月亭八方

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月亭 八方
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結三柏は、桂米朝一門の定紋であるが、
月亭一門は変え紋として月紋を併用。
本名 寺脇 清三
ニックネーム 八方師匠、八方ちゃん
生年月日 1948年2月23日(64歳)
出身地 大阪府大阪市福島区
血液型 O型
方言 大阪弁
最終学歴 浪商高等学校
師匠 月亭可朝
グループ名 ザ・パンダ(正式なグループではない)
芸風 上方落語
事務所 吉本興業
よしもとクリエイティブ・エージェンシー
活動時期 1969年 -
同期 桂文珍
桂きん枝
林家小染 (4代目)
間寛平
現在の代表番組 今ちゃんの「実は…」
ごきげんライフスタイル よ〜いドン!
ちちんぷいぷい
せやねん!
過去の代表番組 ヤングおー!おー!
すてきな出逢い いい朝8時
あまからアベニュー
親族 妻、長男(月亭八光)、長女、孫
弟子 月亭八光、月亭遊方月亭八天 他数名
受賞歴
上方お笑い大賞
第15回 金賞(1986年
第20回 大賞(1991年
日本放送演芸大賞
第13回 奨励賞(1985年
第14回 話題賞(1986年)

月亭 八方(つきてい はっぽう、1948年2月23日 - )は、日本上方噺家上方落語協会書記長。出囃子は「夫婦萬歳」。本名、寺脇 清三(てらわき せいぞう)。

大阪市福島区出身、同区在住。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。浪商高等学校(現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。

子供は長男(弟子の月亭八光)と長女の2人で、共に既婚である。八光には既に娘もいる。長女は芸能人ではないため非公表であるが、娘婿は長唄の今藤政之祐である。また三千代夫人とは別居生活を送っているが、実際には大通りを挟んですぐそばに互いが居住しており、特に夫婦仲が悪いわけではない。夫人はまた、月亭八方後援会会長を名乗っているほどである。

目次

[編集] 来歴・人物

父は銀行員だったが、自身が子供のころには病気がちで寝込んでいた、母は大衆演劇のファンで八方が売れてからは地元福島でお好み焼き屋を営んでいた。妻は大衆演劇出身で九州にいたころに吉本新喜劇木村進と共演経験もあった。八方自身子供の頃の夢はプロ野球選手と漫才師であった。まずはプロ野球選手を目指そうと浪商高校に進学するものの周りのレベルの高さから断念(2学年上には高田繁(主将)がいる)。高校卒業後、一度就職をしたが、たまたま見に行った花月の舞台で2代目桂小米朝(現:月亭可朝)がいたので弟子入りを懇願するも、可朝から自身はまだ弟子を取る器じゃないということで断られたが、何度も通いつめ劇場の楽屋に出入りが許され1968年12月に正式に入門。4ヵ月後の2代目露の五郎兵衛(当時は露の五郎)の落語の勉強会の前座で初舞台。演目は「宿屋仇」であった。正式な吉本から貰った仕事での初舞台は桂きん枝らとともに出演した大須演芸場であった。

毎日放送のテレビ番組『ヤングおー!おー!』に、桂きん枝、桂文珍4代目林家小染らと共に、若手落語家のグループ「ザ・パンダ」の一員として出演、人気を得る。その当時は、誕生日が同じことから「西の野口五郎」を自称していた。

1984年に東京進出を図り『笑っていいとも!』などに出演するも人気が伸びず、「東京は水が合わんかった」と大阪中心の活動に切り替える。

タレント活動の傍ら、1992年関西学院大学経済学部オープンカレッジコースに入学(1994年に卒業)。さらに、大阪府立大学経済学部で非常勤講師。

吉本興業きっての芸人事情通で、芸人の私生活で起きた事件を面白おかしく紹介する楽屋ニュース朝日放送ナイトinナイト木曜日枠で放送、1986年 - 1998年。近年は年末恒例特番として今田耕司とのコンビ司会で復活)も有名である。この八方独自の楽屋話は、まだ新人だった頃、顔を売るにはまず先輩芸人から、ということで、楽屋で虚実ない交ぜの話をし、同業者の笑いを取ったことが由来だという。

その言動から、関西一の無責任男と呼ばれることもしばしばで、高田純次と比されることもある。『鶴瓶上岡パペポTV』では「さあさあ、それやがな」と始まると、嘘と思わなければだめ、でも、どうしてもうまく騙されてしまう、という話が出た。自身や周囲が、しばしば性格のだらしなさやいい加減さを強調するのは、八方の持つ独特の処世観(「壁にぶつかったら乗り越えずに迂回せよ」「照れて遠慮しながら嘘をつけ」など)に基づく言動が原因と考えられる。

過去にはテレビ番組『すてきな出逢い いい朝8時』『八方の4時はおまかせ』『あまからアベニュー』などに出演した。

また、子供の頃から全く水泳をしたことが無く、カナヅチであったが、『オールスター感謝祭』の水泳企画により、克服した[要検証]

鶏肉が大嫌いで、一切食べることができない。酒はあまり飲めず、甘い物が大好き。一時期体調管理のためにジムに通い食事制限をし10キロ程のダイエットに成功したが現在はリバウンドしている。

上方芸能界の大先輩だった横山ノックが逝去した際、通夜に参列した八方は「ノックさんは他人を笑わせる人だったが、今日だけは…笑えない…」と泣き崩れていた。

[編集] 阪神タイガース

熱烈な阪神ファンとして知られており、スポーツ紙におけるファン投票で「監督にしたい人物」に常に名前が挙がるほどである。阪神ファンになったきっかけのエピソードに、次のような逸話がある。

当時、野球少年であった清三少年は、眼科に入院中の阪神三宅秀史選手と出会う。この時、三宅は眼を負傷しており、結果として虹彩分離のため野球をあきらめることになる深刻な時期だったのだが、無邪気にサインを求める少年に対し、三宅は少年の瞳を見つめ「君は野球が好きか?」とだけ言い、サインを手渡したという。

1985年に優勝したら「アドバルーンの乗って空を飛ぶ」と公言。なおどこの局も費用を出して貰えなかったので自腹で飛んだ。

1999年に発売された野村克也(当時阪神監督、現楽天名誉監督)の優勝祈念純金像を最初に購入した人物でもある。

現在は阪神電気鉄道の系列であるホテル阪神に隣接する高層マンション(旧阪神本線福島駅跡地)に住んでいる。

[編集] 落語家として

得意な古典落語は、師匠・可朝譲りの『坊主茶屋』『秘伝書』、笑福亭仁鶴からもらった『黄金の大黒』『青菜』、大師匠の桂米朝から教わった『地獄八景亡者戯』『宿屋仇』『口合小町』『京の茶漬け』『蛇含草』『算段の平兵衛』『愛宕山』『軒付け』、他にも『質屋芝居』等の芝居噺や、『稽古屋』などのはめ物入りの噺、『動物園』『狸賽』などの笑いの多い話にも力を入れている。

自作の新作落語は、『天神さん』『近未来大阪』『清原のパパになりたい』『下町のパパ』『寿命』『命の母』など多数。

最近の高座では古典への回帰が顕著である。かつてのようにマクラで阪神タイガースの話題を振ったり、漫談だけで舞台を降りるようなこともなくなった(かつて立川談志は「八方は、阪神ネタをやらなければ、本当に上手い」と評したことがある)。またネタおろしも積極的に行なっている。

年に一度、新春に有馬温泉の「兆楽」にて兆楽寄席を一門会や、大阪市の阿倍野区の「アークカルチャーセンター」での月亭会などを定期的に開催している。その他にも、天満天神繁昌亭での定期的な「八方繁昌亭」の開催や、他の落語会への出演なども数多い。

最近の古典への目覚めと共に、舞踊、長唄(娘婿の今藤政之祐に八光と桂きん枝共に習っている)、はなしか団地(噺家芝居、鹿芝居)などを稽古中でもある。

自分の弟子(月亭八天)から噺を教わった唯一の師匠と言われる。他に笑福亭仁鶴が師匠の六代目笑福亭松鶴に『黄金の大黒』をつけたと鶴瓶との対談で語っている。

後輩ではあるが、笑福亭鶴瓶は「枕の面白い噺家」として彼を第一に挙げている。

2009年10月、地元福島に寄席小屋(稽古場)「八聖亭」をオープン。

「八聖亭ホームページ」http://hassyoutei.planex.ddns.vc

「八聖亭ブログ」http://blogs.yahoo.co.jp/hassyoutei

2011年10月には自身の初のNGKでの独演会「月亭八方落語誘笑会」を開催。 なお独演会をはじめ、2011年に披露した「AKO47~新説赤穂義士伝~」(作:月亭八方)は現在も好評を博している。 ※BSプレミアム放送時のテロップは(作:井口守)

[編集] 現在の出演

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] 終了した番組

[編集] テレビ番組

[編集] ラジオ番組

[編集] CM

[編集] 映画

[編集] 受賞歴

  • 1991年 上方お笑い大賞 第20回 大賞
  • 1986年 上方お笑い大賞 第15回 金賞
  • 1985年 日本放送演芸大賞 第13回 奨励賞
  • 1986年 日本放送演芸大賞 第14回 話題賞

[編集] CD

  • 『上方艶笑落語集(4)』「坊主茶屋」「お吉物語」

[編集] 著書

  • 『正しい阪神の応援のしかた』(現代書林、1985.8)
  • 『吉本芸人大百科』(ぴいぷる社、1992.8)
  • 『月亭八方の原因不明の猛虎党病記』(浪速社、2000.3)
  • 『八方の楽屋のぞきめがね』(ワニブックス、2007.12)

[編集] 弟子(月亭一門)

一門は八方一門とは呼ばず月亭一門と呼ぶ場合が多い。噺家ではないがなるみが一門と勘違いされる事がある。また同じ事務所所属の桂三枝、きん枝との共演が多いため文枝一門と勘違いされる事もある(実際は米朝一門)。

命名に際しては、「八方」の「方」と「八」を交互に用いているようである。

[編集] 直弟子

以上が現在の弟子、他にも弟子を取ったが辞めた者もいる。

[編集] 孫弟子


[編集] 弟子の育成方針と厳格さ

八方の弟子に対する態度は、自由放任に近い。八方が可朝に入門した理由の一つも「すぐに高座に出られそうだから」で、実際に入ってすぐに高座に出られた。しかし、この自由放任には自己責任が伴っており、芸や時間や服装には厳しく、遅刻した場合は即刻指摘または破門にすると言う厳しい一面もある。

ある時、八光が「なんばグランド花月」の楽屋で稽古を付けてもらおうと相談に行ったところ、八方は無言で楽屋を立ち去り、そのまま舞台へと向かい、舞台上では入門当時に一度だけやった事があるネタ『狸賽』を披露したという。当然、花月では全然受けなかったが、その姿勢こそが八光への無言の落語に対するメッセージだったといわれる。

上記の弟子のうち、月亭方正(山崎邦正)は正式な弟子ではなかったが、2009年12月に上方落語協会入会を承認され、正式な一門となった。

[編集] かつての弟子

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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