栃王山裕規

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

栃王山 裕規(とちおうやま ゆうき、本名:神谷 静(かみたに しずか)、1943年3月1日 - 2001年3月31日)は、愛知県名古屋市中村区出身の元大相撲力士春日野部屋所属。最高位は西前頭筆頭(1969年1月場所、1970年9月場所)。現役時代の体格は174cm、112kg。得意手は右四つ、寄り、上手出し投げ下手投げ突き落とし

来歴[編集]

幼少時は体が弱く結核にも罹ったものの運動神経は抜群で、なかでも相撲は小学校のころから始めていた。中京商業高校(現中京大中京高校)を中退、横綱栃錦に憧れて上京、春日野部屋の門を叩いた。1958年11月場所、本名の神谷で初土俵。出世は順調で1962年5月場所には十両に昇進、1963年1月場所、初土俵から約4年、19歳の若さで新入幕を果たした。栃王山の四股名に改めた時期は十両直前の1962年1月場所だった。

その後は幕内下位と十両の往復が続いたが、1965年7月場所に4回目の入幕を果たし自己最多の11勝を挙げて敢闘賞を受賞した。これが自信となったか、ここから番付も上昇、1966年1月場所には横綱佐田の山を破って初の金星を獲得した。しかし同年7月場所、場所前日の福の花との稽古で右目を負傷、これが眼底出血に加えて網膜剥離と診断される重傷で初日不戦敗ののち休場、再び十両に陥落してしまった。なお初日の対戦相手で不戦勝を得た相手は、稽古相手の福の花だった。十両で迎えた翌9月場所も全休して幕下陥落の危機に直面したがここから盛り返し、ケガから約2年後の1968年5月に見事幕内にカムバック、さらに1969年1月場所には自己最高位の前頭筆頭まで進み、11日目には1敗で大鵬と優勝争いをしていた横綱柏戸を下手投げで破り2個目の金星をものにした。しかしその翌日左腰を捻挫したため休場、その後3年近く幕内中位で活躍したが再び視力が低下し、6回目の入幕となった1972年1月場所で2勝13敗と大敗したことをきっかけに引退した。

若いときに栃ノ海付き人をしており、栃ノ海同様の小兵ながらきびきびとした動きで、土俵狭しと動き回る取り口で相手から嫌がられた。栃錦に憧れていただけあって仕切りの表情や所作は自ら栃錦を真似して、これがよく似ていたため人気があった。本場所ではやらなかったが花相撲では弓取式も務めた。

引退後は年寄清見潟を襲名して協会に残ったが1976年9月場所限りで廃業した。現役時代から商才があったようで、いくつかの飲食店を経営していたが、廃業後は本格的に、郷里の名古屋で、友人でもあった北の富士と共同で開いたキャバレーを経営するなどしていた。

主な成績[編集]

  • 通算成績:524勝464敗31休 勝率.530
  • 幕内成績:223勝273敗29休 勝率.450
  • 現役在位:80場所
  • 幕内在位:35場所
  • 三賞:1回
    • 敢闘賞:1回(1965年7月場所)
  • 金星:2個(佐田の山1個、柏戸1個)
  • 各段優勝
    • 十両優勝:1回(1964年3月場所)
    • 序ノ口優勝:1回(1959年1月場所)

場所別成績[編集]

栃王山 裕規
一月場所
初場所(東京
三月場所
春場所(大阪
五月場所
夏場所(東京)
七月場所
名古屋場所(愛知
九月場所
秋場所(東京)
十一月場所
九州場所(福岡
1958年
(昭和33年)
x x x x x (前相撲)
1959年
(昭和34年)
西 序ノ口 #13
優勝
8–0
東 序二段 #53
5–2–1
 
西 序二段 #26
5–3
 
東 序二段 #10
5–3
 
西 三段目 #100
6–2
 
西 三段目 #59
3–5
 
1960年
(昭和35年)
西 三段目 #72
6–2
 
東 三段目 #39
5–3
 
西 三段目 #18
5–3
 
西 幕下 #84
4–2–1
 
東 幕下 #69
5–2
 
東 幕下 #57
4–3
 
1961年
(昭和36年)
西 幕下 #52
5–2
 
東 幕下 #39
4–3
 
東 幕下 #33
5–2
 
東 幕下 #24
6–1
 
西 幕下 #5
3–4
 
東 幕下 #8
4–3
 
1962年
(昭和37年)
西 幕下 #4
3–4
 
東 幕下 #6
5–2
 
東 十両 #18
10–5
 
東 十両 #6
5–10
 
西 十両 #11
10–5
 
西 十両 #5
12–3
 
1963年
(昭和38年)
東 前頭 #14
5–10
 
東 十両 #2
8–7
 
西 十両 #1
9–6
 
東 十両 #1
9–6
 
西 前頭 #14
7–8
 
東 前頭 #15
8–7
 
1964年
(昭和39年)
西 前頭 #13
2–13
 
西 十両 #6
優勝
12–3
東 前頭 #14
7–8
 
東 前頭 #15
1–2–12[1]
 
東 十両 #10
10–5
 
東 十両 #4
8–7
 
1965年
(昭和40年)
東 十両 #3
7–8
 
西 十両 #5
8–7
 
西 十両 #2
11–4
 
東 前頭 #12
11–4
西 前頭 #5
9–6
 
東 前頭 #3
7–8
 
1966年
(昭和41年)
西 前頭 #3
5–10
西 前頭 #7
6–9
 
東 前頭 #9
8–7
 
西 前頭 #7
0–1–14[2]
 
東 十両 #1
休場
0–0–15
西 十両 #15
9–6
 
1967年
(昭和42年)
西 十両 #7
10–5
 
東 十両 #4
11–4
 
西 十両 #1
8–7
 
東 十両 #1
4–11
 
東 十両 #11
9–6
 
東 十両 #7
7–8
 
1968年
(昭和43年)
東 十両 #8
10–5
 
西 十両 #2
9–6
 
東 前頭 #11
7–8
 
西 前頭 #11
8–7
 
東 前頭 #8
9–6
 
東 前頭 #5
9–6
 
1969年
(昭和44年)
西 前頭 #1
2–10–3[3]
東 前頭 #10
7–8
 
東 前頭 #11
9–6
 
東 前頭 #6
7–8
 
西 前頭 #7
6–9
 
西 前頭 #10
8–7
 
1970年
(昭和45年)
東 前頭 #6
7–8
 
東 前頭 #7
8–7
 
東 前頭 #5
5–10
 
東 前頭 #8
10–5
 
西 前頭 #1
3–12
 
東 前頭 #8
9–6
 
1971年
(昭和46年)
東 前頭 #2
2–13
 
西 前頭 #9
8–7
 
東 前頭 #9
7–8
 
東 前頭 #12
8–7
 
西 前頭 #11
6–9
 
東 十両 #1
9–6
 
1972年
(昭和47年)
東 前頭 #11
引退
2–13–0
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。    優勝 引退 十両・幕下
三賞=敢闘賞、=殊勲賞、=技能賞     その他:=金星
番付階級幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口
幕内序列横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列)

年寄変遷[編集]

  • 清見潟 裕規(きよみがた ゆうき)1972年1月‐1972年3月
  • 清見潟 靜(きよみがた しずか)1972年3月‐1972年7月
  • 清見潟 裕規(きよみがた ゆうき)1972年7月‐1972年9月
  • 清見潟 静(きよみがた しずか)1972年9月‐1976年10月(廃業)

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 右膝関節捻挫・右膝内側側副靱帯損傷により3日目から途中休場
  2. ^ 右眼底出血・網膜剥離により初日不戦敗
  3. ^ 左腰筋捻挫により12日目から途中休場