kamipro

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kamipro』(カミプロ)は、日本のプロレス格闘技専門雑誌。編集はダブルクロス、発売はエンターブレイン。1991年に創刊され、『紙のプロレス』、『紙のプロレスRADICAL』を経て2006年に現在の誌名に至る。

目次

[編集] 概要

1991年、『紙のプロレス』を創刊、創刊メンバーは山口昇(後に山口日昇)。「世の中とプロレスする雑誌」をキーワードに、プロレスと関係の無い記事も多く掲載された。創刊号はA5判で、山口昇の世謝出版から発行された。地方・小出版流通センターという小部数出版物専門の取次を通して流通した5000部は完売。執筆陣は高田文夫ナンシー関中島らも椎名誠立川談志馳星周と従来のプロレス雑誌とは異なり異色の顔ぶれだった[1]

NWFという編集プロダクションを立ち上げていた柳沢忠之が『紙のプロレス』に寄稿していたことがきっかけで、山口昇と柳沢忠之が共同で1994年株式会社ダブルクロスを設立。『紙のプロレス』はダブルクロスで発行することなり、ワニマガジン社を窓口にし、大手の取次を通じて全国で発売されるようになった。しかし、1996年になってCS衛星放送の格闘技専門チャンネルのFIGHTING TV サムライの開局に伴い、柳沢忠之がダブルクロスの社員10数名を引き連れて移籍。ダブルクロスに残ったのは山口昇と新人の女子2名の3人だったが、1996年に『紙のプロレス』をリニューアルし、『紙のプロレスRADICAL』を創刊する。誌面を大判化しカラーページを増やし、新日本プロレスNOAHに取材拒否を受けていたこともあり、プロレスに加えて、新たに格闘技のPRIDEリングスを誌面の中心にした[2][3]。RADICAL創刊号の表紙には『週刊プロレス』の編集長を辞任したターザン山本を起用したが、その結果、創刊号は返本率65%と返本の山だったという[4]

1998年に新日本プロレスから取材拒否を受け、それ以外にもNOAHやパンクラスといった団体に取材をすることができなくなり、雑誌の方向が定まっていく、当時はPRIDEが大きくなりつつある時期ということもあり、格闘技を積極的に取り上げ、支持者を増やしていく。PRIDE以外にはリングス、格闘探偵団バトラーツZERO-ONEといった団体が誌面の多くを飾った。しかし、その3団体がいずれも潰れたことから「紙プロがプッシュする団体は必ず潰れる」というありがたくないジンクスを頂戴することとなる。

2005年には発売元をワニマガジン社からエンターブレインに移し、雑誌名を『kamipro』に変更する。

リングスと関係が切れてからの2000年代前半頃は、PRIDEやハッスルといったDSE関係の記事が目立つようになり、編集長の山口日昇がDSEの興行に関わりだしたことから「DSEの機関誌」と読者や関係者から呼ばれることも多かった[5][6]2006年に山口が編集長を辞任し、ジャン斉藤が2代目編集長に就任している。山口は2007年にプロレスイベントのハッスルを運営するハッスルエンターテインメントの代表に就任した。

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

  1. ^ All About「ハッスル山口日昇新社長に聞く(上)」2007年6月21日
  2. ^ amazon.co.jp 紙でプロレスソリチュード・著者略歴
  3. ^ All About「ハッスル山口日昇新社長に聞く(上)」2007年6月21日
  4. ^ kamipro編集部編著『生前追悼 ターザン山本!』エンターブレイン、2008年、p181.山口日昇インタビュー。
  5. ^ 吉田豪「新書評の星座」『ゴング格闘技』2005年10月号、日本スポーツ出版社
  6. ^ 菊地成孔『サイコロジカル・ボディ・ブルース解凍 僕は生まれてから5年間だけ格闘技を見なかった』白夜書房、2005年、p258.

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