谷川貞治
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谷川 貞治(たにかわ さだはる、1961年9月27日 - )は、格闘技イベント興行会社FEG社長、K-1イベントプロデューサー、編集者。愛知県名古屋市出身。
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[編集] 来歴
名古屋市立八王子中学校、愛知県立旭丘高等学校、日本大学法学部政治経済学科卒業。中学、高校とハンドボールに打ち込み、主将を務めた[1]。1985年もしくは1986年に大学を卒業して、ベースボール・マガジン社入社、空手専門誌『近代空手』編集部に配属[2]。『格闘技通信』には創刊号から記事を執筆し、所属していた『近代空手』が『格闘技通信』に合併されたのに伴い、1987年から正式に同編集部へ配属され[3]、1990年から2代目編集長に就任した。当時の別名はサダハルンバ谷川。1996年の春にベースボール・マガジン社を退社。パーフェクTV!(現・スカイパーフェクTV!)開局に伴い、『紙のプロレス』発行人の柳沢忠之らと、プロレス・格闘技専門チャンネル・FIGHTING TV サムライの立ち上げスタッフとして参加。編成部長の職に就いた[4]。
サムライTVは半年ほどで退社してその後は、フジテレビの格闘技情報番組『SRS』に格闘技評論家としてコメンテーターを務める傍ら、柳沢と共に「株式会社ローデス」設立。1997年創刊の『格闘ゲリラマガジン』、1998年創刊の『格闘パンチ』といった短命に終わった格闘技雑誌の編集長を経て、1999年に扶桑社から格闘技専門誌『SRS-DX』を創刊して、2003年9月の休刊まで編集長を務めた。
K-1の前プロデューサー石井和義とは『格闘技通信』編集長時代からアドバイザー的な立場にあり, 当時入手困難だったK-1のチケットを『格闘技通信』誌上で販売[5]。さらに、石井からはK-1のマッチメイクの業務委託を受けていた[6]。石井からの信頼も厚く、石井の脱税事件後の2003年1月にK-1イベントプロデューサーと、新たに設立されたK-1運営会社FEGの社長にも就任した。
総合格闘技イベントのPRIDEにも関わりが深く、運営に参加するという話はあったものの間接的にサポートすることになり、フジテレビにPRIDEを放送するよう進言。格闘技情報番組『SRS』でPRIDEの情報を流したり、フジテレビで中継番組が実現した際にはテレビ解説者を務めたりした[7]。PRIDEのマッチメイク会議に参加するなどしたが、2003年5月にPRIDE.26でミルコ・クロコップとヒース・ヒーリングの対戦が秘密裏に決定して、K-1とPRIDEの関係が悪化した[8]のを機にPRIDEからは離れている。
その後、優れた外国人格闘家を大量にPRIDEに引き抜かれた谷川は、ボビー・オロゴンなどのタレントを起用することでPRIDEに対抗した。
ここ数年はタレント、モンスター路線に拒絶反応を起こし始めたファンを取り戻すために、実力派ファイターを発掘し始めている。
[編集] 人物
- 身長180cm、体重100kg超(ただし肥満によるもの)。最近はジムに通って痩せようとしている。
- 前田日明より「グレたキューピー(グレキュー)」との異名を頂戴している[要出典]。
- ベースボール・マガジン社の先輩で、師匠として仰いでいるターザン山本には、出世した今でも頭が上がらない。2003年にFEGの社長になり多忙になった際、自身が編集長だった格闘技雑誌『SRS-DX』の事実上の編集長をターザン山本に依頼している[9]。
- 口癖は「んあ〜」「危ない、危ない」 「効いてる、効いてる」「全然笑えないんだけど」など。
[編集] 秋山成勲との関係
2006年大晦日のK-1 PREMIUM 2006 Dynamite!!において、秋山成勲が桜庭和志に行った反則疑惑に対する騒動を鎮めるために奔走。しかしながら、二転三転する言い訳に世論の非難が高まり、最終的に反則の一部を認め、秋山に対して無期限出場停止の裁定を下すことで沈静化を図った。
その後、秋山復帰のために奔走し、無期限出場停止の裁定から10か月後には秋山の母国である韓国での復帰戦を用意した。
2007年大晦日の興行やれんのか! 大晦日! 2007に派遣した秋山成勲が三崎和雄にKO負けすると、三崎は悪質な反則を行ったと抗議し、「(元韓国人だった秋山を支持している)韓国ファンが怒っているから、三崎はソウルスタジアムで10万人の韓国人に囲まれた状態で秋山と再戦するべき。」と見解を述べた[10]。当該試合は、2008年1月22日に無効試合と変更された。
1月23日の記者会見で「秋山vs三崎戦は2試合行う約束をやれんのか!サイドと交わしており、勝手に戦極と契約した三崎はモラルに欠ける」と本人への確認を取らずに、三崎への非難を行い、同席していた秋山もそれに同調するような発言をした。しかし、島田裕二ルール・ディレクターが、前日の文書で「やれんのかは1度限りのイベントで、再戦を約束するものではない」と再戦の契約は存在しないことを明言していたが、『大きな試合にはリマッチがつきもの。その自覚がない三崎選手はファンとかほかの選手とかに失礼。チャンピオン失格です。』と、追及の手を緩めなかった[11]。
[編集] 関連書籍
- 谷川貞治「アンディ・フグの生涯」(ISBN 4331507440)
- 谷川貞治・ターザン山本「最強の格闘王を探せ!―"異種格闘技"新時代を読み解く!」(ISBN 4796628703)
- 谷川貞治・堀辺正史「武道と他流試合 日本人よ、グレイシーに学べ!」(ISBN 4583032307)
- 西田健「K-1&格闘技の"真実"」(ISBN 4876933405)
[編集] 脚注
- ^ 隠れハンドボーラー・K-1谷川プロデューサーが解説志願! スポーツ報知 2008年1月27日
- ^ 『格闘技通信』2008年8月号、ベースボール・マガジン社。谷川と本多誠編集長との対談より。
- ^ 「本誌歴代編集長が勢揃い・400号企画 六者六様 前編」『格闘技通信』2006年7月8日号、ベースボール・マガジン社。
- ^ 『別冊宝島 プロレス謎読本』宝島社、1996年、p96.
- ^ 西田健『K-1&格闘技の"真実"』コアラブックス、1997年、p32-p33.
- ^ 『格闘技通信』2008年8月号。
- ^ 『kamipro special 2008 July』エンターブレイン、2008年。谷川と笹原圭一の対談より。
- ^ 『紙のプロレスRADICAL』』No.91号、2005年。今井賢一インタビュー。
- ^ 『kamipro Special 2008 AUGUST』「ジョシカクHENTAI座談会 」中の元『SRS-DX』編集者橋本宗洋の発言。
- ^ 『kamipro』 No.119号、エンターブレイン。
- ^ 『kamipro Hand』

