てなもんや三度笠

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てなもんや三度笠
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1966年春まで番組の公開収録が行われていたABCホール(初代)が入居していた新朝日ビル
大阪市北区中之島。2009年に解体され、2012年、跡地に中之島フェスティバルタワー〈東地区〉が竣工した)
ジャンル コメディ
放送時間 日曜 18:00 - 18:30(30分)
放送期間 1962年5月6日 - 1968年3月31日(309回)
放送国 日本の旗 日本
制作局 朝日放送
演出 澤田隆治
脚本 香川登志緒
出演者 藤田まこと
白木みのる
香山武彦
財津一郎
原哲男
ほか
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てなもんや三度笠』(てなもんやさんどがさ)は、1962年昭和37年)5月6日から1968年(昭和43年)3月31日まで朝日放送(ABC)制作・TBS系列で放送されたテレビコメディ番組。全309回放送。殆どの時期が白黒放送だが、末期の1967年(昭和42年)12月7日の第294話からはカラー放送になった。放送時間は、毎週日曜日18:00 - 18:30(JST)。提供スポンサー菓子メーカーの前田製菓一社提供

概要[編集]

ABCホールでの公開放送形式による、時代劇コメディ

番組初期の時代には録画したビデオテープを編集する技術がまだ確立していなかったため、生放送風の撮って出し収録であった(2日前の金曜日昼12:15 - 12:45[1]に収録)が、末期の1968年(昭和43年)にはABCセンターからのスタジオ収録放送(昼収録は変わらずだったが、収録曜日が変動になった)となった。スタジオに組まれたセットの中で、スピーディーに展開する物語を生本番でミスなく演じる出演者と、それを支えるスタッフの姿はまさに職人芸と言えるものであったと語り継がれている。[2]

商品名とかけた「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」や、「非ッ常にキビシ〜ッ!!」、「許して…チョーダイ!!」などの流行語も生み出した。

その後も、1971年(昭和46年)まで続編2作品(『てなもんや一本槍』、『てなもんや二刀流』)と、同じキャストによる現代劇コメディー『スコッチョ大旅行』が製作された。ただし、これら3作品に演出の澤田隆治は関与しておらず、脚本の香川登志緒のみの続投となった。更にスポンサーの前田製菓も、本作終了と共にスポンサーを降板している[3](詳細は下述、「番組の終了」参照の事)。

番組の流れ[編集]

  1. 提供表示・女性によるCM(提供アナウンスは「良い子のおやつでおなじみの前田製菓の時間が参りました」、クレジットには子供兄妹と思われる人形が飾られ、そこに前田のクラッカーが添えられて、字幕「提供 前田製菓」が入る)
  2. アバンタイトル・あんかけの時次郎と斬られ役(初期は的場達雄、後期は原哲男)によるコント。鐘の音と共にお堂から時次郎が現れ、「ええ、あっしゃあ泉州は信太の生まれ、あんかけの時次郎。義理には強いが人情にゃ弱い、男の中の男一匹…」と口上を述べていると、毎回様々な扮装をした原が現れて一悶着した所で、時次郎が「俺がこんなに強いのも、あたり前田のクラッカー!」と締める(稀に違う台詞も有る)。
  3. オープニング
  4. 本編(途中テロップCMが挿入される)
  5. 視聴者へのクイズ(前田製菓の製品に関する穴埋め問題など)
  6. 白木みのると原哲男(初期は白木みのる単独)によるCM
  7. 次回予告・提供表示・(提供アナウンスは「提供は良い子のおやつでおなじみの前田製菓でした」、クレジットには子供兄妹と思われる人形が飾られ、そこに前田のクラッカーが添えられて、字幕「提供 前田製菓」が入る)・クロージング(アナウンスは「いつも楽しい『てなもんや三度笠』、来週もきっと見て下さいね」)

出演者[編集]

てなもんやコンビ[編集]

あんかけの時次郎(あんかけのときじろう):藤田まこと(この番組が「出世作」となる)
三度笠をかぶり各地を放浪する渡世人市川雷蔵の主演映画「沓掛(くつかけ)時次郎」(1961年大映)のパロディ。顔が長いところから、呼ばわりされる。
珍念(ちんねん):白木みのる
第3話から登場、時次郎の相棒の小坊主。口が達者で小生意気。食べ物に目がない。時次郎が馬呼ばわりされるのに対し、珍念はイイダコ呼ばわりされている。

アバンタイトル・斬られ役[編集]

初代:的場達雄
本業は殺陣師。体調不良のため、1965年(昭和40年)春までの出演。
2代目:原哲男
本編でも脇役での登場が多く、主に敵役でカバ呼ばわりされていた。原は番組終了後1990年(平成2年)まで出演していた吉本新喜劇でも「カバ」のあだ名で親しまれ、十八番の「誰がカバやねん」のネタは実質、当番組から生まれた。
第255話・第256話(東北編の最後と甲州編の最初)では新門辰五郎役で登場、彰義隊の供養のための100両を時次郎に預ける。

準レギュラー[編集]

鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち):南利明
いわずと知れた義賊だが、今作では何故か名古屋弁。全シリーズに不定期登場。道中「てなもんやコンビ」とよく遭遇し、機嫌が良ければ酒代や宿代を気前良く奢ることもある。様々な扮装で登場するが、飴屋売り姿が一番多い。
脱線トリオのメンバーであった由利徹八波むと志が、それぞれ別々にゲスト出演し南利明と共演している。
お銀(おぎん)・千太(せんた):京唄子鳳啓助
スリの姉御お銀と子分千太は、旅して歩くスリのコンビ。初期から不定期登場しているが、甲州編以降の後期シリーズになってから頻繁に登場している。お銀は口が大きいのをネタにされているが、大口開けて嵐を起こしたこともあり妖怪呼ばわりされてしまう。

シリーズ・レギュラー[編集]

東海道編(第1話 - 第53話)[編集]

水上三四郎(みなかみ さんしろう):入川保則
桂小五郎から、江戸西郷隆盛に宛てた密書を託された。
浪路(なみじ):山東昭子
武家娘。三四郎と共に江戸へ向かう。
三平(さんぺい):平参平
目明かし。足カックンが、お約束のネタ。

中仙道編(第54話 - 第90話)[編集]

駒下駄茂兵衛(こまげたのもへい):香山武彦
桁外れの大喰らいのために、相撲部屋破門された取的大坂へ帰る「てなもんやコンビ」と行動を共にし「てなもんやトリオ」となり「知恵は珍念、力は茂兵衛、顔の長いは時次郎」と、よく歌っていた。

山陽・九州・四国編(第91話 - 第150話)[編集]

西郷隆盛(さいごう たかもり):柳家金語楼
貫禄も九州男児っぽさも無い人物として登場。
道化(どうけ):博多淡海
旅役者一座役者だが、博多弁訛りが抜けないため道化方をしている。
熊(くま):西川潔
文字通りのであり、着ぐるみで顔の出ない端役[4]大歩危にて出没後、不定期登場。

北陸・佐渡・蝦夷地編(第151話 - 第217話)[編集]

ちょろ松(ちょろまつ):ルーキー新一
大坂の豪商鴻池善右衛門に仕える丁稚。服の胸の部分を両手で摘み上げての「いやーん、いやーん」が、お約束のネタ。
松平竹千代(まつだいら たけちよ):茶川一郎
てんてこ漫遊記』の主人公で、番組枠を越えたコラボレーションとして登場。

東北編(第218話 - 第255話)[編集]

まゆみ:野川由美子
謎の女として登場。正体は柴田家の「姫」であった。
蛇口一角(へびぐち いっかく):財津一郎
浪人。柴田家復興後は、まゆみ姫の家臣となる。舌を伸ばして、しつこく刀を舐め回す仕草が多いためヘビ呼ばわりされる。奇声を発し「キビシ〜ッ!!」または「ちょ〜だい!!」などの流行語を生み出す。一角の名前は、清水一角のパロディ。
天野八郎(あまの はちろう):芦屋雁之助
彰義隊の隊長として登場(実在人物は副隊長)。隊長としての貫禄はあるが、なぜか時折おばちゃん口調になる。
後の第293話では別役で登場し、芦屋小雁芦屋雁平との兄弟での共演となった。
山岡鉄太郎(やまおか てつたろう):里見浩太郎
江戸の町の戦火から守るため、彰義隊を解散するように何度もかけあうが、おばちゃん口調の天野八郎に毎度はぐらかされてしまう。

甲州編(第256話 - 第269話)[編集]

早瀬数江(はやせ かずえ):水前寺清子
当初は「早瀬数馬」と名乗り、男装して旅をしていた。甲府にいる兄に会うためであるが、実は従兄であり許婚でもあった。
河内山宗俊(こうちやま そうしゅん):三波伸介てんぷくトリオ
お城勤めをお役御免となり、乞食坊主となる。丑松と雨之丞を子分に従え、時次郎の持っている100両を狙っている。第293話までトリオで登場し、時次郎と顔合わせるたびに「改心した」と言うものの実は改心していない。
暗闇の丑松(くらやみのうしまつ):戸塚睦夫(てんぷくトリオ)
時次郎が100両持っているという情報を嗅ぎつけ「てなもんやコンビ」の後をつけていた。河内山宗俊と雨之丞に出会い100両横取り計画を持ちかけるが、宗俊の子分にさせられる。
中村雨之丞(なかむら あまのじょう):伊東四朗(てんぷくトリオ)
歌舞伎の女形。師匠に暴力を振るいヒマを出され、江戸に帰る途中に河内山宗俊と出会い無理矢理一味に加わされた。

再び東海道編(第270話 - 第296話)[編集]

桜富士夫(さくら ふじお):財津一郎
欧米諸国で撮影技術の修行したと自称する写真師。いつも三脚写真機を肩に担いでおり、蛇口一角以上の変人ぶりを見せる。「てなもんやコンビ」と行動を共にし、「てなもんやトリオ」として最終シリーズまで出演した。富士夫の名前の由来は、フィルムブランド(サクラカラー〔後の「コニカカラー」→「DNPフォトルシオ」〕とフジカラー)から。

鯨編(第297話 - 第309話)[編集]

おこま:山本リンダ
江戸の見世物師の娘。亡き父の意志を継ぎ、見世物用のを生け捕りにするため旅に出た。
かも平(かもへい)・ねぎ作(ねぎさく):横山やすし・西川きよし
おこまのお供で、荷物持ち。ドジが多い。
やすし・きよしは別役で、山賊の一味(第268話)や百姓(第279話)で登場していた。
四ツ目屋東十郎(よつめや とうじゅうろう):トニー谷
江戸の興行師で、おこまの父とはライバル関係。おこまの計画を邪魔し、鯨の横取りを狙っている。

ゲスト[編集]

天王寺屋塔兵衛(てんのうじや とうべえ):伴淳三郎
時次郎の親分。威厳があるのか無いのか、掴みどころがない人物。
記念すべき第1話のゲストであり、用心棒役の堺駿二の他に、曾我廼家五郎八石井均吉田義夫が出演。

※この他、星十郎岸田一夫大村崑高橋元太郎榎本健一世志凡太花菱アチャコ中田ダイマル・ラケットコント55号チャンバラトリオ漫画トリオザ・ドリフターズかしまし娘清川虹子等、東西の人気スターが毎回ゲスト出演した。

スタッフ[編集]

主題歌[編集]

  • OP:『てなもんや三度笠』(キングレコード)

作詞:香川登志緒 作曲:林伊佐緒 歌:藤田まこと

視聴率[編集]

最高視聴率としては、関西で60%台、関東でも40%台を記録した人気番組であった[5]

平均視聴率[編集]

最高視聴率[編集]

  • 関東地区:42.9%
  • 関西地区:64.8%(1966年2月20日放送)

ネット局[編集]

(TBS系列:無印=同時ネット、★=遅れネット)

番組の終了[編集]

同じ澤田と香川のコンビで制作され、日曜昼に放送されていた『スチャラカ社員』と共に絶頂を誇った当番組は、2人の対立がきっかけで転機を迎えることになる。

1966年(昭和41年)に朝日放送本社が大阪・中之島新朝日ビルディングから国鉄大阪駅北側の大淀に新設されたABCセンターへ移転し、やはり公開収録されていた『スチャラカ』の客層が様変わりする。澤田は、時代の流れに合わせたギャグを導入するように香川に求める。しかしこれは香川が目指していた喜劇のスタイルと相反し、受け入れられるものではなかった。香川は「視聴率優先でギャグを作れなんて自分には無理。もうこれ以上書けまへん」と匙を投げ、1967年(昭和42年)4月30日、『スチャラカ』は6年余り続いた歴史の幕を閉じる。

こうして2人の共同作業は当番組だけとなるが、1年間で3回のシリーズ変更をする。視聴率第一主義の澤田と、出演者の特性を理解したギャグを書き続けたかった香川の路線対立が『スチャラカ』だけでなく当番組にも飛び火した形となる。2人はほぼケンカ別れの状態となり[6]、ABCは澤田を『てなもんや』から外すべく、1968年(昭和43年)3月29日の放送を持って終了とし、全面リニューアルをかける。

当時、ABCと専属契約をしていた香川は後継となった『てなもんや一本槍』『てなもんや二刀流』そして『スコッチョ大旅行』まで約3年間、この時間に放送されたコメディ番組の脚本を引き続き担当したが、スポンサーの前田製菓は当番組の終了と同時に降板、『一本槍』以降は藤田の発する決め台詞も変わりさらにイメージを落とす。視聴率と重要スポンサーを同時に失う原因を作ったとして澤田はABC社内で「戦犯扱い」を受け、『ABC上方落語をきく会』事務局担当へ左遷。ディレクターの職務からも外され、後の「社籍を残したままでの『東阪企画』設立」への伏線を作る結果となった。

現存する映像[編集]

当時はビデオテープが高価だったことなどから映像が残っていない場合がほとんどで、この番組も例外ではない。しかし演出の澤田が、当時登場したばかりで高価だった家庭用VTRを個人で購入し、最後の1年程の分を録画した[7]。ただ再生不能なテープも多く、再生可能の数十本のみが、VHS・DVDでリリースされている。

また澤田の録画分とは別に、キネコで録画された第218話「奥入瀬の襲撃」(1966年7月3日放送)も残っており、コナミから発売されたビデオにのみ収録されていた。なお放送ライブラリーではこの第218話のほか、『てなもんや一本槍』『てなもんや二刀流』が各1本収蔵されており、視聴することができる。

ソフト化[編集]

  • てなもんや三度笠(コナミ工業、1巻3話・全4巻、VHS)
  • てなもんや三度笠 傑作選(大映、発売:ヴイワン、1巻3話・全5巻、VHS)
  • てなもんや三度笠 決定版(東阪企画、発売:ヴイワン、1巻3話・全5巻、VHS)
  • てなもんや三度笠 爆笑傑作集(コロムビア、1巻2話・全5巻、VHS・DVD)
    • 演出の澤田隆治が個人的に、当時は非常に珍しかった家庭用ビデオで録画しておいたものを、商品化した。番組は途中でカラー化しているが、ビデオがカラーに対応していないため、すべてモノクロ映像である。

エピソード[編集]

  • 番組開始当初は時間帯的不利(当時、日曜は外出していてテレビを観ないという風潮があった)なこともあり「せめて東海道五十三次を走破できる53回まで出来れば」と、1年も持てば儲けものと考えられていた。当初の視聴率は10%いかないこともあったものの、徐々に上がっていき杞憂に終わる。
  • セットに考えられないほどの多額の費用を掛けて臨んだ為に、放送作家や俳優の苦労は並ではなかったと伝えられる。「視聴率は取れて当たり前という時代だったので、当時のギャラは初任給よりも少ないんじゃないか」と、藤田まことが後にコメントを残している。また、ゲストに鶴田浩二に来てもらった際、藤田が「鶴田さんのギャラはなんぼですか?」と聞いたら、スタッフに指1本出され「これだけや!」と言われた。つまり、藤田の1年分という事で、愕然としたという。
  • あまりの人気に「映画版」が何本も作られたが、映画製作中にTVシリーズが休みになるわけではなく、藤田まこと等の役者陣は映画とテレビとの掛持ちで、おそるべき忙しさであったという。
  • 1967年(昭和42年)3月19日放送、第255話「上野の戦争」の官軍彰義隊の砲撃戦シーンでは2トンの火薬が使用されており、カメラが衝撃で何度もブレている。
  • 制作局のABCは当時TBS系列だったが、その後MBSとのネット交換により、テレビ朝日系列(当時は、NETテレビ系列)にネットチェンジしている事から、テレビ朝日が開局30周年記念番組の中で、系列局制作の過去の番組として紹介したことがあった。また、藤田が死去した際には、テレビ朝日は系列内ということもあり、大意列に先駆けてABCから『報道ステーション』等の報道番組への映像提供を受けていた。
  • 藤田まことは後年、前田製菓のセサミハイチのラジオCMに出演し「当たり前田のセサミハイチ。最近は、これですわー」と言っている。本番組のパロディである。
    • そのパロディはすでに当番組の放送中に行っていた。一つは、よみうりテレビ制作・日本テレビ系列の上方コメディ『俺はすけてん』(1964年放送。主演:人見きよし)で、第1回目に藤田が小坊主の「鈍念」、白木が「くずかけの時次郎」と、お互いの役柄を交換して出演した。二つ目は、同局放送のバラエティ『マイ・チャンネル!』(1967年放送)で、第1回目のゲストの藤田が当番組のパロディをやっていた。
  • 月亭八方の実家の福島区は朝日放送の近くであったため、撮影が終わったあと若手出演者の泊まり場所になっていた。八方の母もよくおにぎりなどを作っては差入れしていた[8]
  • 2008年(平成20年)2月15日 NHK大阪放送局関西ローカル)で放送された『かんさい特集 きよしよしみの浪速ナイトショー』の中で藤田と白木が数年ぶりに競演を果たし、藤田は「2008年の目標で、もう一度『てなもんや三度笠』をやりたい」とコメントをした。
  • 「藤田まことさんをしのぶ会」にて当時のVTRが放映されたが、黒柳徹子は当時生放送の裏番組(NHK)に出演しており、「てなもんや三度笠を一度も見たことがなかったせいで『当たり前田のクラッカー』に爆笑をしてしまった」と語っている。しかし、しのぶ会ということもあり黒柳以外は全員誰も笑っていなかったのである。

映画化[編集]

東映版(東映京都撮影所制作)モノクロシネマスコープ
  • てなもんや三度笠(1963年6月9日) 内出好吉監督
  • 続てなもんや三度笠(1963年10月13日) 内出好吉監督
東宝版(東宝、宝塚映画、渡辺プロ共同制作)カラー東宝スコープ

補足[編集]

  • 東宝版の内『東海道』と『幽霊道中』は、東宝マーク→制作クレジット→プロローグシーンの一部のみ、モノクロ・スタンダードとなっている。これは、プロローグでモノクロ・スタンダードからカラー・シネスコへと変えるギャグのためである(当時東映でTV版ブローアップ作品が頻繁に上映されているため、それを逆手に取ったギャグだった)。
  • 東映版の劇場版は藤田まことが2010年2月に死去したのを受けて同年5月21日にDVD版が緊急発売された(それ以前にVHS版は販売されていた)。
  • 一方の東宝版は、DVDマガジン「昭和の爆笑喜劇」(講談社)より、『東海道』が2013年8月27日に発売、『大騒動』が同年9月24日、『幽霊道中』が同年10月22日にそれぞれ発売され、DVDマガジンとはいえ初のDVD化となった。
  • 1963年の東映版は、俊藤浩滋が東映と関わる際に手土産として東映に映画化を持ってきたもの[9]。しかし脚本を担当した野上龍雄は根っからの東京人で関西独特の笑いが馴染めない。腹を決めて清水の次郎長(藤田まこと)を狙って日本中から殺し屋がやってくるという話をでっち上げた。当時東映京都撮影所所長だった岡田茂に呼び出され散々絞られたという[9]

漫画化[編集]

水島新司山根赤鬼石井いさみ藤木てるみにより漫画化されている。

水島新司版
日の丸文庫光伸書房より単行本が発行。全2巻。第1巻は1964年発行。
山根赤鬼版
なかよし」(講談社)にて1964-1965年に連載。
石井いさみ版
少年現代」(現代芸術社)に掲載。
藤木てるみ版
りぼん」(集英社)にて1964年に掲載。

脚注[編集]

  1. ^ これは、サラリーマンでも休憩時間に観てもらえるように、との配慮から。
  2. ^ 撮って出しである為、物語が早く終了してしまうと尺埋めとして金魚鉢の映像で凌いだ事もあった。(『ABCお笑い60年史 てなもんやからM-1まで いま明かされるマル秘伝説』コメディ伝説より)
  3. ^ 続編シリーズは久光製薬の提供となり、主力商品「サロンパス」にかけた決め台詞があった。
  4. ^ 元来、端役の場合は名前を紹介されることはない(西川は吉本興業所属なので「吉本コメディアン」という括りにされるはずだった)。西川の真面目な舞台稽古ぶりに番組スタッフが感心し、特別に名前の紹介を許された。
  5. ^ 朝日新聞社 『聞蔵IIビジュアル』 1998-10-01 夕刊 p.5
  6. ^ 小林信彦『日本の喜劇人』によれば、決定的に感情のもつれを招いた原因は、双方の「アクの強さ」である、としている。
  7. ^ 「てなもんや三度笠 爆笑傑作集1」の解説書に書かれている澤田の回想によれば、「50本あまり」が手許に残っているという。
  8. ^ なるみ・八方のごきげんさん!』での回顧。
  9. ^ a b 「鎮魂、映画の昭和 岡田茂 安藤庄平 加藤彰 高田純 沖山秀子 長門裕之」、『映画芸術』、編集プロダクション映芸、2011年8月号、 133-134頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

朝日放送TBS系列 日曜18:00 - 18:30枠
【当番組まで前田製菓一社提供枠】
前番組 番組名 次番組
てなもんや三度笠
(1962年5月 - 1968年3月)