笑点
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| 笑点 | |
|---|---|
笑点は東京・文京区の後楽園ホールで 隔週土曜日に公開収録が行われている (地方での収録のときもある)。 |
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| ジャンル | 演芸バラエティ番組 |
| 放送時間 | 毎週日曜5:30 - 6:00(30分) |
| 放送期間 | 1966年5月15日~(2093回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | 日本テレビ |
| プロデューサー | 梅原幹(チーフプロデューサー) |
| 出演者 | 桂歌丸(司会) 三遊亭小遊三 三遊亭好楽 林家木久扇 春風亭昇太 三遊亭楽太郎 林家たい平 山田隆夫(座布団運び) |
| 音声 | ステレオ放送 |
| 字幕 | あり |
| オープニング | 中村八大作曲「笑点のテーマ」 |
| 外部リンク | 日本テレビ |
笑点(しょうてん)は、日本テレビ系列で毎週日曜日夕方に放送されている寄席風の演芸バラエティー番組で、同時に日本を代表する長寿番組である。1978年からはステレオ放送になった。字幕放送を実施している。
目次 |
[編集] 概要
1966年5月15日に放送がスタート。前身は1965年3月12日から1966年4月22日までの金曜日22:30から放送されていた『金曜夜席』。同番組のスポンサーの龍角散から「なんとか同じような番組を作れないものか」というリクエストもあって企画が立てられた。番組名は三浦綾子の小説で、後にテレビドラマにもなった『氷点』をもじって立川談志がつけたもの。その他に「以前放送されていたコメンタリー番組『焦点』のパロディ」という説や「笑いの焦点」という意味合いもある。
収録は後楽園ホールで隔週土曜日の昼間に行われる。また、年に数回(基本的には4回)、ネット局の開局記念イベントなどで地方での収録が行われる。(→#地方収録)
現在では、『のど自慢』、『NHK大河ドラマ』、『サンデースポーツ』(ともにNHK)、『アッコにおまかせ!』(TBS)、『新婚さんいらっしゃい!』、『パネルクイズ アタック25』、『スーパー戦隊シリーズ』(ともに朝日放送・テレビ朝日系列全国ネット)、『遠くへ行きたい』(ytv)、『ちびまる子ちゃん』、『サザエさん』(ともにフジテレビ)などと並ぶ、日曜のお茶の間を代表する番組となっている。放送開始から40年以上経った現在でも基本的には15%前後、時には20%以上を超える視聴率(関東地区)を叩き出す怪物番組である。しかし、大相撲の中継が裏にある場合、視聴率は10%台前半まで落ちこむ場合もある。 放送回数は2006年1月22日の放送で2000回に到達した。現在の日本テレビの番組では、『NNNきょうの出来事』(2006年9月放送終了)、『キユーピー3分クッキング(NTVバージョン)』に次いで、放送期間の長さで歴代第3位である。さらに2009年まで放送が続いた場合、『素人名人会』(毎日放送)の42年という、演芸番組として最長の放送期間を塗り替えることとなる。
2005年11月23日には放送40周年を記念して5枚組の「笑点 大博覧会 DVD-BOX」が発売されたが、日本テレビのアーカイブに現存する笑点の映像は、1973年8月26日放送の大喜利が最古である。理由は、放送局用VTRは1970年代まで2インチ規格で場所を取り、テープも1巻当たりの単価が現在とは比べ物にならないほど高く、加えて著作権法の事情で番組の資料保存が安易に行えるものではなかったこと等から、放送済みのビデオテープは消去されて使い回されることがほとんどだったためである。そのため、番組開始初期の映像はオープニングを除き現存していないという。
現在は、演芸とレギュラー出演者による大喜利の二部構成である。なお放送開始当初は、演芸と大喜利の間に「談志とゲスト対談(ゲストとの掛合いが半ば即興漫才となっていた)」のコーナーがあり、その後も「前武の何でも入門(その道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「伸介の何でもコーナー(ゲストを呼んでの対談やその道のプロを呼んで挑戦するというもの)」、「円楽のよろずガイダンス(落語に関することを中心とした雑学の披露)」などのコーナーが存在し、長らく三部構成であった。
[編集] 放送時間
毎週日曜日の17:30~18:00(1996年4月~現在)。
- 以前の放送時間(いずれも毎週日曜日)
- 16:30~17:10(1966年5月~1968年7月)
- 17:20~18:00(1968年8月~1996年3月)
- 圓楽時代の人気低迷を受けて1996年4月に番組が40分から30分に短縮されたという説(→#司会者)がある一方で、『40分』という枠組みが時代に合わないことから日テレ側から1時間に拡大するか30分に短縮するかの打診を受け、大喜利を長くやるのは不可能と判断して短縮を選んだというエピソードがレディス4にゲストで出演した桂歌丸から語られた(2007年10月29日放送分にて)。結果的に、圓楽の独演コーナー「よろずガイダンス」を終了して30分番組となった。また、当時関東ローカルで1つ前の番組で笑点で削られた10分間を内包して30分に『拡大』された「ぐるぐるナインティナイン」で変更直後の数回、笑点のオープニングに映る客席とシチュエーション似せたセットに圓楽を真似た矢部浩之と客として紛れ込む岡村隆史(いずれもお笑いコンビナインティナイン)が出るミニコント終わり際に『笑点ファンのみなさん、もう少しお待ち下さい』というテロップを流していた。
- 2005年はプロ野球・読売巨人軍主催試合がある日で、試合開始が17:00の場合テレビ中継が18:30に前倒しになるため、あわせて笑点の開始も17:00からの放送となった。その際、歌丸は大喜利の挨拶で、来週は5時からの放送となりますので、ご注意ください。などとたびたび告知をしていた。
- また年末年始以外の特番などによる休止はほとんどないが、ごくまれに休止となることがある(野球のデーゲームの延長など)。
- 毎年8月後半に行われる「24時間テレビ」では、チャリティー大喜利という特別バージョンで放送される。
- 2005年以降、12月の第3日曜日はFIFAクラブワールドカップの3位決定戦を放送するため、放送を休止する。
- 1998年以前は、全国規模の選挙の投票日は、選挙特番が18時から放送される影響で夕方のニュースが繰り上がったため笑点が休止となった。なお、1998年以降は投票締切時間が20時に延長されたため選挙特番は20時台からの放送となるので、影響はなくなった。
- 1990年ごろには、日本テレビで土曜日の朝にローカルで再放送されていた。その後2002年も1クールではあったが、金曜10:30~11:00の枠で再放送されていた。
- 2003年、2004年の新年最初の放送は、正月特番の編成の都合で18:00~18:55の1時間に拡大されて放送された。
[編集] 出演者
[編集] 司会者
- 初代 ■立川談志(1966年5月15日(第1回)- 1969年11月2日)
- 前身番組『金曜夜席』からの司会。番組の企画を立て、今日の長寿番組に至る基礎を作り上げた。前述の通り、番組タイトルの命名者でもある。
- 1969年3月に談志と対立した大喜利メンバー全員が降板するに至り、メンバー総入れ替えによりリニューアルを図ったが視聴率が低迷。そのため、盟友毒蝮三太夫らとともに降板。
- 2代目 ■前田武彦(1969年11月9日-1970年12月13日)
- 前任者の談志よりも演芸・落語関係の知識は乏しいと思われたが人気司会者らしく巧みな司会術でそれを感じさせなかった。もともと短期での出演予定で司会を務めたのは1年余りだったが、談志降板後の新たな番組の方向性を試行錯誤し、大喜利メンバーの入れ替えも度々行われた激動の時期に貴重な中継ぎ役を果たした。また自身の司会就任と同時に登場した『笑点のテーマ』を作詞している。多忙であったため降板。
- 3代目 ■→□三波伸介(1970年12月20日- 1982年12月26日)
- 北海道での地方収録の際、前田が天候不良で来られなくなり、演芸コーナーにてんぷくトリオとして出演予定だった三波を急遽代役に立てたところ、大変好評だったことから3代目司会者となった。なおこの時、座布団運びに同じくてんぷくトリオメンバーの伊東四朗と戸塚睦夫が代役を務めている。
- 大喜利メンバーに威圧的に接しているように見せるが、それを窺いながらおちょくられたり、なだめられたりする姿が笑いを誘った。太っている事、またそれに関する事を口に出すと激怒する。またメンバー同士の罵倒にも強権であたる(着物を剥いだり、立たせたままにするなど)事が多かった。座布団の差配が絶妙(全員の座布団を全部没収するなどもよく使った)で、大喜利本来の答えの上手さより、座布団をめぐるドタバタで人気を博したと言えよう。 反面、三波の強烈なキャラクターが突然なくなった事が圓楽の司会就任後しばらく続く苦戦の遠因となってしまった感は否めない。
- 1982年12月8日に急逝。1983年の正月特番では愛川欽也が臨時に司会を担当した。
なお、1972年4月30日の300回記念の時には談志、前田、三波の3人が揃って出演している。
- 4代目 ■三遊亭圓楽(1983年1月9日(第851回)- 2006年5月14日(第2016回))
- 三波の死、臨時司会者愛川の辞退を受け、とりあえず2回のみの出演予定で復帰したが、そのまま司会者就任となった。
- 当初は「答えの合間に都々逸を織り込む」、「富士子・歌丸夫人ネタを取り入れる」、「こん平の衣装をはぐ」、「『馬面』ネタを復活させる」など独自色を出していたが、都々逸の織り込みはテンポが鈍ったり、あまりに深すぎて理解されなかったりということがあり、さらに初代司会者・立川談志の批判(当時「EXテレビ」があり、談志は自身の芸論をテレビにおいてもかなり自由に語ることができていた)もあり、加えて三波時代に強烈だった喜怒哀楽の激しいドタバタが彼の性格からか若干マイルドになったことで、人気が低迷。
- だがその後テンポを見直し、矢継ぎ早に指名する形に直した結果、再び人気番組となった。
- 司会者のキャラクターの露出を控え、弟子も「さん」付けで呼ぶなどして先輩・後輩、師匠・弟子といった垣根をなくし、大喜利メンバー全員が主役という新しい方向性を生み出した。また、歴代最長の23年間司会を務めながらその間の新加入者はわずか2人。メンバーの座る位置も弟子の三遊亭好楽の復帰後はほぼ固定にするなどいたずらに番組の形を変えなかったことで持続的な人気を得る元を作った。
- 脳梗塞を発症して2005年10月23日(第1989回)から休養。2006年3月26日放送(第2009回)より冒頭の案内役のみ復帰するが、同年5月14日の番組放送40周年特番を機に勇退した。
- 圓楽が病気で休養していた時は、歌丸→楽太郎→小遊三→好楽→木久蔵の順で、週交代で代役司会を行った(歌丸の大喜利での持ちネタの1つ、「司会交代」が現実に)が、たい平と山田は代役司会を行わなかった。
- 5代目 ■→■桂歌丸(2006年5月21日(第2017回)-現在)
- 2005年10月23日~2006年3月19日は冒頭の案内役、2005年11月27日~2006年5月14日は大喜利の司会を担当。2006年5月21日放送分より正式に5代目司会者に就任。2007年9月9日の第2081回目の放送より、着物の色が深緑に変わった。
- 大喜利の挨拶では、毎週『○○なメンバーの(○○の)ご挨拶からどうぞ』という(○○は罵倒ネタ)。また山田の挨拶では、最初に言ったネタと関連したもので『○○な山田君の(○○の)ご挨拶をどうぞ』という。
- 三遊亭楽太郎、林家たい平、春風亭昇太によるブラック団も歌丸の司会就任後に登場している。
- 長らく大喜利メンバーとして活躍してきただけに、練りこまれた罵倒合戦を絶妙に切り盛りし、またお題を他のメンバーより見事に答えてみせて、会場をうならせる場面も見られる。さらに、大喜利の回答に対し「同じような話が落語のネタにある」とコメントするケースも良く見られる。「歴代の司会を意識せず、自然体でやっている」とは本人の弁。
[編集] 大喜利メンバー
詳細は大喜利 (笑点)#大喜利メンバーを参照。
-
- 過去の大喜利メンバー
- (出演開始順)
[編集] 大喜利
詳細は大喜利 (笑点)を参照。
[編集] 演芸コーナー
番組の前半に行われる。圓楽司会時は「今日の笑点、端(はな、始めという意味。「華」を掛けている)は…」と紹介していたが、歌丸が司会になってからは「今日の演芸をご紹介しましょう」と歌丸がいい、ゲストを紹介する。登場するゲストは毎回1組が基本であるが、ピン芸人の短いネタの場合、2組が出るケースもある(40分番組だった時代は10分コーナーがあった)。
コーナー終了後には「引き続き大喜利をお楽しみください」のテロップが登場し、CMに入る(一時期、CMを挟まずそのまま大喜利に入り、大喜利の1問目と2問目の間にCMを挟むという時期もあった)。
- 芸歴の長いベテランから注目の若手まで幅広く、ジャンルも落語、漫才、漫談、コント、マジック、物真似など多岐にわたっている。
- ベテランの出演が多かった頃、あまり出演機会のなかった若手を対象にした「笑点の穴」(『タイガーマスク』の「虎の穴」にちなむ)というコーナーもあった。毎回2~3組登場し、最後まで笑いを取れれば「おめでとう!全国放送」のテロップが出るが、取れなければネタの途中でもカットされる。プリンプリン、北陽など多くの若手芸人がしのぎを削った。また、ウッチャンナンチャンのウリナリ!!のコントコーナー「ランキングキャラクターライブ」から、番組内ユニットのザ・レスラーズ(南原清隆・勝俣州和・濱口優)とSeniorJunior(内村光良・ウド鈴木)が対決を行ったこともある。なお、ウリナリ!!メンバーが出演した後、木久蔵、楽太郎、好楽が「笑点Boys」としてウリナリ!!に出演し大喜利対決も行っている。
- コーナー内で落語家の真打昇進披露や改名披露が行われる事がある。近年の真打昇進披露は、落語協会と落語芸術協会、円楽一門会の各団体の合同によって行われる事が多い。
- 寄席の定席での襲名披露で普通行わない、真打になった本人の挨拶があるのが特徴。本来襲名披露口上では本人による挨拶は行われないため、進行者がその旨を述べてから本人挨拶を行う。
- 本人挨拶が行われるようになった背景には、時間短縮がある。1996年4月、それまでの17:20~18:00から、17:30~18:00に、10分短縮された。寄席どおりにやってしまうと、大喜利の時間が取れなくなってしまうため、一席に替えて本人挨拶が登場した。だが、現在では、各協会の側も、まず笑点で顔と名前と声を覚えてもらい、寄席で芸を見てもらいたいという姿勢で臨むようになっており、全国へのお披露目の場として積極的に活用している。
- 通常は、各協会・一門に関係する大喜利メンバーが進行役や挨拶で登場する。しかし、9代目林家正蔵襲名披露では、こん平が多発性硬化症で療養中だったため、代理として圓楽が高座に上がった。また、大喜利レギュラーとなった後で真打になった者のうち楽太郎、好楽(昇進時は林家九蔵)、才賀の真打昇進披露の際にはその時点で真打に昇進していた大喜利メンバー全員が高座に上がった。特に才賀の時は圓楽をはじめ大喜利メンバー全員が高座に上がっている。
- 1998年7月は座布団運びの山田が4週にわたって番組を休んだため、山田が休んでいる間は若手落語家が出演し、「大喜利下克上」を行った。司会は後にレギュラーになる春風亭昇太で、同様に後にレギュラーとなる林家たい平(当時二ツ目)も解答者として出演していた。なお、一番面白かった落語家には、後半の大喜利コーナーの座布団運びを担当した。
- 2006年1月22日の第2000回放送と、2006年5月14日の「40周年スペシャル」では、演芸コーナー最多出演者として、マジックのナポレオンズが紹介され、出演した。
- 2006年1月29日の放送では、桂歌丸のオープニング(通常は「こんにちは。笑点の時間がまいりました」と発言)無しでそのまま同年1月16日に死去した漫談師・ローカル岡を偲んでと題し、2005年12月に収録済みであった彼の漫談が流された。
- 2007年2月4日の放送では、当時林家きくおの2代目木久蔵襲名後の自分の名前を募集していた林家木久蔵の新しい名前の中間発表が行われた。結果、林家木久扇に決定した。
[編集] オープニング・エンディング
[編集] 笑点音頭
番組放送当初は立川談志作詞・宮崎尚志作曲による「笑点音頭」がオープニング曲であった。歌はすべての歌唱パートを談志が受け持ち、その他の大喜利メンバー(圓楽、歌丸、春風亭梅橋、三遊亭小圓遊、林家こん平、毒蝮三太夫)がバックコーラスを担当している。放送当時の1967年にキングレコードからレコード発売された。なお、現在では、企画盤のうちの一曲として複数のレコード会社からCD化されている。
[編集] 笑点のテーマ
1969年10月に談志が司会を降板した後、新テーマ曲として『笑点のテーマ』が導入された。中村八大が作曲した「チャンチャカチャカチャカ、チャンチャン」というお馴染みのフレーズは現在では笑点の代名詞ともなっている。
また、導入当初は司会・前田武彦による歌詞があった。歌は前田と大喜利メンバーが歌ったが、あまりの下手さに不評を買い短期間でインストゥルメンタルのバージョンとなり現在に至っている。
1992年まで使用されていた初期バージョンは、東海林修の編曲・指揮により、ジャズのオーケストラ形式で録音されたが、効果音係(その世界では有名だった人で、元はハーピストだった)が、効果音の一つとして使用していたクラクションの操作ミスによって、最後の部分に妙な音調で「パフ」という音を入れてしまった。ただし、好評だったのでそのまま採用され、後述の再録音の際にも再現されるなど、「笑点のテーマ」のシンボルとなった。また、提供社名を流す際の番組開始・終了用音楽は、アレンジが微妙に異なり、曲の最後の部分でブラスの音が強調されていた。これらの曲は、1979年にステレオ放送化されても、そのまま使用された。
テーマ曲は、1992年に別の演奏者により再録音された。この時、曲自体がステレオ対応となり、鳴り物や吹き物が変更され、アレンジも微妙に変化したが、全体的にはオリジナルの曲調を踏襲している(上記の提供部分もこのバージョンに変更)。その後、1996年4月に放送時間が40分から30分に時間が縮小した時以降は、間奏部分がなくなってワンコーラスになっている。
尚、2006年5月14日放送(第2016回)の40周年記念スペシャルではエンディングで、上記の、1980年代に提供アナウンス時に流れたジャズ調アレンジのテーマが流れた。
2007年4月中旬ごろからは、大喜利メンバーがデザインしたTシャツ「福T」が抽選で当たるサントリーのビール・発泡酒のキャンペーンで使用されている(歌詞は、小林克也によるCMオリジナルのもの)。また、2007年2月にはNHKの「クインテット」でもネタにされたことがある。
[編集] オープニングタイトル
タイトル文字は、現在は寄席文字であるが、放送開始当初は「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションだった。オープニングアニメーションの似顔絵・演出は竹内大三(「任侠陣傘編」と「日本の昔話編」の似顔絵・演出は永沢詢)が担当。
地方収録や、その年の最後に『三本締め』で幕締めするのが恒例中の恒例であったが、最近では前半で真打昇進披露を行う場合以外には行われなくなっている。
[編集] 歴代オープニング
※最後に「製作・著作 日本テレビ」と演芸文字で出るのと同時にNTVのマーク(1978年以降は社章であるメルカトル図表のロゴマーク)が長らく出ていたが、1992年7月の「なんだろう」登場以降は「なんだろう」に取って変わられるようになった。2003年以降は日テレのCI導入に伴い、現行のロゴマークである「なんだろう」+「日テレ」のロゴが入るようになった。(2008年は開局55周年キャンペーンのため「日テレ55」ロゴ)また、その直前には下記で紹介するテーマに沿ったものが画面手前からこちらに向かって飛んでくるのがならわしとなっている。
- 1966年5月15日~1967年1月22日(オープニングテーマなし)
- 1967年1月29日~1969年11月2日「笑点音頭」
- 「笑点」の文字を笑顔に見立てるアニメーションで、その後メンバーを模した動物(立川談志…猿だがメンバー一同の猿回しもする、桂歌丸…バッタ、柳亭小痴楽(後の春風亭梅橋)…フグ、三遊亭圓楽…馬、林家こん平…ネズミ、三遊亭金遊(後の三遊亭小圓遊)…イモムシ、石井伊吉(後の毒蝮三太夫)…マムシ)が出てくる。
- 1969年11月9日~1970年6月14日「歌詞付きの笑点のテーマ」
- 1970年6月21日~1971年12月26日「任侠陣傘編」
- 1972年1月2日~1974年12月29日「日本の昔話編」
- 1975年1月5日~1977年8月21日「笑点大演芸編」
- おなじみの寄席風の三色幕をバックに「笑点」。出演者紹介時のみ静止画で寄席文字のパターンはこの時点から。圓楽降板後はステッキを振り回すピエロのシーンを延長した。
- 1977年8月28日~1980年12年28日「江戸の暮らし編」
- 1981年1月4日~1982年12月5日「東海道五十三次編」
- 1982年12月12日~1983年1月2日(オープニングテーマなし)
- 三波伸介急逝により。その後の「日本の祭り編」は当初三波伸介で制作されたものだったが、顔の部分だけ圓楽に作り替えて放送に間に合わせた。
- 1983年1月9日~1983年10月9日「日本の祭り編」
- 1983年10月16日~1985年3月31日「落語の世界編」
- 1985年4月7日~1988年3月27日「世界の童話編」
- 1988年4月3日~1989年3月26日「古今東西有名人編」
- 1989年4月2日~1990年12月30日「江戸の商売編」
- 1991年1月6日~1991年12月29日「世界のスポーツ編」
- 1992年1月5日~1992年12月27日「江戸の生活編」
- 1993年1月10日~1996年3月31日「日本の昔話編その二」
- 20年前のリメイク
- 1996年4月7日~1998年3月29日「笑点メンバーの趣味趣向編」
- ここから30分に短縮されたため、間奏がカットされ40秒バージョンになる。
- 1998年4月5日~1999年12月26日「七福神編」
- 2000年1月9日~2000年12月24日「笑点ファミリー編」
- ここからレギュラー陣氏名のアルファベット文字が入る。
- 2001年1月7日~2001年5月13日「21世紀記念編」
- 2001年5月20日~2003年12月28日「35周年記念・大江戸すごろく編」
- 2004年1月11日~2006年5月14日「笑点(商店)街横丁編」
- 2006年5月21日~「40周年記念・新装開店祭り編」
- 歌丸司会就任後初のオープニング。
- 全快を祈る目的か、終盤に一瞬だけ圓楽・こん平のイラストが登場する。
- 2007年9月23日放送分より、木久蔵改め木久扇の名前及びイラストを差し替え。後半も一部イラストが変わっている。
[編集] 地方収録
初の地方収録は大阪府で行われた。(放送日不詳。収録日は1967年7月15日)
また、神奈川県伊勢原市での地方収録の放送時(1973年10月21日)に当番組の歴代最高視聴率(40.5%)をマークしている。
2002年以降の地方収録は以下の通り。
なお、地方収録の回数が一番多いのは福島県で8回 、次いで北海道、静岡県、山口県、福岡県が各7回ずつである。逆に、千葉県、茨城県、三重県、滋賀県、奈良県、和歌山県、島根県、佐賀県、宮崎県では1度も行われていない。(いずれも2008年3月末時点)
[編集] 海外公演
過去に大喜利での座布団10枚獲得などによる、海外での収録は幾度か行われているが、うち大喜利そのものの海外収録は過去3度行われている。
| 放送年月日 | 公演名(収録地) | 理由 | |
| 1978年 | 4月30日、5月7日 | 笑点亜米利加寄席(サンフランシスコ) | 日本テレビ開局25周年記念 |
| 1980年 | 10月5日、10月12日 | 笑点ハワイ公演(ハワイ州) | 番組15周年記念 |
| 1997年 | 4月20日 | 笑点in香港(香港) | 番組30周年記念 |
[編集] ネット局
- 関東広域圏:NTV日本テレビ(放送開始~)
- 北海道:STV札幌テレビ放送(放送開始~)
- 青森県:RAB青森放送(放送開始~)※1
- 秋田県:ABS秋田放送(放送開始~)
- 岩手県:TVIテレビ岩手(1969年12月~)
- 山形県:YBC山形放送(放送開始~)※1
- 宮城県:MMT宮城テレビ放送(1970年10月~)
- 福島県:FCT福島中央テレビ(1971年10月~)
- 山梨県:YBS山梨放送(放送開始~)
- 静岡県:SDT静岡第一テレビ(1979年7月~)
- 長野県:TSBテレビ信州(1991年4月~)
- 新潟県:TeNYテレビ新潟放送網(1981年4月~)
- 富山県:KNB北日本放送(放送開始~)
- 石川県:KTKテレビ金沢(1990年4月~)
- 福井県:FBC福井放送(放送開始~)※4
- 中京広域圏:CTV中京テレビ放送(1973年4月~)*ANN主体からNNNマストバイ局変更による。
- 近畿広域圏:ytv読売テレビ放送(放送開始~)
- 徳島県:JRT四国放送(放送開始~)※5
- 香川県・岡山県:RNC西日本放送(放送開始~)※6
- 広島県:HTV広島テレビ放送(放送開始~)
- 鳥取県・島根県:NKT日本海テレビジョン放送(放送開始~)*当初は鳥取県のみ、1972年7月~島根県でも放送
- 山口県:KRY山口放送(放送開始~)※1
- 愛媛県:RNB南海放送(放送開始~)
- 高知県:RKC高知放送(放送開始~)
- 福岡県:FBS福岡放送(1969年4月~)
- 長崎県:NIB長崎国際テレビ(1991年4月~)
- 熊本県:KKT熊本県民テレビ(1982年4月~)
- 大分県:TOSテレビ大分(1970年4月~)※2
- 宮崎県:UMKテレビ宮崎(不明)※3
- 鹿児島県:KYT鹿児島読売テレビ(1994年4月~)
- ※1…一時期テレビ朝日系列でもあったが引続き放送(NNSにも引続き加盟していたため)。
- ※2…土曜日16:45~17:15に時差ネット(編成の関係で休止される場合あり)。理由はフジテレビ系列(ただし、NNSにも加盟している)で、クロスネットの関係でこの時間がフジテレビネットで(ただし、NNSにも加盟している)で、日曜17:30から『FNN TOSスーパーニュースWEEKEND』を放送するため。
- ※3…火曜日10:45~11:15に時差ネット。こちらもフジテレビ系列(ただし、NNNにも加盟している)で、この時間はフジテレビネットのためで、日曜17:30から『FNN UMKスーパーニュースWEEKENDを放送するため。
- ※4…1989年4月からテレビ朝日系列に参加したが、引続きNNS・NNNにも加盟しているため放送を継続。かつては日本テレビ系列でありながら「ANNニュース&スポーツ」や「530ステーション」や「ステーションEYE」などのテレビ朝日の日曜夕方のニュースを1996年3月まで(1989年3月までは番組販売扱い)放送していたために6日後の土曜夕方に時差ネットしていたが、1996年4月以降は日本テレビとの同時ネットに移行している。
- ※5…当初は土曜正午に時差ネットしていたが、現在は日本テレビとの同時ネットに移行している(移行時期は福井放送と同じ)。
- ※6…1983年4月に西日本放送が岡山県に乗り入れるまでは岡山県では放送されていなかった(ただし、多くの地域で受信することは可能であった)。
- 2005年4月10日から、テレビジャパン(NHKワールドTVのアメリカ地域向け放送)でも、約3ヶ月遅れで放送している(当初7ヶ月遅れだったが、圓楽不在時に歌丸以外が司会を担当した回を飛ばしたため遅れが短縮)。放送時間は、本放送が現地時間の日曜日21:15~21:40(東部)、18:15~18:40(西海岸)、16:15~16:40(ハワイ、但し米本土の夏時間期間中は15:15開始に変更)、再放送が同じ週の土曜日(ハワイのみ時差の都合上金曜日深夜)。番組中のCMをカットして放送。
[編集] かつてネットしていた局
年月度は放映打ち切り時期である。
- 岩手放送(現:IBC岩手放送)(TBS系列、1969年12月のテレビ岩手開局まで)
- 東北放送(TBS系列、1970年10月のミヤギテレビ開局まで)
- 福島テレビ(現在はフジテレビ系列、1971年10月のJNN加盟(1983年3月脱退・FNN加盟)・福島中央テレビとのNNS・FNSネット局交換まで)
- 新潟放送(TBS系列、1981年4月のテレビ新潟開局まで)
- 北陸放送(TBS系列、不明)→石川テレビ放送(フジテレビ系列、1990年4月のテレビ金沢開局まで)
- 信越放送(TBS系列、1991年4月のテレビ信州のテレビ朝日系列(但しNNNにも加盟)から日本テレビ系列へのネットチェンジ=NNS加盟まで)
- 静岡放送(TBS系列、1978年9月まで)→静岡けんみんテレビ(現:静岡朝日テレビ、1978年10月~1979年6月、静岡第一テレビ開局まで)
- 名古屋テレビ放送(現在はテレビ朝日系列、1973年4月の中京テレビのNNSフルネット局変更まで)
- 山陰放送(TBS系列、1972年9月まで、日本海テレビジョン放送が島根県に乗り入れたため打ち切り)
- RKB毎日放送(TBS系列、1969年4月の福岡放送開局まで。JNN基幹局でありながら、放送開始当時、福岡県に日本テレビ系列局がなかった事情から、同系列の番組もネットしていた)
- 長崎放送(TBS系列、1969年4月のテレビ長崎開局まで)→テレビ長崎※1(フジテレビ系列、1990年9月まで。NNSを脱退したため、半年間長崎県では放送されなかったが、1991年4月に長崎国際テレビが開局して再開)
- 熊本放送(TBS系列、1969年4月のテレビ熊本開局まで)→テレビ熊本※2(フジテレビ系列、1982年4月の熊本県民テレビ開局まで)
- 大分放送(TBS系列、1970年4月のテレビ大分開局まで)
- 宮崎放送(TBS系列、1970年4月のテレビ宮崎開局まで)→テレビ宮崎※3(フジテレビ系、1997年3月まで。ただし2005年正月特番は放送、後に放送を再開している。)
- 南日本放送(TBS系列、1969年4月の鹿児島テレビ放送開局まで)→鹿児島テレビ放送※1(フジテレビ系列、1994年4月の鹿児島読売テレビ開局まで)
- 沖縄テレビ放送(フジテレビ系列、1989年5月まで)→琉球放送(TBS系列、2003年4月から1年間のみ)
※1…NNN/NNSにも加盟していた(鹿児島テレビは1982年9月までANNにも加盟)。
※2…NNN/NNSとANNにも加盟していた。
※3…NNN・ANNにも加盟。
[編集] スペシャル大喜利
大笑点などでは、特別企画として以下のスペシャル大喜利が放送される。
[編集] アナウンサー大喜利
- 1979年に初開催。8月にまず女性アナウンサーのみの大喜利が行われ、遅れて10月に男性アナウンサーのみの大喜利が放送された。特に男性アナウンサー大喜利に出演した小林完吾は迷答・珍答を連発し、これがきっかけでバラエティ番組にも多く出演するようになった。なお、司会はどちらも三波が担当した。
- その後しばらくは行われなかったが、1984年の正月特番で久々に行われて好評だったため、以降年4回くらいのペースで準レギュラー化した。
- 日本テレビのアナウンサー5人が大喜利に挑戦する。おもに女性アナウンサーが出演するが、男性アナウンサーとしては藤井恒久が「こん平」的キャラクターとしてレギュラー出演している。また、楠田枝里子、徳光和夫、松永二三男らも日本テレビのアナウンサーだった時代に出演している。
- 正月特番(年によっては年明け最初の通常放送の演芸コーナー枠)だけでなく、通常放送時の演芸コーナーなどでも年数回行われる。
- 通常放送時は楽太郎と小遊三が司会者で、他の大喜利メンバー2人が座布団運びを担当(以前は圓楽単独もしくは圓楽と歌丸がふたりで司会を務めており、好楽が単独で司会を行ったこともある)する。
- このときは男性アナウンサー3人、女性アナウンサー3人で上手(客席から向かって右)に男性陣、下手(客席から向かって左)に女性陣と分かれて座る。
- 近年の正月特番での出場メンバーは次の通り。
[編集] 振袖大喜利
- 女性芸能人5人(現在はグラビアアイドルが多い)が笑点メンバーとペアを組んで大喜利に挑戦。1971年にはすでに開催されている。
- このコーナーには泉ピン子(もともと牧伸二に師事して歌謡漫談家として活動したキャリアがあり、番組黎明期の演芸コーナーに2度出演したこともある)と山田花子が常連で出演しているほか、2004年と2005年には飯島愛も出演した。
- 2006年の「大笑点」では、ピン子・花子以外の3人が全て入れ替わり、小倉優子、若槻千夏、インリン・オブ・ジョイトイとなった。さらに2007年の「大笑点」からは若槻とインリンに代わる菊川怜(2008年は田丸麻紀)、眞鍋かをり、ユンソナの3名が加わり6人体制となった。
[編集] ドレミファ大喜利
- 往年の名歌手を集めての大喜利。1983年の正月特番で実施。この時は前司会者の三波伸介が急逝したことにより、林家こん平が代理で司会を務めている。この時の参加メンバーは、高英男、大津美子、田端義夫、近江俊郎、松尾和子、林伊佐緒。
[編集] 24時間テレビチャリティー大喜利
- 1988年に初参加。毎年8月『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』内で17時台前半あたりから生放送される。かつては特別ルールとして、座布団1枚につき、1万円を募金していた(募金させるのが目的のため、この時に限っては座布団が剥奪される場面が全く出ず、つまらない答えでも座布団をどんどんくれる)が、当然というかこのルールに抗議が殺到してしまい、それ以降は笑点メンバー全員が自ら募金をする様になり、最近では通常の「笑点」の放送と同様に、演芸コーナーと大喜利の2部構成となり、大喜利では座布団が一番多かった解答者に豪華賞品(?)が送られる。
- 最初から2年間は日本武道館で生放送を行い、日産銀座ギャラリー、JCB旧本社(お茶の水スクエア)などからの生中継であったが、2003年からは汐留の日本テレビ本社·放送センター(日本テレビタワー)からの生中継となった。
- なお、『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』が始まる前は毎年年末に通常放送の中でチャリティー大喜利が行われていた。
[編集] 若手大喜利
- 1967年10月8日から開始され、不定期に番組の前半に放送されていた。当時のメンバーは柳家さん治(現:10代目柳家小三治)、柳家小きん(後の柳家つば女)、春風亭栄橋、林家木久蔵(現:林家木久扇)、三笑亭茶楽。90年代後半には大喜利下克上のタイトルで行われた事もある。
- 以前は番組の司会者がそのまま司会を担当していたが、90年代以降はかつて回答者の一人として出演していた春風亭昇太が司会を務めている。
- 現在は、『BS笑点』→『笑点Jr.』で毎回若手の大喜利が放映されているため、新メンバー選考会として実施された2004年12月26日の放送(この回で一番多く座布団を獲得したたい平が、本家大喜利の新メンバーとなった)の他に、年始の『おはよう笑点』などで開催されているのみである。
- 若手大喜利出身のメンバーは栄橋・小きん・木久扇(若手大喜利出演時は木久蔵)・桂才賀(若手大喜利出演時は古今亭朝次)・昇太・たい平である。
[編集] ちびっこ大喜利
- 子役出身の若手俳優など、若年の芸能人を集めた大喜利が定期的に行われていた。ここで座布団10枚を集めたご褒美として「レコードデビュー」を獲得したのが、一世を風靡したずうとるび(山田隆夫、新井康弘、江藤博利、今村良樹)である。ずうとるびメンバーは全員がちびっこ大喜利出演者で、山田が座布団を10枚獲得したことでグループを結成。1974年2月17日にリーダー山田の作詞作曲によるシングル『透明人間』でデビューし、1975年には紅白歌合戦にも出演を果たしている。
[編集] その他
1978年1月2日に「スター大喜利」として坂本九、夏木マリ、千昌夫、京唄子、宍戸錠、岸ユキ、鳳啓助が、4月16日には「春の大喜利大会」として鯉川のぼる、東八郎、団しん也、牧伸二、堺すすむ、佐々木つとむが出演している。
[編集] 大喜利対戦企画
笑点メンバーと6対6(TOKIOの場合は5対5)で対戦する。
[編集] 東西大喜利
- 笑点メンバーと上方落語界を代表する6人(2006年は5人)と大喜利で対戦する。上方メンバーは2006年まで全員黒の紋付袴で登場していたが、2007年は普段の高座での着物で登場した。
- 笑点メンバーも全員黒紋付袴で登場していたが、東西のカラーをはっきりさせるため、2003年から笑点メンバーは笑点の着物で登場している。
- 2005年までは圓楽が司会を担当していたが、2006年からは歌丸と桂三枝が二人で司会を務めている。
- 近年の出演メンバーは次の通り。
[編集] 笑点VS天声慎吾
- 2002年と2003年の2回は「新春!笑てん声慎吾」と題し、『特上!天声慎吾』のメンバーと大喜利対決を行った。2003年のケースでは「天声」を楽太郎メイン、木久蔵と好楽が出演の「天声楽太郎」と改題した。
- メンバー
[編集] TOKIOとの対戦
- 2005年の正月スペシャルではTOKIOと対戦した。『元気なお年寄り』、『ト・キ・オの三文字をそれぞれ頭につけた言葉』、『自慢合戦』の3問で対戦した。5対5となるため、たい平は座布団運びにまわった。
- TOKIOは『大笑点』でメインパーソナリティを務めた。また、メンバーの国分太一は、2006年5月14日の40周年記念特番に出演し、師弟大喜利で歌丸と共に司会を務めた。
- 笑点メンバーとTOKIOの対戦は、舞台を「大笑点」の番組上に変えて、2008年までで4度開催されている。