マイク・ベルナルド

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マイク・ベルナルド
基本情報
本名 マイケル・ショーン・ベルナルド
(Michael Shawn Bernardo)
通称 豪腕
南アフリカの剛腕
南アフリカの大砲
初代無冠の帝王
階級 スーパーヘビー級
国籍 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
誕生日 1969年7月28日
出身地 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ケープタウン
死没日 2012年2月14日(満42歳没)
死没地 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国
ケープタウン
身長 193cm
体重 110kg
スタイル ボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 78
勝ち 54
KO勝ち 42
敗け 18
引き分け 3
無効試合 2
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マイク・ベルナルドMike Bernardo、男性、1969年7月28日 - 2012年2月14日)は、南アフリカ共和国出身の元キックボクサー、元プロボクサー。スティーブズジム所属。

人物[編集]

南アフリカ共和国ケープタウン出身。一撃必殺の豪腕パンチに優れたボクシングテクニックと強力なローキックを武器に数々の名勝負を繰り広げ、「南アフリカの剛腕」「南アフリカの大砲」、「初代無冠の帝王」などの異名を持った。ピーター・アーツアーネスト・ホーストアンディ・フグと共に創世記のK-1四天王として君臨し、四天王やK-1デビュー前からのライバルであるジェロム・レ・バンナらと共にK-1の発展に大きく貢献した。

また、剃刀メーカーのCMなどを代表に、日本でも多くのテレビCMやバラエティ番組にも出演し、温厚で明るくサービス精神旺盛なキャラクターで、「ベルちゃん」の愛称で親しまれるなど、絶大な人気を誇った。

来歴[編集]

衝撃のK-1デビュー[編集]

1994年、ベルナルドの地元である南アフリカのケープタウンでのISKAインターコンチネンタル王座戦で、ジェロム・レ・バンナと初対戦し、激闘の末に0-3の判定負け。しかし、この試合がお互いの持ち味が存分に発揮された名勝負であったために、K-1主催者から高く評価され、勝ったバンナはもちろん、負けたベルナルドもK-1に参戦することになった。

1995年3月3日、K-1 GRAND PRIXで初来日。開幕戦で優勝候補のアンディ・フグと対戦。1Rに先制のダウンを奪われるが、3Rに番狂わせの逆転KO勝ちを収めて一躍脚光を浴びる。

5月4日、「K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦」では準々決勝でスタン・ザ・マンに右上段蹴りでKO勝ち。準決勝でジェロム・レ・バンナとのリベンジ戦が実現するが右ローキックでKO負け。K-1 GP初出場でベスト4入りを果たした。

9月3日、「K-1 REVENGE II」にてアンディ・フグと再戦し、またしても豪快なKO勝ちを収めてフグを返り討ちにして前回の勝利がフロックでないことを証明した。

12月9日、「K-1 HERCULES」にK-1 GPを2連覇中の王者ピーター・アーツと初対戦し、右フックを浴びて1Rわずか40秒でKO負け。KOされた右フックがベルナルドの後頭部を直撃しており、反則であることをレフェリーに主張したが、故意ではなく一連の流れの中で当たったものとみなされ、秒殺KO負けした悔しさもあいまって人目をはばからず悔し涙を流した。

トップスター入り[編集]

1996年3月10日、K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦の1回戦ではジェフ・ルーファスにKO勝ち。

5月6日、「K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦」の準々決勝にて、K-1史上最多連勝記録を更新中で、GP3連覇を狙う絶対王者ピーター・アーツと対戦し、アーツを圧倒し、最後は左フック一撃で豪快なKO勝ちでリベンジを果たした。続く準決勝でムサシ(現・武蔵)| に3-0の判定勝ち。決勝でアンディ・フグと対戦し、ローキックとフグ・トルネードでダウンを奪われてKO負けし、惜しくも準優勝に終わる。しかし、優勝候補大本命のアーツを相手に、お互いが万全の状態で戦える初戦でKO勝ちしたことによって「ワンマッチ最強」と評されるようになった。

9月1日、「K-1 REVENGE '96」でピーター・アーツと再戦。アーツの蹴りがローブローとなってベルナルドが試合続行不可能となり、反則勝ちとなった。

10月8日、「K-1 STAR WARS '96」で決着を着けるべく、ピーター・アーツと再戦。先制のダウンを奪われるが、その後に猛反撃し、3RKO勝ち。

1997年3月16日、「K-1 KINGS '97」で佐竹雅昭と対戦し、2RKO勝ち。

4月9日、「K-1 BRAVES '97」でアーネスト・ホーストと対戦し、ダウンを奪うが、ホーストの巧みなコンビネーションの前に沈み、4R逆転KO負け。なお、ホーストは自身の生涯ベストバウトにこの試合を挙げている。

6月7日、アンディ・フグの母国スイスで開催された「K-1 FIGHT NIGHT '97 〜THE DECISION〜」にて、フグの持つWKAムエタイ世界スーパーヘビー級王座に挑戦し、ダウンを奪いながらも巧みな戦術のフグを倒しきれずに判定負け。

11月9日、「K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦」の準々決勝でピーター・アーツと対戦し、右ボディストレートで2度のダウンを奪われて3RKO負け。

1998年4月9日、「K-1 KINGS '98」でWAKO-PRO世界ムエタイスーパーヘビー級王者ゴードン・マイナーズに挑戦し、2RKO勝ちで同王座を獲得。自身のキャリアで初めての世界王座獲得となり、試合後のリング上では人目をはばからず嬉し涙を流した。

7月18日、「K-1 DREAM '98」にてグラウベ・フェイトーザと対戦し、3度ダウンを奪って1RKO勝ち。

9月27日、「K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦」でのGP1回戦でモーリス・スミスに判定勝ち。

12月13日、「K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦」のGP準々決勝で、快進撃を続けていたフランシスコ・フィリォから2度ダウンを奪って3RKO勝ち。フィリォはこれが生涯初のKO負けとなった。準決勝ではピーター・アーツとの通算6度目の対戦で、1RKO負け。

1999年6月20日、「K-1 BRAVES '99」にてWAKO-PRO世界ムエタイスーパーヘビー級王座の初防衛戦でサム・グレコと対戦し、壮絶な激闘の末に判定負けで同王座から陥落。

10月3日、「K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦」のGP1回戦でミルコ・クロコップと対戦し、ミルコの左ハイキックとパンチ連打で3度ダウンを奪われ、番狂わせの1RKO負け。ミルコはこの勝利をきっかけにスターダムへと駆け上がっていった。

プロボクシング転向[編集]

ベルナルドがミルコに敗れた同日、ライバルのジェロム・レ・バンナがキックボクシングと並行してプロボクシングに参戦した後のK-1復帰初戦でマット・スケルトンに衝撃の1RKO勝ちを収めて大活躍し始めたのを目の当たりにしたことで、バンナを参考にしてベルナルドも2000年からプロボクシングに本格参戦することを決意。

2000年5月12日にはマイナー団体ではあるがプロボクシング団体・WBFの世界ヘビー級王座を獲得。

7月30日、「K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA」ではK-1の大会内でプロボクシング公式戦を戦った。

2001年6月8日、ピーター・マクニーリーに1RTKO勝ちでWBF世界ヘビー級王座の初防衛に成功。

1999年までは積極的に前に出て猪突猛進にパンチを振り回すファイトスタイルだったが、プロボクシング経験後はカウンターも駆使したスタイルへと変化した。

亡きアンディ・フグのためK-1復帰[編集]

その後もプロボクシングに専念する予定だったが、同年8月24日に盟友アンディ・フグが急死。そして生前のフグは、出場予定だったK-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKAを欠場することを発表した際に「私の代わりにマイク・ベルナルドに出場してほしい」とコメントしていたことを受けて、ベルナルドはボクシングの試合やテレビ出演などの予定を全てキャンセルして、K-1に復帰し、同大会の予選トーナメントに出場。ユルゲン・クルトアンドリュー・トムソンミルコ・クロコップを相手に3試合連続1ラウンドKO勝ちで優勝。これは当時のK-1トーナメント史上最短優勝記録となった。

亡きフグの代わりに同年のK-1 WORLD GP優勝に向けて闘志を燃やしていたが、怪我によって無念の欠場となった。

2001年3月17日、「K-1 GLADIATORS 2001」でジェロム・レ・バンナと対戦。この試合では試合前から負傷していたバンナの左脛にサポーターを着けることが両者合意の下、特別に承認された。1ラウンド終了間際、ベルナルドの体を入れ替えての左右のフックがバンナの顔面に直撃し、1ラウンド終了のゴングが鳴っているにもかかわらず観客の大歓声でゴングの音がかき消され、レフェリーには聞こえず、ベルナルドはそのまま攻撃を続けてダウンを奪った。ダウンは無効となり、ベルナルド、バンナ本人ともに2ラウンド以降を戦う気満々だったが、バンナのセコンドが抗議して試合を棄権させたため、一度は1ラウンドKO勝ちと判定されるも、検証の結果、ダウン後の攻撃であることを踏まえてノーコンテスト(無効試合)となった。

7月20日、「K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA」にて予選トーナメント1回戦でタケルにKO勝ち、準決勝でロイド・ヴァン・ダムに延長戦の末に判定勝ちするも、負傷のため決勝戦を棄権した。

10月8日、「K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA」での敗者復活戦Bブロック1回戦でアダム・ワットに2度のダウンを奪われて大番狂わせの1RKO負け。打たれ強さが長所の一つだったベルナルドだが、この試合以降、長年のダメージの蓄積のため打たれ弱くなり、ダウンするシーンが目立つようになる。

12月8日、「K-1 WORLD GP 2001 決勝戦」のリザーブマッチでアダム・ワットと再戦し、判定勝ちでリベンジ成功。

2002年3月3日、「K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA」にてレイ・セフォーと対戦し、お互いにノーガードで殴り合ってダウンを奪い合う壮絶な激闘の末に判定負け。

8月17日、「K-1 WORLD GP 2002 in LAS VEGAS」にて、K-1のライバル団体PRIDEで活躍する総合格闘家ゲーリー・グッドリッジを相手にWORLD GP 開幕戦の出場権を懸けたワンマッチで対戦し、1RKO負け。最初のダウンを奪われた際にグッドリッジがダウン後も追撃をしてきたが、レフェリーの角田信朗は口頭注意のみに留めて、立ち上がった後のベルナルドに回復の時間を与えていないことをベルナルド陣営や主催者の石井和義らは批判した。また、この大会以降、長年所属していたスティーブスジムを離脱。

9月22日、「K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜」にて、「勝てば13日後のK-1 WORLD GP開幕戦出場、負ければ即引退」という条件でトム・エリクソンと対戦し、先に2度ダウンを奪われながらも2度ダウンを奪い返して1RKO勝ち。

10月5日、「K-1 WORLD GP 2002 開幕戦」で前年度K-1 WGP王者マーク・ハントと対戦し、再延長戦の末に判定負け。

12月31日、INOKI BOM-BA-YE 2002にてゲーリー・グッドリッジと再戦し、2度ダウンを奪って1RKO勝ちでリベンジ成功。前回の試合でダウンした後に殴れた恨みもあって、KO勝ち直後に倒れたグッドリッジの上に足を乗せて勝利をアピールする挑発行為をしてレフェリーからイエローカードを出される。その後、グッドリッジとは和解しており、お互いの公式サイトに応援メッセージを送り合うようにもなっている。

2003年5月30日、盟友アンディ・フグの母国スイスで開催された「K-1 WORLD GP 2003 in Basel」でWGP開幕戦出場を懸けて前年度ベスト8のステファン"ブリッツ"レコと対戦し、判定負け。

7月13日、「K-1 WORLD GP in FUKUOKA」にて開幕戦出場を懸けてフランシスコ・フィリォと対戦するが、5ラウンドを通してお互いにカウンター狙いでほとんど手を出さない消極的なスタイルに終始し、結果はドロー。会場内には両者への凄まじい大ブーイングが響いた。

10月11日、「K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS」にて1回戦でアレクセイ・イグナショフにローキックで2RKO負け。

現役引退[編集]

2004年3月27日、「K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA」にて、スティーブスジム時代の弟弟子であるヤン・"ザ・ジャイアント"・ノルキヤと対戦し、1RKO負け。敗れた直後、ノルキヤのセコンドであるスティーブスジムのスティーブ・カラコダが、ノルキヤの勝利を喜ぶよりも先にベルナルドの元へと駆けつけて介抱した。以後、不調の続くベルナルドは原点回帰すべくスティーブスジムに復帰。

6月26日、WGP開幕戦出場のために、過去の栄光もプライドも捨てて、ジャパンGP予選に出場。優勝候補本命と目されたが、1回戦で富平辰文にKO負け。日本人相手に初の黒星となった。

11月6日、新日本キックボクシング協会主催の「TITANS 1st」において、1か月後にK-1 WORLD GP決勝大会出場を控えたガオグライ・ゲーンノラシンが出場することになり、この大会でガオグライが負ければガオグライに勝った選手を代わりにK-1 WGP決勝大会に出場させることを谷川貞治が示唆したため、最後の希望を懸けてベルナルドが対戦に名乗り挙げた。試合はパンチやキックだけでなく、滅多に打たないバックスピンキックまで放って勝利への執念を見せたベルナルドだったが、ガオグライの巧みな「マトリックス・ディフェンス」を崩すことはできず、互いに決定打を欠いたまま引き分けドロー。これがベルナルドの現役最後の試合となった。

その後も、悲願のK-1 WORLD GP初優勝を目指して必死にトレーニングを続けていたが、長年のダメージの蓄積による衰えは隠せず、2006年に現役引退を表明し、同年9月30日のK-1 WORLD GP 開幕戦で引退セレモニーが開催された。

現役引退後は、2007年に「K-1 JAPAN TRYOUT」においてアーネスト・ホーストと共にコーチを務め、日本人選手の育成に取り組み、南アフリカでチーム・ベルナルドの合宿も行なった[1]。しかし、K-1 JAPAN TRYOUTの企画終了後は公の場からは姿を消していた。

急死[編集]

2012年2月14日、母国・南アフリカのケープタウンで死去[2]。42歳没。錠剤を大量に服用した自殺とみられている。

エピソード[編集]

  • スキンヘッドがトレードマーク。しかし、K-1参戦初期の頃は短髪で金髪だった。
  • 剃刀メーカーシックの「プロテクター」のCMに出演し、「切れてなーい」のフレーズでお茶の間にも広く親しまれる。
  • 日本で一時流行ったギャグを披露するなど、サービス精神旺盛な一面もある(「だっちゅーの」など)。2006年9月30日の引退セレモニーでは斎藤佑樹を意識して青いハンカチで汗をふくパフォーマンスを見せた[3]
  • 敬虔なクリスチャンとしても有名で、試合用トランクスには十字架が描かれていた。また、バンテージチェック後マジックでバンテージにも十字架を書いていた。若い頃からキリスト教の教えに背いているアパルトヘイトに不快感を覚えていたという。
  • とても人柄が良いことで知られている。2001年のジェロム・レ・バンナとの試合前日会見の際、バンナが脛を14針も縫う怪我を負っていたことを知っていたベルナルドは「ジェロムが足を怪我しているというなら、パンチだけで勝負してもいいよ。僕らはお互いに素晴らしいパンチャー同士だからファンも喜ぶだろうからね」と発言したほどである(しかし、プライドの高いバンナは「そんな気遣いは無用だ!ニヤニヤしてんじゃねえ!」と逆に怒ってしまった)。
  • 親日派でもあり、日本で行なわれた自身の結婚式ではを着用し、夫人は文金高島田の出で立ちであった。また、引退セレモニーのスピーチも一部を日本語でコメントしている。
  • 来日した際に、施設で親がいない子供や障害を持った子供達と触れ合うことを自ら希望して行っていた[4]
  • 2004年、入場テーマ曲に自ら参加したSEALの「マイ・セルベイション」を使用する[5]
  • 2005年に開催された愛知万博では、南アフリカ館親善大使に任命された。
  • 弟のカール・ベルナルドも、K-1のリングにあがっている(K-1 REVENGE '96にて初来日。アーネスト・ホーストに2RKO負け)。
  • K-1黎明期から共に活躍してきたアンディ・フグピーター・アーツジェロム・レ・バンナらとは良きライバルであり、友人でもある。前述のようにベルナルドのキャリアのターニング・ポイントには彼ら三人が関わっており、ベルナルド自身も彼らをライバル視する発言が多かった。また、ベルナルドの現役引退セレモニーが行なわれたK-1 WORLD GP 2006 開幕戦後のインタビューでは、「僕は結局K-1 WORLD GPで優勝できなかったけど、僕と同じ年にK-1デビューして今も初優勝を目指してるジェロムに僕がかなえられなかった夢を託すよ」とコメントしていた。

戦績[編集]

ボクシング[編集]

プロボクシング 戦績
13 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
11 9 1 0
1

キックボクシング[編集]

キックボクシング 戦績
74試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
53 42 3 2
18
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
ガオグライ・ゲーンノラシン 3R終了 判定1-0 新日本キックボクシング協会「TITANS 1st」 2004年11月6日
ピーター・マエストロビッチ 5R終了 判定 K-1 World Championships Basel 2004 2004年9月18日
× 富平辰文 1R 1:09 KO(左ハイキック) K-1 WORLD GP 2004 in SHIZUOKA
【JAPAN GP 1回戦】
2004年6月26日
× ヤン"ザ・ジャイアント"ノルキヤ 1R 2:32 KO(3ノックダウン) K-1 WORLD GP 2004 in SAITAMA 2004年3月27日
セルゲイ・グール 2R KO K-1 FINAL FIGHT STARS WAR(クロアチア) 2003年10月31日
× アレクセイ・イグナショフ 2R 2:11 KO(右ローキック) K-1 WORLD GP 2003 開幕戦 ALL STARS
【1回戦】
2003年10月11日
バタービーン 2R 1:01 KO(右ハイキック) K-1 SURVIVAL 2003 〜JAPAN GP 決勝戦〜 2003年9月21日
フランシスコ・フィリォ 5R終了 判定1-0 K-1 WORLD GP in FUKUOKA 2003年7月13日
× ステファン"ブリッツ"レコ 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2003 in Basel 2003年5月30日
中迫剛 2R 1:01 TKO(タオル投入) K-1 BEAST 2003 〜山形初上陸〜 2003年4月6日
ゲーリー・グッドリッジ 1R 2:12 KO(右フック) INOKI BOM-BA-YE 2002【K-1ルール】 2002年12月31日
× マーク・ハント 3分3R+延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2002 開幕戦
【1回戦】
2002年10月5日
トム・エリクソン 1R 2:30 KO(右フック) K-1 ANDY SPIRITS 〜JAPAN GP 決勝戦〜 2002年9月22日
× ゲーリー・グッドリッジ 1R 1:38 TKO(レフェリーストップ) K-1 WORLD GP 2002 in LAS VEGAS 2002年8月17日
× レイ・セフォー 5R終了 判定0-3 K-1 WORLD GP 2002 in NAGOYA 2002年3月3日
アダム・ワット 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD GP 2001 決勝戦
【リザーブマッチ】
2001年12月8日
× アダム・ワット 1R 2:27 KO(2ノックダウン) K-1 WORLD GP 2001 in FUKUOKA
【敗者復活戦 Bブロック1回戦】
2001年10月8日
ロイド・ヴァン・ダム 延長R終了 判定2-0 K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA
【準決勝】
2001年7月20日
タケル 2R 1:40 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2001 in NAGOYA
【1回戦】
2001年7月20日
ジェロム・レ・バンナ 1R終了時 無効試合(ゴング後の攻撃) K-1 GLADIATORS 2001 2001年3月17日
天田ヒロミ 4R 1:32 TKO(タオル投入) K-1 RISING 2001 〜四国初上陸〜 2001年1月30日
ミルコ・クロコップ 1R 1:07 TKO(タオル投入) K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA
【決勝】
2000年10月9日
アンドリュー・トムソン 1R 0:34 TKO(ドクターストップ) K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA
【準決勝】
2000年10月9日
ユルゲン・クルト 1R 2:24 KO(右フック) K-1 WORLD GP 2000 in FUKUOKA
【1回戦】
2000年10月9日
セルジオ"ブラック・パンサー"エスペ KO K-1 WORLD GP 〜アフリカ地区予選 2000年9月3日
ジャスティン・フォーチュン 1R 1:03 無効試合(バッティング) K-1 WORLD GP 2000 in NAGOYA 2000年7月30日
× ミルコ"クロコップ"フィリポビッチ 1R 1:20 KO(3ノックダウン:パンチ) K-1 GRAND PRIX '99 開幕戦
【1回戦】
1999年10月3日
ロニー・セフォー 4R 1:24 KO(右フック) K-1 SPIRITS '99 1999年8月22日
× サム・グレコ 5R終了 判定0-3 K-1 BRAVES '99
【WAKO PRO世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1999年6月20日
佐竹雅昭 5R終了 判定3-0 K-1 REVENGE '99 1999年4月25日
× ピーター・アーツ 1R 2:53 TKO(2ノックダウン:右ストレート) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【準決勝】
1998年12月13日
フランシスコ・フィリォ 3R 1:35 TKO(2ノックダウン:右フック) K-1 GRAND PRIX '98 決勝戦
【準々決勝】
1998年12月13日
サダウ・ゲッソンリット 1R 2:00 TKO(右アッパー、タオル投入) K-1 JAPAN '98 〜神風〜 1998年10月28日
モーリス・スミス 5R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '98 開幕戦
【1回戦】
1998年9月27日
アンドリュー・トムソン 1R 3:03 TKO(右ストレート) K-1 BUSHIDO '98 1998年8月28日
グラウベ・フェイトーザ 1R 1:42 TKO(3ノックダウン:右フック) K-1 DREAM '98 1998年7月18日
ゴードン・マイナーズ 2R 2:05 KO(左フック) K-1 KINGS '98
【WAKO PRO世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1998年4月9日
× ピーター・アーツ 3R 1:17 KO(2ノックダウン:右ボディストレート) K-1 GRAND PRIX '97 決勝戦
【準々決勝】
1997年11月9日
ブランコ・シカティック 1R 0:38 TKO(額負傷) K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【1回戦】
1997年9月7日
× アンディ・フグ 5R終了 判定 K-1 FIGHT NIGHT '97 〜THE DECISION〜
【WKA世界ムエタイスーパーヘビー級タイトルマッチ】
1997年6月7日
× アーネスト・ホースト 4R 1:03 TKO(左フック) K-1 BRAVES '97 1997年4月29日
佐竹雅昭 2R 1:24 TKO(右フック) K-1 KINGS '97 1997年3月16日
スタン・ザ・マン 5R終了 判定1-0 K-1 HERCULES '96 1996年12月8日
ピーター・アーツ 3R 2:37 KO(右フック) K-1 STAR WARS '96 1996年10月8日
ピーター・アーツ 1R 2:21 反則(急所攻撃) K-1 REVENGE '96 1996年9月1日
× アンディ・フグ 2R 1:18 KO(フグトルネード) K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【決勝】
1996年5月6日
ムサシ(現・武蔵) 3R終了 判定3-0 K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【準決勝】
1996年5月6日
ピーター・アーツ 3R 0:13 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '96 決勝戦
【準々決勝】
1996年5月6日
ジェフ・ルーファス 2R 1:37 TKO(3ノックダウン:右フック) K-1 GRAND PRIX '96 開幕戦
【1回戦】
1996年3月10日
× ピーター・アーツ 1R 0:40 KO(右フック) K-1 HERCULES 1995年12月9日
アンディ・フグ 2R 2:43 TKO(右ストレート) K-1 REVENGE II 1995年9月3日
× ジェロム・レ・バンナ 2R 3:05 KO(右ローキック) K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【準決勝】
1995年5月4日
スタン・ザ・マン 3R 1:42 KO(右ハイキック) K-1 GRAND PRIX '95 決勝戦
【準々決勝】
1995年5月4日
アンディ・フグ 3R 2:39 TKO(タオル投入) K-1 GRAND PRIX '95 開幕戦
【1回戦】
1995年3月3日
× ジェロム・レ・バンナ 判定0-3 ISKAインターコンチネンタル王座戦 1994年

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
1 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 1 0
0 0 0 0 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
高田延彦 3分3R終了 ドロー INOKI BOM-BA-YE 2001 2001年12月31日

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ジョー・ヒップ
第9代WBF世界ヘビー級王者

2000年5月12日 - 2002年

次王者
アレキサンドル・ヤコブ
前王者
ゴードン・マイナーズ
第3代WAKO PROムエタイ世界スーパーヘビー級王者

1998年4月9日 - 1999年6月20日

次王者
サム・グレコ
前王者
アンディ・フグ
WKAムエタイ世界スーパーヘビー級王者

2004年9月18日 - 2005年

次王者