コナン・オブライエン

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コナン・オブライエン
Conan O'Brien
Conan O'Brien
本名 Conan Christopher O'Brien
生年月日 1963年4月18日(51歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国マサチューセッツ州ブルックライン
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
民族 アメリカ人
職業 コメディアン
司会者
ジャンル テレビ番組
活動期間 1985年 -
配偶者 Elizabeth Ann Powel(2002年 - )
主な作品
レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン
ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・コナン・オブライエン
Conan

コナン・クリストファー・オブライアンConan Christopher O'Brien, 1963年4月18日 - )は、アメリカ合衆国のテレビ司会者コメディアン脚本家プロデューサーミュージシャン声優。深夜のトーク番組の司会で知られ、最近では2010年よりケーブルテレビのTBSで放送されている『Conan 』に出演している。マサチューセッツ州ブルックラインで生まれ、アイルランド系カトリックの家庭で育った。ハーバード大学在学中、『The Harvard Lampoon 』誌の編集長を務め、『Not Necessarily the News 』のネタの脚本を書いていた。

ロサンゼルスでいくつかのコメディ番組の脚本家を務めた後、『サタデー・ナイト・ライブ』に脚本家として参加した。『ザ・シンプソンズ』で2シーズン脚本家およびプロデューサーを務め、NBCからの依頼を受け1993年より『レイト・ナイト・ウィズ・デイヴィッド・レターマン』のデイヴィッド・レターマンの後任を務めることとなった。『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』の初期の頃はあまり評判が良くなく、最初の数年間は週ごとの更新であった。徐々に評判が良くなり、2009年に番組を降板する頃には高く評価されるようになっていた。その後オブライアンはニューヨークからロサンゼルスに拠点を移し、2009年6月1日より10か月間、NBCトーク番組ザ・トゥナイト・ショー・ウィズ・コナン・オブライエン』の司会を務めた。

自然な司会スタイルで知られ、「不恰好な自虐的ユーモア」とみなされており、オブライアンの深夜番組は「下劣で奇抜でありながら、より洗練された短編映画のような語り口」と様々な要素が含まれている[1]。2010年より『Conan 』で司会を務める他、エミー賞授賞式や『Christmas in Washington 』などでも司会を務めている[2][3]。オブライアンは2011年のドキュメンタリー映画『Conan O'Brien Can't Stop 』で取り上げられ、また32都市でライヴ・コメディ・ツアー公演を行なっている。

生い立ち[編集]

オブライアンはマサチューセッツ州ブルックラインで生まれた。父は医師、疫学者、ハーバード大学医学部教授のトーマス・フランシス・オブライアン[4][5][6]。母は弁護士でRopes & Gray と提携しているルース・オブライアン(旧姓リアドン)[7]。オブライアンは6人きょうだいの3番目である。オブライアン家はアイルランド系カトリックであり、祖先のうち何人かは南北戦争前にアメリカに移住してきた[6]。『レイト・ナイト』のエピソードで、オブライアンは祖先の出身地であるアイルランドのケリー州を訪問したことがある。

ブルックライン高等学校に進学し、学生新聞The Sagamore 』の編集長を務めた[6]。卒業年次、オブライアンは自筆の短編『To Bury the Living 』でNational Council of Teachers of English を受賞した[8]。1981年、総代として卒業し、ハーバード大学に入学した[9]。新入生時はHolworthy Hall[10]、その後3年間はMather House に住んでいた。主に歴史と文学を学び、1985年[11]、最優秀学生として卒業した[12]。卒業論文はウィリアム・フォークナーフラナリー・オコナーの作品の特徴的な子供達について書かれている[13]。大学在学中、ユーモア雑誌『The Harvard Lampoon 』に執筆していた。また短期間ではあるが、The Bad Clams という名のバンドでドラムを演奏していたこともある[14]。2年生、3年生の頃、『The Harvard Lampoon 』誌の編集長を務めた[15]。ちなみに当時、将来オブライアンのNBCのボスとなるジェフ・ザッカーが学生新聞『The Harvard Crimson 』の編集長をしていた[16]

経歴[編集]

『サタデー・ナイト・ライヴ』(1987年–1991年)[編集]

ハーバード大学卒業後、ロサンゼルスに転居しHBOの『Not Necessarily the News 』の脚本家チームに参加した[17]。また短期間しか放送されなかった『The Wilton North Report 』の脚本も執筆していた[17]。2年ほど『Not Necessarily the News 』の脚本を執筆し、The Groundlings などと共に即興劇にも定期的に出演するようになった。1989年1月、『サタデー・ナイト・ライヴ』のエグゼクティヴ・プロデューサーのローン・マイケルズはオブライアンを脚本家として採用した。『サタデー・ナイト・ライヴ』での3年間、『Mr. Short-Term Memory 』、『The Girl Watchers 』などのネタを執筆し、後者の初回にはトム・ハンクスジョン・ロヴィッツが出演した[18]ロバート・スミゲルと共同で執筆した『Nude Beach 』では「ペニス」という言葉を少なくとも42回登場させた。1987年-1988年シーズンでの『サタデー・ナイト・ライヴ』の脚本家ストライキで、同僚のボブ・オデンカーク、スミゲルと共にシカゴ即興劇Happy Happy Good Show 』を上演した[19][20]。シカゴ在住中、短期間ではあるがジェフ・ガーリンと部屋をシェアしていた[21]。1989年、オブライアンを含む『サタデー・ナイト・ライヴ』の脚本家達はエミー賞コメディおよびバラエティ脚本家賞を受賞した。

『サタデー・ナイト・ライヴ』の多くの脚本家同様オブライアンは時々エキストラとして出演しており、特にトム・ハンクス5回目の登場で『Five-Timers Club 』のコーナーでのドアマン役で知られる。2001年の第26シーズンでオブライアンは『サタデー・ナイト・ライヴ』に司会として再登場した。1991年、オブライアンとスミゲルはアダム・ウェスト主演のNBCの『Lookwell 』のパイロット版を執筆した。これはシリーズ化することはなかったが、カルト的ヒットとなった。これは後にUn-Cabaret による、シリーズ化されなかったパイロット版の特集『The Other Network 』で放送された。この時オブライアンのインタビューも行なわれ、2002年にTrio で再放送された。

1991年、契約不履行、『Lookwell 』未放送と立て続けに起こり燃え尽きてしまい、『サタデー・ナイト・ライヴ』を降板した[22]。「私はローン・マイケルズに、もう業務に戻ることができない、何か他のことがしたいと語った」とオブライアンは思い返した。「私には何のプランもなかった。私はまさに人生の岐路に立っていた。そこで私はただニューヨークを歩き回っていればいつかアイデアが思い浮かぶだろうと思った」[23]。当時『ザ・シンプソンズ』の共同ショーランナーであったマイク・ライスアル・ジーンはオブライアンに仕事をオファーした。この番組は当時脚本家の間で大きな話題になっていた。オブライアンは「皆がこの番組に参加したかったが、番組は誰も採用しなかった」と思い返した[23]。オブライアンは中途採用された最初の1人となった。The Groundlings の旧友リサ・クドローの援助を受け、オブライアンはビバリーヒルズにアパートを購入した[22][24]。クドローはオブライアンは脚本家よりも表に出ることの方が向いているのではないかと考えた。オブライアンはこれに否定的で、オブライアンはクドローがお世辞で語っており、自分は脚本家でいることが幸せだとした。2000年、ハーバード大学の卒業祝賀会のスピーチで[25]、オブライアンはスランプから『ザ・シンプソンズ』に救われたと語った[26]

『ザ・シンプソンズ』(1991年–1993年)[編集]

「最初私はとても緊張していた。彼らは私を事務所に通し、何かアイデアを書くように言った。私は事務所に1人取り残された。5分後、コーヒーを取りに言った。何か衝突音が聞こえた。事務所に戻ってみると、窓に穴が開いて床に鳥が死んでいた。まさにこれが私にとっての『ザ・シンプソンズ』の最初の10分間であった。この鳥は窓を突き破って壁にぶつかり、首を折って床に落ちて死んだのだ。ジョージ・マイヤーが入ってきてそれを見て驚き「不吉な前兆だ」と言ったのだ」

—— 『ザ・シンプソンズ』でのオブライアンの初期[23]

1991年から1993年、『ザ・シンプソンズ』の脚本家およびプロデューサーを務めていた。FOXで臨時にジェフ・マーティンの事務所を与えられた。オブライアンは緊張であがってしまい、錚々たる脚本家達を前にしてきまりが悪かった[23]。オブライアンはライスに教えてもらうまで、声に動きを合わせるものだと思っていた[27][28]。すぐに順応し、時々場を仕切るようになり、ジョシュ・ウエインスタインはこれを「ten-hour Conan show, nonstop 」(10時間連続コナン・ショー)と呼んだ[23]。ジョン・オーヴドゥによると、脚本家の1人はもしオブライアンが『レイト・ナイト』のために降板しなかったら、オブライアンは確実に『ザ・シンプソンズ』のショーランナーとなっただろうと語った[23]

自身の作品で気に入っているのは『Marge vs. the Monorail 』と『Homer Goes to College 』である[23][29]。批評家、ファン、同僚は『Marge vs. the Monorail 』の後から『ザ・シンプソンズ』の流れが変わったと認めている[30]。『ザ・シンプソンズ』開始当初はとても現実的なファミリー・シットコムであったが、オブライアンが作品に参加し始めてから非現実的な方向に急速にシフトしていった[30]。これらのエピソードの他に『New Kid on the Block 』、『Treehouse of Horror IV 』の脚本も執筆した。『ザ・シンプソンズ』の最初の4シーズンの脚本家の1人であったウォレス・ウォロダースキーは「コナンは臆病な脚本家と呼ばれていて、以前ダイエット・コークを開けたら自分に噴射したことがあった。以降我々の間で笑いの種になっている」と語った[27]。時々同僚がビバリーヒルズにあるオブライアンのアパートに遊びに行くこともあった[24]

その頃、デイヴィッド・レターマンが『レイト・ナイト』の司会を辞めようとしており、エグゼクティヴ・プロデューサーのローン・マイケルズは後任の司会者を探していた。マイケルズはオブライアンにプロデューサー職を打診したが、当時のエージェントのゲイヴィン・ポローンはオブライアンはプロデュースよりも表舞台に立ちたいのだと圧力をかけた[30]。彼はマイケルズと共にオブライアンを『ザ・トゥナイト・ショー』のステージでオーディションを設定した。ジェイソン・アレクサンダーミミ・ロジャースをゲストに迎え、観客席には『ザ・シンプソンズ』の脚本家達が座った[31]。ウォロダースキーはこの時のことを「我々の同僚であるこの男が、あの奥のカーテンから出てきて番組開始の挨拶をするなんて誰が想像できただろうか」と思い返した[31]。この様子は衛星放送でニューヨークのローン・マイケルズとNBCの重役達が視聴した。1993.年4月26日、オブライアンは『レイト・ナイト』の司会者に指名された[1]。脚本家達が『Homer Goes to College 』の声の収録に向かう時、オブライアンはポローンからの電話で司会者に決定したことを知らされた。ポストプロダクション監督のマイケル・マンデルは「彼はこの酷いカーペットにうつぶせに倒れこんだ。ただ静かにそのカーペットの上に倒れていたのだ」「私は彼に「きみの人生は変わっていくね。本当に物凄い方向に」と言ったことを覚えている」と思い返した[32]

しかしながらFOXはオブライアンを手放したくなかった。最終的にNBCとオブライアンがFOXへの解約金を折半することとなった[28][32][33]。オブライアンの離脱後、『ザ・シンプソンズ』の脚本家達は『レイト・ナイト』を録画し、翌日の昼食時に視聴し感想を言い合うようになった[32]。『ザ・シンプソンズ』に関わっていた頃、同時にスミゲルと共に『サタデー・ナイト・ライヴ』の『Hans and Franz 』のネタを基にしたミュージカル映画の脚本にも取り掛かっていたが、この映画が製作されることはなかった[34][35]

その後[編集]

1993年から2009年2月20日までNBCトーク番組レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』の司会を務めた。

2009年6月1日からは前任のジェイ・レノに代わって『ザ・トゥナイト・ショー』の司会に就任したものの、視聴率低迷をめぐるNBCとのトラブルなど諸般の事情により降板が決定。NBCから4500万ドルの違約金を受け取り、2010年9月までの他番組への出演を見合わせる契約を交わした上で、2010年1月22日をもって降板した。その後、全米を周るスタンダップ・コメディ・ツアーを開始。ツアーは約2か月間続き、全米で反響を呼んだ。

2010年11月8日からは、米ケーブルテレビ局TBSの深夜バラエティー番組『Conan』をスタートし、司会を担当。独特な笑いのセンスで番組を展開している。

多くのアーティストとの親交があり、特にザ・ホワイト・ストライプスジャック・ホワイトとは交流が深く、ザ・ホワイト・ストライプスが『レイト・ナイト・ウィズ・コナン・オブライエン』に出演したり、コナンが「The Denial Twist」のミュージック・ビデオに出演したりなどしている。2010年には、ジャック・ホワイトのレーベルである「Third Man Records」からレコードを発売し、アーティスト活動を本格的に開始している。

主な担当番組[編集]

セレモニー[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b Lynn Hirschberg (2009年5月20日). “Heeeere’s . . . Conan!!!”. The New York Times. http://www.nytimes.com/2009/05/24/magazine/24Conan-t.html?pagewanted=all 2012年12月21日閲覧。 
  2. ^ “Conan O'Brien to Debut New Late-Night Show on TBS”. Associated Press. FOX News. (2010年4月12日). http://www.foxnews.com/entertainment/2010/04/12/conan-obrien-debut-new-late-night-tbs/ 2010年4月12日閲覧。 
  3. ^ Frazier Moore, Associated Press (2010年4月12日). “Conan O'Brien to Make TBS His New Late-Night Home”. ABC News. 2010年4月12日閲覧。
  4. ^ Conan O'Brien Biography (1963–)”. Film Reference. 2008年5月9日閲覧。
  5. ^ Conan Christopher O’Brien”. Ancestry. 2008年5月9日閲覧。
  6. ^ a b c Stated on Inside the Actors Studio, 2009
  7. ^ Ruth Reardon O'Brien 1931–”. Stanford.edu. 2010年1月23日閲覧。
  8. ^ Coons, Phyllis (1980年12月3日). “Extra Credit: Starting Out with Style”. The Boston Globe 
  9. ^ Beggy, Carol (2003年11月6日). “Monet goes to Vegas; Kerry goes out on the town”. Boston Globe. http://www.boston.com/news/globe/living/articles/2003/11/06/monet_goes_to_vegas_kerry_goes_out_on_the_town/ 2008年5月11日閲覧。 
  10. ^ Harvard College Freshman Dean's Office”. Harvard College. 2008年5月11日閲覧。
  11. ^ "@Google & YouTube present A Conversation with Conan O'Brien", AtGoogleTalks, 7 May 2010.
  12. ^ Laufenberg, Norbert B. (2005). Entertainment Celebrities. Trafford. p. 482. ISBN 978-1-4120-5335-8. http://books.google.com/books?id=mzTW9Nitee4C&pg=PA482&dq=Conan+O%27Brien+Laufenberg&cd=1#v=onepage&q=&f=false. 
  13. ^ Aucoin, Don (2003年8月31日). “Understanding Conan”. The Boston Globe Magazine. http://www.boston.com/news/globe/magazine/articles/2003/08/31/understanding_conan/?page=full 
  14. ^ O'Brien, Conan. The Tonight Show with Conan O'Brien, NBC, 15 January 2010.
  15. ^ Longcope, Kay (1983年10月24日). “A Star Rising”. The Boston Globe 
  16. ^ Finke, Nikki (2010年1月14日). “NO JOKE: Jeff Zucker Had Conan Arrested”. Deadline Hollywood. 2010年1月24日閲覧。
  17. ^ a b Rabin, Nathan (2006年8月30日). “Conan O'Brien”. The A.V. Club. 2008年5月11日閲覧。
  18. ^ Host of Late Night With Conan O'Brien”. Greater Talent Network. 2008年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月11日閲覧。
  19. ^ Boulware, Hugh (1988年6月24日). “Laugh Lines The Bits and Pieces That Get Comics Into the Act”. Chicago Tribune 
  20. ^ Bommer, Lawrence (1988年7月29日). “Live, From Chicago, It's...”. Chicago Tribune 
  21. ^ "Jeff Garlin interview". Late Night with Conan O'Brien. 2007年9月7日放送.
  22. ^ a b James Kaplan (1998年9月21日). “The Late Conan O'Brien”. New York. http://nbckicks.tripod.com/tlcob.html 2013年8月27日閲覧。 
  23. ^ a b c d e f g Ortved, 2009. p. 160–161
  24. ^ a b Ortved, 2009. p. 163
  25. ^ Volonnino, Michael R. (2000年6月8日). “O'Brien Returns to Harvard”. Harvard Crimson. 2008年5月11日閲覧。
  26. ^ Conan O'Brien's Commencement Speech for the Harvard Class of 2000”. everything2 (2000年8月8日). 2008年5月11日閲覧。
  27. ^ a b Ortved, 2009. p. 162
  28. ^ a b O'Brien, Conan. (2003). Commentary for "Marge vs. the Monorail", in The Simpsons: The Complete Fourth Season [DVD]. 20th Century Fox.
  29. ^ The Family Dynamic EW.com. Retrieved on February 13, 2007
  30. ^ a b c Ortved, 2009. p. 164
  31. ^ a b Ortved, 2009. p. 165
  32. ^ a b c Ortved, 2009. p. 166-167
  33. ^ Jean, Al. (2004). Commentary for "Cape Feare", in The Simpsons: The Complete Fifth Season [DVD]. 20th Century Fox.
  34. ^ Pearlman, Cindy (1994年7月8日). “Muscle-Man Bound”. People. http://www.ew.com/ew/article/0,,302839,00.html 2010年12月3日閲覧。 
  35. ^ Interview with Kevin Nealon. Conan. December 2, 2010.

外部リンク[編集]

先代:
ジェイ・レノ
ザ・トゥナイト・ショーの司会者
2009年6月1日2010年1月22日
次代:
ジェイ・レノ
先代:
デイヴィッド・レターマン
レイト・ナイトの司会者
1993年9月13日2009年2月20日
次代:
ジミー・ファロン