ダスティン・ローデス
| ダスティン・ローデス | |
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ゴールダスト(2011年)
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| プロフィール | |
| リングネーム | ゴールダスト ダスティン・ローデス ダスティ・ローデス・ジュニア ダスティン・ラネルズ セブン ゴールド・ダスティン ブラック・レイン |
| 本名 | ダスティン・パトリック・ラネルズ |
| ニックネーム | ゴールディー 変態王子 ザ・ナチュラル |
| 身長 | 195cm |
| 体重 | 110kg - 120kg |
| 誕生日 | 1969年4月11日(44歳) |
| 出身地 | テキサス州オースティン |
| スポーツ歴 | レスリング アメリカンフットボール |
| トレーナー | ダスティ・ローデス |
| デビュー | 1988年 |
ダスティン・ローデス(Dustin Rhodes、本名:Dustin Patrick Runnels、1969年4月11日 - )は、アメリカ合衆国のプロレスラー。テキサス州オースティン出身。
ゴールダスト(Goldust)、ダスティ・ローデス・ジュニア(Dusty Rhodes Jr.)などのリングネームで知られる。ゴールダストとしてのギミック上の設定では「カリフォルニア州ハリウッド出身」ということになっている。
父は元NWA世界ヘビー級王者の"アメリカン・ドリーム" ダスティ・ローデス。コーディ・ローデスは異母弟。かつてWWEでディーヴァとして活躍したテリー・ラネルズと結婚していたが現在は離婚している。
目次 |
来歴 [編集]
往年の名レスラー、ダスティ・ローデスの息子として生まれる。学生時代はレスリングやアメリカンフットボールに打ち込み、高校卒業後の1988年にダスティン・ローデスのリングネームでデビュー。父の主戦場だったNWAフロリダ地区で活動し、1989年3月には全日本プロレスに初来日している。1990年の末より短期間WWF(現・WWE)に参戦。当時、ダスティ・ローデスもWWFに在籍しており、1991年1月19日のロイヤルランブルではテッド・デビアス&バージルを相手に初の親子タッグが実現した。
1991年2月よりダスティと共にWCWに移籍。ザ・ナチュラル(The Natural)をニックネームに父同様のベビーフェイスとして売り出され、同年11月19日にはリッキー・スティムボートと組んでアーン・アンダーソン&ラリー・ズビスコからWCW世界タッグ王座を奪取[1]。1992年9月21日にもバリー・ウインダムとのコンビでテリー・ゴディ&スティーブ・ウィリアムスを破り同王座を獲得している[1](この間、1992年1月4日の新日本プロレスの東京ドーム大会に来日。ダスティとの親子タッグでマサ斎藤&キム・ドクに勝利した)。シングルでは1993年1月11日、アトランタで行われたトーナメントの決勝でスティムボートを下しUSヘビー級王座を獲得[2]。以降は同王座を巡りリック・ルードと抗争を展開した。
1995年9月にWWFに移籍。WCW時代の南部人キャラクターとは対照的に、金色のコスチュームとペイントで身を包んだ性倒錯ギミックのヒール、ゴールダストに変身する。マレーナ(当時の妻テリー・ラネルズ)をマネージャーに従え[3]、レイザー・ラモン、サビオ・ベガ、ロディ・パイパー、アーメッド・ジョンソンらと抗争。1996年1月21日にはラモンからインターコンチネンタル王座を奪取した[4]。
1998年1月からはルナ・バションを新しいマネージャーに、プリンスにインスパイアされた "The Artist Formerly Known As Goldust" を名乗り出し、より変態的なキャラクターとなってベイダーやマーク・メロと抗争。その後、性同一性障害者団体からのクレームにより、一時期は本名のダスティン・ラネルズ名義で説教者ギミックに転身するも、1998年10月よりゴールダストとしてカムバック。欠場中にマレーナを寝取ったバル・ビーナスとの抗争を開始する。1999年3月29日にはロード・ドッグを破りインターコンチネンタル王座に返り咲き[4]、以降もアル・スノーやザ・ゴッドファーザーを抗争相手にミッドカード戦線で活躍した。
1999年下期よりWCWに復帰し、セブン(Seven)なる怪奇派ギミックを経て素顔のダスティン・ローデスに戻る。しかし2001年にWCWがWWFに吸収合併され消滅。以後、父ダスティが旗揚げしたTCW(Turnbuckle Championship Wrestling)を経て、2002年1月20日のロイヤルランブルでゴールダストとしてWWFに再登場した。性倒錯から男色キャラへとギミックが修正され、コスプレやブッカー・Tとのストーリーで人気を博す。2003年にエボリューションの襲撃を受け、電気のブレーカーに叩きつけられた際に感電したとして、以降トゥレット症候群のような症状が出る設定になったが、次第に人気が下降し同年12月に解雇された。
その後、ZERO-ONEやハッスルにダスティ・ローデス・ジュニアとして参戦した後、ダスティン・ローデスとしてTNAに登場するが2005年に女性への暴行罪で逮捕されたことが原因で解雇される。同年、タブー・チューズデイでWWEにゴールダストとしてスポット参戦。翌2006年に再契約し、RAWに復帰するも6月に解雇となった。
2007年2月17日、ゴールド・ダスティン(Gold Dustin)のリングネームで全日本プロレスに参戦。同年7月には再びTNAに登場し、8月12日に行われたPPV大会ハードジャスティスでは、全身黒一色のブラック・レイン(Black Reign)に変身した。
2008年10月26日、WWEサイバー・サンデーにゴールダストとしてサンティーノ・マレラの対戦候補で出場。そのままWWEと再契約し、主にRAWのコメディリリーフを務める。その後2009年の追加ドラフトでRAWに移籍してきたホーンスワグルと共に活動していたが、6月のトレードでECWへ移籍し、新人のシェイマスとの抗争やヨシ・タツとのコンビで活動。番組終了後は2010年3月3日よりスマックダウンに移籍するもほとんどTV出演することなく、4月末の追加ドラフトによりRAWへ移籍した。
NXTシーズン3ではアクサナを指導するプロとして登場。当初は師弟関係であったが次第にゴールダストが恋愛対象としてアクサナを見るようになり、彼女もそれを応えるようになった。10月のRAWではテッド・デビアス・ジュニアからミリオンダラー・ベルトを強奪。これがきっかけでアクサナと共に、デビアス・ジュニア&マリースとの抗争を開始する。10月19日のNXTにおいて国外退去の危機にあるアクサナを救うためにプロボーズをし、11月2日にリング上で結婚式を挙行、父のダスティ・ローデス、異母弟のコーディ・ローデスも出席した。デビアス・ジュニアとマリースが式を邪魔しに来るが、神父にテッド・デビアスが登場。順調に式が進むも、誓いのキスを行おうとした瞬間、アクサナがゴールダストに平手打ちを放ち、破局となった。破局後もミリオンダラー・ベルトはアクサナが持っていたが11月15日、"Old School edition" と銘打って行われたスペシャル版のRAWでゴールダストに取り返される。その後ゴールダストは正統な持ち主であるデビアス(ミリオンダラー・マン)に返還し、抗争は終了した。
12月に肩を負傷し長期欠場となり、その間はバックステージ・プロダクターとして番組を支えていた。2012年に盟友ブッカー・Tと異母弟コーディ・ローデスの抗争に際して、素顔のダスティン・ローデスとしてスマックダウンに登場、ブッカーを擁護し、コーディに警告を投げかけた。
2012年4月27日に行われたスマックダウンでのヨシ・タツ&エゼキエル・ジャクソン対プライムタイム・プレイヤーズ(ダレン・ヤング&タイタス・オニール)戦において、プライムタイム・プレイヤーズがヨシ・タツに放った合体技が危険であったという理由で、その試合の責任者だったダスティン・ローデスはロード・エージェントを解任された。
2013年、ロイヤルランブルに出場。弟のコーディと長く戦った末途中敗退。
入場曲 [編集]
- Gold-Lust
- The Natural
得意技 [編集]
- ファイナル・カット(Final Cut)(旋回式ブレーンバスター)
- カーテン・コール(Curtain Call)(リバースDDT)
- シャタード・ドリーム(Shattered Dreams)(急所蹴り)
- スクープスラム
- バイオニック・エルボー
- フラット・ライナー
獲得タイトル [編集]
- NWAフロリダ・ヘビー級王座 : 1回
- NWAフロリダ・タッグ王座 : 1回(w / マイク・グラハム)
- WCW・USヘビー級王座 : 2回
- WCW世界タッグ王座 : 2回(w / リッキー・スティムボート×1、バリー・ウインダム×1)
- WCW世界6人タッグ王座 : 1回(w / ビッグ・ジョッシュ&トム・ジンク)
- WWFインターコンチネンタル王座 : 3回
- WWFハードコア王座 : 9回
- WWE世界タッグ王座 : 1回(w / ブッカー・T)
- インディー
- CCWヘビー級王座 : 1回
- TCWヘビー級王座 : 1回
脚注 [編集]
- ^ a b “WCW World Tag Team Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月7日閲覧。
- ^ “WCW United States Heavyweight Title History”. Wrestling-Titles.com. 2010年5月7日閲覧。
- ^ ゴールダストは「ハリウッド出身の映画マニア」という設定のため(得意技も映画にちなんだネーミングが施されている)、マレーナは彼の試合を映像作品として監督・演出する「ディレクター」と呼ばれ、試合中はシガーを吹かしながらディレクターズ・チェアに座って彼に指示を与えていた。
- ^ a b “History of the Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年5月7日閲覧。