ブランコ・シカティック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ブランコ・シカティック
基本情報
本名 ブランコ・シカティッチ
通称 伝説の拳
国籍 クロアチアの旗 クロアチア
誕生日 1954年10月15日(59歳)
出身地 クロアチアの旗 クロアチア
身長 189cm
体重 98kg
スタイル キックボクシング
テンプレートを表示

ブランコ・シカティック[1]Branko Cikatić、男性、1954年10月15日 - )は、クロアチア出身のキックボクサー。最終所属はドージョー・チャクリキ

初代K-1 GRAND PRIXのチャンピオンであり、「伝説の拳」「石の拳」と言われ驚異のKO率を誇った。スイング(大きい弧を描きながら打つ大振りのフック)を得意技とし、実際に多数のフィニッシュ・ブローとなった。また右ストレート、カウンター気味のショートの左フックも得意としていた。'94 K-1 GRAND PRIX の佐竹戦には秘密兵器としてバックスピンキックも用意してきた。ファイトプランの特徴として3round制でも5round制でも、必ず勝負ポイントに自分からプレッシャーをかけ倒しに行った。この圧力は相当なものでチャンプア・ゲッソンリット、佐竹雅明、アーネスト・ホースト、アンドレ・マナートといった強豪が軒並みKOされている。

ミルコ・クロコップの師匠であったが、壮絶な喧嘩の末仲違いをしている。シカティックによるとミルコ側の人間に襲撃されそうになったこともあるという。

元軍人で、クロアチア紛争にも参加したという異色の経験を持つ。

来歴[編集]

1993年4月30日、K-1 GRAND PRIX '93に参戦。既に38歳であったが、1回戦でチャンプア・ゲッソンリット、準決勝で佐竹雅昭、決勝ではアーネスト・ホーストをそれぞれKOで破り、初代K-1王者となった。

1994年12月10日、K-1 LEGEND 乱で自身の引退試合(引退の理由は衰えなどではなく、当時のクロアチア独立戦争に参加するため)を行い、アーネスト・ホーストと1年8か月ぶりに再戦。KO勝ちで返り討ちにし、引退を飾った。また、シカティック本人が、自身のベストバウトとして、この試合を挙げている。引退後は予定通り、クロアチアの特殊コマンド部隊教官として、スポーツ選手で構成された部隊を率いて、戦場に出た。

1997年3月16日、K-1 KINGS '97で現役復帰し、ムサシ(現・武蔵)にKO勝ち。同年7月20日、K-1 DREAM '97でサム・グレコに生涯初のKO負け。この試合でシカティックは立ったまま失神した。グレコによるラビットパンチ(後頭部へのパンチ)があったとインタビューで答えている。「チャクリキに痛いという感情はない」という自身の言葉を実証した形になった。

1997年9月7日、K-1 GRAND PRIX '97の1回戦でマイク・ベルナルドと対戦する。1ラウンド開始直後にお互いに打ち合いに行った際、ベルナルドとシカティックの額が当たり、そのままベルナルドの連打を浴びて倒れる。一旦試合が止まりシカティックの額の傷の深さからドクター、レフリーが試合を止めTKO負けとなる。石井和義K-1プロデューサーがリングのエプロンでマイクを握り客席に向かって説明を行った。以降シカティックはK-1のリングには上がっていない。

1997年10月11日、総合格闘技PRIDEに参戦。PRIDE.1ラルフ・ホワイトと対戦。グラウンド状態のホワイトにシカティックのキックが当たり、「ノーコンテスト」となった。

1998年3月15日、PRIDE.2マーク・ケアーと対戦。ケアーのタックルに倒されないようにロープ掴みを連発し、反則負け。ホイス・グレイシーの欠場による緊急参戦であった。

1999年9月12日、PRIDE.7モーリス・スミスと対戦。1Rギロチンチョークで一本負け。

2005年7月18日、WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!-で金山裕文と対戦し、1-0の判定ドローとなった[2]

現在は母国クロアチアで警備会社「タイガー・シカティック」の代表取締役として、クロアチアの要人(大統領や大臣)の警護などを業務とする会社を経営している。また、日本クロアチア協会の常任理事も務めている。その一方で、M-1という格闘技イベントを主催しており、時折試合に出場することもある。

戦績[編集]

キックボクシング[編集]

  • 戦績 169戦 150勝 15敗 3分 138KO 1NC
  • K-1: 11戦 6勝 5敗 6KO
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
金山裕文 2R終了 判定1-0 WORLD OYAZI BATTLE -SAMURAI RETURN!- 2005年7月18日
ベンケイ佐藤 1R KO The Kakidamishi 1 1999年7月11日
ラルフ・ホワイト 1R 1:52 ノーコンテスト PRIDE.1【スタンディングバウト】 1997年10月11日
× マイク・ベルナルド 1R 0:38 TKO(ドクターストップ:額負傷) K-1 GRAND PRIX '97 開幕戦
【1回戦】
1997年9月7日
× サム・グレコ 1R 2:58 TKO(3ノックダウン:右フック) K-1 DREAM '97 1997年7月20日
ムサシ(現・武蔵) 4R 1:38 KO(右ストレート→タオル投入) K-1 KINGS '97 1997年3月16日
アーネスト・ホースト 2R 1:18 KO(右ストレート) K-1 LEGEND 乱 1994年12月10日
× スタン・ザ・マン 5R終了 判定0-3 K-1 REVENGE 1994年9月18日
× 佐竹雅昭 3R終了 判定0-2 K-1 GRAND PRIX '94
【準決勝】
1994年4月30日
アンドレ・マナート 2R 0:16 KO(右フック) K-1 GRAND PRIX '94
【1回戦】
1994年4月30日
× アンディ・フグ 5R終了 判定0-3 K-1 CHALLENGE 1994年3月4日
アーネスト・ホースト 1R 2:49 KO(右ストレート) K-1 GRAND PRIX '93
【決勝】
1993年4月30日
佐竹雅昭 3R 0:45 KO(左フック) K-1 GRAND PRIX '93
【準決勝】
1993年4月30日
チャンプア・ゲッソンリット 1R 2:35 KO(右ストレート) K-1 GRAND PRIX '93
【1回戦】
1993年4月30日

総合格闘技[編集]

総合格闘技 戦績
2 試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合
0 0 0 0 0 0 0
2 0 1 0 1
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
× モーリス・スミス 1R 7:33 ギロチンチョーク PRIDE.7 1999年9月12日
× マーク・ケアー 1R 2:14 反則(ロープ掴み) PRIDE.2 1998年3月15日

獲得タイトル[編集]

  • アマチュア
    • 第3回WAKOヨーロッパ選手権大会フルコンタクト部門男子79kg未満級 優勝(1978年)[3]
    • 第4回WAKOヨーロッパ選手権大会キックボクシング部門男子79kg未満級 優勝(1980年)[4]
    • 第5回WAKOヨーロッパ選手権大会フルコンタクト部門男子79kg未満級 優勝(1981年)[5]
    • 第2回WAKO世界選手権大会フルコンタクト部門男子74kg未満級 3位(1979年)[6]
  • プロ

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]