素人名人会
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素人名人会(しろうとめいじんかい)は毎日放送(MBS)のラジオ時代に始まり、テレビは開局翌年の1960年5月8日から2002年3月17日にかけて、主に日曜日に放送された公開放送である、視聴者参加型の演芸合戦番組である。
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[編集] 概要
[編集] ラジオからテレビへ
元々は、ラジオ時代(MBSがラジオ単営NJB新日本放送だった、1955年からだが、正確な開始時期と終了時期は未確認)から放送されていた番組である。1960年テレビでの放送開始。1975年3月のネット変更前は、名古屋テレビ等西日本のANN系列各局、JNN系列へネット変更後は山陽放送にもネットされていた(土曜13時から放送されていたが日曜16時台になり、その後不定期放送を経て自然消滅の形で末期の時点でネット離脱。レギュラー放送の頃も半年遅れだった)。
夕方4時30分枠での放送時代に一時期放映されていた、TBS系列全国ネットの夕方5時枠のアニメ番組(2008年4月よりMBS制作TBS系列全国ネット枠として復活)は当番組を放送していた関係で、MBSでは土曜夕方5時30分枠で先行放送されていた。
ラジオ時代は、現在の大阪・梅田の阪急百貨店うめだ本店の屋上にあったラジオスタジオを会場に行われていた。後に、うめだ花月(一時期は月に一度の割合で京都花月から中継されることもあった)、同閉館後はなんばグランド花月へと中継場所を移した。
[編集] 司会者
初期の司会は漫談家・西条凡児だったが、1970年に西条が不祥事を起こしたため、当時の吉本イチ押し人気漫才コンビ横山やすし・西川きよしが起用されるに至ったものの、程なくして横山やすしがタクシー運転手殴打事件を起こして長期間謹慎の身になってしまったことによりわずか3ヶ月で降板。以降、西川きよし単独で最終回までの司会を務めた(西川の選挙運動中は浜村淳が代理司会)。結果的にはやすし事件が引き金となって、この番組においての西川独自のタレント性が発揮され、次第に各局で人気番組を担当するに至った。
司会者はハンドマイクは使わず、スタンドマイクで進行し、出場者へのインタビューもそのスタンドマイクを持って行っていた。
[編集] スターへの登竜門
毎回厳しい予選をクリアした10組程度の素人(面白い素人がいない時は、ダウンタウンなどのNSCの研修生も出場していたという)が出場し、歌謡曲、漫才、落語、日本舞踊、民謡、マジックなど幅広いジャンルで日ごろの練習の成果を発揮。賞金3万円のかかった名人賞を目指した。その中で後に演芸界では桂三枝、笑福亭鶴光、Mr.マリック、オール阪神・巨人、桂南光、海原千里(現・上沼恵美子)・万里、宮川花子、歌手では夏川りみ、神野美伽、坂本冬美、アニソン歌手奥井雅美、などプロで活躍する有名人も多くおり、「スターへの登竜門」といった存在の番組でもある。また毎週お年寄りを中心に会場の観客から選ばれた「飛び入り」も人気を集めた。
[編集] リニューアル・そして番組の終焉
1999年頃から、特番の頻発(主にJNN系列のゴルフ中継、野球中継等)や、司会の西川きよしが議員活動等のスケジュールで多忙になり、2週おきの放送に激減。2000年4月、桂文枝、大久保怜等の長年番組を支えた審査員が降板、代わって月亭八方、ジョニー広瀬、なかにし礼等が審査員となり、バンドはごもくめしからヘレンズへ変更され、オープニングの審査員・バンド紹介のテロップの廃止、テロップを手書きタイプから丸ゴシック体のフォントに変更し、出演者紹介時に似顔絵付きのテロップ紹介にするなどの大幅リニューアルを行ったが、時代の流れには勝てず、2002年3月17日の最終回スペシャルをもって、(テレビとしては)42年の歴史に幕を閉じた。日本のテレビ放送での演芸公開番組では、2009年に『笑点』(日本テレビ)に塗り替えられるまでは最長寿番組であった。
[編集] 受け継がれるコンセプト
素人名人会で培ったコンセプトは後に「たけしのお笑いサドンデス」(TBS系)等に受け継がれた。
[編集] 司会
- 初代:西条凡児 - 1960年5月~1970年9月
- 2代:横山やすし・西川きよし - 1970年10月~12月→西川きよし(単独司会) - 1970年12月~2002年3月
- 代理:浜村淳 - 1986年、1992年、1998年の西川の参議院選挙活動中のみ
[編集] 審査員
[編集] 落語・漫才
[編集] 歌謡曲
[編集] 舞踊
[編集] 小唄
[編集] 民謡
[編集] 奇術
[編集] スポンサー
いずれも1970年ごろだったが、後期はスポンサーはない。
- ヒガシマル醤油
- エビオス(現・アサヒフードアンドヘルスケア)
- オースギ漢方
[編集] 補足など
- 1997年9月までは日曜16:30~17:30の放送だったが、『クイズ絶対コーダ宣言』(司会・板東英二)の終了に伴い、同年10月から最終回まで日曜12:54~13:54に放送された。
- 末期の番組プロデューサーは、MBSアナウンサーの青木和雄が務めていた。
- この番組終了後、日曜13時枠は再放送・特別番組枠となったが、2007年1月現在、『徳光和夫の感動再会"逢いたい"』(TBS)の遅れ放送がされている。

