京都花月劇場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
京都花月劇場(きょうとかげつげきじょう)は、吉本興業の劇場。映画館。演芸場。京都市中京区の通称新京極に所在した。現在は吉本が経営する商業ビル「パッサージオ」が立地。
[編集] 沿革
- 1936年(昭和11年) 芝居小屋・中座を買収し、跡地に新築の上開業。漫才主体の演芸場。
- 1946年(昭和21年) 洋画専門館となる。ただし、楽屋が残っていたため定期的に歌手の実演興行も行われた。50年代には吉本所属の江利チエミのショーが度々行われている。のち東映封切館となった。
- 1962年(昭和37年)6月1日 再び演芸場となり、演芸や吉本新喜劇舞台中継などが行われた。
- 1987年(昭和62年)3月31日 建物の老朽化と演芸興行をなんばグランド花月へ統合することに伴い閉館。
[編集] 劇場について
- 収容人数は約千人弱程度。うめだ花月やなんば花月と異なり、定期的なテレビ中継は入らなかった。番組構成はうめだ花月やなんば花月と同じで原則1日2回公演であり、1回目と2回目の出演者は同じで入れ替え制は採っていなかった。漫才を中心に演芸番組が進行し、途中「ポケットミュージカルス」と名付けた吉本専属歌手の歌と吉本コメディアンによるミュージカルコントコーナーが中程にあり、トリは吉本新喜劇の公演であった。なお、この吉本新喜劇の演目はうめだ花月と共通であった。
- 10日ごとに番組が入れ替わり、上席(1~10日)・中席(11~20日)・下席(21~30日)があった。うめだ花月やなんば花月と同じく31日は特別興行が行われた。なお、毎年7月中席は「宵山寄席」と銘打った興行が行われていた。
- 日本芸能界初のプロ和太鼓集団であった「王将太鼓」の京都花月における舞台初日は、1966年(昭和41年)6月1日である。(関連人物:高山正行)
- ダウンタウンも若手の頃に出演。なお浜田雅功は、幾度か楽屋に寝泊りしたことがあり、その時に人の気配がしたが誰もいなかったことがあったと語ったことがある。他の芸人も楽屋でよく心霊的な現象を体験したと語っているが、この土地は寺に囲まれており、かつて墓場であったといわれていた。
[編集] 主な出演者
[編集] 漫才
[編集] 落語
[編集] ショウ
[編集] 漫談
[編集] 奇術
[編集] 音頭・浪曲・講談・その他
[編集] 関連項目