マーク・ケアー

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マーク・ケアー
基本情報
本名 マーク・ケアー
(Mark Kerr)
通称 ザ・スマッシング・マシーン
(The Smashing Machine)
ザ・タイタン (The Titan)
霊長類ヒト科最強の男
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生年月日 1968年12月21日(45歳)
出身地 オハイオ州トレド
所属 ハンマーハウス
→チーム・ケアー
身長 185cm
体重 115kg
リーチ 198cm
階級 ヘビー級
スタイル レスリング
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獲得メダル
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
男子 レスリング・フリースタイル
パンアメリカン大会
1995 マル・デル・プラタ 100kg級

マーク・ケアーMark Kerr、男性、1968年12月21日 - )は、アメリカ合衆国総合格闘家オハイオ州トレド出身。チーム・ケアー所属。UFC 14・15ヘビー級トーナメント優勝。

来歴[編集]

4歳からレスリングを始め、ハイスクール時代にオハイオ州の王者になる。1992年NCAA優勝。1993年から1994年にレスリング全米選手権連覇(種目はフリースタイル)。フリースタイル時代はフォックスキャッチャーに所属し、同じ所属選手だったマーク・コールマンカート・アングルらと共に活躍した。

UFCにおいてUFC 14およびUFC 15でヘビー級トーナメントを2連覇した後、1998年3月15日、PRIDE.2におけるブランコ・シカティック戦でPRIDEデビュー。スタミナと体重があり、打撃が得意ではないため、グラウンドで攻めることが多い。それが「消極的行為」と主催者や一部マスコミから叩かれてしまったことからファイトスタイルを変更した。

人並外れた筋肉から繰り出される怪力で「霊長類ヒト科最強」と恐れられたが、1999年9月12日のPRIDE.7イゴール・ボブチャンチンにグラウンド状態での膝蹴りで失神KO負け。試合後、反則である4点ポジションでの膝蹴りとの判断でノーコンテストと変更されたが、この頃から精彩を欠き始めた。同年11月21日のPRIDE.8エンセン井上と対戦予定であったが欠場、公式には内臓疾患としか発表されなかった[1]が後のドキュメンタリーで薬物中毒だったことが明らかになっている(後述)。2000年に行われたPRIDE GRANDPRIX 2000 決勝トーナメントで藤田和之と対戦。スタミナ不足を露呈し、藤田に判定負けを喫する。2001年7月29日、PRIDE.15ヒース・ヒーリングにTKO負け。その後ZERO-ONEでプロレスを数試合行った後、PRIDEはおろか、マット界から数年の間姿を消した。この間に、自身の麻薬中毒経験がアメリカのドキュメンタリー映画「The Smashing Machine」で明かされ、大きな反響を呼んだ。

2004年PRIDE.27で復帰し山本宜久と対戦するも、自らタックルにいったところでリングに頭部を強打し失神するという、前代未聞の負け方を喫した。敗北自体はケアーの自滅という側面が強いが、かつてのパワーの源であった筋骨隆々の肉体は、薬物乱用と長期のブランクにより弛んで矮小化してしまっており、往年の姿を知る人間にとっては見るも無残な姿であった。2006年にアメリカの大会で復帰が決定したが、怪我で欠場。同年11月にIFLに出場したがレフェリーストップにより敗北。2007年2月10日、イギリスの総合格闘技大会Cage Rageムスタファ・アルタークと対戦するも、パウンドを浴びタップアウト負け。

2009年8月28日、M-1: Breakthroughでキング・モーと対戦し、グラウンドに持ち込まれるとバックからのパンチ連打でTKO負け。

The Smashing Machine[編集]

2003年1月、ケアーの1998年から2000年までを追ったドキュメンタリー番組「The Smashing Machine」が米ケーブルテレビHBOにて放送された[2]。この番組の中でケアーは闘うことへの恐怖を口にし、痛みを抑えるために麻薬鎮痛剤として常用する様子が描かれている。ケアーは1999年11月のエンセン井上戦を前に摂取過多で心臓が一時停止し、生死をさまよっている。その後、薬物依存を脱すべく、リハビリを行う姿が描かれた。なお2001年5月にアルコール依存症の恋人と結婚したと語られた。監督はケアーの友人ジョン・ハイアムズ、ナレーションはマーク・コールマン

戦績[編集]

総合格闘技 戦績
27 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
15 4 7 2 2 0 1
11 5 4 2 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× キング・モー 1R 0:25 TKO(パウンド) M-1: Breakthrough 2009年8月28日
× ジェフ・モンソン 1R 3:17 チョークスリーパー Vengeance Fighting Championship 1 2008年9月27日
× ラルフ・ケリー 1R TKO Xp3: The Proving Ground 2008年7月26日
× トレイシー・ウィリス 1R フロントチョーク C3 Fights: Contenders 2008年6月7日
× オレッグ・タクタロフ 1R 1:55 膝十字固め Yamma Pit Fighting 2008年4月11日
チャック・フース 1R 2:41 V1アームロック CCCF: Battle on the Border 2008年3月29日
スティーブ・ギャビン 1R 1:39 アームロック WCO: Kerr vs. Gavin 2007年11月7日
× ムスタファ・アルターク 1R 2:29 TKO(パウンド) Cage Rage 20: Born 2 Fight 2007年2月10日
× マイク・ホワイトヘッド 1R 2:40 TKO(パウンド) IFL: World Championship Semifinals 2006年11月2日
× 山本宜久 1R 0:10 TKO(パウンド) PRIDE.27 TRIUMPHAL RETURN 2004年2月1日
× ヒース・ヒーリング 1R 4:54 TKO(グラウンドでの膝蹴り) PRIDE.15 2001年7月29日
× イゴール・ボブチャンチン 延長R終了 判定0-3 PRIDE.12 2000年12月23日
ボリショフ・イゴリ 1R 2:06 ネックロック PRIDE.10 2000年8月27日
× 藤田和之 15分1R終了 判定0-3 PRIDE GRANDPRIX 2000 決勝戦
【準々決勝】
2000年5月21日
エンセン井上 15分1R終了 判定3-0 PRIDE GRANDPRIX 2000 開幕戦
【1回戦】
2000年1月30日
イゴール・ボブチャンチン 2R 4:45 無効試合 PRIDE.7 1999年9月12日
高田延彦 2R 3:04 チキンウィングアームロック PRIDE.6 1999年7月4日
ウゴ・デュアルチ 3R 2:32 TKO(戦意喪失) PRIDE.4 1998年10月11日
ペドロ・オタービオ 1R 2:13 チキンウィングアームロック PRIDE.3 1998年6月24日
ブランコ・シカティック 1R 2:14 反則(ロープ掴み) PRIDE.2 1998年3月15日
ドゥエイン・ケイソン 0:54 チョークスリーパー UFC 15: Collision Course
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年10月17日
グレッグ・ストット 0:19 KO(右膝蹴り) UFC 15: Collision Course
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年10月17日
ダン・ボビッシュ 1:39 ギブアップ UFC 14: Showdown
【ヘビー級トーナメント 決勝】
1997年7月17日
モティ・ホーレンスタイン 2:23 TKO(パンチ連打) UFC 14: Showdown
【ヘビー級トーナメント 1回戦】
1997年7月17日
ファビオ・グージェウ 30分終了 判定3-0 World Vale Tudo Championship 3
【決勝】
1997年1月19日
メストレ・フッキ 2:21 反則 World Vale Tudo Championship 3
【準決勝】
1997年1月19日
ポール・ヴァレランス 2:06 TKO(打撃) World Vale Tudo Championship 3
【1回戦】
1997年1月19日

獲得タイトル[編集]

  • World Vale Tudo Championship 3 優勝(1997年)
  • UFC 14ヘビー級トーナメント 優勝(1997年)
  • UFC 15ヘビー級トーナメント 優勝(1997年)
  • 第2回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝(1999年)
  • 第3回 アブダビコンバット 99kg以上級 優勝、無差別級 優勝(2000年)

脚注[編集]

  1. ^ エンセン VS ケァー中止 BOUTREVIEW 1999年11月11日
  2. ^ 「マーク・ケアー "霊長類ヒト科最強"だった男」 『Sports Graphic Number』Nо.589、2003年11月27日号

関連項目[編集]

外部リンク[編集]