花紀京

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花紀京
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本名 石田 京三
生年月日 1937年1月2日(75歳)
出身地 大阪府天王寺区
師匠 花登筺
事務所 吉本興業
活動時期 1958年 -
弟子 レツゴーじゅんチャーリー浜間寛平

花紀 京(はなき きょう、1937年1月2日 - )は日本の俳優お笑い芸人である。吉本興業所属。大阪市天王寺区出身。

本名:石田 京三(いしだ きょうぞう)。父は漫才コンビ「エンタツ・アチャコ」の横山エンタツ

愛称は「京ボン」。

目次

[編集] 来歴・人物

横山エンタツの次男であるが、尊敬する人物は父の相方であった花菱アチャコであると語っている。中学時代は、父親が喜劇人エンタツであることを知らなかったらしい。大阪府立阿倍野高等学校を経て関西大学入学後の1958年花登筺に弟子入りし1959年には劇団「笑いの王国」の旗揚げに参加。

同劇団解散後、1962年に吉本興業入り。1963年には早くも吉本新喜劇の座長に抜擢され岡八郎原哲男、のちには桑原和男らとのコンビで活躍する。また、岡とは漫才ブームの時期にコンビを組んで漫才をしたこともあった。

ニット帽にシャツ、腹巻、ニッカーボッカーで目の下に隈、鼻を赤くしてのスタイルが多く泥棒役や土木作業員役が主な役どころ。特に原との独特のボケツッコミで知られ、新喜劇では本名の「京三」を役名として使っていた。同時に『てなもんや三度笠』などのテレビ番組にも出演する。

1989年、「新喜劇やめよっカナ!?キャンペーン」を開始した吉本新喜劇を退団。その後は多数の映画テレビドラマに出演し、新境地を開拓した。

また2001年ダウンタウン東野幸治ココリコロンドンブーツ1号2号山田花子藤井隆間寛平と期間限定ユニット「Re:Japan」を結成しNHK紅白歌合戦に出場した。

2002年8月に脳腫瘍の摘出をしている。また、2003年5月には自宅で入浴中に低酸素脳症で倒れて入院し、現在は療養中である。

[編集] 弟子

[編集] 直弟子

[編集] 孫弟子(いずれも間の弟子)

内場勝則も新喜劇に入団後は京に付いていた時期があり、師匠と弟子の関係に近い存在である。京は弟子に対しては厳しく、間が入門当時馴れ馴れしい話し方をした時に激怒した。間は内弟子時代に「師匠」の漢字と言葉を知らず、「兄さん」呼ばわりして、こっぴとく怒られたエピソードがある。ちなみにチャーリー浜や間同様、南海時代からの熱烈なホークスファンでもある。

[編集] ギャグ

  • 「ええか、そこだけは絶対に開けたら(見たら)あかんぞ」
悪人に取られては困るものの隠し場所を、当の悪人に向かってこう言って教えてしまう。見つかったあと「あれ、何でわかったん?」。
  • 「ほな、百万円」
ちょっとしたもの(飲食物など)の代金を聞かれて、ごく普通の顔で答える。相手はずっこける。
  • 食事したすぐあとで「あー腹へったァ」
  • 工事現場などで働かず遊んでばかりいて「さア寝よか」「飯にしようか」
  • やくざといざこざになったときに京が「店の中じゃみんなに迷惑かかる、表で勝負しようかい」。京をたよりに仲間の岡がやくざと表に出た瞬間、京は店から出ずに戸を閉めてかぎをかける。
  • 岡八朗のギャグに対して、満面の笑みを浮かべたり、「これは新しいギャグやから知らんやろう」など、笑いを倍増させる。
  • 隣り合った男女に対して、耳を触ったり、ブラジャーを外そうとする。両者は恋人がやったのだと思っているが、京の顔を見て驚く。

字面にすると伝わりにくいが京は間の取り方が絶妙で、ボケぶりは逸品である。

[編集] 出演作品

[編集] テレビ

ABC
毎日放送
関西テレビ
読売テレビ
NHK(いずれも大阪放送局制作)
在京キー局
第3シリーズ「密室で撲殺された美女」(1990年4月) - 藤瀬 役
第5シリーズ「殺意の女子社員寮・セクハラで辞めた男」(1992年)- 東海林 役
第9シリーズ「安浦刑事が文学入門!? 作家の犯罪」(1996年) - 塚本 役
第13シリーズ「8年間騙された妻!?秘密のラストダンス」(2000年)

[編集] 映画

  • 続番頭はんと丁稚どん
  • 続々番頭はんと丁稚どん
  • 続々々番頭はんと丁稚どん・チャンポン旅行
  • 一心太助・江戸っ子祭り
  • (喜)あゝ独身(チョンガー)
  • 喜劇・それが男の生きる道
  • その後の仁義なき戦い
  • ドッジGO!GO!

[編集] 外部リンク

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