マッスル坂井

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マッスル坂井
プロフィール
リングネーム マッスル坂井
マッスル・レスナー
本名 坂井良宏
ニックネーム 和製レスナー
エッジな人々
マッスル・オブ・ジョイトイ
模倣の天才
身長 186cm
体重 120kg
誕生日 1977年11月5日(34歳)
出身地 日本の旗 日本
新潟県新潟市
所属 DDTテック
スポーツ歴 剣道
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マッスル坂井(マッスルさかい、本名坂井 良宏(さかい よしひろ)、1977年11月5日 - )は、有限会社DDTテック代表取締役であり、マッスルを主宰。新潟県新潟市出身。

目次

[編集] 経歴

新潟明訓高校時代は剣道部に所属。一方で映画監督漫画家にも憧れており、「ビッグコミックスピリッツ」で努力賞を受賞。

早稲田大学第二文学部に進学。「シネマ研究会」に所属して自主映画を製作する流れで、プロレスのドキュメンタリーを撮ろうと考え、アニマル浜口のジムの練習生となる。

のち、DDTに参加し、在学中の2002年6月20日、DDT Club ATOM大会でのダーク・マッチで初登場。以来練習生として200試合以上をこなし、正式デビューに至らないまま(DDTの新人の登竜門であるスーパー宇宙パワー戦は2004年9月16日に経験しているが、雨のため大会は中止扱い、記録抹消)2003年1月4日にはアイアンマンヘビーメタル級王座に就くもすぐに脚立にタイトルを奪われるという失態を演じ、12月10日には当時の社長・一宮章一に映像班専念を言い渡される。

早稲田大学を中退した2004年7月31日後楽園ホール大会でスーパー宇宙パワー相手に正式デビュー戦。それに際し「マッスル坂井」と改名。その年の10月13日にはお笑い系プロレス興行「マッスル」をスタートさせる。

2005年には猪熊裕介男色ディーノとのユニット「ドラマチック三銃士」で話題を博し、橋本友彦男色ディーノとは昭和52年生まれ限定のユニット「B-52スペシャル」を結成する(橋本友彦DDT退団により消滅)。2006年に入り頭をアフロにしたかと思うと大鷲透率いるDISASTER-BOXに心酔してメンバー入り、「魔ッスル坂井」と名乗り解散後にマッスルに戻る。いまだ映像班も兼任。「DDTテック」の社長でもある。

2007年1月、今までDDTテックの社長ということでノーギャラでリングに上がっていたことに本人が気づいたため、DDTと初の選手契約を交わした。しかし、1試合当たり5000円のギャランティ契約であるらしい…

2007年6月3日、NOSAWA論外を騒音防止デスマッチで破り、DDTエクストリーム選手権第3代王者となる。

2008年4月、親しらずからバイ菌が入り、下アゴの骨が壊死しかけるという蜂窩織炎により緊急手術を行い、約3週間にわたり入院した。

2008年末の両国大会告知以降は映像班に専念し、2009年8月23日の両国大会を裏方として盛り上げる。

2009年9月9日、ハッスルに練習生として入団。DDTとは正式なレスラー契約をしていないため、DDT退団ではない。[1]

2009年11月29日、再びDDTへ戻り正式にレスラー契約を結び、2010年5月23日の大阪大会で復帰した。

2010年8月3日、実家の金型工場、坂井精機株式会社を継ぐためとして引退を発表。同年10月6日、後楽園ホールにて開催されたマッスルハウス10をもって引退。試合中に、先日入籍していたこと、また近々子供が生まれる予定であることを発表。20年後の2030年10月6日にマッスルハウス11を開催し、自身の子供を出場させる考えを示した。

[編集] プロレス以外での活動

かつてフジテレビで放送された『WWEスマックダウン』に、当時のエースだったブロック・レスナーのそっくりさんに扮しスタジオの観客達に混ざっていた、レスナーの真似をして試合をしたこともある。

2007年4月、デトロイト・メタル・シティとのコラボでTシャツを製作する。しかしデザインが某メジャー団体のロゴと酷似していたため、Tシャツ担当者から買取を命じられる(本当に買い取ったかは不明)。

2007年6月2日、ルミネtheよしもとにて行われたお笑いイベント、ダイナマイト関西Rにプロレス界から初の出場。1回戦はシードながら、2回戦で中山功太、準決勝でラバーガール大水洋介と撃破し、名立たる芸人を差し置いてまさかの決勝進出を果たした。決勝戦では惜しくもカリカ家城啓之に1-0で敗れるも、実に価値のある準優勝だった。

2007年9月12日、Zepp Tokyoにて行われたダイナマイト関西RXに出場。1回戦で笑い飯西田幸治に1-0のスコアで勝利し、大会屈指の番狂わせと言われる。最終結果はジャルジャル後藤淳平に2-1で2回戦敗退。

2008年1月5日より、『めちゃ×2イケてるッ!』の「只今参上 色とり忍者・第二章」に徳川綱引将軍役で出演(以前は「単位上等!爆走数取団」の関取団として参加)。

2008年6月7日 - 13日、YOSHIMOTO DIRECTOR'S 100 〜100人が映画撮りました〜の企画で、映画監督に初挑戦した『シルバーホストG』が公開された。

2010年8月21日、ディファ有明で開催されたダイナマイト関西2010 secondに出場。1回戦、小籔千豊に対しサドンデスまで持ち込むも敗れる。なお、この大会では各選手の入場VTR作成を坂井が担当した。

[編集] 得意技

バーディクト
マッスルロック(フルネルソン
マッスルスープレックス
投げっぱなし式のフルネルソンスープレックス
マッスルボンバー
ダイビングニー・ドロップ
仕掛ける際に観客に手拍子を要求し、高確率でかわされる。
ベリートゥベリースープレックス
フォールアウェイスラム
ハリケーンミキサー
バッファローマンを模したコスチュームのときに使用する。
マッスルスタンプ
足踏み。

[編集] 入場曲

[編集] タイトル歴

  • DDTエクストリーム王座…第3代
  • アイアンマンヘビーメタル級王座…第85、88、90、161、762代
  • 自由が丘広小路会認定6人タッグ…第3代
  • 日本海6人タッグ…初代
  • IWGT王座…第0代(初代王者決定戦には勝利したが試合後ベルトが巻けなかったので剥奪)
  • 世界レノマ級王座…初代、第3代

[編集] 外部リンク

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