ドン・ムラコ

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ドン・ムラコ
プロフィール
リングネーム ドン・ムラコ
ザ・マグニフィセント・ムラコ
"ザ・ロック " ドン・ムラコ
ドン・モロー
赤鬼
本名 ドナルド・ムラコ
ニックネーム 虎鮫
身長 186cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1949年9月10日(64歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 ハワイ州オアフ島
サンセット・ビーチ
スポーツ歴 レスリング
アメリカンフットボール
サーフィン
トレーナー レイ・スティーブンス
イワン・コロフ
デビュー 1970年
引退 2003年
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ドン・ムラコDonald "Don" Muraco1949年9月10日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーハワイ州オアフ島のサンセット・ビーチ出身。元WWFインターコンチネンタル王者ECW世界ヘビー級王者

来歴[編集]

ハワイでは学生時代にレスリングアメリカンフットボールで実績を築く一方、サーフィンの名手としても知られたという[1]1970年オレゴンワシントンなど太平洋岸北西部を牛耳るドン・オーエンのパシフィック・ノースウエスト・レスリングにて、ドン・モローDon Morrow)の名でデビュー。同団体やカナダバンクーバー地区では、後に再三に渡って名勝負を繰り広げるジミー・スヌーカともタッグを組んでいた。

その後、ドン・ムラコDon Muraco)のリングネームバーン・ガニアAWAにてキャリアを積み、1971年11月には国際プロレスに初来日している(来日時の表記はドン・モロッコ)。AWAでは若手のベビーフェイスとして、ビル・ロビンソンのパートナーにも起用された。1974年よりアメリカ西海岸カリフォルニア地区を転戦。ロサンゼルスでは空位となっていたアメリカス・ヘビー級王座を1975年5月2日に獲得し[2]サンフランシスコでは1976年3月24日、同地区認定のNWA世界タッグ王座ペドロ・モラレス&パット・パターソンから奪取した[3]

1977年ニュージーランドに遠征し、ジョン・ダ・シルバから英連邦ヘビー級王座を奪取[4]。同郷の大先輩キング・カーティス・イヤウケアともタイトルを争った[4]。帰米後は南部フロリダ地区を主戦場とし、同年7月と1979年10月にはNWAの提携ルートで全日本プロレスに来日している(この間、1978年には地元のハワイで活動、バディ・ローズトーア・カマタを破り、NWAハワイ・ヘビー級王座を通算3回獲得した[5])。

フロリダでは当初ベビーフェイスだったが、1980年、ハワイのビーチにたむろするゴロツキをイメージしたヒールに転向。3月26日にマニー・フェルナンデスからNWAフロリダ・ヘビー級王座を奪取し[6]、以降もダスティ・ローデスバグジー・マグロージャック・ブリスコらと抗争を展開した。翌1981年3月、新日本プロレスに初参戦。タイガー・ジェット・シンのパートナーとなって坂口征二&長州力北米タッグ王座に挑戦し、シングルでも坂口の持つ北米ヘビー級王座に挑んだ。

1981年よりWWFに登場。キャプテン・ルー・アルバーノマネージャーザ・マグニフィセント・ムラコThe Magnificent Muraco)を名乗り、6月20日にフィラデルフィアでペドロ・モラレスからWWFインターコンチネンタル王座を奪取、第4代王者となった[7]。同年8月24日には2冠王を狙い、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンボブ・バックランドWWFヘビー級王座にも挑戦、60分時間切れ引き分けの死闘を演じている[8]1982年は新日本プロレスの第5回MSGシリーズにも参加した。

インターコンチネンタル王座は1981年11月23日にモラレスに奪還されていたが、1983年1月22日にMSGで再びモラレスを破り王座奪回に成功。以降、1984年2月11日にティト・サンタナに敗れるまで、1年近くに渡って同王座を保持した[7]。この間、1983年10月17日にMSGで "スーパーフライ" ジミー・スヌーカを相手にスチール・ケージ・マッチによる防衛戦を行う[9]。ケージ最上段からのスヌーカのスーパーフライ・スプラッシュを真っ向から受け止めたこの試合は、会場で観戦していたミック・フォーリーに大きな衝撃を与え、彼がプロレスラーを目指すきっかけとなった(後の2004年、ムラコがWWE殿堂に迎えられた際のインダクターはフォーリーが務めた)[10]

以降もWWFに定着し、1984年にビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下でスタートした全米侵攻にもヒールの重要な戦力として参加。同じハワイ出身のミスター・フジを新しいマネージャーに迎え、新WWF世界王者ハルク・ホーガンに挑戦する一方、1985年からはリッキー "ザ・ドラゴン" スティムボートと抗争。1986年にはカウボーイ・ボブ・オートンとのコンビでタッグ戦線にも進出した。1987年よりスーパースター・ビリー・グラハムをマネージャーにベビーフェイスに転向。その岩石のような肉体からザ・ロックThe Rock)をニックネームに再起を図る。同年11月26日のサバイバー・シリーズ(第1回大会)ではポール・オーンドーフケン・パテラバンバン・ビガロと共に、旧敵ハルク・ホーガンとチームを結成した。

しかし1988年、WWFを解雇される(欧州遠征中、ロード・エージェントのニック・ボックウィンクルとトラブルを起こしたことが原因とされる[11])。その後はカルガリースタンピード・レスリングや末期AWAをはじめ各地のインディー団体を転戦(1989年1月には全日本プロレスにも久々に来日)し、1992年より旗揚げ間もないECWに参戦。10月24日、因縁のジミー・スヌーカからECW世界ヘビー級王座を奪取し、以降もサンドマンらと同王座を巡って抗争を展開した[12]1990年代には赤鬼なる覆面レスラーとしてWARにも来日している(パートナーの「青鬼」はタイガー戸口)。

2003年に引退し、地元のハワイで新団体HCW(Hawai'i Championship Wrestling)の設立に参画。2006年まで同団体の運営部長とコミッショナーを務めた。

エピソード[編集]

  • 巧みなマイクパフォーマンスのスキルの持ち主であり、ザ・ロックは影響を受けたヒールとして、ロディ・パイパーらと共にムラコの名前を挙げていた(なお、ムラコがWWFで名乗っていたニックネームのひとつが "ザ・ロック" である)。1981年には業界誌『レスリング・オブザーバー』の "Best Heel" に選出された。
  • 観客の心理操作を通して試合を盛り上げていく選手だったため、言葉の通じない日本マットでは真価を発揮することができなかった。WWFを共にサーキットしたキラー・カーンは「アメリカでの彼はこんなもんじゃない」などとムラコの日本での過小評価ぶりに異を唱えていた。
  • 1987年にWWFでベビーフェイスに転向した際、ショートタイツの色を黒から青に一新させたため、レスラー仲間からは「ビッグ・ブルー」と呼ばれていた[11]

得意技[編集]

獲得タイトル[編集]

ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAアメリカス・ヘビー級王座:1回
NWAサンフランシスコ
  • NWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版):1回(w / インベーダー1号)
  • NWA USヘビー級王座(サンフランシスコ版):1回
NWAニュージーランド
  • NWA英連邦ヘビー級王座:1回
NWAミッド・パシフィック・プロモーションズ
  • NWAパシフィック・インターナショナル王座:1回
  • NWAハワイ・ヘビー級王座:3回
  • NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / リック・マーテル
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・ヘビー級王座:1回
  • NWAフロリダTV王座:1回
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回(w / ジョー・ルダック
スタンピード・レスリング
  • スタンピード北米ヘビー級王座:1回
イースタン・チャンピオンシップ・レスリング
WWF / WWE

脚注[編集]

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  1. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P184(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ NWA Americas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  3. ^ NWA World Tag Team Title [San Francisco, by Roy Shire]”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  4. ^ a b British Empire/Commonwealth Heavyweight Title [New Zealand]”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月21日閲覧。
  5. ^ NWA Hawaii Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月5日閲覧。
  6. ^ NWA Florida Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年12月21日閲覧。
  7. ^ a b History of the WWE Intercontinental Championship”. WWE.com. 2010年4月12日閲覧。
  8. ^ WWE Yearly Results 1981”. The History of WWE. 2009年4月28日閲覧。
  9. ^ WWE Yearly Results 1983”. The History of WWE. 2009年4月28日閲覧。
  10. ^ Mick Foley "Have a Nice Day: A Tale of Blood and Sweatsocks" P33–34(2000年、Regan Books) ISBN 0061031011
  11. ^ a b 『ピュア・ダイナマイト - ダイナマイト・キッド自伝』P249(2001年、エンターブレインISBN 4757706391
  12. ^ ECW World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。

外部リンク[編集]