ボビー・オロゴン
| ボビー・オロゴン Bobby Ologun |
|
|---|---|
| 本名 | 近田 ボビー(こんだ ボビー) |
| ニックネーム | 自称「21世紀のサンコン」[1] |
| 生年月日 | 1973年4月8日(38歳) |
| 出身地 | |
| 血液型 | O型 |
| 身長 | 182cm |
| 方言 | 日本語・英語・ヨルバ語 |
| 最終学歴 | ナイジェリアの大学既卒 |
| 事務所 | アレムコプロダクション |
| 活動時期 | 2004年 - 現在 |
| 現在の代表番組 | ボビー's スタジアム |
| 過去の代表番組 | 業界クイズ ミニキテ!、三宅式こくごドリル、海筋肉王 〜バイキング〜、さんまのSUPERからくりTV |
| 他の活動 | 格闘家(K-1) |
| 配偶者 | 既婚 |
| 親族 | アンディ・オロゴン(実弟) |
| 公式サイト | プロフィール |
ボビー・オロゴン(Bobby Ologun、1973年4月8日 - )は、ナイジェリア連邦共和国イバダン出身、日本国籍のタレント・格闘家。アレムコプロダクション所属。本名は近田 ボビー(こんだ ボビー)、旧名はカリム・アルハジ・オロゴン。名前のボビー(帰化前の通称)はR&B歌手ボビー・ブラウンが由来。格闘家のアンディ・オロゴンは弟。
英語(ナイジェリアの公用語)[2]、ヨルバ語、日本語が話せる。「もす!」など独特の口癖や、間違った日本語の言い回しを多用したり、言葉使いがやや悪く相手を問わず傍若無人な態度をとることで有名だが、これはあくまでも芸風で、実際は流暢に日本語を話せるらしく[3]、わざとおかしな口調を作っているとネタにされることも多く、近年ではどのバラエティ番組の上でも正しい日本語を話す機会が多くなってきた[4]。
目次 |
[編集] 来歴
会社を経営する父の33人兄弟の3番目の子(ナイジェリアでは一夫多妻制が認められているため、父サンバ・オロゴンには6人の妻がおり、ボビーの上には兄と姉が1人ずついる。なお、兄・姉・ボビーは第一夫人の子である)としてナイジェリア第3の都市イバダン市に生まれる。なお、オロゴン家は敷地面積300坪以上の豪邸を持つ地元の名家である。父親には非常に厳しく育てられ、悪いことをするとムチで叩かれる体罰を受けていた。本人曰く「中学を卒業する頃まで毎日叩かれて」おり、今でも父親を恐れている。また、母親もかなり厳格だった。因みに、父親はボビーより体が大きく、身長は200cm程あり、母親も175cmある。
ナイジェリアの国立大学を卒業後、父が経営する貿易会社の手伝いでドイツを始め世界各国を回り、1995年に糸の買い付けを目的に初来日。500万円とパスポートをバスの中に置き忘れる事件を起こしたが、幸運にも戻ってきて糸を買い付け帰国。このとき、日本人の優しさに感動したという。著書によると、父親が親日家で子供の頃から「日本人は皆優しく正直でいい人たちだ」と聞かされていたため日本に興味を持っており、この事件の際に「父の言葉は本当だった」と思ったとのこと。
1998年にタイヤチューブ買い付けのため再来日するも、資金をパチンコで使い果たしたうえ、日本の自動車のタイヤはチューブを使用しないタイプが多いことが判明したため買えず、そのまま日本にとどまる。
1999年、居酒屋でナンパして出会った保険会社勤務の日本人OLと、ナイジェリアで挙式。父からはタイヤチューブについて問い詰められることもなく、再び来日。1999年に長男ジョイ誕生、2年後に長女ローズ誕生。この2人の子は後に複数の番組で親子テレビ出演を行い、事実上の芸能活動を開始することになる。さらにローズの下に妹が2人おり、実質4児の父である。
2001年、代官山のカフェの厨房でアルバイトをしていたころ、TBSの『さんまのSUPERからくりTV』の「ファニエスト・ジャパニーズ」のコーナーに、素人として初めて出演。のち同番組の企画「セインのファニエスト外語学院」に学院生としてレギュラー出演するようになる。「ボビーと思います」「もす!」など無茶苦茶な日本語と天然ボケが評判となり、ファニエスト外語学院は『からくりTV』きっての人気企画となった。
2004年1月21日、ファニエスト外語学院の先生セイン・カミュ、生徒のアドゴニー・ロロ、アミールらとともにThe Studentsの一員として初CDシングルの『ハトマメ 〜Say Hello To The World.〜』をポニーキャニオンよりリリース。作詞・作曲・プロデュースは槇原敬之、振り付けはKABA.ちゃん。またこの年からは格闘家としても活動を始め、「史上最強の素人」「最強の初心者」とも呼ばれるようになる。
2005年からは本格的なタレント活動を始め、『いきなり!黄金伝説。』『森田一義アワー 笑っていいとも![5]』などにゲスト出演した。同時期に「からくりTV」からは卒業し、ファニエスト外語学院はボビーに代わる人気者が現れず自然消滅した。
2006年1月、出演料などをめぐり所属事務所のアールアンドエープロモーションと対立し、事務所内で暴れジョン・ムウェテ・ムルアカに軽い怪我を負わせたとされる。以降、芸能活動の休止を余儀なくされていたが、同5月、アールアンドエープロモーションからの独立を宣言。同社は契約が2007年末まで残っているとして対立。マネージャーも事務所から解雇された。ところが7月に一転して新たな芸能事務所フェイスネットワークへの「円満移籍」が報じられた(2008年4月、フェイスネットワークから芸能部がプラチカに分社化するに伴いプラチカに転籍)。2011年1月にはアレムコプロダクションへ移籍した。
2007年、日本に帰化。妻の姓「近田」と、ニックネームであった「ボビー」を個人名とし、「近田ボビー」として日本人になった。弟のアンディは兄の帰化に関して「複雑な気持ち」とコメントしている。『世界の果てまでイッテQ!』番組内でナイジェリアを訪れ厳格な父に国籍帰化の報告を行った際は、最初は父も「勝手なことをして!なぜオロゴンの名を持たない人間がこの家にいるんだ」と怒っていたが最終的には了承された。
[編集] 生年
事務所などの公式発表によると1973年生まれであったが、2006年1月の事務所での暴行事件の際、提出されたパスポートの記載内容から、「実際は1966年生まれで、1973年生まれという公式発表は年齢詐称である」とスポーツ紙などに報道された。ただし本人は「ナイジェリアでパスポートを取得したときに間違えられた」と否定している[6]。
[編集] 格闘家としての戦績
2004年1月、前年の大晦日に見たという『K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!』のボブ・サップ vs 曙に影響されたボビーが「ファニエスト外語学院」で柔道を体験する企画に挑戦。組み合った瞬間、古賀稔彦に「物凄い力だ」と言わしめるなど、ボビーが予想外に奮闘したVTRを見た同番組の司会者の明石家さんまが「年末の格闘技イベント出場も夢ではない」と冗談半分で言ったことから発展し、番組内でさまざまな格闘技の指導を受ける企画がスタート。同年2月には、格闘チームGRABAKAに入門。菊田早苗のもとで格闘技を学ぶ。3月にはディファ有明でホイス・グレイシーとのスパーリングマッチ(3分3R)で対戦し、2Rに腕ひしぎ十字固めで一本負けしたもののホイスを出血させる予想を上回る健闘を見せた(同年4月4日放送)。その後もさらに修行を続け、柔道では黒帯を取得し、12月31日の『K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!』第0試合で、菊田と関根勤をセコンドに迎えたうえで、キックボクサーシリル・アビディと対戦[7]。3R判定勝ちし、格闘家として注目を集めたが、本人は再び試合に臨む気は当面ないと公言し、タレント活動に専念する。
2005年、『K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』に出場し、1年ぶりに格闘界に復帰。曙と対戦し、判定勝ち。翌年7月にはK-1ルールで藤本祐介と対戦。跳び膝蹴りをヒットさせるなどの身体能力を見せたが、K-1ルールでは禁止されている投げ技を仕掛けるなどの反則もあり判定負け。
2006年の『K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!』ではチェ・ホンマンと対戦。1R16秒パウンドでTKO負け。ボビーは「再戦はもうない。普通のフリーターとして頑張っていきます」と引退宣言したが、2007年の『K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!!』に4年連続参戦。ボブ・サップと対戦し、パウンドでKO負け。
2011年には自身の練習するGRABAKAの初の自主興行GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACKにてミノワマンとグラップリングルールで約5年ぶりに公に格闘技の試合をした。試合結果は時間切れドローに終わるが、試合後に日本ボクシングコミッション(JBC)から、同組織の定める「ボクシングのセコンドライセンスを保持しながら、他の格闘技興行に関わることを禁止する」という規定に反し、他種格闘技のプロ興行で試合をしたことにより、ライセンス取り消しなどの厳重処分が下される発表がされた。
[編集] 総合格闘技
| 総合格闘技 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 4 試合 | (T)KO | 一本 | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 |
| 2 勝 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 |
| 2 敗 | 2 | 0 | 0 | 0 | ||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | ボブ・サップ | 1R 4:10 KO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2007 Dynamite!! | 2007年12月31日 |
| × | チェ・ホンマン | 1R 0:16 TKO(パウンド) | K-1 PREMIUM 2006 Dynamite!! | 2006年12月31日 |
| ○ | 曙 | 3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!! | 2005年12月31日 |
| ○ | シリル・アビディ | 3R終了 判定3-0 | K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!! | 2004年12月31日 |
[編集] キックボクシング
| キックボクシング 戦績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1試合 | (T)KO | 判定 | その他 | 引き分け | 無効試合 | |
| 0勝 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
| 1敗 | 0 | 1 | 0 | |||
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| × | 藤本祐介 | 3R終了 判定0-3 | K-1 REVENGE 2006 K-1 WORLD GP 2006 in SAPPORO 〜アンディ・フグ七回忌追悼イベント〜 |
2006年7月30日 |
[編集] グラップリング
| 勝敗 | 対戦相手 | 試合結果 | イベント名 | 開催年月日 |
| △ | ミノワマン | 5分1R終了 時間切れドロー | GRABAKA LIVE! 1st CAGE ATTACK |
2011年10月15日 |
[編集] スポーツマンNo.1決定戦 成績表
ボビーは「最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦」に3回出演している。
- ビーチフラッグス 1回戦敗退
- スピンオフ 1回戦敗退
- モンスターボックス 自己記録13段
- サーティー 1回戦敗退
- パワーフォース 1回戦敗退
- バーナウトガイズ 1分22秒
- テイルインポッシブル 第1レース脱落
- クイックマッスル 自己記録138回
- ワークアウトガイズ 1分23秒85
- ショットガンタッチ 2005年プロスポーツマン大会記録なし、2006年プロスポーツマン大会記録なし
[編集] 出演番組
[編集] バラエティ
- さんまのSUPERからくりTV(TBS)
- 海筋肉王 〜バイキング〜(フジテレビ)
- 三宅式こくごドリル(テレビ東京)
- 世界の果てまでイッテQ!(日本テレビ)
- 業界クイズ ミニキテ!(中京テレビ)
- 爆笑100分テレビ!平成ファミリーズ(日本テレビ)
- ボビー's スタジアム(テレビ埼玉)
- 天才!志村どうぶつ園(日本テレビ)
- お宝発信タワー DAI-NAMO(CBC)
[編集] ラジオ
- ★もっともゴチャ・まぜっ!(毎日放送)
[編集] ドラマ
- 浅草ふくまる旅館2(TBS) - 2007年 - ボブ役
- 2008年新春スペシャルドラマ あんみつ姫の大冒険!(フジテレビ) - 2008年 - K-1王子役
[編集] 映画
- 釣りバカ日誌16 浜崎は今日もダメだった♪♪(2005年8月公開) - 釣り好きのアメリカ海軍兵ボブ役
- 南の島のフリムン(2009年8月公開) - マックス役
[編集] CM
- 大塚製薬 オロナミンC - 上戸彩、アドゴニーらと共演(2005年)
- day after tomorrow 「day alone」(2005年)
- SoftBank 偽戸家 - 渡辺直美、あき竹城らと共演(2011年7月1日~)
[編集] PV
[編集] ゲーム
- 新・豪血寺一族 -煩悩解放- - ボビー本人としてボスキャラで登場
[編集] DVD
- ボビー・オロゴンの日本文化講座 美しい国ニッポン。(トランスフォーマー)2007年12月22日発売
[編集] 著書
- ボビーだと思います。(ワニブックス、2005年6月8日)ISBN 4847016076
- もしも8歳のこどもが大統領に選ばれたら(ポプラ社)、2010年7月7日(挿画)
[編集] 脚注
- ^ 2011年9月18日放送「クイズ☆タレント名鑑」にて発言。
- ^ ただし、発音はあまり上手ではないようで、ガレッジセールのゴリが自身の監督映画「南の島のフリムン」に登場するアメリカ兵の役をボビーに依頼したところ、訛りが酷くアメリカ人がボビーの台詞を聞き取れなかった。
- ^ 後述の事務所での暴行事件の際、取り調べに当たった警察官たちはボビーが流暢に日本語を話すことに驚いたという(週刊文春の記事より)。
- ^ 2009年3月12日放送の『いきなり!黄金伝説。』では、カメラの前で息子に「どうしてテレビではバカのふりをするの?」と指摘されたことをスタジオの共演者からつっこまれ、「大人の事情を聞くな」「私も生きるために必死なんだ!」と慌てて反論して笑いを誘った。
- ^ ゲスト出演する度にいつも総合司会のタモリから声マネをされている。
- ^ 菊田早苗日記 2006年2月3日、お騒がせ男ボビー
- ^ 当初はマイク・ベルナルドと対戦の予定だったが、ベルナルドが負傷したため12月25日に急遽変更された。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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