PRIDE (格闘技イベント)

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「PRIDE 武士道 -其の七-」での選手紹介

PRIDE(プライド)は、1997年から2007年まで開催されていたイベント興行会社ドリームステージエンターテインメント(Dream Stage Entertainment、DSE)が主催する総合格闘技興行である。2007年よりPRIDE FC WORLDWIDE社がブランドおよび興行権を保有している。海外でのイベント名称はPRIDE Fighting ChampionshipPRIDE FC)。

2000年代前半の総合格闘技においてはUFCと並び世界最高峰の大会であり、日本における総合格闘技人気の火付け役となった。キャッチコピーは「世界最高峰の舞台」

イベント概要[編集]

PRIDEの主な開催イベントシリーズは、「PRIDE.」の後に開催順の数字が入る「PRIDEナンバーシリーズ」、数大会に分けたトーナメントによって優勝者を決定する「PRIDE GRANDPRIX」、実験的要素と日本対世界の対抗戦を軸にしてスタートし、途中から中・軽量級中心に特化した「PRIDE武士道」、大晦日に行われ、当日時間差放送ながらも、フジテレビ系列の地上波放送にて、ゴールデンタイムを含む長時間枠で放送された「PRIDE男祭り」、の4つであった。

1997年の「PRIDE.1」より数か月に1回のペースで「PRIDEナンバーシリーズ」のみを開催していたが、2000年の1月と5月に体重無差別級による「PRIDE GRANDPRIX 2000」を開催。

その後はまた、数か月に1回ナンバーシリーズの興行に落ち着くが、2003年には再び、今度はミドル級選手による「PRIDE GRANDPRIX 2003」を8月、11月の2大会に分けて行う。また、この年の10月に「PRIDE武士道」も初開催される。

そして大晦日の「PRIDE男祭り」は、オリンピックの格闘競技での金メダリストや、他格闘競技のトップ選手などのPRIDEデビュー試合の場として、またはその年に各PRIDEイベントで活躍した選手が一度に集うオールスター大会として開催され、全試合終了後にはカウントダウンイベントも行われた。

2005年から始まったPRIDE武士道では、「中・軽量級」のみの試合を行う興行としてナンバーシリーズ・GPとの差別化が計られるようになったが、2006年11月5日のPRIDE 武士道 -其の十三-をもって同シリーズは終了し、それ以降のナンバーシリーズ、GPにおいて正式に中軽量級のウェルター級(83kg以下)・ライト級(73kg以下)が設置された。

その他の関連するイベント・大会としては、PRIDEへの登龍門を謳い二軍的位置付けだった「MMA THE BEST」シリーズ、東海テレビのテレビ番組「PRE-PRIDE」「PRIDE王」内企画の大会だった「PRE-PRIDE」シリーズ、興行的要素を一切排したアマチュア選手のための大会「PRIDEチャレンジ」がある。

沿革[編集]

旗揚げ[編集]

1997年10月11日に第1回大会「PRIDE.1」が開催され、高田延彦 vs. ヒクソン・グレイシーの試合で注目を集める。以後定期的に開催され、アメリカUFC日本K-1に並ぶ格闘技イベントに成長した。

初期には、スタンディングバウトルール、空手ルール、組み技ルールなど夢の対戦カード実現の舞台として、色々なルールも試行されたが、その後は総合格闘技ルールに一本化。立ち技のK-1に対して、立ち技も寝技もありの総合格闘技として認知された。

PRIDE.1からPRIDE.4までは、実行委員会形式のKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)が母体となって運営。KRSは、小室哲哉のスーパーバイザーを務めていたTKトラックス社長喜多村豊をイベントスーパーバイザーに(小室と喜多村は早実の同級生)、G-PROMOTION社長岩本龍季をチーフプロモーターに(尾崎豊メモリアル展、X JAPAN写真展等、榊原と共同プロデュース)、東海テレビ事業榊原信行をチーフプロデューサーとして、3社で企画立案運営主管になり、名古屋の広告代理店(DSE前社長森下直人が在籍した名古屋の家電チェーン・エイデン子会社のハドック、パーフェクTV!-現スカパー!の広告代理店)、メディアファクトリーをスポンサーに付け開催した。

そもそもPRIDEは、高田延彦ヒクソン・グレイシーの試合を実現するためだけに立ち上げられたイベントであった。きっかけは東海テレビ事業時代の榊原信行とG-PROMOTION岩本龍季2人がUWFインターナショナルの名古屋大会を開催し、高田延彦と深夜まで飲み明かし、高田が『もし、選手生命を賭けて試合をするならば、ヒクソンとやりたい!!』と語ったことだった。その10日後に偶然、ヒクソンの写真集を制作する話があり、ヒクソンと榊原が会うことになっており、ここから対戦の計画が始まった。当初の企画書で、K-1の石井和義館長の名前が総合プロデューサーに名前を連ねていたのも、榊原が東海テレビ事業時代にK-1名古屋大会の運営をしていたためでの配慮ある。

しかし、旗揚げするには、様々な障害が発生した。 第1に、ヒクソンの高額なギャラであった。手付け金の数千万をK-1の石井館長に借財し、榊原が契約を取り付けた。 その後、この金銭が問題になりイベント開催に障害が起こった。 石井館長がK-1主催でのイベント開催を主張したために、独自開催を主張した主管3名が当時、関西の実力者石原貴志(本名 金徳珠)に紛争仲裁を依頼し独自開催に漕ぎつけた。

DSE時代[編集]

1999年1月20日に株式会社ドリームステージエンターテインメント(DSE)が発足し、実行委員会組織での運営に限界があったKRSに代わり、PRIDE.5から運営を担当することになった。社長にはKRSで調整役として活躍した森下直人が就任。株の過半数を持つオーナー社長だったという[1]2000年8月27日のPRIDE.10で、アントニオ猪木エグゼクティブプロデューサーに、2003年1月8日に森下直人が死去した後任の社長に榊原信行常務取締役が、2003年4月には、高田延彦がPRIDE統括本部長に、それぞれ就任。公的な役職には就いていはいないものの、作家の百瀬博教もプロデューサー的な立場だったと言われる(百瀬の公式ウェブサイトでは、興行を「百瀬博教プロデュース」と明記されていた)。なお、榊原体制発足時にテレビ制作会社イーストとスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(現・スカパーJSAT)の資本がDSEに入った[2]

K-1UFCなどの他興行との協調路線を打ち出しており選手層の拡大が期待されたが、PRIDEがK-1からミルコ・クロコップを引き抜いたのをきっかけにK-1とは険悪な関係になり、日本の格闘技ブームの一つの頂点とも言える2003年12月31日の興行戦争[3]以来、K-1との対立は決定的になり、猪木、百瀬は離反した。

2001年11月3日、PRIDE.17でヘビー級(93kg以上)とミドル級(93kg以下)の王座の新設に伴い王者決定戦が行われ、アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラヴァンダレイ・シウバがそれぞれ初代王者となった。

2003年ミドル級GPが2004年にはヘビー級GPが行われる。また2005年には再びミドル級GPが行われたほか、武士道においてウェルター級およびライト級のGPも開催された。

2004年12月31日、『PRIDE男祭り 2004 -SADAME-』において国際レスリング連盟(FILA)会長のラファエル・マルティニティと、日本レスリング協会会長の福田富昭がリング上より「FILAはアマチュアレスラーのプロ格闘技活動を公式に認め、今後協会よりオリンピックメダリストをはじめ、世界中の強豪レスラーをPRIDEに送りこむ」という内容の挨拶を行う。

地上波放送打ち切り[編集]

地上波放送を手がけていたフジテレビが重大な契約違反があったことを理由に、2006年6月5日付けでDSEとの契約を全面解除した[4]。DSEは6月8日に開いた会見で契約解除の理由は不明としながらも、『週刊現代』が「DSEに暴力団関係者の出入りがあったとの疑いがある」と報じたことが契約解除の原因であろう、と榊原社長は推測している(詳細は後述)。6月8日にはPRIDE公開記者会見が東京プリンスホテルで行われることとなった。当日は多くのマスコミ、1千名を超えるファンがつめかけ、さらには藤田、吉田、五味らのPRIDEファイターが30名以上出席する中で会見が行われた。

7月1日にはフジテレビのPRIDE地上波放送撤退後初めての興行が開催された(PRIDE 無差別級グランプリ 2006 2nd ROUND)が、会場の電飾がシンプルになり、また、選手紹介VTR(煽りVTRと呼ばれている)の作りが大味になるなど、フジテレビ撤退による影響が決して小さくはないことをうかがわせた。しかし、2006年11月5日のPRIDE武士道では、10月31日付けでフジテレビを退社した元PRIDE地上波放送のチーフ・ディレクターの佐藤大輔と、ナレーターの立木文彦が復帰した。

イベント消滅[編集]

2007年3月27日、東京・六本木ヒルズアリーナで記者会見が行われ、DSEはアメリカの総合格闘技イベントUFCおよび同イベントを主催するズッファ社のオーナーであるロレンゾ・フェティータに興行権を譲渡するとともに、本社を米・デラウェア州に置く新会社「PRIDE FC WORLDWIDE (Pride FC Worldwide Holdings, LLC)」の設立が発表された[5]。4月8日のPRIDE.34がDSE体制として最後の興行となった。だが、2007年5月に開催予定だったライト級グランプリは準備不足のため夏に延期になるなど、新体制発足後は興行開催の目途が全く立たない先行き不透明の状態が続いた。そのため提携先のUFCやDEEP、さらに最大のライバル団体であったHERO'Sへと選手が流出した。また、2007年4月17日にDSEが開いた臨時株主総会で法人解散を決議したことが官報に公示された。

2007年10月4日、PRIDE FC WORLDWIDE日本事務所の解散と運営スタッフの解雇がなされたことが報じられ、PRIDEは事実上消滅した[6]。これについてPRIDE FC WORLDWIDE側は、事務所の解散およびスタッフの解雇は日本でのイベント開催が不可能になったことに起因するもので、それらは旧DSEの元役員の協力不足によるものであるとする声明を発表した[7]

その後もPRIDEの権利はPRIDE FC WORLDWIDEが保持しているが、2008年2月にアメリカでPRIDE FC WORLDWIDEと関連会社が榊原信行らを相手取り協力不足や情報開示がされなかったこと等を理由に、これまでに支払われた金銭の返還とPRIDEを維持する義務の免除を求める訴訟を起こした。これに対して、榊原側はPRIDEの興行継続を断念したことは契約違反だとして、フェティータ兄弟とPRIDE FC WORLDWIDEを同年4月に訴えている[8][9][10]

PRIDEの消滅に伴い、ここを主戦場としていた選手らの多くは各所に流出していった。2008年度前半期には、UFCへと流出した元PRIDE選手らが、UFCのヘビー級からミドル級までの3階級を全て制覇し、UFC王者の過半数を元PRIDE選手が占めるという事態が起こった。

一夜限りの復活[編集]

2007年11月21日の会見で同年の大晦日にロシアの総合格闘技プロモーション「M-1 Global」のサポートを受け、旧PRIDEスタッフの手により一夜限りでイベント「やれんのか! 大晦日! 2007」を開催することとなった。統括本部長は高田延彦が務めた[11]。大会後、高田延彦は「やれんのか!」について、PRIDEで行ってきたスタイルとしては最後のイベントであると語った[12]

新イベント[編集]

2008年2月13日には「DREAM」の旗揚げが発表、同年3月5日には「戦極」の旗揚げ戦が開催され、事実上PRIDEからの新たな継承団体が生まれた。

ヤクザ、暴力団との関わり[編集]

地上波放送打ち切り、契約解除の理由については、守秘義務を理由に明らかにされていないが、フジテレビ広報部は「DSE内で放送を継続することが不適切な事象があったため、契約違反に該当する」と主張している。一方のDSEは6月8日に開いた会見で契約解除の理由は不明としながらも、『週刊現代』が「DSEに暴力団関係者の出入りがあったとの疑いがある」と報じたことが契約解除の原因であろう、と榊原社長は推測しているが、この報道内容については捏造であると榊原は全面否定した[13]。これに先立つ4月17日に『週刊現代』と情報源となった人物を名誉毀損罪と偽計業務妨害罪で横浜地方検察庁に告訴している[14]

しかし、2007年にPRIDEを買収したUFC代表のダナ・ホワイトは、PRIDEの大会開催を目指していたが開催できずにPRIDEが消滅したことについて、「我々にはPRIDEのための計画があったし、日本大会を開催するつもりだった。しかし、そこにはヤクザ、マフィアが横行していた。あそことビジネスをするのは実に面倒だ。ヤクザのせいでPRIDEというブランドが消滅することになってしまったのは非常に残念だ」と語っている[15]

また、UFCの日本大会開催についても「UFCが日本大会を開催しようとするたびにヤクザが妨害してくるんだ。彼らは私のことを殺そうと思っている。我々は彼らにどう対応すべきか考えないといけない…悪党どもに対してね」と語っている[16]

その後、2012年にUFCは日本再上陸に成功した。

八百長問題[編集]

2001年7月29日のPRIDE.15における桜庭和志クイントン・"ランペイジ"・ジャクソン戦において、試合前にPRIDE幹部がジャクソンに対して「ノックアウト負けかサブミッションによるタップアウト負けをしてくれたら2000ドルのボーナスを支払う」と打診していたことを2007年にジャクソンが告白した。この『片八百長』の打診に対してジャクソンは「俺は金で負けるようなファイターじゃねぇ!俺はそんなことはしない!」と言って拒否したため、試合自体は真剣勝負で行われた。この件についてジャクソンは「俺は言ったさ。『じゃあ俺がヤツをKOしたらどうなるんだい?』とね。そしたら『1万ドルのままです』と。そこでようやく連中の言いたいことが解ったってわけさ」「この時は日本で初めての試合でビッグショーだった。連中が向こうに勝って欲しいというムードをひしひしと感じたよ」と語っている。また、「八百長を打診してきたのは最近PRIDEを離れた二人の人物(このインタビューが行われたのは2007年6月)」「当時のPRIDEの社長である森下直人がこのことを把握していたかどうかは不明」「相手の桜庭がこのことを知っていたかは不明」と語っている[17]

2002年11月24日のPRIDE.23における桜庭和志対ジル・アーセン戦において、アーセンはジャクソンと同様の片八百長を「打診ではなく、無理やり強要された」と激怒している。この試合の直前に桜庭は膝を負傷していたが、高田延彦引退興行に花を添えるためメインイベンターとして強行出場し、アーセンから腕挫十字固で一本勝ちを収めている。この試合でのアーセンの動きは、不自然に消極的であり、最終的には腕ひしぎが完全に極まっていない状態で早々とタップしている。

また、勝敗を決めるような八百長ではないが、試合展開に対する要望を選手に注文する事があったといわれる。PRIDE.21における高山善廣対ドン・フライ戦の際には1Rはテイクダウンを行わずスタンドで殴り合うよう、ボーナスと引き替えに試合前取引があったとドン・フライはのちに証言している。

テレビ中継[編集]

地上波放送[編集]

発足当初、高田延彦の希望で地上波でのテレビ放送が模索され、一時日本テレビで放送という話があったものの[18]、パーフェクト・チョイス(現スカチャン)のPPV放送に落ち着いた。PPV重視は一貫してPRIDEの基本姿勢ではあったが、2004年から2006年まで一部の試合は試合当日ないしは同週の夜にフジテレビで録画放送されていた。

東海テレビは、PRIDE.1のパーフェクTV!(当時)での中継映像を約1時間に編集し、後日、東海地区ローカルで放映した(1997年10月31日 深夜2:00 - 2:55 「PRIDE1」)。同局はさらに、DSEが発足したPRIDE.5からは全ての大会を中継するようになった。テレビ東京の格闘技番組『格闘コロシアム』、中京テレビの格闘技ミニ番組『夢格闘・ドリームファイト』(提供はDSE)、フジテレビの格闘技番組『SRS』など、各テレビ局でPRIDEの試合が放送されることはあったが、2000年にフジテレビが大会主催者として加わるようになると、PRIDEはフジテレビ系のコンテンツとなった。特に東海テレビは、PRIDE情報を扱うレギュラー番組・『PRIDE炎のリング』(ミニ番組・提供はスカイパーフェクTV!)、『PRE-PRIDE』(新人ファイター発掘オーディションを兼ねた情報番組)、『PRIDE王(キング)』を作り続け、中継がゴールデン・プライムタイム以外の場合は、フジテレビとは別に独自の編集で中継番組を制作・放映し、PRIDEを重要コンテンツとして取り扱った。

2006年6月5日、フジテレビはDSEとの契約を全面解除し、番組の放送を取りやめることを発表。そのため、フジテレビ系の地上波で放送されるはずであったPRIDE 武士道 -其の十一-とハッスル・エイド2006(いずれもDSEがプロデュース)の放送がいずれも中止された。武士道-其の十一-に至っては、契約解除の前日にパーフェクト・チョイスのPPV放送がフジテレビスタッフにより中継されており、またそれまで地上波では深夜放送だった武士道シリーズが其の十一で初めて地上波ゴールデンタイムで放送されることが内定していながら中止となってしまった[19]。同時に東海テレビも追随を余儀なくされ、PRIDE情報を扱うレギュラー番組『PRIDE王』が休止となった。さらに、パーフェクト・チョイスを運営するペイ・パー・ビュー・ジャパン(PPVJ、現スカパー・ブロードキャスティング)の親会社かつスカパー!運営会社でもあるスカイパーフェクト・コミュニケーションズ(スカパー、現・スカパーJSAT)の主要株主に、フジテレビが名を連ねていたため、パーフェクト・チョイスのPPV放送についても放送中止が一時懸念されたが、スカパーは放送継続を決定した。

地上波およびPPV放送以外では、過去の試合を取り上げて放送する「PRIDE REVIVAL」という番組が、J sports ESPNで、FIGHTING TV サムライでは「PRIDE武士道マガジン」という番組が放送されている。なおPRIDEは、全米・ブラジルでのPPV放送のみならず韓国インドネシアロシア連邦・ヨーロッパの一部と世界各国で放送されており、PRIDE.32では全世界へ向けたインターネットによる有料配信も行われた。

インターネット配信[編集]

光ファイバ・インターネットサービス「TEPCOひかり」のコンテンツサイトcasTY内の「PRIDEひかり道」では多くの試合なども流される(司会:ユウキロック(ハリガネロック)、須之内美帆子、ふるけいこ)。

2006年にフジテレビの放送が契約解除されてからは、パーフェクト・チョイスのPPV放送とともに、インターネットを通じた試合の配信が開始された。

パーフェクト・チョイスのPPV終了後に、デジタルメディアマート(DMM)による有料配信、さらにDMMによる有料配信が終わると、「あっ!とおどろく放送局」が無料配信する順序となっていた。選手紹介の煽りビデオと入場はカットとなっている。

なお、「あっ!とおどろく放送局」での無料配信は、PRIDE.32までで終了。引き続きDMMは、PRIDE 男祭り 2006の生中継と録画配信を行った。インターネットを通じたPRIDEの生中継はこれが初である。生中継ではオンデマンド配信と異なり、選手紹介も入場もノーカットだった。

PRIDE.34は、ライブ・エンターテインメント・チャンネル「LIVE MASTER」が有料による録画の配信をした。

PRIDE.34からは「ShowTime」により独占ライブ配信と録画配信。期間を置いた後、GyaOで無料配信が行われることになった。

実況、解説[編集]

KRS時代には、当時格闘技通信編集長だった朝岡秀樹や格闘技ライターの近藤隆夫、格闘家の中井祐樹などが務めた。DSE体制のPRIDE.5以降は、谷川貞治と高田延彦が主に解説し、実況はフジテレビと東海テレビのスポーツ実況アナウンサーが担当した。2002年2月からはタレントの小池栄子がキャスターとして登場した他、過去のゲストには、大槻ケンヂ畑野浩子長谷川京子石橋貴明などがいる。2003年に谷川貞治がFEG社長に就任したため降板した後は、主に高田延彦が解説を務め、PRIDEに出場している格闘家が時折ゲスト解説していた。

また、東海テレビが東海地区のみで放映した独自編集版(「テレビ中継」の項参照)では、当時自社製作していたPRIDE情報番組のナビゲーターが、そちらでもそのままナビゲーターを務めた(「PRIDE炎のリング」と「PRE-PRIDE」がリサ・ステッグマイヤー、「PRIDE王」が佐藤江梨子)。

フジテレビの放送中止後は、解説を高田延彦と高阪剛、実況を矢野武市川勝也が担当している。

アメリカ向けPPVの解説は格闘家のバス・ルッテンが行った。

フジテレビで放送していた時の番組スタッフ[編集]

  • 総合演出:佐藤大輔
  • プロデューサー:滝澤美衣奈
  • チーフプロデューサー:清原邦夫
  • 制作:フジテレビスポーツ部

視聴率[編集]

2003年から始まった大晦日に開催される男祭りでは日本テレビからの選手の横取りなどで出遅れたものの、2005年にはTBSで放送されていた「K-1 PREMIUM Dynamite!!」などにも視聴率では上回っている。

テーマ曲[編集]

PRIDEの大会テーマ曲は高梨康治の作曲による、開会式などで使用される「PRIDE」と、勝利時などで使用される「Victory」の2曲である。「PRIDE」はオフィシャルサイトの大会前の煽り映像にも使用されるなど、2曲はまさにPRIDEを形成する一部であるといえる。また、これらの曲を収録したCDも発売されている(2000年4月26日発売)。フジテレビの中継放送のテーマ曲は、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのアルバム「バトル・オブ・ロサンゼルス」収録曲の「ゲリラ・レイディオ(Guerrilla Radio)」であった。2005年12月31日の「PRIDE 男祭り 2005 頂-ITADAKI-」から「PRIDE feat. Erick Martin」の「THE LAST MAN STANDING」が使用されていた。

階級、王座[編集]

階級 重量区分 現王者
ヘビー級 93kg以上 ロシアの旗 エメリヤーエンコ・ヒョードル
ミドル級 93kg未満 UFC世界ライトヘビー級王座へ統合・消滅[20]
ウェルター級 83kg未満 UFC世界ミドル級王座へ統合・消滅[21]
ライト級 73kg未満 日本の旗 五味隆典

ルール[編集]

概要[編集]

通常のパンチ・キックに加え、パウンド関節技絞め技、および4点ポジション(両手足をマットについた状態、実質的にはグラウンドの状態)での頭部への蹴り(サッカーボールキック、踏みつけを含む)および膝蹴り、が有効となる。ただし、4点ポジションでの頭部への蹴りおよび膝蹴りについては、対戦する選手の体重差が、両選手ともヘビー級の場合で15kg以上、いずれか一方の選手がミドル級以下の場合で10kg以上ある場合には、体重の軽い側の選手が当該攻撃の有り・無しを選択することができる。

なお、アメリカ大会(PRIDE.32PRIDE.33)ではネバダ州アスレチック・コミッション(NSAC)が認可したルールを採用した(5分3R、4点ポジションでの頭部への蹴りの禁止等)。当該ルールでは頭部・顔面への肘打ちが有効であるが、大会開催時には従来のPRIDEルール同様、禁止となった[22]

ラウンド[編集]

1R10分・2R5分・3R5分(ラウンド間のインターバルは2分)の変則3R制を採用している。ただし武士道およびグランプリトーナメント準決勝に関しては1R10分・2R5分(ラウンド間のインターバルは2分)の変則2R制となる。

リング[編集]

通常の7m四方の正方形リング上で行われる。

選手の服装[編集]

オープンフィンガーグローブマウスピースファウルカップ、トランクスまたはスパッツを着用して試合をする。道衣やレスリング用のシューズなどの着用を認めている。

勝敗[編集]

KO、ギブアップ、TKO(レフェリーストップ、ドクターストップ、タオル投入)、反則、判定などにより決する。なお、判定においては必ず勝敗を決し、ドロー裁定のないマストシステムが採用されている。判定は3名のジャッジにより行われ、ポイント制ではなく試合全体での優劣により判定される。なお、判定基準の順位は以下の通りである。

  1. KO、ギブアップを狙う姿勢
  2. 相手に与えたダメージ
  3. 打撃のコンビネーション・グラウンドコントロール
  4. テイクダウン・ディフェンス
  5. アグレッシブさ
  6. ウェイト(両選手に10kg以上の体重差があった場合)

反則[編集]

  1. 噛みつき
  2. 目潰しおよび目突き
  3. 頭突き
  4. 金的攻撃
  5. 頭髪を掴む
  6. 手指を用いて気管を押しつぶす・喉をつかむなど喉へ対する直接的な攻撃(PRIDE.17で、トム・エリクソンマット・スケルトンの喉を手の指で上から押さえつけるチョーク攻撃を行った際に、スケルトンが声帯損傷を負ったため、次大会から反則に追加された。なお、公式記録では「ギロチンチョーク」が決まり手と記載されている)
  7. 後頭部・延髄・脊髄への打撃攻撃(後頭部とは、頭の真後ろのことをいい、側面、耳の周りは後頭部とはみなさない)
  8. 頭部・顔面への肘打ち
  9. 故意にロープを掴んで離さない、また故意にロープに手、足を引っかけてはならない。上腕部分をロープに引っかける行為は即、注意とする。
  10. リング外へ逃げる
  11. 相手をリング外へ投げる
  12. 試合中、相手に対しダメージを与えると認められない無気力な攻撃、および膠着を誘発する動き
  13. 試合中の選手による非人道的な行為(なお、この行為に対して審判団は、試合中以外にも注意や警告を出すことができる)

参戦選手[編集]

詳しくは「PRIDE選手一覧」を参照。

スタッフ[編集]

リングアナウンサー[編集]

特別リングアナウンサー[編集]

大会一覧[編集]

詳しくは「PRIDEの大会一覧」を参照。

脚注[編集]

  1. ^ PRIDE 森下社長の社葬に国内外のPRIDE戦士が多数参列」 BoutReview 2003年1月16日
  2. ^ PRIDE 榊原社長&高田統括本部長の初お披露目。8.10ミドル級GP開幕」BoutReview 2003年4月16日
  3. ^ DSEとフジテレビPRIDE 男祭り 2003さいたまスーパーアリーナ)、アントニオ猪木と日本テレビINOKI BOM-BA-YE 2003神戸ウイングスタジアム)、K-1とTBSK-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!ナゴヤドーム)の三つ巴。
  4. ^ 格闘技『PRIDE』の放送対応中止についてのお知らせ フジテレビ公式サイト 2006年6月5日
  5. ^ [PRIDE]UFCオーナーのロレンゾ・フェティータ氏がPRIDEの全権掌握 BoutReview 2007年3月27日
  6. ^ 【PRIDE】PRIDEスタッフ全員に解雇通知、事務所も閉鎖「ファンの皆様に申し訳ない」 GBR 2007年10月4日
  7. ^ PRIDE東京事務所閉鎖は元役員の協力不足が原因 米国側が声明文発表 スポーツナビ 2007年10月10日
  8. ^ Adam Swift Background Checks at Center of Multi-Million Dollar Pride Lawsuit Sherdog Adam Swift 2008年2月8日
  9. ^ Adam Swift Former Pride Owners Sue Zuffa Holding Companies, Fertittas Sherdog 2008年4月7日
  10. ^ 『kamipro』No.128、エンターブレイン
  11. ^ PRIDEが一夜限りの復活!? 噂の大みそか格闘技イベント「やれんのか!」開催決定! スポーツナビ 2007年11月21日
  12. ^ 高田延彦、激白!「やれんのか!」を振り返る=『格闘技通信』発「PRIDEでやってきたあのスタイルを集約した形としては最後」 スポーツナビ 2008年2月7日
  13. ^ フジテレビ放送中止に関してDSE榊原代表が会見「応援してくれるファンがいればPRIDEは潰れない」」 PRIDE公式サイト 2006年6月8日(Internet Archive)
  14. ^ 榊原信行「親愛なるPRIDEファン並びに選手・関係者の皆様へ」 PRIDE公式サイト 2006年5月3日(Internet Archive)
  15. ^ 17/10/08 - Dana:Organised crime blocks international expantion Fighters Only Magazine 2008年10月17日
  16. ^ Dana White Says UFC Won't Back Down From Opposing Floyd Mayweather Event MMA FanHouse 2009年8月7日
  17. ^ Jackson: PRIDE Offered Bonus to Lose SHERDOG 2007年6月12日
  18. ^ 金子達仁『泣き虫』幻冬舎、2003年、p248.
  19. ^ kamipro』No.129、エンターブレイン浅草キッドの発言。
  20. ^ 2007年9月8日、UFC 75において第2代ミドル級王者ダン・ヘンダーソンがUFC世界ライトヘビー級王者クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンに敗れ、ミドル級王座はUFC世界ライトヘビー級王座へ統合された。
  21. ^ 2008年3月1日、UFC 82において初代ウェルター級王者ダン・ヘンダーソンがUFC世界ミドル級王者アンデウソン・シウバに敗れ、ウェルター級王座はUFC世界ミドル級王座へ統合された。
  22. ^ PRIDE NEVADA OFFICIAL RULES PRIDE公式サイト(Internet Archive)