ジョージ・クリントン

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ジョージ・クリントン
George Clinton by Ezra Ames.jpg
生年月日 1739年7月26日
出生地 ニューヨーク州リトルブリテン
没年月日 1812年4月20日(72歳)
死没地 ワシントンD.C.
所属政党 民主共和党
配偶者 サラ・コーネリア・タペン
サイン George Clinton Signature-rt.svg

任期 1805年3月4日 - 1812年4月20日
元首 トーマス・ジェファーソン
ジェームズ・マディスン

任期 1777年7月30日 - 1795年6月30日
任期 1801年7月1日 - 1804年6月30日
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ニューヨーク市、セントポール教会のクリントンの座席

ジョージ・クリントン (George Clinton, 1739年7月26日 - 1812年4月20日) は、アメリカ合衆国の軍人および政治家。彼は1777年から1795年までニューヨーク州初代知事を、1784年から1787年まで第4代コロンビア大学学長、1800年から1801年まで州下院議員を、および1801年から1804年まで第3代知事を務めた。

彼は第4代アメリカ合衆国副大統領として、トーマス・ジェファーソン大統領の下で1805年から1809年まで、続くジェームズ・マディスン大統領の下で1809年からその死去まで同職を務めた。彼は在職中に死去した初の副大統領である

生い立ちと初期の軍歴[編集]

クリントンの政治への関心は、父親のチャールズ・クリントンの影響を大きく受けている。父親はアイルランド系の移民であり、ニューヨーク州リトルブリテンに移住した。チャールズはニューヨーク州の植民地会議のメンバーであった。兄のジェイムズ・クリントン大陸軍少将で、甥のデウィット・クリントンは後のニューヨーク州知事であった。

クリントンは18歳でイギリス陸軍に入隊しフランスインドとの戦闘に従軍、中尉まで昇進した。その後法律を学び、民事訴訟裁判所の所員となり州会議で貢献した。彼は大陸会議に選任され独立宣言を支持したが、市民軍の准将として任命され独立宣言署名前に大陸会議を去ることとなった。彼は権利章典が採用されるまで合衆国憲法を支持しなかった。

彼はトーリーに対する憎悪で知られている[1]。税を抑制するためトーリーの土地の差し押えおよび販売を行った。彼はジョージ・ワシントンの友人であり支持者として、バレーフォージでのワシントン軍に食料を供給した。またワシントンの大統領就任式では祝賀のための印象的な夕食会を開催した。

政治経歴[編集]


ニューヨーク州クリントン郡およびオハイオ州クリントン郡は彼にちなんで命名された。また、ワシントンD.C.は、コネチカット通りに金メッキをした彼の乗馬像を設置した。1873年にはニューヨーク州がアメリカ合衆国議会議事堂国立彫像ホール・コレクションにクリントンのブロンズ像を寄贈した。

彼は死後ワシントンに埋葬されたが、1908年にニューヨーク州キングストンで再埋葬された。

参照[編集]

  • Kaminski, John P. George Clinton: Yeoman Politician of the New Republic. Madison House, 1993.

外部リンク[編集]

公職
先代:
アーロン・バー
アメリカ合衆国副大統領
1805年3月4日 - 1812年4月20日
空位
次代の在位者
エルブリッジ・ゲリー
先代:
ジョン・ジェイ
ニューヨーク州知事
1801年 - 1804年
次代:
モーガン・ルイス
先代:
ウィリアム・トライオン
ニューヨーク州知事
1777年 - 1795年
次代:
ジョン・ジェイ
党職
先代:
アーロン・バー(1)
民主共和党副大統領候補
1804年, 1808年
次代:
エルブリッジ・ゲリー
先代:
新設
民主共和党副大統領候補(1)
1792年
次代:
アーロン・バー(1)
学職
先代:
ベンジャミン・ムーア
コロンビア大学学長
1784年 - 1787年
次代:
ウィリアム・サミュエル・ジョンソン
注釈
1. クリントンは1792年の大統領候補であり、アーロン・バーは1796年と1800年の大統領候補であった。1804年の憲法修正第12条の可決に先立って、各々の大統領候補に対し投票が行われ、最高得票者が大統領候補となり、次点が副大統領候補になることとなった。従って1792年に共和党は意図的にクリントンを副大統領候補に選出した。同様に1796年と1800年には民主共和党が二人の候補、バーとトーマス・ジェファーソンを意図的にジェファーソンを大統領候補、バーを副大統領候補に選出した。