港区 (大阪市)

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みなとく
港区
Osaka Seven-Seas-Mariner02n3200.jpg
海遊館に隣接する、天保山岸壁と天保山大観覧車
日本の旗 日本
地方 近畿地方
都道府県 大阪府
大阪市
団体コード 27107-1
面積 7.90km²
総人口 81,940
推計人口、2014年7月1日)
人口密度 10,370人/km²
隣接自治体
隣接行政区
大阪市此花区西区大正区
住之江区
区の花 ヒマワリサクラ
港区役所
所在地 552-8510
大阪府大阪市港区市岡一丁目15番25号
北緯34度40分59秒東経135度27分8.3秒座標: 北緯34度40分59秒 東経135度27分8.3秒
Minato ward-office (Osaka).jpg
外部リンク 大阪市港区役所HP

港区 (大阪市)位置図

 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト
世界最大級の水族館である海遊館
弁天町駅周辺の200m級の超高層ビル群

港区(みなとく)は、大阪市を構成する24区のうちのひとつ。

隣接している区[編集]

歴史[編集]

かつては淀川河口の三角州であり無数の小島からなっていたが、江戸時代に下記の11新田が開発された(人名は開発者)。

  • 市岡新田 - 1698年元禄11年)、市岡与左衛門。
  • 木屋新田 - 享保年間、木屋弥兵衛。
  • 湊屋新田 - 1754年宝暦4年)、湊屋吉左衛門。
  • 前田屋新田 - 1757年(宝暦7年)、前田屋兵助。
  • 池山新田 - 1758年(宝暦8年)、池山新兵衛。
  • 石田新田 - 1764年明和元年)、石田三右衛門。
  • 田中新田 - 1776年安永5年)、田中又兵衛。
  • 八幡屋新田 - 1829年文政12年)、八幡屋忠兵衛。
  • 福崎新田 - 1829年(文政12年)、福崎孫四郎。1853年嘉永6年)、北福崎新田に改称。
  • 池田新田 - 1829年(文政12年)、池田正七。
  • 柴屋新田 - 1844年弘化元年)、柴屋弥四郎。1853年(嘉永6年)、南福崎新田に改称。

上記の他、安治川南岸の市街地である安治川南(のち安治川通南、南安治川通に改称)の西部も当区域に含まれていた。安治川南の所属は江戸時代には大坂天満組1869年明治2年)から大阪北大組となり、以降は北区だったが、1925年大正14年)から港区となった。

1871年(明治4年)には天保山付近に西成郡天保町が成立。1889年(明治22年)の町村制施行においては天保町は単独施行、11新田は現在の大正区西成区域に含まれている1町12新田と合併して西成郡川南村となったが、役場は天保町・川南村合同のもので、市岡新田に置かれた。

1897年(明治30年)の大阪市第一次市域拡張によって区域は全域大阪市へ編入され、同年天保山周辺において大阪港の本格的な修築(近代化)も始まった。大阪港は紆余曲折の末昭和初期に完成、港の周辺や港へ伸びる市電沿線は新興市街地・工業地帯として栄え、遊園地や運動場など多くのレジャー施設も誕生した。

港区は戦前は大阪市でも最も多い人口を抱えていたが、大阪大空襲でもっとも被害の大きな地域にもなった。戦後は地下鉄中央線や国鉄大阪環状線が通り便利になった。大阪港はその中枢機能を天保山から南港(咲洲)などに移したが、天保山周辺はウォーターフロント開発で海遊館などが誕生しレジャー地区に変貌しつつある。

町名[編集]

天保山西岸壁から眺める夕日
(左手奥に南港、左手前に中央突堤、右手に北港が見える)

マスメディア[編集]

交通[編集]

鉄道[編集]

JR弁天町駅

バス[編集]

一般路線バス
空港リムジンバス
高速バス

道路[編集]

港大橋
都市高速
有料道路
一般国道
みなと通(港区役所付近より東を眺める)
主要地方道
一般府道

公営渡船[編集]

歩行者および自転車専用で、無料。

  • 安治川
    • 天保山渡 港区築港三丁目 - 此花区桜島三丁目 日中30分毎。
  • 尻無川
    • 甚兵衛渡 大正区泉尾七丁目 - 港区福崎一丁目 日中15分毎。

教育[編集]

高等学校[編集]

中学校[編集]

小学校[編集]

幼稚園[編集]

名所・旧跡・観光スポット・施設[編集]

天保山公園
天保山マーケットプレイス
築港エリア
朝潮橋エリア
弁天町エリア

出身有名人[編集]

脚注[編集]

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関連項目[編集]

外部リンク[編集]