笑点

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笑点

笑点は東京・文京区後楽園ホール
隔週土曜日に公開収録が行われている
(地方での収録のときもある)
ジャンル 演芸バラエティ番組
放送時間 毎週日曜17:30 - 18:00(30分)
放送期間 1966年5月15日 - (2150回)
放送国 日本
制作局 日本テレビ
プロデューサー 鈴木雅人(CP)
出演者 桂歌丸(司会)
林家木久扇
三遊亭好楽
三遊亭小遊三
三遊亭楽太郎
春風亭昇太
林家たい平
山田隆夫(座布団運び)
音声 ステレオ放送
字幕 文字多重放送
オープニング 作曲:中村八大
外部リンク 笑点web

特記事項:
放送回数は2009年2月1日現在。

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笑点(しょうてん)は、日本テレビで毎週日曜日夕方に放送されている寄席風の演芸バラエティ番組で、同時に日本を代表する長寿番組である。1985年からはステレオ放送になり、現在では字幕放送も実施している。

目次

[編集] 前身番組「金曜夜席」

金曜夜席」を参照

[編集] 概要

1966年5月15日に放送がスタート。番組名の由来については2通りの証言がある。三浦綾子小説テレビドラマ化したNETテレビ(現:テレビ朝日)放送の高視聴率番組『氷点』をもじって立川談志がつけたもの(桂歌丸林家木久扇などの現出演者の証言)。当時のサントリーのPR誌「酔族館」に柳原良平が連載していた1コマ漫画のタイトルが「笑点」で、その「いの点(ポイント)」という意味合いのタイトルが気に入った談志が柳原に使用許可を求めた(初代司会者の立川談志の証言)。

放送開始当時はまだカラーテレビの普及率が1%にも満たない時代であったが、第1回からずっとカラー放送されている(「金曜夜席」はモノクロ放送だった)。

収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼間に行われる(1回で2週分収録する)。また年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方での収録が行われる(→#地方収録)。なお番組で放送されるのは、収録から8日後と15日後の日曜日となることが主である(年末進行や地方収録などのスケジュールの関係で貯め撮り収録し、それが翌日放送〜一ヶ月以上先になる事もある)。

現在では、日曜のお茶の間を代表する番組となっている。放送開始から40年以上経った現在でも基本的には15%以上、時には20%を超える視聴率(関東地区)を叩き出す怪物番組である。しかし、大相撲の中継が裏にある場合、視聴率は10%台前半まで落ちこむ場合もある。放送回数は2006年1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では、『NNNきょうの出来事』(2006年9月放送終了)、『キユーピー3分クッキング(NTVバージョン)』に次いで、放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年には『素人名人会』(毎日放送)の42年という、演芸番組として最長の放送期間を塗り替えた。

2005年11月23日には放送40周年を記念して5枚組の「笑点 大博覧会 DVD-BOX」が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する笑点の映像は、1973年8月26日放送の大喜利が最古である。理由は、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、加えて著作権法の事情で番組の資料保存が安易に行えるものではなかったことなどから、放送済みのビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため、番組開始初期の映像はオープニングを除き現存していないという。

現在は、演芸とレギュラー出演者による大喜利の二部構成である。なお放送開始当初は、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談(ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた)」のコーナーがあり、その後も「前武の何でも入門(その道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「伸介の何でもコーナー(ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「円楽のよろずガイダンス(落語に関することを中心とした雑学の披露)」などのコーナーが存在し、長らく三部構成であった。

[編集] 放送時間

毎週日曜日の17:30 - 18:00(1996年4月 - 現在)。

  • 以前の放送時間(いずれも毎週日曜日)
    • 16:30 - 17:10(1966年5月 - 1968年4月)※1967年9月の1ヵ月のみ17:00 - 17:40
    • 17:20 - 18:00(1968年5月 - 1996年3月)
  • 5代目圓楽時代の人気低迷を受けて1996年4月に番組が40分から30分に短縮されたという説(→#司会者)がある一方で、『40分』という枠組みが時代に合わないため、日テレ側から1時間に拡大するか30分に短縮するかの打診を受け、大喜利を長くやるのは不可能と判断して短縮を選んだというエピソードがレディス4にゲストで出演した桂歌丸から語られた(2007年10月29日放送分にて)。結果的に、5代目圓楽の独演コーナー「よろずガイダンス」を終了して30分番組となった。また、当時関東ローカルで1つ前の番組で笑点で削られた10分間を内包して30分に『拡大』された「ぐるぐるナインティナイン」で変更直後の数回、笑点のオープニングに映る客席とシチュエーションを似せたセットに5代目圓楽を真似た矢部浩之と客として紛れ込む岡村隆史(いずれもお笑いコンビナインティナイン)が出るミニコント終わり際に『笑点ファンのみなさん、もう少しお待ち下さい』というテロップを流していた。
  • 時間短縮が行なわれるまでは、冒頭の司会者挨拶時にネット局のロール(笑っていいとも!と同様)が流れていた。
  • 2005年はプロ野球・読売巨人軍主催試合がある日で、試合開始が17:00の場合テレビ中継が18:30に前倒しになるため、あわせて笑点の開始も17:00からの放送となった。その際、歌丸は大喜利の挨拶で、来週は5時からの放送となりますので、ご注意ください。などとたびたび告知をしていた。
  • また年末年始以外の特番などによる休止はほとんどないが、ごくまれに休止となることがある。以下の例がある。
    • 1980年代までは巨人戦の後楽園球場デーゲームの延長で休止となることがあった。
    • 1998年以前は、全国規模の選挙の投票日は投票締切の18時からの選挙特番に合わせて夕方のニュースを繰り上げて放送するため笑点が休止となることもあった。ただし、1998年以降は投票締切時間が20時となり、合わせて選挙特番も20時台からの放送となったため、影響はなくなった。ちなみに歌丸は選挙当日に放送された大喜利の冒頭で「今日は選挙の投票日です。投票をお済ませでない方は笑点を見終わったらすぐ投票所にお出かけ下さい」と挨拶したことがある。
    • 2005年以降、12月の第3日曜日はFIFAクラブワールドカップの3位決定戦を放送するため、放送を休止する。しかし開催地が UAEになる2009年2010年は時差放送の為に本番組は5年ぶりに従来時間での放送となる予定。
    • 2008年6月8日は特別番組『Touch! eco 2008 明日のために…55の挑戦?スペシャル』を放送したため休止した。このため、後の歌丸の休演(腰の手術・療養に伴うもの)も先送りされることになった。
  • 毎年8月後半に行われる「24時間テレビ」では、チャリティー大喜利という特別バージョンで生放送を行う。なお、遅れネット局では放送されないため、放送回数には含まれない。
  • 1990年ごろには、日本テレビほか一部地域で土曜10:30 - 11:10に関東ローカル扱いで再放送されていた。その後2002年も1クールではあったが、金曜10:30 - 11:00の枠で再放送されていた。
  • 2003年、2004年の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00 - 18:55の1時間に拡大されて放送された。[1]

[編集] 笑点メンバー

[編集] 司会者

*名前の左の色は着用している着物の色。

大喜利でのキャラクターについては「大喜利 (笑点)#出演メンバーのキャラクター」を参照

初代 立川談志1966年5月15日(第1回) - 1969年11月2日(第170回))
2代目 前田武彦(1969年11月9日(第171回) - 1970年12月13日(第228回))
3代目 →□三波伸介(1970年12月20日(第229回) - 1982年12月26日(第850回))
なお1972年4月30日の300回記念放送と1973年8月26日放送の浅草大喜利の時には、談志と前田と三波の3人が揃って出演している。
4代目 5代目三遊亭圓楽1983年1月9日(第851回) - 2006年5月14日(第2016回))
5代目 桂歌丸(2006年5月21日(第2017回) - 現在)
2005年10月23日 - 2006年3月19日は冒頭の案内役、2005年10月23日・11月27日 - 2006年5月14日は大喜利の代理司会を担当。

[編集] 大喜利メンバー

詳細は「大喜利 (笑点)#大喜利メンバー」を参照

現在の大喜利メンバー

(舞台下手よりの並び順)

過去の大喜利メンバー

(出演開始順)

[編集] 座布団運び

詳細は「大喜利 (笑点)#座布団運び」を参照

現在の座布団運び
過去の座布団運び

[編集] オープニング・エンディング

[編集] 笑点音頭

番組放送当初はオープニング曲は無かったが、1967年1月より立川談志作詞宮崎尚志作曲による「笑点音頭」が出来上がり放送された。歌はすべての歌唱パートを談志が受け持ち、大喜利メンバー(5代目三遊亭圓楽、桂歌丸、春風亭梅橋三遊亭小圓遊林家こん平)と座布団運びとして新加入した毒蝮三太夫がバックコーラスを担当している(アーチスト名は「立川談志&笑点グループ」)。放送当時の1967年にキングレコードからレコード発売された。なお、現在では、企画盤のうちの一曲として複数のレコード会社からCD化されている。

[編集] 笑点のテーマ

1969年11月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として『笑点のテーマ』が導入された。中村八大が作曲した「チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン」というお馴染みのフレーズは現在では笑点の代名詞ともなっている。

また、導入当初は司会・前田武彦による歌詞があった。歌は前田と大喜利メンバーが歌ったが、あまりの下手さに不評を買い短期間でインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている。[2]

1985年3月まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入れてしまった。ただし、好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、アレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの音源は、後述のステレオ再録音の音源が採用されるまで使用され続けた。

その後テーマ曲は、1985年4月に別の演奏者によりステレオにて再録音された。その際、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している。提供アナウンス時の音楽は、ジャズ調アレンジのテーマが流され、後に2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルのエンディングや2009年1月1日放送の2009お正月スペシャルのエンディングでも流された。1998年からは若干変更になり、2代目のアレンジに加え、長さも40秒に短縮された。

2007年4月中旬ごろからは、大喜利メンバーがデザインしたTシャツ「福T」が抽選で当たるサントリーのビール・発泡酒のキャンペーンで使用されている(歌詞は、小林克也によるCMオリジナルのもの)。

[編集] オープニングタイトル

タイトル文字は、現在は寄席文字であるが、放送開始当初は「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションだった。オープニングアニメーションの似顔絵・演出は竹内大三(「任侠陣傘編」と「日本の昔話編」の似顔絵・演出は永沢詢)が担当。

地方収録や、その年の最後に『三本締め』で幕締めするのが恒例中の恒例であったが、最近では前半で真打昇進披露を行う場合以外には行われなくなっている。

[編集] 歴代オープニング

大笑点のオープニングについては、「大笑点」参照。

※最後に「製作・著作 日本テレビ」と演芸文字で出るのと同時にNTVのマーク(1978年以降は社章であるメルカトル図表のロゴマーク)が長らく出ていたが、1992年7月の「なんだろう」登場以降は「なんだろう」に取って変わられるようになった。2003年以降は日テレのCI導入に伴い、現行のロゴマークである「なんだろう」+「日テレ」のロゴが入るようになった。(2008年から2009年3月までは開局55周年キャンペーンのため「日テレ55」ロゴ)また、その直前には下記で紹介するテーマに沿ったものが画面手前からこちらに向かって飛んでくるのがならわしとなっている。

[編集] エンディング

現在は歌丸の「有り難うございました」の後、大喜利メンバーたちが高座に正座した状態で客席に向かって手を付いてお辞儀をしている様子を映したまま、「笑点のテーマ」をBGMに提供クレジットと次回の放送内容のテロップが出てそのまま番組終了となる。この間の大喜利メンバーたちはお辞儀をしたまま特に動きがないのが基本だが、時に最後に出たネタを引きずってそれに絡んだアクションをしたり、歌丸と大喜利メンバーたちのやり取りが見られることもある。また、楽太郎とたい平は2人でじゃれ合うことが多く、時に山田も巻き込んでのアクションになることもある。さらに、11月から12月にかけては番組の公式カレンダーである「笑点暦」の宣伝をエンディングで行うが、番組のオフィシャル本などカレンダー以外の番組関連グッズの宣伝をエンディングで行うこともある。

歌丸の締めの挨拶は「どうやらお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう(「お会いしましょう」と言うこともある)。どうも有り難うございました」が基本だが、直前に座布団没収になるようなネタが繰り出された場合はそのネタについてのフォローを入れながら締めの挨拶に移っていくことが多い。この場合、挨拶の文面も変わることがある。 前任司会者の5代目圓楽は「笑点、このへんでお開き。また来週のお楽しみ。有り難うございました」が定番の締めの挨拶になっていた。

40分番組だった頃は司会者の挨拶の後大喜利メンバーたちがお辞儀をする姿を一瞬映し、さらに拍手を送る客席の様子を映してからCMに入り(30分番組になってからも客席を映すエンディングはしばらく続けられている。現在でも地方収録時にしばしば見られる)、CM明けに提供クレジットと次回の放送内容が出たあと、オープニングタイトルの左下に寄席文字で「終」の文字が入ったタイトルが出て番組終了となっていた。次回の放送内容の紹介はテロップではなく、収録後の高座の様子を写したスチール写真に寄席文字で書いたパネルで紹介するスタイルが長く続いていた。30分番組に移行する直前には提供クレジットが出た後、番組の最後にテロップで次週の放送内容を紹介するという形になっていた。ちなみに年末の「笑点暦」の宣伝は大喜利終了後のCMに入る前に行っていた。

[編集] 主なコーナー

[編集] 演芸コーナー

番組の前半に行われる。5代目圓楽司会時は「今日の笑点、端(はな、始めという意味。「華」を掛けている)は…」と紹介していたが、歌丸が司会になってからは「今日の演芸をご紹介しましょう」と歌丸がいい、ゲストを紹介する。登場するゲストは毎回1組が基本であるが、ピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもある(40分番組だった時代は10分コーナーがあった)。

コーナー終了後には「引き続き大喜利をお楽しみください」のテロップが登場し、CMに入る(一時期、CMを挟まずそのまま大喜利に入り、大喜利の1問目と2問目の間にCMを挟むという時期もあった)。

  • 芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語漫才漫談コントマジック物真似など多岐にわたっている。
  • 星セント・ルイスツービートなど後の漫才ブームでブレイクした漫才師たちも早い時期から演芸コーナーに出演していたが、実際に漫才ブームが訪れた1980年前後にはブームの中心となった漫才師たちがほとんど出演しなかった。これは「笑点」から出た「ずうとるび」を通じてブームそのもののはかなさと怖さを知ったという当時のプロデューサーが「ブームに便乗するとブームが去った時に番組も終わる」と判断し、漫才ブームから距離を置く姿勢を取ったためである。ただし、漫才ブームが沈静化した後はセント・ルイスや西川のりお・上方よしおなどブームの中心を担った漫才師たちも演芸コーナーに出演している。
  • 5代目圓楽の司会当時は、毎年新年1回目の演芸コーナーで5代目圓楽の落語が披露されるのが恒例となっていた。また、一時期地方収録の際にはほぼ毎回大喜利メンバーが交替で落語を演じていた。近年は落語そのものの登場回数が減少したこともあり、歌丸の司会就任後は2007年4月の熊本公録で昇太が演じたのみである。ちなみに2008年現在の大喜利メンバーでは歌丸、小遊三、楽太郎は演芸コーナーの出演回数が20回を超えており(落語家では他に5代目圓楽、4代目桂米丸8代目橘家圓蔵が20回以上出演している)、木久扇、好楽も20回近く出演しているが、たい平はまだ演芸コーナーで落語を演じたことがない。
  • ベテランの出演が多かったころ、あまり出演機会のなかった若手を対象にした「笑点の穴」(1996年10月3日スタート、『タイガーマスク』の「虎の穴」にちなむ)というコーナーもあった。毎回2〜3組登場し、最後まで笑いを取れれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、取れなければネタの途中でもカットされる。プリンプリン北陽など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から、番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆勝俣州和濱口優)とSeniorJunior(内村光良ウド鈴木)が対決を行ったこともある。なお、ウリナリ!!メンバーが出演した後、木久扇、好楽、楽太郎が「笑点Boys」としてウリナリ!!に出演し大喜利対決も行っている。
  • コラボレーション演芸では、木久扇+カンカラBOOMER+プリンプリンなど、異色あわせの芸も披露している。
  • コーナー内で落語家の真打昇進披露や改名披露が行われることがある。近年の真打昇進披露は、落語協会落語芸術協会円楽一門会の各団体の合同によって行われることが多い。
    • 寄席の定席での襲名披露で普通行わない、真打になった本人の挨拶があるのが特徴。本来襲名披露口上では本人による挨拶は行われないため、進行者がその旨を述べてから本人挨拶を行う。
    • 本人挨拶が行われるようになった背景には、時間短縮がある。1996年4月、それまでの17:20〜18:00から、17:30〜18:00に、10分短縮された。寄席どおりにやってしまうと、大喜利の時間が取れなくなってしまうため、一席に替えて本人挨拶が登場した。だが、現在では、各協会の側も、まず笑点で顔と名前と声を覚えてもらい、寄席で芸を見てもらいたいという姿勢で臨むようになっており、全国へのお披露目の場として積極的に活用している。
    • 通常は、各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。しかし、9代目林家正蔵襲名披露では、こん平が多発性硬化症で療養中だったため、代理として5代目圓楽が高座に上がった。また、大喜利レギュラーとなった後で真打になった者のうち楽太郎、好楽(昇進時は林家九蔵)、才賀の真打昇進披露の際にはその時点で真打に昇進していた大喜利メンバーが全員高座に上がった。特に才賀の時は当時の大喜利メンバー全員に加えて5代目圓楽、さらに座布団運びの山田も高座に上がっている。(この時、才賀の師匠の3代目古今亭志ん朝は高座に上がっていない)
  • 1998年7月は山田が4週にわたって番組を休んだため[3]、その間は演芸コーナーを休止して若手落語家が出演し「大喜利下克上」を行った。なお、優勝した落語家には、後半の大喜利コーナーの座布団運びを担当する権利が与えられ、優勝した橘家亀蔵(現:橘家圓十郎)、林家たい平(当時二ツ目)、春風亭柳八(現:5代目春風亭柳好)、司会の春風亭昇太(勝手に担当)がそれぞれ座布団運びを担当した。ちなみに、この間はオープニングアニメーションがなく、1本目のCM明けに5代目圓楽の挨拶で始まり、スタッフクレジットはエンディングで表示された。
  • 2006年1月22日の第2000回放送と、2006年5月14日の「40周年スペシャル」では、演芸コーナー最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した。なお、ナポレオンズの出演回数は2008年までで47回を数える。
  • 2006年1月29日の放送では、桂歌丸のオープニング(通常は「こんにちは。笑点の時間がまいりました」と発言)無しでそのまま同年1月16日に死去した漫談師・ローカル岡を偲んでと題し、2005年12月に収録済みであった彼の漫談が流された。
  • 2007年2月4日の放送では、当時林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果、林家木久扇に決定した。
    • その時点までの公募された名前の中で、多かったものや笑点メンバーが選んだ物を紹介した(楽太郎は歌丸の本名「椎名 巌」を出していた)。
    • 結果は4月28日の収録で発表され、終了後本人が会見を開き公表した。その模様は5月6日に放送。9月23日の放送から「林家木久扇」の名で出演している。
    • 2009年の正月スペシャルでは、綾小路きみまろ大木こだま・ひびきナポレオンズが出演、さらにコロッケが、噺家以外で初めての“物真似落語”を披露した。

[編集] 大喜利

番組の後半に行われる出演者による大喜利

大喜利 (笑点)」を参照

[編集] 舞台装置

1970年まであった「人形町末廣」を参考に、「昔ながらの寄席の高座をスタジオに再現したい」というコンセプトでデザインされている。部分的な手直しは何度か行われたが、「金曜夜席」の放送開始時から基本的なところは変わっていない。

最近では2002年に手直しされ、柱や欄干など木目の露出している部分がそれまでのダークブラウンからライトブラウンの色目に変わり、舞台全体が明るい印象になっている。

舞台奥の襖は4枚あり、後楽園ホールでの収録時と地方収録時では絵柄が異なる。

  • 後楽園ホールでは、絵柄が表裏で異なる回転式の襖が使用されており、演芸コーナーと大喜利で襖の絵柄が変わる。演芸コーナーでは主張の強い大胆な襖絵になり、大喜利では、カメラでメンバーを映す時に邪魔にならないような青を主体とした柄が採用されている(当初は1年〜2年で手直しされていたが、5代目圓楽時代から、長期間使用されるようになり、現在の柄は2001年から使用)。
  • 地方収録時はその地方の特産品や名所を描いた襖絵となり、演芸コーナーも大喜利も同じ絵柄となる。4枚それぞれに異なる絵が描かれることもあれば、4枚で続き絵になることもある。

舞台の上の提灯には当初、大喜利メンバーの紋を入れていたが1969年から現在のように名前を書くようになった。(ただし、その後も特番の時などに紋の入った提灯が下げられたことがある)赤地に白文字の提灯は放送当初から変わっていない。なお、名前の表記は司会者と大喜利メンバーは下の名前のみ(前田は「前武」)、座布団運びはフルネーム(毒蝮は上の名前のみ)となっている。また、代理出演者は提灯に名前がないケースもある。

なお、出演者や裏方たちは原則として上手から入退場するので下手側は通常襖で閉められているが、対抗戦形式の大喜利が行われる時などは下手側の襖も開いて下手から入退場するケースもある。この下手側の襖は元々大喜利メンバーの後ろにある襖と同じ色のものを使っていたが、2002年のリニューアルの際に白地に緑の「笑」の文字が入った襖に変わっている(スペシャル版では、微妙な手直しが施されているが、それ以前から使われている)。

舞台上は土足厳禁となっている。

[編集] 地方収録

初の地方収録は大阪府で行われた(放送日不詳、収録日は1967年7月15日。他、談志司会の頃には山形県天童市などにも行っている)。

また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年10月21日)に当番組の歴代最高視聴率40.5%をマークしている。

2002年以降の地方収録は以下の通り。

放送年月日 会場 理由
2002年 3月24日3月31日 山梨県山梨県立県民文化ホール 山梨放送開局40周年記念
6月30日7月7日 福井県・鯖江市文化センター 福井放送開局50周年記念
9月29日10月6日 広島県はつかいち文化ホール 広島テレビ放送開局40周年記念
12月8日12月15日 熊本県熊本県立劇場コンサートホール 熊本県民テレビ開局20周年記念
2003年 3月9日3月16日 徳島県徳島市文化センター 四国放送開局50周年記念
4月27日5月4日 秋田県秋田県民会館 秋田放送開局50周年記念
6月8日6月15日 神奈川県横浜にぎわい座 日本テレビ放送網開局50周年記念
7月6日7月13日 山形県山形県県民会館 山形放送開局50周年記念
10月26日11月2日 鳥取県・鳥取県倉吉未来中心 日本海テレビジョン放送開局45周年記念
2004年 3月14日3月21日 高知県・高知県民文化ホール 高知放送開局50周年記念
5月23日5月30日 鹿児島県鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局10周年記念
9月26日10月3日 静岡県・静岡市民文化会館 静岡第一テレビ開局25周年記念
12月5日12月12日 岩手県・北上市さくらホール テレビ岩手開局35周年記念
2005年 3月6日3月13日 福岡県福岡市民会館 福岡放送開局35周年記念
5月29日6月5日 石川県金沢市観光会館 テレビ金沢開局15周年記念
9月11日9月18日 宮城県仙台サンプラザホール 宮城テレビ放送開局35周年記念
12月4日12月11日 長野県長野県県民文化会館 テレビ信州開局25周年記念
2006年 4月30日5月7日 山口県・周南市文化会館 山口放送開局50周年記念
10月8日10月15日 新潟県長岡市立劇場 テレビ新潟放送網開局25周年記念
長岡市制100周年記念
2007年 4月1日4月8日 熊本県・熊本県立劇場演劇ホール 熊本県民テレビ開局25周年記念
7月8日7月15日 富山県富山県民会館大ホール 北日本放送開局55周年記念
9月9日9月16日 福井県・福井市文化会館 福井放送開局55周年記念
2008年 3月30日4月6日 広島県・はつかいち文化ホール 広島テレビ開局45周年記念
7月13日7月20日 島根県・出雲市民会館
(島根県での収録は番組開始以来初)
日本海テレビジョン放送開局50周年記念
10月26日11月2日 愛媛県松山市民会館 南海放送開局55周年記念
2009年 3月8日3月15日 鹿児島県・鹿児島市民文化ホール 鹿児島讀賣テレビ開局15周年記念
5月17日5月24日 岩手県・岩手県民会館 テレビ岩手開局40周年記念

なお、地方収録の回数が一番多いのは福島県で8回 、次いで北海道静岡県山口県福岡県が各7回ずつである。逆に、千葉県茨城県三重県滋賀県奈良県和歌山県佐賀県宮崎県では1度も行われていない。(いずれも2009年6月時点)

初の地方収録を大阪で行ったのは関西地区での視聴率対策のためと言われるが、現在は地方収録を行っている番組自体が非常に少なく人気番組であることもあり、ネット局からの収録の依頼が殺到している状態である。そのため激しい誘致競争に勝ち抜くために上記の通り各ネット局の開局記念行事として行われることがほとんどである。

なお、近年は関西地区での収録は行われておらず、「笑点」のオフィシャルサイトにも「関西での収録予定はないのか」という質問が紹介されており、それに対する答えが「前提として要請のあった系列局に伺うことになっております」となっていることから暗にNNNの関西広域ネット局の読売テレビ放送が積極的に公録の誘致を行っていないことを匂わせている。また、歌丸の著書では大阪府寝屋川市で公録を行った際に読売テレビ側がきちんとした対応をとらなかったということで局と出演者たちの間で対立が起きたというエピソードが紹介されている。

[編集] 海外公演

過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。

放送年月日 公演名(収録地) 理由
1978年 4月30日5月7日 笑点亜米利加寄席(サンフランシスコ 日本テレビ放送網開局25周年記念
1980年 10月5日10月12日 笑点ハワイ公演(ハワイ州 番組15周年記念
1997年 4月20日 笑点in香港(香港 番組30周年記念

ハワイ公演は大喜利レギュラーだった三遊亭小圓遊の最後の出演となった(ハワイ公演の1回目の放送があった日の未明に急死)。また、香港ロケの模様は90分の特別版で放送された。

このほか、1991年の番組25周年の時にはパリでの収録が予定されていたが湾岸戦争の影響を理由に中止されている。

[編集] ネット局

2009年1月時点で放送されていない都道府県は、日本テレビ系列局が無い沖縄県のみとなっている。

笑点ネット局
放送対象地域 放送局 系列 放送時間 遅れ 開始時期
関東広域圏 日本テレビ放送網(NTV)
(制作局)
日本テレビ系列[4] 日曜 17:30〜18:00 同時ネット 放送開始〜
北海道 札幌テレビ放送(STV) 放送開始〜
青森県 青森放送(RAB)[5] 放送開始〜
岩手県 テレビ岩手(TVI) 1969年12月
宮城県 宮城テレビ放送(MMT) 1970年10月[6]
秋田県 秋田放送(ABS) 放送開始〜
山形県 山形放送(YBC)[5] 放送開始〜
福島県 福島中央テレビ(FCT) 1971年10月
山梨県 山梨放送(YBS) 放送開始〜
新潟県 テレビ新潟(TeNY) 1981年3月29日[7]
長野県 テレビ信州(TSB) 1991年4月
静岡県 静岡第一テレビ(SDT) 1979年7月
富山県 北日本放送(KNB) 放送開始〜
石川県 テレビ金沢(KTK) 1990年4月
福井県 福井放送(FBC)[8] 放送開始〜
中京広域圏 中京テレビ放送(CTV)[9] 1973年4月
近畿広域圏 讀賣テレビ放送(ytv) 放送開始〜
鳥取県島根県[10] 日本海テレビジョン放送(NKT) 1972年10月
広島県 広島テレビ放送(HTV) 放送開始〜
山口県 山口放送(KRY)[5] 放送開始〜
徳島県 四国放送(JRT)[11] 1988年[12]
香川県岡山県[13] 西日本放送(RNC) 放送開始〜
愛媛県 南海放送(RNB) 放送開始〜
高知県 高知放送(RKC) 放送開始〜
福岡県[14] 福岡放送(FBS) 1969年4月
長崎県 長崎国際テレビ(NIB) 1991年4月
熊本県 熊本県民テレビ(KKT) 1982年4月
鹿児島県 鹿児島讀賣テレビ(KYT) 1994年4月
大分県 テレビ大分(TOS) 土曜 16:00〜16:30   1970年4月[15]
宮崎県 テレビ宮崎(UMK) 火曜 10:45〜11:15   2008年〜[16]
2005年4月10日から、テレビジャパンNHKワールドTVアメリカ地域向け放送)でも、約3ヶ月遅れで放送している(当初7ヶ月遅れだったが、5代目圓楽不在時に歌丸以外が司会を担当した回を飛ばしたため遅れが短縮)。放送時間は、本放送が現地時間の日曜日21:15〜21:40(東部)、18:15〜18:40(西海岸)、16:15〜16:40(ハワイ、但し米本土の夏時間期間中は15:15開始に変更)、再放送が同じ週の土曜日(ハワイのみ時差の都合上金曜日深夜)。番組中のCMをカットして放送。

[編集] かつてネットしていた局

年月度は放映打ち切り時期である。

放送対象地域 放送局 系列 放送時間 遅れ 開始時期
岩手県 IBC岩手放送 TBS系列 1969年12月のテレビ岩手開局まで
宮城県 東北放送 TBS系列 1970年10月のミヤギテレビ開局まで
福島県 福島テレビ 現在はフジテレビ系列 1971年10月のTBS系列加盟(1983年3月脱退・FNN加盟)・
福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換まで
新潟県 新潟放送 TBS系列 6日遅れ。 1981年3月28日まで[17]
長野県 信越放送 TBS系列 1991年4月のテレビ信州のテレビ朝日系列・日本テレビ系列(但しNNSは非加盟)
クロスネットから日本テレビ系列へのネット一本化=NNS加盟まで
静岡県 静岡放送 TBS系列 1978年9月まで
静岡朝日テレビ 現在はテレビ朝日系列 1978年10月〜1979年6月、静岡第一テレビ開局まで
石川県 北陸放送 TBS系列 不明
石川テレビ放送 フジテレビ系列 日曜15:00〜15:40→土曜16:00〜16:40 1990年4月のテレビ金沢開局まで遅れネット実施
愛知県 名古屋テレビ放送 現在はテレビ朝日系列 1973年4月の中京テレビのNNSフルネット局変更まで
鳥取県・島根県 山陰放送 TBS系列 日曜15:00〜15:40→土曜16:00〜16:40 1972年9月まで[18]
福岡県 RKB毎日放送 TBS系列 1969年4月の福岡放送開局まで。[19]
長崎県 長崎放送 TBS系列 1969年4月のテレビ長崎開局まで
テレビ長崎※1 フジテレビ系列 1990年9月まで。[20]
大分県 大分放送 TBS系列 1970年4月のテレビ大分開局まで
宮崎県 宮崎放送 TBS系列 1970年4月のテレビ宮崎開局まで
テレビ宮崎※3 フジテレビ系列 1997年3月まで。[21]
鹿児島県 南日本放送 TBS系列 1969年4月の鹿児島テレビ放送開局まで
鹿児島テレビ放送※1 フジテレビ系列 1994年4月の鹿児島読売テレビ開局まで
沖縄県 沖縄テレビ放送 フジテレビ系列 1989年5月まで
琉球放送 TBS系列 2003年4月から1年間のみ
※1…NNN/NNSにも加盟していた(鹿児島テレビは1982年9月までANNにも加盟)。
※2…NNN/NNSとANNにも加盟していた。
※3…NNN・ANNにも加盟。

[編集] スペシャル大喜利

大笑点などでは、特別企画として以下のスペシャル大喜利が放送される。

[編集] 毎年行われる大喜利

[編集] 寿大喜利

  • 笑点メンバーによるレギュラー大喜利だが、3問目はその年の干支の動物の格好をして登場する。

[編集] 振袖大喜利

  • 女性芸能人5人(現在はグラビアアイドルが多い)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦。1971年にはすでに開催されている。
  • このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、番組黎明期の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演しているほか、2004年と2005年には飯島愛も出演した。ほかには、「アナウンサー大喜利」には出演しなかった永井美奈子元アナウンサーも出演した。
  • 2006年の「大笑点」では、ピン子・花子以外の3人が全て入れ替わり、小倉優子若槻千夏インリン・オブ・ジョイトイとなった。さらに2007年の「大笑点」からは若槻とインリンに代わり菊川怜(2008年は田丸麻紀)、眞鍋かをりユンソナの3名が加わり6人体制となった。2009年はピン子・花子にエド・はるみスザンヌはるな愛平山あやが参加。
  • 好楽&ピン子、楽太郎&花子のペアは固定されているが、そのほかのメンバーは毎年相手が変わっている。
  • ペアを組む相手は、メンバーのキャラクターに合わせて決められることもある(例として、2009年のスザンヌ&木久扇、はるな愛&たい平)

[編集] アナウンサー大喜利

  • 1979年に初開催。8月にまず女性アナウンサーの大喜利が行われ、10月に男性アナウンサーの大喜利が放送された。特に男性アナウンサー大喜利に出演した小林完吾は迷答・珍答を連発し、これがきっかけでバラエティ番組にも多く出演するようになった。なお、司会はどちらも三波が担当した。
  • その後しばらくは行われなかったが、1984年の正月特番でNNNの系列局のアナウンサーも参加してのアナウンサー大喜利が行われて好評だったため(この時の司会は5代目圓楽が担当)、以降準レギュラーの企画となった。
  • 1996年4月〜1997年3月頃までは、月1回ごとに開催されており、毎回最も座布団が多かったアナウンサーには、マイクの人形が付いたペンダントを獲得できる。
  • 日本テレビのアナウンサー5人が大喜利に挑戦する。おもに女性アナウンサーが出演するが、男性アナウンサーとしては藤井恒久が「こん平」的キャラクターとしてレギュラー出演している。また、楠田枝里子徳光和夫松永二三男らも日本テレビのアナウンサーだった時代に出演している。
  • 正月特番(年によっては年明け最初の通常放送の演芸コーナー枠)だけでなく、現在でも通常放送時の最初の放送や、8月中旬に行われる。
  • 通常放送時は楽太郎と小遊三が司会者で、他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当(以前は5代目圓楽単独もしくは5代目圓楽と歌丸がふたりで司会を務めており、好楽が単独で司会を行ったこともある。座布団運びは、以前はこん平や木久扇が担当していたが、最近は座布団運びをブラック団が担当することが多い)する。
    • このときは男性アナウンサー3人、女性アナウンサー3人で上手(客席から向かって右)に男性陣、下手(客席から向かって左)に女性陣と分かれて座る。

[編集] 24時間テレビチャリティー大喜利

  • 1988年に初参加。毎年8月『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で17時台前半あたりから生放送される。かつては特別ルールとして、座布団1枚につき、1万円を募金していたが、この時に限っては募金をさせるためにつまらない答えでも座布団がどんどん与えられる一方、座布団を剥奪される場面がなかったため、当然ながらこの放送を見ていた一部の視聴者から、このルールに対しての抗議を受けることとなった。また、1990年の放送の際にはメンバーが照れ隠しで募金を嫌がる演技をしたところ、「チャリティー番組なのにけしからん」とやはり抗議を受けることとなり、それ以降は笑点メンバー全員が自ら募金をする様になり、最近では通常の「笑点」の放送と同様に、演芸コーナーと大喜利の2部構成となり、大喜利では座布団が一番多かったメンバーに豪華賞品(?)が送られる。
    • 因みに2007年の放送では、演芸コーナーにタカアンドトシが登場し、大喜利での豪華商品は、この年の24時間テレビのメインパーソナリティーで、大喜利のコーナーで特別に座布団運びを務めたタッキー&翼滝沢秀明とのツーショット写真が撮れるというものだった。
    • 2008年の放送では、演芸コーナーにチュートリアルが登場。メンバーの挨拶では、楽太郎が「次期司会次期圓楽の楽太郎です」と、番組内では初めて6代目圓楽襲名に触れている。大喜利では、賞品はなし。3問目の最後で、たい平が「に会わせてくれると武道館に連れてってくれるって言ったのに、いるのは笑点メンバーのジジイばっかり」と言い放ったため、全部没収されてそのまま大喜利終了となった。
  • 最初から2年間は日本武道館で生放送を行い(2分間のCMの間にセットを組んで中継を行ったというエピソードがある)、日産銀座ギャラリー、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継であったが、2003年からは汐留の日本テレビ本社·放送センター(日本テレビタワー)からの生中継となった。
  • 一時期は挨拶→CM→大喜利1本という短さだったが2003年以降、演芸コーナーと大喜利3本という通常放送と同じ編成になった。放送時間も17:20〜18:00の間で時間不定だったものの、現在は17:30〜18:00というレギュラー放送とほぼ同じ時間帯で行なっている。
  • 遅れネット局であるテレビ大分とテレビ宮崎、ならびに24時間テレビ参加局で唯一の日本テレビ系列外である沖縄テレビでは放送されない(『FNNスーパーニュースWEEKEND』を放送)。このため放送回数には含まれない。
  • なお、『24時間テレビ』が始まる前は毎年年末に通常放送の中でチャリティー大喜利が行われていた。

[編集] 東西大喜利

  • 笑点メンバーと上方落語界を代表する6人(2006年は5人)と大喜利で対戦する。上方メンバーは2006年まで全員黒の紋付袴で登場していたが、2007年は普段の高座での着物で登場した。
  • 笑点メンバーも全員黒紋付袴で登場していたが、東西のカラーをはっきりさせるため、2003年から笑点メンバーは笑点の色紋付で登場している。
  • 2005年までは5代目圓楽が司会を担当していたが、2006年からは歌丸と桂三枝が二人で司会を務めている。
  • 近年の出演メンバーは次の通り。
    • 2003年:桂三枝、月亭八方笑福亭鶴光桂きん枝桂小枝月亭可朝
    • 2004年:笑福亭松之助桂雀々、桂きん枝、笑福亭鶴光、桂小枝、月亭可朝
    • 2005年:桂三枝、桂きん枝、笑福亭鶴光、桂ざこば、桂小枝、月亭可朝
    • 2006年:笑福亭松之助、桂きん枝、桂小米朝(現・米團治)、桂小枝、月亭八方(この年から三枝が歌丸と共に司会にまわった)
    • 2007年:笑福亭松之助、桂きん枝、笑福亭鶴光、桂小枝、桂雀三郎、月亭可朝、座布団運びに桂三弥
    • 2008年:笑福亭松之助、桂きん枝、笑福亭鶴光、桂小枝、桂文福、月亭可朝、座布団運びに桂三弥
    • 2009年:笑福亭松之助、桂きん枝、笑福亭鶴光、桂小枝、桂米團治、月亭八方(この年は司会は歌丸のみ)

[編集] 過去に行われた大喜利

[編集] 師弟大喜利

  • メンバーの師匠が参加し、弟子達と大喜利対決をする。第1回の師弟大喜利は1967年の正月特番である。談志が司会だった時代は年末にも行われていた。
  • 初期に出演したのは
  • 後に出演したのは
  • その後メンバーの高齢化にともなって、師匠サイドで登場するべき人物の大多数が故人となってしまったことや、メンバーである好楽と楽太郎の師匠が、当時司会を務めていた5代目圓楽だったことなどから調整が難しくなってしまったため、1981年の正月特番に放送された後は行われなくなったが、これとは別に、レギュラーメンバーが自分の弟子・弟弟子達と大喜利対決をする師弟大喜利も何回か行われている。

[編集] 師弟一門大喜利

[編集] 若手大喜利

  • 1967年10月8日から開始され、不定期に番組の前半に放送されていた。当時のメンバーは
  • 90年代後半には大喜利下克上のタイトルで行われた事もある。
  • 以前は番組の司会者がそのまま司会を担当していたが、90年代以降はかつて若手メンバーの一人として出演していた春風亭昇太が司会を務めている。
  • 現在は、『BS笑点』→『笑点Jr.』で毎回若手の大喜利が放映されているため、新メンバー選考会として実施された2004年12月26日の放送(この回で一番多く座布団を獲得したたい平が、本家大喜利の新メンバーとなった)の他に、年始の『おはよう笑点』などで開催されているのみである。
  • 若手大喜利出身のメンバーは栄橋・小きん(つば女)・木久蔵(木久扇)・古今亭朝次(7代目桂才賀)・昇太・林家たい平である。

[編集] ちびっこ大喜利

  • 子役出身の若手俳優など、若年の芸能人を集めた大喜利が定期的に行われていた。ここで座布団10枚を集めたご褒美として「レコードデビュー」を獲得したのが、一世を風靡したずうとるび山田隆夫新井康弘江藤博利今村良樹)である。ずうとるびメンバーは全員がちびっこ大喜利出演者で、山田が座布団を10枚獲得したことでグループを結成。1974年2月17日にリーダー山田の作詞作曲によるシングル『透明人間』でデビューし、1975年には紅白歌合戦にも出演を果たしている。

[編集] ドレミファ大喜利

[編集] 笑点VS天声慎吾

[編集] お笑い芸人大喜利

[編集] TOKIOとの対戦

  • 2005年の正月スペシャルではTOKIOと対戦した。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。5対5となるため、たい平は座布団運びにまわった。
    • 自己紹介では笑点メンバーを5代目圓楽が「老人チーム」と紹介し、笑点メンバーが全員座布団からずり落ちた。
    • 自己紹介でリーダーの城島茂が「山田隆夫さんの座布団運びの座を狙う」と発言、それを受けた山口達也が「山田さんを首にしろ」と答え、「山田の悪口を言ったのにもかかわらず逆に座布団を貰ってしまう」という2回目の例を作った(1回目は林家たい平が「KY=クビだ、山田」と答えた)。
  • TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。また、メンバーの国分太一は、2006年5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
  • 笑点メンバーとTOKIOの対戦は、2006年以降舞台を「大笑点」の番組上に変えて、2008年までで4度開催されている。

[編集] その他

[編集] 派生番組

[編集] BS笑点・笑点Jr.

詳細は「BS笑点」、「笑点Jr.」をそれぞれ参照

2003年10月から日本テレビのBS放送BS日テレで兄弟番組として若手中心の『BS笑点』を放送した。現在大喜利メンバーの春風亭昇太、林家たい平はこの番組の出身。現在司会の桂歌丸はナビゲーターとして出演。裏方として出演している三遊亭愛楽もこの番組に出演している。2007年4月からはCS放送日テレプラス(当初は日テレプラス&サイエンス)に媒体を移し、『笑点Jr.』として放送中である。また、BS笑点放送時には、再編集のうえ日本テレビ系列の地上波地方局にて「こいつは凄芸」と「大喜利」の2コーナーのみ抜き出したバージョンが(BS日テレで何ヶ月か前に放映されたもの)「笑点Jr.」と題して放送されていた。

[編集] 大笑点

詳細は「大笑点」を参照

2006年から2008年までの1月1日に正月特番として、『大笑点』を放送した。

2009年は普段関東広域圏のみでの放送となっている『ラジかるッ』の拡大版が放送されるため、16:00〜18:00に『笑点お正月スペシャル』の2時間特番を放送。

[編集] おはよう笑点

詳細は「おはよう笑点」を参照

基本的に毎年1月2日3日箱根駅伝中継が始まる前の時間帯に放送されていた特別番組である。

[編集] スタッフ

  • 構成:新倉イワオ、横山誠一、山西伸彦、遠藤佳三、城啓介、三木睦郎、鈴木重夫、内海譲司、佐藤かんじ
  • 音楽:中村八大
  • アニメ:マルチボックス、竹内大三
  • 題字:橘右近、橘左近
  • TM:古井戸博
  • TD:牛山敏彦(NiTRo
  • SW:宮崎和久、安藤康一
  • カメラ:田代義昭
  • 照明:蜂谷道雄、下平好実
  • 音声:酒井孝
  • 調整:矢田部昭
  • PA:木本文子
  • 美術制作・デザイン:磯村英俊
  • 大道具:赤木直樹、峰崎俊輔
  • 装飾:丸山善之
  • 衣裳:佐々木皖子
  • 美粧:外山奈津子
  • 編集:青木健
  • 整音:駒路健一
  • 音効:吉田茂
  • TK:中村ひろ子
  • AD:山口裕之
  • AP:菅原由芳
  • ディレクター:鬼頭直孝、大畑仁、上田崇博、高木裕司
  • プロデューサー:飯田達哉
  • チーフプロデューサー:鈴木雅人
  • 制作協力:ユニオン映画
過去のスタッフ
  • 歴代チーフプロデューサー:北村光雄、吉岡正敏佐野讓顯吉田真、馬場寛、梅原幹
  • 歴代プロデューサー:小里光、小暮美雄、本多益幸、中島銀兵、吉田勲明、尼崎昇、中村元気、中西健/中野留理子、加藤晋也
  • 制作協力:現代センター

※また、地方収録の時はその地域の系列局の技術スタッフ、ディレクター、プロデューサーが携わることがある。なお、かつては地方収録時は日本テレビとその地域の系列局が共同で製作・著作していたが、現在はその地域の系列局は制作協力扱いとなっている。

[編集] その他

後楽園ホール前の「笑点みやげ」売店
  • 柳家きん平の自殺という悲劇があったからでもあるが、『笑点』スタートにおいて急遽(「きん」つながりで)三遊亭金遊(後の小圓遊)が加入する。これは談志がその実力を小痴楽と並び評価し、番組の顔として据えようと考えていたからである。転じて、現在でも影響のある5代目圓楽、歌丸、こん平によって2000回を超える長寿番組になるとは思いもよらなかったのである。
  • 番組の特徴である出演者のカラフルな着物はカラー放送が開始された当時、カメラのカラー調整用に製作された原色の着物がそのまま定着したものである[22]
  • 司会に前田武彦が初登場した日の新聞には、前田が日々感じたことをありのまま喋る「前武歳時記」。第二部「演芸コーナー」で、一流芸人が芸を披露(この日は漫才・てんやわんや)。第三部「前武なんでも入門」で話題の人物をゲストに迎え、その技術のツボを聞く(この日はスパイ入門)。第四部が「大喜利ナンバー・ワン」、2代目歌奴・金馬の2チームが対抗と掲載されている。
  • 1980年の笑点ハワイ公演は、現地でこん平の師匠・三平の訃報が届いた中での収録となった(こん平は訃報を聞いて他の大喜利メンバーやスタッフと共に一晩中泣き明かしたという。そして、翌日最後の収録を終えると他のメンバーより一足早く帰国している)が、その初回放送日である10月5日未明には当時の大喜利メンバーであった小圓遊が急逝してしまい二重の不幸に見舞われてしまった(歌丸はハワイ公演を終えて帰国した小圓遊が空港の花壇に力なく座り込んでしまったのを見て「様子がおかしい」と感じたと語っている)。
  • 歌丸の地元・横浜にある放送ライブラリーでは1980年10月5日放送分(上記)と2001年10月28日放送分の閲覧が可能となっている。
  • 1987年6月28日15時前の『NNNニューススポット』では、ハプニングでタイトルバックに『笑点のテーマ』がBGMとして流れてしまったことがある。この日の笑点は特番編成の都合でこのニュースの後放送されることになっていたが、その際、主調整設備(マスター)に於いて番組テロップ表示の際の音声用のカートリッジ・テープ(CT)の順番を入れ間違えた為か、マスターの制御プログラムの入力ミスかそういう原因によって起きたものと思われる。
  • 1993年にスペシャル番組『テレビの裏側大公開』で笑点メンバーがオリジナルの歌詞を付けて歌うという企画が放送された。またフジテレビの『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』でもその事が取り上げられた際、証拠VTRとして麹町日本テレビ本社屋前(当時)で歌唱する映像が放映されたことがある(歌っているのは出演者ではなく別の人である)。2000年頃の新春スペシャルでも実はテーマ曲に歌詞があるとして、合唱団がいろいろな場所で歌うという企画があった。
  • 2006年9月17日放送のニッポン放送『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にゲスト出演した好楽によると、「三波伸介さん急死後、愛川欽也さんには「大勢の落語家さんを相手にとても司会なんか出来ない」と断られ中村メイコさんや山城新伍さんにも司会を打診していたが断られた」という。そうした経緯もあって5代目圓楽に白羽の矢が立ったという。
  • 16:9フルサイズのハイビジョン放送は現在もされていないが、恐らく大喜利で横のメンバーが映ってしまうからであると思われる。
    • ユニオン映画が制作協力しているからとも言われているが、後楽園ホール内に配置されているテレビカメラなど放送機材はすでにハイビジョンに対応している(『欽ちゃんの全日本仮装大賞』(2008年以降)やボクシング・プロレス中継ではすでに16:9フルサイズでハイビジョン放送化されているため)。だが、放送素材そのものが16:9フルサイズのハイビジョン画質で収録されていても番組送出時に画質変換なしで4:3ノーマルサイズにして放送している。地方での公開録画でもハイビジョンカメラで収録されているが、やはり16:9フルサイズのハイビジョン画質で収録しても番組送出時に画質変換なしで4:3ノーマルサイズにして放送している。したがって番組の放送素材自体そのものは16:9フルサイズのハイビジョン制作となっており、4:3SD画質(標準画質)をアップコンバートしたものではない(サイドカット)。なお、地上デジタル放送開始当初は後楽園ホール内に配置されているテレビカメラなどの放送機材がまだSD仕様だったためアップコンバートでの放送だった。
    • 24時間テレビのチャリティー大喜利や大笑点(一部VTRを除く)ではハイビジョン放送。
    • 2009年1月1日放送の『笑点お正月スペシャル』では通常放送のオープニングアニメーションのみ16:9フルサイズのハイビジョン画質で放送され、他はサイドカット部分にオープニングアニメーションのイラストが付けられている。
    • 一方、BS日テレで放送される『BS笑点』では16:9フルサイズのハイビジョンで放送されていたが、『笑点Jr.』に変わってからは日テレプラスがSD画質放送であるために標準画質にダウンコンバートしているものの番組自体はハイビジョン制作となっている。
  • 『笑点』の番組収録が行われる土曜日に限り、後楽園ホールのある青いビルの前に「笑点」の提灯が目印の「笑点みやげ」の売店が設営されている。売店では笑点メンバーの人形焼(840円)や「笑点飴」なる金太郎飴(367円)などを販売している。
  • ANAの国際線では、個人用テレビで過去放送分の笑点を月替わりで放映している。
  • 大喜利については綿密な打ち合わせがされている。それが批判の対象になることもあるがその結果、進行はスムーズであり絶妙なアドリブ、ハプニングも起きて笑いにつながっており、広く認められる事になった。またメンバー内での罵倒合戦が非難される事もあるが、「今は暗いニュースが多く、そういうのを取り上げるのはよそう(明るいニュースがもっとあったら、それをやりたいですよ)」(歌丸談)という了解から現状やむなく行われているという。
  • こん平休養後、放送では5代目圓楽以外の笑点メンバーが交代で行っていたのを境に「1、2、3、チャラーン!」はめったに行われなくなったが(アナウンサー大喜利時に藤井恒久アナが行う程度)収録の前説では観客をほぐすために行われている。
  • 2007年からは、SUNTORY×笑点・飲んで笑おうキャンペーンが開催。
  • 放送開始時、メンバーの平均年齢は28歳(5代目圓楽の33歳が最年長で30代のメンバーは2人だけ)とかなりの若手落語家の番組であったが、放送開始から42年を経た2008年現在は57歳(最年少のたい平でも43歳で60歳以上のメンバーが3人いる)とかなりのベテラン落語家の番組となっている。
  • 大喜利メンバー加入時の年齢が最も若かったのはこん平で23歳。逆に最も年長だったのは昇太で46歳である。
  • 2008年3月9日の放送では4代目司会の5代目圓楽が、番組内で円楽一門の口上披露を行った関係で久々に番組に登場した。

[編集] 関連項目

[編集] 関連書籍

[編集] 脚注

  1. ^ 以前は、新春特番や高校サッカーのハイライトなどを放送していたため、新年最初の放送は1月第2週目からだった。
  2. ^ この事は2002年10月28日フジテレビで放送されたトリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜内で、桂歌丸も話していた。
  3. ^ 円楽は山田の休んだ1週目の大喜利の挨拶時に、子作りに励むため数週間休みます。と言っていた。
  4. ^ 福井放送、テレビ大分、テレビ宮崎はクロスネット局
  5. ^ a b c 一時期日本テレビ系列・ANN加盟クロスネット局でもあったが引き続き放送。
  6. ^ 東日本放送が開局するまでは、ANNNNNのクロスネット。本来の時間に朝日新聞テレビ夕刊をネットしていたため、日曜12:15~の遅れネットだった(但し未放送の期間あり)。
  7. ^ それまで、当番組を放送していた新潟放送は、6日遅れの放送だった為、テレビ新潟は、開局前のサービス放送開始後のこの日から同時ネットし続けている。
  8. ^ 1989年4月からANNにも加盟したが、日本テレビ系優先のクロスネット局のため放送を継続。かつては日本テレビ系列でありながら「ANNニュース&スポーツ」や「530ステーション」などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1991年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、1996年4月以降は日本テレビとの同時ネットに移行している。
  9. ^ ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
  10. ^ 鳥取県と島根県の相互乗り入れ前は未放送
  11. ^ 17:00から日曜劇場の遅れネットのため(現在も別時間で継続)、当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している(移行時期は福井放送と同じ)。
  12. ^ 社史「四国放送の50年」による。
  13. ^ 1983年4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域でRNCもしくはNKT・ytv・HTVで視聴することは可能であった)。
  14. ^ 佐賀県でも大部分で視聴可能。
  15. ^ 土曜日16:00〜16:30に時差ネット(編成の関係で休止される場合あり)。理由は日本テレビ系列フジテレビ系列のクロスネット局で、該当時間帯に『FNN TOSスーパーニュースWEEKEND』を放送するため。
  16. ^ 火曜日10:45〜11:15に時差ネット。日本テレビ系列・フジテレビ系列・テレビ朝日系列加盟のトリプルネット局で、該当時間帯に『FNN UMKスーパーニュースWEEKENDを放送するため。途中何度も打ち切り及び再開を繰り返しており、近年では殆ど放送されていなかったが、2008年以降火曜朝に放送を再開した。
  17. ^ その翌日から、開局前のサービス放送中のテレビ新潟での同時ネットに移行。
  18. ^ 日本海テレビジョン放送が島根県に乗り入れたため打ち切り
  19. ^ JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた
  20. ^ NNSを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開
  21. ^ ただし2005年正月特番は放送、後に放送を再開している。
  22. ^ 林家木久扇が、2006年11月6日放送の日本テレビ系『極上の月夜』にゲスト出演した際に語った。

[編集] 参考文献

[編集] 外部リンク

日本テレビ 日曜日16:30(1966年5月15日 - 1968年4月28日
前番組 番組名 次番組
笑点
日曜映画劇場
※15:30 - 17:10
日本テレビ 日曜日17:20(1968年5月5日 - 1996年3月31日
笑点
日本テレビ 日曜日17:30(1996年4月7日 - )
NNN日曜夕刊
(→17:10枠に移動し、継続)
笑点
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