ドウェイン・ジョンソン

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ザ・ロック
プロフィール
リングネーム ザ・ロック
ロッキー・メイビア
フレックス・カバーナ
ドウェイン・ジョンソン
本名 ドウェイン・ダグラス・ジョンソン
ニックネーム ピープルズ・チャンピオン
グレート・ワン
ブラフマ・ブル(猛牛)
アクション筋王(キング)
身長 196cm
体重 118kg(全盛時)
誕生日 1972年5月2日(42歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州の旗 カリフォルニア州ヘイワード
スポーツ歴 アメリカンフットボール
トレーナー ロッキー・ジョンソン
パット・パターソン
デビュー 1995年
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ドウェイン・ジョンソンDwayne Douglas Johnson1972年5月2日 - )は、アメリカ合衆国俳優プロレスラー

プロレスラーとしてはザ・ロックThe Rock)のリングネームで知られ、ストーン・コールド・スティーブ・オースチンと並び、1990年代末から2000年代初頭にかけての、WWEアティテュード路線の代表的な選手である。現在は本名名義で俳優活動をメインとしている。

人物[編集]

カリフォルニア州ヘイワード出身、ホームタウンはフロリダ州マイアミ。祖父、父共に名プロレスラーであり、三世プロレスラーとして知られる。身長196cm、体重118kg(124.5kgとも)。2003年頃から俳優としての活動を開始。俳優への本格転向後は、基本的には体格は落ちているが、役作りに必要ならばプロレスラー仕込みのビルドアップも見せる。なお2011年の復帰以降もWWE公式サイトでは体重260ポンド(約118kg)とされている。

ザ・ロックとして「偉大な男The Great One)」、「全ての娯楽界一シビれる男The Most Electrifying man in All of Entertainment)」、「皆の王者The People's Champion)」、「猛牛The Brahma bull、ブラフマ・ブル)」、「ロッキーRocky)」など数多くのニックネームを持つ。猛牛のモチーフはオリジナルデザインの王座ベルトやグッズにも用いられている他、右肩には彼の象徴でもある片眉を吊り上げた表情(ピープルズ・アイブローとも言われる)をした赤目の猛牛のタトゥーがある。モデルはインド牛で、子供の頃から好きだったという。粘り強いが、同時にやさしく、感受性も豊かであるかららしい。また2003年頃から、左半身を中心にサモアの伝統的な刺青を加え続けている。 なお、日本においては「ロック様」と呼称されることが多いが、これは自らを三人称(The Rock)で語る口調をWWEの字幕放送を行っているJ SPORTSおよび翻訳会社のルミエールがそのように訳したことから始まるとされる。

精悍な顔立ちに高い身体能力と優れたマイクパフォーマンス能力を併せ持つ。プロレスラーとしては従来のレスラー以上に会場を沸かせることには非常に長けており、独特ながらも高いレスリングセンスを兼ね備える。特に持ち前の身体能力を生かした羽があるかのように跳ね上がる受け身は非常に稀有である。このような能力は俳優としてもアクションシーンなどで活かされているが、活動開始当初はB級映画の出演が多かった。しかし2009年頃から着々とヒット作への出演が増えていき、2013年にはハリウッドスターの収入ランキングで上位に入るなど、ハリウッドスターとしての地位を固めつつある。日本でもワイルド・スピードシリーズやGIジョーシリーズの出演により、肉体派俳優としてプロモーションされる機会が増えている。すでに「ロックを知らないWWEファン」「ドウェイン・ジョンソンがプロレスラーだったことを知らない映画ファン」の数も多い。

90年代末~2000年代初頭の活躍によりすでにプロレスラーとしては成功し切っていることもあり、インタビューで引退をほのめかすような言葉を口にすることもある。正式にプロレスラーとしての引退を宣言してはいないが、現在基本的には俳優としての活動が主であり、俳優としても評価され契約から万が一にも怪我出来ないため、2011年のWWE復帰後もレッスルマニアなどの大舞台での散発的な試合復帰に留まっている。事故が起きる可能性も考慮され、自分で車も運転出来ないという。

来歴[編集]

青春期[編集]

母方の祖父はハワイマットの重鎮で伝説のサモア人レスラー、"ハイ・チーフ" ピーター・メイビア。父も絶大な人気を誇った黒人レスラー、"ソウルマン" ロッキー・ジョンソンというレスラーの家庭に生まれ育つ。どんな人種にも見える彼の独特の肌は、このサモア系と黒人のハーフという珍しい血統による。

元々はプロレス志望ではなく、ハイスクール時代からアメリカンフットボール選手として活躍し、多くの大学からのスカウト受けその中のマイアミ大学に進学。怪我に悩まされながらも同校のチーム「ハリケーンズ」でディフェンシブラインの選手として活躍し、1991年シーズンのオレンジボウルに勝利した。学業では犯罪学を学ぶ。卒業後はNFLを目指すが、指名が掛からずカナダのフットボールリーグCFLでNFL入りを目指すも酷い生活の中、1年ほどで解雇されてしまいプロフットボーラーを断念する。なお、この当時からグレート・ムタのファンでもあったことを公言している。

プロレスラーへ[編集]

その後プロレスラー転向を目指し父とロン・スリンカーのコーチを受ける。その後パット・パターソンの紹介を得てWWF(当時)でトライアウトとしてテレビ収録のダーク・マッチで2回ほど試合を行う(この時はリングネームは無く本名だった)。その後、1995年テネシー州メンフィスUSWAジェリー・ジャレット&ジェリー・ローラー主宰)でデビュー。当時のリングネームフレックス・カバーナFlex Cavanah)だった。この当時の一晩のファイトマネーは40ドルほど。

2度目のトライアウト(相手はオーエン・ハート)でついにWWFに昇格。

1996年11月にPPV大会サバイバー・シリーズでWWFデビュー。当初は父と祖父の名前にあやかったロッキー・メイビアというリングネームで戦い、トリプルHを下してIC王座を獲得するなどしたが、注目を浴びなかったため方向転換を余儀なくされた(この時のキャラクターが「どこにでもいる好青年キャラ」で、あまりにも平凡すぎたために注目されなかった)。しかしキャラクター後期には典型的なベビーフェイスにもかかわらず「サイテー」コールを浴び、彼を正統派フェイスとして売り出そうとしていたビンス・マクマホンは「どこで間違ったんだ」と唖然としたようである。 その後、本人の意向もありジム・ロスが「ロッキーではなくザ・ロックに変更してはどうか」とビンスに勧め、『ザ・ロック』が誕生するに至った。

ザ・ロック出現[編集]

1997年5月にヒールターンし、黒人至上主義のユニット、ネーション・オブ・ドミネーション(NOD)に加入。その後、NODのリーダーであったファルークと険悪になり、ユニットから追放し自らリーダーとなる。リングネームを現在のものに変え、コスチュームも無駄に派手なものから黒を基調としたショートタイツとブーツに変更。髪を切り、後はカリスマ性と創造性で魅せるようになった。スラングを多用した毒舌トークから人気に火がつき一気にスターダムへのし上がった。

当時のWWF王座戦線はブレット・ハートショーン・マイケルズの独擅場だったため、IC王座を巡りストーン・コールド・スティーブ・オースチンケン・シャムロック、オーエン・ハートらと熾烈な抗争を展開。トリプルHとはそれぞれ率いるD-XとNODとの軍団抗争でも対決した。

1998年11月18日、サバイバー・シリーズで行われたWWF世界王者決定トーナメントを制し、当時最年少記録の26歳で王者となる。以降マンカインドやトリプルH、ジ・アンダーテイカーなどのライバル達とWWF王座を巡って名勝負、名インタビューを連発しWWEの「アティテュード時代」を象徴する選手となった。特にストーンコールドとのWWF王座戦は2度に渡ってレッスルマニアのメインイベントに組まれており、これを含め4年連続で同大会のメインイベントを務めた。2001年WCWが吸収合併された際にはWCW王座を獲得している。

2002年3月1日、日本横浜アリーナで行われたWWEハウス・ショー(日本公演)『SMACKDOWN TOUR LIVE IN JAPAN』で、プロレスラーとして初来日を果たした。この時はクリス・ジェリコWWE統一ヘビー級王座を賭けた王座戦を戦い、日本のファンを熱狂させた。

2002年WrestleMania X8で事実上のメインとして行われたハルク・ホーガンとの「ICON vs ICON」(新旧象徴対決)は、その歴史的な試合意義も含め名勝負として名高い。

俳優へ[編集]

これに前後して『スタートレック:ヴォイジャー』『ハムナプトラ2/黄金のピラミッド』へのゲスト出演をきっかけに映画俳優転向を志し、『スコーピオン・キング』で初めて主演を務めた。この作品の撮影からの復帰後にもWWE統一ヘビー級王座を獲得したが、サマースラムブロック・レスナーに敗れて転落。

2003年1月にWWEに復帰すると、映画スターとしてのキャラクターを誇張するヒールに変貌を遂げる。ノー・ウェイ・アウトではホーガンとの再戦、WrestleMania XIXではストーンコールドとの3度目となったレッスルマニアでの対戦(なおこれがストーンコールドの実質の引退試合となっている)、バックラッシュでは「WCW最後の大物」ビル・ゴールドバーグのWWE初試合と、世紀の対決を連発した。

2004年、当時エボリューションと抗争していたかつての相棒ミック・フォーリーを助けるために3月1日のRAWに登場した。そして3月14日のWrestleMania XXではミック・フォーリーとのタッグ「ロックン・ソック・コネクション」を復活させ、エボリューションとのハンディキャップ・マッチを行ったが、試合には敗れてしまった。 5月17日にはジョナサン・コーチマンに口撃されていたユージンを助けるために突如登場。途中ユージンに「好きなレスラーはトリプルH」と言われてしまう一幕もあったが、二人でコーチマンを一蹴し大歓声を受けた。 6月21日に自身の地元マイアミで行われたRAWにも登場している。そこでは自身と同じ三世スターであるランディ・オートンと口論となったため、GMのエリック・ビショフに追い出されるような形で会場を後にしたが、十分に存在感を見せつけた。 しかし、これを最後にロックはWWEのリングから7年弱もの間遠ざかることになった。

2007年3月12日のRAWにビデオながら突如登場し、WrestleMania 23で行われるビンス・マクマホンの代理選手ウマガドナルド・トランプの代理選手ボビー・ラシュリー勝負について語り、久々に決めゼリフも披露した。

2008年3月29日、祖父ピーター・メイビアと父ロッキー・ジョンソンのWWE殿堂入りを紹介するプレゼンターとして式典に姿を見せた。 同年公開の映画『ゲット スマート』ではメインキャストの1人としてスパイを演じている。 この年、米国の雑誌『エンターテインメント・ウィークリー』のインタビュー[1]に答え、「私はそのニックネームと共に全てを築いてきたことを承知しているが、そのネームバリューなしに何かもっと多くのことが出来ないものかずっと模索してきた。(私の名前が)“ザ・ロック”からドウェイン・“ザ・ロック”・ジョンソンへ、そしてドウェイン・ジョンソンへと変わるのは自然の成り行きなんだ」と語り、ザ・ロックというキャラクターと訣別する意思を持っていることを明らかにしていた。

2009年には主演映画『ウィッチマウンテン/地図から消された山』は北米での公開週の興行成績が1位[2]となるなど、俳優としての注目度及び評価も徐々に上昇していった。 同年、スマックダウン10周年記念放送にビデオメッセージで久々に出演。当初は自らをドゥエイン・ジョンソンと名乗り映画スターとして落ち着いた口調で話していたが、次第にザ・ロックのキャラクターを思い出していき、最後は往年のロック節を聴かせ、復帰こそ明言しなかったものの、今なおスマックダウンの主役は自分であること、RAWのホストとしての出演を示唆するなどした。

2011年、復活[編集]

2011年2月14日、アナハイムで開催されたRAWにて、レッスルマニアのホストを務めるという形でおよそ7年ぶりにロックはWWEのリングに姿を現した。往年の決め台詞を披露すると、ジョン・シナ、当時のWWE王者ザ・ミズに対して痛烈なマイクアピールを行い、対決姿勢にあることを示唆した。 そして迎えた4月のWrestleMania XXVIIではオープニングでマイクパフォーマンスを行うと、バックステージで往年のライバル・ストーンコールドと久々に対面した。

更に、メイン戦のザ・ミズとシナのWWE王座戦がダブルカウントアウトに終わるとすぐさま登場、その場で反則裁定なしでの再試合を命じる。すると再開直後にシナにロックボトムを見舞いシナの王座戴冠を阻む。運良く王座防衛したミズにもピープルズ・エルボーを浴びせた。翌日のRAWでシナの呼びかけに姿を表し、翌2012年のレッスルマニアXXVIIIでの一騎打ちを誓った。またこの試合へのカウントダウンもWWE公式サイト内で開始された。[3]

同年5月2日のRAWは、ロックの誕生日スペシャルと銘打たれた。番組内ではアメリカテレビ界における著名番組のホスト、サミュエル・L・ジャクソンら映画俳優や、NBA選手らが祝福のコメントを寄せた。またピットブルがパフォーマンスを行った他、マイアが『Happy Birthday』を熱唱した。更に終盤にはビンス・マクマホンが登場、ディディの『Coming Home』をBGMに使用したトリビュートビデオを披露し、華を添えた。 その後、久々に復活したタフイナフにゲスト出演、未来のWWEスーパースター達の目の前で、衰えを感じさせないリングワークを見せ付けた。他にも2011年の復活以降は様々な形でたびたびWWEの番組に登場している。

一方、正式な試合自体はレッスルマニアでの対シナ戦まで行わないのではとの憶測も飛んでいた。しかし2011年11月、R・トゥルースとザ・ミズのコンビに苦しめられていたジョン・シナによる指名を受け、マジソン・スクエア・ガーデンで開催されたサバイバー・シリーズでシナとタッグを組み、7年半ぶりにリング復帰を果たす。試合では「まだやれる」コールが巻き起こるなど健在振りを見せ、最後はミズを得意のスパインバスターからのピープルズ・エルボーで沈め見事勝利した。試合終了後にはシナにロック・ボトムを食らわせレッスルマニアでの対戦へ向け強いインパクトを残した。

2012年[編集]

そして迎えた2012年4月1日レッスルマニア28にてジョン・シナとシングルで対戦。シナに攻め込まれる場面がみられるも、スパイン・バスターピープルズ・エルボーロック・ボトムなど全盛期を彷彿とさせる動きを見せ観客を大いに沸かせる。試合はお互いの必殺技を出し合いながら30分以上の激闘となり、試合後半は疲れが見えたものの、最後はシナがピープルズ・エルボーを模したところへカウンターのロック・ボトムを放ちそのまま3カウント。1年にわたる長い抗争は、ロックの勝利となった。

同年、7月23日のRAW1000回特番に再び登場し、2013年1月に行われるロイヤルランブルにてWWE王座に挑戦することを発表した。その後、同日行われていたCMパンクジョン・シナのWWE王座戦に乱入したビッグ・ショーを制するため自身も乱入したものの、ピープルズ・エルボーの最中にCMパンクからの攻撃を受け、ダウンさせられた。

2013年 - 2014年[編集]

2013年

前述のロイヤルランブルにてWWE王者CMパンクと対戦。一度は第三者の介入もあり、CMパンクに敗れるが、直後にマクマホン会長の指示で再試合が行われ、ピープルズ・エルボーでフォール勝ちを収め、11年ぶりにWWE王座を獲得した。

4月7日に行われたレッスルマニア29のメインイベントで、ジョン・シナに破れWWE王座を失う。

2014年4月6日に行われたレッスルマニア30で、レジェンドのホーガン、オースチンらと再会し、トークをしあった。(本番前では、バックステージで仲睦まじい様子が映された。)

得意技[編集]

ピープルズ・エルボー
フィニッシュホールド。通称「スポーツエンターテイメント界一シビれる技」。ダウンしている相手に対してロープ間を1往復してから肘を落とすのだが、肘打ちそのものよりも一つ一つの挙動を含めた全体のプロセスが魅力の技である。
スパイン・バスター
走ってくる相手を抱き止め、持ち上げて背中から落とす技。ピープルズエルボーへの繋ぎとして用いられることが多い。
ロック・ボトム
フィニッシュホールド。タックルに行く形で相手の腋下に体を挿し込み、同時に右手で肩と腕をロック、そのまま片手で持ち上げて宙に浮き、全体重を乗せて叩きつける技。
シャープシューター
いわゆるサソリ固め。長州力のように深く腰を落とすことは無いものの、かつて特番のメインでカート・アングルをギブアップに追い込んでいる。
サモアン・ドロップ
サモア系レスラーがよく使用する技。主にカウンターで使用する。
ナックルパート連打からの平手打ち
非常に派手なモーションながらも素早くパンチを連打し、平手を掲げてから平手打ちで締めくくる。相手は吹っ飛ぶことが多い。
フライング・クローズライン
試合の流れを変えるときによく繰り出す。
メイビア・ハリケーン(DDT
パンチを連発した後などに、腕を捻ってから首を捉え非常に素早く行う。この後跳ね起きることも多い。
ヘッドスプリング(跳ね起き)
身長2メートル近く決して小柄ではないが、強靭な体のバネで跳ね起きることができる。相手が余所見をした一瞬に起き上がってロック・ボトムなどを決めて勝利してしまうことも多かった。
ダイビング・クロスボディ
若手時代は良く使用していた。

主な語録[編集]

  • Just bring it!!
(かかってこい!)
  • If you smell what The Rock is cookin'!
(ロック様の妙技を、たっぷりと、味わうがいい!)
後にピープルズ・アイブロー(皆の眉毛)を上げるのが「お約束」である。
なお、この決めゼリフはビンス・マクマホンの提案によってできたものである(自伝「ザ・ロック」の記載より)。
  • Finally The Rock has come back to " "!
(ついに、ロック様が、○○に帰ってきたぞ!)
空白部分には興行をする地名が入る。今まで訪れたことのない土地であったとしても「お約束」としてインタビュー中にこの言葉を叫ぶ。出身地であるフロリダ州マイアミで興行が行われた際には「Finally The Rock has come back home」とアレンジしたこともある。
  • Know your role, and Shut your Mouth!
(身の程を知れ、そして黙れ!)
  • Lay the SmackDown Hotel!
(お仕置きホテルにぶち込んでやる!)
  • It doesn't matter what you " "!
(貴様の○○など関係なし!)
まず相手に質問し、相手が喋り出すと同時に叫ぶ。空白部分にはロックが質問したこと(think「考え」やwant「希望」など)が入る。
  • Boot to Asses!
(ケツにお仕置き)

このほかにロック自身の言葉ではないが、インタビュー中に会場のファン達が「ロッキー!」とコールし、ロックはインタビューを中断してそのコールに耳を傾けるという「お約束」もある。これは控室の選手、そして視聴者を惹きつけるためである。このため、ロックのインタビューは事前収録されず、必ずその場で収録されるという。

また、ロックは台詞の中で独自のスラングを使用する。

獲得タイトル[編集]

(時系列順)

USWA
  • USWAタッグ王座 : 2回(w / Bart Sawyer)
WWE

入場曲[編集]

  • Electrifying
2011年-
  • Is Cookin
2003年に使用。
  • If You Smell...
1999年-2003年、2004年に使用。
  • Do You Smell It
1998年-1999年に使用。
上記の2曲はそれぞれ2つのバージョンがある。
  • Power
NOD時代に使用。
  • Destiny
ロッキー・メイビア時代に使用。

出演映画[編集]

公開年 邦題
原題
役名 備考
2001 ハムナプトラ2/黄金のピラミッド
The Mummy Returns
スコーピオン・キング
2002 スコーピオン・キング
The Scorpion King
スコーピオン・キング(マサイアス)
2003 ランダウン ロッキング・ザ・アマゾン
The Rundown
ベック
2004 ワイルド・タウン/英雄伝説
Walking Tall
クリス・ヴォーン
2005 Be Cool/ビー・クール
Be Cool
エリオット・ウィルヘルム
DOOM
Doom
サージ
2006 サウスランド・テイルズ
Southland Tales
ボクサー・サンタロス/ジェリコ・ケイン
ギャングスターズ 明日へのタッチダウン
Gridiron Gang
ショーン・ポーター
2007 ポリス・バカデミー/マイアミ危機一髪!
Reno 911!: Miami
リック・スミス クレジットなし
ゲーム・プラン
The Game Plan
ジョー・キングマン
2008 ゲット スマート
Get Smart
エージェント23
2009 ウィッチマウンテン/地図から消された山
Race To Witch Mountain
ジャック・ブルーノ
2010 妖精ファイター
Tooth Fairy
デレク
アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!
The Other Guys
クリストファー・ダンソン
ファースター 怒りの銃弾
Faster
ドライバー
2011 ワイルド・スピード MEGA MAX
Fast Five
ルーク・ホブス
2012 センター・オブ・ジ・アース2 神秘の島
Journey 2: The Mysterious Island
ハンク
2013 ペイン&ゲイン 史上最低の一攫千金
Pain & Gain
ポール・ドイル
G.I.ジョー バック2リベンジ
G.I. Joe: Retaliation
ロードブロック
オーバードライヴ
Snitch
ジョン・マシューズ
ワイルド・スピード EURO MISSION
Fast & Furious 6
ルーク・ホブス
11ミリオン・ジョブ
Empire State
ランソン ビデオ作品
2014 ヘラクレス
Hercules
ヘラクレス
2015 ワイルド・スピード SKY MISSION
Fast & Furious 7
ルーク・ホブス

その他[編集]

  • WWEのスーパースターであると同時にハリウッドスターでもあり、それ故にレスラーとしての来日は難しい状況にある。もし、レスラーとしてブッキングする場合、「プライベートジェット機の使用」「ボディーガードを最低でも5人は用意する」「ギャラも1~2億では無理」と武藤敬司がインタビューで発言している[4]
  • ショーン・マイケルズとは一度も対戦したことがなく、その理由に関してはロックが活躍した時期がマイケルズが引退した後で、マイケルズが復帰した時期がロックがハリウッドに仕事を移した後というタイミングのズレが原因だと思われている。(他にも不仲説などがあるが、これは決定的な証拠がないため断言できない。)
  • 5歳の頃に、スティーヴ・リーヴスen:Steve Reevesヘラクレス (1957年の映画)を見て、それから高校や大学でギリシャ神話やヘラクレスの12の難業を学び、ヘラクレスは肉体にしみ込んでいった。ブレット・ラトナーに会ったとき、「僕はこの役を演じるために生まれてきた」とまで言い、夢がかなったと感じている[5]

脚註[編集]

  1. ^ ザ・ロックことドウェイン・ジョンソンインタビュー 2008年6月8日 Entertainment Weekly閲覧(英語版)
  2. ^ ディズニーの新作SF映画、北米興行成績で初登場1位 2009年3月16日 (c)AFP
  3. ^ 「レッスルマニア28まであと200日 2008年9月18日 WWE公式サイト閲覧(英語版)
  4. ^ 週刊プロレス2013年6月19日号の武藤敬司インタビューより
  5. ^ ヘラクレス (2014年の映画)日本語パンフレットのドウェイン・ジョンソンのインタヴュー

関連項目[編集]

外部リンク[編集]