年代前半

  • この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれた。
  • この時期、関西で、痛快!明石家電視台毎日放送)が関西地方で開始された。既に活動拠点を東京に移していたさんまが、突然関西ローカルの番組を持つ事については様々な憶測が飛んだ。番組開始した頃は、さんまがレギュラー出演していた『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系列)の打ち切りなどの影響で、「さんまがつまらなくなった」「さんま賞味期限切れ」とテレビ業界で囁かれていて、さんまの人気が下降気味であった事から、救済の意味合いも込めて所属の吉本興業の口添えで始められたものと言われている。これは「大阪の番組という初心を忘れないため」と言われており、なお、収録前に、さんま、村上ショージ、間寛平の3人でゴルフに行ってからスタジオ入りしていると語っている。 なお、この番組が関西での唯一のレギュラー番組となっている(2009年2月現在)。
  • この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドが何故か折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とツッコまれて気が付く)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つ事をしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られる事になった。
  • 卓球福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせた事がある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。
  • 1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子シンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だった。そこでシンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、そこへ本人が登場し、研ともども、土下座して謝った。

[編集] 1990年代後半

  • 1995年MBSヤングタウン土曜日1月14日放送分のエンディングにて、放送区域である関西地区の聴取者に向けて、地震の際の心構えと対処の方法を講義した。これは当時さんまが関東で頻繁に地震に遭遇していた事を受けてのものだったが、この3日後には阪神・淡路大震災が発生しており、先んじて注意を促す結果となった。
  • 1995年9月29日、11年半レギュラーだったフジテレビ「笑っていいとも!」のレギュラーを突然卒業。突然の人気レギュラー出演者の降板について、出演末期の1993年、1994年の同番組のスペシャルに出演していなかったため、当時週刊誌ではスタッフとの確執説がささかやれた。
  • 1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士、小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。さんまは撮影後、「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたと言われている。
  • 1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。

[編集] 2000年代前半

2000年
  • 7月7日、TBSスーパーフライデー枠で、関西ローカルの『痛快!明石家電視台』が『明石家さんま生誕45年記念番組・大成功!明石家電視台』として一度だけ全国放送された。
2001年
  • FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー『クイズ$ミリオネア』に出演し、9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をかけた。(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹に生電話。子供である長男や長女の声も電波に乗った)。
  • すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。
2002年
  • 阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。巨人ファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した(春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した。この特番の関西地区での視聴率は33.4%と高かった。
  • ドラマ空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAP中居正広さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。
  • 2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。これについて韓国サイドからは批判の声があがった。さんまは後に「ドイツ代表が好きだから、ユニホームを着てただけなのに」と語っている。
2004年
  • さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。
  • 2004年3月26日放送の『さんまのまんま』にやしきたかじんと共演(1990年代にも一度たかじんは同番組に出演していた。また、1995年1月15日にはさんまも『たかじん・ナオコのシャベタリーノ』にゲスト出演した)。この時は、たかじんの司会におけるスタイル(パネル芸など)に対して、駄目出しを連発した。
  • 韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日 - 25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAP中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。
  • この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)。
2005年

[編集] 2000年代後半

2006年
  • さんま・福澤のホンマでっか!?ニュース』(2006年9月15日放送)で、前回(同年4月28日放送)の罰ゲームで安倍晋三(2006年4月の時点では官房長官)を焼肉店へ連れて行くという約束をし、日付まで決まっていたが、その日に北朝鮮テポドンを発射したためそれどころではなくなってしまったというエピソードを披露した。
  • 所萬遊記で、所ジョージがさんまがかねてから熱望していた「コカ・コーラ」のCM出演について語り、本人は「スカッと爽やかな」イメージをしていたが、実際のCMは「コッカ・コ〜ラを飲も〜うよ」とお笑いテイストたっぷりであったことにショックを受けていたというエピソードを披露した。
  • 石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露される。
2007年
  • 6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説もあり話題となった。
  • 6月13日放送の明石家さんちゃんねるで次長課長の河本がビリーズブートキャンプを紹介するが、さんまは一蹴するも、後日「明石家さんちゃんねる」2007年6月27日放送でビリー・ブランクス本人がスタジオ外のロビーで共演、さんまはさとうきび畑の唄の旧日本軍の軍服姿でビリーに最後まで抵抗、ビリーもさんまを挑発していた[3]
  • 12月16日TBSにて放映していた自身の主演ドラマ「ハタチの恋人」の最終回が終わる頃を見計らい、FIFAクラブワールドカップの総集編に出演。ゲストとして出演したACミランの選手を指差し、ウェアを脱がそうと大はしゃぎし、非難を浴びた。
  • なお、前述の「ハタチの恋人」は前評判こそ多くのスポーツ紙などで期待がかけられたものの、結果的に10%を越えた回が2回とヒット作の多く見られた2007年秋クールの中では低視聴率に終わった。
2008年
2009年
  • 娘のIMALUがデビュー。当初は、猛反対しており、反対を押し切ってのデビューであり、「芸人の嫁には、絶対させん。」と言い切っており、芸人側も「明石家さんまがついてくる」と交際は厳禁するように言われている。めちゃイケでIMALUと競演したことを岡村隆史が報告した所、「ええけど・・・分かってんやろな・・・何かあったら殺すかんな。」と言った。

[編集] 持ちギャグ

他人がテレビで発した思いがけない一言を、さんまが持ちギャグにしてしまうことが多い。

  • ナーイス
  • アホちゃいまんねん、パーでんねん パー
  • 知っとるけ〜?(「知っとるけ〜のけ〜?」の場合もある)
  • おまち〜
  • クェ!(ブラックデビル)
  • なっとく(手を胸にあてて)
  • ギャグ、どっかにおって(落ちて)まっかね?
    • 村上ショージなどがギャグをすべらせた際に使われた。
    • 男女7人夏物語」の特番で、このギャグが大竹のアドリブに由来していることを暴露したところ、大竹から「私に、何の許可もなく?」と叱責された。
  • 意味ないじゃ〜ん(例:宮川一朗太、意味ないじゃ〜ん)
    • さんまのからくりTV内の「からくりビデオレター」内で、一般のおじいさんが発言したもの。他にもこのコーナーで一般の人が発した言葉がかなり多数を占めている。
  • そんなことしちゃ、ダメダメ(両手の指でバツ印をつくりながら)
  • 同情するなら、家買って!(ドラマ家なき子で話題になった安達祐実の台詞『同情するなら、金をくれ!』をパロったもの。)
  • (「フーフー」の歓声に応えて)キミら、フーフー教の教祖か?(本当は信者なのだが教祖のほうが言いやすいから)
  • そんなんいらんねん(そんなんはいりませ〜ん、俺イエスマンいらんねん)
  • ハッハッハ、堺正章でございます
  • どうもー、芳村真理でーす
    • 「どうもー」を一躍芳村の代名詞とさせたのはさんまによる物まねがきっかけだった)
  • (いやーん、)めっかっちゃった
  • はいはーい、もっこりもこみち(電話に出るときの仕草で)
  • 浦島太郎って息長くなーい?
  • あのよー
  • (先輩に対して)失礼ですけど、ほんま殴るぞ(先輩のタレントに対して)
  • 下ネタかよ!(全く下ネタじゃないボケに対して唐突に言う)
  • 桜田淳子です。
  • 大原麗子です、ちょいとお前さん
  • 幸田シャーミンシリーズ
  • (無線機を口元に当てる格好をして)隊長、アホめっけました
  • (舌を出して、ペン先を舐めてメモをとる格好をして)そのギャグ、いただき(セリフなしで仕草だけをする時もあり)
  • 院長〜!
  • ぶっちゃけー
  • かっけー、かっけー(膝を叩きながら。若者言葉の「格好いい」と「脚気」をかけている)
  • また「紳助」って言うてもうた!(紳助が暴行事件で謹慎中に頻繁に使用)
  • バッサリいかしていただきますんで(ゲストが感動する話やいい話をした時に。「カットする」の意)
  • (ゲストが無意識に「う〜」と唸る際、)マンボ!
  • 横から撮るなっ(でっ歯の話題時、顔を横のアングルから撮るカメラマンに向かって)
  • テンポのない司会者や思われたら仕事減るねん!
  • (空き缶を蹴る動作をして)たっちゃんたら何にもわかってないんだからカンカラコーン。
    • 『タッチ』の浅倉南の話をする時に、よく口にするセリフ。さんまの創造したセリフである[4]
  • 若手時代、桂三枝に説教されていたときの真似。片手で髪をかき上げる動作を同時に行う事が多い。
    • おい、ちょっとこーい!
    • どういうこっちゃ!
  • 相田みつを風に言うと「だって○○○だもの」!
  • ザ・たっちが「ちょっと!ちょっとちょっと〜!」を多用した時
    • お前ら二度と言うなよ(怒った顔で)
    • 飽きた!飽きた飽きた〜!
  • (これは)仕事や!
  • ここは戦場や!
  • 出演者がトークを始めようとしたとき
    • 「何でや!?」と言って驚かす
  • また三月からやり直し
  • 大竹しのぶさえいなければ俺はもっと上行ってたんや!
  • そこの事務所に行こかな俺
  • 俺の彼女長澤まさみなんやけど(『ハタチの恋人』で共演)
  • 俺、そういう男。
  • いや〜ん、バンカー!(ゴルフバンカーに入った時)
  • 観客の拍手を止める時に動作を付けながら「チャッ、チャッチャッチャッ」とやる(タモリも「笑っていいとも!」でやっている)。
  • すいません、ワタクシ嘘をついておりました。
  • そんなの「イヤ〜ン」
  • ○○したのは誰だ?!それは私です。
  • 俺って、ぶれない男
  • わたしはわたしはたわしたわしはゴーシゴーシゴーシゴーシ痛い痛い痛い〜
  • (それ、どういう事?)しょうゆ〜こと!(村上ショージのギャグのパクリ)
    • 2008年の「27時間テレビ」で頻繁に使用していたが、事前に村上ショージに「今年の27時間テレビこれでいくからな」と電話で話していたことが2009年1月12日放送の「痛快!明石家電視台」でショージから明かされている。
  • とうゆ(灯油の缶を背負い)うこと?!
  • おや〜?
  • よ〜っ!ほほ〜!
  • いらっしゃいまほー!(これについてはさんまの友人であり共演者のタモリもいいとものオープニング歌っている際に観客に対して「いらっしゃいまほ!イエイ!」と言ったことがある。)
  • 京橋ええとこだっせー!(関西地方しか知らない田舎者に相手に「グランシャトーがおまっせ」と言わせる)

[編集] 評価

  • NHKが1975年から2003年にかけて毎年実施していた好きなタレント調査では、1985年に男性1位に選ばれてからは、2003年に調査終了するまでの19回のうち通算12回で男性1位を獲得、それ以外は全て男性2位となっている[5]
  • 日経エンタテインメント!の「好きな芸人」ランキングでは8年連続1位を獲得。しかし、2008年には「嫌いな芸人」ランキングの2位に浮上した。
  • 1999年に「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。
  • ビートたけしが著書『コマネチ!』の中で「こいつには負けた、と思った数少ない中の1人」とさんまのことを評した。
  • 島田紳助が初めてさんまを見たときの印象は「24時間明るい」「こんな華のある奴は見たことない」。そして「俺と肩を張れる奴はこいつしかおらん」「自分が(自分と同期の芸人の中で)もし負けるとしたらさんまとオール巨人だけ」と当時を振り返っている(紳助には「コンビ組まないか」と誘われたことがあるが、「解散がイヤだから」と断っている。そして自分のかわりとして紳助に紹介したのが松本竜介であり、その結果紳助・竜介が誕生することになる)。
  • また紳助とは親友同士であり、以前紳助が司会を勤めていた「紳助のMTV倶楽部」(テレビ朝日)にさんまがゲスト出演した際、「お互い知りすぎていて、何を喋ったらいいのかわからないので、(二人のトーク番組は)非常に困る。」と番組冒頭で話していた。
  • さんまの落語については、島田紳助は自身の番組で「(一度見たことがあるが)つまらなかった」と語り、春風亭小朝は「あれだけの話術を持ってる人なのに、驚くぐらい面白くない」と評していた(小朝とは『THE MANZAI』で漫才をしたことがある)。生前の古今亭志ん朝にも「どこが面白いのかさっぱり分からない」と真顔で評価され、これにはさんまも返す言葉がなかったとか。ただし「枕は面白い噺家」との評価がある。従兄弟子の笑福亭鶴瓶は過去出演のラジオで、枕のみオンエアした。鶴瓶は現在でもさんまを落語界に引き戻そうと画策中である。
  • 落語自体や最近の落語ブームに関しては一切コメントしていない。これは以前「オレは落語を辞めたから」と落語界から距離を置いているからである。さんまのまんまで2代目林家木久蔵に「落語を教えて下さい」と言われ「もうしていないからな」と答えてた。
  • 漫才に関しては「間とか抑揚や言葉の使い方、かぶせ方が重要だ」とアマチュアの小学生に話していた。「2008年27時間テレビにて」
  • 上岡龍太郎は「素人相手にしゃべったらさんま、芸能人相手なら紳助」と評している。
  • お笑い評論家・西条昇を始め、戦前から戦後にかけてお笑い界トップスターとして活躍した柳家金語楼と、現在のさんまの共通点を指摘する論者は少なくない[6]
    1. どちらも落語家を出発点とし、落語家の枠を超えたスーパースターになった。金語楼は大正末に『兵隊落語』で一世を風靡、その後は映画や軽演劇にも進出した後、1942年に落語家の鑑札を返上、喜劇俳優に専念する。戦後は『おトラさん』『ジェスチャー』などでテレビタレントとして人気を博した。さんまは笑福亭松之助門下の落語家として出発するが、現在はテレビタレント・司会者・俳優として大活躍である。
    2. どちらも吉本興業のトップスターである。現在のさんまが吉本のトップスターであり、その年収もトップクラスであることは言うまでも無いが、金語楼も戦前は東京吉本に所属しており、横山エンタツ花菱アチャコ柳家三亀松川田義雄と共に吉本の五大スターと称されていた。そして戦前の吉本で最も高給を取っていたのが金語楼であった。
    3. どちらもお笑い界ビッグ3の1人。金語楼は喜劇俳優の榎本健一古川ロッパと共にビッグ3と言われた。さんまもビートたけしタモリと共にビック3と称される。
    4. どちらも息の長い芸人である。金語楼は大正末の『兵隊落語』以降、長い人気を博し、戦後は失速していった榎本健一古川ロッパを尻目にテレビ時代の波にも乗り、晩年まで第一線で活躍した。さんまも1981年の『オレたちひょうきん族』で全国規模の人気者になって以来、近年の若手お笑いブームもものともせず、長期に亘ってお笑い界トップの座に君臨し続けている。

[編集] 受賞歴

  • 第10回(1982年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) ホープ賞
  • 第11回(1983年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 奨励賞
  • 第13回(1985年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 優秀賞
  • 第14回(1986年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 特別賞
  • 第15回(1987年度)日本放送演芸大賞(フジテレビ) 大賞
  • 第2回(1982年度)花王名人大賞花王名人劇場) 新人賞
  • 第5回(1985年度)花王名人大賞(花王名人劇場) 大衆賞
  • 第23回(1985年度)ゴールデン・アロー賞 芸能賞

[編集] 現在の出演番組

[編集] レギュラー番組

[編集] 単発・不定期番組

[編集] ラジオ番組

[編集] 過去の出演番組

[編集] 日本テレビ系列

特記のないものは日本テレビ

[編集] TBS系列

特記のないものはTBS製作

[編集] フジテレビ系列

特記のないものはフジテレビ製作

[編集] テレビ朝日系列

特記のないものはテレビ朝日製作

[編集] テレビ東京系列

[編集] テレビドラマ

[編集] 連続物

[編集] 単発・不定期物

  • 大喜劇!忠臣蔵(1980年1月1日、MBS)
  • 恋のかけら-大阪物語-(1980年3月9日、KTV)
  • 花王名人劇場裸の大将放浪記」 第5作 (1981年5月3日)
  • 日曜お楽しみ劇場 「シャネルズ・さんまの笑タイム」(1982年9月5日)
  • 月曜ドラマランド (CX)
  • やすきよの御用だ!まかせなさい(1984年1月4日、ABC)
  • 好色一代男 世之介の愛して愛して物語(1986年1月1日、TBS) - 世之介
  • 金曜おもしろバラエティ 「心はロンリー、気持ちは「…」3」(1986年2月21日、CX)
  • 木曜ドラマストリート 「心はロンリー、気持ちは「…」I4」(1986年9月26日、CX)
  • 金曜女のドラマスペシャル 「心はロンリー気持ちは「…」5」(1987年3月20日、CX)
  • 水曜ドラマスペシャル 「さんまの花ムコ見習い試験」(1987年4月1日、TBS)
  • 男女7人夏物語評判編 生放送だよ!さんちゃん・しーちゃんのなんでもトーク(1987年4月3日)
  • ライオンスペシャル 「夏休み妖怪バラエティ オバの魔法使い」(1987年8月10日、CX) - オバの魔法使い
  • アナウンサーぷっつん物語スペシャル(1987年10月1日、CX)
  • ザ・ドラマチックナイト 「心はロンリー気持ちは「…・」6」(1987年10月2日、CX)
  • 新春スペシャル 「善化者~さんまのホンじゃたのンます~」(1988年1月1日、CX)※3話オムニバス形式
  • 子連れ家政婦アッコさん(1988年3月25日、CX)
  • 男女7人秋物語評判編 さんちゃんしーちゃんなんでもトーク!7人再会!!(1988年4月4日、CX)
  • 春のひょうきんスペシャル「明石第三小隊物語・男の約束」(1988年4月2日、CX)
  • 男と女のミステリー(CX)
    • 「心はロンリー気持ちは「…・」7」(1988年5月13日)
    • 「心はロンリー気持ちは「…・」8」(1989年3月3日)
    • 「明石家さんま殺人事件」(1989年9月29日)
    • 「心はロンリー、気持ちは「…・」9(1989年11月24日)
  • 木曜ゴールデンドラマ 特別企画 さんまの「おれは裸だ」(1988年10月10日、YTV) - 画廊の営業マン・大和菊夫
  • さんまのほんじゃたのんます(1988年11月25日、CX)
  • 風よ、鈴鹿へ(1988年、TBS ※島田紳助原作・友情出演)
  • 火曜スーパーワイド 「ナオコ、さんまの結婚式ララバイ」(1989年5月23日、ABC)
  • 世にも奇妙な物語春の特別編 「偶然やろ?」(1991年、CX、原案も担当)
  • 世にも奇妙な物語「スローモーション」(1992年、CX)
  • 秋のドラマスペシャル ユーミン・ドラマブックス「ノーサイド」(1992年10月11日、TBS)
  • ドラマシティ'92「ふんだりけったり」(さんま主演、1992年4月16日、YTV
  • 新春大型時代劇スペシャル 「天下を獲った男・豊臣秀吉」(1993年1月1日、TBS)
  • 春のドラマスペシャル(TBS)
    • 「極道落ちこぼれ1 カタギになりたい!」(1993年4月3日) - 高柳喜八
    • 「極道落ちこぼれ2 駆けおちしました!?」(1994年4月8日) - 高柳喜八
  • 恋も2度目ならスペシャル あのバツイチコンビ復活!(1985年10月11日、NTV)
  • 金曜エンタテイメント (CX)
    • 「心はロンリー気持ちは「…」10 南の国から'97 (1997年8月29日)
    • 「心はロンリー気持ちは「…」11 京都湯けむり旅情 OLグルメ三人旅 謎の密室殺人事件!(2003年) - 証券会社をリストラされた功二
  • 明石家さんまドラマSP 「星に願いを」(1998年4月1日、NTV) - ゼネコン会社の営業副部長・龍太
  • 心はロンリー気持ちは「…」(さんま主演、三宅恵介演出、君塚良一脚本で1984年から続く2時間ドラマ仕立てのコントシリーズ、フジテレビ系)
  • 古畑任三郎 第2シーズン 第1話(通算:第14話)「しゃべりすぎた男」(1996年1月10日、CX) - 犯人・小清水潔 役
  • ガラスの靴 a Cinderella Story(1997年、NTV)
  • NHK大河ドラマ元禄繚乱」 第13話「誘拐」(1999年、NHK) - 笹屋の主人・清右衛門
  • ドラマ特別企画「真夏のクリスマス 限りある命の恋人に、さんまが贈る最後のクリスマスプレゼント」(2000年10月9日、TBS) - 姫路出身の大吉
  • さとうきび畑の唄(さんま主演、太平洋戦争末期の沖縄戦を舞台にした反戦ドラマ、TBS系)※2003年度芸術祭大賞受賞作品
  • フジテレビFNS25時間テレビドラマ THE WAVE!(さんま・内村光良主演、(2005年7月23日・24日、CX)
  • 月曜ゴールデン和田アキ子殺人事件」(2007年 TBS系、本人役で出演)

[編集] ラジオ

[編集] 映画

  • マンザイ太閤記(1981年)
  • 次郎長青春篇 つっぱり清水港(1982年)
  • 唐獅子株式会社(1983年)
  • パンツの穴 花柄畑でインプット(1985年)
  • 必殺! -ブラウン館の怪物たち-(1985年)沖田総司
  • 19 ナインティーン(1987年)
  • ゴルフ夜明け前(1987年)
  • いこかもどろか(1988年)
  • 夢の祭り(1989年)
  • 丹波哲郎の大霊界2 死んだらおどろいた!!(1990年)
  • どっちもどっち(1990年)
  • ファンキー・モンキー・ティーチャー(1991年)
  • とられてたまるか!?(1994年)
  • まむしの兄弟(1997年)
  • みんなのいえ(2001年)

[編集] CM

[編集] 舞台

[編集] ゲーム

[編集] 代表曲

豪華な作家陣を揃えた楽曲が数多い。また、1986 - 1988年に発売した曲が多いが、これらの多くはさんまが主演の単発ギャグドラマ『心はロンリー気持ちは「…」』の主題歌として作られた曲である。

[編集] 関連人物

[編集] 脚注

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  1. ^ 明石家さんちゃんねる堀内健の暴走に巻き込まれた女性ADが泣きだした事があったが、さんまはADに「バラエティで泣くな、アホ!」と叱った。(2008年9月10日放送)
  2. ^ 恋のから騒ぎにて発言
  3. ^ ビリー隊長が激怒! さんまギャグ連発 2007年6月27日 スポーツニッポン
  4. ^ 2006年7月23日放送回「おしゃれイズム」出演時に司会の上田晋也が番組のスタッフがコミックを全巻読んだところ、そのような台詞はなかった、またテレビアニメで浅倉南の声を担当した日高のり子にも確認したが「そのような台詞はありません」と返答されたということを伝えた際にさんまは「何本気にしてんねん!あの台詞は俺のオリジナルや!」と返している。
  5. ^ "文研世論調査ファイル". 2009年5月8日 閲覧。
  6. ^ 西条昇・著『ニッポンの爆笑王100―エノケンから爆笑問題までニッポンを笑いころがした面々』白泉社、2003年の「柳家金語楼」の項参照

[編集] 外部リンク

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第14回 (1986年)
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