WWE・ロウ

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WWE Raw
フォーマット スポーツ・プロレス
製作者 ビンス・マクマホン
出演者 WWEロースター
アメリカ合衆国
シーズン数 19[1]
話数 1,003 (as of August 13, 2012)
製作
製作総指揮 Kevin Dunn
プロデューサー Arn Anderson
Gerald Brisco
撮影体制 マルチカメラセットアップ
放送時間 Approximately 3 hours per episode
(2 hour 20 minutes and commercials)
製作会社 WWE
放送
放送局 USAネットワーク (1993–2000, 2005 – present)
TNN/Spike TV(2000–2005)
映像 480i (SDTV),
1080i (HDTV)[2]
放送期間 1993年1月11日 (1993-1-11)[3] – present
関連番組 WWE SmackDown
WWEメイン・イベント
WWE Saturday Morning Slam
外部リンク
Official website

ロウRAW)は、アメリカプロレス団体WWE(旧名:WWFより2002年に改名)が毎週放送するテレビ番組の一つである。SmackDown!とともにWWEの看板レギュラー番組である。

毎週月曜日に放送されており、1993年1月11日から始まり[3]現在アメリカで最も長く続いているウィークリー番組である。

SmackDown!が現地会場で収録した映像ソースに編集を加える、録画放送形式を取っているのに対し、RAWは基本的にレギュラー番組の中で唯一、生放送[4][5] の形式を取っているのが特徴である。番組のイメージカラーは赤。また試合内容よりストーリーを重視している。

概要[編集]

1993年1月11日、WWFの看板番組としてスタートする。アメリカでの放送時間が月曜日の夜であったことから、番組名は「Monday Night RAW」であった。1995年には当時WWFが競っていたライバル団体、WCWエリック・ビショフが中心となって、裏番組マンデー・ナイトロ(Monday Nitro)をスタートさせ、両番組は激しい視聴率合戦を繰り広げ、Monday Night Warなどと呼ばれた。

1997年からWWFはファミリー路線から一転、アティテュード(Attitude)路線に番組内容を大幅転換する(これに伴い、番組名を「RAW IS WAR」へと変更)。路線転換直後は苦戦を強いられていたが、次第に形勢を巻き返すようになり、1998年には、これまで視聴率で負け続けていたRAW IS WARが初めてWCWのマンデー・ナイトロの視聴率を上回った[6]

1999年からはSmackDown!がスタートし、WWFの2枚看板となる。この時点では、SmackDown!とRAWは同じストーリーが展開されていた。2001年3月には経営的に圧倒的に有利になったWWFがWCWを買収し、ここに長年の視聴率戦争が終息を迎えることとなる。なお、WCWの終焉に際してはMonday NitroにWWF副会長のシェイン・マクマホンが登場、番組中にWWFがWCWを買収したとの事情説明を行い、全世界に衝撃を与えた。ここに "企業" としてのWCWは滅亡したものの、それまでWCWに属していたレスラー達の多く(ブッカー・Tダイヤモンド・ダラス・ペイジなど)はWWFに雇われ、同年6月以降に展開されるWCW/ECW連合軍(アライアンス)によるWWF侵略ストーリー[7]を介してWWFファンの前にも姿を表し、同年11月のサバイバー・シリーズ(Survivor Series)までの間、WWF所属レスラーと抗争を繰り広げる。同年9月にアメリカ同時多発テロ事件に配慮し番組名を「RAW IS WAR」から「RAW」へと変更する。

2002年3月26日にRAWとSmackDown!の間に番組分割が実施される。共通のストーリーが展開されていた両番組が、以後は基本的にそれぞれで異なるストーリーが展開されるようになる。この時、同時に行われたドラフトにWWFに所属する大半のスーパースターが対象とされ、一部の例外[8]を除き、各々はRAWとSmackDown!のいずれかの専属スターとなり、番組毎に異なる特色を持つ2リーグ制がスタートした。これに伴って各番組毎に、番組統括役としてGM(ゼネラルマネージャー)が設定された。
初代GMはRAW側:リック・フレアー SmackDown!側:ビンス・マクマホン

4月1日番組分割・ドラフト後の最初のRAW。ロゴの変更に加え、番組セットが変わり、巨大スクリーンが従来の長方形から平行四辺形になった。(SmackDown!は変わらずそのまま。)同年5月にWWFがWWEと改名し、「WWE RAW」として進行していく。

2009年現在ではHD放送が始まり、番組セットも2002年当時から大幅に変えられている。

2011年9月12日より、番組名を「RAW SuperShow」に変更。

2012年7月23日の放送で1000回を迎えた。これに伴い番組名を「RAW」に戻したほか、同時にそれまで2時間だった放送時間を3時間に拡大した[9]

(現在はECWの終了後2010年2月23日から放送されていたNXT2012年8月よりFCWと合体してNXTレスリングとして始動し、数名をRAW、SmackDown!に輩出している。

また、RAWSmackDown!番組間の区別は無くなり、中堅のスターさえもが垣根を越えて様々な番組に出演する光景がよく見られるようになっている。)

GM[編集]

SmackDown!同様、RAWにも番組の最高責任者としてマッチメーク権などをもつという役のゼネラルマネージャー(GM)が置かれている。かつてWWEを苦しめたWCWの経営者であるエリック・ビショフが長期にわたり就任していたのがRAWの特徴である。

以下は歴代のGM一覧である(カッコ内は就任期間)[10]

  • リック・フレアー (2001年11月9日 - 2002年6月10日)
  • ビンス・マクマホン (2002年6月10日 - 2002年7月15日)
  • エリック・ビショフ (2002年7月15日 - 2005年12月5日)ビンスによりクビにされる。実際は本人の退団申請によるもの。
  • ビンス・マクマホン (2005年12月5日 - 2007年6月11日)実質的には会長として独断専行していた。
  • ジョナサン・コーチマン (2007年6月11日 - 2007年8月6日)(2006年9月頃から一時代行としてGMに就く )
  • ウィリアム・リーガル (2007年8月6日 - 2008年5月19日)薬物規定違反による謹慎により、職務打ち切り。のちにレスラーとして復帰
  • マイク・アダムル (2008年7月19日 - 2008年11月3日)ECWのアナウンサーだったが、シェインによって指名される。後に辞職。
  • ステファニー・マクマホンシェイン・マクマホン(2008年11月3日 - 2008年11月24日)
  • ステファニー・マクマホン(2008年11月24日 - 2009年4月6日)ヴィッキーのRAW移籍、GM就任より辞任。
  • ヴィッキー・ゲレロ (2009年4月6日 - 2009年6月8日)退団による辞任。
  • ブレット・ハート(2010年5月24日 -2010年6月21日)ビンスによって解任、番組には残る。
  • 謎のGM(2010年6月21日 -2011年7月18日)正体不明。身の安全のため、パソコン越しのメールによって指示がだされていた。
  • トリプルH(2011年7月18日 - 2011年10月10日)役員会で義父のビンスを解任する形でCOOに就任した。後に混乱の責任を取る形でビンスにより解任。(COO及び現場監督は継続)
  • ジョン・ロウリネイティス(2011年10月10日 - 2012年6月17日)トリプルHの監督責任が問われ、ビンスにより臨時のGMに就任。2012年4月から、SmackDownのGMを兼任。2012年6月17日のノー・ウェイ・アウトで解雇。
  • 2012年6月18日から7月9日まではミック・フォーリーヴィッキー・ゲレロセオドア・ロング謎のGMの元GM経験者が交代で臨時GMを務める。謎のGMの正体がホーンスワグルであることが明かされる。※フォーリー、ヴィッキー、ロングはSmackDownの臨時GMも兼任。
  • 2012年7月16日はGM不在となる。
  • AJ・リー(2012年7月23日 - 2012年10月22日)ビンスから発表される。2012年10月22日のロウで辞任を発表する。
  • ヴィッキー・ゲレロ (2012年10月22 - 2013年6月8日)以降ヴィッキーが事実上の代理を務める。Managing Supervisorなる役職に就く。WWEアプリのファン投票により解雇。
  • ブラッド・マドックス(2013年6月8日-2014年5月26日)ヴィッキー・ゲレロがManaging Supervisorを解雇された直後、ヴィンス・マクマホンから発表される。トリプルHにより解雇

以下の人物は、エリック・ビショフと共同でGMを務めたことがある人物である

なお、オースチンは退任後「番組保安官」も務めている(2003年12月29日 - 2004年3月29日

以下の人物は、一日限りのGMに就任したことがある人物である。

特にメイヴェンからクリス・ジェリコまでは、エリック・ビショフの長期休暇期間中の代役として、Survivor Series 2004の勝利者チームにGM代役権が与えられることになり、トリプルHバティスタ、エッジ、ジーン・スニツキーのチームとその権利をかけて争って勝利したことへの報酬としての就任である。

トランプは本来は長くオーナーを務める予定であったが、買収の余波によるWWE株価の下落(放送局がアングルを伏せて報道番組を放送したことにより、株主が予想以上に反応してしまったからと言われている)の影響により、その日のうちにビンスに買い戻される形で終了した。 以降はトランプが提案したホスト制度が採用されたためGMを付けず毎週ホストを迎えることになっていたが、ジョン・ロヴィッツ(2010年5月24日)の回にブレット・ハートがGMに正式就任したのを機に、以降のゲストホストの権限は大幅に縮小され、文字通りゲストとして登場している。

Guest Host[編集]

番組テーマソング[編集]

脚注[編集]

  1. ^ WWE Raw”. Youtube. 2010年6月24日閲覧。
  2. ^ USA Network FAQ's”. USA Network. 2008年1月21日閲覧。
  3. ^ a b Ducey, Cliff (1993年1月10日). “Inside Wrestling WCW shows aFlair for the dramatic”. ボストン・ヘラルド. http://pqasb.pqarchiver.com/bostonherald/access/67867936.html?dids=67867936:67867936&FMT=ABS&FMTS=ABS:FT&type=current&date=Jan+10,+1993&author=CLIFF+DUCEY&pub=Boston+Herald&desc=INSIDE+WRESTLING+WCW+shows+aFlair+for+the+dramatic&pqatl=google 2009年8月21日閲覧。 
  4. ^ 日本における字幕版の放送は、米本国から送られてくる映像を入手するのに掛かる手間や、日本語字幕の作成、諸々の準備に時間を割く必要がある関係上、米本国の10日遅れで放送され、実際にはSmackDownと同様の録画放送である。
  5. ^ ハウスショーのみの海外公演の場合はアメリカで事前収録してから公演に行き、テレビショーも含めた海外公演の場合は現地で収録し、後日放送される。例として、2005年2月4日さいたまスーパーアリーナ大会ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOURは、米本国では2月7日に放送されている。
  6. ^ 以降、2001年のWCW崩壊までにかけてWWF RAW IS WARの視聴率がWCW MondayNitroをずっと上回り続けるようになる。
  7. ^ これはWWFのストーリーの一部として描かれた物に過ぎず、実際の市場世界において侵略行為や番組妨害行為が行われたわけではない。
  8. ^ WWF(E)統一王者などはRAW、SmackDown!の両番組に出演可能であった。
  9. ^ J SPORTSでは1000回記念のみ3時間放送で、以後は従来の2時間枠でのダイジェスト放送となっていたが、2013年3月より3時間枠になった。
  10. ^ 正確には初代GMはエリック・ビショフであり、リック・フレアーとビンスは「番組オーナー」であったが併記する。

外部リンク[編集]