ウォルター・モンデール
|
ウォルター・モンデール
Walter Frederick Mondale |
|
|
第42代 アメリカ合衆国副大統領
|
|
| 任期 1977年1月20日 – 1981年1月20日 |
|
| 大統領 | ジミー・カーター |
|---|---|
| 前任者 | ネルソン・ロックフェラー |
| 後任者 | ジョージ・H・W・ブッシュ |
|
|
|
| 任期 1964年12月30日 – 1976年12月30日 |
|
| 前任者 | ヒューバート・ハンフリー |
| 後任者 | ウェンデル・アンダーソン |
|
|
|
| 任期 1993年9月21日 – 1996年12月15日 |
|
| 前任者 | マイケル・アマコスト |
| 後任者 | トーマス・フォーリー |
|
ミネソタ州司法長官
|
|
| 任期 1960年 – 1964年 |
|
| 知事 | オーヴィル・フリーマン エルマー・アンダーセン カール・ロルヴァーグ |
| 前任者 | マイルズ・ロード |
| 後任者 | ロバート・マットソン |
|
|
|
| 出生 | 1928年1月5日(85歳) ミネソタ州セイロン |
| 政党 | 民主党 |
| 配偶者 | ジョアン・アダムズ |
| 子女 | セオドア・モンデール エレノア・モンデール ウィリアム・モンデール |
| 母校 | マカレスター大学 ミネソタ大学ロースクール |
| 信仰 | 長老派教会 |
| 署名 | |
| 兵役経験 | |
| 部門 | アメリカ陸軍 |
| 軍歴 | 1951 - 1953 |
| 最終階級 | 伍長 |
| 部隊 | フォート・ノックス |
ウォルター・フレデリック・モンデール(Walter Frederick Mondale、1928年1月5日 - )は、第42代アメリカ合衆国副大統領(1977年 - 1981年)及び連邦上院議員(ミネソタ州選出、1964年 - 1976年)。
目次 |
生い立ちと初期の経歴 [編集]
モンデールはミネソタ州セイロンに生まれる。父親のセオドア・ジーグヴァード・モンデールはメソジスト派の牧師で、母親のクラリベル・ホープ(旧姓カウァン)は音楽教師であった[1][2][3]。父親の家族はノルウェー系であった[4]。モンデールは幼少時をミネソタ南部の小さな町で過ごし、その中にはヘロンレイクやエルモアが含まれた。後の1980年の大統領選挙で彼はそれらの町を故郷だとした。彼の異母兄のレスター・モンデールはユニテリアン派の牧師であった。
モンデールはセントポールのマカレスター大学およびミネソタ大学で学び、1950年に卒業した。ロースクールに通うための経済的余裕がなかったため、彼はアメリカ陸軍に入隊、朝鮮戦争時の2年間をフォート・ノックスで過ごし、伍長まで昇進した。除隊後に復員兵援護法による奨学金を利用してロースクールに入学、1956年に卒業した。
プロフィール [編集]
マカレスター大学在学中にミネアポリス市長ヒューバート・ハンフリー(後の副大統領・1968年大統領選挙における民主党大統領候補)の選挙運動を手伝ったのがきっかけで政界入り。弁護士、ミネソタ州司法長官を経て1964年、ジョンソン政権の副大統領に就任したハンフリーの後継者として上院議員に当選。上院民主党内では急進派と保守派の中間的な立場であった。
1976年大統領選挙で、民主党指名候補ジミー・カーターから副大統領候補に選ばれ、当選。1977年から1981年まで副大統領を務めた。副大統領としては国内外を精力的に廻り、また政権の政策決定にも積極的に関与している。しかし1980年大統領選挙では共和党のロナルド・レーガンとジョージ・H・W・ブッシュに破れ下野する。
1984年大統領選挙では共和党現職のレーガンに対する民主党の指名大統領候補者となり、雪辱に挑む。副大統領候補には女性として史上初の二大政党指名候補となるジェラルディン・フェラーロ下院議員を立てた。選挙戦ではリベラル寄りの主張を展開し、レーガノミクスや軍拡路線を批判したが、選挙人投票において525票対13票という圧倒的大差を付けられ、歴史的大敗を喫する。
ビル・クリントンによって民主党が政権奪取に成功すると、当初は駐英大使・駐仏大使への起用が検討されたが、これを固辞。結局、1993年に駐日大使に任命され日米構造協議以降の貿易不均衡の是正や非関税障壁の排除に力を振るうものの、「(中華人民共和国との)尖閣諸島の帰属に関する実力行使を伴う国際紛争の場合、日米安保は発動しない」と発言して石原慎太郎などから批判。1996年に帰国後に退任した。
2002年の中間選挙では、ミネソタ州選出のポール・ウェルストーン上院議員が再選を目指して選挙戦で共和党候補としのぎを削っていたが、投票日11日前になって州内を遊説中の同議員がチャーターしていた小型機が墜落、同議員をはじめウェルストーン選対幹部全員が死亡という事件が起った。そのピンチヒッターとしてモンデールは周囲から推されて出馬するが、残された10日間で「モンデールはすでに過去の人」という印象は拭いきれず、共和党候補に50%対47%の小差で敗れている。
2008年8月20日、大統領選挙民主党候補バラク・オバマの対日政策顧問グループに、名誉会長として参加した。
トリビア [編集]
林家三平には「大統領の肩を副大統領が揉んでいるということで、これをカーター・モンデール…」と小咄にされたことがある(1977年放送NHK「金曜招待席」より)。
駐日大使時代に長女エレノアと俳優の堤大二郎の交際が報道され、本人もその事実を認めたことから話題となった。
受章歴 [編集]
参照 [編集]
外部リンク [編集]
- Congressional biography
- Senate Leaders Lecture Series Address
- Minnesota Public Radio: Coleman, Mondale debate on eve of election (November 4, 2002) - featuring audio of the 2002 debate
- Hubert H. Humphrey Institute of Public Affairs: The Mondale Lectures on Public Service
- Great Norwegians
- Two Views from Pennsylvania Avenue
- List of New York Times articles on Mondale
- Senator Mondale transfers money from NASA to social programs using political maneuvers
- AmericanHeritage.com / Lost in Space What Went Wrong with NASA?
- Walter F. Mondale: An Inventory of His Papers, including his Vice Presidential Papers, at the Minnesota Historical Society
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ネルソン・ロックフェラー |
第42代:1977年1月20日 - 1981年1月20日 |
次代: ジョージ・H・W・ブッシュ |
| 司法職 | ||
| 先代: マイルズ・ロード |
1960 - 1964 |
次代: ロバート・W・マットソン・シニア |
| 議会 | ||
| 先代: ヒューバート・ハンフリー |
ミネソタ州選出上院議員(第2部) 1964年12月30日 - 1976年12月30日 同職:ユージーン・マッカーシー, ヒューバート・ハンフリー |
次代: ウェンデル・アンダーソン |
| 党職 | ||
| 先代: ポール・ウェルストーン (死去) |
ミネソタ州選出上院議員(第2部) ミネソタ民主農民労働党候補 2002 |
次代: エイミー・クロウブッチャー |
| 先代: ジミー・カーター |
民主党大統領候補 1984 |
次代: マイケル・デュカキス |
| 先代: サージェント・シュライバー |
民主党副大統領候補 1976, 1980 |
次代: ジェラルディン・フェラーロ |
| 先代: ヒューバート・ハンフリー |
ミネソタ州選出上院議員(第2部) ミネソタ民主農民労働党候補 1966, 1972 |
次代: ウェンデル・アンダーソン |
| 外交職 | ||
| 先代: マイケル・アマコスト |
第35代:1993 - 1996 |
次代: トーマス・フォーリー |
| 儀礼席次 | ||
| 先代: リンダ・リングル ハワイ州知事 |
アメリカ合衆国の儀礼席次 元副大統領 |
次代: ダン・クエール 元副大統領 |
|
|||||||||||||||||||