桂文珍

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桂 文珍
(かつら ぶんちん)
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結三柏は、桂文枝一門の定紋である。
本名 西田 勤
ニックネーム ぶんちゃん
生年月日 1948年12月10日(65歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県篠山市
方言 関西弁
最終学歴 大阪産業大学
師匠 桂文枝 (5代目)
芸風 上方落語
事務所 よしもとクリエイティブ・エージェンシー
同期 月亭八方
桂きん枝
林家小染 (4代目)
間寛平
過去の代表番組 ヤングおー!おー!
ハイヤングKYOTO
クイズ地球まるかじり
スター爆笑Q&A
ウェークアップ!』 他多数
他の活動 司会者、俳優
弟子 桂楽珍
桂珍念
受賞歴
#受賞歴参照

桂 文珍(かつら ぶんちん、1948年12月10日 - )は、日本上方噺家。本名、西田 勤

兵庫県多紀郡篠山町(現:篠山市)福井出身。よしもとクリエイティブ・エージェンシー吉本興業)所属。大芋小学校、東雲中学校(現:篠山東中学校)、篠山鳳鳴高校を経て、大阪産業大学卒。出囃子は『円馬ばやし』。「桂珍幻彩」の名で高座に上がることもある。

来歴・人物[編集]

実家は農家。幼い頃はパイロットに憧れていたが、大学に入学してすぐに父が病気で倒れ、仕送りがストップし、ガソリンスタンドでの住み込みのアルバイトを余儀なくされる。大学生時代に落語に憧れ、落研で美憂亭 さろん(びゆうてい-、「ビューティーサロン」に由来)の芸名でテレビ出演をしており、その時に共演した桂三枝(現・6代桂文枝)の勧めもあって(当時三枝も売れっ子になっており、三枝は師匠の身の世話をする人物を探していた)、1969年10月に5代目桂文枝(入門当時は桂小文枝)に入門。当初三枝から「君は僕の次(2番弟子)やで」と言われていたが、文珍が入門する3日前に桂きん枝が入門したため、3番弟子となる(2002年にナゴヤドームで行われた講演会などでの発言)。ただし年齢はきん枝より上である(この入門時の経緯から、文珍はきん枝のことを「きん枝兄さん」ではなく、「きん枝くん」と呼ぶ)。同期に間寛平らがいる。

「文珍」の芸名は習字の「文鎮」に由来する。小文枝が物を書いていた時に、風で紙が飛ばされそうになったため、近くにいた西田に「おい、押さえとけ」と言った。言われるまま紙を押さえたところ小文枝がその様子を見て、珍しい人物なので、文鎮にかけた「文珍」と命名したという。

1974年に、「ヤングおー!おー!」のユニット「ザ・パンダ」(月亭八方・きん枝・4代目林家小染)に参加。若い頃は高座で「芸名桂文珍、本名滝廉太郎でございます」と名乗ったり郷里の篠山をネタにするなど、「丸眼鏡で地味な落語家」というイメージが強かったが、1980年代以降「ニューウェーブ落語」と称したパフォーマンスを取り入れた高座を開き、一躍新時代の落語家として注目を浴びる。また、司会者として兄弟子の三枝の様な軽快なMCが受け、一時期17本のレギュラーを持ち、小文枝一門の弟子では三枝についでのテレビ番組出演が多かった。しかし、雑誌で藤山寛美と対談した時に寛美から「レギュラー17本はしんどいですな。これからはそんなんが無くなっていくから気を付けなはれ」と言われ、原点の落語に重点を置いて行く。新作落語古典落語の両方演じる。古典では3代目桂米朝から多くのネタを稽古付けて貰った。主な得意ネタとして、新作では自作の「老婆の休日」「ヘイ!マスター」「マニュアル時代」、古典では「愛宕山」「百年目」「胴乱の幸助」「不動坊」「天狗裁き」「地獄八景亡者戯」「はてなの茶碗」「らくだ」等がある。

また、文藝評論家谷沢永一との縁から、1988年より関西大学の文学部非常勤講師を務め(2003年まで)、「文化人」としても認められるようになった。

俳優として「家族ジャングル」で一ノ瀬清役を演じ、「風のハルカ」で四方山一行役を演じており、役者としての才能も開花している。

2005年3月に、「ウェークアップ!」(現:「ウェークアップ!ぷらす」)が終了したことを機に、テレビ番組にほとんど出演せず、落語家に専念し若手の育成に励むことを表明。

弟子は、桂楽珍(らくちん)桂珍念(ちんねん)桂文春(ぶんしゅん)桂文五郎がいる、文春は2006年に急死。2005年頃から桂南光米朝事務所所属)、笑福亭鶴瓶松竹芸能所属)と所属事務所の垣根を越えたユニットを組んでテレビ番組の特番に出演したり、落語会の公演に出演するなど、従来の枠を超えた活動を始めている。

また、飛行機の操縦資格を持っており(1990年8月に自家用操縦士の技能証明、1994年4月には計器飛行証明を取得)、自身がオーナーの飛行機(ジャイロフルーク スピード・カナード SC01B-160、日本で1機のみ存在)を操縦し公演先まで遠方飛行するなど、多趣味、多彩な面を持つ。「飛行機を飛ばす芸能人」としても全国的に有名である。2003年能登空港開港の際第一号到着機になった。

1982年より毎年8月8日を「88文珍デー」と題して独演会を開催、2004年 同年より年に1回、桂南光、笑福亭鶴瓶との落語会「夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板」を開催、落語会としては破格の6,000円を超える料金が話題となる。

2007年10月から全国52カ所を巡る独演会ツアーを来年4月4日まで開催。その後はNGKで10日間の独演会。ゲストに独演会ツアーでは六人の会のメンバー他に3代目桂春團治笑福亭仁鶴、桂三枝、桂南光、NGKで10日間の独演会のゲストは今いくよ・くるよ中田カウス・ボタン、他吉本の漫才師が出演した。以降毎年独演会ツアーを開催中。なお2009年からは京橋花月で所属一門、事務所の枠を超えた落語会「京橋精選落語会」を京橋花月でスタート。

数年前から明石家さんまを落語家に復帰させようとしているが、さんまは「あんたがやりなはれ!」と言い返している。

島田紳助とは番組共演中にトラブルを起こしたため、不仲であり、紳助の引退まで関係が修復されなかった。桂ざこばとも同様の理由で不仲になった時期もあったが、ざこばとはその後和解し、米團治の襲名口上での共演や、「ちちんぷいぷい」でも共演を果たしている。西川のりおとは、一時期共演したCMを巡って(KINCHO「どんと」で共演)のりおが「自分だけ残りよって、ええかげんにせえよ!」と嫉妬心を抱いていたが、あくまでもCM出演の契約が切れ、止むを得ずのりおが降板をすることになったので、犬猿の仲ではないが、それを逆手にネタにしていた。

甲斐よしひろからは「好きな落語家の一人」として挙げられており、かなり親交が深い。

大学時代のエピソードで、友人達と野球をやる為に歩いていたら、学生運動をしている学生達に遭遇し「野球なんかして遊んでる場合か」と絡まれたが、文珍が「俺は野球がやりたいんじゃ!!」と凄い剣幕で言い返して運動家達を茫然とさせた事がある。

出演作品[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

テレビアニメ[編集]

ゲーム[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

受賞歴[編集]

  • 咲くやこの花賞(1983年、大衆芸能部門【落語】)
  • 上方お笑い大賞(1981年、第10回・金賞)
  • 上方お笑い大賞(1983年、第12回・大賞)
  • 花王名人大賞(1983年、第3回・最優秀新人賞)
  • 花王名人大賞(1984年、第4回・最優秀名人賞)
  • 花王名人大賞(1985年、第5回・名人賞)
  • 日本放送演芸大賞(1984年、第12回・奨励賞)
  • 芸術選奨文部科学大臣賞(2009年
  • 紫綬褒章2010年

CD・DVD[編集]

  • 桂文珍 10夜連続独演会(DVDBOX、2008年)
  • 桂文珍「朝日名人会」ライヴシリーズ(CD、全20枚)

著作[編集]

  • 文珍流・落語への招待
  • 落語的学問のすすめ(1989年)
  • 落語的学問のすすめPARTⅡ(1990年)
  • 新落語的学問のすすめ(2000年)
  • 日本の大学―この国の若者は、こんなんでっせ(1990年)
  • 科学する十二の扉(1992年)
  • 日本のサラリーマン(1992年)
  • 文珍の日本史人物高座(1992年)
  • 文珍でえっせー(2000年)
  • 対談集 浪花友あれ(1990年)

脚注[編集]

  1. ^ 1983年12月1日のテレフォンショッキングの開始直後、ゲスト出演前のタモリ単独のトーク中に不審者が乱入するという事態が発生。不審者はスタッフによって即刻つまみ出されたが、その直後に騒然とする会場へ不審者と同じように予告無く現れたのはセーター姿の文珍であり、「番組を続けて続けて」とおどけて引っ込んだ。その後当日のゲスト佳山明生が何事も無かったかのように登場した。