明石家さんま
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| 明石家さんま | |||
|---|---|---|---|
| 本名: | 杉本 高文 | ||
| 事務所: | 吉本興業 | ||
| 国籍: | |||
| 出身地: | 和歌山県東牟婁郡古座町 | ||
| 生年月日: | 1955年7月1日(52歳) | ||
| 活動時期: | 1974年 - 現在 | ||
| 受賞歴 | |||
| ・1982年 花王名人大賞 新人賞 ・1982年 日本放送演芸大賞 ホープ賞 ・1983年 日本放送演芸大賞 奨励賞 ・1985年 日本放送演芸大賞 優秀賞 ・1985年 花王名人大賞 大衆賞 ・1986年 ゴールデン・アロー賞 芸能賞 ・1986年 日本放送演芸大賞 特別賞 ・1987年 日本放送演芸大賞 大賞 |
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笑福亭一門の定紋である「五枚笹」
明石家 さんま(あかしや さんま、本名:杉本 高文(すぎもと たかふみ)、1955年7月1日 - )は、日本のお笑いタレント、俳優、歌手、司会者。タモリ、ビートたけしとさんまの3人を日本のお笑い芸人BIG3と称されることがある。
目次 |
[編集] プロフィール
- 和歌山県東牟婁郡古座町(現在の串本町)で生まれ、奈良県奈良市で育つ。
- 奈良県立奈良商業高等学校卒業。
- 事務所はよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属だが、オフィス事務所という個人事務所を設けており、仕事やギャラの管理はこちらで行っている。オフィス事務所には、ラサール石井や村上ショージ、松尾伴内らも所属している(さんまと同じく、皆それぞれに所属事務所は他に存在する)。吉本とは所属はしても契約はしていないという関係である。
- 師匠は落語家の笑福亭松之助。なお明石家の「明石」とは、松之助の本名からきている(後述)。
- 趣味はゴルフ・テレビでスポーツ観戦・ギャンブル(パチンコや競馬、麻雀)・テニス。
- 血液型B型。自称身長172cm。
[編集] 人物
[編集] 芸風
- デビュー当初は当時人気だった阪神の小林繁投手の形態模写や漫談が主であった。ただし本人は自他共に認める巨人ファンであり、最初は巨人の小林繁として形態模写をしており、江川卓とのトレードで阪神に移籍した際に、この芸を封印したが、トレード直後の阪神タイガースで小林繁の活躍に伴い、関西地区で小林繁の形態模写を熱望されるようになり、本人は渋々再開した所、小林繁と相乗効果で人気を集めるようになった。
- 現在では司会業が中心で、中には二十年以上続く番組がある。
- 日本テレビが毎年8月に「チャリティー番組」として開催している『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』への出演をビートたけしや笑福亭鶴瓶同様、断固拒否しているとされる。
- 1995年に間寛平の24時間マラソンの応援として『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』に生出演している。ただし、スタジオではなく休憩所でわずかな時間、チアガールの扮装をしてという出演だった。
- 師匠の松之助と同様、芸と仕事には厳しく、気の合わない相手に対しては放送中でも陰湿に攻撃する(いじり倒す)場面も見られる。
- 定番ギャグを持つ若手芸人に対しては「フリからギャグ」という流れを重要視して接するが、自らのフリに反応が無いケースでは途端に不機嫌になる。かつて『笑っていいとも!』で共演した松本人志(ダウンタウン)にもその場で出たギャグをやらせようと振ったが、無視されてしまったため挙句激怒したことがある。
- 近年のバラエティー番組に見られるテロップ演出について否定的な意見を述べており、自身の出演する番組では一部を除きテロップ演出を使用していない。
- 性格は短気。トークのテンポに関してはこだわりを持っており、相手が素人であってもテンポを崩されると激怒する(番組中、ゲストに質問した際に相手が考え込んでしまうと、大抵は怒る。たとえ嘘や適当な答えでも話が広がりさえすればそれでいいので、とにかくパッと早く答えて欲しいと思っている)。そのため場の雰囲気を悪くするという見解がある。
- ゴールデンタイムでは不適切とされてきた「SEX」という言葉を「エッチ」と言い換えることで、放送で発言しやすくした。
- 「自分が出演した番組のビデオを見るのが大好き」で自分が出演した番組をビデオ録画し、自宅に帰ってそれを見ては大笑いし、または反省する(ただし自己否定的な評価は余りしない)。後輩をわざわざ家に呼んで自分の番組のビデオを見せ、「おい見たか今のオレの間!」といちいち巻き戻し、勉強させる事もあるところにさんまの芸に対する真摯な一面がある。また、若手芸人に対する「ダメ出し」も有名で、岡村隆史がラジオ番組『ナインティナインのオールナイトニッポン』の中で、電話でさんまに岡村本人がしくじったと内心思ってたところへ、「見たで、あそこしくじったな。」とさんざんに、精確になじったうえ、「岡村、18点、さんちゃん120点」と高笑いして切られ、毎回こたえたとの事。とにかくくりぃむしちゅーや雨上がり決死隊も『痛快!明石家電視台』収録前によくダメ出しされているのか、「テンションが下がるからやめて欲しいです」と言っていた。
- 年齢が30歳を越えた女優なら「大女優」じゃなくても「大女優」と呼び持ち上げることもある。
- 東西のお笑い芸人達が仕事抜きで開催するゴルフコンペにおいて、自分以外の者が優勝しても「真の優勝者はオレや」と豪語する。その理由も「(○番ホールでの)球筋がよかった」だの、「(○番ホールでの)スイングのキレがよかった」だのとピンポイントでの調子よさを強調する。なおこのコンペには、さんまを筆頭に、タモリ、所ジョージ、笑福亭鶴瓶、関根勤などの面々が顔を揃えている。
- 山下達郎、竹内まりや、サザンオールスターズ、松任谷由実などの話になると「歌が歌えるって得やなぁ」と言う事がある。
[編集] 芸名(愛称)
- 「さんま」の芸名は、実家が水産加工業を営んでいたことから命名。「明石家」は師匠笑福亭松之助の本名「明石徳三」からもらい受けたもので、松之助門下の多くが「明石家」を名乗っていた。「明石屋さんま」は誤字。なお弟子入り当初は「笑福亭さんま」であった。師匠は、家業から名前を付けるのが好きなようで、兄弟弟子には、自転車屋から明石家サドル、美容室から明石家パーマなどが命名されている。
- 同期の長谷川公彦が、師匠の島田洋乃介・今喜多代(現・今日喜多代)に「島田紳助」と芸名を決められた時、杉本は「その名前じゃ絶対売れない」とからかい、長谷川も落ち込む。が、そのすぐあとに杉本が「さんま」という芸名をもらった話を聞いて「こいつ(芸能人として)終わったな」と逆に長谷川に大笑いされたというエピソードがある。
- 愛称は「さんちゃん」(所ジョージなどが使用し、かつては桂三枝の愛称でもあった)、「チャッピー」(ヤングおー!おー!内で桂三枝と共に「サニー&チャッピー」で出演)、「さんちゃま」また、中堅~若手芸人からは「さんまさん」「お笑い怪獣」(ナインティナインなど)「さんま兄さん」(今田耕司など)と呼ばれている。また、所ジョージは「明石家さん」と呼ぶこともある。萩本欽一の「大将」、ビートたけしの「殿」に対する形で「若」という呼称もある(主にジミー大西などが使用)。近年はBIG3であることや長年に渡って、お笑い界で活躍したことから若手のお笑い芸人から「師匠」と呼ばれることが増えている。但し、正式な弟子は存在しない。
- 過去に「西の郷ひろみ」と呼ばれていた」と笑わせるが、ごく一部の地域以外ではさんまは無名の存在であった。知名度が上昇するのは1980年代になってからである。
- 同じくBIG3であるタモリ、ビートたけしからは「お前」「あんた」「さんちゃん」「さんまちゃん」と呼ばれ(たけしは「明石家」と呼ぶ事も)、さんまはタモリやビートたけしを基本的にはさん付けで呼ぶが、突っ込む時には、年上にも関わらず「ビート」(もしくは「たけ」、「たけし」)と呼び捨てにしたり「あんた」「お前」と呼ぶ場合もある。
- 村上ショージはさんまが暴走した時などに「先生(センセ!)」と呼び、なだめる場合がある。
[編集] 身体的特徴
- いわゆる「出っ歯」の代表的人物として有名。前歯を差し歯にするときに「少し引っ込めますか?」と言われたが、断ったそうだ。また、差し歯のメーカが(冬のソナタの)ヨン様と同じだと言い張って物マネをしていた。一時期その顔つきを自ら新幹線『のぞみ』(新幹線300系電車)と表現したことがある。
- かん高い笑い声とドナルドダックの様な「クワーッ(もしくは「クエーッ」)」という引き笑いが特徴。音声学的見地から言えば、アホウドリの鳴き声と同じであると言われる(従兄弟弟子にあたる嘉門達夫は「引き笑い鳥」と名づけている)。普段の話し声は実年齢を遥かに上回る声と分析をされたがこの笑い声だけは30代の声と解析された。この引き笑いの声を、とんねるずの木梨憲武はゴルフ場で雉の鳴き声を「あ~、さんまさんも(このゴルフ場に)来てるんだ」と言い、雉とさんまの声を真剣に聞き間違えた。
- 睡眠時間が極度に少ない。雨上がり決死隊・宮迫博之によると「仕事で3日間一緒になった際、多分あの人はあの3日間一睡もしていない。宮迫が機内で寝ようとしたら、起こされた。また、初日の収録が終わり、次の日の入り時間が早朝だったにも関わらず深夜まで一緒に飲み、次の日フラフラになって収録現場に行ったら、何も無かったかのように元気なさんまさんがいた。こんなことが3日間続きながらも収録が終わって、ダウン寸前で家に帰ってテレビをつけたら、さんまが生放送番組に出演していた」との事。また、寝顔を人に見られるのを極端に嫌い、新幹線で寝ていた際、すぐ後ろに座っていた宮迫博之が寝ていると思った次の瞬間、パッと起き上がって振り返り、宮迫に「(俺が寝てたこと)絶対言うなや」と言った。自身の番組『明石家さんちゃんねる』(TBS系列)では、さんまがあまりにも寝顔を見せないため、「さんまの寝顔写真大募集」と言う企画が行われた。しかし、送られてきたのはたったの1通で、しかも13年前に1度だけ寝顔を撮られた写真のみであった。またタモリ曰く、さんまは寝付くのは異常に早く、ずっとしゃべり続けた後「じゃあ寝まっか」と言った次の瞬間には寝ていたらしい。すぐ寝られるのと同様、起きた瞬間からもう陽気であるという。本人曰く、「寝ないのではなく寝られない」という一種の病気であることを医者から診断されており(番組内で「躁状態が続いている症状」と診断され、「こういう人は陽気にはしゃいでいたかと思ったら、突然死する最後を迎える」と言われた)、睡眠導入剤を使って無理やり寝ることもある。
[編集] 趣味・嗜好
- デビュー当時は勉強家で、古典的なコメディ映画などビデオで、自分の笑いの糧にしたという。
- いわゆるテレビっ子であり、芸人の活躍する番組は多くチェックしている。家にいる時間はほとんどテレビを見ており、睡眠時間を極度に削って、ゴールデンから深夜番組まで何でも見ている。そのため、他の大御所芸人とは違い、若手芸人のネタなどを何でも知っており、中堅芸人(雨上がり決死隊・くりぃむしちゅーなど)でさえも気を抜けないという。特に『アメトーーク』はよく見ていて雨上がり決死隊の宮迫曰く「前アメトーークのスタジオに恋のから騒ぎに出てた女の子がおった」とさんまが発言していたらしい。またさんまは、その当時流行している言葉等を自分でマネる、もしくは連呼することが多い。波田陽区をテレビで観たさんまが、「残念!」などの決め台詞を真似し、そのことが波田のブレイクに大きく影響を与えたとも言われる。また、NHK『爆笑オンエアバトル』の熱心な視聴者であり、同時に本番組を高く評価している。後輩に「お前らが出なアカン番組は『爆笑オンエアバトル』や!」とも発言したことがある。『明石家さんちゃんねる』では「1人で酒を飲むとき」という話題で、「夜中に『爆笑オンエアバトル』を見ながら酒を飲む。そして、(つまらなかった芸人を見て)『オレもまだまだ大丈夫』と安心する」と発言した。
- 大のスポーツ好きであり、運動神経抜群と自ら豪語する。高校時代はサッカー部に所属(県大会決勝まで勝ち進んだ経験あり)。1980年代には「ザ・ミイラ」という芸能人サッカーチームのエースストライカーとして活躍した(このチームには木梨憲武や島崎俊郎、植草克秀なども所属)。ザ・ミイラは(Jリーグ開幕以前の)日本サッカー人気低迷期にオールスター戦の前座試合に出場するなど協力を惜しまなかった。このため、現在でもサッカー関係者との親交も深い。また観るのも大好きで、夜通しCSのスポーツ専門チャンネルを良く見る。そのためオリンピックやサッカーFIFAワールドカップの特別番組で数回キャスターを務めたことがあり、番組中のトークでも他のタレントと違いスポーツに対する造詣が深いことが伺われる。
- 番組出演時に自らの理想の女性についてよく語る。その理想の女性とは『うる星やつら』のラムと『タッチ』の浅倉南である。さんまはかわいくて一途(ラム)で清楚かつ優しい(南)女性が理想であると言われる。ラムを好きな理由は、「浮気をしても電撃だけで許してくれるから」だと言っている。歌のうまい共演者に「ラムのラブソング」を歌わせることがある(「あんまりそわそわしないで……」のフレーズが好きと言っている。例:加藤貴子-G1グルーパー、木村拓哉-さんタクなど)。最近ではメグ・ライアンが理想の女性と言っている。
- 薬師丸ひろ子、石原真理絵、内田有紀、広末涼子、米倉涼子など、時代の変遷とともに好みの女性が変わる。最近の若手新人アイドルでは上戸彩、長澤まさみ、大塚愛、相沢紗世の4人が好みとも発言している(上戸が『恋のから騒ぎ』出演時、発言。後に『さんまのまんま』に、大塚が出演したときも発言している)。
- 萌える設定として、しばしば「白いセーターを膝にすっぽり被せて体育座りをし、『知んないよ…。いなくなっても知んないよ……』と呟く女性を後ろから抱き締める」というものを挙げている。
- 納豆が苦手で、本人曰く「腐ったものを食べてまで健康になりたくない」。前妻大竹しのぶやその家族にも「納豆だけは自分の目の前で食べないでくれ」と言い、冷蔵庫に置くのも見えない位置に隠してもらっていたと本人が語っている(離婚間際は隠してもらえなくなり、目の前でも食べられた)。
- 愛娘の影響で近年はヒップホップ音楽を愛聴しており、(エミネムが特にお気に入り)時々腕を組んでラッパーの真似をすることがある。また、「子供の頃のビヨンセは『天使にラブ・ソングを…』に出ていた!」としばしば発言しているが、おそらく『天使にラヴ・ソングを…2』に出演していた、若き日のローリン・ヒルと勘違いしている(2006年12月2日の『ヤングタウン』での「前略のコーナー」直前の発言からこの勘違いは修正されている様子)。
- チェーンスモーカーであり、さんまのまんまでは、よく喫煙しながらトークするシーンが見られる(ただし、目上の人や、未成年がゲストで登場した場合は基本的には吸わない。しかし、目上(年上)でもやしきたかじんなど、親しいゲストの場合は喫煙することもある)。中谷美紀がゲストにきたとき、さんまは中谷にどんな男性が好みか聞いた。中谷が「煙草を吸わない人」と答えると急に不機嫌になり、中谷に対して「わがままだ」などと口に出してしまったことがある。また、東京から大阪に移動する際に新幹線を使用するのは移動中に喫煙したいためであり、JR東日本が全面禁煙になる事を嘆いていた。後輩の村上ショージが禁煙した際には「そこまでして長生きしてどうする?」と述べている。
- 犬の話題が好きでトーク中にチワワの会話になると機嫌がよくなる。娘にウェルシュ・コーギー犬(名前はルル)をプレゼントする。その子供の内1匹はガダルカナル・タカがもらった。
- あまりテレビ等で話していないが麻雀好きである。
[編集] 競馬
- 2003年・2004年のJRAのイメージキャラクターを務めた。時々番組内で競馬について語り、フジテレビの競馬番組「うまッチ!」内に「さんま馬主プロジェクト」なる企画が登場。手始めに「マイネル」の冠号で知られるラフィアン・ターフマンクラブの岡田繁幸が妻岡田美佐子名義で所有する競走馬に馬名を付けて欲しいとのことで「シャチョマンユウキ」と命名。喜劇映画の名作『社長漫遊記』にちなんでいるが、JRAの規定により9文字以下でなければならないため「ウ」が抜けた。また、後日他の牝馬にも「シアワセナンダッケ」と命名された。
- 2004年の日本ダービーに岡田の妻、岡田美佐子が所有するコスモバルクで勝負し惨敗。コスモバルクの枠が5枠(黄色)だったため、黄色のスーツに黄色のネクタイを着用。表彰式では勝利したキングカメハメハの手綱を取った安藤勝己に対してトロフィー等のプレゼンターを務めた。
- 同郷の杉本清(大和高田市出身)とも親交があり、桜花賞、天皇賞(春・秋)、日本ダービー、宝塚記念、菊花賞、エリザベス女王杯、ジャパンカップ、有馬記念の前日には「サタうま!」で予想トークをする。また年末に「夢競馬」として1年間のGI振り返りトークする番組がある(両番組とも関西テレビ制作である)。姓が同じなので、杉本清をお父さんと呼ぶ事もある(杉本清がが馬券を取ったときに、『お父さんからお小遣いをもらった』など)。
[編集] 親交関係
- 中村勘九郎(現・中村勘三郎)の依頼で、NHK大河ドラマ『元禄繚乱』にゲスト出演する(遊郭の主人役)。その際、遊興にふける勘九郎扮する大石内蔵助に「嫁ハンには気を付けや」とアドリブを入れる(内蔵助の妻、りく役はさんまの元妻・大竹しのぶ)が、オンエアではカットされていた。
- 以前はラジオ番組などで「合コンは嫌い、何が楽しいか分からない」と熱弁していたが、現在では合コン大王としても有名。ことあるごとに関根勤、渡辺正行、ガダルカナル・タカ、笑福亭笑瓶、松尾伴内らと合コンをしている。芸能界の遊び王である津川雅彦、奥田瑛二とも合コン仲間である。
- オーストラリアのゴールドコーストに結婚していた時に購入した別荘を所有しており、かつてはこのローン支払いをトークの話題に上げていた。年末から翌年のお正月にかけて約2週間滞在するのが恒例で、村上ショージ・ラサール石井も毎年同行する。また、同じオーストラリアに別荘を持つ星野仙一・和田アキ子・板東英二らと合流してゴルフをするのが恒例行事。この滞在中にも昼夜問わずしゃべりまくり、2004年正月には同行していた一般の友人夫婦がさんまのしゃべり過ぎ、夜中までの談義で倒れ、病院に運ばれたことが村上ショージの暴露で明らかになった。声をかけられると誰にでも手を振るため、2006年の正月には空港で個人輸入業者と間違われ、面倒くささから反抗してしまい現地警察で数時間拘留されたという。
[編集] 仕事
- 一部の番組では自ら企画構成も行っている。その時の名義は本名の「杉本高文」としている。
- 1999年に「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。
- 『さんまのまんま』に若手女性タレントや若手女優が出演すると、泣かせてしまうことが多い。酒井法子、山瀬まみ、羽野晶紀、西田ひかるなどが泣かされた。また、別番組の『さんまのSUPERからくりTV』では小倉優子を泣せた。放送中に泣かせたタレントのマネージャーから謝罪を突きつけられることが多かったが、「現場は戦場や!」と断言するさんまは拒否し、「泣くぐらいやったら俺の番組に出んなよ!」と言い負かしたこともある。
- 関西ローカルで『痛快!明石家電視台』(大阪収録)、『ヤングタウン土曜日』(東京収録)の2本の番組があるが、これは「大阪の番組という初心を忘れないため」だと言われている。本人は、女性問題で一時期干された時にラジオの若手スタッフだけがかばってくれ、そのスタッフがそのままテレビに行ったので(義理で出ないと)しゃあないと語っていた。
- 年末から翌年のお正月にかけてオーストラリアに滞在するためクリスマス明けからお正月の生放送番組には出演せず、年末の仕事終わりは『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』となる。その代わりクリスマスの特番には多く出演している。
- 番組制作スタッフとの確執からか、1985年以降テレビ東京制作番組、1995年以降テレビ朝日制作番組には一切出演していない。
[編集] 私生活
- 石原真理子著の『ふぞろいな秘密』で関係のあった人物として名指しで公表される(詳しくは後述)。
- よく番組内で共演者が「さんまさんは普段からあの調子でベラベラしゃべっている」と言うことがあるが、実際そのままであると言われ、『痛快!明石家電視台』の収録の為の新幹線内では、隣同士に座る共演者の松尾伴内と行き帰りの4時間以上、ずっとしゃべり続けており、宮迫博之から「他の乗客は疲れて寝たいサラリーマンの人達ばかりなのに、ずっと二人がしゃべり続けているから寝れなくて困っている」と言われている。喉への負担も大きく、寝起き時はかすれた声しか出ない。
- ジミー大西、間寛平、村上ショージ、笑福亭笑瓶、松尾伴内、フットボールアワーの岩尾、そして大泉洋には絶対生まれ変わりたくないらしい。
- 滅多に体調を崩さない。そのため、37度の微熱でも当人にはとても辛く感じられるという。風邪を引いたときは、みかんを食べて太陽に向かって走ると言う(実際にやった東野幸治は逆に悪化したという)。
- 運転免許は娘が産まれた後取得した。当時の妻・大竹しのぶは女性誌の取材で「子供を生んでからしばらくの間、腰痛で運転したくなかった。代わりに運転するためにさんまさんが免許を取った」と言っているが、自身は番組で「運転を名目に、娘のおむつ交換から逃げられるから免許を取った」と度々言っている。
- 2006年にビルを購入している。
- 游玄亭、 、 、でよく食事をしている事を番組で公言。
[編集] 家族
- 実母とは死別している。また、1983年4月に弟が火事で焼死し、実父は2006年2月4日に死去。
- 実父は、さんまが噺家(芸人・芸能人)になるのを反対していたようだが、さんまが売れた後、「カラオケスナック・さんま」を開店するという手のひら返しをした。また、電話で本名の高文でなく、さんまと呼ぶようになりショックを受けたそうだ。
- 1988年9月、女優の大竹しのぶと結婚、長女・いまるが誕生するが、1992年9月に離婚。
- 子供には「お父さん」と呼ばせず「ボス」と呼ばせている。本人はその理由を、常々自分という人間は父親という器ではなく、昔から「ボス」と呼ばせるのが夢だったと語っている。但し、これには、さんまを「お父さん」と呼ぶことに抵抗があるかもしれない二千翔(大竹しのぶの長男)への気遣いもあると大竹が著書で語っている。
- 座右の銘は「生きてるだけで丸もうけ」であり、さんま曰く、長女の名前も座右の銘から「いまる」と名付けたとしているが、大竹は「今を生きる」から名付けたと言っている。名前が公表されているにもかかわらずさんまの番組などでは顔出ししたことが一切無かったが、2006年、大竹が出版した自叙伝の中で二人の顔が初めて公開された。『27時間テレビ』・今夜は眠れないのコーナーで、大竹や長男の二千翔(にちか)とともに電話出演が一度ある。
- 2006年7月23日放送の『おしゃれイズム夏の60分SP』によると、現在のところ再婚する気満々らしい。あと、番組中にいまるが3歳の時に製作した父の日の初めてのプレゼントを紹介している。
[編集] ひょうきん族
- 1981年にビートたけしや島田紳助などとともにフジテレビ系のバラエティ番組『オレたちひょうきん族』にレギュラー出演。
- 1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故では、事故機に搭乗予定だったが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれなかった。当時東京~大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送があった。番組は殆どが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていた。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後移動手段を新幹線に変更した。また、このような苦い経験があったにもかかわらず、後に日本航空の「JAL飛びサスケ」のCMに出演したことについては各方面で賛否両論の声があがった。
- 『ひょうきん族』時代、「パーデンネン」に化けていたさんまは、派手な服装や髪型で有名だった芳村真理から「さんまちゃん、派手ねー」と言われたことがある。芳村は当時フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオDELUXE』の司会をしており、1985年に同番組の放送曜日が変更となってから、収録日が『ひょうきん族』と同じ水曜日になっていた。さんまは未だにこのエピソードが強烈に記憶に残っており、『夜ヒット』あるいは芳村真理と言えば真っ先にこのエピソードを紹介することが多い。また、芳村の代名詞ともなっていた「どうもー」という挨拶であるが、芳村本人が「どうもー」を言ったことは少なく、実際にはさんまが『ひょうきん族』などで芳村の物真似をしていた中で「どうもー」を連発していた。
- 私生活で女性の出入りが激しいことが語り伝えられ、本人もそれを否定せず「日本一の最低男」と開き直り「笑っていいとも!」の出演コーナー名にもなった。女性関係の詳細を知る紳助が『ひょうきん族』のコント劇の中で、さんまの住むマンションの前でさんまの帰りを待つ女性を演じ、さんま及び付き合っている女性しか知り得ないような内輪ネタを披露するというシリーズがあった。
- 1987年、『笑っていいとも!』のトークコーナーで、吉永小百合のファンであるタモリをいじるため、楽曲中に「鹿のふん」という吉永らしからぬ歌詞が出て来る「奈良の春日野」を発掘・放送、大きな話題を集めた。レコードは吉永の許諾の元再発売され、フライデー襲撃事件でたけし不在となっていた『ひょうきん族』でもこの曲を流用。そこではさんまが着ぐるみを着て踊っていた。
- 「ひょうきんニュース」のコーナーに出演する時は、本名の「杉本高文」を名乗っていた。
- 数々演じてきたキャラクターの中で「パーデンネン」だけは恥ずかしかったと語る。逆に一番好きだったキャラクターは「ブラックデビル」。一方、たけしがさんまのキャラで一番好きだったのは、わずか3週で消えた「サラリーマン」である。カルチャークラブのボーイ・ジョージにパーデンネンの格好を見られたとき"You crazy"と言われた。
- 番組終了後、フジテレビの美術スタッフから歴代キャラクターのフィギュアを贈られている。
- 「ひょうきんベストテン」の初代司会者。
[編集] その他のエピソード
[編集] 若年時代
- さんまの出身小学校には、小学生当時捕まえたももんがが展示されているらしい。また当時「ももんがを捕まえた少年」として話題になった。
- 高校時代に運動会の徒競走で「よーいドン」と共に後ろへ逆走した。その結果、運動会は一時中断しさんま含む8人の悪ふざけグループは正座させられ、教師に竹の旗で頭を叩かれる。ある一人に対しての音が「バシッ」ではなく「ポコン」だった為さんまは笑いをこらえ下を向いていた。その時教師に全校生徒に「見てみろ!杉本が泣いてるぞ!こんな男でも反省するんだ、杉本泣いてるな?」の言葉にさんまは「プッ」と吹き出してしまった。それを見た教師はさんまを追いかけ腕を掴んで怒られている時に、新聞部の生徒が写真を撮った。後に番組でその写真が見つかり長嶋一茂が「Tシャツにしてください」ということで、2007年の『さんま・中居の今夜も眠れない』でそのTシャツを着て出演した。ちなみにそのTシャツには写真と「Please!! give me a break?」の文字が描かれていた。
- さんまは中学、高校の頃はアメリカの女子水泳選手:シャーリー・ババショフのファンであったことを、1997年頃の自分の番組『さんま・玉緒のお年玉あんたの夢をかなえたろかスペシャル』(TBS)の中で語っていた。その縁でババショフがさんまの番組にVTRで出演してくれたことがある。
[編集] 内弟子時代
- 1974年2月、県立奈良商業高校3年の時に2代目笑福亭松之助に弟子入り。下積み時代は兵庫県西宮市甲子園に在住。当初の芸名は「笑福亭さんま」。
- 入門の動機は花月劇場で見た松之助の新作落語が面白かったから。初めて顔を合わせた際、「なんでワシのところに入門してきた?」と松之助に言われたさんまは「あんたにはセンスがある」と言った。さんまとしては素直な気持ちを伝えただけなのだが、不遜な発言である。だが、逆に松之助は「おおきに」と礼を言った。入門生活は、丸刈りにされること以外はあまり厳しくなく、放任主義だったという。
- この時に春風亭小朝と出会っている。
[編集] 関西ローカル時代
- 1975年、『11PM』(日本テレビ系)でテレビデビューを果たす。「落語家の成人式」というテーマだったが、さんまは師匠・松之助の忠告により営業用の赤いブレザーを着用。また番組内で、女性漫才コンビ「海原千里・万里」の海原千里(現在の上沼恵美子)から、「SEXの四十八手以外に知っている技がある人は?」という質問に対し、「逆さ十文字落としでぇ~す」と答えて技を説明した。スタジオは爆笑だったが司会の藤本義一から「テレビで言って良いことと悪いことがあるぐらい覚えておきなさい!」と叱責される。しかし、横山やすしには気に入られ、その後やすしの家に招待された。また、この放送を見ていた松之助は、この件を大いに絶賛している。
- 1976年に毎日放送(MBSテレビ)の人気番組『ヤングおー!おー!』に出演。「チャッピー」と名付けられ、司会の桂三枝の愛と厳しさに育まれながら、次第に頭角をあらわす。番組内ユニット「ザ・パンダ」(先代林家小染・月亭八方・桂きん枝・桂文珍)を改編してさんまをメインにした「さんまアンド大阪スペシャル」(SOS)を立ち上げ、諸先輩を差し置いて1コーナーを任されるまでになる(当時のキャッチフレーズ「おれは大阪のさんまや!」)。その後、プロ野球阪神タイガースの小林繁投手の投球フォームを形態模写して評判になり、関西を中心にアイドル的な人気を勝ち取る。そして、1980年より、10年余りにわたる同番組司会を卒業することとなった三枝からの指名によって後継司会者の座に付き、番組終了時まで2年9ヶ月にわたり晩期の同番組の大黒柱として活躍した。
- 兄弟子に当たる五所の家小禄と漫才コンビを組んでいたことがある(その当時のVTRは現在もよみうりテレビに残されている)。
- 駆け出しの頃は、よく同期の紳助と二人で遊園地などに営業に行っていた。この他、同期にはオール巨人、桂小枝らがいる。また中川一美(寿一実)と一緒に新喜劇の舞台で共演していた事がある。
- 1979年、関西テレビで午後7時から放送された番組『誰がカバやねんロックンロールショー』の司会を担当。同名のバンドや、紳助・竜介らと共演し、関西の若者を中心に人気を呼んだ。
- 1979年、シングル「Mr.アンダースロー」で歌手デビュー。大阪ガスのCM曲だったこのシングルは、オリコンの大阪チャートで1位を獲得した。キャッチコピーは「頼れるエースはアンダースロー」。「CMが放映されブレイクしていた時に、番組内で『燃料といえば?』と振られたので、あえて『練炭』と答え大爆笑を誘ったが、ガスのCMから降ろされてしまった」と本人はネタにしている。
- また、『花王名人劇場』(関西テレビ制作 フジテレビ系)の『裸の大将放浪記』で、和菓子屋ぎおん堂の番頭としてゲスト出演。芦屋雁之助演ずる山下清をいびりまくる演技で、注目を受ける。
[編集] 1980年代前半
- 20代の頃は、芸能人オールスター運動会で、田原俊彦など当時人気絶頂のアイドル相手に空気を読まずにリレーで先着したことがある。番組関係者からこってり怒られたとも言われる。
- 1984年6月22日、『笑っていいとも!』に出演した作家の有吉佐和子が、「テレフォンショッキング」で42分間にわたるおしゃべりで番組をジャックした際、あまりのしゃべりの長さに有吉に食って掛かり大喧嘩の様相を呈した。その2ヵ月後の8月30日、有吉が急性心不全で死亡し、タモリが「あの時お前が喧嘩したから死んだんだ」と言っていた。
[編集] 1980年代後半
- 1985年、サザンオールスターズのアルバム『KAMAKURA』のテレビCMに出演した。その時のギャラはCDウォークマン(当時の価格としては5万円相当と推測される)だけだったという話を多くのレギュラー番組で吹聴したが、実際のところは判然としていない(桑田佳祐はサザンの20周年特番内で本当だったとコメントしている。ただし、桑田もこのテのギャグが大好きなので真偽は依然曖昧なままである)。
- 1985年、第1回東京国際映画祭においてタモリとともに司会者をつとめる。後日、その司会ぶりが「ふざけた司会者」「ソフィー・マルソーに知っとるケと言う始末」と新聞紙面上で非難される。当時のレギュラーだった金曜日・笑っていいとも!でトークのネタにする。タモリといっしょに「始末か!オレたちは!」と叫び、挙手をしながら「私がやりました!」と言った。
- 1985年5月30日、『夕やけニャンニャン』のとんねるずのタイマンテレフォンに飛び入り出演し、石橋にけしかけられ、相手に向かって「おい○○、お前テメーコノヤローオメー!」とノリノリで挑発したが、相手に「何ですか一体」とさらりと返され「なっなっ…何ですか一体ってお前こそ何やねんアホ~」と言い返すのが精一杯であった。
- 1986年10月6日放送のさんまのまんまにゲストで梓みちよが出た際、さんまが言った一言が梓の気に障ったようで、自分が飲んでいたシャンパンをさんまに2度かけた。それが週刊誌で騒がれ、後日お詫びとして梓から高いブレスレット(値段は不明)がさんまに送られてきたとさんま本人が語っている。
- 1987年、ナムコがファミリーコンピュータ用ソフト『さんまの名探偵』を発売する。
- 198X年XX月XX日、フジテレビの歌番組『夜のヒットスタジオ』にゲスト招待されたが、知っとるケのコント衣装のままで現れた。完全に失敗し、その当日出演のアイドル歌手・堀ちえみにも完全無視され、ゲストの外国人アーティストにも「アー・ユー・ア・シンガー?」と質問された。
[編集] 1990年代前半
- この頃には『オレたちひょうきん族』も終わり、またダウンタウンやウッチャンナンチャンなどの人気が急上昇してタレントとしては陰りが見え始めてきた。さんま自身も全国放送のゴールデンタイムのレギュラーがなくなったことで「さんま限界説」が業界内で囁かれた。
- 1993年12月、逸見政孝がガンで死去した際「逸見さんがテレビでガンを告白した時、『この人はもう帰ってこれないだろうな』と正直思いました。正直ね…」と語った。
- この頃、東西の芸人(芸能人・タレントよりも狭義)でのゴルフコンペ「素人名人会」が行われており、さんまも常連参加者であった。ある回で第1打を打とうとしたところ、自慢のドライバーのヘッドがなぜか折れていて、シャフトだけを振りかぶっていた(同組の上岡龍太郎から「さんまくん、今日は釣りか」とツッコまれて気がつく)。錚々たるメンバーの揃った会でありながら、その中でも最も目立つことをしてしまい、参加メンバーの番組で軒並み語られることになる。
- 卓球の福原愛が幼少時、『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』に出演した時、さんまとの試合で敗北した際、福原が失敗するとさんまは大人気ない行為を行ったり、自分が成功すると大はしゃぎで喜んでいた為、番組中に泣かせたことがある。福原の主張によればこれはさんまがルール違反のサーブをした為で、それを今でも認めないさんまとは対立関係が続いている。
- 1995年のフジテレビ正月特番「爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル」で研ナオコと白組キャプテンをつとめた際、紅組の斉藤ルミ子がシンディ・ローパーのまねをしたところ、本人が登場し、足を触ってもらってご満悦だった。そこでシンディ・ローパー本人が肩を抱き、あげくに持ち上げるパフォーマンスを行った。なお、同じく紅組の城之内早苗が小林幸子のものまねをする前のトークで、「セットじゃ足りないから、今度はきっと東京タワーを背負う」「その次はNHKホールを背負う」などと盛り上がったのはいいが、そこへ本人が登場し、研ともども、土下座して謝った。
[編集] 1990年代後半
- 1995年の夏、さんま主催の特番『明石家さんまのスポーツするぞ!大放送』で「オールスターフリースロー選手権」を開催。さんまの「俺はフリースローでは負けないぞ」と発言。
- 1995年の秋、長年レギュラーだった『笑っていいとも!』を降板。
- 1996年、フジテレビの人気ドラマ番組『古畑任三郎』に出演、やり手の弁護士、小清水潔を熱演する。当初は売れないロックシンガーの役の予定だったが、プロットを聞いたさんまは脚本家の三谷幸喜に対して軽い気持ちで「弁護士と古畑が闘うってのはおもしろいんじゃない?」と提案。すると自らも法廷物が好きな三谷は快諾し脚本を書くが、余りにもセリフが多くなりそれを覚えられないさんまに対し、主演の田村正和が撮影中に「今度間違えたら自分が帰りますよ」と言ったという。さんまは撮影後、「法廷物はもう嫌だ」と漏らしたと言われている。
- 1997年12月11日、『いいとも』・テレフォンショッキングで、前妻の大竹しのぶが「お友達を紹介してほしい」と言われた際、「友達じゃなくてもいいですか」と前置きした上で離婚した元夫・さんまを紹介し、さんまからも「友達ちゃうやろ!」と指摘され苦笑しつつ電話をする。これ以降、いいともでのさんまの出演はない。
- 1999年、「日本で最も露出の多いテレビスター」としてギネスブック世界記録認定。
[編集] 2000年代前半
- 2000年
- 2001年
- 『FNSオールスターズ27時間笑いの夢列島』では、当時放送していたバラエティー番組『明石家マンション物語』で演じていた「横山3兄弟」というキャラクターに扮して、27時間テレビ内のコーナー『クイズ$ミリオネア』に出演し9問連続正解するも100万円の問題(10問目)で不正解となる。また、解答中にライフラインとして前妻である大竹しのぶに生電話をするという離れ業を使う(翌年も「さんま・中居の今夜も眠れない」で大竹に生電話。子供の二千翔やいまるの声も電波に乗った)。
- 『すぽると!』(フジテレビ系)が『感動ファクトリー・すぽると!』だった時代、「工場長」をつとめており、土曜日の放送に不定期に作業服姿で出演していた。
- 2002年
- 阪神タイガース監督に親交のある星野仙一が就任した際「優勝したらパレードに参加して土下座します」と明言したが、その翌年の2003年に優勝。巨人ファンであるさんまだが、約束通り11月3日のパレードに参加する予定だった。ところが星野監督が辞意を表明していたため、「自分がおふざけで行くわけにはいかない」と参加を辞退した(春のキャンプを訪れた際に星野からさんま用ユニフォームが用意されていたが、ユニフォーム背番号は800番であった。星野監督が選んだもので、理由は「嘘八百」から来ている)。またこの当日、さんま司会の優勝特別番組が朝日放送系列で全国放送され、星野監督他、主力選手達がゲスト出演した。この特番の関西地区での視聴率は33.4%と高かった。
- ドラマ『空から降る一億の星』でダブル主演を務めた木村拓哉と交友を深めたのがキッカケで、2003年1月3日に放送された『さんタク』をすることになったと言われている。2003年以降、毎年、お正月に放送されており、2005年には、ついに元日に放送された。この『さんタク』を始めたことにより、SMAPの中居正広『さんま・中居の今夜も眠れない』と木村拓哉『さんタク』それぞれと番組を持ったことになる。
- 2002 FIFAワールドカップの準決勝、韓国対ドイツ戦の中継が日本テレビ系列にて放送された際、韓国への渡航を拒否し、ドイツ代表のユニフォームを着用して、日本のスタジオで司会進行を務めた。これについて韓国サイドからは批判の声があがった。さんまは後に「ドイツ代表が好きだから、ユニホームを着てただけなのに」と語っている。
- 2004年
- 『さんまのSUPERからくりTV』で打倒・松岡修造を目標に「からくりテニス同好会」を結成するが、メンバーの上達の遅さに苦労した。初対戦となった2003年末SPでは最後はお見合い状態で敗れ雪辱を架けて挑んだリベンジ戦の第2戦(舞台は有明コロシアム)でも最後は浅田美代子のフォルトで敗れ、返り討ちにあってしまった。
- 2004年3月26日放送の『さんまのまんま』にやしきたかじんと共演(1990年代にも一度たかじんは同番組に出演していた。また、1995年1月15日にはさんまも『たかじん・ナオコのシャベタリーノ』にゲスト出演した)。この時は、たかじんの司会におけるスタイル(パネル芸など)に対して、駄目出しを連発した。
- 韓国ドラマ『冬のソナタ』の主演俳優であるペ・ヨンジュンが「ヨン様」と呼ばれて大人気となったことを受け、彼の髪型に似せたかつらを被り微笑を見せ、自らを「サン様」と称して笑いを取ることもある。
- この「サン様」は、日本テレビ系『恋のから騒ぎ』の「さんま 愛の説教部屋」のコーナーで、「ヨン様」のコスプレをしたことがきっかけで誕生。また2004年7月24日~25日に放送されたフジテレビ系『FNS27時間テレビ』内で、SMAPの中居正広と共演した『さんま・中居の今夜は眠れない』の中では、ヨン様についての話題になった際、ヨン様スマイルの真似をして自ら「似てる!」「俺の差し歯とヨン様の差し歯は同じメーカーや!」などと豪語、笑いを誘った。さらに、フジテレビ系『さんま・玉緒・美代子のいきあたりばったり珍道中inドイツ』でもオーケストラの演奏を聴くシーンで登場。
- この年の「彦八まつり」にこの年の実行委員長・笑福亭鶴瓶の要請に応える形で出演。混乱を避けるため、出演日は公表されなかった。当日落語を披露するという情報も手伝って、来場者が2日間で例年の2倍である10万人を超え、過去最多記録を更新した(着物姿で「大喜利ガバチョ!」に出演したものの、落語は口演しなかった)。
- 2005年
- 50歳の誕生日に「明石家さんまつり」を生放送する。
- 2005年には、「もっこりもこみち」(『恋のから騒ぎ』でから騒ぎメンバーが使っていた)等のフレーズを番組出演中に連呼していた。
- フジテレビ系列の25時間テレビ(2005年『FNS ALLSTARS あっつい25時間テレビやっぱ楽しくなければテレビじゃないもん!』)の一コーナー「さんま・中居の今夜も眠れない」で紳助と久々の共演を果たし、お互いの過去の恋愛話を暴露し合った。
[編集] 2000年代後半
- 2006年
- 『さんま・福澤のホンマでっか!?ニュースSP!』(2006年9月15日放送)で、前回(同年4月28日放送)の罰ゲームで安倍晋三(2006年4月の時点では官房長官)を焼肉店へ連れて行くという約束をし、日付まで決まっていたが、その日に北朝鮮がテポドンを発射したためそれどころではなくなってしまったというエピソードを披露した。
- 所萬遊記で、所ジョージがさんまがかねてから熱望していた「コカ・コーラ」のCM出演について語り、本人は「スカッと爽やかな」イメージをしていたが、実際のCMは「コッカ・コ~ラを飲も~うよ」とお笑いテイストたっぷりであったことにショックを受けていたというエピソードを披露した。
- さんまのマンションに細木数子が来た。インターホンの画面いっぱいに映った細木を見て一体何を言いに来たのかびっくりしたが、さんまに会いに来たのではなく、同マンション内の日本舞踊教室の部屋と間違えていただけだった。
- 石原真理子著『ふぞろいな秘密』で過去に男女関係にあったことを暴露される。後に『明石家さんちゃんねる』内で「むなしい。ああいうことをしちゃいけない」と感想を述べるが、12月20日に『ごきげんよう』でゲストとして登場した時には早速トークのネタにし、改めて暴露された事柄について否定及び批判をした。本人は二人の関係を暴露された事よりも「ベッドの中ではいたって普通でした」との記述に腹が立っていた。だが、その記述について「早く訂正してもらいたい」とトークのネタにしている(ちなみにさんまの友人である所ジョージは、2007年4月放送の日本テレビの特番でさんまと共演した際、この記述に対して「あの記述は嘘だね。私はさんちゃんと私生活でも長いこと親しくさせてもらってるけど、普通だった瞬間なんて今まで一度もなかったよ」と冷静な口調で反論した。
- 2007年
- 6月1日放送の「さんまのまんま」で後輩であるダウンタウン・松本人志と10年振りに共演。長年ささやかれていた不仲説もあり話題となった。
- 6月13日放送の明石家さんちゃんねるで次長課長の河本がビリーズブートキャンプを紹介するが、さんまは一蹴するも、後日「明石家さんちゃんねる」2007年6月27日放送でビリー・ブランクス本人がスタジオ外のロビーで共演、さんまはさとうきび畑の唄の旧日本軍の軍服姿でビリーに最後まで抵抗、ビリーもさんまを挑発していた[1]。
- 12月16日TBSにて放映していた自身の主演ドラマ「ハタチの恋人」の最終回が終わる頃を見計らい、FIFA主催CWC(クラブワールドカップ)の総集編に出演。ゲストとして出演したACミランの選手を指差し、ウェアを脱がそう等おおはしゃぎし、非難を浴びた。
- なお、前述の「ハタチの恋人」は前評判こそ多くのスポーツ紙などで期待がかけられたものの、結果的に10%を越えた回が2回と比較的ヒット作の多く見られた2007年秋クールの中では大コケという結果になり、J-CASTニュースでもその安易なストーリー展開や「さんまが長澤と競演したかっただけ」という実態を厳しく批判していた[2]。
- 2008年
- 7月26日から27日にかけて、FNS27時間テレビの総合司会を担当することになった[3]。
[編集] 持ちギャグ
他人がテレビで発した思いがけない一言を、さんまが持ちギャグにしてしまうことが多い。
- アホちゃいまんねん、パーでんねん パー
- 知っとるけ~?(「知っとるけ~のけ~?」の場合もある)
- おまち~
- ファ!(ブラックデビル)
- なっとく(手を胸にあてて)
- ギャグ、どっかにおって(落ちて)まっかね?
- 意味ないじゃ~ん(例:宮川一朗太の太、意味ないじゃ~ん)
- さんまのからくりTV内の「からくりビデオレター」内で、一般のおじいさんが発言したもの。他にもこのコーナーで一般の人が発した言葉がかなり多数を占めている。
- そんなことしちゃ、ダメダメ(両手の指でバツ印をつくりながら)
- (「フーフー」の歓声に応えて)キミら、フーフー教の教祖か?(本当は信者なのだが教祖のほうが言いやすいから?)
- そんなんいらんねん(そんなんはいりませ~ん、俺イエスマンいらんねん)
- ハッハッハ、堺正章でございます
- どうもー、芳村真理でーす
- 「どうもー」を一躍芳村の代名詞とさせたのはさんまによる物まねがきっかけだった)
- (いやーん、)めっかっちゃった
- はいはーい、もっこりもこみち(電話に出るときの仕草で)
- 浦島太郎って息長くなーい?
- あのよー
- (先輩に対して)失礼ですけど、ほんま殴るぞ(先輩のタレントに対して)
- 下ネタかよ!(全く下ネタじゃないボケに対して唐突に言う)
- 桜田淳子です。
- 大原麗子です、ちょいとお前さん
- 幸田シャーミンシリーズ
- スーパータイム!!
- こんばんは、幸田シャーミンです。
- 幸田シャーミン、おもしろい
- (無線機を口元に当てる格好をして)隊長、アホめっけました
- (