龍虎勢朋

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りゅうこ せいほう
龍虎 勢朋
本名 鈴木 忠清[1]
別名義 龍虎 孝宗
龍虎
生年月日 1941年1月9日
没年月日 2014年8月29日(満73歳没)
出生地 東京都大田区
死没地 静岡県掛川市
国籍 日本の旗 日本
民族 日本人
身長 186cm
血液型 AB
職業 大相撲力士
タレント
俳優
ジャンル テレビドラマ
映画など
活動期間 1957年 - 2014年
配偶者
著名な家族 息子、娘

龍虎 勢朋(りゅうこ せいほう、1941年1月9日 - 2014年8月29日)は、日本の元大相撲力士、引退後はタレントコメンテーター俳優。本名は鈴木 忠清(すずき ただきよ)[1]。晩年の芸名は龍虎 孝宗

東京都大田区出身。東京都立大森高等学校中退。花籠部屋所属。最高位は東小結。現役時代は身長186cm、体重132kg。妻は鈴木貴子、観世流太鼓十六世宗家・観世元信の長女。1992年4月結婚。1992年11月長女、1994年8月、長男誕生[2]


来歴[編集]

大相撲時代[編集]

1957年1月場所、花籠部屋から初土俵。自身を含めて同期の新弟子は50人いたが、当初は後に第52代横綱となる北の富士と並んで大変に軽量で最下層の実力しか持たなかったという。[3]実際に後年その北の富士自らが「50人の新弟子の中で一番弱かったのがオレと龍虎でした」と当時を振り返っている。[3]同年11月場所まで鈴木山の四股名で土俵生活を送り、翌1958年1月から1959年9月まで花武蔵の四股名で土俵に上がった。1959年11月からは若神山を名乗るも、幕下中位から下位で停滞していたことに痺れを切らして1964年11月場所から花武蔵に戻す。1966年5月場所前には師匠の花籠から「漢語由来の四股名を名乗ると出世するよ。双葉山さんや大鵬がいい例だ。」と勧められて龍虎と改名し、以来引退までこの四股名で通す(1969年3月までは下の名前がだった)。若乃花には新弟子の頃からかわいがられ、二子山(若乃花)独立の際について行くことを志望しながら師匠の花籠が移籍を認めた力士に含まれていなかったために移籍は認められず残留することになった。1967年3月場所新十両1968年3月場所新入幕。初土俵より11年かけての幕内昇進は当時の最スロー記録であった。なお、同期の中で幕内に昇進したのは当初最下層の力士とされていた自身と北の富士の2人だけであった。[3][4]

新入幕の場所で11勝4敗の成績を挙げ敢闘賞を獲得。1969年5月場所(前頭2枚目)で大鵬から初金星を挙げ、この場所8勝7敗で殊勲賞を獲得。翌7月場所も東前頭筆頭で8勝7敗の成績を挙げた(この間、3場所連続優勝力士に土をつけるという珍しい記録をつくっている)が新三役に昇進できず、翌9月場所同位置で3勝12敗と大敗したが、その後はほぼ安定した成績を挙げ幕内上位を保持していた。ようやく1970年3月場所新三役(小結)。突っ張りを交えた気風のよい相撲振りと美男力士として人気を博し1970年9月場所、前頭11枚目で自己最高の13勝2敗を挙げた。

しかし、翌1971年11月場所6日目、前頭7枚目義ノ花戦で左アキレス腱を断裂して途中休場、その後1972年1月場所から3場所連続全休で幕下まで落ちた。龍虎のこの時の負傷を受け、日本相撲協会1972年1月場所より公傷制度を導入することになったが、(2003年11月場所限りで廃止)、龍虎自身には制度が適用されなかったため、世間の同情を集めた。

しかし、本人の不屈の闘志と努力が実を結び、幕下優勝(1972年9月場所、7戦全勝)、十両優勝(1973年3月場所、11勝4敗)と実績を重ね、1973年7月場所に再入幕する。その後も1974年9月場所で新横綱の北の湖から通算2個目の金星を獲得。1975年1月場所で小結となり三役にカムバックした(破門など協会からの離職によるブランクなしで幕下へ降下した元三役の三役復帰は史上初)。

ところが、1975年5月場所初日の前頭4枚目旭國戦で、今度は右アキレス腱を切断(復帰後2度目のアキレス腱断裂、計3度のアキレス腱断裂)して、その場所限りで現役引退。引退後は年寄16代放駒を襲名するも1977年廃業し、タレントに転向した。

タレント・俳優時代[編集]

放駒親方時代の1976年から映画やドラマに出演していた龍虎は、相撲協会退職後、四股名龍虎をそのまま芸名とし、本格的に芸能界に進出。テレビ、時代劇などで活躍していた。また、『料理天国』(TBS系列)の名物試食人として活躍。「おいしいですね」の一言はそのまま龍虎のキャッチフレーズともなっている。以降、舞台(北島三郎公演)などを中心に俳優として活躍していた。また、大相撲のご意見番としてテレビ朝日のワイドショーを中心に出演。1990年頃クモ膜下出血で倒れ、2008年に再発[5]2014年8月29日、家族とお礼参り事任八幡宮を訪れた際、本宮への階段を上っている最中に循環器疾患で倒れ、娘と息子が救命措置を施したものの、搬送先の静岡県掛川市の病院で死去。73歳没[6][7][8]

通夜は9月4日葬儀・告別式は9月5日東京都目黒区斎場で営まれ、葬儀委員長は北の富士勝昭が務め、弔辞は北の富士と生島ヒロシが読んだ。通夜・告別式には「料理天国」で共演した芳村真理西川きよしの他、やくみつる松平健根本りつ子らが参列、出棺の際には「威風堂々」が流れ拍手と「龍虎!!」の掛け声の中、龍虎は天国へ旅立った。[3]

主な成績[編集]

  • 通算成績:563勝511敗48休 勝率.524
  • 幕内成績:240勝262敗25休 勝率.478
  • 現役在位:110場所
  • 幕内在位:36場所
  • 三役在位:4場所 (小結4場所)
  • 三賞:6回
    • 殊勲賞:2回 (1969年3月場所、1969年5月場所)
    • 敢闘賞:4回 (1968年3月場所、1969年3月場所、1969年11月場所、1970年9月場所)
  • 金星:2個(大鵬1個・北の湖1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:2回(1968年1月場所、1973年3月場所)
    • 幕下優勝:2回(1967年1月場所、1972年9月場所)

場所別成績[編集]

龍虎勢朋
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1957年
(昭和32年)
(前相撲) (前相撲) (前相撲) x 西 序ノ口 #4
4–4
 
東 序二段 #110
4–4
 
1958年
(昭和33年)
西 序二段 #96
4–4
 
西 序二段 #89
5–3
 
東 序二段 #60
5–3
 
東 序二段 #38
4–4
 
東 序二段 #31
4–4
 
西 序二段 #28
3–5
 
1959年
(昭和34年)
西 序二段 #34
3–5
 
西 序二段 #38
6–2
 
西 序二段 #15
3–5
 
西 序二段 #19
4–4
 
東 序二段 #16
4–4
 
西 序二段 #14
5–3
 
1960年
(昭和35年)
東 三段目 #101
3–5
 
西 三段目 #101
5–3
 
東 三段目 #72
4–4
 
西 三段目 #67
4–3
 
東 三段目 #49
3–4
 
東 三段目 #62
5–2
 
1961年
(昭和36年)
西 三段目 #34
6–1
 
東 幕下 #81
4–3
 
西 幕下 #63
4–3
 
東 幕下 #55
3–4
 
東 幕下 #63
1–6
 
東 三段目 #2
5–2
 
1962年
(昭和37年)
西 幕下 #62
3–4
 
東 幕下 #65
2–5
 
東 幕下 #79
6–1
 
東 幕下 #48
6–1
 
東 幕下 #24
3–4
 
西 幕下 #23
3–4
 
1963年
(昭和38年)
西 幕下 #26
1–5–1
 
東 幕下 #45
4–3
 
東 幕下 #41
3–4
 
西 幕下 #44
4–3
 
西 幕下 #33
3–4
 
東 幕下 #37
5–2
 
1964年
(昭和39年)
東 幕下 #24
3–4
 
東 幕下 #26
3–4
 
西 幕下 #29
4–3
 
西 幕下 #25
2–5
 
東 幕下 #42
5–2
 
西 幕下 #27
4–3
 
1965年
(昭和40年)
東 幕下 #25
3–4
 
西 幕下 #31
5–2
 
東 幕下 #16
4–3
 
西 幕下 #12
4–3
 
西 幕下 #8
5–2
 
東 幕下 #1
1–7
 
1966年
(昭和41年)
東 幕下 #16
4–3
 
東 幕下 #14
2–5
 
西 幕下 #22
3–4
 
西 幕下 #26
3–4
 
西 幕下 #29
4–3
 
西 幕下 #24
5–2
 
1967年
(昭和42年)
東 幕下 #14
優勝
7–0
東 十両 #16
10–5
 
東 十両 #12
9–6
 
西 十両 #7
8–7
 
西 十両 #4
5–10
 
東 十両 #10
11–4
 
1968年
(昭和43年)
東 十両 #3
優勝
13–2
西 前頭 #9
11–4
東 前頭 #3
2–13
 
西 前頭 #9
7–8
 
東 前頭 #10
9–6
 
東 前頭 #6
9–6
 
1969年
(昭和44年)
東 前頭 #3
4–11
 
西 前頭 #9
12–3
東 前頭 #2
8–7
東 前頭 #1
8–7
 
東 前頭 #1
3–12
 
西 前頭 #6
11–4
1970年
(昭和45年)
西 前頭 #1
9–6
 
西 小結
8–7
 
東 小結
5–10
 
東 前頭 #3
2–13
 
東 前頭 #11
13–2
東 小結
6–9
 
1971年
(昭和46年)
東 前頭 #1
7–8
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #2
4–9–2[9]
 
東 前頭 #6
9–6
 
西 前頭 #1
6–9
 
西 前頭 #3
1–6–8[10]
 
1972年
(昭和47年)
東 前頭 #12
休場
0–0–15
東 十両 #8
休場
0–0–15
東 幕下 #11
休場
0–0–7
西 幕下 #42
6–1
 
西 幕下 #22
優勝
7–0
東 幕下 #1
6–1
 
1973年
(昭和48年)
西 十両 #8
8–7
 
西 十両 #7
優勝
11–4
西 十両 #1
10–5
 
西 前頭 #12
10–5
 
西 前頭 #5
6–9
 
西 前頭 #7
8–7
 
1974年
(昭和49年)
東 前頭 #5
7–8
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #3
7–8
 
西 前頭 #4
5–10
 
西 前頭 #9
9–6
西 前頭 #5
9–6
 
1975年
(昭和50年)
西 小結
3–12
 
東 前頭 #8
8–7
 
西 前頭 #5
引退
0–2–0
x x x
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

出演[編集]

映画[編集]

テレビドラマ[編集]

その他のテレビ番組[編集]

ラジオ番組[編集]

舞台[編集]

  • 国定忠治/北島三郎大いに唄う(北島三郎 特別公演)

CM[編集]

脚注・引用 [編集]

  1. ^ a b 元小結・龍虎さん死去…「料理天国」などタレント、俳優でも活躍 - スポニチアネックス 2014年8月31日閲覧
  2. ^ [1]テレビ東京 レディス4 2007年10月11日
  3. ^ a b c d 龍虎さん告別式、北の富士氏「細くてへなちょこだった」 msn産経ニュース 2014.9.6 06:56
  4. ^ 龍虎と同じ花籠部屋の若乃洲敏弥は新弟子検査こそ龍虎や北の富士と同期であったが準備不足を理由に初土俵が1場所遅れの1957年3月場所となった。
  5. ^ [2]テレビ東京 レディス4 2007年10月11日
  6. ^ 龍虎さんが死去 73歳、心筋梗塞 デイリースポーツ 2014年8月30日
  7. ^ 龍虎さん死去 旅行中心筋梗塞で救急搬送 日刊スポーツ 2014年8月30日
  8. ^ 龍虎さん急死 家族旅行…神社で心肺停止 日刊スポーツ 2014年8月31日
  9. ^ 右肘関節離断性骨軟骨炎により13日目から途中休場
  10. ^ 左アキレス腱断裂により7日目から途中休場

関連項目[編集]